小休止③
夢を見た。
会ったこともない人達が、心底嬉しそうに話す懐かしい夢を。
「これで私達は救われる」
「これで私達は報われる」
誰かが、膨らんだお腹を柔らかな笑みを浮かべて優しく撫でて、そんなことを言う。
「どうか私達の分まで健やかに育ちますように。悪い神様に見つかりませんように」
先のない未来を託すように、或いは、自分達の分まで生きてくれと誰かが言う。
―――さぁ、早く。早く。早く。早く。
早く産まれてきて。貴方をこの腕に抱かせて―――早く、貴方に逢いたい。
愛し合う2人の間から産まれる子供に誰かが、待ち遠しそうにそう言う。
「きっと私達は貴方の傍にはいてあげられない。けれど、私達は貴方のすべてを信じているわ。貴方のすべてを、私達は愛している。今は何もない
少し時間が経って、待ちに待った子供が産まれた。
「こんな幸運はめったにないぞメーテリア。頑張ったなぁ、偉い、偉いぞぉ」
「この子はきっと『最後の英雄』に違いない!」
「やめろ、私達の業を引き継がせるようなことを言うな」
「でも、ちゃんと産まれてきてくれた。それだけでも十分俺達にとっては希望さ」
「
「いや、いない・・・というか、お前が孕んでいたこと自体知らんだろう。知っていたら今頃・・・」
「ああ、聞きたくない、聞きたくないわアルフィア。そもそも、あの
産まれてきた子を優しく抱いて、嬉しそうな顔をする誰かが子を揺り籠へと乗せてもらって寝顔を眺めながら、微笑む。
「素敵な人に出逢いなさい」
「好きなものを見つけなさい」
「愛せる誰かに尽くしなさい」
「誰かの涙を拭ってあげなさい」
それはよくある、産まれた子供が将来こんな人になってくれたらいいな。というものなんだろうと思う。周りにいる人達も、嬉しそうに、或いは少し悲しそうに微笑んでいた。
「『
ぽろぽろ、と涙を零す誰か。
ごめんなさい、ごめんなさいと小さく零す。
『家族』を教えてあげられなくてごめんなさい。
『親』を教えてあげられなくてごめんなさい。
『愛』を教えてあげられなくてごめんなさい。
『親』として何もしてあげられなくてごめんなさい。
「・・・だから、多くは望まない。優しい人になりなさい」
× × ×
「―――――ん」
瞼が震え、ベルは目を覚ます。
視界に映るのは白い天井で、肌を撫でるのは外から入り込んだ風。
少し、寒い。
ゆっくりと重たい瞼を開けて、頬を伝っていた涙を拭う。
周囲を見渡すも、誰もいない。個室だ。
まだ覚醒しきっていない頭のまま身体を起こし、ベッドから降りようとして転ぶ。じんじんと痛みを発するのも気にせずに今度こそ立ち上がって閉ざされた扉を開いた。身体は気怠くて、力を失ったように重たい。
「【ディアンケヒト・ファミリア】の治療院じゃない……バベルの治療施設?」
昔からよく通っていた治療院の廊下とは少し違うことからベルはすぐに気づいた。そして、誰かいないかと廊下を歩く。バベルにあることから廊下は真っ直ぐとは少しばかり違う。それでも清掃が行き届き、徹底的な衛生管理がされているのかきつくはないが消毒液の香りが鼻孔をくすぐる。誰か知っている人の顔が見たい…そんなことを思って壁に手をつけて歩いていると、願い叶ったように少女の後ろ姿が目に入った。義母と似ているようで似ていない白銀の長髪に105
「―――ア…ミッド、さん」
乾いた喉から出た微かなベルの声にぴくっと身体を揺らして少女が振り返る。そしてそこにいたベルを見て目を丸くした。
「ベルさん」
少女がベルの名を呼ぶ。
それだけでどうしてだか、ベルは安心を覚えた。
思わず、彼女の名をもう一度呼んでしまうくらいには。
「アミッドさん」
「ベルさん」
「アミッド……さんっ」
「ベルさんっ」
スタスタスタ、と「治療院で走ってはいけません!」なんて規則を守るように、けれど歩く速度を速めたアミッドがやってくる。少年と少女が呼び合う光景に2人が『許嫁』であるという関係だったり噂だったりを知る者達、そうでない者達は仲睦まじいものが次の瞬間には見れるのだろうとほとんどの者がほっこり顔を浮かべた。
しかし。
現実は非情である。
「だぁああああああれが、出歩いていいと言いましたかぁああああああああああ!?」
「ぐっほぉぁぁあああああああああ!?」
殴った。
殴り飛ばした。
少女の拳が少年の腹に食い込み、華奢な身体の少年は見事にぶっ飛んだ。腰の入った、そして捻りが加わった見事な右ストレートであった。聖女様、怒りの鉄拳である。その光景を目撃した者達は皆が皆、悲鳴を上げずにはいられなかった。
「「「ベ、ベルさぁああああああああああん!?」」」
「「「アミッド様ぁあああああああああああ!?」」」
以前にも似たようなことがあったような気もしなくもないと治療院で働く治療師達は思った。そして、アミッドの助手をすることの多いマルタとベルナデットは以前よりも『技』に磨きがかかっているようにも見えた。
吹っ飛んだ先、壁に激突する形で憐れ……いや、勝手に出歩いた
「ま、まったく貴方は…廊下で眠っては風邪をひいてしまいますよ? ほ…本当に、仕方のない人」
まるで何もなかったかのような台詞を早口に言うとアミッドはそのままベルが眠っていた部屋へと向って行った。揺れる髪の間から姿を見せた耳は、ちょっぴり赤かった。
× × ×
「――――ぅぅん」
瞼が震え、ベルは目を覚ます。
視界に映るのは白い天井で、肌を撫でるのは外から入り込んだ風。
少し、寒い。
ゆっくりと重たい瞼を開け、手のひらに感じる感触と温もりから、そちらを向いた。
「おはようございます、ベルさん」
「……ァミッド、さん?」
ベルが眠っている間、手を握り傍にいてくれたのだろう。
いつだってベルの体調やら、気を遣ってくれる優しい聖女様だ。
どこかぎこちない微笑を浮かべて、アミッドはベルの前髪を梳くように撫でた。
「騒動から3日ほど眠っていました。身体に異常はありませんか?」
「………」
アミッドの手が頬に触れて、ベルは幼子のように彼女の手に頬ずりをしてしまう。そして、聞かれたことを答えるべく自分の身体から違和感はないか瞼を閉じ、探り、そして口を開いた。
「なんだかお腹の辺りがジンジンします」
「………」
ぷいっと顔を逸らす聖女様。
はて、なにかあっただろうか?
「僕、さっき廊下を歩いてたような気が……」
「ゆ、夢でも見ていたのでは? だいたいベルさんは瀕死も瀕死だったんですし、そんな人が出歩けるわけないじゃないですか」
「うーん……アミッドさんがそう言うなら、そうなのかなぁ……」
「うっ……ベルさんの信頼が今は痛い……」
「何か言いました?」
「いいえ、何も?」
すました顔した聖女様。
何もなかったらしい。
「ここは……バベルの?」
「いいえ」
「え?」
「
「…………?」
「…………」
なーんか違和感があるけど……でも、確固たる確証がないというかなんというか。悶々と、けれど言葉にできなくてベルはまぁいいやと考えるのをやめた。目が覚めたら美人さんがいる。それだけで、いいのだ。寝ぼけて「お義母さん?」とか言わなくてよかったとちょっぴり思うけれど。
「移送中に【ファミリア】の方々にはお伝えしていますから……そのうち、顔を見に来るでしょう」
「…………いそう、ちゅう?」
「何か幻聴でも聞こえましたか?」
「むむ……」
「ベルさん、まだ心身の疲労がとれていないのでは?
「え、でも……」
また寝るのはなんだか勿体ないような気がした。
というか、もう一度眠ろうにも眠れる感じがしない。
すっかり目が覚めてしまっているからだ。
どうしたものかと自分を見つめてくるアミッドのことを見つめ返していると目元に隈ができているのがわかった。アミッドも無理をしていたのだろう。今回の騒動はそれだけ大変だったというわけだ。ベルは全体図を知っているわけではないが。
「アミッドさんも寝た方がいいですよ」
「いえ、私はまだやることが…」
「隈、できてますよ」
「!?」
ベルの指がアミッドの目元を拭うように触れる。
そんなはずは…【ファミリア】の皆さんも何も言いませんでしたし…と思うアミッドであるが、そこは
「隣、空いてますよ?」
「………くっ」
誘惑に抗うように呻くアミッド。
正義の女神様でさえベルを抱き枕にすると、とっても安らかな寝顔を晒すのだ。抱き心地が良いらしいのだ。アミッドとて経験がないわけではない。共に仮眠することも過去にはあったわけで、目覚めた時にはスッキリ爽快。姉と弟といっても過言ではないくらいには歳の差はあるが……ぶっちゃけて言えばアミッド的に「歳下はアリ」。
「『恩恵』があるからって睡眠時間削っても、よくないですよ」
「………」
「僕、アミッドさんにはずっと綺麗でいてほしいです」
「……わ、わかりました。わかりましたから」
もう何も言わないでください。
真っ直ぐ見つめてこないでください。
胸がざわつく。
アミッドの心はざわざわと波打っていた。
第一、あれだ、ベルを治療施設で治療にあたった時のことが余計に響いている。『許嫁』がどーのこーのとみんなが結託していて、さすがに「え、私が…ベルさんと!?」となったわけだ。いつ決まった? ディアンケヒト様に詰め寄らねば…いえ、嫌って訳ではないんですよ? でも、ほら、こういうのは当人たちの同意があってこそというか……もにょもにょ……。
「お、お邪魔します」
妙にベルを意識してしまって、頬を染める。
見られないように顔を背けつつ、ベルの隣に身体を収めた。ここでアミッドはベルに背を向けていれば、とりあえずこの胸の動揺を誤魔化せたかもしれないのに、彼女はベルの方を向いてしまっていた。向き合う形、というか抱き合うような形である。
「~~~~っ」
「?」
互いの息遣い、体温、匂い。
それが伝わるほどの距離。
ひょっとすれば、心臓の鼓動さえ相手に伝わっているのかもしれないと思うほどには近い距離。ベルの腕が背に回されて、アミッドもつい、いつもみたいにベルの背に腕を回す。彼の病衣をきゅっと握り締めて、むぎゅっと瞼を閉じて誰も部屋に来ませんようにとアミッドは祈り続けた。
「すぅ……すぅ……」
「……………ぇ?」
やけに静かだと思ったら、すでにベルは眠りに落ちていた。
意識しているのは私だけですか? え? は?
一夜の過ちというか…ワンナイトしておいて? 意識しているのは、私だけ? 『許嫁』云々でドギマギしているのも私だけぇ? アミッドは自分だけがベルを今まで以上に意識してしまっているのに、ベルは普段通りであることにショックを受け、そして余計に羞恥を覚えた。なんだか悔しかったので、彼の胸に大して力も籠っていない頭突きをかまして、無心となり、そして眠りについた。そんな同衾しちゃっている少年と少女を女神アストレアが来たことを報せに来た治療院の者達が扉を開けるとともに目撃。そっっっと閉じ、そして「いいものを見させてもらいました」と両手を合わせ、何せどうにかしてくっつけようとしている2人が抱き合いながら眠っているのだ。神々の言う『てぇてぇ』というやつなのだ。邪魔してはならぬとお優しい女神様に眠っていることを伝える。
「あら、眠っているの? なら、また後で来るわね」
とアストレアは起こしては可哀想だからとまた時間をズラして来ることだけ伝えると治療院を去っていった。まだ事後処理で忙しいらしい。ベルはそのまま治療院で過ごすこととなった。目覚め、顔を赤らめたアミッドが部屋を後にしたかと思えば外が暗くなり始め身体が空腹を訴えだした頃に2人分の食事を持ってきて一緒に食べた。
「アリーゼさん達【アストレア・ファミリア】も活動を再開。彼女達もまあ重症でしたが…今はダンジョン探索は休止しつつ都市内の復興と治安維持のために活動しています。【ガネーシャ・ファミリア】に任せては?と言ったのですが、甘えてしまいそうだからと…動いていないと落ち着かないのでしょう」
「むぐむぐ……そういえば僕、18階層でアリーゼさんとはぐれたっきりだったなあ」
ローリエの後ろ姿をリューと間違えて後を追いかけて、結果、それっきり単独状態だった。たぶん怒られるだろうなあとベルは遠い目をした。でも仕方ないよ、金髪エルフさんだったんだもの。
「それから……フィンさんですが、今回の件でLv.7にランクアップされたそうです」
「!」
邪竜を討伐したフィンの偉業は、今も都市を賑わせるに足る事柄の1つだろう。勿論、フィン単独で成し遂げたというのは少しばかり違うしフィンもそれは否定するだろうが、群衆からすれば些事である。
「すごいなあ、Lv.7かぁ……」
オラリオには1人しかいなかったLv.7が2人に。
きっと近いうちに共に肩を並べていたガレスやリヴェリアもランクアップをするかもしれない。となれば、【ロキ・ファミリア】はLv.7が3人抱えていることになる。やはりあの派閥は強い。アルフィアやザルドに追いつかれてしまったことにちょっとだけ悔しい思いを抱いた。
「僕も頑張らなくちゃ」
「……」
ベルの呟きにアミッドがじぃーっと見つめる。
非難するような視線ではないが、何も言ってこないことにベルは冷や汗をたらり、と垂らす。今回の件、そういえば「貴方、瀕死も瀕死だったんですよ」とか言ってたような……無理や無茶をしていた記憶はしっかりあるベルは、治療師であるアミッドからは雷を落されてもしかたないのではと唾を飲み込んだ。
「はぁ………ちゃんと帰ってきてくださいよ」
「………?」
アミッドは溜息をつくだけで、怒ることはなかった。
ベルはそれに首を傾げたが、すぐに「はい」と頷いた。
その後も他愛ない雑談を交わしながら、食事する。
「ティオナさんとティオネさんですが、アマゾネス達を襲っていた闇派閥の者達を千切っては投げ千切っては投げ……まぁ、私の仕事が増えました」
「………うわぁ」
「ラウルさんは指揮を執っていたそうですが……フィン団長が帰還された際、緊張の糸が切れたとでもいうのか倒れられたそうで……」
「うわぁ」
「アイズさんも回復しきってはいませんが治療院で預かるほどではないため、【ファミリア】に帰られています。……機会があれば会ってあげてください」
「は、はい……わかり……ました?」
食事を終えて後始末を2人でする。
ゆっくりしていていいんですよ、と言われたベルだが身体に痛みがあるわけでもなく、あえて言うなら
「アミッドさん、お風呂って入ってもいいですか?」
「入浴ですか……そうですね……」
怪我の度合いにもよるが、入浴ができない場合もある。
その時は身体を拭うくらいですませるが、こうして歩けているなら湯浴みをしたい気分だった。3日間も眠っていたんだ、身体を清めたくもなる。そんなベルの問いにアミッドはベルの身体をペタペタと触り、少しばかり思案すると頷いた。
「まあ、大丈夫でしょう。用意しましょうか」
「やった」
「まあ、眠っている間のベルさんの身体はちゃんと拭いたりしていたので明日にしてしまっても構わないのですけど」
「ん?」
「なにか?」
「僕の身体に何かしたんですか?」
「やましいことはなにも」
眠っている貴方の身体を湯で濡らしたタオルで拭ってあげたり、着替えさせたりしただけですよ? 昔、貴方が寝込んだときも介抱くらいしましたし別段、治療院では何訳ではありませんよ。と若干早口にアミッドはそんなことを言う。真っ直ぐな眼差しをベルに向けるアミッドには確かにやましいことはなにもなかった。これが輝夜達であったならば、ちょっとくらい味見してもいいだろくらいの一悶着はあったかもしれないというのに。
「意識のない方に手を出して興奮するのはベルさんぐらいでは?」
「そ、そんなことないです!」
「お静かに」
「むぐっ!?」
つい声が大きくなってしまうと、アミッドは両手でベルの口を塞いだ。消灯しているのだから眠っている人もいるのだと理解なさいと姉のように注意されて、アミッドは手を離す。
「では湯浴みの用意……してきます。ベルさんの着替えと……湯浴み着、持ってきます」
「アミッドさんも入るんですか?」
「転んで怪我されても困ります」
「そんなことあるかなあ……」
「病み上がり舐めてると痛い目みますよ?」
「………わかりました」
湯浴み着姿のアミッドに背中を流され、何事もなく風呂上りにアミッドの長い髪を慣れたように拭き、櫛で梳く。鏡の前で歯を磨き終えると、アミッドと共にベルが眠っていた部屋へ。
「ではベルさん、また明日、様子を見に来ますから。ゆっくりしていてください」
「わかりました、おやすみなさいアミッドさん」
「はい、おやすみなさいベルさん」
間に扉を介して、寝間着姿のアミッドと言葉を交わす。
僅かな微笑を浮かべたアミッドは扉を閉めると、踵を返して私室へと向って行った。治療院の皆が気を聞かせてか、ベルといる時間の方が長かった。そのせいか1人で歩く廊下の静けさが少しばかり寂しく感じられた。
「………それにしても、いつベルさんと私は
それもこれも自分達が『許嫁』なる関係だからというのが一番の理由だ。なぜかアミッドの背中を押してくるのだ。アルフィア様が唯一認められた女性というのも聞いてしまった。そんな覚えはまったくないというのに。いや、もう友人の関係とは言い難いことはしちゃってはいるけれども。そのせいで妙にベルのことを意識してしまう。目と目を合わせるのが難しいし、目が合ったりなんかするとある日の夜のことを思い出して顔も身体も熱くなってしまう。ふと廊下を振り返る。そこにベルはいない。後を追って来てくれたらいいのになんて、ちょっとだけ期待してしまっている自分がいてブンブンと頭を左右に振った。治療師として、彼の必要はないだろうが食事の手伝いをして湯浴みを手伝って、髪の手入れをしてもらって……悪くない一時だったのは確かだ。
「………ふふ」
つい、小さな笑みがこぼれてしまう。
やがてアミッドが私室に入ると、廊下の分かれ道、陰より少女達がヒソヒソと言葉を交わしだした。
「アミッド様とベルさん、一緒にお風呂されたんですね!?」
「いえいえあの感じでは……
「ベルさん、女性の髪に櫛を入れるの……手慣れていますよね。私、見たことあるんです! アミッド様はそれはもう……至福の一時のようなお顔をされていて……!」
アミッドの助手を務めることの多い、マルタとベルナデットである。
夜中に始まる女子会よろしく盛り上がる2人の少女は、アミッドとベルが『許嫁』であると勘違いしてしまった、そしてその勘違いを広めてしまった最初の人物である。
「夕食を終えて2人で片付けている時の……後ろ姿、見ましたか?」
「ええ、勿論ですよマルタ。あの後ろ姿は……紛れもなく」
「「新婚のそれ」」
恋愛経験0にして未婚の生娘たちが新婚生活を語っていた。
手慣れたように洗った食器を隣にいるベルに渡すアミッド。受け取ると水気を拭き取っていくベル。付き合いが長いからこその他愛ない言葉を交わしながら行われるそれに少女達はきゃいきゃい盛り上がる。
「そして先程、通っていったアミッド様……!」
「ええ、ベルナデット……アミッド様の横顔、額縁があるのなら収めたいくらいです!」
「「あれは雌の顔です」」
うんっと頷き合い、しっかりと自分達のアシストによって2人の距離がぐっと縮まっていることに感動すら覚える少女達。自分達の前では見せないような表情すら、ベルの前では出してしまうのだろう。このままいい方向に進んでくれますようにと祈り合う2人。しかし彼女達は知らない。アミッドとベルがとっくにヤッちまってたということを。
× × ×
翌日。
「うーん……やっぱり駄目ね」
「ダメ、ですか」
「ええ……こんなことが起こるなんて神々をしても予想外のことだし……貴方は私達を驚かせるのが本当に好きみたいね、ベル?」
「ええっと……ごめんなさい?」
上裸だったベルはシャツを着直すと、アストレアへと振り返る。
昼も近くなった頃にベルの見舞いにやってきた女神はステイタスの更新をしようと治療院へ訪れていた。が、黒いミノタウロスと戦っている際に弾けた『恩恵』は未だ復活しておらず、新たに
「イシュタルのとことの戦争遊戯の時は……半月で回復したし、今回も同じかそれより長いか……だと思うわ。今回ばかりは前回と違って恩恵そのものがない状態だから今の貴方は、一般人と同じ身体と言っていいわ。だから派閥の活動もしてはダメ。ダンジョン探索なんてもってのほか」
「……はい」
「それから……本拠に帰るのと治療院にいるのどっちがいい?」
「……というと?」
「アストレア様、それはどういう意味でしょうか? ベルさんの肉体自体はもう退院しても問題はないはずですが」
「『恩恵』がないということは、今のベルはフレイヤと接触すると確実に堕ちちゃうだろうから」
「あー……」
ベルには美の女神の魅了が効かないらしい、というのはアミッドも知っている。スキルの副次効果らしいが、それもないとなればフレイヤが接触を計れば「フレイヤしゃまぁ~~~♡」なんてことになりかねない。理解して、それは困りましたねとアミッドは呻った。
「まあ、今回ベルのことを助けてくれたりしたみたいだから……それに免じてというか、話はつけているから都市外に出る必要はなくなったのだけれど、都市内を歩き回るのは避けたいの。申し訳ないけれど」
「フレイヤ様がベルさんを助けた……それは、どういうことですか?」
「闇派閥の幹部と戦闘になったりしたみたいでね? 危ないところを助けてくれて……治療までしてくれたの」
「治療……まさか、ヘイズ・ベルベットですか?」
「ええ、そうよ?」
そんなこともあったなあ……僕、状況も分からず戦ってたなあとしみじみしていると向かいに座っていたアミッドは立ち上がりベルの両肩を掴んだ。それに驚いたベルへアミッドが言う。
「癒されたのですか……私以外の
((結婚したのか、俺以外のヤツと…みたいなこと言い出した……))
「いえ、いいえ……状況が状況ですし生存こそ最優先。怪我をしたまま歩き回られるよりは断然良い……彼女もまた優秀な
「アミッドさーん、おーい」
「あらあら……」
ブツブツ言いだしたアミッドに置いていかれる女神とその眷族。
他の治療師のお世話になったことに嫉妬心に火でもついたというのか、彼女は「ですが」とか「しかし」などと言って思考の海から帰ってこない。困った2人は顔を見合わせて苦笑を浮かべた。
「それで、ベルはどうする?」
「えっと……今、僕は恩恵がない状態なんですよね?」
「そうね」
「じゃあ、アストレア様も僕との繋がりを感じられないってことですよね?」
「ええ、そうなるわ」
「……なら、帰ります」
「あら、いいの?」
「はいっ、アストレア様と一緒にいたいですし……ベッドに1人だと寂しいですし、アストレア様も寝付けないですよね?」
「ふふふ、まるで私が寂しがっているみたいじゃない」
生意気ね、とアストレアはベルの頬を摘まんだ。
ちょっぴり痛くて、けれどなんだか久しぶりな感じのする女神の温もりに安心してしまって、笑みがどうしても零れてしまう。それは女神も同じなのか頬を摘まんでいた指はすぐに離れるとベルをしっかりと感じようと力強く抱きしめた。目の前でイチャつく神と眷族にも気づいていないのか1人でブツブツ言っているアミッドはまだ現実に帰ってこず、アストレアはやれやれと肩を竦めた。
「それじゃあしばらく外出は禁止だけど……いいわね?」
「はいっ」
「わかったわ。私は退院の手続きをしてくるからベルはアミッドと話をつけておいてね」
そう言ってアストレアは部屋を出て行った。
残ったのはベルと、ダメというわけではないけれど…でもぉ…と悶々とするアミッドだ。そんなに他の治療師に治療されたのがなんというかこう、聖女様のプライドに傷でもつくことだったのだろうかと不安になる。
「アミッドさん、アミッドさーん」
「ブツブツ……私だっていつでもベルさんの傍にいられるわけではないですし……でも……ブツブツ……」
両肩を掴んで揺する。
前後にぐわんぐわん揺らされるアミッドはしかし、相変わらずだ。
効果はいまひとつのようだ。
「アミッドさん、僕、帰っちゃいますよ?」
「そういえばベルさんとヘイズ・ベルベット……仲が良いですよね……いや、ベルさんは誰にでも優しいですし……ブツブツ……」
今度は肩ではなく、二の腕。
それでも反応は変わらず。
そんなに気に障ったというのだろうか。
「むむ……」
無視されている状態であることに少し頬を膨らませて、ベルはアミッドの背後に回った。
「まさかとは思いますが……彼女とも関係を……? でも、そんな……私と彼女、ベルさんはどちらの方が……しかし、そうなると私の立場は……嗚呼、アルフィアさん、どうしてこのような難題を置いて逝ってしまわれたのですか……ブツブツ…」
アミッドの背後より腕が2本伸ばされる。
脇を通って止まり、形よく実った果実を掴もうかとか衣装の中で彼女の果実を守っている下着を抜き取ってみようかとか邪な気持ちが湧いたのをぐっと堪えて、ベルはアミッドを抱きしめた。アミッドはとても良い香りがした。
「アミッドさん!」
「ふぁっ!?」
丁度胸の辺りで組まれたベルの腕が、聖女様の乳房をわずかに潰し、背後からのベルの呼び声でアミッドは身体をピクっと震わせて正気を取り戻した。けれど今度はベルがこれでもアミッドが気付いてくれていないと追撃をしかける。
「あむっ」
「ひぁぁっ!?」
長い白銀の髪の間から赤くなった耳を咥えたのだ。はむはむと甘噛みし、溝を舌が這う。アミッドの嬌声とも悲鳴ともいえる声が室内に響いた。バクバクと暴れるベルの心臓。ドクンドクンと何故かベルに襲われていると混乱するアミッドの鼓動が密着した身体が伝え合う。ようやく耳が解放されるとアミッドは勢いよく振り返り、そしてLv.2の膂力をもってして無力な白兎を抑え込んだ。
「ぐへぁっ!?」
「な、なにをするのですか!?」
「だ、だって!?」
「まだ夜にもなっていないというのに!?」
「そ、そっちなんですか!?」
「どっちでもありません!」
「そ、そもそもアミッドさんが1人でブツブツするから……!」
「アストレア様のおられるところで、なんてことをするんです!?」
「アストレア様ならとっくに出て行きましたよ!?」
「な……っ!?」
白兎の上に跨ってマウントを取る聖女様。
やはりというかアストレアが退室していたことにも気づいていなかったようだ。
「アミッドさん、僕、本拠に帰りますからね」
「え……っ、帰ってしまうのですか?」
(あれ、アミッドさんが可愛い)
帰って欲しくなさそうな顔をしだすアミッドにキュンとしないわけがなかった。おまけに今、アミッドは羞恥で顔を赤くして瞳を潤ませて、けれどすぐに力なくベルの上にストンと座り寂し気な表情を浮かべる。余計にキュンとしてしまう。
「恩恵が復活するまではずっと本拠にいますから」
「………わかりました、暇を見て様子を見に行きます」
床に押し倒された少年に跨っている少女という絵面。
会話が終わり、静まる室内。
ベルの胸に添えたアミッドの手から伝わる異性の鼓動。
紫の瞳に映る少年の唇。
それはベルも同じだったか、静かになったからこそ今のこの少女に跨られているという状況にドキドキしてしまう。一夜の過ちというか、思い出してしまって妙な空気になってしまう。気づけば2人の顔は近付き、開いていた距離が失われ、「前にもしましたし…いいですよね?」と誘惑に負けたように鼻と鼻が触れ合いそうな…あと数秒もせずに唇が触れ合いそうだ……というその時、ガラリと音を立てて扉が開いた。
「ベル、いつまでかかっているの? もう手続きが終わったから帰りま……しょ………ぅ……」
「「………ぁ」」
「あ、ああああ、アミッドよ……お、お前、何をしている!? いや、小僧! ワシのアミッドはやらんぞ!?
「~~~~~~~っ!?」
女神と老神に見られてしまった。
あと少しというところを。
何より、アミッドがベルに跨った状態なところを。
扉は開かれ、2柱の神々どころか通りがかりなのか治療院の者が2人程首を伸ばして目撃してしまっている。アミッドは声にならない悲鳴をあげた。
「その、ごめんなさい……空気が読めなくて……そうよね、2人は
「ワシは納得しとらんぞ、アストレア!」
「まあまあいいじゃないディアンケヒト。
「いやしかしだな!?」
「アミッドが身籠ったら、ディアンケヒト……貴方にとって孫ともいえる存在ができるのよ?」
「それはお前もおなz――――ぐほぁっ!?」
アストレアにノールックでぶっ飛ばされるディアンケヒト。
羞恥に染まるアミッドとベルへ顔を向けたアストレアは朱に染まった頬に手を染めて、「いいのよ」とばかりにニコニコ。アミッドはアストレアやディアンケヒトまで『噂』を知っていることに驚愕に目を開いて茹蛸の様に赤くなり、ベルはアミッドと肉体関係をもっちゃったことをどこかでアストレアが知ってしまったことにあわあわと青くなったり赤くなったりと忙しない。違うんですとも言い切れず、わーわーきゃーきゃーと悲鳴があがり騒がしくなった。アストレアに連れられてベルが治療院を出て行ってからもアミッドは仕事にならないくらいには羞恥でいっぱいいっぱいで過ごす羽目になった。