アーネンエルベの兎   作:二ベル

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英雄賛歌㉗

地を破り竜が姿を晒す。

おぞましくも美しい女体は満面の笑みを浮かべ、雲の向こうで輝く月と星々を仰ぐように両腕を広げている。耳朶を震わせる声は不気味で生理的嫌悪を催すものでビリビリと肌を震わせる声色に剣の姫も勇者も武装した怪物達も、そして雄牛と戦っていた少年もその動きを止めてしまった。ほんのわずかな瞬間とはいえ、意識のズレは致命的で、振り下ろされた刃が止まることはなく、妨害を働いた不届き者の砲撃を防ぐ術もなく、少年は瓦礫の海に沈んだ。

 

「―――――今、のは」

 

まるで時間に空白でも生まれたかのような感覚。

歌ってだとか、少年(だれか)を見てだとかそんなことが聞こえたような気がしたが、それはすぐに消えていていた。

 

「ひ、ひひひひひっ! エレボスのクソッたれめぇ、あんな手札(カード)があるなんて聞いてねえぞぉ!? けど……はは、私の悪運も尽きちゃいねえ! フィ~~~~~~~ンぅぅぅ! 私に夢中になってていいのかよぉ!? 都市(オラリオ)が吹っ飛んじまうぞぉ!?」

 

 

ボロクズのように傷だらけ、血濡れとなっているヴァレッタは建物に身を隠しながら狂ったような笑い声をあげてフィンへと叫びかける。石畳に残るいくつもの血痕を追っていたフィンも竜の存在をヴァレッタに言われずとも視認し舌を打った。これが誰かに対する試練だというのなら、()()()()だ。ヴァレッタを嬲り続けたところで、あの敵を放置していては都市そのものが終わる。それはダメだと言うことくらいは今のフィンにだってわかる。

 

「……流石にラウル達に任せきりにするには荷が重すぎるか」

 

冷え冷えとした思考。

あくまでも因縁の相手であるヴァレッタを始末することのみに思考を置いていた彼は足を止めた。

 

「さっさと都市を救いに行ったらどうだよ勇者様ぁ!? 皆がテメェを待ってるぞぉ!?」

 

下卑た笑みでも浮かべているような声が耳朶を震わせ、苛立たせてくる。槍を握る手に力が籠ってしまう。ここでまたあの女を逃す? それでまた毎度の様に手を出される? 冗談じゃない、なにがなんでもここで終わらせる。そう考え、一歩前に足を進めて何かが振ってきて、また動きを止める。

 

「これは……酒?」

 

なんてことはない。

酒樽だ。

酒樽が降ってきて、落ちて、石畳にぶつかって中身がブチまけられた。建物の屋根の方を見れば、複数の冒険者達がいてその中には見知った女性冒険者がいた。

 

「……【アストレア・ファミリア】?」

 

もうヴァレッタの気配はない。

今の一瞬でどこかへと逃げたか、隠れたのだろう。

今から彼女を追うのは、それこそ馬鹿だ。

ならやらなくてはいけないことは、1つ、なのだろう。

屋根の上からフィンを見下ろしている女性冒険者―ノイン―と目が合う。18階層で壊滅したという話を小耳に挟んだが、地上に帰還できたのだろう。であれば、こうしてこの場にいるというのは女神の神意か。

 

「………はぁ、せめて僕の知らないところでくたばってくれることを願うばかりだよ、ヴァレッタ」

 

踵を返し、呟く。

返って来る声はない。

これ以上の単独行動もラウル達も「勘弁してほしいっす!」と涙を浮かべかねない。あの竜はラウル達だけではキツイだろう。情報を提供してもらうためにノインの方へと向かう。そこに、地を蹴りこちらへ向かってくる音が聞こえた。

 

 

「この音………馬?」

 

音のする方に顔を向けるとやはり近づいてくるものが見えた。白い馬だ。いや、怪物だ。目を凝らしてその怪物(ユニコーン)を見つめると、その背に乗っている小さな人影が見えた。

 

「彼女は……生きて、いたのか」

 

「そこの冒険者、乗りなさい」

 

どこか冷たい眼差しというか、「おいこらテメェ時間ねえんだ、さっさとしろやチビ」と言いたげな眼差しを感じる。フィンが殺した……とされた少女だ。彼女の生存にフィンは目を見開き、考えるよりも先に手を伸ばす。すれ違いざまに手を握られ、乗せられる……ということはなかった。

 

「ふっ……くっ、ぅぅ……!」

 

「…………ふっ、ふふふ」

 

生きていたことに対する安堵。

どうしてだか分からないほどに胸の内で燃えていた炎は消えて、自然と力不足だからだろうか、フィンを怪物(ユニコーン)に乗せられずけれど踏ん張っていることに少年のような笑みをこぼしてしまった。女性に恥をかかせるのも失礼か、とフィンは地を蹴り、少女の後ろへ回り込むようにして怪物(ユニコーン)の背に跨った。

 

「アレを討ちます、手を貸しなさい。強いのでしょう!?」

 

指揮官のような雰囲気を感じさせる少女は、何の迷いもなく竜へ向かって手綱を握り締めてフィンに瞳を向けていた。彼女は、とても強い目をしていた。

 

 

 

×   ×   ×

 

「………どういうことだ、アストレア」

 

都市のどこか、高台へ移った神が2柱。

エレボスの瞳には、1人の女神の姿が映っていた。

それは自分の元に姿を現したアストレアのことではない。

雄牛と戦うもういない筈の月女神の姿だ。

 

「いや、それ以前に……」

 

エレボスは手で口元を覆うようにして怪訝な顔をすると、そのまま流し目にアストレアを見た。

 

「『魅了』による『侵略』……お前の差し金か?」

 

だとしたら正気を疑うぞ、とエレボスは思う。

いくらなんでも美の女神の力を利用するなんて、侵略を良しとするなんてどうかしている。それを口にしようとして、鼻孔をくすぐる酒気に顔を顰めた。

 

「アストレア、答えろ……何をした?」

 

「都市中にお酒をばら撒いたわ」

 

「お前の派閥は『酒』とは無縁のはずだろう?」

 

「ええ、だから()()しておいたの。………ソーマから」

 

「!?」

 

ということはこの酒気は『神酒(ソーマ)』か。

だがしかし、やはり正気を疑う。

どういう考えでこのようなことをしたのか、と思わざるを得ない。そんなエレボスを前にアストレアは瞼を閉じる。

 

 

 

―――戦いを、止めろ。

 

 

男神の声が響くと同時、(それ)はばら撒かれた。

迷宮に帰ろうと足掻く武装した怪物達も、都市を跋扈する怪物達を倒さんとする冒険者達も、闇派閥の残党及び暗殺者達も降り注ぐ酒を浴び、動きを止め、その声の主の方へと顔を向けた。

 

「神……ソーマ!?」

 

神々の中でも生粋の趣味神とされるソーマが動いた。

それは驚愕に値するだけの出来事だ。目を見開き、それでいて酒好きな者達は自分達が浴びたのは男神(ソーマ)が造り出した神酒(ソーマ)ではないかと悟り、酒気を吸い込んだ傍から人間(だれ)怪物(かれ)もが酔いしれるように頬を染め、トロンとして熱を孕んだような目をした。魅了による人心掌握の類ではなく、神酒(ソーマ)による強制停戦。

 

「これでいいか」

 

ボソリ、と長すぎる前髪をそのままにいつの間にか雲が晴れた夜空を見上げながらソーマは呟く。長きにわたり行方不明だった眷族(むすめ)の願いを聞き届けた彼は、誰に聞こえるわけでもなく彼女の名を口にした。

 

「リリルカ・アーデ」

 

 

それが美神による『魅了』と処女神による『浄化』が行われてすぐに起こったこと。短いながらに与えられた時の空白。竜は『魅了』と『浄化』によって何が起きたのかと混乱を起こして活動を停止。間髪入れず風によって流れ込んだ酒気に思考を鈍化させられた。勿論、地上で蠢く人間や怪物も同じように。たった僅かな時であれ、それが悪神エレボスの企てを阻止する一手となったのだ。

 

 

 

「7年前から……エレボスを逃したアストレアは、その日から備えていた」

 

松明が音を奏で周囲を照らす祈祷の間で、ウラノスは天井を見上げて言う。手元には1つの宝玉が配置されており時折会話に合わせて明滅を繰り返している。

 

「エレボスを逃したのは、下界の未知と言ってもいい……」

 

「下界の未知?」

 

「そうだ。18階層での最終決戦……『神獣の触手(デルピュネ)』を討伐したのは【アストレア・ファミリア】と【九魔姫】、【重傑】、そして【剣姫】。その際にアストレアと護衛を任されたヘルメスの眷族達が拘束した。が、戦いを終え、地上へ帰還しようというその時……エレボスのたった1人の眷族が成し遂げてしまった」

 

老神の呟きに、宝玉が明滅し言葉が返って来る。

 

「成し遂げた……?」

 

男とも女ともとれない声色。

ウラノスの私兵にして協力者、愚者(フェルズ)と名乗る魔術師(メイジ)だ。

 

「命を賭して主神を逃したのだ。無論、その眷族は死亡しているが…確かに、エレボスは逃げおおせ今に至るまで捕らえることも送還することも叶わなかった」

 

自分の身を犠牲に主を逃がした。

その字面だけで言えば、美しいものなのかもしれない。だが相手はオラリオにとって『悪』であることに変わりはなくあと少しで悪の首領とも言えるエレボスを天に還すことが叶わなかったというのは歯がゆいものだ。何より、戦いを終えて消耗しきっているとはいえ、【アストレア・ファミリア】、リヴェリア達【ロキ・ファミリア】の3人、そして【ヘルメス・ファミリア】というたった1人で相手どれるものではない状況でエレボスの眷族は確かに成し遂げてしまったのだ。これもまた下界の未知と言ってもいいことであり、認めたくはない偉業だ。

 

「ウラノス……何故、神エレボスは逃げた? まさかとは思うが、ベル・クラネルが関係しているのか?」

 

「そうだ」

 

「7年前、彼はまだ7歳かそこらだったはずだぞ」

 

「だが……【最強(ゼウス)】の系譜であり【最凶(ヘラ)】の眷族の血筋となれば神々であっても目を光らせるのは当然のこと。エレボスもその1柱(ひとり)だったということだろう」

 

「………」

 

「だからアストレアはエレボスを逃したその日から、都市の復興に尽力しながら備えていた。()()()()()()()()

 

「!?」

 

フェルズは驚愕に言葉を詰まらせた。

ウラノスの口から、()()()()()()()()()が出たからだ。

 

 

「私は貴方を逃したあの時から備えていた。ソーマの派閥は当時…少し問題があって、その際に謹慎処分が下されたわ。その当時まだ市場に出回る前だったものも販売は停止された。だけどまた活動を再開させるとき、お金がなくては困ることもあるでしょう? だから、こちらでお金を出すからお酒を譲ってと言っておいたの。勿論、()()()を作らないように監視はしたわ。私の派閥名義で購入した神酒(ソーマ)は都市中にある倉庫のほんの一部を借りて保管させてもらっていた。ヘルメスとウラノスには驚かれてしまったわ」

 

「当たり前だ、神酒で酩酊状態にして強制的に交戦状態を止めるだなんていうのは……正気を疑うぞ」

 

「神にも通用するか怪しいけれど……少なくとも、盤上が動かなければエレボスの思い通りにはならないでしょう? 現に今、都市に響いていた戦闘音や叫喚の類は静まり返っている。聞こえているのはせいぜい、3つほど」

 

瞼を開いてアストレアが言う。

ソーマの派閥の問題を解決したこと。

定期的に神酒を譲ってもらっていたこと。

商人や職人達を始め各派閥が所有する倉庫のほんの一部を借りて保管させてもらっていたこと。アストレアは少し茶目っ気に笑みを浮かべた。

 

「そしてアルフィアは、彼女自身が動けるギリギリまで……愛息子(ベル)を連れて都市中を巡った」

 

「?」

 

「それで? 戦いを止めて、終わりか? まさかそんなことで勝った気になっているのか? 『魅了』も『神酒』も驚きはしたがそれだけだ。状況は何も―――」

 

「状況は変わっているでしょう?」

 

エレボスが言おうとしてアストレアに被せられる。

アストレアは更に戦闘音が鳴り響く場所を指差していて、そこにはもういないはずの女神が雄牛と戦っている光景が出来ていた。目を見開いたエレボスは再び都市に目を向ける。

 

 

「ソーマにお願いしておいたの。もしもの時にはお酒を撒いて『戦いを止めろ』と言って欲しいと。私の眷族(むすめ)達も帰ってきてくれたから頼んでおいたけれど……うまく行ったみたいね」

 

「なら、『魅了』の行使もお前の差し金か?」

 

「まあ……結果的にはそうなのかしら」

 

「なら、あの月女神(アルテミス)もお前によるものか?」

 

「それは俺だよ、我が友(エレボス)

 

エレボスとアストレアの会話に、1柱の男神の声が加わった。

そちらへ向くと、旅行帽を胸元で押さえ優男風の笑みを浮かべるヘルメスがいた。

 

「いやぁ、エレボスもアストレアも動きすぎだ。流石に歩き疲れたぜ」

 

「ご苦労様、ヘルメス」

 

「………」

 

「じゃあ、エレボス」

 

ヘルメスは旅行帽をかぶると、くるりと手首を回しエレボスを指す。

 

「答え合わせといこうか」

 

「アフロディーテが都市にいる理由だけれど……エレボス、貴方、彼女が取るに足らない女神であると見もしなかったんじゃない?」

 

「ああ、確かに。都市にいる美神―イシュタルとフレイヤに比べれば格も低い。そりゃあ魅了という武器がある以上、直接あの女神の前に出ることはお断り願うが……わざわざ相手をする必要性も感じなかった。都市外の女神だからすぐに出て行くだろうと……そう思ったからな。なにより、あいつはうるさい」

 

「まあ確かにうるさいなあ」

 

「賑やかな子なのよ」

 

「「いや、あいつは本当にう・る・さ・い」」

 

「あらあら」

 

誰がうるさいですってぇー!? などとどこかでバチグソにキレ散らかしてそうなアフロディーテの顔を浮かべたヘルメスは手で払い除けて消し去って会話を再開させる。

 

「君はベル君がアルフィアの子……もっと言えば【最強(ゼウス)】と【最凶(ヘラ)】が遺した置き土産であることを知ってしまった。どうやって知ったのか……まあ、アルフィアと接触でもしたんだろう? 彼女達が闇派閥(そっち)につけばオラリオはそれこそ痛手を負ったはずだし」

 

「貴方は興味を持ってしまった……ベル・クラネルという子がどのような物語を紡ぐのか()()()()()()()()

 

それが7年前に1人の眷族を犠牲にしてまで逃げおおせた理由でしょう? そう言ってのけたアストレアにエレボスはしばしの沈黙の後、肯定するように笑みを浮かべた。

 

「ああ、その通りだとも。怪物祭で怪物が脱走したのは覚えているか?」

 

神々(おれたち)にとっては昨日のことみたいなもんだぜ? 何より、ベル君の初めての冒険(デビュー戦)。忘れやしないさ」

 

「どこかの誰かさんが怪物を脱走させて、ベルはシルバーバックと戦いことになったわね」

 

「エレボス、君が干渉を始めたのはそこからだろう?」

 

「ああ、その通り」

 

ベルの初めての冒険を見たエレボスは、その時に行使された魔法()に、ベル自身に魅せられた。ベルの成長を観測したいと強く思ったが故に接触し、試練を与えてきた。

 

「だが……俺はお前達に怒ってもいる」

 

「……」

 

冷たい瞳でアストレアを、ヘルメスを見つめ返すエレボスはアルテミスらしき何かをもう一度見て、言った。

 

「お前達……少年を神威の操り人形にでもしたな? 弄ったな?」

 

「……!」

 

「時期は確か『グランド・デイ』の後だったか……面倒なことになっていると干渉をやめていたが、少年を見つけた時、俺はアレが本当にベル・クラネルなのかと疑った。だってそうだろう? 下界の住人に女神の神威が紛れ込んでいるなんておかしいだろう」

 

超越存在の1柱であるエレボスは即座に察してしまった。

ベルの身に起きたことを。

それがベル自身にとって望みうることではなかったこと。最悪な結末であったことを。何より、肉体に神威が染み込むとは一体どういうことか。それこそ『神の力(アルカナム)』の行使で弄ったとしか思えない。

 

「アルテミスがもう下界にはいない……正確には死んだということを知って、納得したよ。お前達はアルテミスを殺すことを拒んだ少年に強制したんだ。神殺しを……神威によって」

 

「……エレボス、その時『神の力(アルカナム)』は行使されたわけじゃあ、ない」

 

「どうしたヘルメス。はっきりと言え。『神の力(アルカナム)』は行使されていない? そんなはずがないだろう、アルテミスを殺すための武器がそこにあったはずだ。神造武器がそこにあっただろう? それに俺が知らないとでも思ったか? 【アポロン・ファミリア】……何故、都市から消えている?」

 

「――っ」

 

「可能性の話でもするか? 現場にはアルテミスと神造武器を持った少年…そしてアポロンがそこにいたとする。アポロンは『太陽』の神でありアルテミスは『月』の神だ。何らかの『因果』が発動したとすれば……どうだ? 女神の抹殺装置にでも少年を変えることはできるんじゃないか?」

 

「………ほんと、お前は厄介な奴だよ」

 

「惚れるなよ、抱くのは女神(おんな)だけと決めている」

 

「言っておくが、あの時はそれしか打てる手はなかったんだ」

 

「そうだな……1人の少年を犠牲にすることで下界を救えるというのなら、それもまた手だろうな。なら……俺がしていることも似たようなものだ、邪魔をするなよ」

 

輝夜を手負いにし、イシュタルとベルをぶつけ『戦争遊戯』を起こさせた。『天の雄牛(グガランナ)』という地上にいるはずのない穢れた精霊を乱入させて追い詰めた。今回もそれと同じことだとエレボスは言う。

 

強敵(ミノタウロス)をぶつけ、邪竜を呼んだ。倒さなければ都市は吹き飛ぶ。少年に手助けしてくれる者は僅かで、戦力にはならない。いや……強者の類は動けないようにしておいた。その最たるものがロキの眷族であり、アストレア……お前の眷族達だ。ようやく地上に戻ってきているようだが……少年の元にはいないようだ」

 

「エレボス、貴方……」

 

「なんだアストレア、黙っていたかと思えばようやく口を開く気になったか?」

 

「………嬉しいわ」

 

「何?」

 

「貴方、あの子のために怒ってくれているのね」

 

「――――――」

 

 

×   ×   ×

 

 

突如として現れた月女神らしき存在が、雄牛と刃を交わしている。狩猟の女神でもある彼女は、冒険者顔負けの武芸を惜しみなく発揮し、軽々とした身のこなしで剣を振るっていた。

 

「【ゼオ・グルヴェイグ】」

 

魔法の輝きがベルを包み、傷を癒す。

側には治療師(ヒーラー)の少女の他に数人の冒険者がいた。

 

「ヴァンさん、乱入者はどうなりました?」

 

「逃した、としか言えん。くそ、フレイヤ様のお言葉があったというのに……!」

 

「仕方ありませんよー、一気に色々起こり過ぎなんですから」

 

全身鎧の敵は実は怪物で、ミノタウロスで、そんで地面がばっこーんと爆砕して未知の怪物が出てきたかと思えば

、どこからか禍々しい雷の砲撃がずどーん! さらに『魅了』が発動して『浄化』の炎に焼かれて、お酒が降り注いで、そりゃあ皆動き止まりますって。処理できませんって、とヘイズは頭を振った。

 

「それで…なぜ目覚めない?」

 

「攻撃の威力が高すぎたからとしか。いくらベルの魔法がダメージを後回しにするのだとしても、受けた痛みをなかったことにしているわけではないでしょうし……身体を斬られた時の傷は後回しにできても瞬間の痛みはちゃんと感じてしまうと言えばいいでしょうか。脈拍も弱いですし…あの乱入者の雷撃が原因だとしてもこの子にそういった呪いの類は効かないはずですし……たぶん、重なった攻撃の痛みのショックで意識が飛んでしまっているんだと思います。さっき心臓も止まりかけてましたし……それで、まあ、なんといいますか、アレが出ちゃったと言いますか」

 

お願いですから早く起きてくださいベルーとヘイズが言いながらペチペチと頬を叩く。ヴァンと呼ばれる半小人族(ハーフパルゥム)は瓦礫の向こう、雄牛と戦う月女神らしき者へと視線を向け目を細めた。技術については言うに及ばず流石超越存在(デウスデア)。眷族と共に下界に蔓延る怪物達を狩って来たというのは真実なのだろうと見ていれば分かる光景がそこにあった。

 

「だが、いくら超越存在(デウスデア)であろうと……一般人と身体能力は変わらない、恩恵を持つ俺達より劣るはずだ」

 

「だと思うんですけど……なんていうかアレ、恩恵持ちの動きしてますよねー」

 

ベルの身体にある聖痕といい、ベルが瀕死になった時に出てきたことといい、誰か教えてくれませんかねーとヘイズはぼやく。ヘイズ、そしてヴァンの目から見て雄牛と戦う彼女の動きは()()()()()()()だった。

 

 

 

『ムゥン!』

 

雄牛が右手に持つ戦斧(ラビュリス)で薙ぐ。それを彼女は剣とナイフを交差させて防御の構えを取ると素早く後方へ飛び衝撃を軽減。着地するとそのまま後へ回転して立ち上がり、弧を描くように走り出した。彼女が右手に握り締めるのはかつて月女神(アルテミス)が使っていた短剣。左手にはヘスティアナイフを。常人を超えた速度で雄牛へと肉薄すると連撃(ラッシュ)をぶつける。

 

『……ッ』

 

決して。

決して、先程まで戦っていた少年と同じとは思わない。それよりも弱いとさえ感じられた。けれど、彼女の身のこなし、技量だけは少年を上回っていて戸惑いを抱いてしまう。短剣が防具で守っていない場所を走りナイフが躊躇いなく眼球を潰そうと襲い来る。それを角で往なそうとすればその勢いに身を任せて天地逆転し蹴りをぶち込んで着地すると戦斧を持たない左側、つまり攻撃範囲の外側へと身を置くようにし瞳がチラリと動くと彼女は走り出し、エルフの冒険者から弓と矢を取り上げた。

 

「あっ!?」

 

という声が上がったのは言うまでもなく。

けれど次には開いた口をそのままに冒険者は目を見開いた。

 

「【ハンターズムーン】」

 

何も発さなかった彼女が口を開き、何かを言った。

すると彼女の速度が上昇し、そして跳躍。3本の矢を持ち、番え、連射する。

 

『……ッ、ムッ!……ゴァッ!?』

 

1本を薙ぎ払いで弾き、2本目を返す勢いで殺す。けれどタイミングを見計らってか3本目が左眼を射抜く。跳躍を終えそのまま走り出す彼女は矢を取り出すのではなくナイフを取り出すとそのまま雄牛の股下を滑走(スライディング)し両脚を斬りつけた。眼球から矢を抜き、苦悶を漏らす雄牛は己の下を通る敵を潰さんと踏みつけるが、既に彼女は通り過ぎた後。背後からまた3射、飛んでくる。

 

『ォオオオオオオオオオオオオオッ!』

 

「【ウルフムーン】」

 

雄牛は魔剣を取り、地に叩きつけることで円を描くように雷を砲撃。そのまま間髪入れず戦斧と魔剣による両手を武装したことによる攻撃範囲の拡張を以てして回転薙ぎで彼女へと振り返ると、彼女の姿はすでになく、彼女がいたはずの場所には2匹の狼が泡のように消えていくのが見えた。グッと頭に重量を感じて視線を向ける両の角を握り倒立状態の彼女と目が合った。そのまま眉間へと膝が撃ち込まれる。

 

『グッ……ォォオオ!』

 

ミノタウロスの肉は断ちにくい。というのは冒険者達にとっては常識で、その通りと言うべきかナイフや短剣が走った肉体には傷が碌にできていなかった。距離をとった彼女は言葉なくそれを見て、己の手が握る武器を見つめて、そして、雄牛が立つさらに向こう側…ベルが吹っ飛んで行った方へと顔を向け、手を差し伸べるようにして唇を動かした。

 

 

「おいで、オリオン」

 

 

風に髪を揺らす彼女の呼びかけに応えるように、治療を終え目覚めを待っていたベルの身体がビクリと震え、瞼が開き、立ち上がる。

 

「……ベル?」

 

「?」

 

ヘイズの声にもヴァンの存在にも振り返ることもなく、ベルは青白い雷光を引き連れて戦場へと舞い戻った。

 

「さぁ……一緒に冒険をしよう」

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