「―――というのが、今のオラリオの状況です。分かりましたか、ベルさん?」
「ええと……はい」
痛む頭を押さえて、ベルはテーブルに頬杖をつき、羊皮紙の上で走らせていた筆を止めた。行儀悪いと怒られかねないが、与えられた情報はややこしい上にまるで自分が悪いみたいなことになっているというのもあって、シルはベルへ説教を垂れることはない。場所は【フレイヤ・ファミリア】本拠、『
「はぁ……闇派閥勢力にオラリオ勢力に武装した怪物勢力。3つの勢力がこのオラリオにあるってことはわかりました」
「はい、簡単に言ってしまえばその3つです!」
ニコニコと言うシルにベルはジトリ、とした視線を向ける。ベルの知らなかった情報を教えてくれた彼女には感謝の言葉を贈るべきではあるが、文句を言いたい気持ちもあった。
「もう、いつまで怒ってるんですか? ベルさんの身体、ボロボロだったんですよ? 魔法のせいか知りませんけど一気に怪我が酷くなって、ヘイズさんに治してもらいましたけど血が足りてませんし……そりゃあ、思春期なベルさんを2人がかりですっぽんぽんにしちゃったことは申し訳ないなあって思いますけど、医療目的ですからセーフです。ヘイズさんはベルさんの裸を見て欲情してペロリなんてしませんよ、ご安心してください! 眠っているベルさんを相手に子作りもしていませんっ!」
そう言うと、後ろで動き回っていたヘイズと呼ばれる少女はずるり、と足元を滑らせて転びかけていた。あわや大惨事とは言わないが食器を落して割るところであった。そうですか、医療目的ですか、じゃあ仕方ないですね。ありがとうございますヘイズさん! と言いたいところであったがベルのヘイトはあくまでもシル。ヘイズとは街中で買出ししているところを見かけては荷物持ちをしてあげたりしては食事を振舞ってもらう程度の関係。友人未満みたいなところだ。綺麗なお姉さんではあるが、【フレイヤ・ファミリア】は言ってしまえば『量産型・命摘み取り機』であり、やべぇ奴等の集まりなのだ。不良の集まりとはまた違うやばさがあるのだ。
「別に治療するために仕方なくってのはいいんです。僕も昔、アミッドさんに剥かれたことありますし」
「え、【
それ以上だよ!!
とはあえて言うまい。
というか昔も昔だ。
まだ彼女より背が低かった頃の話であって、寝込んでいる時に汗を吸った寝間着を交換するために介抱してくれたというだけのことだ。きゃーなんてふざけているシル何某が考えていることは、何もないのだ。………当時は。
「あ、勝手に【フレイヤ・ファミリア】の戦闘衣装を着せられていることが不満なんですか? サイズは少し大きめですけど、可愛くてお似合いですよ? それとも、年上のお姉さんに囲まれてた生活をしているベルさん的にはヘイズさんやヘルンさんが着ているのがよかったですか? 例えば………脱ぎたてとか」
「ぶふっ!?」
水を飲もうとして思わず吹き出すベル。
さらに食器を片付けていたヘイズが、何かぶつけたような鈍い音を立てた。ずっこけたのかもしれない。可哀想に。
「僕を何だと思っているんですか?」
「あら、お姉さん達の臭いとか……嫌いですか?」
「…………嫌いじゃ、ないですけど」
「正直なベルさん、私は好きですよっ」
意識を失っている間にひん剥かれて少女の手によって治療を受け、さらに美神の派閥の制服を着せられ、足りない血を補うために食事を振舞われた。美神的にはお気に入りの少年の裸体をその瞳に焼き付けられたことは、それこそ御伽噺の『聖杯』を見つけたに等しい達成感やらがあったことだろう。更には意識のないうちに着せ替え人形のように着替えさせた。今までできなかったことができて、美神的には多幸感で胸は満たされていることだろう。
「ヘイズさんやヘルンさんに意地悪するのよくないと思いますよ」
「だってヘイズさん、ベルさんの………いえ、いいんですけど、私が綺麗にしてあげたかったのに」
「どこを触ったんですか!?」
「いやんベルさん、良質街娘に言わせるんですかー!?」
頬に両手を添えていやんいやん身体を揺らすシル。彼女は自称、良質街娘と言うが彼女と敵対することになった不運な者達は口をそろえて言うだろう『魔女』と。ベルは頭が痛くなった。こんなことをしていていいんだろうか、いや、よくない。いいわけがない。何を考えているんだこの
「コホン、戯れはここまでにして……まあ、そんなに触られたのが不満だっていうなら、別枠でヘイズさんや私、あるいはヘルンさんにお触りすればいいんじゃないですか?」
「もういいですこの話は……はぁ、頭が痛い……」
「ヘイズさーん、お水くださーい! ベルさんがヘイズさんのお乳をご所望でーす! 直飲みさせてあげてくださーい!」
「シルさんっ!!」
「わわ、ごめんなさいごめんなさい怒らないで。……着替えについてもごめんなさい。流石に派閥の人間でもない私達が【アストレア・ファミリア】の本拠に入るわけにもいきませんし、なにより、ベルさんのお部屋の場所を知りませんから……本拠内を漁るわけにもいかないでしょう? だから【フレイヤ・ファミリア】の制服で許してください。着ていたものは流石に戦闘のせいでボロボロでしたから、それを着せる訳にもいかなかったんです。戦闘衣装としての性能は申し分ありません、そこは保障しますっ」
「本音は?」
「大好きなベルさんに【フレイヤ・ファミリア】の制服を着せるとか、まるで自分のものになったみたいな背徳感があって胸がいっぱいです」
「はぁ………」
あえて街娘のシルでいてくれてはいるが、本質は変わってない。バチグソにベルを狙っているし、あわよくばつまみ食いする気満々だ。ただ今の状況では流石に不謹慎だとわかっているのかふざける程度に済ませているのは唯一残った理性がそうさせるのかもしれない。ベルは何度目とも分からぬ溜息をついて、グラスに注がれた水で喉を潤した。ひんやりとした液体が喉を通って胃に落ちていくのがわかる。
「それで、こんなことしていていいんですか? オッタルのおじ様達だって外に出てるんですよね?」
「んー、どうでしょうか~?」
「?」
「外で闇派閥相手に動いている方達は確かにいますけど……まあ、それはベルさんが実際に見てみればわかる話ですよね」
「?」
何を言っているんだろうか。
疑問を浮かべるベルを前にシルは微笑みを浮かべたまま天井、いや、空を指差した。そして言う。
「ベルさんなら都市全体を上空から観察することなんて簡単ですよね?」
「………」
「闇派閥は確かに地上にいます。ベルさんやベルさんのお姉さん達は今、非常によろしくない立場にあります。まあ【ガネーシャ・ファミリア】も同じなんですけど、規模が【アストレア・ファミリア】より大きい憲兵さん達がいないと、そもそも住民の皆さんを守る方々がいませんよねって話なので外しても大丈夫でしょう。そして武装した怪物達がどこかにいます。 大雑把ですけど、問題はこの3つだけなんですよ」
「……いや、4つじゃなくてですか?」
「【ロキ・ファミリア】のことを他派閥であるベルさんが解決できるわけないじゃないですか」
「ふぐっ」
「ベルさんはLv.3の冒険者様でしょう? あちらはベルさんより上のレベルの方は沢山いますし、ロキ様の眷族達がそう簡単に折れるでしょうか?」
「いや、それは………」
仮にも【ロキ・ファミリア】は『巨人殺し』の【ファミリア】なんて呼ばれている派閥だ。第一級冒険者を7人も抱えている、都市の双璧なんて言われている派閥だ。【フレイヤ・ファミリア】が個としての強さなら、【ロキ・ファミリア】は群としての強さ。そんな派閥がそう簡単に負けて終わりとは思えない。何より、シルが言うようにベルにどうこうできる問題ではない。
「だから、ロキ様のことは放っておきましょう」
「何だろう、恨みでもあるんですか?」
「いいえ、まったく」
「シル様、紅茶をどうぞ。ベル君も、飲みますか?」
「え……はい、ありがとうございます?」
紅茶の入ったポットとカップを持って戻ってきたヘイズがシルとベルを間にするような位置の席に座る。2人は紅茶を注いでもらい、口を潤した。ヘイズが口を開く。
「ベル君、このオラリオを取り巻く、第2の『暗黒期』とされる現状における勝利条件って何だと思いますか?」
「勝利、条件……? 『闇派閥』をやっつける?」
「「はぁ~~~べるきゅんって本当、おこちゃまですねえ」」
「!?」
「ベル君いいですか? 今、オラリオにある派閥は少なくとも2つが落ちている状態なんです」
それは、裏切り疑惑が付いてしまっている【アストレア・ファミリア】と団長及び幹部陣営が負傷した【ロキ・ファミリア】のことだ。それはわかる、とベルは頷く。ヘイズはよろしいと頷くと指を1本立てていた状態から更にもう一本立てた。
「【ロキ・ファミリア】のことは除外していいとシル様はおっしゃられました。これは私も同意します。なら、【アストレア・ファミリア】は?」
「………」
「ベル君の派閥でしょう? じゃあ、今すべきことは?」
「………女神様のところへ、いく?」
「「正解」」
「!」
今、アストレアが身動きがとれない状態にあることはシルから聞かされて知っている。唯一地上にいる
「ベルさんは何もわからない状態で都市内をうろついてました。既に謎の怪物と戦闘をして、闇派閥の幹部とも戦った」
「では、その
「ベルさんの成長が異常だってこと、気づく人は気づいてますよ? 普通、1年でランクアップするだけでも早いって驚かれる偉業なのにベルさんの場合、1年も経たずにもうLv.3なんです。Lv.2になった頃は、ベルさんが7年越しでランクアップしたって思わせることはできますし、実際そう思われてたんですけどその後はそうはいきません。それは敵側も同じです。じゃあ、ベルさんがすべきことって眷族として『女神様を保護』することであって、冒険者として『ステイタスを更新してもらう』ことでもあるんです。急成長するベルさんをたとえランクアップに至らなくてもステイタスを更新されるってことは、敵からしてみれば面倒なことでしかないんですよ」
「だって、自分達が痛めつけた分だけ強くなるってことでもあるんですから」
「お、おお……」
目から鱗とばかりに年上のお姉さん達を見るベル。これには2人もクスリと可愛いものを見る目で笑ってしまう。
「敵の親玉さんはベルさんが女神様に会うのは嫌だと思うんです。だって数時間後には強くなっている相手とか、嫌じゃないですか?」
「た、確かに」
「だからこそ、ベル君の今の勝利条件って女神様と『再会』することなんです」
「ね、こうしてみると簡単でしょう?」
「はいっ!」
「非合法のアイテムを使ってステイタスを更新する手もありますけど、それは少し違いますし……それってベルさんを裏切るようなものですし、ナシでいいですよね」
まるで家庭教師のお姉さんみたいな2人にベルは道が開けたとばかりに目を見開く。伊達に良質街娘演じてないぜこの
「まあ他にも武装した怪物達の問題もあるでしょうけど……こちらもいつまでも隠れてはいられないから出てくるはずでしょう」
「……シルさんは、その……」
怪物が喋ったなんて言ったらなんと言われるだろうか。人間と同じ心を、感情を持っていて、理不尽な扱いを受けたことを知ったエルフの少女がそんな彼等の力になろうとしたと知ったら、なんと答えるだろうか。言い淀んでいると、見透かしたように彼女は口を開いた。
「ベルさん、『悪』って何だと思います?」
「…………え?」
「仮にも『正義』の女神様の眷族なんですから、考えてみてください」
「う、ん??」
「ふふ、人間にもいろいろ種類がありますから大丈夫ですっ」
話していると、既に時計の針は12を通り過ぎていた。随分と時間を使ってしまった気がする、とベルは立ち上がるとそれに連なってシル達も席を立つ。
「行くんですか?」
「はい」
「そうですか……まずは、武器と防具ですね」
「あー………はい」
頬を掻くベルにヘイズが困ったように言う。
「私達の派閥の物を貸すのもいいんですけど、後々、何を言いだすかわかりませんし……自分に合わない得物を使うのはあまりよろしくないですから」
「大丈夫です、魔法もありますし」
「それとこれ、お弁当です」
「あ、ありがとうございます?」
「くれぐれも、外で開けてくださいねー。そして必ず、食べてください」
圧をかけて押し付けるようにして弁当箱を渡してくるヘイズにベルは警戒を覚える。この弁当箱の中身はひょっとして爆弾なんじゃないだろうか、そう思ってしまうくらいには。
「ささベルさん、やることは多いですよー!」
背中をぐいぐい押すシル。
押されて本拠の外に出る。
振り返り、ニコニコと微笑むシルをベルは見つめた。
「シルさん、あの、どうしてそんなに良くしてくれるんですか? 僕、貴方のこと、すごく警戒しているし無碍にしているのに」
美神の寵愛を無視するベルはきっとその派閥の人間には良く思われてはいない。たとえ受け入れていたとしても、良くは思われないだろうが、それでも無視するとは何事かと彼等彼女等は言っていてもおかしくはない。それはベルが他ならないアストレアやアルフィアに気をつけるように言われていたからこそだが、それでもめげない彼女が不思議に思えてしまう。シルはベルの言葉に目を丸くして、だけどすぐに微笑んで正面から抱きしめてきた。まるで姉や母がそうするように、やさしく、温かく。密着する彼女の肢体が布越しとはいえこれでもかと押し付けられる。
「!?」
「――怯えないで、迷わないで。失ったものもあるかもしれませんが、失われないものがちゃんと貴方の側には残っています」
さっきまでの揶揄うような、ふざけているような、はしゃぐような声音じゃなく。諭すような優し気な声音が、ベルの耳元で囁かれる。鼻孔をくすぐる街娘の臭いに心臓を跳ねさせ、伝わる彼女の体温と弾力にほんのり頬を染めてしまう。
「大丈夫、貴方の心臓はまだ……『
ふっと街娘の声から女神の声へと切り替わる。
背中に回されていた手は撫でるように上へ移動し、頭を撫でてくる。言っている言葉はまるで神の神託だ。
「私は、
「………」
そっと離れていく女神の声。
温もりもまた離れて、瞬きをするとそこには薄鈍色の髪の少女が優しく微笑んでいた。1歩、また1歩と後退って、ベルは【ビューティフルジャーニー】を詠唱、解放するとぐっとしゃがみ込んで地を蹴り、誰もいない宙へと躍り出た。
「――――そう、それでいい。まずは、『暗黒期』を確認しなさい。簡単に言ったけれど、アストレアに会うのは簡単とは限らないわ。この都市で
見上げながら、薄鈍色の髪の少女は呟く。
そこに少女としての声音はない。
今もギルドにいるはずの美神の声で、細めた目を銀色に輝かせながら、彼には聞こえない声量で呟く。
「私も『怪物祭』のやり返しくらいはしておきたいもの、ね?」
彼女はヘイズを置いて、どこかへと去っていく。
その彼女を遠からず瞳に映しながら、1匹の猫人が屋根伝いに追っていく。
「さーって、モンスターさーんどこかなぁー?」
最後に、少女の声が風に乗って消えていった。
× ♪ ♪
オラリオ上空
地上から勢いよく重力を無視してオラリオ全体を見渡せるほど高い位置まで到達するとベルはそこで動きを止めた。風に乗るように慣性でわずかに移動するが、ふわふわと浮きながら真下を見下ろした。
「………?」
見えた景色に、疑問を覚えた。
人気はない、どこかへ避難しているのだろう。
誰かが戦っているのか魔法の光や煙があがるのが見えた。
「7年前の抗争って……
一番被害が大きいのは、それこそ『ダイダロス通り』。最早あそこは今まで通りの利用はできないだろう。再開発でもしないと、瓦礫の山みたいなものだ。だが他はどうだろうか、火の手はある、煙は上がっている、人気はない、死人もでていると聞いた。だが、見えた景色はこの程度なのかと思えてしまうレベル。
「本当にこれって、『暗黒期』………?」
火の手は小さく、煙もまた同じく。
戦闘の規模も大きいとは思えない。
抗争といえば抗争なのかもしれないが、7年前の『暗黒期』と比べれば同じなのかと本拠の中にいて見ていないとはいえ疑問を思えてしまう。
「あれは……ヘスティア様?」
小さな、黒と白の影が見えた。
シルに貰った双眼鏡を使ってみれば、それはヘスティアでツインテールを揺らしてどこかへと向かっていた。何か荷物を抱えているようだ。
「まずはヴェルフのところへ行きたかったけど……放っておけないし……どうして眷族もいないのに1人でいるんだ、あの神様は」
仕方ない。
アストレア様、どうかご無事で。
そう心の中で呟きながら、ベルは天地逆転、宙を蹴ってヘスティアの方へと向って行った。
フレイヤFの人達、口調がわからなくなるんですよね。