アーネンエルベの兎   作:二ベル

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星海航路①

 彼女は瞼を閉じていた。

何かを語るでもなし、ただそこに佇んでいるというだけで眠っているのか起きているのか、死んでいるのか生きているのか、判別することが難しいと言えるほどに静かだった。まるで物語の中から彼女という1人分の枠だけがぽっかりと穴が開いたかのように空虚さを感じるほどに、静かだった。

 

「xxxx,xxx? xxxxxx!」

 

有象無象共が何かを言っているが、彼女にはどうでもいい。

興味もない。

他者からの評価も、今となっては何の価値もない。

彼女の閉じられた瞼の裏に映っているのはきっと、もう触れることすらできない憧憬のようなものだろう。何の飾りもない椅子に腰かけ、ぼんやりと記憶の(ページ)を捲る。

 

――ねえ、アルフィア。もしよ、もし……。

 

あれから何年だ。

あの子がいなくなってから、どれだけの時間を浪費した?

 

 

――ねぇ、お養母さん。あの、えっと……。

 

明日もきっと無事でいる(笑い合える)

そんな理屈など存在しない。

世界のどこにもそんな保証などありはしないんだよ。

 

僅かに陰りを浮かばせた彼女の正面に、1人の男神が立つ。

それが誰なのかわかっているのか、彼女は薄っすらと閉じられた瞼を開く。

 

「―――アルフィア、アストレアの眷族(むすめ)を虐めに行く。付き添ってくれないか」

 

「…………くだらん」

 

席を立つ。

円卓を囲うほどでもなく、決して豪奢ではない椅子は彼女の温もりを僅かに残し、寂し気に闇の中に取り残された。

 

 

――お養母さん。

 

背後から聞こえた声に彼女は振り返り、小さく呟いた。

 

「………何も言うな、すぐに終わる」

 

男神はそんな独り言に口は挟まない。

神妙な顔をして、目を細め、そしてすぐに歩を進めた。

 

 

 

×   ×   ×

 

数多の墓の前に、僅かな神々がいた。

己の眷族、あるいは交流のあった民衆。

彼等彼女等が知る子供達は今や魂が失われた肉体に成り下がり、土に還っていた。それも墓と呼ばれるほどの上等なものではない。亡骸に土をかけ、埋めて、壊れた剣や木の棒を突き立てただけの粗末なものだ。碌な墓標も、棺も用意できないほど、一夜のうちに命が失われたのだ。

 

「今も死者の数は増えている……」

 

今も滴に濡れる髪が揺れた。

神々は傘もささず、布もかぶらず、雨に打たれながら、視界の彼方にまで続く墓標を見渡していた。

 

「しかし……子供達は、隣人の死を()()()()()()()()

 

「ぐうぅぅぅぅ……! 子供達よ許してくれ! 群衆の主たる俺は、涙を流し、吠えることしかできない! だから……すまない!」

 

帽子の鍔を下ろし、目元を隠すヘルメスに、滂沱の涙を迸らせ叫ぶガネーシャ。この墓地にいる神々のほとんどは、多くの子供達の代わりに失われた魂を見送ってもいた。

 

「貴方はこの状況をどう見る、アストレア?」

 

天を仰ぐアストレアの瞳には、拭いきれない憂いが残っていた。

そんなアストレアへ、ヘルメスが問いかける。

 

「子供達は決して死者を認識できないわけじゃあない。ただ、俺が思うに子供達は―――」

 

「大切な人の死を認識できていない、でしょう?」

 

ああ、とヘルメスが返す。

妙な違和感のようなものが少し前からあったのは確か。

しかし、こと今回に至ってはその違和感が爆発的に拡大していた。

 

「敵の術だと思うか?」

 

「………エレボスの言っていたことがコレだとするのなら。けれど、こんなことをする意味がわからないわ。ステイタスに異常が生まれているわけでもない……」

 

「ああ、子供達には()()()()()()()なんだろう……」

 

「それも、恐らくは……『大切な人』のみ」

 

「君もそう思うか」

 

 

別所で死者に別れを告げるように瞑目していたフレイヤもまた神々と同じように唇を震わせた。

 

「例えばの話…」

 

フレイヤは雨が降り注ぐ都市を眼下に見下ろしながら独り言ちる。

 

「舞台に『A』『B』『C』という3人の人物がいたとする。『A』と『B』は恋人であり、『C』は2人の友人。死者は『A』で、『B』には『A』の死を認識できず今もなお生きているように見えてしまっている。しかし『C』には遺体を含めてしっかりと『A』の死を認識できているため、『B』がおかしいのか自分自身がおかしくなってしまったのか混乱が生まれてしまう」

 

銀の瞳を細めて、推測を口にする。

それは誰の耳に届くこともなく、外から聞こえてくる雨音に静かにかき消される。

 

「……子供達の目には死んだ者が見えていて、それでいて会話すら成立しているはず。その上で第三者から指摘をされれば逆上しかねない。言いたくても言えない。自分が正しいのかおかしいのか分からない……こんなことが今、オラリオのあちこちで起きている」

 

混乱させることがエレボスの企みだというのなら、これは必要のない手段だ。【暴食】と【静寂】があちらにいるというだけで十分絶望の花は咲く。

 

 

「………()()()()()()()()()

 

フレイヤは己の身体を抱きしめるようにして、その輝きを瞳に僅かにとらえ、そして瞼を閉じた。

 

 

 

――諸君らは既に、我が眷族の術中に落ちた。

 

――解除する術はない。

 

――解除など諸君らには酷すぎる。

 

 

「さよならの練習はしておけ………エレボスは、何をしたのかしら」

 

 

暗い空を見上げ、エレボスの言葉を反芻したアストレアは瞼を閉じてもういない下界の住人達へ黙祷を捧げると踵を返した。

 

「どこへ?」

 

問うてくるヘルメスに、アストレアは歩み始めた足を止めるとゆっくりと唇を震わせた。

 

「孤独に震えているだろう眷族のところよ」

 

 

×   ×   ×

 

「…………っっ」

 

ぐっと胸が締め付けられるような感覚と共に、ベルは目を覚ました。周囲を見渡せばそこに誰もいない。胸に触れている自分の手から感じられる鼓動に違和感と妙な夢を見たと目を細めた。もうずっと昔にお別れをしたはずの大好きだった人の後ろ姿は、寂し気で小さく見えた。手を伸ばし、彼女の名を呼んだとき、振り返ってくれた彼女は寂し気な目をしていて、僅かに唇が動いていたのが見えた。

 

――何も言うな、すぐに終わる

 

そう、言っていた気がする。

ぎゅっと胸が締め付けられるような夢に思わずベルは目元を拭った。

 

「朝……?」

 

場所は廃教会。

ベルのすぐ後ろでは仰向けに眠り続けるアーディの姿があった。立ち上がろうとしたベルは立ち眩みを覚えて膝をつき、頭を振る。

 

(恩恵がない状態で動き回ったから……? こんなに、きつかったっけ……でも、前よりも身体が軽くなってる気がする)

 

ベルはアーディが誰かに見つからないように隠すと彼女の剣を腰に佩き、廃教会を出て行った。リディスに助けられ、背を押されたことが今、ベルの足を動かしていた。

 

「どうすればいいんだろう……」

 

空は暗く、雲に覆われている。

少し前に雨でも降っていたのか、地面は濡れ、水溜まりが出来ていた。そんな空を見上げながら目を細めて、呟いた。

 

「正義って………なんだろう」

 

アリーゼ達の顔を思い出して、この地獄の中にもいた【アストレア・ファミリア】の少女達を瞼の裏に浮かべ、ふと、そんなことを思った。今まで難しく考えたことのない『正義』についてを。

 

 

答えはまだ出ない。

 

 

×   ×   ×

 

1人の少女が椅子に腰かけ、俯いていた。

そこは治療院でベッドの上には同郷の少女が眠っていた。

血が足りていないのか、顔色は悪い。

感情を映すように尻尾も耳も垂れ、折れる少女の顔は元は美神の眷族に名を連ねていたというのに陰っていた。泣き腫らした目は充血し、涙を流しすぎたせいか水分を失って唇は渇いていた。手入れの行き届いていた綺麗な金の髪はあちこちに跳ねてしまっている。

 

「………命様」

 

己の無力を思い知ったのは随分と前のように感じられた。

深層を彷徨ったあの時間。

己を救ってくれた『英雄』に負担を強いてしまっていたことに気付いたあの瞬間。

『英雄』が敗北する様を見せつけられたあの刹那。

それがもう、随分と昔の様に感じられた。

それほどまでにここ数日の記憶は色濃かった。

悪い意味で、だ。

 

 

―いったいいつまで他人事(ファンタジー)のつもりでいる? もう既に当事者(リアル)だろうに。

 

幻想(ゆめ)を見過ぎたか、小娘。 この場において誰よりも貴様は、狐人(ルナール)である点を除けば、まったくもって価値がない。そんな貴様が英雄がどうのと言うとは……誰かに希望(ゆめ)でも見出したか? しかし、夢とは覚めるものだ。 現実を見ろ、地獄(じじつ)はすぐそこにあるだろう?

 

―力なく、幻想(えいゆう)に縋り、涙を零し、ただ震える。貴様のような女なぞ、凌辱の玩具になるのがオチだ。いっそ女神(イシュタル)の下へ(くだ)ってはどうだ?

 

 

何も言い返せなかった。

あの魔女の言葉が、ずっと頭の中で反響しつづけている。

挫折とは、こういうことを言うのかもしれない。

ようやく命に再会できたと思えば瀕死の重傷。

意識なく奔走する治療師達の足元で永遠の眠りにでもついたように静かだった。

 

「そこっ、退いて!」

 

「腕、見つかりました!」

 

「汚れていますが、治せますか……!?」

 

「内部も含めて洗浄を……断面がこれほどまで綺麗に……いったい彼女は何と戦ったというのです!?」

 

「彼女の治療より、他を優先した方が良いんじゃない?」

 

「……トリアージをしろと!? 脈があるのです! 可能性があるのなら1人でも多くを!」

 

治療師や薬師達のやり取りは怒号混じりだった。

生死を彷徨う1人よりも、より多くを優先するべきだという声と助けられるかもしれない1人を見過ごすことなどできないとする声。それを見つめることしかできない春姫は、やはり無力だった。頬を伝う涙が、無力の証だった。

 

「私に……もっと力があれば……」

 

何ができたというのだろう。

檻の中で歌うことしかできないのに。

娼婦でしかなかったというのに。

逆境を乗り越えるだけの力なんてなくて、所詮は誰かに頼るしか生きる術などないのに。

 

「……っっ」

 

虚ろな瞳が包帯に包まれた少女の腕を映す。

繋がった腕の断面から滲んだ血が、白い包帯を汚していた。

この地獄の中で春姫は、とうとう独りぼっちになってしまった。

ベルは行方知れず。

命は眠り続けたまま。

無力な少女は、枯れた涙を流しそうになって肩を震わせた。

寂しさが、悲しさが、孤独感が、どこまでも娼婦の少女を苛んだ。

 

 

「隣、いいかしら?」

 

「!」

 

いつの間に現れたのか背後から声がした。

優しい女神の声だった。

扉を開ける音にすら気付かなかった春姫は肩を揺らして振り返り、女神の身姿を見た。胡桃色の長髪や穢れなき美しい肌は雨に辱められたのか濡れていて、清廉な白い衣も包み隠している肌の色を透かし、美しさと艶めかしさが同居していた。

 

「この通り、雨に降られてしまったの」

 

「……ぃ、ぃま、タオルと、お、お召し物を……っ」

 

声が上手く出ず、出たと思えば変にひっくり返った声色で情けない。

病室にタオルがあったとしても女神のために着替えなどあるわけもなく。そんな春姫へアストレアは変わらず優し気に首を振って椅子に座らせた。

 

「気にしないでいいのよ」

 

「で、ですが……っ」

 

「どうか落ち着いて」

 

「………」

 

膝の上で女神の両手が春姫の手を包み込む。

恥ずかしいやら嬉しいやら、今の気持ちをどう言葉にすればいいのか春姫にはわからなかった。かつて父親だった人からも、主神だった女神からもこんな風に寄り添ってもらったことはなかったから。

 

「ア、アリーゼ様達は……よいのですか?」

 

けれど今の情けない顔を見られるのが嫌で、春姫はアストレアがどこかへ行ってくれないかと喉を震わせて話題を自分ではなく他者に向けた。春姫の考えなどお見通しなのかアストレアはぎゅっと少女の手を包み込む両手に力を加えて唇を開いた。

 

「よくは……ないわ。リューは家出をしてしまったし、アリーゼは部屋に引きこもって考えこんじゃってる。輝夜達が都市内を駆けずり回ってくれているけれど……ちゃんと休めていないから、ギリギリのところかしら」

 

春姫のよく知るお姉さん達とは少し違う【アストレア・ファミリア】。

彼女達は今も都市中を奔走し、猛威を振るう悪に必死に対抗していた。

怪我もしているだろうし、碌に休息も取れてなどいないだろう。

大勢の市民から叱責すらされているはずだ。

けれどアストレアは「だけど」と付け加えて、春姫に視線を向けた。

 

「今は、貴方」

 

「――――ぇ?」

 

7年前の世界(こんなところ)に放り込まれて、不安になるのは仕方のないことよ。貴方達が頼りにしていた人も今はどこにいるのかわからない。なら、私は今、孤独に震えている貴方を優先するわ」

 

どこまでも優しいお姉さんというのが似合う女神の言葉が春姫の瞳を潤ませた。次の瞬間には、女神の胸に少女の顔は包み込まれる。抱きしめてくる女神の温もりは雨に濡れていたはずなのに暖かく、柔らかい。一度だって親だった人達にされたことはないその抱擁に少女は嗚咽を漏らし、女神の背に腕をまわし、静かに泣き出した。

 

「泣いてもいい。涙を責め立てる者はここにはいない」

 

無様に泣く弱者を唾棄する者はきっといるだろう。

けれどそれは、弱さを許せない者達の話であって春姫には当てはまらない。この部屋には今、眠っている命とは別に春姫とアストレアしかいない。であれば、どれだけ無様に泣き喚こうがそれを叱責されるようなことはないのだ。

 

「けれど、どうか、貴方の話を聞かせて頂戴」

 

「…っ、私の……、話……?」

 

「ええ……貴方が私の眷族になったという話。その前の話。何を思って私の眷族になったのか、どんな気持ちを胸に抱いているのか。今はいない『誰か』の話……色々、聞かせて? 私の知らない貴方の物語を」

 

春姫はアストレアの胸元で涙を流し、優しい手に頭を撫でられ、幼子にそうするようにリズムよく背中をぽんぽんと叩かれて、嗚咽を漏らす。それがどれだけでどれだけの時間が流れたのかわからないが、ようやく落ち着いた春姫は目元を拭って、ぽつりぽつりとこれまでのことを語ることにした。

 

「私がオラリオに来ることになったのは―――」

 

まだ極東にいたころから始まって。

あれよあれよとイシュタルに見初められ彼女の眷族になった。

 

「殿方に春をひさいでお金を頂く……それが娼婦としての私の日常でございました。イシュタル様は私が『階位昇華(レベルブースト)』を発現させるとそれはもう狂ったようにお喜びになりました」

 

何度も部屋にやってきた男達を相手したこと。

望んだ生活ですらない日常に何もかも諦め、娼婦のお姉さん達を碌に会話もしなかったこと。愛想がないと呆れられたこと。イシュタルは決して自分を無碍に扱わず衣食住を保証していたこと。発現した妖術に狂笑を浮かべていたこと。そして、自分は魔道具の素材であったこと……すべてを話した。

 

「私の身体は決して綺麗などではないのです。とっくに汚れていて、なのに、あの方は……あの子は、私を救ってくれたのです」

 

イシュタル相手に「助けて見せろ」と言わせたと後から聞いた。

戦争遊戯では、彼は唇1つで格上の剣客を打倒しちゃったこと。

巨大な雄牛を最後には討ち取ったこと。

そして……『淫蕩のバビロン』の話を、彼は結末を書き換え春姫の心を救ってくれたこと。

 

「そして派閥を追い出された私を、ベル様が誘ってくださったのです」

 

どこから彼のことを意識するようになったのか正直わからない。

でもきっと救ってくれたあの時から春姫にとってベルは英雄だったし、派閥に来るかと手を差し伸べられた時から春姫にとってベルは特別な存在だった。

 

「貴方も苦労をしていたのね……でも、素敵な出会いに巡り合えた」

 

時折、相槌をうっていたアストレアはそう言う。

語り終わってみれば、整理をつけられたおかげか随分と気持ちが落ち着いたような気がする。それと、少し恥ずかしい。顔が熱くなってつい俯いてしまう。それが可愛らしかったのかアストレアはくすりと笑うと春姫の頭を撫でた。

 

「アストレア様」

 

「何?」

 

俯いていた顔をあげて、アストレアの目を見る。

彼女は春姫の言いたいことがわかっているかのように、けれどそれを聞かせて欲しいと真っ直ぐ見つめていた。

 

「彼に……会いたいです」

 

「ええ」

 

「好き、なのです」

 

「ええ」

 

「彼の、あの子の、力になりたい」

 

「ええ」

 

春姫はアストレアの【ファミリア】に加わって長い期間を経たわけではない。それでも濃い経験をした今、彼女の中で彼女だけの『正義』とやらが芽生え始めていた。瞳に力強さが戻りつつある春姫を見据えてアストレアは微笑を浮かべた。

 

「貴方に出会えて、良かったわ」

 

「………?」

 

「貴方は決して無力でもなければ無価値でもない。ただ役目が違うだけ。できることが違うだけ。貴方には貴方だけの『正義』があって、それが他の人とは少しだけ違うというだけのこと。だから胸を張りなさい」

 

神託を告げるように言葉を紡ぐ女神に春姫は瞳を震わせる。

そして、彼女の両手に1冊の本が握らされる。

 

「こ、れは……?」

 

「皆には内緒よ?」

 

悪戯でもするようにウィンクするアストレアに、思わず頬を染めてしまう。すべきことは終わったと「がんばって」とだけ言ってアストレアは病室から姿を消した。扉が完全に閉まり切り、気配が消えるまで春姫は深々と頭を下げると次に膝の上に乗る1冊の本を見つめた。

 

「………っ」

 

開く手が僅かに震える。

何せ高価な品だ。

もし何もなかったとなれば、謝っても謝り切れない。

 

「ベル様……」

 

瞼を閉じ、彼の顔を思い浮かべて。

そして勢いよく、本を開いた。

女神から贈られたそれは魔法を強制発現させるための『魔導書(グリモア)』だった。

 

 

――さあ、今一度、自らを見つめ直すべき時だ。

 

誰の声ともわからない声が脳に響いた気がした。

 

 

×   ×   ×

 

いくつもの墓が鎮座する。

『冒険者墓地』。その中でひと際大きな、とある英雄の墓の前にベルはいた。弱まったとはいえ降り注ぐ雨に全身を濡らして佇む姿は、亡霊のようですらあった。

 

「傭兵王……ヴァルトシュテイン」

 

またの名を、アルバート。

黒龍から片目を奪い取ったという大英雄だ。

首から下げるアイズから貰った『お守り』を握り締めて瞼を閉じる。

 

―僕は……『英雄』になる! これは僕が選んだ『物語(みち)』だ!

 

「この地獄の中でも、なれますか……?」

 

思い返した、あの好敵手との死闘の光景。

叫んだ宣言。

けれど道半ばと言わずに地獄へ堕ちた。

こんな自分が今更なれるのかと弱音を吐く。

解答してくれる者はいない。

鎮座する墓石は沈黙を守り続けている。

せめて貴方の名前を貸してください。

そう心の中で呟いて、振り返る。

 

「貴方は、悪者?」

 

小さな女の子だった。

綺麗な金の髪に金の瞳。

ああ、こんな感じだったなあと懐かしさを少し。

いつの間にいたのか、彼女はベルの後ろに立っていた。

膝を折り、彼女と目線の高さを同じにする。

こてん、と首を傾げる幼女。

 

「そう、見えますか?」

 

「………ううん。でも、すぐに死んじゃいそう」

 

ドンッとどこかで爆発音がした。

衝撃が墓地にまで届き、ビリビリと肌がヒリつく。

幼女もベルも音のした方へ顔を向けたが、すぐに互いの目を見つめ合った。

 

「そう、ですね……もう、死んじゃってると思います」

 

「?」

 

当時は怖さのほうが勝っていたけれど、ベルは立ち上がってすれ違いざまに彼女の頭を優しく撫でた。心地よさげに目を瞑った幼女は不思議そうな顔をしてベルの後ろ姿を見つめていた。

 

 

「人は『英雄』を何で判断すると思う? だっけ……」

 

墓地を後にするベルは、幼女を追って来ただろう王族妖精(ハイエルフ)とすれ違いながらそんなことを呟いた。下手くそな笑みを浮かべ、重たい身体を前進させ、死んだ後のこの地獄の世で、何ができるのかと思案しながら、『正義』の眷族らしく『悪』がひしめく場所へ向かっていった。

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