アーネンエルベの兎   作:二ベル

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小休止⑦

ランクアップから数日。

ベルは昇華による器のズレと運動不足を解消するべく、都市の外周を走り回ったり、とにかく動き回っていた。

 

「ま、まっへ、まって……くr……ごほっ、げほっ」

 

「おい新入り、情けねえぞ! ()()10周だろうが! 都市外専門(フィールドワーカー)だったんだろう、体力はどうした!?」

 

「いや、10…周でも、大したものだろ……ぅ……えほっ」

 

「テメェより体格(たっぱ)のちいせぇ私がもっと走れてるってのに、テメェは枝みてぇにその細っこい身体を揺らしてるだけか!? 兎がサボってる間、何してやがった!?」

 

「わ、私は別に揺れてなどいない……!」

 

「ライラ、新入りに揺れるほどの乳房はない。せいぜい余震程度だ」

 

「「黙ってろよ、巨乳はよぉ!!」」

 

「……は?」

 

「ライラさん、僕、別にサボってたわけじゃないです! 輝夜さん、何で相手をキレさせるんですか!?」

 

「うるっせぇ! 侍従(ハルヒメ)としっぽりしてたんだろう!? 匂いくらい消しやがれ! 輝夜の自慰が激しくなるだろう! 溜まってんだぞ、こいつ!」

 

「おいクソチビ、あとで話があるから覚えておけ」

 

「はっ、やなこった」

 

「な、なあ……これは、いつ、終わるんだ……いつまで都市の外周を……!?」

 

妖精(エルフ)はほんっとうに……貧弱にございますなあ。そんな細枝のような四肢でよくもまあ100年も生きていられる……不思議なことですわぁ」

 

「いや、私はまだ100年も生きていない……げほっ、とい、くひゅっ、おかしい、絶対に、おかしい……! どうして都市の外周を走っているんだ!? あと、私はいつまでこんな格好をしなくてはならない!?」

 

新入りのローリエは、全身から汗という汗を流し、吐き気を催して咳き込み、今にも崩れ落ちてしまいそうになりながら細い脚をふら付かせていた。そんな彼女は神々の言うところの『体操着』を着用。襟は紺色で同色のブルマを履かされている。そんな恰好で1ヵ月以上、【アストレア・ファミリア】と行動を共にしている。ちなみに他の団員達も普段の衣装ではなくそれぞれ運動に適した格好へ着替えている。妖精の特徴とでも言うべきスレンダーボディが余計に際立つその恰好は衆人環視に目を向けられるのは当然であり、何より、尻と足に視線が集まることにローリエは恥辱の限りを味わっていた。死にたい、殺してくれ、何なんだこれは……!? そう思うところである。しかしいくら抗議したところで、彼女達はのらりくらりとして取り合ってもらえず、なんならベルを呼びだしてローリエの姿についての感想を言わせ黙らせた。

 

「………似合ってると思いますよ」

 

「しょ、しょうがないな……あと少しだけだぞ?」

 

「「「「ちょっろ」」」」

 

という感じである。

『ブルマ』の着用は新人に義務があるなどという妄言も吐かれたことはあるが、リュー・リオンが未だにそれを着用していることについてはどうなんだと言えば、リュー自身から「動きやすくていいと思いますが」と涼しい顔で言われてローリエは何も言えなくなった。もう、ベル君が褒めてくれるならいいや……と諦めるしかなかった。

 

「ベル君、急に激しい運動すると身体がびっくりしちゃうから飛ばし過ぎちゃ駄目よー」

 

「そうだぞベル、あと最低でも2()0()()はあるんだから飛ばし過ぎると朝食が出てくるぞ」

 

「わかってますよマリューさん。ネーゼさん、汚いこと言わないでくださいっ」

 

新人のローリエ、復帰のベル、そして前衛職ではないマリューやセルティ達は最低でも50周。だがそれはあくまでも最低ノルマであり、アリーゼやリューといった前衛職はそれよりも倍をノルマとしている。勿論、その時その時の体調によっては緩和はする。

 

「ベ、ベル君……き、君は、平気なのか……!?」

 

「え………? 何がですか?」

 

「……………何でもない」

 

汗こそかいているが、まだ余裕のあるベルにローリエは体力差に絶望する。そして、心配して並走してくれた治療師(ヒーラー)のマリューの方に視線を向けて、さらに絶望した。

 

「ローリエちゃん、大丈夫?」

 

「ああ、だいじょ………いや、今、さらに大丈夫ではなくなってしまった」

 

「?」

 

ローリエの濃緑の瞳に隣で走るマリューの、女神といい勝負ができる大きな乳房が映った。ローリエよりも遥かに大きいそれは、巨を超え爆と呼んでもいい武装だろう。母性の塊である。そんなたわわが衣装越しとはいえバルンバルン揺れているのだ。下着で押さえているなりしているんだろうが、揺れるものは揺れる。ローリエは自分の胸元を見て、大きいと足元が見えないというどうでもいい情報を思い出して、走行速度を上げた。

 

「くそっ、大きさが全てだというのか……!?」

 

「あらー?」

 

「胸が大きいと大変よね、揺れて痛いときとかあるし」

 

「でもベル君は喜んでくれるからぁ」

 

「うぅ……胸が小さい者には人権はないのか……?」

 

「良いことを教えて差し上げます。『人権』は、同意の上の産物でしかございませんよ?」

 

「なんてことを言うんだ!?」

 

「そうだ新人、その怒りを燃料に変えて走れ! 【疾風(リオン)】くらいになってみせろ! あいつは……尻がでけぇぞ! 兎は……尻でもイケる男だ!」

 

「う、うあぁああああああああああっ!!」

 

「ライラ軍隊長、飴と鞭が凄いわね」

 

「その飴と鞭、棘ついてない?」

 

「どうして僕を出すんですか?」

 

「「「「だってベル男の子だもん」」」」

 

「?」

 

「ついこの間、ローリエとお風呂でばったりしちゃったんでしょ?」

 

「僕が入ってたらローリエさんが知らずに入ってきちゃったんです。僕は被害者です!」

 

「「「ローリエの裸、見た?」」」

 

「………綺麗だった。リューさんも綺麗だけど……エルフってすごい」

 

「「ああああああああああああああああああああ!!」」

 

前方でアリーゼと並走して走るリューの耳にも届いていたのか、ローリエと共に顔を赤くして絶叫した。【アストレア・ファミリア】は男女別に浴場を設けてはいない。理由は男がベルしかいないということが第一であり、わざわざ造り変えるのが面倒くさいからだ。

 

「どうして男湯がないんだ!?」

 

「男1人しかいねえのに、んなことに金かけてられっかよ」

 

「成長していくベルを見るのも……なんか楽しくなっちゃってねえ……」

 

「あとちょっとベルからの視線も、女として見てくれてるんだなって思えちゃうというか期待しちゃうというか……ね、ベル?」

 

「……ノーコメント!」

 

「ローリエ、ベルに背中でも流してもらえば?」

 

「あああああああああああああああああっ!?」

 

「リオンは前も流してもらってたぞ!」

 

「うわああああああああああああああっ!?」

 

「いいぞ新入り、その羞恥心を燃やせ! ノルマを達成したら兎が膝枕しながら頭を撫でてくれるぞ! なんなら抱きかかえて本拠まで連れて帰ってもらえ! 特別だ、今なら一緒に湯浴みしてもいいぞ!」

 

「私はそこまで求めてなど………求めてなど………!!」

 

「安心してくださいませ新入り妖精さん? 妖精(エルフ)は総じてムッツリというのは世の常でございます故。なんなら疲れて動けない身体を兎様にしっぽり捕食されてみては?」

 

「ちなみに輝夜は尻が弱ぇぇ!!」

 

「お前は黙ってろ!!」

 

ついに爆発した輝夜がライラの尻に蹴りを叩き込んだ。しかし、それをわかっていたのか難なく躱して見せたライラは「事実だろ、なぁ、兎!」と言ってローリエの尻をパシンと叩いて前進していった。

 

「うぅぅぅ、なんて派閥なんだぁ……!」

 

こうしてローリエは今日もまた、【アストレア・ファミリア】の日課であるランニングを終わらせたのである。終わった頃には膝から崩れ落ち、両手を地につき、げほげほと咳き込んで倒れ込んだ。

 

「な、なんだか、毎回……走り終えると精神まで疲弊しているんだが……?」

 

「精神攻撃は基本ですからねローリエさんっ」

 

「な、なんて派閥なんだ……!?」

 

「じゃあベル、春姫がお風呂用意してくれてるはずだから、先に戻っておいて」

 

「いいんですか、僕まだ走れますよ?」

 

「ダメ、ズレの解消とか休息期間中に落ちた筋力とか体力を取り戻させるのが優先だけど、無理して身体壊したら元も子もないわ」

 

「うーん……わかりました」

 

「アリーゼちゃん、私とリャーナちゃんも帰るわね?」

 

「ダメ」

 

「「え」」

 

「おっぱいバルンバルン揺らして走ってたから、追加で10周」

 

「「えぇ、私達、悪くなくない!?」」

 

「見せつけられるこちらの身にもなりなさい」

 

「リオン!?」

 

「あ、あとしれっと帰ろうとしているライラは追加で20周ね」

 

「はぁ!?」

 

アリーゼは軽く汗を拭いながらローリエの背を摩って回復薬(ポーション)を手渡しながら言う。

 

「新人をイジメすぎ。よって追加。あと明るい内から大声で猥談したから。ローリエ、歩けそう?」

 

「む、無理ぃ………うぷっ、吐きそう……すまないベル君、私を見ないでくれ……こんな汚い妖精……君が見てはいけない」

 

「ゲロイン一歩手前っぽいわね……ベル、ローリエを連れて帰ってあげて」

 

「わかりました」

 

アリーゼに言われて、ベルがローリエを抱きかかえる。

すぐに顔を赤くさせるローリエは心の中で「こ、これは……『お姫様抱っこ』!?」と声を揺らし、汗さえかいていなければ……と痛恨の表情と羞恥をぐちゃぐちゃに混ぜ合わせた変な顔を晒した。早朝からのランニングは終わり、昼を少しすぎたくらいにランニングに出ていた組が本拠へ帰還。湯浴みを済ませて昼食を食べ、休息或いは都市内の見回りなどをしている仲間と入れ替わりに行った。精神も肉体も疲れ切ったローリエは碌に動くこともできず、立ち上がろうとすれば生まれたての子鹿のようにプルプルと足を震わせてしまうため、ベルに抱きかかえられて浴場まで連れていかれ「ま、まさか……そんな、私達はまだ出会ったばかり……早すぎる!!」と変な期待をし、しかし、現実は無情というか、動けない身体をマリューとリャーナによって清められた。妖精は他者との接触を嫌うところがあるが、碌に動けない妖精にそんなこと言えるはずもなかった。

 

「お肌すべすべねぇ」

 

「…………っ」

 

「ほんと、羨ましい。太ったりするのかしら?」

 

「…………っっ」

 

「「ごめんね、なんか期待させちゃって」」

 

「………うぅ、殺してくれぇ。あと、その揺れ動く大きな果実を見せつけないでくれぇ」

 

 

なおベルは1人で湯浴みを済ませ、昼食も食べた後、神室のベッドで昼寝しているところを裸体の輝夜に抱きかかえられ、彼女の部屋に強制連行、共に昼寝をした。同衾である。目を覚ましたベルは、一糸纏わぬ極東美人(ヒューマン)に抱き着かれていることに「またかぁ」と諦めつつも瞳に映る肢体にドキリと心臓を躍らせるのであった。

 

 

 

×   ×   ×

別日、夕方。

 

 

「ベル、暇な時で構わない。アイズに会ってはもらえないか? ベルの姿が見えないと寂しがっていてな……夕方には帰ってきているはずだ」

 

 

昼間にそうリヴェリアに声をかけられて、ベルは『黄昏の館』を目指して大通り(ストリート)を進んでいた。【アストレア・ファミリア】の本拠の位置と【ロキ・ファミリア】の本拠の位置はさほど遠くはない。同じ北の区画に存在するため、都市の広さから考えれば、まだ近い方だ。とはいえ、【アストレア・ファミリア】の本拠、『星屑の庭』は大通りを抜けた閑静な住宅街にあるため、『黄昏の館』とはまた周囲の雰囲気が違う。

 

「せっかくだし、夕食にでも誘ってあげたら? アリーゼ達には私から伝えておくから」

 

そうアストレアに言われて、ベルはアイズを連れてどこに食べていこうかを考えながら歩いていた。腐れ縁とはいえ、アイズの好みがイマイチ分からないベルである。

 

「アイズさんといえば『じゃが丸君』だしなぁ……」

 

1個30ヴァリス。

かと言って、彼女が30ヴァリスで満足するとも思えない。たまに紙袋いっぱいに詰め込まれたのを抱きかかえているのを見たことだってある。芋ばかり食べて、あのスタイルなんだろうか……と少し疑問である。

 

「じゃが丸君ばっか食べて……ってことはないんだろうけど……でないとアイズさん、あんなにお胸育つはずないし」

 

昔と比べて、出る所は出ているアイズである。

何故か乳房をベルに売ってきたアイズである。買っちまったベルである。その感触は忘れることは難しい。ベルは自分の両手を見つめながら、閉じたり開いたりをして首を傾げた。

 

「いやでも女神様とか輝夜さん達のだって……アイズさんのってどんな感じだったっけ……こう、なんていうか……ううん」

 

派閥に加わった頃から綺麗なお姉さんに囲まれ可愛がられてきたベルである。その両手はすでにいくつもの果実の感触を味わってしまっていた。よってアイズの育ち盛りな果実の感触は最新の記憶によって上書きされ霞んでいった。アイズの乳房はベルの所有物というリヴェリアが頭を抱えてしまう意味の分からない事象があるというのに、1ヵ月以上、ほったらかしである。

 

「まあいいや、アイズさんが食べたいもの、食べさせてあげよう」

 

考えるのをやめて、大通りを進んでいく。

『黄昏の館』へ真っ直ぐというのも良いが、アイズ以外にもしばらく顔を見せていない人達だっている。フィンがランクアップしたというし、そういえば怪物達と一緒にいたらしい少女のことも聞いておこうかなと土産でも買っていこうとする。

 

「―――――おい」

 

そんなベルに、声がかかった。

男の声である。

柄の悪い男の声である。

不良の声である。

 

「あなたは………アレン、さん?」

 

殺意しか抱いてなさそうな鋭い瞳。

彼の名は、アレン・フローメル。

二つ名は【女神の戦車(ヴァナ・フレイヤ)】。

都市最速の冒険者。

彼が駆け抜けた後には、轍しか残らない。

 

「……………」

 

「……………」

 

無言で対峙する2人。

何故、彼が声をかけてきたのかベルにはわからない。誰か手を貸してくれそうな知己はいないか視線を巡らせるが、望み薄。

 

「チッ……なんで俺が」

 

舌を打ち、ブツブツと文句を言うアレン。

ああ、きっとフレイヤ様に何か無茶振りでもされたんだろうなとベルは思った。事実、その通りである。

 

――()()はオッタルだったでしょ? ベルはオッタルが苦手みたいだから、同じ足の速いアレンなら仲良くしてくれるかもしれない。お願いね、アレン?

 

 

何が仲良くだ、とアレンは苛立ちを隠さない。

だが、命令に従わなければ面倒なのも確かだ。

アレンは溜息をつき、頭を振りながら言う。

 

「ついてき―――――」

 

「じゃ、そういうことで!」

 

「な……っ!?」

 

ついてきやがれ、と言おうとしたところをベルは背を向けて走り出していた。ランクアップしたてでズレを解消できてこそいないが、Lv.4の全力をもってしてベルは大通りを走っていた。幸いにも大通りは人通りが少なく、衝突の心配はなかった。

 

「待ちやがれぇええええええええええ!!」

 

「ひぃいいいいいいいいいいいいいい!?」

 

逃げる理由は特にないが、なんだかこう、あまり彼に好感を持てないのだ。目付きとか人柄とか、暴力が服を着て走ってるような人種である。アイズのことを『全自動命摘み取り機』と称していたが、アレン達こそその言葉が似合うのではないだろうかと思わないでもない。 主神のフレイヤや良くしてくれるヘイズはまだしも、そのほかはだいたい苦手である。できるなら顔は会わせたくないというか関わりたくなかった。故に逃走。

 

(知ってる……不良に絡まれたら………カツアゲされるんだ……!)

 

誰に吹き込まれたか、アレンに「おらジャンプしやがれ、まだ入ってんだろ」な光景を想像するベル。都市内でも【ロキ・ファミリア】に並ぶツヨツヨファミリアだ、金に困ってるわけがない。だけどそれに近いことをされるに違いないとベルは、全力も全力、前傾姿勢で逃走していた。一瞬、呆気にとられたアレンは逃げられたことに怒り、追いかける。

 

 

ここに、都市最速との追いかけっこが開幕した。

 

 

「お、おい、あれ!?」

 

「【女神の戦車(ヴァナ・フレイヤ)】に……【探索者(ボイジャー)】!?」

 

「つか足、早ぇぇ!?」

 

「なんで追われてるんだ!?」

 

酒場なりから2人を見つけた冒険者や神々が唖然呆然とその光景を目撃する。やがてベルは路地に入り込み、角を曲がり、別の通りへ飛び出した。目的地など考えない、とにかく逃げることしか考えていない逃走である。それをアレンが離さず追いかける。

 

「待てって言ってんだろうがぁあああ!」

 

「ふっんぬぅううううううううううううう!!」

 

人のいない道を選んでカーブしては何とかアレンを撒こうとするベルだが、アレンの方が足が速いのか突き放すことができない。気づけば、繁華街のある南の区画へ飛び出していた。

 

「はぁ、はぁ、ひぃ、ひぃ………!」

 

不良に追われる善良な兎は息を切らして駆け抜ける。

アレンを撒くことは不可能と悟ったか、だけどまだ諦めていないベルだ。むしろ、闘志を燃やし始めてすらいた。ベルはもうアレンよりも足が速いと思っていたが、どうやらまだまだだったらしい。南から再び北、バベルを目印に走っているベルを5歩ほどの距離にまで詰めてきたアレンだが、彼は自分の殺気だとか人柄の悪さがこの逃走劇を生んでしまっていることに気付いていない。

 

「はぁ、はぁ、はぁ………っ! あれは………ヘルンさん!?」

 

どうするべきか脳みそをフル回転させていたベルは、道の先にヘルンの姿を見つける。黒を基調にした露出を控えるドレス然とした恰好は、何処か魔女の弟子という言葉を彷彿させる。露出が少ないのにボディラインをはっきりと浮かばせる彼女の肢体は、さすが美の女神の眷族と言えよう。何か買物でもしていたのか、紙袋を抱いている。彼女は何か騒がしいことに気付いたのか振り返り、そして目を見開く。

 

「………な、なにっ!?」

 

視線の先に足の速い冒険者が2人、ただ事ではない形相で迫ってくるのだ。ヘルンといえど驚く。そんなヘルンにアレンは「何でいやがる、ヘルン!」と唾棄し、ベルは少し振り返ってアレンを見てすぐにヘルンを見つめ、そして喉を鳴らした。

 

(あそこで………!)

 

(しかけてきやがる!)

 

ベルの覚悟とでもいうべき、空気の変化を察知したアレンはさらに目を鋭くさせた。このままでは轢かれてしまうと身の危険を感じ取ったヘルンは大通りから外れようとして、ベルに止められた。

 

「ヘルンさん、そこにいて!」

 

「テメェ、余計なことをするんじゃねえぞ!」

 

「!?」

 

どうすればいいの!?

ああ、フレイヤ様、私は今日、ここで死ぬんですね!? 自身が崇拝する女神に「貴方はいずれベルの子を産むの、私の代わりにね」などと無茶なことを言われているヘルンはいつまでもベルのお手付きにならないことによる天罰が下るのだと死を覚悟した。ベルとの距離が、5…4…3…2…1…と消えていき、ベルの手のひらがヘルンの腹に触れた。

 

「……んっ」

 

瞼をぎゅっと閉じて、その時を受け入れた。

このまま私は大通りのシミになるの。女神になりたいなどと浅ましい願望を抱いた私にはお似合いな惨めな末路、どうか笑って頂戴? でもね、私、貴方のこと…憎いし恨めしいと思っているけれど愛しくも思っているの、抱きしめてあげたいって思うこともあるの、だからね、せめて貴方も後を追ってくれない? といろんなことを思うヘルンである。が、ヘルンの命が散らされることはなかった。

 

(今の僕はLv.4……!)

 

ヘルンを軸にぎゅるるるるっと転進。

少女の腹に触れた手がベルの動きに合わせて撫でるように這う。腹、右腰、後ろ、左腰で指が離れて、ベルが遠ざかっていく。

 

(オッタルのおじさまの時は……女の子の格好をしていたから、負けたんだ!!)

 

闘争本能に火がついたベルは、勢いを殺さずに転進を成功させてさらに加速していく。アレンはベルが何かをしかけてくることは予期していたが、ヘルンを軸にして転進するとは思っていなかったのか直進してヘルンとすれ違い急停止、すぐに進路を修正して駆け出した。

 

「ヘルンさん、ありがとう……大好きぃーーーーーーー!!」

 

「えぅっ!?」

 

「邪魔だ、ヘルン!!」

 

「ひ………きゃぁあっ!?」

 

ベルのような優しさなど欠片もないアレンは、ヘルンをすれ違っていったがその衝撃波は少女の華奢な身体を脅かした。くるくると身体が周り、抱いていた紙袋が宙を舞い、無残に破れ、石畳の上に落ちてしまう。目を回しながら尻餅をついたヘルンは目の前に落ちた変わり果てた紙袋の中身を見つめた。

 

「……………あぁ」

 

それは、黒を基調とした下着であった。

上下セットの新品のやつである。

それが暴漢にでもあったかのように使用不可能な状態と化していた。破損である。

 

「許せない……許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない――そう、決して許せるものか!! パンツを穿けばいいだけの(おまえ)達とは違う! いくらするか知っている!? いいえ、知るわけがない!! 買ってから1時間も経っていない…試着以外で身に付けてすらいない! それを、それをそれをそれをそれをそれを………!!」

 

壊れてしまい、土埃に塗れたブラとショーツを握り締めながら立ち上がるヘルンに近付く男達はいなかった。おっかねえ顔をしていたからだ。そして、見ていた女性陣達はうんうんと頷いてヘルンの気持ちを多少なりとも理解を示す。そう、女性用の下着は意外とお高かったりするのだ。

 

「お前がアレン様から逃げなければ……女神の下へ行っていれば、こんなことにはならなかった! 色を好む英雄になるからと言って、笑って許されると思っているの? ふざけるな、勝手に許嫁をつくっていることも許さない! 許せるわけがない!! 誰の許しを得てそんなものをつくっているの!? 私にも女神にも碌に手を出さないくせに! 私だってお前とそれなりの付き合いがあるのに! 腐れ縁と言っても過言ではないはずなのに!! 他派閥の女に手を出しているような屑が、どうして私達だけ……!! フレイヤ様が私に何を望んでいるかわかる? わかるわけないでしょうね、貴方の子を孕むことよ、つまり代理出産。意味が分からないでしょう!? 私にもわからないわ! でも、仕方ないじゃない、女神の意志であるならば!! だから、だからだからだからだからだからだから……!! 私達の目の前で……聖女とイチャつくなぁあああああ!! 絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に!! 弁償させてやる……ベル・クラネルぅうううううううう!!」

 

ヘルンの怒気に周囲から人が捌けていく。

おっかねえ娘である。

光が宿っていないような目は血走り、天に吠えるかのような少女の声はベルの耳に届いたか、一瞬、ベルがぶるりと震えた。

 

「…………好きって言ったじゃない、馬鹿」

 

しっかりと聞き逃していなかったヘルンは、小さな声でそんなことをぽしょりと呟いて、トボトボと帰ることにした。

 

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ………!!」

 

ヘルンの狂気など知らないベルは、後日ヘルンの下着を弁償する羽目になることを知らないベルは、死に物狂いで走っていた。それは、アストレアがステイタスを更新すればどうしてダンジョンに入っていないのに敏捷だけやたら伸びているの?と疑問を覚えるほどであり、そして、そんなベル達を見ていた神々は―――――。

 

 

「逃げるベル・クラネル! 追うアレン・フローメル!」

 

「一騎打ちだぁあああ!」

 

 

悪ノリしだしていた。

まるで馬の足を競わせる競技よろしく早口で解説しだしたのである。

 

(オッタルのおじさまの時とは違う……! 僕はアレンさんよりも早く走れるんだ! こんな、こんな……!!)

 

空気の壁を突き破るほどに加速したベルは歯を食いしばり、腕を大きく振って、アレンを突き離そうとする。それをアレンはギアをあげて阻止、距離を確実に詰めていった。

 

「こんな、()()()()に負けてたまるかぁああああああああああああ!!」

 

「おおっとベル・クラネル! ここに来て更に加速ぅーーーー!」

 

「誰が二番煎じだ、クソガキがぁあああああああああああああ!!」

 

「アレン・フローメル、まだ余裕があるのか喰らいついていくぅぅ!」

 

自分の眷族、あるいはその辺にいた冒険者に自分達を運ばせながら神々は2人の追いかけっこを解説。決してやめない。こんな面白いの、やめられるわけがなかった。徐々に近づいて存在を大きくさせるバベル。つまりは、ダンジョンの入口。

 

「残り500M(メドル)!!」

 

このままダンジョンに突っ込む未来しか見えない2人。

しかし、ここに来てベルは()()()

 

「【雨の音、風の音、波の音、月の涙、雷の大笑、鐘楼(かね)の歌、星の光輝(ひかり)】!」

 

「な……っ、てめぇ!?」

 

「おおっとベル・クラネル、ここで詠唱を始めたぁ!? し、しかも並行詠唱だとぉ!?」

 

ベルは本能的にアレンでも追いつけない場所へ逃げることを選んだ。すなわち、『(そら)』へ。気炎を燃やすアレンは、しかし、それを許さなかった。彼も彼でとっくに火がついてしまっていたがために、彼もまた()()()

 

 

「【金の車輪、銀の首輪、憎悪の愛、骸の幻想、宿命はここに、消えろ金輪(こうりん)、轍がお前を殺すその前に】!」

 

「【星に刻もう。私は忘れない、貴方達がいたことを】!?」

 

ベルは動揺した。

神々も動揺した。

嘘でしょォオオオオオオオオオ!? と満場一致で動揺した。手に汗握る2人の戦いの幕が下りるのはすぐだと察した観戦者達は固唾を飲み込んだ。もうすでにベルは、アイズを夕食に誘うことなど忘れてしまっていた。ちなみにこれは余談だが、これをバベルの一室から見ていたフレイヤは腹筋大崩壊と言っていいほどに腹をかかえて大爆笑していたという。

 

 

×   ×   ×

 

アレンとベルがダンジョンへ迫りつつあるその時。

迷宮から地上に戻ろうとしている冒険者達がいた。

 

 

「なんだか騒がしいわね」

 

「ああ、何かあったのか?」

 

「都市の復興も完全に終わっていないのに……神々は何を企んだんっすかね」

 

「まるで祭でも行われているかのような騒がしさ……」

 

猫と犬の耳がピコピコと揺れて地上の騒ぎを察知し、只人と妖精が昇華した器の聴覚によって遅れて察知する。それと同時に何か、こう、既視感(デジャブ)を感じる4人である。彼等は【ロキ・ファミリア】の冒険者、アキ、クルス、ラウル、アリシアである。

 

階段を上り、地上に顔を出し、この後のことを雑談交じりに、騒動の正体を確認しようとして――――。

 

 

「「「「ひっ!?」」」」

 

凍り付いた。

光翼を展開したベルと稲妻のような魔力を迸らせるアレンがすぐそこまで迫っていたからだ。

 

 

「【ビューティフルジャーニー】ぃいいいいいいいいいいい!!」

 

「【グラリネーゼ・フローメル】ッ!!」

 

「「「「「ぁああああああああああああああああああああああっ!?」」」」」

 

轍をつくりながら超高速でベルをついに捕まえるアレン。光翼による魔法の無効化など、加速するアレンと空気の壁に生じた歪みによってねじ伏せられた。そのままアレンはベルともどもダンジョンへ突撃しかけたところで、【ロキ・ファミリア】の4人と衝突。ベルはアリシアの豊満な乳房に顔を突っ込んだ。アリシアはベルが胸に飛び込んできたその衝撃でぐるんと瞳を白くさせ、幸せな家庭を築き膨らんだ腹を撫でる…そんな走馬灯のようなものを見て意識を飛ばした。アキは咄嗟にラウルに庇われる形で、ドキっとしながら共に吹っ飛ばされ、クルスは尻尾を踏まれた犬のような悲鳴をあげて、やはり吹っ飛ばされた。

 

「調子こいてんじゃねえぞ………テメェが、俺に足で勝てるわけがねえだろうが……!!」

 

「―――――――」

 

「「「「―――――――」」」」

 

「……………」

 

冷静さを取り戻したアレンは、足元で白目を向いて気を失っている冒険者達を見た。アレンは急には止まれないとか…車線上に出るなって俺、言わなかったっけ?とか…そんなことを神々は言うかもしれない。だが、よりにもよって【ロキ・ファミリア】。面倒事になりかねない事案だ。負ける気はないが、「これが女神フレイヤによる意志、ということでいいのかい?」とかあの【勇者(パルゥム)】に言われるのは気に入らない。女神はきっとこんなところも見ているだろうが、この後、何を言われるかわかったもんじゃない。更に更にヘディンというアレンからして眼鏡野郎な妖精は副団長自ら戦争を起こしに行くとはなとか言いかねない。結局、面倒だと歯を軋ませた。

 

「…………クソがッ」

 

 

アレンは全員を繁華街に引きずっていった。

元々、フレイヤから言われていたことでもある。

 

 

――ベルがやっと外に出てきたわ。お祝いしてあげたいけれど…いきなり私が出るとあの子、警戒しかねないかもしれないし……かと言ってオッタルだとベルは嫌がるかもしれない。だから、アレン。ベルに美味しいお肉を食べさせてあげて。男の子は……お肉、好きでしょ?

 

 

そういうことである。

恐怖に震える店員に予約していることを伝えると個室に連れられる。店員は顔を真っ青にして、何も起きないことを祈った。何せアレンが死体みたいなのを5体も引きずってきたのだから。

 

「………僕が、負けた……またしても……そんな、今回は女の子の格好してなかったのに……まさか、僕は……すろうりぃ……?」

 

「問題はそこじゃねえよ、そもそも準備運動もしてねえのに全力出してんじゃねえ、足壊すぞ」

 

「アレンさんがまともなこと言ってる!?」

 

「は?」

 

「ひっ!?」

 

「ごほっ、げほっ……ハッ!? こ、子供たちは!? わ、私とベルの……もにょもにょ」

 

「うぅ……今、この焼肉の匂いはキツイ……うぷっ」

 

「ちくしょう……目を覚ましたら網の上で牛肉が美味しそうに焼けてやがる……ちくしょう……」

 

「――――――」

 

「「「ラウル、帰ってきて!!」」」

 

オッタルの時と同じように、焼肉店の個室にいた。

アレンはオッタルとは違い自分の食べる物を焼いて自分で食べていた。そして固まっている―落ち込むベルと震えるアリシアは自然と抱きしめ合っていた―5人に舌打ちして、睨みつけながら口を開いた。

 

「いいから喰え」

 

「ごくっ」

 

「………俺の奢りだ」

 

「だ、誰から巻き上げたお金ですか!? 良くないですよ、そういうの!」

 

「うるせぇ、黙れ。自分で喰うもんは自分で焼け。俺は猪野郎とは違ぇぞ、焼いて欲しけりゃヘルンかヘイズでも呼ぶんだな」

 

そして何も言わず黙々と食事を再開させるアレン。

アキ達は互いの顔を見合わせ、もう食べ終わるまで帰れないと覚悟を決めて肉やら野菜やらを網の上に置いていった。肉を好んで食べるわけではない妖精のアリシアだけが、甲斐甲斐しくベルの世話をする。

 

「ベル、これはどうですか、良い焼き具合ですよ?」

 

「あ、ありがとうございます」

 

「ねえベル? アリシアのこと……もう責任とった方が良いんじゃない?」

 

「ア、アキ!? そんな、責任だなんて」

 

「責任………結婚ですか?」

 

「くはっ!?」

 

「「「アリシアが幸せそうな顔をして倒れた!?」」」

 

「……ア、アキ、リヴェリア様に今夜は帰らないと、そう伝えて頂けますか?」

 

「いやいやいやいやいや!? なに、覚悟決めてるのよ!?」

 

「アリシアしっかりしろぉ、雌の顔するな! 付き合いの長い仲間のそんな顔、俺、見たくねえよ!」

 

「他派閥の子との婚姻は色々問題が……!?」

 

「ラウル……アイズの足止めは、貴方に任せます」

 

「いや、無理に決まってるっすよ!?」

 

白兎に堕とされてしまったアリシアは、ベルの腕に己の腕を絡ませて肩を密着。クルスが仲間の雌顔なんて見たくないと頭を振り、アキは友人の幸せを応援したい気持ちもあるが急ぎすぎでしょと頭痛を覚え、ラウルは無茶振りに悲鳴を上げた。アレンは騒がしい連中にトングをへし折った。

 

 

 

「…………リヴェリア、ベル来ない、よ?」

 

「…………はぁ」

 

 

その日の晩、リヴェリアからベルが来てくれると聞いていたアイズは、日付が変わるまで本拠の玄関口で佇んでいたという。その背中は、飼い主を待つペットのようであったそうな。

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