アーネンエルベの兎   作:二ベル

137 / 138
色即是空②

「はぁ……心臓に悪いよ君……私、これでもモテるんだからね?」

 

「はい……アーディさんは綺麗だから」

 

「………なんだかなぁ」

 

カップに口をつけてアーディは水で喉を潤した。

ひんやりとした液体が喉を通って顔の火照りを冷ましてくれるのを感じながら、向いに座る白髪の少年をジトっとした目で見つめる。

 

(ほんと、不思議な子……年齢は14歳で私より1こ下……改めて持ち物検査もしてみたけど、首飾り(アミュレット)が3つ……黒曜石みたいなものに、装飾の凝った鍵と、それから翡翠色のもの。ローブやマフラーも普通じゃない……たぶん、階層主か深層の怪物なんかを素材にしなきゃ作れないような代物。都市外の人が手に入れるとしたら、それこそどっかの王国とかがすごいお金を用意しなきゃ無理………)

 

目の前にいる少年は不思議な男の子だった。

ミステリアスと言えばいいのだろうか。

泣きつかれた時はどうすればいいのかアーディはわからず両手をワタワタさせて取り乱した。姉譲りの豊かな胸に顔を埋めて泣く彼を乱暴に取り払うことはできなかったし、かといって姉に「絆されたりしないからキリッ」とか言ってしまった手前、厳しくいかなければいけなかった。結局泣き疲れて眠ってしまった彼が起きるまで事情聴取もできなかったわけで、その日は彼を寝かせて終わり。今は目を覚ました彼と都市内を案内し、腹も空いたところで喫茶店に訪れていた。

 

「あの世にも喫茶店はあるんだ」

 

そんなことを呟く彼に、何を言ってるんだろうこの子は。と思わないでもないアーディは、改めて何を聞こうか思案した。身のこなし的には一般人のそれではないのは都市内を案内している間に観察し、理解しているし都市外の人間の動きでもない。なんというかこう、オラリオを知り尽くしている人間の動き……都市に住む人間のそれなのだ。

 

「うーん……君、1人でオラリオに来たの?」

 

「………お義母さんと来ました」

 

14歳で親御さんとオラリオに来たということは、悪い時期に移住してきたんだなあ。いやでもそれだと君の身のこなしに違和感が……。

 

「お母さんはどこにいるの?」

 

「………」

 

「…………」

 

「………知らない、んですか?」

 

「知ってるわけないじゃん!?」

 

「………?」

 

「あ、いや、まあ……このご時世だし……悪さする人達もいるから……そういうこと、だよね?」

 

そんな、世界の常識でしょ? みたいな顔をされても……とアーディは顔をピクピク。とはいえ反応が暗いということは、きっともう、この世にはいないのだろう。闇派閥の襲撃とかに巻き込まれて、亡くなったに違いない。知らないのか、とは言外の非難と受け取れてしまえる。守れなかった命だ……きっと。

 

「なんか……ごめんね?」

 

「いえ………」

 

「…………」

 

「…………」

 

沈黙が重い。

アーディはこの沈黙が辛かった。

というか、彼がどこか母親の死はとっくに乗り越えたみたいな、遠い昔のことですからみたいな顔をしながらサンドイッチを頬張っているから余計につらい。

 

(ここが死後の世界なら、お義母さんもどこかにいるのかな……僕のこと、怒るのかな……)

 

もきゅもきゅとサンドイッチを頬張って、咀嚼。

味を言えばそこそこ。

あの世の食糧事情はあまり芳しくないらしい。

食べられないわけじゃないが、美味しいかと言われれば「いや別に」という具合。向かいに座るなんだか自分の知るアーディよりも若いアーディは考え事をしているし、黙られては気まずくなるベル。けど、死んだ後にまで見知った相手に遭遇するのは喜べばいいのか悲しめばいいのかわからない。目の前にいる彼女も死んだ人間ならアーディも自分の知らないところで命を落としてしまったのだろうか。

 

(そういえば、アリーゼさん達もいなかったっけ……)

 

脳裏をよぎるのは、あの謎の怪物に負けたアリーゼとリューの姿。胸が締め付けられ、呼吸が苦しくなり、身体が震えて涙が零れそうになる。

 

「……っ……ぁ……っ!」

 

「……ちょ、大丈夫!?」

 

頭を振って思い出してしまった光景を忘れようとする。

グラスに注がれた水を一気飲み。

心配してくれるアーディの声が耳朶を震わせるが、ベルはそのまま空を見上げた。今にも雨が降りそうな曇り空だった。

 

「ほんとうに大丈夫……?」

 

「………はい。ちょっと思い出しちゃっただけです」

 

「………つらい、よね」

 

会話が噛み合っているようで噛み合っていない2人である。

片や姉の敗北の光景を思い出してしまったことを。

片や母親の死を掘り返してしまったことを。

そうして再び沈黙となり、溜息を吐くのはアーディだ。

それが2分か3分か…はたまた5分かして、「あ」と声を零してアーディは立ち上がった。

 

「君、名前は!?」

 

「……ぇ?」

 

「き・み・の・名・は!?」

 

「…………?」

 

「いや、何で知らないんですかみたいな顔されても困るんだけど!?」

 

そういえば名前を聞いていなかったと気が付いたアーディがベルの名を聞こうとする。しかしベルは、何故自分のことを「好きー!」「ベル君大好きー!」「ベル君可愛いね、抱きしめてもいい?」とか言ってくる他派閥のお姉さんが名前を聞いてくるのかわからないと言った反応。アーディの声が響くそんなところに、女性の声。

 

「やあやあ、まさか象神の詩(ヴィヤーサ)に『彼氏(かれぴ)』が出来ていただなんて…このご時世の中では、吉報かな? 悲報かな?」

 

声の主は2人の間に立つようにして、そこにいた。長い灰金色(アッシュブロンド)の髪は柔らかく輝いているようだった。しなやかな所作はどこか高貴な猫を思わせる。無邪気さと色香という相反した2つの気配が微妙な均衡を共存したような……エルフにも劣らぬ美女だ。

 

「『彼氏(かれぴ)』とか言わないで!? 逮捕するよ!?」

 

「えぇっ、まだ何もしてないのに~?」

 

「そっちの派閥、グレーなんだから逮捕されても仕方ないだからね!」

 

「グレーってことは、限りなく無実(シロ)ってことだね☆」

 

「んなわけないじゃん!」

 

ハハッと笑う彼女は、どこかの優男風の男神を思わせる立ち振る舞い。彼女の名は、リディス・カヴェルナ。【ヘルメス・ファミリア】の団長である。

 

「―――――」

 

「……おや、まるで死人に会ったような顔をするね」

 

細めた目でベルを見つめるリディスは、当然のように椅子に腰かけた。アーディが「余計なことしないでよ」と睨むがケラケラとした態度でリディスは流す。

 

「こんな時期にオラリオに来てしまうなんて、君も運がない。敵が送り込んだ密偵の類かと疑われてもおかしくないよ? でも……君の顔を見た感じ、その線はなさそうだ」

 

「…………」

 

「安心しなよ、オラリオ(ここ)には君よりも酷い顔色をしている人達の方がほとんど。そこの彼女……と見て周るといい。君の()()()なんてすぐに解消できるさ」

 

「だから彼女じゃないし……それに恩恵もない子を連れまわすとか、正気?」

 

「このご時世、恩恵の有無はたいしたことではないでしょう? それに彼には必要なことだと思うよ?」

 

「安全なところにいてもらった方がいいと思うけどなー」

 

「安全なところ? 今のオラリオにあるのかな?」

 

「………嫌な言い方」

 

女同士のどこかピリピリとしたやり取り。

リディスは何かを見透かしたような眼差しでベルを見つめながらアーディと言葉を交わす。リディスの物言いはごもっともで、この『暗黒期』のオラリオに安全な場所なんてないと言っていい。恩恵を持たない無辜の民が犠牲になるのなんて日常茶飯事で恩恵を持っていたって帰らぬ人になってしまうこともざらだ。自分達の至らなさを自覚してこそすれ、チクチクと刺されるのはやっぱり面白くない。ムスッとした顔をするアーディへ視線を移したリディスは可愛いものを見る目をするので、さらにアーディはムスッとした。

 

「ま、その様子じゃどうせ行く当てもないんでしょう? 無駄にはならないと思うよ、ヘルメス様に誓って保証しようじゃないか」

 

「………自分が面倒みるわけじゃないのにいうことだけは一丁前だよね。ほんと、貴方達の派閥は何をしてるんだか」

 

「おいおいおい、私はリディスだぜ? ヘルメス様よろしく『異邦人(たびびと)』を導くことくらいするさ」

 

「胡散臭いなあ」

 

リディスが、外に視線を移す。

それにつられるように、アーディとベルも。

ここのところ分厚い雲に覆われていたというのに、この日は珍しく晴れ渡っていた。青空に吸い込まれる人々の悦びの声すら聞こえてくる。抜けるような蒼穹こそ、平和の証。

 

「……今日はアリーゼ達、炊き出しって言ってたっけ」

 

ぼそっと呟いたアーディ。

へぇ、と相槌をするリディス。

それから少し間が空いて、流れる雲をベルがぼんやりとした目で眺めているとパンっとアーディが手を叩き立ち上がった。

 

「行ってみよっか」

 

彼のことを知る人がもしかしたらいるかもしれないし、暗い気分なことが続くこの時期でせっかくのいい天気だ、友人達に会えば何か良い話が聞けるかもしれないと考えて喫茶店を出た。

 

 

 

×   ×   ×

 

 

――騒然としていた。

酷い有様だった。

蒼穹こそ平和の証?

笑わせるな、『血だまりの惨劇』が目の前にあるじゃないか。

 

 

「うああああ……!」

 

「足がぁ……誰か、助けてくれぇぇぇぇ!」

 

 

爆発の跡がまだ残るのか、熱がチリチリと肌を犯していた。

アーディ達が来た時には、何かが終わった後だった。

吹き飛んだ何かの破片が半身に突き刺さった者、瓦礫に両足を潰された者、身体の一部がない者、老いも若きも喚き、悲鳴が糸の様に絡み合っている。頻りに舞う爆煙と、焼け焦げた血の香りに、冒険者達の面々も悲痛の声を散らした。その冒険者達の中には当然、【アストレア・ファミリア】の姿もあった。

 

「アリーゼ、リオン、何があったの!?」

 

「アーディ……!? 何故ここに……いえ、救助を手伝ってください!」

 

「当たり前だよ! 君は……」

 

ベルへ振り返り、瞳を泳がせたアーディは再び言葉を発する。

 

「ここにいて! いい!? いなくなっちゃ駄目だからね!?」

 

そう言って救助を手伝いにアーディは走り去っていった。

それを見送ったベルにリディスが声をかける。

 

「【闇派閥(イヴィルス)】って知ってる?」

 

「……はい」

 

「好き放題する困った連中でね……白昼堂々、こういったこともする」

 

「………」

 

「君も気を付けなよ」

 

目を細めて警告してくるリディスにベルは何も返さない。

周囲の状況を瞳に映しながら、彼女は続ける。

 

「この状況をいっそ打開するには……それこそ『希望』が必要だと私は思うんだよ」

 

「……希望」

 

見定めるかのように目を細めてベルを見つめて言うリディスが何を考えているのかなんてベルにはわからない。ただ、『希望』とやらを求めていることは確かだった。

 

「僕に……何をしろって言うんですか?」

 

「さぁ、別に? ただ君は、こんな時期にやってきた異邦人だ。何かあると勘ぐりもする。それにね、仮にも運び屋(ヘルメス様)の眷族なんだ、導くくらいするさ」

 

気にしないでくれ、とヘラヘラ手を振って微笑するリディス。

そんな彼女からベルは目を反らして、惨劇の跡を奔走する冒険者達を見つめ、目を細め、拳を握り締めた。

 

 

(恩恵だってないのに……)

 

 

今のベルに恩恵はない。

恩恵の喪失は主神の送還、恩恵を持った冒険者本人の死亡、または主神の意志によるものが主な理由となる。ベルは自分の胸に手を当てて、自分の最期の瞬間を瞼の裏に浮かべた。覚えている。あの時の悔しさも、貫かれる感触も。

 

 

 

「ああ、よかった……本当によかった」

 

「もう、心配させないでよ!」

 

 

ふいに誰かの声が聞こえた。

ベルに向けられた声ではない。

ベルの視線の先、惨劇の舞台となっていた場所で響く人々の声だ。

愛する人、大切な人、仲のいい友人、仲間の無事に胸を撫でおろしているような会話が飛び交っていた。抱きしめ合っていたり、腕を組んでいたり、身を寄せ合っているようだった。

 

「………何ですかアレ」

 

「いや、私もわからない」

 

冒険者も無辜の民も関係ない。

互いの無事を涙ぐんでいる者もいれば、困惑している者もいた。

【アストレア・ファミリア】の少女達は、目に映る光景に戸惑いを隠せていない様子だ。

 

「ちょ、ちょっと……何しているの?」

 

「何って…あんなことがあったのに、友人が無事だったんですよ? 何もおかしいことなんてないでしょう?」

 

「……いや、無事ってお前……」

 

困惑するアリーゼ達とそんなアリーゼ達がおかしいというような反応をする人々。状況の整理がつくことはなく、互いを抱き合うようにして、やがて人々は去っていく。()()()()()()()()()()()()

 

「これは、幻術か何かを喰らっているってことかな?」

 

「………」

 

リディスが目を細めて言うが、ベルにもわからない。

人々が立ち去り、残されたアリーゼ達。

地面には、捨て去られたように遺体が転がっていた。

 

 

「………………」

 

ベルとリディスの視界の先、アリーゼ達冒険者達を間にして1柱の男神がじっとその光景を見つめていた。彼は最初こそ怪我をした少女の手伝いをしており、その後、正義の眷族に下界の『道理』を説くつもりでいた。しかし、目の前に広がった光景を前にそれは止めた。

 

「……もう手遅れだ」

 

そう、小さく呟くと男神は背を向けて姿を消していった。

 

×   ×   ×

 

 

――妙なことが起きている。

 

 

そんな声が静かに落とされた。

場所は都市北西のメインストリート、別名『冒険者通り』に建っている『ギルド本部』の会議室。100人以上の同席を可能とする大型の会議室で、多くの冒険者達が円卓に腰を下ろしている。

【ロキ・ファミリア】からはフィン、リヴェリア、ガレス。

【フレイヤ・ファミリア】からはオッタルとアレン。

【ガネーシャ・ファミリア】からはシャクティ。

そして【アストレア・ファミリア】からはアリーゼと輝夜。

各派閥の団長や副団長、あるいは幹部が集結しており、そうそうたる顔ぶれだ。歴戦の上級冒険者達を前に、肥えたエルフという表現が相応しいギルド長、ロイマン・マルディールにより粛々と会議が進められていた。罵声と毒舌、皮肉が飛び交う会議にもう帰りたいと悄然するのはアスフィだ。話すことを話して『闇派閥』の『掃討作戦』を決定。それで会議は終わり――とはならなかった。

 

「妙なこと、か……」

 

リヴェリアは口元に手を当てて呟く。

心当たりはあるような様子だ。

 

「まず、ガレスのおじ様も現場にいたと思うんだけど……炊き出しをしていたあの場所を闇派閥に襲撃されたわ。その後よ、おかしなことが起きたのは」

 

「うむ、確かにアレは妙じゃったな。なんせ、どいつもこいつも死んでしまった仲間達の遺体が足元にあるというのに、それに目を向けもせん」

 

髭を扱きながら言うガレスの言葉を続けるように輝夜が口を開く。

 

「神々の言うところの『ぱんとまいむ』なる大道芸かと思いましたが、いくらなんでもそんな状況ではございません。にも関わらず、まるでそこにいるかのように仲間達の無事を喜び抱き合っておるように見えましたなあ。アレは珍妙でございました」

 

着物の袖で口元を隠しながら目を細めてその時の光景を思い出す輝夜は「気味が悪い」という言葉をその所作で表しているようだった。

 

「遺体に見向きもしないっていうと語弊があるわ」

 

「む? どういうことじゃ」

 

「団長、何か見ていたので?」

 

「あの人達が立ち去っていくとき、視線が泳いでいたもの。地面に倒れている遺体と自分と同じく立ち去ろうとしていく人達とを。なんていうのかしら……自分の大切な人は無事だったけど、この人達は何をしているの? って感じかしら……ううんそれも少し違うわね。こう、自分がおかしいのか周りがおかしいのかって感じもあったわ」

 

アリーゼはその時見ていた光景を思い出しながら自分の感じたことを整理しつつ言葉にしていった。会議室にいる冒険者達も別の場所で見たのだろう、反応は否定的ではなかった。

 

「リヴェリア、敵の魔法の可能性は?」

 

無い(ゼロ)、とは言えん。だが、わからん」

 

「わからない? どういうことだい?」

 

この場においてリヴェリア以上の魔法に関する専門家(スペシャリスト)はいないだろう。その彼女が、「わからない」と口にする。

 

「今のオラリオは都市内での魔法の行使などザラだ。戦闘が起これば、必ず魔法が飛び交う。魔力の残滓である魔素もまた常にそこいらにあるような状態だ」

 

「何が言いてえ」

 

リヴェリアの言葉に腕を組んでアレンが口悪く言う。

フィンは肩を竦めたが、リヴェリアも気にせず続ける。

 

「【アストレア・ファミリア】とガレスが見た光景とその他の場所でも見た光景が恐らく同じであることから、複数の魔導士が同じ魔法を発現させているか、広範囲で行使できる術かの2択までは考えられる。だが……どこでも魔法が使われているせいもあるが、術者を特定することができない。その魔法の素となる魔力が辿れん」

 

「同じ魔法を複数人が発現……この線はありえない話ではない。スキルも同様だ。発現条件さえわかれば、それを満たせばよいのだからな」

 

冒険者の記録を残し管理しているギルドの長であるロイマンは、可能性の1つを否定しなかった。

 

「現状、幻覚の類を見ているだけでそれ以上のことも起きていない。今の我々にその術を解呪するだけの術はない」

 

「とりあえず放置、でございますか」

 

「解呪したところで待っているのは酷な現実だ」

 

「仮初の幸福を与えると?」

 

「離別の猶予と考えろ、【大和竜胆】。術者が見つかっていない。解呪しなければならない緊急性もない。それ以上に手を焼かねばならん現実がある以上、後回しにするしかない」

 

「まあまあ、とりあえず妙なことが起きているってことが共有できてよかった! そういうことにしておきましょう! 術者は複数あるいは広範囲で行使できる。それだけはわかってるんだから!」

 

「………はぁ、まあ現状放置しておくしかないのであればそれに従いますが」

 

「それじゃあ、解散としようか」

 

放置しておいていいのかと、後から面倒事になるのを嫌った輝夜を窘めるアリーゼ。苦笑を浮かべて会議を終わらせるフィン。派閥の代表者達が決定した『掃討作戦』を前に緊張を浮かばせた顔をして立ち去っていった。

 

 

×   ×   ×

会議が行われていた同時刻。

 

「わかりました、貴方達を受け入れましょう」

 

「「ありがとうございます」」

 

「だから顔を上げて頂戴。極東の作法だったかしら? そこまでしなくてもいいのよ」

 

土下座の姿勢から顔をあげた2人の少女。

ソファに腰かけていたアストレアは困った顔を浮かべて自分の目の前で土下座をしていた少女達に顔を上げるように言うと、ようやく彼女達は顔をあげてくれた。

 

「信じられないことではあるけれど……嘘はついていない。貴方達が7年後の未来から来たというのは事実なのでしょう。そして……」

 

春姫へ視線を向けてアストレアは再び口を開く。

 

「貴方は私の眷族。とりあえず恩恵を復活させてみましょうか」

 

「できるのですか!?」

 

「主神が私なのだし、出来ない筈がないわ」

 

「しかし、何故自分には恩恵があって春姫殿達にはなかったのか……アストレア様はどう思われますか?」

 

春姫と命は、ベルを探しながらアストレアと接触していた。

恩恵のない春姫を連れて歩くことは命にとっても危険が付き纏う。何せ春姫は狐人。希少種族で、恐らくこの時代には存在しない種族。特殊な妖術を用いる魔法種族である春姫が捕まるようなことがあれば命1人で助け出せるとも思えなかった。恩恵があるにこしたことはないため、2人は女神に救いを求めたのだった。自分達にあったことを全て聞いてくれた女神は信じられないような内容だが嘘をついていないということから信じることにし、2人を【ファミリア】で保護することにした。

 

「わからないわ……ただ、考えられることとしたら『この時代の貴方達』と『7年後の貴方達の違い』かしら?」

 

「過去と未来での違い……」

 

「情報がないから考察するしかないの。そもそも、未来からやってくるなんてこと自体ありえなかったのだし。貴方達は『ベル』という子を探す…これが活動方針で間違いない?」

 

「はい、彼を1人にしておくわけにはいかず…今度は自分達が彼の力にならなくては」

 

「彼」

 

「私達はベル様に負担を押し付けてしまいました……私達よりも年下の男の子だというのに、そんなこと考えもしなかった……」

 

「男の子」

 

暗い顔をする2人の少女達。

口元をぴくっとさせて汗を滴らせた女神。

え、待って。

ちょっと待って…という感じである。

 

「ベルという子は……えっと、女の子ではないの?」

 

「何を仰いますかアストレア様。ベル殿は立派な(おのこ)、確かに女性にも見えなくもない顔つきではございますが」

 

「ベル様はそれはもう可愛らしい方でございます。どれくらいかというとほぼ毎晩、女神様が抱くほどに……しかし、それと同時に格好のいい殿方なのでございます!」

 

「……抱く?」

 

「はい、毎晩! アストレア様はベル様の手を引いてお部屋に!」

 

聞き捨てならない爆弾を投げ込まれたような気がしたが、気のせいではなかったらしい。

 

――アストレアは思い浮かべたベッドの上であんなことやこんなことをしている光景を。なんなら少女の口ぶりからすれば自分から誘っているではないか。

 

――春姫は思い出す。ほぼ毎晩、アストレアがベルを抱き枕のように抱きしめられて同衾している光景を。女神様はそれもうぐっすりと安眠。ベルは女神の胸に顔を埋めさせられて呼吸できているのかといつも不思議であった。

 

「み、未来の私は……その、随分と積極的だったのね」

 

「積極的……そうでございますね、とても可愛がっておられました。お姉様方もベル様のことをとても可愛がっておられました」

 

「ア、アリーゼたちも…‥‥」

 

いったいどうなっているの7年後の【アストレア・ファミリア】。

風紀は乱れまくっているの?

そんなはずないわ、だって【アストレア・ファミリア】だもの。

アストレアがダラダラと汗を流し張り付けた笑顔で、固まった。

下界の未知というのは恐ろしい。

どうやら私も、7年後には立派に女をしているようだ……と結論のようなものをつけて、アストレアは咳払いして話を切り上げた。

 

「ア、アリーゼたちももうすぐ帰ってくるでしょうし……貴方達のことを紹介しないと……ああ、そうだわ、真名は使わない方がいいいわね。未来から来たというのも省いた方がいいでしょうし……偽名、偽名が必要ね……」

 

立ち上がるアストレアに続き春姫達も立ち上がる。

恩恵を復活させるため、再び神血を用いて恩恵を刻むのだ。

動揺冷め切らぬアストレアは頬を染めて、ベル何某とは何者なのだ……と悶々。そんなことに気付かない少女2人はこの時代においては一方的だが気心の知るお姉さん達の【ファミリア】に居候させてもらえることになりほっと胸を撫でおろした。

 

 

 

――しばらくして。

 

 

「タケミです」

 

「な、夏姫です」

 

 

至って真面目な顔で命が言い、緊張で汗をたらりと滴らせる春姫が続いた。帰還したばかりの【アストレア・ファミリア】の少女達は、麗しの女神様へ向けていた笑顔を真顔に変えた。

 

「偽名か」

 

「「っ!?」」

 

「くそみてぇにわかりやすい偽名だな」

 

「く、くそ!?」

 

「んだよこの狐、えろい身体しやがって。むかつくな、歩く猥褻物陳列罪かよ」

 

「こんっ!?」

 

「その佇まい、ただの勘違いであればよいのですが…何故(なにゆえ)サンジョウ家の者がオラリオにおるのやら……まさかお家潰しでもありましたか? ナ・ツ・ヒ・メ様?」

 

「ひぃっ」

 

「あら、この間の子達よね? 元気そうでなによりだわ!」

 

2人の少女を取り囲み、じろじろと舐めまわすように視線を巡らせる正義の戦乙女達。秒で偽名がバレた2人はダラダラと汗を流し、好き放題言われて謎のダメージを負った。アストレアよりざっくりと事情を聞いたアリーゼ達は、2人の居候を受け入れることに。

 

「でもどうしてアストレア様は頬を染めていらっしゃるのかしら?」

 

そんな疑問が浮かんだのは言うまでもなかった。

女神様は何だか様子がおかしかったのだから。

 

 

 

×   ×   ×

 

 

 

――闇派閥『掃討作戦』、当日。

 

 

「あんた達は今日も人探しでいいのよね?」

 

「はい、そのつもりです」

 

「自分達の身の安全を優先しなさいよ」

 

「避難場所は頭に叩き込んだか?」

 

「はい、マリュー様、ネーゼ様、ありがとうございます」

 

 

身支度を整えたアリーゼ達は、春姫と命と向き合い言葉を交わしていた。居候することになってから2日ほどの時間しか経っていないが、相変わらず行方知れずとなった少年は見つからなかったらしい。アーディと一緒にいるのを見かけた覚えがあったアリーゼとリューは、意図して2人と再会しようとしていないのではないかと思ったが深い事情を知っているわけでもなければ、彼がどこにいるのかも知っているわけでもないため口にするのは難しかった。2人とは本拠を出てすぐ別れ、アリーゼ達は事前に打ち合わせていた場所へ向かって行った。

 

 

×   ×   ×

 

 

――吐き気がした。

 

 

日付の感覚はなかった。

ずっと彼は下だけを見ていて、碌に空を見上げていなかったから。

暗雲に覆われた都市は人々の心を象徴するように、暗かった。

ただ、1人の女の子だけは気にかけてくれていた。

 

「君は今日も暗い顔をしているね? ほら顔をあげてごらんよ」

 

涙なんて似合わない、さあ、笑おう!

そんな感じで、どこか冒険譚にでも書かれていそうな台詞を吐いてくる。

 

「私は、君の笑顔が見たい。ね、いつまでもそんなんじゃ、運命の女神様だって微笑んでくれないよ?」

 

覗き込むような仕草は、可愛らしくて。

つい、この人のこういうところは変わらないなと彼はそう、思った。

 

「え、本当についてくるの? ええっと、危ないよ? 平気って……恩恵もないでしょ君……一般人連れ込んだらお姉ちゃんに怒られるどころじゃないんだけどなあ……」

 

大事な作戦があると聞いて、何故か、「ついていく」と口にしていた。すると彼女は当然のように困った顔を浮かべた。

 

「絶対、絶対に見つからないでよ! あと後方にいること! 君のその外套……変だし、大丈夫かもだけど、でもやっぱりよくないんだからね!」

 

渋々、最後には彼女が折れた。

がっくりと肩を落として、2人でオラリオ南西、第六区画。闇派閥の拠点の1つを目前にした場所へ向かった。そこには当然、【ガネーシャ・ファミリア】と【アストレア・ファミリア】がいた。アーディと共に全身を外套で覆った人物に不信感を抱いた視線を向けなかった者がいないとは言わないがそこはアーディである。彼女の人柄が信用され指摘されることはなかった。

 

「……なあアリーゼ、あいつ」

 

「あの子達が探してた子かしら」

 

ライラ、アリーゼが互いにだけ聞こえる声量で言葉を交わす。

リューがアーディに歩み寄り、一言二言、言葉を交わす。

 

「アーディ、そちらの方は?」

 

「ええと……大丈夫、敵じゃないから」

 

「しかし……」

 

「お願いリオン、何も言わないで」

 

「アーディ?」

 

「説明できないけど……必要な事、なのかもしれないから」

 

「………わかりました。ですが、大事な作戦だ、どうか気を付けて」

 

「うん、お互いに」

 

 

針の音が鳴る。

小人族(パルゥム)の少女の持つ懐中時計から、秒を刻んでいく音だ。

時の経過とともに、1人また1人と口を閉じ、声は聞こえなくなっていた。

 

 

――気持ち悪い。

 

 

刻一刻と、何かが始まるという予兆がベルの腹の中を不快感でいっぱいにしていった。外套の中で拳を握り締めて歯を食い縛って吐き気を抑え込んだ。

 

「大丈夫、君は、守るよ」

 

「…………」

 

そして、針の音が刻限を告げた。

一気に膨れ上がる冒険者達の戦意。

号令が下った。

 

 

「突入」

 

 

『大抗争』は開幕した。

どこかで神は、静かに笑った。

 

――時は来た、と。

 

 

そして、都市が燃え、揺れた。

 

 

 

×   ×   ×

 

 

――何故

 

と少女は叫んだ。

どうしてこのようなことをするのかと。

目の前にいるのは、『黒塊』を携える『覇者』の1人。

総身は優に2M(メドル)を超える漆黒の全身型鎧で身を包む男。

 

「ぎゃああああああああああああっ!?」

 

「あ、足がっ、俺の足がぁぁぁぁぁぁ!?」

 

軽々と持ち上げられた大剣を、男は振り下ろす。

断頭台の刃が如く、その一振りで冒険者達はただの肉塊に変わった。

 

「脆いな、柔すぎる。いつから冒険者は腐った果実と化した?」

 

火の粉の風を孕んで、怪物の舌のごとき真紅の外套が揺れた。

聞く者の腹の底に響く、重く厳しい声が燃え行く都を侮辱する。

 

「撫でただけだぞ、喰らってすらいない。どこまで俺を失望させる、オラリオ」

 

返って来る声はない。

ただ、震える身体を押さえるようにして刀を握り締める少女―(ミコト)が叫んでいた。

 

「何故です!? 何故……貴方のような御仁がこのようなことをするのです!?」

 

この邂逅は偶然だ。

男の足元に倒れる猪人(ボアズ)の武人が敗北する瞬間をたまたま見てしまって、考えるよりも先に身体が勝手に動いていた。だが、このザマだ。何もできない。圧倒的な殺意、存在感に冒険者、ヤマト・命はただの小娘に成り下がってしまっている。

 

(間違いで無ければ……この人は、ベル殿の言っていた【暴食】のザルド殿! 英雄の1人……! ですが、このような所業……あまりにも……!)

 

「称えられるほどの偉業を成し遂げたのに……英雄の1人となったのに……その名声すら、棒に振るうというのですか!? 何のためにここまでのことをするのです!?」

 

男は、ぴくりと倒れている冒険者の気配を感じ取ると羽虫でも潰すように再び大剣を振り下ろした。ぐちゃっという音と共に微かに生きていただろう冒険者は血の雫を垂れ流すだけの肉袋に。それは石畳の上を広がっていき、命の足を濡らした。

 

「う………ぁ……」

 

「もう諦めろ。 襲撃が今日初めてというわけでもない。ならば知っていたはずだ、流石に悟っていたはずだ、戦場は都市(ここ)で、今まで以上に酷いことが起きるのだと」

 

カタカタと両手で握りしめた刀が震えた。

男は次に腹の底から震え上がらせるような声を発した。

 

「心せよ! 覚悟せよ! 『英雄の都(オラリオ)』に住む有象無象共! お前達が足を踏み入れた場所とはつまり、常に命の簒奪ありし場所であると! 怪物共は貴様たちから命を奪うとき”殺していいか”と問うたのか? ”今日、私の人生は潰える”のだと貴様たちは悟っていたのか?」

 

 

×   ×   ×

 

別の場所でも、『覇者』の1人が声を発していた。

静かに、淡々と。

命と同じように「何故」と問うと小娘に『覇者』たる魔女は冷酷だった。

 

「いったいいつまで他人事(ファンタジー)のつもりでいる? もう既に当事者(リアル)だろうに。 24年も生きたのだから、明日もきっと無事でいる。そんな理屈など存在しない。世界のどこにもそんな保証などありはしない」

 

王族(ハイエルフ)のリヴェリアが激昂しようとも、大戦斧を抱えるドワーフのガレスが屋根の上より女の頭上に飛び掛かろうとも表情1つ変えることはない。2人の後ろにいる狐人の少女に、発せられる言葉は何より痛かった。

 

 

(他人事……)

 

 

否定できなかった。

【アストレア・ファミリア】に『居候』という形で身を置かせてもらって、どこかでこれで大丈夫と思ってしまっていた自分が確かにいた。都市中に惨劇は何度も起きていたというのに、自分達が被害に遭うことはなかったからと心の中で「大丈夫」だなんて思っていたかもしれない。だから、二手に分かれてベルを探してしまった。

 

「都市を襲う理由が『失望』では物足りないか? では言い方を変えてやろう、世界(ここ)は雑音が多すぎる。()()()()()()()()()()()()

 

「『失望』したから……英雄が、滅ぼしに来るの……ですか?」

 

「――――幻想(ゆめ)を見過ぎたか、小娘。 この場において誰よりも貴様は、狐人(ルナール)である点を除けば、まったくもって価値がない。そんな貴様が英雄がどうのと言うとは……誰かに希望(ゆめ)でも見出したか? しかし、夢とは覚めるものだ。 現実を見ろ、地獄(じじつ)はすぐそこにあるだろう?」

 

「――――っっ!」

 

「力なく、幻想(えいゆう)に縋り、涙を零し、ただ震える。貴様のような女なぞ、凌辱の玩具になるのがオチだ。いっそ女神(イシュタル)の下へ下ってはどうだ?」

 

「――――っ」

 

何も言い返せなかった。

春姫はただ震え、跪き、涙が零れそうになるのを堪えていることしかできなかった。何より、魔女の言っていることは正しいとすら思えた。

 

×   ×   ×

 

どこかの高台。

1柱の男神は、両手を広げ、暗雲の空に見下ろされながら燃え盛る都市へ投げかける。

 

「巨万の富を得たいか? 復讐を果たしたいか? 単純に刺激を求めにやってきたのか? 大いに結構だとも! 心ゆくまで『人間ごっこ』を拒むといい! 『楽』な方へ進む方が正しいのだと我々を見本に思い知るまで、徹底的に踏み躙り続けてやろうじゃないか!」

 

返ってくる声などない。

2人の『覇者』の声に連なるように男神は、まさに演説を続けていた。

 

「諸君ら無辜の民(いっぱんじん)も、神々も他人事ではない! この都市にいる以上『当事者』だ。 消えゆく命の炎をせいぜい煌かせてくれることを期待している!」

 

そして胸の前で両手を合わせて、目を細めた。

 

「だが俺は優しいから、この場で1つだけ、謝罪をしておこう」

 

 

――諸君らは既に、我が眷族の術中に落ちた。

 

――解除する術はない。

 

――解除など諸君らには酷すぎる。

 

「せいぜい、さよならの練習はしておきたまえ」

 

 

×   ×   ×

 

 

「それでも……貴方に憧れた人がいる……! こんなの、間違っています!」

 

「俺達がこの都市へ、救済し歓迎されるために訪れたとでも思いたいのか? 説得したいのならもう少しうまくやれよ『異邦人』。俺達は、英雄の都を、滅ぼしに、来たんだ」

 

「――――何が英雄だ、何が【最強】だ! 私は誇り高き武神タケミカヅチ様の眷族だ!」

 

 

唇を噛み、刀を握る手に力を込めた。

許せない。

認められない。

このような所業を、断じて。

命の眼光に『覇者』の1人――ザルドは、僅かに口元に笑みを浮かばせると腰を落した。

 

「構えろ」

 

「……?」

 

「意識を逸らすな」

 

ぐらり、とザルドの巨躯が揺れた。

次には命の視界から、姿が消える。

 

「でなければ―――」

 

「―――っっ!?」

 

視界から消えたザルドが、突然、目の前に現れた。

彼我の距離はなく、命は咄嗟に防御の構えをとった。

大剣と刀が触れ合う。

少女では到底、返しきれない男の力が襲い来る。

拮抗する瞬間など、当然のようになかった。

砕けた刃が石畳の血だまりへ沈み、少女の体重が軽くなる。

 

「―――――ぁ」

 

「咄嗟に首を守ったか」

 

両膝が地をつく。

どちゃっ、と遅れて嫌な音がなった。

男は興味をなくしたように少女の横を通り抜けて行った。

 

「でなければ、貴様の首は今頃俺の足元に転がっていただろう」

 

「ぁ、ぁぁぁ、ぁああああああああああああああっ!?」

 

命の右腕は二の腕から先がなく、遥か後方、血だまりの中を転がっていた。

少女から右腕を斬り飛ばしたザルドは振り返ることもなく、鼻で笑うように「武神も大したことはなかったな」と吐き捨てた。

 

 

×   ×   ×

 

「【ウチデノ・コヅチ】!」

 

金色の光粒が、ガレスとリヴェリアを包み込む。

瞠目するは『覇者』を含めて3人。

 

「何故です! 何故、積み上げてきた物を汚すようなことを……!」

 

「過去の栄誉が何だ? 死んだ後に何か価値があるのか? 汚名? いくらでもこの身で浴びてやろう。もはや失うものなどないのだから」

 

「………正気じゃない、そんなの!」

 

「ほう? 貴様は私の『正気』がわかるのか? ならば教えてくれ、貴様はその『正気』とやらは何を拠り所に判断した? 聖典か、集団か、法か、御伽噺か、自分自身か? まさか基準すら持たずに断言したのか? 小娘、貴様の方が『正気(まとも)』とは思えんよ」

 

「………っ!」

 

目の前にいる魔女は、恐ろしかった。

喜劇(コメディ)であったならどれほどよかったか、「お母様、おやめください」と言ってやれたかもしれないのに。春姫は目の前にいる人物がベルの言っていた『母親』とは思えなかった。思いたく、なかった。これではあんまりだったから。彼の憧れた『英雄』が、彼の大好きな『都市』を滅ぼしに現れただなんて、残酷すぎたから。

 

「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 

ガレスが吠え叫び、『魔女』――アルフィアへと突撃する。

リヴェリアもまた、春姫の妖術を以て昇華した魔法を見舞おうと魔法を口ずさむ。アルフィアはただ佇み、()()()()()()

 

 

そして。

 

 

「一時的な階位昇華(ランクアップ)。 何だ、この程度か」

 

コツコツ、とヒールを鳴らしてアルフィアは春姫の横を通り過ぎていく。殺す価値もない。取るに足らない路傍の石。そう称したかのように、興味もなく彼女は姿を消していった。膝から崩れ落ち、尻をついて春姫は緊張の糸が切れたように倒れているガレスとリヴェリアを瞳に映し、大粒の涙を零した。

 

「ぅ、ぁあぁあ、あああああああああああああっ!!」

 

無力。

それが何より彼女を苛んだ。

殺すよりも惨たらしいほどに。

 

 

×   ×   ×

 

 

「ぅ、ぁ………げほっ」

 

 

どれくらい時間が経ったのか、わからなかった。

身体を覆っている瓦礫を押しのけるようにして、身体を起こした。

 

「………アーディさん」

 

ベルはアーディに覆いかぶさる形で瓦礫の中にいた。

一瞬だった。

身体が勝手に動いた。

白い装束に身を包んだ幼子をアーディが説得し救出しようとした時だ。

 

「………………神様、おかあさんとおとうさんに、会わせてください」

 

そう言って、何かをした。

悪寒が走った時、ベルの身体は考えるより先に動いていた。

アーディの腕を掴み、抱きしめ、幼子との間に割り込んだ。

その後は、とんでもない衝撃に襲われて吹っ飛ばされて、そこで意識を失っていた。

 

「リューさんの声が、した……大丈夫かな」

 

意識を失う寸前、離れたところからリューの声が聞こえた。

しかし近くには誰もいないことから、ひょっとしたら彼女達の目には跡形もなく消し飛んだように見えたのかもしれない。ベルはアーディの頬に触れ、柔らかな胸に耳を押し当てて彼女の鼓動を確認。意識を失っているだけだとわかると彼女を抱いて瓦礫を出た。

 

「痛っっ」

 

背中に走る痛みに膝が折れかける。

ベルが自爆に巻き込まれてもなお、無事だったのは、外套のおかげと言えた。黒いゴライアスを素材として造られたソレは爆発からベルとアーディを守りぬいていたのだ。ずるずると痛む身体を引きずるようにして、その場を後にする。意識のないアーディをどこか安全な場所へ、と歩くことしばらく。何度か立っていられないような衝撃と光が昇った。

 

 

 

 

――目を瞑っても、耳を塞いでも、悲鳴は聞こえていた。

 

「………あの場所から出てこなければ、貴様だけは見逃していたのに」

 

どこか悲しそうな声が、前から飛んできた。

聞き覚えのある、懐かしい声に、肩が揺れ、顔を上げた。

揺れる灰色の髪、黒を基調としたドレス、閉じられた瞼。

目が覚めるような美女を、ベルは知っている。

そっとアーディを下ろし、彼女の手に翡翠色の宝石が使われた首飾りを握らせると、前に出る。

 

「……ぉ、かー……」

 

「嗚呼……どこまでも下界は、私達を苦しめたいらしい」

 

 

――ここは、(ベル)にとって地獄だった。

 

 

「あの子達を奪うだけに飽き足らず……このような仕打ちまで用意してくれるとはな」

 

涙を流しているように見えた。

流れてもいない涙にあるのは、下界に対する怨嗟か。

誰もその答えを教えてはくれない。

拳を握り締めているアルフィアに、ベルは、小さく口を開き、手を伸ばしていた。

 

「泣かないで……」

 

「……………」

 

頬に触れようとして、けれど、届かない。

これは決して、『再会』などではない。

けれど、『邂逅』というのもどこか違う。

相応しき言葉は見つからず、燃え盛る地獄(オラリオ)の中で立ち尽くす。

 

「君、こっちだ!」

 

「「!」」

 

そんな2人の重たい空気を無視して、女冒険者が1人現れる。

美しき肢体はズタズタで、血の赤に濡れ、いくつもの傷に辱められ、焼けていた。衣装は襤褸と化して女体を晒しかけていた。

 

「リディス、さん?」

 

「女……なぜ、動けている?」

 

「おいおい、私はリディスだぜ? どうか主神同士の仲ってことでここは見逃してほしいな! 届けたい贈り物があるんだ!」

 

「…………」

 

佇む魔女にリディスは息も絶え絶えに笑って、ベルの手を握り締める。

 

「お前にとって、その小僧は何だ?」

 

「………初恋だ、と言えたらよかったんだけどネ!」

 

「………」

 

ほんの一瞬膨れ上がった殺気に、リディスは喉を鳴らした。

だが違うぜ、と否定してやるとそれはそれでムカついたのか冷たい眼差しが貫いてきた。あ、この人面倒くさい女だ、とリディスは肝を冷やした。

 

「いいだろう……」

 

「お?」

 

「どうせ死ぬ。貴様も、残り僅かな命だろう? 魔剣でその身体を焼いてまで、辱められる末路を逃れてこの場に来たのだろう……私の気まぐれだ、せいぜい贈り物とやらを贈ってやるがいい」

 

どこにいても結末は変わらない、とでも言っているのかアルフィアはベル達を見逃すと背を向けた。まさか本当に見逃してくれるとは思ってなかったリディスは眼を見開いた。

 

「行こう、少年……」

 

「でも、リディスさん……身体がっ」

 

「はは、そんな暗い顔をしないでくれ。安いもんさ、身体の1つくらい……」

 

無事でよかった。

そう笑いかけてきて、膝をつく。

ベルはアーディを背負い、リディスに肩を貸そうとすると彼女が首を振った。座り込み、瓦礫にもたれる。

 

「いいかい、少年……私は……君に賭ける。もし、そこの彼女が目を覚ましたら、私達の派閥の黒い部分は見逃してくれって言っておいてくれ。それから……兄さんにも……いや、やっぱいいや……」

 

「賭けるって……僕は、恩恵だって……」

 

「君は、『冒険者』だ……っ」

 

「っ」

 

「ここが、地獄だろうと……やることは変わらない……!」

 

必至に言葉を紡いでいた。

恩恵もないベルに、賭けると言って彼女は笑みを絶やさない。

 

「冒険をするんだ……君はきっと、身体が勝手に動いてしまうんだから……! 何が一番、格好いい英雄かってヘルメス様に教えてもらった」

 

どんっと彼女の拳が力なくベルの胸に叩くと力なく落ちた。

ベルが彼女の手を取ると、身体が冷たくなっていっているのが分かった。

 

「何で、僕なんか……」

 

リディスは微かに笑う。

理由なんて、なんとなくだ。

都市に突然現れた人物。

調べてみれば、正規に門を通ったわけでもない。

だが、悪党と言うのも違う。

恩恵もないのに、装いは冒険者のそれ。

しかも、上級冒険者の装備ではない。

眷族の中で誰よりも主神と付き合いの長いリディスの勘は、告げていた。

 

――彼こそが、と。

 

 

「―――――なってみたくは、ないかい……『英雄』に」

 

「―――――」

 

それが彼女の最期の言葉。

ポタポタと冷たい雨が降り注ぐ。

彼女はもう、語らない。

笑みを浮かべたまま、ボロボロの身体は力なく横たわる。

ベルはリディスの手を握り締めて、震えて、そして、立ち上がった。

 

「………さようなら、リディスさん」

 

彼女との付き合いはあまりなかった。

遊んでもらったことだってない。

顔を見たことがある程度。

こんなオラリオに来て初めて、語り合ったかもしれない。

 

 

「…………行ってきます」

 

永遠の眠りについた彼女は返事をしない。

背を向け、息を吐き、ただ進む。

空は暗い。

雨は冷たい。

 

 

けれど、深紅の瞳が。

僅かに光を宿していた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。