色即是空①
「……やはり、にわかには信じられませんね」
消毒液の香りがほのかに鼻孔をくすぐる。
壁や天井は清潔感を象徴する『白』を基調とした色に染まっておりそこが『治療院』であるということを指示していた。
「嘘をついているようには見えないのも確かですし、装備していた防具などについていた傷や肉体の損傷、汚れから真実味は帯びてはいるのでしょう……ですが、だからこそ、信じられない……いえ、正気を疑うと言えばいいのでしょうか」
銀のウェーブかかった長髪に紫の瞳。
『お人形さん』という言葉が似合いそうな神秘的な美少女だ。彼女は表情をほとんど変えないが、ベッドの前で何度目ともわからない溜息をついた。
「自身の無力さを痛感します。いったいどういった経緯があれば、
ベッドで眠っていた人物はすでにおらず、寝返り等でついたしわや捲り上げられた掛布団だけがそこに『患者』がいたことを証明している。少女は――アミッド・テアサナーレは、自分と複数人の治療師によって治療した1人の少年の寝姿を瞼の裏に思い浮かべて、窓の外、分厚い雲に覆われつつある空を瞳に映した。
「………彼等はいったい何者なのでしょうか」
誰かが答えてくれるわけでもない疑問の声は静かに消える。
つい数日前のことだ。
数名の冒険者達に2人の少女と1人の少年が治療院に運び込まれたのは。
少女達の方は、疲労とストレスの色が濃かったが少年の方はそれに加えて肉体的ダメージが大きかった。頑丈な鎧のおかげで五体は満足であったものの中身はぐちゃぐちゃと言ってもいいくらいの状態。『恩恵』がないというのに何故生きているのかと頭が痛くなったほどだ。複数の治療師の手によって治療が行われ救ってみせたが、目を覚ましたのちに彼はふらりといなくなってしまった。
――せめて、大事にいたらなければよいのですが。
そう、祈ることしかできないが。
『恩恵』を持たず全身鎧を身に着けていた白髪の少年に極東を出身としているだろう2人の少女。2人の内1人は少なくともアミッドはオラリオで出会ったことのない種族…
なにせ、『暗黒期』なのだから。
× × ×
――妙なのが紛れ込んだわね。
どこかで
――これもまた
どこかで
その呟きが誰の耳に入ることもなく。
肌を撫で、髪に悪戯する風と共に消えていった。
× × ×
「なんて装備を身に着けていたのかしら、その冒険者は」
槌を片手に、女神ヘファイストスは目を細めて床に並べられた装備を見つめ、呟いた。見ただけでわかる。これは私が造ったものだ。しかし、造った覚えはない。
「素材になったのは、ダンジョン…いいえ違うわね……古代の怪物かしら……だとしても、かなりの力を持った怪物だったのかしら? それなら、神が関わっていた可能性も……?」
思考を回転させ、思い当たる『素材』となった『怪物』を推測していく。
防具の硬度からして階層主相当かそれを超える存在が素材となっているが、神としてこの防具には『忌避感』のようなものを感じることから、神が関与したことによる変化或いは誕生した『怪物』ではないかと探る。
「………それにこの剣」
半ばから失われた剣へ視線を移す。
鏡のような剣身という特徴的な要素に加え、
――これも私が造ったの? なんで?
目の前にあるのは持ち手である柄がある部分で、半ばから剣先は存在していない。どんな戦闘があったのか不明だが、破損しているのは明らかだった。そのため刻まれた
「もう半分があれば修復を…いえ、駄目ね……いっそ、一度『
鍛冶の女神はうーんうーんと唸った。
× × ×
「我々が今いるオラリオは、7年前……ということになります」
「7年前……でございますか」
命が配給されたスープを啜っては、春姫に仕入れてきた情報を伝えていた。極東を出身とする2人は外套で全身を覆い人々の邪魔にならないように隅に身を置く。極東出身の人間であるならオラリオでも珍しくはあっても決して『0』ということはないだろう。しかし、春姫は
「しかし、お2人の『恩恵』がなくなってしまった理由は……申し訳ありません。わかりませんでした」
治療院で目覚めた時、春姫は自分の身体が妙に重たいことに気が付いた。大切な繋がりを失ったような感覚で、その喪失感が身体を押しつぶすかのような恐ろしさと心細さとなって纏わりつく。
「ベル様……どちらへ行ってしまわれたのでしょう」
「………」
「私達は見限られてしまったのでしょうか……」
外套で姿をすっぽり覆い隠していても分かる。
耳と尻尾がへにょんっと垂れているのが。
一緒に治療院を去ったというのに、忽然と彼は姿を消した。
『深層』でのダメージが完全に消えたとも思えないし、今、彼は春姫と同じように『恩恵』がない。心配するなと言う方が無理というもので命は情報収集をしながらベルの姿を探し回った。
「ベル殿はいったいどちらへ行かれたのか…」
心当たりは一通り回った。
それでも見つからなかった。
あの特徴的な白髪の少年なんてすぐに見つかると思ったが、いざ探すとなるとこうも見つからないとは…と命は頭を左右に振った。この時代のアリーゼ達は自分達を治療院へ運んでくれたのもあって姿を見かけると声をかけてくれる。自分達の身の上を話してしまいたいが「私達は7年後のオラリオから来ました」なんて話を信じてもらえるとは思えない。だからせめて、白髪の少年を見なかったかとだけ聞いた。
――ごめんなさい見てないわ。でも、心にとどめておくわね。
というのが彼女達の言葉。
いつ何が起きるのかわからない『暗黒期』のオラリオで、2人の少女達は途方に暮れた。
× × ×
黄昏が都市を染めていく。
光が消えていく都市北西、第七区画。
人々の記憶から忘れられた教会。
正面入り口の真上には、顔を半分失った女神の石像が立っていた。
「『下界』はつくづく私達を苦しませたいらしい」
罅割れたステンドグラスに夕日が降り注ぎ、教会の中を微かに照らす。
声の主は女だが、纏っているローブのフードを目深に被っているせいで顔は見えない。零れ落ちる長い髪は灰色で、佇む彼女の姿を見ればまさに『魔女』という言葉こそが相応しいだろう。そんな彼女は独白の如く静かに、すぐ近くの
「……そのまま、静寂に微睡んでいろ。そうしていれば、他人の空似で納得してやれる」
閉じられた瞼。
僅かに皺を作る眉間。
少年の寝顔を見て、何を思ったのか『魔女』は表情をそうして僅かに歪め、伸ばそうとした手を力なく引っ込めた。私のような者が触れて良いものではないと言うかのようだ。
「………」
『魔女』が教会に訪れた時、既に少年がいた。
先客がいたのかと少しばかり残念に、けれど彼女にとって特別なこの場を汚すことなくそこにいた少年に「よろしい」とほんのわずかに高評価。
「……な、さい……」
「………」
何があったのかとか聞くつもりはない。
少年にしてやれることなど何もないのだから。
ただ『下界』というやつはつくづく自分達を苦しめたいのだろうと思うだけだ。それに…できれば、少年の顔を見たくないと『魔女』はそんなことを思った。先日まではいなかったはずだというのに、どうしたものか。
「メーテリア……この出会いは私への当てつけか?」
ステンドグラスから視線を落とし俯く『魔女』。
彼女の問いに答える者は誰もいない。
いないが、邪魔者は現れた。
「アルフィア様」
ぞろぞろと複数の人間達が教会に足を踏み入れてくる。
それにアルフィアと呼ばれる『魔女』の表情に陰りが生まれる。
男に女、ヒューマン、ドワーフ、獣人と様々だが大切な場所に土足で入り込んでくるのは彼女達にとっては塵芥。しかしその塵芥たちはアルフィアの機嫌が急転直下したのに気付きもしないのか、どさっと大きなバックパックをいくつか下ろす。土埃が立つ。アルフィアの機嫌は更に悪くなった。
「アルフィア様、我等が同士達によって集められた品です。どうかお納めください」
ローブで姿を覆っているとはいえ、見ればわかる悪人共。
汚らしい手には、木々の枝。
「………大聖樹の枝、か」
「はっ。複数の妖精の里より採取いたしました」
「……………」
笑みを浮かべる彼等彼女等の言葉にさらにアルフィアの機嫌が悪くなる。「こいつらぁ…」というやつだ。チラリと少年の方を見る。静かに寝息を立てている。再びローブ姿の者達へ視線を戻す。捧げものを差し出す姿勢のまま笑みを浮かべている。不快だ、とても不快だ。少年を見ていた方が有意義すぎる。
「おや、そちらの者は?」
「………」
「アルフィア様が勧誘されたのですか?」
「…………」
「大事な局面が迫っているというのに、眠っているとは危機感がありませんな。アルフィア様、この者のことは我々に任せて――――」
少年へ近づく男が手を伸ばす。
黙っていたアルフィアは舌を打つと、たった
「
それですべて終わった。
少年を起こしてしまうかもしれないとかそんな考える気すら起きなかった。終わった後にちらっと見たが、起きるどころかより深く眠っているようにすら見えた。どこか安心しているようですらある。やめてくれ、勘弁してくれ…とアルフィアは溜息をついて再びステンドグラスを見上げた。夕日は次第に月光の青白い光に変わっていく。
「憲兵参上! この教会は包囲されてるよ! 無駄な抵抗は――――って、え?」
また騒がしくなったのは、それから少ししてのこと。
現れたのは都市の憲兵達。
アルフィアは自分を捕えようとする憲兵達を再び
「この状況で爆睡だと……? 随分、肝が据わっているようだな」
「いたた……頭ぐらぐらするぅ……ってあれ、この子……」
「知っているのか、アーディ」
「いや名前は知らないけど……ほら、ついこの間、見慣れない3人組がーって報告したでしょ? その1人がこの子。ほかの2人は一緒……じゃないのかな?」
「……………この
「お姉ちゃん?」
数日前、神から財布を盗み逃走していた男と衝突した少年を覚えていた妹のアーディの言葉を聞き、目を細め、消え失せた魔女と何らかの関係がある可能性を思案した憲兵達のまとめ役であるシャクティは短い間とはいえ、衝撃波の類だろう魔法の行使があったにも関わらず起きることもなく眠っている少年を連行することを決めた。何者か分からない。だが、その分からないからこその不安材料を放置するわけにもいかない。
「この少年も闇派閥の関係者である可能性は捨てきれん」
「いやでも……うぅん……だけどここに放置しておくのもなんだかよくない気もするし……うーんだけどぐっすり眠っているのを起こすのも可哀想だし……だけど何でこんなところにいるんだろ……」
ここは情報によれば『
「武器の類はなし、だけどなんだろ首飾り? どこかの派閥の徽章かな? それから何だろうコレ、鍵?
「アーディ、いつまでやっている?」
起こさないようにそっと少年の身体を探り、一切の武装をしていないことに「大丈夫かなこの子」と怪しい人物であるにも関わらず逆に心配の念を抱いてしまったり、あえて防具と呼ぶべきなのか外套だけがやけに頑丈なことに経験と知識から素材の予想を立てたり、抱き上げた時にひょっとしたら自分とそう年齢は変わらないのでは? だとしてもやっぱり見覚えのない顔立ちだとブツブツ呟くアーディを訝しんだシャクティが声をかけた。アーディは肩を跳ねさせて振り返るとすでに撤収準備が整っていた。
「ごめんごめん……あ、お姉ちゃん。この子の取り調べとか私がしてもいい?」
「理由は?」
「ついこの間見かけた子だからってのが理由かな。この子はすぐ倒れちゃって意識もなかったけど、知ってる人の方が口を開きやすいかもでしょ?」
「………」
「大丈夫、絆されたりしないから」
「…………いいだろう」
姉からしっかり許可を取るとアーディは少年を落さないようにしっかりと抱きかかえる。ぐっすりと眠っていることから一度眠ると中々起きないのかな? なんて思っていると教会の奥を調べていた団員が、シャクティの下へ駆け寄ってきた。
「シャクティ団長! 交易所の臓品を多数発見しました! 都市外から集められた品々もあります!」
「あ……! ごめんなさい、それ、見せてください!」
少年を横抱きにしたままアーディは団員達の下へ赴き床底に隠されていた木箱を覗き込む。友人の妖精の里からも奪われたというのは聞いていたため、もしここにあるのならその友人に返してやりたいのだ。
「アーディ、探すのならその少年を下ろしてからにしろ」
「汚れちゃうよ?」
「はぁ………」
眉間を摘まむ姉に背を向けて、アーディは友人の顔を浮かべてゴソゴソと物品を漁るのだった。姉のシャクティは汚れるからなんて理由で抱えたまましゃがみ込んだせいで密着度が増していることに「絆されたりしないとは何だったのか」と頭を痛めた。
× × ×
もう少しだけ、一緒にいよう。
そんな約束を交わした夕焼けに染まる黄金の麦畑。
視界の先にいる幼子と美女の後ろ姿から、これは夢なんだと理解した。
「……ごめんなさい」
遠ざかっていく背中に手を伸ばすこともなければ、追いかけることもない。
ただ、夢を語っておきながら道半ばで倒れるよりも呆気なく物語を終わらせてしまったことに申し訳なく、謝罪の言葉が溢れてくる。
「ごめん、なさい……!」
俯き、拳を握り締め、寒さに屈したように震える。
心はあの深層の闇に敗北した。
あの『絶望』に、英雄に憧れたちっぽけな少年は抗えなかった。
半身である剣は半ばから先を失った。
自分の身体に穴が開く感触が忘れられない。
女の子2人を地上に連れ帰ることもできなかった。
「僕は、何も……できない……っ」
自分の最期の瞬間を思い出すだけで、涙があふれてくる。
心細くて仕方がなくて、だけどもう、帰り道も分からない。
死んだのなら、もういいだろうと彼女達の前からも逃げてしまった。
もう、冒険は終わったのだ。
「―――――」
「―――――」
視線の先。
遠ざかっていく2人の人影。
幼き日の自分とまだ生きていた頃の彼女。
何もなかったけど、静かで、穏やかだった日々。
そんな懐かしき日の影を見せつけられているようで、だけど、やがて雪が振り始めて、幼き日の自分が力を失ったように崩れ落ちたのが見えた。魔女が何かを言っているようだけど厳しくなっていく雪と風のせいで何も聞こえず、夢はそこで終った。
目を覚ますと、こちらを見ている蒼い瞳と目が合った。
短くまとめられた薄蒼色の髪によく膨らんだ胸と服の上からでもはっきりとわかるくびれた腰。『可憐』という言葉が似合う少女の名をベルは知っている。
「アー、ディ………さん……」
「や、おはよう。大丈夫? ずいぶんうなされてたよ?」
ベッドに腰かけてベルのことを見下ろしていた彼女はベルの目元を拭うと前髪を梳くように撫でた。その優しい仕草にまた、涙が零れそうになる。
「起きれそう? えっと……ごめんね、色々と君から事情を聴かなきゃいけなくてさ。取り調べに協力してくれないかな? というか協力してもらわなきゃいけないんだよね」
「…………」
上体を起こし彼女と目を合わせる。
知っている。
知っているけど、どこか違う。
自分を知っているような感じがしないというのもそうだし、こんなことを口にするのは失礼だが…若い。体付きもベルの知っているアーディよりも未成熟感がある。特に胸。
「えっと……目が悪かったりする? 胸を凝視されると……さすがに恥ずかしいんだけどなあ……あ、あはは……」
「………っ」
死んだはずなのに、見知った顔の人物に出会う。
天国でも地獄でもない『オラリオ』。
これは何も成し遂げられなかったベルに与えられた神々からの罰なのか、ベルには答えは出せない。ただ悲しくて悔しくて、派閥は違えど姉のようで女の子らしい女の子なアーディにベルは―――。
「わっ!? へぁ!? ちょっとどうしたの!?」
「アーディ、さん……アーディさぁん……っ!」
隣で顔を覗き込んで心配してくる彼女に抱き着き、ベルの知っているアーディほどではないにせよ豊かな胸に顔を沈めて幼子のように泣きじゃくる。もしも死んだ後、魂を天に連れて行く天使なんかがもし知人の顔や姿を模しているのなら、きっとアーディを選んだのは間違いじゃないかもしれない。幼児退行よろしく甘えられる存在に体裁なんて保てるわけもなくて、ベルは困惑と羞恥で両手を頭の上でわちゃわちゃさせる少女の胸元をしばらく涙と鼻水でぐちゃぐちゃにするのであった。
「待って、お願い待って!? 出会って5秒で即お付き合いな展開なんてそんなシチュエーション私、知らないよぉ!?」