連作 『雨の日に』   作:あずき犬

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アンブレラ(一般空間における時間軸操作とその考察)

 

傘の中はタイムマシン。

 

雨の日から雨の日へ。

 

今日も朝から雨。

陰欝な気分のまま、いつもの傘を開く。

傘が広がる音が心地好く響く。

雨の日のしとつく音は嫌いだが、傘を開くこの音は少し好みかもしれない。

夜中までかかって完成させたレポートが入ったリュックを背負う。

狭い路地。通りすがる人と傘がぶつかる。

この音は嫌い。

すみませんと声をかけてくれた男性。

会釈する私は湿気を含んだ髪をかきあげた。

見上げた先に、雨の中に滲む紫陽花の花。

 

満員電車の手すりに掴まり、雨に煙る窓の外を眺める。高架の下には傘の花が咲き乱れる。

 

駅を出てまた傘を開く。

しとしと降りしきる雨が傘を叩く音。

広がったのは紫陽花の香り。深呼吸をしてその甘ずっぱい香りを胸に吸い込む。

さっきの路地の紫陽花の香が傘の中に残っていたのだろう。

まるでタイムマシン。

 

降りしきる雨の中。

私は道路に散らばるレポート用紙をぼんやりと眺めている。

折角夜中まで頑張って打ち込んだのに。

レポートの内容は、時間素粒子理論による時間軸操作。雨がレポートの文字をゆっくりとにじませていく。

膨大な時間をかけて築き上げた時間操作の数式がまるで、雨の中に咲く紫陽花のように広がっていく。

 

私の思考を妨げるように、救急車のサイレンが響く。赤いライトの光が路面の水溜まりに無数に反射して。

 

傘をささなくちゃ。

紫陽花の香りを頼りに目線を移す。

グニャグニャに折れ曲がった赤色の傘が見えた。

傘の中にはいらなくちゃ。

一般空間における時間軸は一つ一つの傘と同じ。

傘と傘が触れ合うと、お互いの傘の中の空間が融合しあう。

紫陽花の香りは私の時間軸に入ってきた来訪者。

違う時間軸の傘を持つ一人一人が触れ合い、空間を共有し、時間軸を共有しあう。

私と傘を触れ合わせたあの男性とは、全く違う時間軸を持つ孤独な個。

でも、あの時、私とあの男性の時間軸が共有され、二つの傘の下に新しい時間軸が形成された。

時間軸の操作とは、単に傘を閉じるだけでいい。こんな簡単な事にどうしてみんな気付かないのかな。

 

雨が打ち付ける。

雨粒に混じる赤い色は私の体の中の色。

 

傘をささなくちゃ。

私の時間軸を、あの心地好い紫陽花の香りを。

傘に伸ばす私の手はもう自由には動かない。

私の時間は、折れ曲がったあの傘のように、

もう、個の時間軸を保つことができなくなってしまっていた。

ただ、少し離れて、私を見ている色鮮やかな傘の群れが見える。

 

その傘を一つ貸して下さい。

 

 

―― おしまい ――

 

 

【1032文字。一人称。いきなり超重たい話。はい、わざとです。副題をいかに裏切るか。ただ目茶苦茶でなく、裏切りながらもしれっと帰着させるか。やはり難しい。会話0は書くのしんどい。】

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