不気味な白濁色の壁面に、既存階層と比べ物にならない巨大な迷宮構造。例外は存在するものの通路や
階層中心に存在する次層への階段を玉座とするかのように、『城壁』というべき巨大な円璧が都合5つ囲んでいる。他の層域には見られない迷宮構造であることから、この37階層は『
冒険者達はこの
ベル達が直面している状況とはまさにこの状況であり、巨大すぎる『
(……とはいえ
3人はベルを先頭、命を最後尾にして春姫を間に挟んで守る形で階層を進んでいた。入手した地図を時折確認しては、地図の途切れている場所を目指す。なぜ地図が途中で途切れてしまっているのかという疑問はあるが、手に入れたこれを利用して正規ルートへ至ることが現在3人の行動方針であった。怪物の気配を察知する勘のようなものでも働くのか、ベルは命が
(
最小限の動きが、時折
気付けばレベルでもあっという間に追い越されてしまったことを今更ながらに思い知らされることとなった命は、深層を彷徨う恐怖よりも悔しさが勝っていた。時折、身体を蝕む『宿り木』のせいでベルはフラつくが、春姫が支えようとする前にベルは重心を前に移すことで強制的に前進。後ろを歩く春姫と命の様子を窺っては、小さな
(現状、自分達にできることがない……)
休憩中でこそ、命はベルから見張り役を買って出たが……それだけだ。
壁にもたれるようにしていたベルは俯いた状態で、前髪のせいで目元は隠れて眠っているのかも怪しい。春姫は膝を…と考えたのだろうが、反応のないベルを前にそれをやめ、肩が触れ合う程度の距離感で隣に腰かけた。ベルが再び動き出したのは体感にして5分後で、そこで今度はベルが見張り役を買って出て命は休憩を取らされる。
「ベル殿、自分は体力を消耗していません。
「いえ、休んでください」
「何故ですか? 自分に休憩の時間を与えるよりも負担を一身に受けているベル殿の休憩時間を伸ばした方がいいはずです」
「『深層』では何が起きるかわかりません」
ベルは広間の入口から先、どこまで続いているのかもわからない闇を見つめながら言うと春姫をチラリとみて、続ける。
「
「………わかり、ました」
もっともらしいことを言う…と命は思った。
怪物が生まれないように傷着けた壁にもたれ掛かって、足も延ばして瞼を閉じた。ベルのように短い時間で睡眠をとるのは難しいとは思ったがやるしかなかった。
「…………」
隣に座る命と春姫が静かに寝息を立てているのを確認して薄い笑みを浮かばせた。ベルは
(探索そのものは順調……のはず。魔法を使い続けてきたせいなのかわからないけど、アイズさんみたいな勘のようなもので怪物がどこにいるのかなんとなくわかるようになってる……)
それでも未だ正規ルートへは辿り着けていない。
宿り木に身体を犯されている以上、いつまでも体力が保つとは限らない。蔦が邪魔にならないように時々斬り捨ててはいるが、力を奪われていく痛苦のせいでベルは碌に休むこともできずにいた。
「アリーゼさん……リューさん、無事かな……」
幼い子供のように心細くなって姉の顔を思い浮かべた。
彼女達の敗北の瞬間が脳裏をチラついて、頭を振る。
じわりと浮かんだ涙を雑に拭って、マフラーで口元を隠した。
(命さんは僕よりも深層経験がある。でも戦闘経験は別。Lv.2の冒険者が深層の怪物相手にまともに戦えるかはわからない……タケミカヅチ様の眷族だからできるかもって思えてしまうけど、不安はある。最悪春姫さんの
教わってきた知識や短いながらも培ってきた経験を総動員して思考を回す。『
(あとは『ペルーダ』だっけ……毒性の攻撃を繰り出してくる怪物で……毒……)
姉達に教わった知識。
深層の怪物。
毒性の攻撃を繰り出す『ペルーダ』という種。
そして、広間で息絶えていた冒険者達と途中で書くのをやめただろう地図。回していた思考の中で、ベルは答えに辿り着いた。
(毒針にやられたんだ……あの人達は……)
ベルには【
(ダメだ、頭が回らない……この
じわじわと身体を犯していく宿り木の存在に思考が回らなくなる。
頭を振って思考を放棄し、ベルは広間の入口だけを警戒するに切り替えた。春姫達が眠ってから
× × ×
37階層の
「『階層主』が出現する階層中心部が『玉座の間』と言われていて、そこから順に『騎士の間』、『戦士の間』、『兵士の間』、『獣の間』と続きます」
『騎士』や『戦士』などとついているものの、出現するモンスターの種類が異なるなどの差異はそこまでない。ただ内側に行く分だけ面積も狭くなり、迷宮の造りも複雑になることからモンスターの奇襲や遭遇が必然的に増えることになる。モンスター達も移動するので必ずしも言える訳でもないが、外側に向うほど交戦は途切れがちになるという
「命さん、わかりますか?」
「…………恐らく、ですが」
徘徊するモンスターを時に倒し、時にやり過ごすこと数度。
手に入れた地図に載っていない
「
『ゴライアス』が出現する17階層の『嘆きの大璧』に似ているかもしれないそれは視界の左右の果てまで続いている。頭上の闇のせいで身の丈も計り知ることはできない。その威容に息を呑んでいた少年少女達は、呟かれたその名に目を見開いたり、細めたりとそれぞれ異なる反応を浮かばせた。
「それぞれの大円璧は微妙に色味が異なるそうで……純白の色は、円璧の中でも中間に位置する第三円璧のみ……」
きっと輝夜達から教え込まれていたのだろうことを頭の中から引き出すようにして命は言う。その言葉は自信なさげなところから少しずつ確信をもったものへ変わっていた。ベルも同じように壁に手をつけると横へ移動。
「……湾曲してる?」
「確かに……こちら側へ湾曲しているような」
「ええと……それは、つまり?」
「こちら側に湾曲してるってことは円を描く壁に包囲されているってことです」
「自分達がいるここは第三円璧と第二円璧の間……つまり『戦士の間』ということになります」
知識のない春姫にわかるように説明するのを忘れず、自分達の現在地を限定することができたことにちょっとした達成感のようなものを抱く。
「正確な現在地は未だ判然としませんが……『白宮殿』の中でも中間地帯に位置する『戦士の間』であると自分達のいる地帯を割り出せたのは大きいです」
その命の言葉に春姫はベルの顔を見て、頷かれると初めて喜びの色を浮かばせた。しかし正確な現在地がわからないのは変わらず、喜んでいる暇などない。モンスターに察知されるまえに足を前に踏み出した。
× × ×
竜の咆哮が階層を震わせた。
ごうごうと蒼い炎が周囲の壁どころか水面さえも燃やし、『階層主』としての圧倒的存在感を示していた。
「……っ、【
「【今は遠き森の空。無窮の夜天に
水上に浮かぶのは大樹の根や岸壁の欠片。
それらを足場にして竜へと迫る。
淀みなく場数を踏んで洗礼されてきた『並行詠唱』をもってリューはアリーゼを追う。
「【来れ、さすらう風、流浪の
『ォオオオオオオオオオオオッ』
2つの竜頭が咆哮を上げる。
首をしならせ迫るアリーゼとリューを薙ぎ払おうとしてくる。それを跳躍してアリーゼが飛び越え、落下とともに斬りかかろうとしたその時。
『――ァアアアアアアアアッ!!』
「っ!?」
ぐりっと首を捻り、竜の口が大きく開かれた。
吐き出されるのは紅の霧で、さらに薙ぎ払いをしたそのままの勢いからもう1つの頭が落下中のアリーゼに向き同じように大きく口を開く。そこからは炎が今にも吐き出されようと青白く発光していた。
「【星屑の光を宿し敵を討て】!」
2種の
「【ルミノス・ウィンド】!」
緑風を纏った無数の大光玉を生成、それを真下から迫る紅霧と右からくる蒼炎へ放つ。魔法の威力を弱める紅霧によってリューの魔法は『階層主』にまで届くことはなかったが、紅霧そのものを僅かにも押しのけることに成功。加えて蒼炎と衝突しその衝撃に吹き飛ばされる形で危険域から離脱。僅かな浮遊感の後に目を合わせたアリーゼと頷き合い抱いていた彼女の身体を離す。
「はぁああああああああ!」
『―――ガッ!?』
リューから離れたアリーゼは地面をも爆砕させるほどの爆炎を足裏から発生させて急加速。
竜鱗ごと首の付け根あたりを貫き、内側から爆発させるように発火させた。
傷口から煙をあげて悶える紅色の水晶を生やす竜頭。
内側から焼かれた苦しみに怒りの色を孕ませたもう1つの頭がアリーゼを噛み砕かんと迫る。
「――ふっ!」
『ゴァッ!?』
それをリューが愛剣を握り締め、疾走によって威力の上がった剣戟によって弾き返す。鈍い音とともに身体に生え渡る水晶がいくつか散りばしゃんっと大きく水が飛沫を上げた。
「アリーゼ!」
「私は無事!」
「冷静に……!」
「もう切り替えた! 今はあいつに集中!」
「………はい!」
リューはアリーゼの身を案じていた。
団長の立場である彼女が隊列から飛び出してしまう事態。あれだけ可愛がっていたベルも新入りの春姫も目が覚めた時にはいなかった。年少の2人を失った…というよりはベルの損失に対するアリーゼの心の揺らぎはリューにもわからないでもなかった。無謀な戦いをされては2人とも助からないとアリーゼへ声をかけたが、彼女の瞳は既に切り替えた『冒険者』の目であった。水中にもぐってしまった階層主を警戒しながら、リューは暴れる心臓を落ち着かせるように息を吐き剣を握り締めた。
× × ×
戦って、戦って戦って進んで、そして戦った。
何度戦闘へ陥ったのか数えるのもやめた。
何度春姫達を危険に晒したのか思い出すのもやめた。
どれくらい時間が経ったのか、わからなくなった。
「はぁ、はぁ、はぁ……っ」
伸びた蔦が邪魔になった。
汗が止まらなくなった。
意識が朦朧とした。
魔法で傷を癒す度に宿り木に苦しめられた。
そして、春姫を庇って飛んできた毒針を受けた。
「ベル様ぁ!?」
「ベル殿っ!」
ナイフを投げ、『ペルーダ』が灰になったのを確認すると膝から崩れ落ちたベルは泣き叫ぶような春姫の声に意識を明滅させながら毒針を引き抜き、【
「――ぁ、雨の音……か、ぜ…の音、波の音……つ、きの涙、雷………の大笑、
たどたどしく震える唇で詠唱。
傷付いた身体を癒そうとする。
「春姫殿、
「……!」
どくどくと血が流れる傷口を抑える春姫へ命が呟く。
もうベルは限界だ。
何度も自分も戦わせてほしいと言って断られてきたが、さすがにこれ以上は見ていられない。時間制限付きではあるがLv.3へ昇華し戦力をあげベルを休ませると命が立ち上がった。
「………【ビューティフルジャーニー】」
完成した魔法が完成され、ベルの身体が瞬く間に癒えていく。
と同時、宿り木が活性しベルを侵食。
癒しと侵食に身体は正直に悶絶し声にならない声が少年の口から漏れ出た。
「―――【ウチデノコヅチ】ッ」
ベルはもう、戦えなかった。
それが深層を彷徨い続け、戦闘を一身に引き受けていた結果である。金光を帯びた命が先導する形でベルをおぶった春姫が後に続く。そうしてしばらく進んでいくと上り一辺倒の階段。ひたすら上へと伸びる段差に何度もぶつかるようになった。上へ上へ、まるで絞首台を上っているかのような感覚を感じながら、命は与えられた知識を総動員しながらも、けれど未だ未熟故に確信を持てず、嫌な予感だけがちりつく。
(わからない……自分達はどこへ向かって上っているのか……わからない、が…最大警戒しなくてはならない気がしてならない……)
正確な
「………これ、は」
最後の段差を上りきった瞬間、瞳に映る光景に命と春姫は戦慄を味わうこととなった。そこにあったのは特大の
「………『
ベルの口から、その名が呟かれ命の頭の中でパズルのピースがハマったような音が鳴る。現在地が、わかってしまった。
「『闘技場』が存在するのは第二円璧と第三円璧の間、『戦士の間』。その中でも……真東の地帯。それが、自分達が今いる場所です」
「………」
怪物の雄叫びに血の気を引く春姫をチラリと見て命はつづけた。
「『闘技場』の大型空間には東西南北、5つの出入り口があって……正規ルートに繋がっているのは、南の出口」
正規ルート。
それは待ち焦がれた帰り道に続く『希望』。
だが眼前に広がるのは、圧倒的物量という名の『絶望』。
それに瞳を揺らす春姫は、震える唇から言葉を紡ぎ出す。
「ここ以外に、道は……?」
「………自分にはわかりません」
「私たちは今、東西南北のどちらにいて、南の出口とはどこなのですか?」
「………わかりません」
ここが限界だった。
場所がわかっても、方角がわからなかった。
割り出す術も持っていない。
春姫はふるふると頭を何度も振って、小さな声を荒立たせた。
「待って、待って、命ちゃんっ。じゃあ私達、あの怪物達の中に入り込んで『正解』を探さなきゃいけないの!? 無理だよ、そんなの!」
「っ」
春姫が言っていることはもっともだ。
戦える戦えないは関係ない。
そもそも『闘技場』などという場所は、【ロキ・ファミリア】であろうと近付くことはないだろう危険地帯。今、少女達の目の前にある怪物達がひしめき合う危険地帯は、
「………命、さん」
「ベル殿? どうかされましたか? 何か、別の道を……?」
「……詠、唱っ」
「………は?」
春姫の肩に顎を乗せるようにして、ベルは言葉を絞り出す。
他に道はない、と言外に伝えてきているような圧もあって、だけど何か策があるかのようなことを言う。ベルは少女達は目を丸くしているのも気にせず、命へ指示を出す。
「『闘技場』を破壊、してください」