ハイネセンの眠り姫   作:伊藤 薫

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 彼女はその後も、喫茶店で居眠りをした。ミンツが店に出ている時は決まってそうしていたように思える。さすがにテーブルに突っ伏して寝ることはしなくなったが、様子を眺めていると、本を読んでいる眼がいつの間にかトロンとしてくる。やがて頭がコクンと落ちる。ああ落ちる。落ちる。その様子に、ミンツは思わずハラハラしてしまう。寝てしまう寸前で頭を持ち直したことも何度かある。その時は必ず大きな欠伸を一つ披露する。

「ちぇっ、落ちなかったか」

 ミンツは棚から振り向いた。

「何が?」

「あっ、聞こえちゃってましたか」ソフィがペロッと舌を出した。「あの人、うつらうつらしてたんですけど、今日は居眠りしなかったですね」

 ソフィが言う「あの人」とは、彼女のことだった。今日も奥のテーブルに座って分厚い本を読んでいる。

「あんまりお客さんをジロジロ見るものではないよ」

「そうですよね、すみません。でもあの人の寝顔がかわいくて」

 ミンツは少しドキリとした。ミンツ自身、彼女の寝顔を楽しみにしているところがあったのだ。ソフィの話は続いた。頭脳は明晰。ミンツは実際のシーンを見ていないので真偽は不明だが、彼女はある日に店主に「紅茶の茶葉を変えたでしょう。美味しかったわ」と言い、茶葉の銘柄をぴったり言い当てたという。

 ミンツはまたもドキリとした。この店で出している紅茶は安っぽい茶葉から、ミンツが自分で選んだ銘柄に変えたばかりだった。亡き妻のテレーズは紅茶が好きで、自宅で出された紅茶を飲んでいる内にミンツもいつしか紅茶にこだわるようになった。茶葉はテレーズがよく自分で淹れて飲んでいた一品だった。

 ソフィはまだ話し続いていた。見た目には分かりにくいが、彼女は美人で体型もいい。そんなお姉さんがふとした気のゆるみから天使の寝顔を見せてしまう。

「いや、天使じゃないですね」ソフィが言った。「どちらかと言えば、お姫様です。眠れるカフェのプリンセスってところでしょうか」

 ミンツは思わずうなづいた。相手の熱量に気押されたような気分だった。彼女に対するソフィの話ぶりにあまり同意できなかったが、まもなくミンツも彼女が持つ新たな一面を目の当たりにした。

 翌日の夜、ミンツは老人客に紅茶を注文される。慌てて読んでいた「フリープラネッツ・ヒストリカル・レビュー」を閉じる。「指揮官たちのダゴン星域会戦」はムンガイ提督に関する記事だった。ひと息ついた後、老人にストレートの紅茶を給仕した。

 老人はまずティーカップに鼻を近づけて香りを嗅いでいる。その後、口に含んで実際の紅茶の味を楽しみながら言った。

「うん。これはポロンナルワのマッキャロン茶園の茶葉だね。非常に甘みがある」

「私には、どこか懐かしい香りがします」ミンツは言った。

「懐かしい?君、この茶園に行った経験は?」

「ええ、あります」

 老人は衒学的な態度を取った。

「その時に同じ物を飲んだじゃないのかね?私はあの星にある大学で教えてたんだが、向こうの友人が紅茶はタミルに限ると言ってたよ。最近はハイネセン産の紅茶もあるが、私は本場の茶樹しか認めないね」

 彼女がいきなり会話に加わった。

「無知な人間は、自分から無知をさらけ出すものね」

 老人はムッとして訊き返した。

「私が無知だというのかね?」

 ミンツは右手に持ったティーポットをテーブルに静かに置いた。彼女と老人が飲んでいる紅茶はそのポットから注がれたものだった。彼女はよどみのない口調で続ける。

「このタミルティー、たしかにマッキャロン茶園のものよ。でも、その茶樹はハイネセンから持ち込まれたのよ。ちなみに、ハイネセンで作られた紅茶が50年前にフェザーンで開かれた品評会で最優秀賞を取ってる。本当の紅茶好きは産地に関係なく、その味を楽しむ。そうでしょう?」

 彼女は老人に静かな視線を向け続けた。

「あなたは紅茶が好きなの?それとも紅茶に詳しい自分を誰かに認めてもらいたいの?ご自慢の友人にぜひ聞いてみたいものです」

 老人は不服そうに鼻を鳴らした。黙って紅茶を一気に飲み干すなり、代金の硬貨をテーブルに投げ捨てて店を出て行った。ミンツはテーブルを片付け始める。彼女がミンツに声をかけてくる。

「懐かしいという感覚は良いですね」

「ありがとうございます」

 実際、ミンツには懐かしかったのだ。ポロンナルワのマッキャロン茶園は新婚旅行で訪れた場所だった。ミンツは続けて言った。

「紅茶、お詳しいんですね」

 彼女は分厚い本に眼を落としたまま堪えた。

「紅茶が好きなだけです。嫌いなのは、権威を笠に着て詳しいふりをする人間です。全く信用できない」

「その通りかもしれません」

「この世で信用できるのは、紙の本と紅茶だけですね」

 ミンツは彼女の言葉に思わず笑ってしまった。

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