アーネンエルベの兎   作:二ベル

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超越界律⑨

大瀑布の音が鳴り響く。

飛沫が舞い、どこかで怪物が鳴き、そして破壊された迷宮が悲鳴を上げていた。

 

「――――っ、ぁ」

 

呻き声。

身じろぎ。

失われていた意識が浮上し、瞼に光が宿る。

水に濡れて艶めかしささえ感じさせるはずの肢体はボロボロで、見るも無惨。

頭が重い。

体は熱い。

先程までの記憶が曖昧だ。

自分の体から『赤』が流れ清流に色を添えているのを瞳に捉え、視界すぐ近くに同じように呻く金髪の妖精を捉えて、意識を覚醒させた。

 

「―――リオン!? ベルっ!?」

 

まるで水中から空気を求めて急浮上したかのような意識の覚醒。痛む体を引きずるようにして、仲間の下へ。彼女もアリーゼと同じように意識を覚醒しているようだがアリーゼよりもダメージが重いのか呼吸が浅い。それでも、妖精としての矜持がそうさせているのか詠唱を紡いでいた。そしてアリーゼが触れられるほどの距離に来たことを感じ取った彼女は完成した魔法を解放させる。

 

「【ノア・ヒール】」

 

即効性はないが体力の回復と並行して傷さえ塞いでくれるリューの回復魔法だ。アリーゼは自分とリューの体をまさぐって無事な道具(アイテム)を取り出そうとするが、リューが持っていた道具類は全損。アリーゼは万能薬(エリクサー)1本だけという結果。栓を抜き、半分を飲み込みもう半分をリューの口に流し込む。

 

「アリー………ゼ……」

 

「リオン……」

 

ようやく体を起こせるほどに癒えると、リューは辺りを見渡した。遥か頭上、24階層の底にして25階層の天井にある樹木の根は炎上しているのか奇怪な音色を奏で、赤々とした光を帯びている。25階層から自分達がいる地帯を見てみれば、水晶群は砕け散り、岸壁や地面には巨大な窪地や巨大な斬撃のような跡。そして、自分達から正面を少し行ったところに複数の穴。

 

「………奴は?」

 

空色の瞳が忙しなく動く。

緑の瞳が現実を受け入れることも難しいのか下を向き張り付く前髪で表情が隠れた。リューの言う『奴』は迷宮への過度な破壊によって生まれた怪物のこと。『鎧を纏った恐竜の化石』と表現するのが正しいような怪物の姿はどこにもなかった。

 

「ベル……春姫……【絶†影】………?」

 

「………っ」

 

力を失ったように途方もない悲しみが腹の底から湧いてくる。

リューの今にも泣いてしまいそうな震える声に、アリーゼは唇を噛んだ。団長でありながら、何をしているんだと自責に襲われる。

 

 

 

――逃げるぞ。

 

 

ライラが言った。

ベル達を助けに行けば、全員死ぬと。

あの『怪物』は、皆で協力すれば倒せるようなお優しい怪物なんかじゃないと。

 

 

――怪我人もいる。『強化種』を倒して解決する手段はもうとれねえ。

 

これもライラが言った。

昇華したベルに試運転も兼ねて任せるはずだったが、あの『怪物』が出てきたのならそんなこと言ってはいられない。詰んだようなものだ。【モージ・ファミリア】と【マグニ・ファミリア】、そして輝夜達という怪我人(おにもつ)がいる以上、あの怪物に気付かれる前に逃げるしかない。

 

 

――なんとも思わないわけねえだろ! でも、無理なんだよ! 全員ぶるって体がまともに動かねえ! 当然だ!

 

 

そう、当然なのだ。

第一級冒険者になった者もいるはずの【アストレア・ファミリア】が、あの怪物にだけはただの小娘に成り下がってしまう。それはきっと心傷(トラウマ)があるからこそだ。

 

 

――あのバケモノは、アルフィアから片腕を奪った! あのアルフィアからだ!

 

 

初めてその怪物と出会ったのは、もうずっと前のこと。

暗黒期が終わって少し。

敵対派閥の罠にあえて踏み入ったその時。

丁度今みたいに大爆発が起こって、そして、生まれた。

最初に命の花を散らせるはずだったのはノインで、それを庇う形でアルフィアは片腕を失った。切断された腕を回収できたからこそ元通りにできたが、それでも『初見』だったからという理由を込みにしてもLv.7の傑物が、頂点に君臨していた派閥の魔女が傷を負ったのだ。

 

 

――あの時、アルフィアがいなかったら……全員、死んでんだよ!

 

 

そう、きっと、全員死んでいた。

もし生存者がいたとしても、きっとそれはたった1人だけだったかもしれない。それを全員が悟ってしまっていたから、身体が動かなくなってしまうくらいには怯えを抱いてしまっていた。

 

 

――だから逃げるぞ。あいつら助けに行って全員仲良く死ぬか、あいつら見捨てて残りの全員が生存するか、どっちかしかねえ!

 

 

私達は『英雄』じゃない。

ライラはあえて嫌われ役を買って出て、全部言ってくれた。

本当は団長のアリーゼがやらなくてはいけないことだったのに。

彼女は血が出るほど唇を噛んでいて、握り締めた拳からも血が滲んでいた。

 

 

――【ファミリア】が全滅したら、アストレア様はどうなる!?

 

 

最後の最後に女神の名まで利用して。

アリーゼはそこでようやく「撤退」を踏み切った。

そして、後ろ髪を引く仲間達に殿を務めると言って、階層と階層の連絡路にまで進んだところで誰にも追いつけない速度で隊列から離脱。

 

 

――馬鹿、アリーゼ!? やめろ! いくな!

 

――リオンちゃん、ダメ!?

 

 

自分と同じように、リューが動いていた。

輝夜も同じように身を翻して走り出そうとして、身体を犯す『宿り木』のせいか膝をついていた。仲間達の声を無視してアリーゼもリューもベル達の下へ。

 

 

「……嫌」

 

 

その結果が、2人ぼっち(このザマ)

新入りの末っ子(はるひめ)もいない。

アルフィアと一緒にやってきた可愛い弟(ベル)もいない。

輝夜と春姫の同郷の妹分(みこと)もいない。

3人を見捨てて逃げると決めておいて、隊列から飛び出して助けに行って、助け出すこともできず2人だけが取り残された。なんと格好の悪い、無様な末路だろう。

 

「………っぁ、あぁあ……!」

 

目の前にある縦穴は天然のものじゃない。

きっと何かが起きた。

だけど、あの穴に飛び込んだところで何もできない。

再生に巻き込まれて岩盤に挟まって潰れるか、落下の果てに赤い染みになるのがオチだ。

 

(アルフィアより長生きさせるって……決めてたのに……!)

 

暗黒期、ベルの存在はなにより支えだった。

男らしくない可愛らしい笑顔に何度も救われた。

病に苦しむことのなかったベルを、アルフィアより長く生きさせようと目標まで立てた。可愛くて、大切で、大好きで、だからベルに背を向けて逃げ出す瞬間、彼との思い出を思い出して考えるよりも先に動いてしまっていたのに。いろんな感情が込み上げて涙が零れ落ちる。慟哭を吐き出しかけて――――。

 

 

『―――ォオオ、オオオオオオオッ!』

 

 

迷宮が2人にそんな時間さえ許してはくれなかった。

どこかで何かが産まれる音がした。

産声をあげた何かの咆哮が聞こえた。

アリーゼとリューが目を見開き、顔を上げた。

 

「………嘘で、しょ」

 

「何故、ありえない!?」

 

それは、少し前に倒したはずの『階層主』。

次産間隔(インターバル)を無視して迷宮が放った『刺客』。

己の身体に害をなす害虫(にんげん)共を排除せんとする迷宮の意志。

滝を上り、身を捻り、わずかな浮遊をもって落下し大飛沫を上げ津波を起こす。響くは轟音に近しい竜の咆哮。露わとなった姿はそれぞれに水晶を生やし、双頭を持つ巨大な竜。

 

「………あ、あぁぁぁぁ!」

 

迷宮が悲鳴を上げ、大樹の迷宮がついに落下。

巨大な木の根が、ドーム状の檻となり2人と1体を閉じ込めた。

 

「アリーゼ、気を確かに……! 貴方が折れてはいけない!」

 

その竜の名を。

―――『アンフィス・バエナ』。

 

 

『――ォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!』

 

 

 

×   ×   ×

 

 

堕ちる。

堕ちていく。

『彼』は、己の何がいけなかったのか瞳を揺らしながら走馬灯のように駆け巡らせた。

 

『冒険者』達の中でも弱い者を優先的に襲撃した。

奴等は『魔石』を溜め込んでいるし、順番に襲えば効率もいい。

壊して、辱めて、仲間を呼び寄せるための餌として使って、そしてまた『魔石』を手に入れる。

 

何もかもうまくいっていた。

『彼』の狩猟は何1つとしてミスなどなかったはずだった。

だというのに、今回は失敗した。

 

あの白髪の人間。

アレのせいだ。

アレのせいで、自分に危機が迫っている。

迷宮が爆発して、揺れて、崩れて、『母』が恐ろしい『何か』を生み出して、結果として巻き込まれてしまった。巨大な『花』が人間を飲み込んで潜行し、その穴に自分も堕ちてしまった。

 

『ォオオオオオオオオオオッ!』

 

ガリガリ、バリバリ、と爪で岸壁を破壊しながら()()()()()()にして迫りくる『何か』を頭上に確認。『彼』は泡を喰ったように己の腕で壁面を破壊し窪みにでも身体を埋め逃れようとするが、岩盤を破壊するには至れない。どころか、止まったが最後――破壊されてしまうと本能が警鐘を鳴らしていた。

 

『――ァアアアアアアアアアッ!?』

 

『強化種』として進化を続けてきた『彼』。

『人間』を狩猟の獲物として喰らって来た『彼』。

それが今や、狩られる側と化して刻一刻と迫る『死』へ落下していた。自分より下を進んでいる『花』に追いつくこともできず、かといって頭上より迫りくる恐ろしい『破壊者』をどうにかする手段もなく。

 

『『―――――――』』

 

怪物同士の瞳が合わさったかと思えば、歯牙にもかけられず、路傍の石でも見たかのように相手にもされず、ガバッと開いた巨大な顎に『彼』は一番最初の犠牲者となった。

 

もし。

もし、次があるのなら。

あの白い兎には絶対に近付かないようにしよう……とそう、思うのだった。

 

 

×   ×   ×

 

堕ちる。

堕ちる。

堕ちていく。

怪物の口の中は、鼻を覆いたくなるほど臭かった。

 

「――――ぁぁぁああっ!」

 

『―――ギッ!?』

 

喉の辺りに見えた極彩色の魔石を破壊。

食人花が灰へと爆散すると、姿を見せたのは白髪を揺らすベル。

深紅の瞳を右に左に動かして―――跳躍(とんだ)

 

『ギィッ!?』

 

『ギャッ!?』

 

見えた食人花が2体。

雷を纏ったまま剣を振るって魔石ごと破壊。

灰と化したが、ハズレ。

 

「………そっちか!」

 

岩盤をぶち破る音がした。

そして、見えたのは白濁色の地面。

岩盤をぶち破った最後の1体を見つけ、垂直同然であろうと関係なく壁を走って接近。花弁を掴んで衝撃に剣を振るう。

 

『ギィィィッ!?』

 

斬撃によって灰と化した食人花。

宙に放り出される形で姿を見せたのは、意識のない少女が2人。

地面と熱い抱擁を交わして潰れるよりも早く、抱き寄せて、手を突き出して砲撃。

 

「【アストラルボルト】!」

 

5発ほど連射して落下の勢いを殺す。

そうして右足から着地して……転んだ。

ゴロゴロゴロ、と。

勢いも止まり、身体に走る痛みを確かに感じながら2人の身体を確認。

 

「傷は……っ、大丈、夫……ただ気を失ってるだけ……? よかった……っ!」

 

掠り傷程度の傷はあるが、命の危険があるようなものはない。

それに安堵の息を零すのも束の間。

パラパラ、と頭上から石片が落ちてきた。

 

「――――」

 

髪にそそぐ欠片に、動きを止め頭上を仰ぐ。

闇の奥から今も降って来る石片。

暗闇で塞がれている天井部分は何も見えない。資格では何も判断できない。けれど、聴覚は違った。『何か』が悠然と目指しているかのような音。

 

「……まさか」

 

脳裏によみがえるのは巨大な影。

魔法をはね返す『殻』。

全てを破壊する『爪』。

そして鮮血のように輝く真紅の『瞳』。

『鎧を纏った恐竜の化石』という言葉を連想させる巨躯。

追ってきた。

そう、ベルは感じた。

そしてチラつく、吹き飛ばされたアリーゼとリューの姿。

焦燥が浮かぶ。

逃げなきゃ、と本能が叫びあがる。

女の子2人を右に左に抱えてあらん限りに歯を食い縛って、ベルはブーツを押し出した。進み出す。一歩、一歩、一歩ごとに体を前に進めていく。

 

(……守らなきゃ)

 

意識のない狐人の少女。

意識のない黒髪の少女。

2人をちらりと見て、すぐに前を見る。

どこまでも、闇が続いていた。

地面も左右にある岸壁も白濁で、まともな灯りがないおかげで、闇だけが続いていた。頭上から降って来る石片を浴びながら、気配を感じながら、歯を食い縛って離脱を開始。

 

(死にたくない……死にたく、ない……!)

 

頭の中で悲鳴があがる。

迷宮の中で、別の階層に落ちて、頼れる仲間はいなくて1人で2人を守らなきゃいけない使命感と義務感が少年の心を杭の様に突き刺して、怪物に飲まれる前に見た吹き飛ばされる姉という最悪の景色に吐き気さえ催す。ここがどこなのか、彼女達がどうなったのか、整理する暇もなく、浅い呼吸を繰り返して、ベルは幼い子供のように心の内で悲鳴を繰り返した。

 

(アリーゼさん、リューさん……!)

 

自分よりも遥かに『英雄』に近い強い姉達が負ける姿なんて、今まであっただろうか。強敵には出会ったかもしれないが、彼女達が動かなくなるなんてこと少なくともベルは見た覚えがなかった。瞳に涙が溜まる。拭いたくても両腕は少女で塞がっているせいで拭えない。会いたい。彼女達に会いたい。そんな『願い』がより一層涙を浮かばせた。

 

『――ォオオオオッ!』

 

大広間(ルーム)を抜け出す通路口に差し掛かる寸前――ドンッ! と。『そいつ』が勢いよく大穴から飛び出した。紫紺の輝きを散らしながら、遥か頭上より落下し、地面へ激突する。発生する衝撃と轟音。振り返った視線の先で揺らめくのは、異形の姿。

 

『――――ギッ!?』

 

そして、『そいつ』の巨大な顎に『モス・ヒュージ』がいたのをベルの瞳は見逃さなかった。決して雑魚ではない『強化種』をまるで相手にもしていないかのように、バクンッと()()。そして大きく口を開けて、『そいつ』は吠えた。

 

 

『――ォオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』

 

「っっ!?」

 

全力で背を向け、止まっていた足を動かす。

滴る汗と涙を散らして、駆ける。

『宿り木』に侵されつつある体の悲鳴など無視して、駆ける。

 

(助けて、助けて……助けて……! 神様……!)

 

連呼する『願い』。

脳裏で微笑む女神への『祈り』。

偶然にも、ここでベルに発現した5()()()()()()()が起動。

 

――リン、リン。

(チャイム)の音。

左手が白で輝く。

起動方法がわからなかったスキルが、起動した。

 

(なんだ、これ……なんで、今……!?)

 

方向転換を繰り返しては横道に入り、敵の追跡を撒こうとするが『怪物』の足音は決して遠ざからない。逆にどんどん近付いてきていて、ベル達を脅かす。2人を抱えているせいで進行速度は遅く、『宿り木』のせいで力が抜け足が上がらない。身体中が悲鳴を上げている。それでも、全力で逃げ惑う。まともに思考する余裕はなく、迷宮内を曲がること数度、とうとう怪物が目視できるほどの距離にまで迫る。

 

『――――――ッッ!!』

 

地面を、天井を、壁を、迷路内を縦横無尽に跳ねて迫りくる高速機動。自身を吹っ飛ばした獲物を仕留めんとする怪物の本能。真紅の眼光がベルの背中を射抜き、破壊の『爪』がガチガチと音を鳴らす。後方で術者(ベル)を守らんと出現する雷兵達を羽虫でも潰すように破壊して膨れ上がる殺意にベルは限界を悟り、振り向きざま、左に抱えていた命を手放し、半身の体勢で左手を突き出した。

 

30秒。

(チャイム)の音も白い光の正体も分からず、ベルは砲声した。

 

「【アストラルボルト】!!」

 

地形など知ったことかと放った()()()

閉鎖空間も同然の一本道、光の濁流は壁や天井を破壊しながら驀進する。

 

(……威力が、上がってる!?)

 

深紅と真紅の瞳が驚愕を宿す。

大砲撃に飲み込まれようという瞬間、怪物が怒りの叫喚を打ち上げながら左脚の逆関節を折りたたみ、横穴に逃れた。直後、砲撃がダンジョン内に炸裂した。威力が上がった発射の反動を殺しきれず、射角がやや上向きとなった大星炎(アストラルボルト)は天井を爆砕し、通路を崩壊させた。

 

「がっっ!?」

 

発生した爆風と砂塵に、ベル自身、殴り飛ばされる。

抱えていた春姫まで取りこぼしてしまう。

3人一緒に吹き飛ばされる間も、岩盤は音を立てて降り注ぎ、崩落の様相を呈した。激しい岩なだれの音がどこまでも木霊していく。やがて凄まじい崩落音が途絶える頃。地面に転がってうつ伏せていたベルは、なんとか顔を上げた。砂塵が晴れると、そこには白濁色の岩塊で塞がれた通路が広がっていた。幅広の通路が完全に閉ざされている。来た道を戻ることはできない。あの怪物が追いかけてくることもできない。少なくとも道を迂回して遠回りする必要があるだろう。

 

「はぁ、はっ……うっ……頭が……」

 

くらっと意識が遠ざかりかけた。

精神疲弊(マインドダウン)の兆候だった。

いつもなら、【アストラルボルト】を一発撃ったくらいでこんなことはなかった。たとえ【アーネンエルベ】を行使している最中であったとしてもだ。

 

(考えるな……今は、精神疲弊(そんなこと)、どうでもいい……!)

 

荒れる呼吸も野放しに、砲撃の威力が上がったことについての思考巡りも手放して、震える手で地面から身体を引き剥がそうとして何度も失敗する。体力と精神力(マインド)が削られ、力が入らないのだ。それどころか意識が断線しかける。

 

(痛い、つらい……怖い)

 

できるなら、瞼を開けた時にはベッドの上であってほしい。

目を覚ましたことに女神が微笑んで頭を撫でてくれるか、聖女様が顔を覗き込んで口元を柔らかく微笑を浮かべてくれるか、姉達に「嫌な夢を見たのね」と慰めてくれるか、なんでもいい。地獄でさえなければ。甘えられる存在に、誰かの胸の中に飛び込んで包み込まれたい。途方もない虚脱感に襲われながら、欲望の狭間を漂っていると……瞳に、倒れている女の子2人が映る。震える手を伸ばし、彼女達を拾い上げてもらおうと命じたが雷兵達はずるり、と崩れて消えてしまった。精神力(マインド)の残量が心もとなく魔法を維持できずに解除されてしまったのだ。

 

 

――このままだと、死んでしまうな?

 

 

そう、どこまでも広がる闇が囁いたような気がした。

意識を失って動かない彼女達。

片や戦闘能力皆無の妖術師。

片や戦闘能力があってもLv.2の女忍者。

この階層がどこなのかを考えるよりも先に、この場所では彼女達はすぐざま辱めを受けて絶命するとわかってしまった。歯噛みし、額を地面に叩きつけて意識を痛みで覚醒させて立ち上がる。

 

(ちくしょう……ちくしょう……!)

 

甘えることは許されない。

油断も余談も許されない。

ベルは、頑張るしかなかった。

 

 

×   ×   ×

 

 

ピシッ、とマグカップに罅が入った。

白に兎が描かれたマグカップだ。

たまたま偶然にも市場(バザール)で見つけて、購入した女神のお気に入り。

 

「………」

 

まるで虫の知らせだ、とアストレアはそう思った。

胸が妙にざわつく。

嫌な予感がして、胸騒ぎに促されるように本拠を出ると彼女はそのまま管理機関(ギルド)へ。

 

「ダンジョンで何か異常事態(イレギュラー)が起きたか……ですか?」

 

「ええ、何でもいい。報告はないかしら?」

 

「ええと……」

 

半妖精(ハーフ・エルフ)の受付嬢の下へ行き、問う。

どこか普段と雰囲気の違うアストレアの様子にほんの少したじろいだ彼女は、いそいそと友人や先輩、あるいは別窓口で冒険者の相手をしていた同僚達へ声をかけ戻って来る。

 

「申し訳ございません、女神アストレア。そのような報告は上がっておりません」

 

「………そう」

 

邪魔してごめんなさい、とそう言ってギルドを後にしようとしたその時。

 

 

「女神アストレア! 神ウラノスがお呼びです! どうかこちらへ!」

 

慌ててやってきたのだろう。

ギルド長、ロイマン・マルディールが汗を垂らしてやってきた。それだけで、ギルドはざわつく。女神が目を細め、ロイマンを一瞥。

 

(ウラノスが私を……なら、きっと、何かが起きたということ)

 

アストレアはロイマンから視線を外すと、そのまま半妖精(ハーフ・エルフ)の受付嬢へ依頼を出す。ダンジョン内にいる【アストレア・ファミリア】の捜索及び()()である。

 

「え……アストレア様!?」

 

驚くのは当然だろう。

ベルを除けば女性ばかりの少数精鋭派閥にして第一級冒険者を複数抱え都市の秩序に貢献している力ある派閥、それが【アストレア・ファミリア】だ。その主神が自らの眷族の捜索と救出を願い出たのだ。

 

「依頼料も出す、依頼……今からでも可能かしら?」

 

「か、可能です、可能ですが……な、何か起きたのですか!?」

 

「チュール、黙れ! 声を荒げるな!」

 

「で、ですが……!」

 

「申し訳ございません女神アストレア。依頼は、こちらからかけさせていただきます。どうか、貴女は神ウラノスの下へ……!」

 

貴方も落ち着きなさい、とアストレアはロイマンには言わない。【アストレア・ファミリア】に何かが起きた、なんて民草に知られれば混乱を生むのは当然のことだからだ。粛々として依頼を受理し、【アストレア・ファミリア】が足を運んでいるだろう階層まで探索を可能としている力ある派閥へ依頼……ではなく強制任務(ミッション)を課す。そのことに受付嬢達は狼狽えたが、それもロイマンが黙らせた。依頼として張り出してみろ、結局情報が飛び回って都市中が混乱する。それだけはなんとしても避けたいというのがギルドの長なのだろう。

 

「ロキのところはダメでしょう?」

 

「………はい、あの派閥は『人造迷宮』の方へ」

 

「なら、フレイヤのところはどうかしら? 彼女の眷族達なら少なくとも深層まで時間はかからないはず」

 

「しかし女神アストレア、女神フレイヤの派閥は『軍』としてではなく『個』の力……いくら【探索者(ボイジャー)】が女神フレイヤに目をかけられているとはいえ、協力は難しい……いえ、どのような代償を求められるか……!」

 

「ベルがいなくなって困るのはフレイヤも同じ。協力してくれるはずよ」

 

2人にしか聞こえない声音で行われる会話。

アルフィアのおかげか、ベルの顔は結構広い。

頼めば数多くの派閥が手を貸してくれる可能性はある……かもしれない。愉快犯的な神々に「代償としてベルきゅんをうちにちょうだーい」とか言われる可能性もきっとあるが、それらは「深層までいける?」と言えば顔色を変えて「用事を思い出した」とどこぞへ消えていしまうだろう。力ある派閥の中でも【ロキ・ファミリア】と【フレイヤ・ファミリア】は何より心強い。なにせ都市の二大派閥なんて言われているのだ。どちらの派閥にもベルと好意的に接してくれる相手―女性が多いことには目を瞑ることにする―がいるし確実性もあがるだろう。だが、【ロキ・ファミリア】は今回、助けを求めることは難しい。あの派閥は現在、『人造迷宮』へ足を運んでいるからだ。なら白羽の矢を向けるのは【フレイヤ・ファミリア】しかなかった。

 

「【ガネーシャ・ファミリア】はどうでしょうか……?」

 

「それでは都市の警備だったりを他派閥に願い出なくてはいけなくなる。結果、コストがかかってしまうのではなくて?」

 

「うっ……」

 

「いいのよ、何もギルドがフレイヤに代償を支払うわけではないのだから。恩恵も消えていない、ただ胸騒ぎがするだけ……無事に何事もなければそれでいい……ただ、あの子達の無事に保険をかけておきたい。主神(おや)の我儘を叶えさせてほしい」

 

「………かしこまりました、女神フレイヤへの書状を用意いたします」

 

「ええ、お願い」

 

バタバタと動くロイマンはすぐに羊皮紙とペンを奪うように持ってきて、アストレアはそれを受け取り、ペンを走らせる。

 

 

――どうせ見ているんでしょう? ベルと逢瀬(いちゃいちゃ)する権利を失いたくないのならあの子達を助けて頂戴。

 

 

ロイマンはその内容を見て、頬をひきつらせた。

なぜ、あの兎がそんなにも女神達の性癖……けふんけふん、好みに突き刺さるのかまったくわからない。いや、成長速度おかしいし、ロイマンとてベルの活躍を知らないわけではないが、それでもだ。年季で言えばロイマンの方がいいはず。熟成された妖精(イケオジ)である。ショタか、神々がいう『おねショタ』がそんなにもいいのか……。

 

「女の手紙をまじまじと見るものではないわよ」

 

「ひぅっ!?」

 

まるで路傍の石を見るような冷たい眼差しにロイマンの胃が引き攣る。次やったら裁きの剣でバッサリいかれるかもしれない。なんなら背後にいる女性職員の視線も冷たい気がした。だから豚なんだよ、と言っている声が聞こえた気もしないでもない。だが、こんなバチバチとした雷とメラメラとした炎を宿すような圧力ある書状にギルドの印を押すべきかロイマンは躊躇を覚える。

 

(女子同士の手紙にしか思えん……! これ、強制任務(ミッション)としてギルドの印を押して……)

 

「ウラノスのところへ行くわ」

 

「ああ、お、お待ちをっ、め、女神アストレアぁ!?」

 

スタスタと勝手に行ってしまう実は武闘派な一面もあるアストレアにロイマンは「ええい、限界だ、押せ!」と受付嬢に書状を押し付け、印を押させた。そしてそれを半妖精(ハーフ・エルフ)へ強引に渡すとそのままアストレアの後を追って消えていった。

 

「え、わ、私が女神フレイヤの下へ行くんですか!?」

 

 

 

行った。

口角を下げに下げたまま内容を読んだフレイヤは治療師の少女と妖精の剣士を呼び出したのだった。

 

 

×   ×   ×

 

 

「ここは……37階層……『深層』です」

 

「そう、ですか……」

 

広間(ルーム)の中、命が現在地を口にする。

2人を抱えて彷徨ってしばらく、ベルは広間(ルーム)に辿り着いていた。ちか、ちか、と点滅する人工物の灯りを標に辿り着いた場所である。中には白骨と化した冒険者の『遺体』が3つ。壁に寄りかかっている1体は真っ黒な眼窩でベル達を見つめ、朝顔(フレア)状の戦闘着(ロングスカート)を身に着けている1体は金の髪を広げながら倒れていて、残る1体は両手を胸の前に置いて崩れ落ちていた。赤く染まり乾いた服に刺さっているのは短剣で、あたかも自らの胸に突き込んだかのようだった。

 

(2人の意識が戻ったのが、広間(ルーム)に入ってからでよかった……)

 

玉のような汗を滴らせて、ベルはそんなことを思った。

人だったものを見つけた時、ベルは希望が崩れ去って絶望するのではなく()()()()()()()()()という現実を受け入れた。アリーゼ達の教えだった。状況は何も変わっていないのなら、悲嘆する必要もない。むしろ広間(ルーム)に辿り着けたことは前進だ。ようやく、腰を下ろして休むことができた。怪物の気配は当然あり、襲われもした。2人がもし、広間(ルーム)に入る前だったなら、2人分の恐慌(パニック)を鎮める必要があっただろう。

 

「命様は、深層の経験が?」

 

「……はい、輝夜殿に呼び出され、自分のスキルで探知できる怪物の総数を増やすため……遠征に連れて行かれたことが何度か」

 

目を覚ました命とベルはすぐに情報の整理を行った。

見える景色からわかる階層の洗い出しである。

スキルによって探知できる怪物の数を増やす……新たに踏み入れた階層で『未知』の怪物に襲われるということを回避するためだろうが、所謂『図鑑埋め』を強制的に行われていた命の情報は信頼度が高く、すぐにここが37階層『深層』だというのが確定した。

 

「ただ、正確な場所までは流石にわかりません」

 

「命さんにわからないなら……僕にも、わかりません」

 

「ベル殿が飛んで割り出すことは?」

 

精神力(マインド)がほとんどありません。戦闘になれば『精癒』が発現してくれますけど、焼け石に水……いっそ魔法を食べれば回復にできるんですけど、【ビューティフルジャーニー】を使うための精神力(マインド)が足りないので結局、ある程度回復を待つしか……」

 

「……ベル様、傷の具合は?」

 

「多少、マシにはなりました」

 

「蔦……取れませんね……苦しい、ですよね?」

 

「平気です」

 

(どうして喰われたのに……『宿り木』は消えないんだ……)

 

2人が目覚める前、広間(ルーム)を入口を塞ぐ前に『スカルシープ』に襲われた。ベルの右肩、左脇を抉られた結果、血を流して倒れてしまった。『宿り木』も消えず息も絶え絶えに『スカルシープ』ごと【アストラルボルト】で天井を吹き飛ばし崩壊させ、怪物の侵入路を狭めた。そのあとは()()()()()()()()意識を失いかけたところで、目を覚ました命が持っていた回復薬(ポーション)をかけて傷を塞いでくれた。

 

 

「一度……持物を整理、しましょう」

 

「はい、ベル様」

 

「わかりました」

 

ベルの顔色を窺いながら、春姫が自分とベルの分とを荷物を足元に広げる。

黒いゴライアスの皮から造られた外套(ローブ)とマフラー、アミッドから贈られた【薬刃(フラーテル)】に【ヘスティア・ナイフ】が4本。【探求者の剣】に『銀の鍵』とアイズから贈られた『お守り』にとある女神から贈られた『護符(アミュレット)』。3人がそれぞれ持っていた回復薬はベルの持っていた物は全損。春姫と命の分も階層の崩落に巻き込まれた時に被害にあったのか回復薬(ポーション)が2本のみと精神力回復薬(マインドポーション)が1本。

 

「ベル殿、こちらをお飲みください」

 

「……でも」

 

「ベル殿が一番、必要なもののはずです」

 

命と春姫はためらうことなくベルへ精神回復薬(マインドポーション)を差し出す。それを少し躊躇って、受け取り、ぐいっと呷った。途端、精神力が回復していく。

 

「自分の武器は問題ありません」

 

「問題はアイテムですね」

 

「………」

 

狐の耳を折り、尻尾をぺたりと地面につける春姫は怒られて落ち込む子犬のよう。可愛らしくも見える彼女に2人は笑みを浮かべ、それぞれ小指を握った。目を丸くして顔を上げる春姫を2人が励ましの言葉をかけた。

 

「大丈夫です、春姫殿。自分達がいます」

 

「守ります、だから、大丈夫です」

 

「………っ、はい、はい!」

 

2人が自分を励ましてくれているのがわかってしまう春姫は笑顔で返す。せめて自分にできることをさせてほしいと願い出る彼女へ、拾った布切れとペンを手渡し地図作成(マッピンク)をお願いする。

 

「しかしベル殿……これらのアイテムはどちらで? この布、地図作成(マッピング)が行われていたようですが……」

 

自分達が広げたアイテム類とは別に。

地面に置かれているアイテムがあった。

春姫に渡した布に壊れかけのバックパックや戦闘衣、凹んで煤けた水筒や空になった試験管。カビや腐敗の進んでいる食料と回復薬など。いったいどこで見つけたのかと不思議に首を傾げる命。

 

「……………えっと、前に誰かいたんでしょうね、落ちてたので拾いました」

 

「……『申し訳あり…………レ……様……ごめ………マ……母さん………帰………』……これは、メッセージ?」

 

「……………」

 

苦手な嘘をついて、誤魔化して布地に書かれている文字に気付いて春姫が読み取ろうとして、汚れで読み取れない文字に春姫が目を細める。ベルは、じくじくと身体を痛めつける『宿り木』の存在を無視するように天井を見上げた。

 

 

(僕は……どこまでできるんだろう……2人を……助けなきゃ……僕が……僕が、頑張らないと……)

 

それは義務であると少年を締め付ける。

ベルは嘘をついた。

苦手な嘘をついて、誤魔化した。

アイテムを拾ったなんて、大嘘だ。

広間(ルーム)に入り、入り口を塞ぎ、目を覚ました命に回復薬をかけられる前、見つけてしまった『遺体』を絞り出した魔力で砲撃。つまり、破壊していた。

 

(2人に……見せちゃダメだった……きっと、良くないことになってた……深層を探索するには装備も足りなかった。あの人達から奪いでもしなきゃ……でも、2人の性格を考えれば、きっとできない……なら、この広間(ルーム)にたまたま落ちてたってことにでもしなきゃ……2人は悪くない……悪いのは、僕だけいい……っ)

 

自分の所業に吐き気を催して、それを必死に飲み込む。

滴る汗を春姫が拭き取ってくれて、瞳を向ければ泣きそうなのを必死にこらえて微笑む彼女。正確な現在地は不明、蝕まれる身体、戦えない少女と戦えるが力が足りない少女。気が遠くなりそうな暗闇が3人に微笑んでいるような気がした。

 

 

 

そして、『銀の鍵』が熱を帯びていたことを誰も知らなかった。

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