アーネンエルベの兎   作:二ベル

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怪物祭
アーネンエルベ①


 

 

 

 『怪物祭(モンスターフィリア)』。

年に一回開かれる【ガネーシャ・ファミリア】主催の催し。闘技場を一日中占領し、ダンジョンから引き揚げてきたモンスターを観衆の前で格闘し大人しくさせるまでの流れ――調教(テイム)を、見世物(ショー)としている。

 怪物祭(モンスターフィリア)は神々の酔狂から始まった催しではない。協力を約束している【ガネーシャ・ファミリア】が主だって進行こそさせているものの、企画そのものの発端は管理機関(ギルド)なのだと、毎年のように見物に行っているベルにアストレアはこっそりと教えた。ダンジョンからモンスターを地上に引き上げる行為そのものは危険だし、モンスターとは怖いものというのが常識であり、娯楽を追求するあまり危険の中へ片足を突っ込むのは本末転倒。

 

「聞こえはいいけれど、冒険者というのは荒くれ者、無法者達が大半を占めるの。彼等のマナーの悪さが時折一般市民との軋轢を生んで、治安への不満を募らせるのも事実」

 

「ダンジョンから生まれる魔石(りえき)を効率よく回収したいギルドとしては、迷宮探索に繰り出す冒険者達は養護しないといけなくて、だからフィリア祭は『モンスターとの友好』というより、市民へのガス抜き・・・・でしたっけ?」

 

「あら、よく覚えたわね。偉い偉い」

 

「毎年聞いてたら嫌でも覚えますよ?」

 

「ふふ、それもそうね。 こほん・・・だから、この時期だけはギルド職員も警備にあたってるアリーゼ達も少し神経質になるの。問題が起きませんようにって」

 

「・・・今朝、すごい悔しがってましたもんね」

 

 

 アストレアが神の宴へと出向いて四日後の今日、ベルとアストレアは二人で『怪物祭(モンスターフィリア)』へと出向いていた。神の宴が行われていたその晩は、ギリギリまでアストレアが帰ってくるのを待っていたベルではあったが、睡魔には敵わずソファで眠り落ちてしまいアリーゼに抱えられて神室のベッドへと運ばれた。翌朝目が覚めると、目の前にあったのは大きな乳房で、薄布越しとはいえ呼吸と共に動くソレに思わずぎゅっと抱き着いて顔を埋めて、アストレアが帰ってきたのだと喜んで何度もベルは頬ずりをした。するとベルが起きたことに気が付いたアストレアは抱き着いてきたベルを抱きしめ返して頭を何度も撫でまわし「ただいま」と優しく微笑み、眷族の一人が起こしにくるまで、神の宴はどうだったとか、帰ってくるまで待ってたけど眠ってしまったとか、そんな会話をして時間を潰していたのだった。そして現在、ベル以外の眷族達は全員が警備に駆り出され二人はこうして逢瀬(デート)を楽しんでいる。昔は小さかったベルの手を握って、或いは抱いていたが今は背丈もほぼ追いつき肩を並べている。そんなベルの体の成長を改めて感じたのかアストレアはふふっと笑みを零した。

 

「?」

 

 どうかしたのかと小首を傾げるベルに、アストレアは手で口元を隠して軽く謝罪してから改めてベルの手を握った。指を絡めて、恋人のように。

 

「身長がすっかり追いついてきたと思っただけ。あっという間に子供は大きくなるのね」

 

「小さいほうが、アストレア様は好きですか?」

 

「そんなことはないわ。昔のベルも可愛かったけれど、今のベルも可愛いもの。最近は私達を異性として意識している時もあるし・・・ほら、こうして指を絡めて手を握ってるだけでベルがドキドキしているのがわかるわ。それがとても嬉しい」

 

「ぼ、僕ももう、子供じゃない、ですからっ」

 

「あらあら・・・ごめんなさいね? まさか私も私の手でベルが大人の階段を一歩昇るとは思わなかったの・・・力加減って大事だということを改めて学んだわ」

 

「そ、その話はもういいですから!」

 

「でもベルったら意識してくれるのは嬉しいけれど、寝ぼけて私に抱き着いて胸に頬ずりしてくるし・・・。慣れかしら?」

 

「・・・いやでした?」

 

「いやではないわ。むしろ甘えてくれるのは嬉しいと思う。 それに、ベルが自分の部屋で眠れないのは仕方のないことだし、今更、ベルなしで眠れる気がしないわ・・・だってベルったらすごく抱き心地がいいし、髪の毛の触り心地もいいし、寝顔がいくつになっても可愛いし・・・つまり安眠効果があるのよ」

 

「ア、アストレア様も寝顔が可愛いですよ?」

 

「あら、見られちゃってたのね」

 

「はい、見ちゃいました・・・綺麗だなって思って、唇とかほっぺとか触っちゃうくらいには」

 

「あらあら・・・今度から私も眠っているベルに悪戯、してみようかしら」

 

 

 イチャイチャ、イチャイチャと周囲の喧騒お構いなしに二人で楽しそうに笑いながら賑々しい雑踏の中を歩いていく。大通りに並ぶ出店の活気は一向に衰えない。売り出される品物は歩きながら手軽に食べられる料理などが目立つ中、怪物祭(モンスターフィリア)にちなんだ小物やアクセサリーなどもある。本物の武器を並べた屋台まで出揃っているのは迷宮都市(オラリオ)だからこそと言っていいだろう。遠方で打ち上げられる花火が、大きくも小気味良い音を抜けるような青空にばらまいていく。

 

「ベル、クレープを買ってもいいかしら?」

 

「? いいですよ?」

 

「ベルは甘いものが苦手みたいだから・・・そうね、一緒に食べましょうか」

 

 屋台までいくとアストレアはクレープを一つ店主から購入し、繋いでいた手を離して両手持ち、ベルの口元に白いクリームの詰まった焼き菓子を持ってくる。

 

「あーん」

 

「・・・ふぁっ」

 

「「ふぁっ」じゃないわ。あーん、よ。あーん。()()()()()()()()()でしょう?」

 

「・・・!?」

 

 アストレアの言葉が聞こえたか、屋台の店主と周囲の男性陣からものすごい嫉妬の籠った殺気を向けられ、ベルは肩を揺らして顔を青くした。祭りの空気に当てられたのか、アストレアはニコニコとしていて浮かれまくっている。

 

「どうしたの? そんなに甘いものが嫌だったの・・・?」

 

「そ、そういうわけじゃなくて・・・何もここじゃなくっても・・・」

 

「出来立ての方が美味しいでしょう?」

 

「うっ・・・」

 

 いつもと反応が違うベルに、小首を傾げて「これが反抗期なのかしら・・・」と若干暗い表情になるアストレアにベルは言葉を詰まらせる。周囲の目線など気にしていないか気が付いていないアストレアを待たせるわけにもいかず意を決して彼女の持つクレープへと口をつける。ぱくり、と噛みついて千切る。口の中に甘味が広がって、けれど「女神様のあーん」を堪能するベルを見る周囲の男たちの「おい何処かに壁殴り代行はいねーか」「砂糖吐きそう」「あの兎、殺したらダメなのか」「ダメに決まってるだろ、【静寂】が化けて出るぞ」などなどと言った言葉が聞こえてくるせいで味わえるものも碌に味わえない。ごくり、と飲み込んで閉じていた目を開けたベルは目の前でニコニコしているアストレアからクレープを受け取ると、お返しをした。

 

「はい、アストレア様」

 

「ふふっ」

 

「・・・あ、あーん」

 

「あー・・・ん」

 

 目を閉じたアストレアは小さく唇を開き、そこへゆっくりとクレープを近づけていくと、ぱくりっと可愛らしい唇が、口付けをするように焼き菓子を小さく食べた。瞼を開けた彼女は満足そうに、眷族達に自慢できることができたとばかりに笑い、もう一度、クレープをぱくっと口にする。柔らかそうな頬っぺたが美味しそうに動く。

 

「あ・・・」

 

「むぐむぐ・・・?」

 

「アストレア様、ほっぺにクリームが」

 

 生地から溢れ出てしまった中身がアストレアの頬に付いてしまったのを見て、ベルは反射的にその白い塊を取ってあげようと指を伸ばし、掬い取る。そして掬い取ったソレを、自らの口に入れた。ぱくり、ぺろりと。

 

「・・・・っ!」

 

 さすがにそんなことをするとは思わなかったアストレアはここで初めて顔を赤くした。目を丸くして、びくりと。そんなアストレアにベルはしてやったりと笑みを返した。耳を真っ赤にしながら。

 

「ベ、ベル・・・・どこでそんな高等テクニックを・・・これが『技』と『駆け引き』だというの・・・?」

 

「・・・アーディさんが女の子はこうしてあげると喜ぶよって」

 

「アーディに今度金一封ね」

 

「?」

 

 さすがにいつまでも屋台前にいるわけにもいかず、再び手を取って歩き出す。自然と二人の指は絡んで恥ずかしながらも、るんるんとしながら。口は自然と笑みを浮かべていて、幼い時から姉達よりも一緒にいることが多い女神と少年は人通りの間を縫っては一緒にメインストリートを駆け回る。

 

 

「・・・・アストレア」

 

 闘技場の外周部に当たる場所まで来たところで、ある男神がアストレアに声をかけてきた。ボソボソとした聞きなれない神の声に小首を傾げたアストレアとベルは振り返ると、そこには確かに男神が。祭りに参加するにしてはあまりにも似つかわしくない恰好で、如何にも作業中に抜け出してきたかのよう。表情は長い前髪のせいでよく見えず、白色の作業衣に茶色の手袋という姿にほのかに香るのは酒の匂い。彼の名はソーマ。【ソーマ・ファミリア】の主神にして、趣味神と言われている神物だ。ただ、振り返ったところにぼんやりと立っている彼は、ベルでさえ不敬とわかっていても『幽霊』と思ってしまうほどで、アストレアは思わず肩を揺らしてしまう。

 

「ソ、ソーマ? あ、貴方がフィリア祭に来るなんて珍しいわね」

 

 内心、いきなり背後から声をかけられたことに驚いているアストレアは無意識にベルの手を握っている手に力を入れる。例えどんなに温厚で慈悲深く優しい女神であろうと、振り向いたら幽霊のように誰かが立っていれば悲鳴もあげたくもなる。悲鳴を上げないだけ、凄いのだ。ソーマはアストレアの言葉を聞いているのか聞いていないのか、やっぱりとどこかぼんやりとしたような雰囲気で、疑問を頭に浮かべながらベルとアストレアが小首を傾げるとようやく口を開いた。

 

「・・・・俺の眷族達も、屋台を出している」

 

「・・・あら、そうなの? 『神酒(ソーマ)』は売っていないでしょうね?」

 

「ああ・・・お前の眷族にもきつく睨まれている・・・あの娘はおっかない」

 

「輝夜は別に悪くないでしょう? 元はと言えば、貴方が派閥の管理をしっかりとしないからであって―――こほん、この話はやめておきましょうか」

 

「・・・・アストレア様、この神様は?」

 

「彼はソーマ。お酒を造るのが趣味で・・・どういえばいいのかしら、趣味神と言われるものよ。それよりソーマ、何か用があるのでしょう? あんまり屋台を留守にしていると眷族に怒られるのではなくて?」

 

「・・・・「貴方がいると客がむしろ寄ってこない」と言われた」

 

「・・・・・」

 

 ベルは思わず、アストレアの横顔を見つめた。「この神様、大丈夫ですか?」という感じで。アストレアは微笑みを引き攣らせているし、周囲は「なんだなんだ?」「またソーマ君がやらかすか?」「昔、【大和竜胆】に『神酒(ソーマ)』捨てられて枕を濡らしたって聞いたんだけど?」などと若干ざわざわとし始めて、というかベルの耳に一人の極東のお姫様な姉の顔がチラついて、ブンブンと頭を横に振って聞かなかったことにした。あのお酒好きなお姉さんが酒を捨てるだなんて、あるわけナイナイと。

 

 【ソーマ・ファミリア】はソーマが酒造りの資金集めのために設立されたものだった。がしかし、ソーマ自身にファミリア運営に意識を割かず当時の団長、ザニス・ルストラに丸投げしていたことで私物化されていたことで多方面に問題を起こしていた。ソーマ自身は「眷族達の起爆剤になれば」と褒美に『神酒』を与えたものの酒の力に簡単に溺れ挙句躍起になってお互いを蹴落とそうとする醜い争いまで始めた眷族達に失望していき、次第に関心をなくしていった。抗争が起こっている時期にも犯罪紛いの活動をしていたが、闇派閥と言われるまでの活動はしていないために「闇派閥の起こす凶行と比べると優先度が低い犯罪」と判断され、問題解決が後回しになっていた。

 ベルが9歳の頃に、ギルドの換金所でも彼の派閥の団員がもめていたり、他派閥の冒険者達などに中毒症状のようなものを持つ者が現れていたため、改めて【アストレア・ファミリア】――ゴジョウノ・輝夜によって取り調べが行われ、『団長による派閥の私物化』が露見され主神のソーマも派閥運営がずさんだったために一度派閥の活動を強制停止させられる措置となったのだ。無論、完成品の『神酒』の製造は派閥の活動が再開された今現在でも禁止されている。

 

「眷族を・・・探している」

 

「眷族?」

 

「ああ・・・・いつの間にか、いなくなっていた」

 

「い、いなくなっていたって・・・」

 

「これくらいの・・・小さな子だ・・・ずっと、探している」

 

 ソーマは眷族達に自分がたいして敬れていないことをたいして気にしていないのか、迷子を捜すかのようにアストレアに問い詰める。自分の腰辺りに手を持ってきて何もない空間を不器用な手つきで撫でる。

 

「俺の部屋で、『じゃが丸君』を食べて眠っていた子だ・・・・・・団長(チャンドラ)と団員の身辺整理をしていたら、指摘された。「なぜ食べもしないのにじゃが丸君を置いているのか」と」

 

「・・・貴方、そこまで眷族のことを気にしていなかったの?」

 

「・・・・・・」

 

「はぁ・・・まったく・・・それで、いつからいないの? 申し訳ないのだけれど、行方不明者は決してゼロではないのよ? 私達やガネーシャにだって手の届かないところは必ず存在するわ」

 

「・・・・恐らく、お前の眷族が介入した頃には」

 

 

 数年前の話を突然言われても・・・と流石にベルでも思った。ベルの知る神は変態(ロキ)痴女(フレイヤ)優男(ヘルメス)乳神(デメテル)などなど個性豊かな神々がいるが、どの神も形はそれぞれ違えど愛しているのだとは思える。だからソーマのような神は初めてでイマイチ理解できないでいた。アストレアは困ったように眉間を摘まんで唸るも御用となった眷族もいるのだから、そこにいなければわからないとしか言いようがない。ソーマにそれを聞いてみれば、もう既に【ガネーシャ・ファミリア】には行っていると答えるし、探すにしてももっと早く言って欲しいと抗議したくなってまた溜息。眷族探しを――いや、眷族のことを気にするようになっただけマシと思うべきだと結論付けて、自分の眷族達にもそれらしい子がいないか聞いてみると伝えた。

 

 

「・・・すまない、邪魔をした。栗色の髪の子を見かけたら・・・」

 

「わかったわ。 貴方も、お酒造りに夢中になり過ぎてはダメよ? ちゃんと眷族達のことを見てあげないと何も変わらないのだから」

 

「・・・・ああ」

 

 

 そのまま、ソーマはゆらゆらと根暗という言葉が似合うほどに沈んだ空気を纏って姿を消していった。消えていく背中を見届けて再び溜息をついたアストレアは隣で静かに話を聞いていたベルの頭を撫でてニコリと微笑んだ。

 

「ごめんなさいね、少し長話をしてしまって」

 

「いえ・・・でも、探せるんですか?」

 

「うーん・・・・探しているということは、『恩恵』はあるということなのよね・・・。ただ、行方不明者って決してゼロではないし・・・うーん・・・栗色の髪の子で身長が腰くらい・・・」

 

「あの、数年前からってことなら今は身長が同じとは限らないんじゃ・・・」

 

「・・・・」

 

 

 ベルの指摘に、再び「はぁぁぁぁぁ」と長く、重たい溜息をつくアストレアであった。若干落ち込むアストレアを宥めながら闘技場の外周を歩くようにしていると道中、数名の【アストレア・ファミリア】の団員と目が合って手を振り合ったり女神との逢瀬をからかわれることもあったが、楽しい時間であることに違いはない。あとは闘技場の中にでも入って祭の顔と言ってもいい調教(テイム)を見に行こうかというところで。

 

 

「――――?」

 

「・・・どうかしたの、ベル?」

 

 前触れなく足を止めたベルを、一歩前に出たアストレアはキョトンとした表情で振り返る。ベルはアストレアへの返答も忘れ、引き寄せられるように周囲を見回した。何か、勘とでも言うべき何かが引っかかったような気がして。

 

「・・・悲鳴?」

 

 まだ冷め切らない祭のざわめきとは別の、何か切迫じみた、鋭い声が、呟きが口から零れ落ちた瞬間。次にはさらに大音声となって響き渡った。

 

「モ、モンスターだぁああああああああああっ!?」

 

 凍り付いたかのように、平和な喧騒に満ちていた大通りは一瞬言葉を無くす。

そして、ベルは、アストレアは見た。

闘技場方面から伸びる通りの奥。

石畳を激しく蹴る音を従わせながら、純白の毛並みを持つ一匹のモンスターが、荒々しく突き進んでくるのを。

 

 

×   ×   ×

ベルとアストレアが騒動に巻き込まれる少し前。

 

 

 光源が心もとない、暗く湿った場所だった。

天井から吊るされている魔石灯は一つを除いて沈黙し、部屋の至るところに影を作り出している。一M(メドル)四方の木箱が辺りに散乱しており、周囲はどこか雑然とした印象。壁には武器を始めとした様々な道具が立てかけてあった。一見して倉庫のように見える薄暗い空間には、いくつもの『檻』があった。鎖に繋がれた多数のモンスターが閉じ込められており、金属の擦れる音が頻りに鳴る。鉄格子の隙間に鼻づらを突っ込む犬型のモンスターが、牙を剥きながら唸り声を上げていた。地下部に設けられた大部屋。闘技場の舞台裏、言うなればモンスターの控え室だ。モンスター達はここから担当の者によってアリーナへ檻ごと運ばれる手筈になっている。地上に上げられた際に束縛を解かれ、中央フィールドにいる調教師(テイマー)と相まみえるのだ。

 

 

「ごめんなさいね」

 

 

 そんなモンスター達の控え室に似つかわしくない存在が――彼女がいた。周囲には四名の運搬係と、彼等がいつまでたってもモンスターを上げないことに急いで様子を見に来た一人の女性が倒れている。外傷なし、呼吸あり。ただ糸の切れた人形のように、力という力が全身から抜けていた。それは女神(かのじょ)によって自由を奪われた結果だった。

 

 

――動かないで?

 

 

そっと後ろから、恐ろしく滑らかな肌触りのする細い手が、目隠しをした。

次には、鼻腔を舐める甘い香りが、密着してくる肉の柔らかさが、肌を通じて感じる温もりが、彼女の感覚という感覚を麻痺させ、底知れぬ『美』が覆いかぶさった。

 

信じられない『魅了』。

視界外からの『魅了』。

下界の住人では到底抵抗できない『美』に頭は真っ白になり思考などできなくなり意識が断線した。

檻の鍵を求められ、条件反射のように従い、そして今【ガネーシャ・ファミリア】の眷族達は倒れ伏しているのだ。

 

 彼女には――フレイヤには戦う力は皆無だ。下界にいる限り彼女は無力な神の一人でしかない。だが、彼女には異常なまでの『美』があった。いや彼女自身が『美』そのものだった。理性では制御しきれない力。ヒューマンや亜人は勿論、神々にさえ及ぶその支配力は圧倒的だ。彼女がその気になれば何人たりとも忘我の淵に叩き落すことができる。彼女はこの場所に訪れるに至って、文字通り立っていられなくなるほど、男女問わず相手を骨抜きにしてきた。『魅了』してみせた。不意打ちまがいのことをすれば、彼女でもこのような芸当は可能だった。

 

フレイヤは崩れ落ちた女性を置いて大部屋の中心で足を止めていた。

周囲にはモンスターを閉じ込めた大小の檻がいくつも並んでいた。捕らえられているモンスター達は興奮しているのか、フレイヤに四方八方から吼え声を浴びせかける。しかし、彼女が被っているフードを手にかけた瞬間、けたたましい声はぴたりと止んだ。

 

『・・・!』

 

 絶世の美貌が晒され、雪のような白皙の柔肌がモンスター達の視覚を打ち、溢れ出たぞっとするような芳香が彼等の動きを縛った。輝かしい銀の瞳と銀の髪に、獣達は釘付けとなる。凶悪なモンスター達でさえ、彼女の美の対象外にはなりえなかった。やがて彼女は吟味するようにモンスター達の顔をなぞって、ある一点で視線を止める。そのモンスターは真っ白な体毛を全身に生やしていた。ごつい体つきの中で両肩と両腕の筋肉が特に隆起しており、フレイヤと同じ銀色の頭髪が背を流れて尻尾のように伸びている。野猿のモンスター『シルバーバック』は、その瞳をぎりぎりと見開き呼吸を荒くしながら、女神の眼差しを受け止める。

 

「・・・貴方がいいわ、出てきなさい」

 

 手に入れた鍵を使って檻の錠を解くとシルバーバックはフレイヤに従うように鉄格子から一歩歩み出た。繋がれっぱなしの鎖がジャラリと鳴る。モンスターを解き放つ、ともすれば危険な行為。自由奔放な女神の傍迷惑すぎる気まぐれ。目的は、たった一つ。

 

 

――あの子ももう、14歳。

 

 フレイヤは想う。少年、ベル・クラネルのことを。

 

――今のまま平穏を享受しているあの子もいいけれど・・・くすぶったままだなんて勿体ない。

 

 フレイヤの眼には見えていた。ベルがダンジョンに行っていないにも関わらず、凄まじい速度で成長しているのを。だがしかし、義母(だれか)の言いつけを守るように、一歩踏み出すことができずくすぶっていることも見抜いていた。だから、ちょっかいを出したくなってしまった。

 

 

「炉にくべた鉄が剣になれずにいるみたい・・・・そんなの勿体ないわ」

 

 お気に入りの子供に、悪戯をする。まるでそれは子供のようだとフレイヤは笑う。けれど、止まらない。ベルの泣く顔も、困った顔も、笑った顔も彼が6歳の頃から知っている。けれど未だ一度も見たことがない顔がある。彼の―――『勇姿』を。

 

「『英雄』にならなくてはならないのでしょう? 」

 

次の瞬間、フレイヤはモンスターの額に唇を落す。

咆哮が、轟く。

 

 

 

――――さぁ、頑張ってね?

 

 

 

 

×   ×   ×

東と南東メインストリート間。

 

 

 日の光がきらめき、飾り付けられた何枚もの旗が陽気にはためく大通りに、異色な存在が一つ、場違いのように紛れ込んでいる。辺りから悲鳴が木霊する中、ベルとアストレアは走っていた。

 

 

「アストレア様、あれってなんだか、アストレア様を狙ってません!? 知り合いですか!?」

 

「初対面よ! 私にモンスターの知人はいないわ!」

 

 

 辺りから悲鳴が木霊し一人の少年と一柱の女神は逃走していた。

後ろからは尻尾と見間違える長い銀の髪を持つモンスターが唸り声を上げている。両手首には無理矢理引きちぎられた跡のある鎖がぶらりと垂れ下がり、地面の上でとぐろを巻いていた。

 

 そのモンスターの名は、シルバーバック。出現階層は十一。

 

 モンスターは迷いなくベル達へと直進し、何度も襲い掛かってくる。ベルはその襲撃を何度となくアストレアを攻撃がくる方とは別の方向へと追いやるもシルバーバックが進行方向を修正したことで狙いはアストレアだとわかり無駄に終わった。アストレアの手を細い手を握り締めながら悲鳴じみた声で「浮気ですか!?」「そんな趣味はないわ!」などと言い合い、互いに不安を押し殺すように手を握り返す。手当たり次第に人を襲うモンスターらしからぬ、まるで()()()()()()()()()()()()明確な意志で動くシルバーバックに答えが見つからない疑問を抱えながら、ベルはアストレアを連れ逃げ回る。

 

『フゥーッ、フゥーッ・・・!』

 

「っ・・・凄いわベル、貴方・・・意外と成長していたのね」

 

 手を握り、走るのに決して適しているとは言えないロングスカートを摘まみ上げて走るアストレアは汗を滴らせ、息を切らす。自らの眷族が何度もシルバーバックの襲撃を躱せていることに驚きを孕みつつか弱い体に必死に鞭を打ち走る。

 

「アストレア様・・・・ごめんなさいっ」

 

「へ? ――――きゃぁっ!?」

 

 路地裏に入り込み右に左に角を曲がる中、ベルがアストレアが限界なことに気が付いて謝罪の後すぐに横抱きに抱え、あらん限りの速度をもって路地裏から外へ――メインストリートへと再び飛び出した。横抱き――御伽噺の中で英雄達がよくやっているお姫様抱っこをされるアストレアは、ベルの胸の中で顔を真っ赤にしながら両手で口元を覆いながら、唸った。

 

「あ、あんな・・・私やアリーゼ達に抱きかかえられていた小さかったベルが・・・私を・・・!?」

 

「アストレア様?」

 

「「アストレア様だっこ!」って言っていたあの小さなベルが!? 私を!?」

 

「アストレア様っ?」

 

「ごめんなさいベルっ。私はこんな状況だというのに、心から幸せを感じてしまっているわっ・・・・!」

 

「どうしたんですかアストレア様ぁ!?」

 

「だって・・・今のベル、十割増しくらいには格好よく見えるんですもの・・・! いつもの可愛いベルが、こうも・・・ああ、貴方の主神でよかった・・・!」

 

「帰ってきてくださいアストレア様ぁ!?」

 

「貴方は私の誇りよ!」

 

お姫様抱っこ(こんなこと)で!?」

 

 

 少女のように頬を染め、ひしっ、と抱き着いてくるアストレアを、がしっ、と掴まえ、思う存分に脚力を発揮する。咄嗟とはいえ女神を抱きかかえることができていることに内心驚いているベルだが日々の『ライラちゃんブートキャンプ』なる無茶ぶりをこなしているためか彼女よりも体力の問題はなかった。問題なのは、いつまで逃げればいいのかということだけだった。

 

「アリーゼさん達・・・・早く来ないかな」

 

「ベル・・・?」

 

「ぼ、僕・・・モンスターと戦ったこと、ないです。ライラさんは「お前は足だけは良い」って言ってたし実際、あのモンスターと距離を保ててますけど、でも・・・」

 

「・・・」

 

 

 護身なら覚えさせられた。でもそれは人間相手であってモンスターと実際に戦ったことがあるわけではなかった。ベルの身長よりも遥かに大きな巨体を誇る野猿のモンスターとの距離はベルの足が速いせいかまだ余裕はある。アストレアはベルが何故メインストリートに戻ったのかを理解して、自分の眷族達が追い付くのとシルバーバックが自分達に追いつくのはどちらが早いかを考えて口を開く。

 

「コホン・・・現実的な話をしましょう。さっきの悲鳴からして、逃げ出したモンスターは決してあのシルバーバックだけではないでしょうね。だとしたらガネーシャのことだから他派閥の冒険者にも協力を頼むはず・・・闘技場でのイベントそのものは余計な混乱を起こさせないために続行。アリーゼ達はそれぞれ闘技場の中と外を警備していると聞いてはいるけれど、この状況では配置場所はあまり意味はないでしょうね」

 

「闘技場の方に戻りますか?」

 

「ダメよ。今走っているストリートを路地裏を利用して迂回したらそれこそ、あのモンスターが建物を破壊して追いかけてきてしまう。そうなると被害が増えてしまうわ。ガネーシャのお財布が悲鳴をあげちゃう」

 

 よく見て。あのモンスターに取りついている鎖のせいでメインストリートに並ぶ屋台は被害を受けてしまっているでしょう? と後方を指さすアストレアにならってベルも一瞥する。モンスターが追ってくる間にも屋台から近くの建物には破壊という爪痕が確かに残されていた。じゃあどうするんですか?と助けの見込みがないことにベルが不安げにアストレアを見つめるとアストレアはベルの鼻っ柱に人差し指を添えて言った。

 

「ベル。()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「・・・・本気(ガチ)ですか」

 

本気(ガチ)よ・・・貴方のステイタスを考えれば、決して不可能ではない相手ではあるの」

 

「でも・・・・」

 

「モンスターの弱点は知っているでしょう?」

 

 胸の中にある『魔石』が砕かれれば、モンスターは絶命する。この常識を教えられているベルはこくりと頷く。不安げに瞳を泳がせるベルの頬を無理もないを優しく撫でてアストレアは「怖い思いをさせてごめんなさい」と謝罪をし、さらに告げる。

 

「『魔法』も使いましょうか」

 

「・・・・はい?」

 

「だから、『魔法』よ」

 

「・・・・」

 

「ベルの、ベルだけの、『魔法』」

 

 発現したのはアルフィアの死後。

まだ幼いベルに『魔法』があることを教えて好奇心で詠唱してしまったために大事故になってしまう可能性を危惧してアストレアがベルにも眷族達にも教えなかった唯一の武器。頬を引き攣らせたベルがアストレアへと目線を寄越すとアストレアは「好奇心で気が付いたら私も貴方も天にいました。なんてシャレにならないもの」と目を逸らして言う。

 

「アルフィアが亡くなった後に発現していたの。でも、攻撃魔法みたいだったから教えるわけにはいかなかったのよ」

 

「詠唱は!? 僕、それも知らないのに・・・っ!?」

 

「なら、私の後に復唱して頂戴。ちゃんと持ってきているから」

 

「・・・・その顔はずるいです」

 

「やって・・・くれる?」

 

「うぅ・・・わかりました、わかりましたよ! 英雄にならなきゃいけないんです、あれくらいどうってことありません!」

 

 しゅるり、とポーチから取り出した一枚の羊皮紙を口元に持ってきて上目遣い。隠し事をしていたことに対する謝罪を含んだ上目遣いだ。ずるい女神の『技』だった。ベルに自分を降ろさせ、二、三歩下がったところで詠唱を読み上げベルはそれを復唱する。

 

 

「【我等に残されし、栄華の残滓。 暴君と雷霆の末路に産まれし落とし(愛し)子よ。】」

 

「・・・我等、に残されし―――」

 

『――グルァアアアアアアアッ!』

 

 路地裏に入り込んだと思えば今度はメインストリートに出てきたベルとアストレアに視界をぐるぐると巡らせて真っ直ぐメインストリートを直進するシルバーバック。『魔法』の存在も知らなかったベルは直進してくる巨体に汗を一筋頬に垂らす。アストレアは自分でも割と無茶ぶりを彼にしてしまっていると自覚しながら声音はいつものように穏やかに、優しく、歌を一節、二節、三節と先行して歌う。

 

「「【喪いし理想を背負い、駆け抜けろ、雷霆の欠片、暴君の血筋、その身を以て我等が全てを証明しろ】」」

 

 直進してくるシルバーバックとの距離十五M。腕の動きと共に鎖が周囲を巻き込んで破片が飛び散る。獣の吼え声が、人の悲鳴が耳朶を叩く。瞼を閉じて必死に歌う。

 

『ガァアアアアアアアアアッ!』

 

「【忘れるな、我等はお前と共にあることを】」

 

 シルバーバックとの距離五M。腕を薙ごうと腰を右に捻り鞭のように鎖を振るう。

破壊される建物、木霊する悲鳴。ベルはアストレアに促されるように瞼を開いて完成した魔法を解き放つ。

 

 

「【アーネンエルベ】」

 

 

一条の雷電が地に落ちる。

 

 

野猿のモンスターが、頭を仰け反らせて後方へわずかに吹っ飛んだ。

 

×   ×   ×

闘技場周辺

 

 一本に結わえた赤髪を揺らす緑の瞳の美女が声をあげて、ギルド職員から【ガネーシャ・ファミリア】の冒険者、そして自らが率いる派閥の団員達と状況確認と指示を出していた。

 

「団長、モンスターを監視してた奴・・・と、そこに行くまでの道中にいた連中は息はあるけど意識なし!」

 

「負傷者は?」

 

「それもない! なんていうかこう・・・骨抜きっていうのかな? アストレア様に膝枕してもらいながら耳掃除をしてもらって気持ちよく寝落ちしたベル君みたいになってた!」

 

「・・・・・・・怪我がないならいいわ、もう既に運んだんでしょ?」

 

「ギルドと【ガネーシャ・ファミリア】がやってくれてる!」

 

「ならそっちはいいわ! 他、怪我人の有無! 闘技場から混乱して飛び出した人とか、いる?」

 

「ガネーシャ様が市民が騒ぎに気付かないように祭自体は続行させてる。 怪我人は・・・外にいた人達は少なからずいるけど重傷者はなし! というか偶然、闘技場の前まで来てた【剣姫】が軒並み倒しまくってくれてるから大丈夫そう!」

 

「OK! ギルドの人は住民の皆さんを避難・・・闘技場の中はダメね、中に入って話が広まっちゃうし・・・・うん、とりあえず安全なところに避難させてください。 脱走したモンスターは既に【剣姫】が全滅させたってことでいいのかしら?」

 

「んや、リオンと輝夜、あとセルティとイスカ達も自分達の所に来たモンスターは倒してる。ただ、あと一体がまだ見つかってないみたい」

 

 凛とした姿勢で状況を整理しつつ派閥外の者であろうが指示を出すアリーゼにギルド職員と都市の憲兵は従う。【アストレア・ファミリア】の全団員がその場に集っているわけではないが、彼女達は闘技場の内外を囲むようにその日は警備の眼を光らせていた。モンスターの調教(テイム)とはいえ、都市民のガス抜きなどと言われるイベントで都市の内外から人が押し寄せる催しだ。軽犯罪であろうと問題が起こる可能性は十分にあり得るために各々が配置された場所にいたわけだが、モンスターの脱走などという異常事態に彼女達とて内心驚きを隠せないでいる。それでも迅速に動けたのは、団長がアリーゼだからこそ、と言えるだろう。加えて、【ロキ・ファミリア】の【剣姫】、アイズ・ヴァレンシュタインが偶然にも主神と逢瀬しているところにトラブルを耳にし、風を纏って誰よりも早く討伐に当たっているのだ。討伐に当たっているのは、自分達のいる場所にモンスターが現れた輝夜達も同様で、人々にはモンスターを圧倒する女性冒険者とモンスターの討伐劇さえ、一種の見世物だと思う者さえいるはずだ。

 

「拍子抜けと言えば拍子抜けね。どこも大事にはなっていない・・・・誰がしたか、というよりも、何のためにしたのかが重要な気もするけれど・・・たぶん、下界の住人(わたしたち)じゃないわよね」

 

 アリーゼは唇に指を押し当てながら思考するも、それは今することではないとすぐに放棄する。モンスターの脱走という異常事態から市民の被害を防ごうと奔走するものの、蓋を開けてみれば、モンスターは誰にも危害を加えていない。アリーゼ自身がその目で見たが、まるで()()を探すかのように、闘技場の周辺を少々乱暴に徘徊していただけだ。何から何まで、何者かの手で踊らされているような感覚がしてならない。

 

「アリーゼ、脱走したモンスターは全部で九匹だが、あと一体、シルバーバックが見つかってねぇ・・・どうする?」

 

「市民の安全が最優先。でも・・・・八体がただの陽動? ううん、違う・・・・・・どのモンスターも何かを探していた・・・そして一体が、シルバーバックが・・・・見つけた?」

 

 小人族(パルゥム)のライラが、アリーゼに指示を仰ぐもアリーゼは悶々と思考を回していた。そして、ハッとしたように周囲を見渡して見知った顔が二つないことに気が付いた。

 

「ライラ、リャーナ、ネーゼ、ベルとアストレア様って今日見た?」

 

「『本拠』を出るとき、アリーゼが寝てる兎の頬に接吻してるのなら見た」

 

「やだライラったら、私とベルのお楽しみを覗いちゃ駄目じゃない―――って違う、違うわよ」

 

「『本拠』でアストレア様に抱き枕にされて寝ているベル君がアストレア様のお胸に頬ずりしているのなら見たけど?」

 

「羨ましいわよねリャーナ。ベルったら意外とやきもち焼きなのよね・・・アストレア様と孤児院に行った時は不機嫌になるし、私がアストレア様のお胸をお借りしたら、すっごいシャツを引っ張ってくるんですもの。そこがまた可愛いんだけどね? ―――ってそれでもないわよ」

 

「『本拠』を出る前にリオンが神室の前を行ったり来たりしながら「やはり彼に挨拶していくべきでしょうか・・・いや、アストレア様も眠っているというのに起こすのは可哀想だ・・・いやしかし、黙って出て行くのもそれはそれで・・・」とかなんかアホやってたのは見たけど」

 

「ネーゼ、その話あとで詳しく。今度リオンを可愛がるのに使うから。あと、それでもないわ。なんなの、三人ボケなきゃダメなの?」

 

 的確にボケを入れてくる三人に一つ一つツッコむアリーゼ。

悪かった悪かったとライラが平謝りして、少なくとも私は見ていないと答えそれにリャーナも同じと答えた。

 

「東のメインストリートの辺りで見た」

 

「ネーゼ、そういうのもっと早く言って。後で尻尾踏むわね」

 

「やめろぉ!? 笑顔で言うなぁ!?」

 

「じゃあネーゼ、ここは貴方に任せるから!」

 

「あーもう、わかったわかったよ」

 

「ライラ、ベルとアストレア様がこの騒ぎに巻き込まれてる前提で聞いていいかしら?」

 

「あん?」

 

 主にベルの鍛錬はライラが指導している。アリーゼ、輝夜、リューでは階位がそもそも違いすぎて大怪我させかねないからだ。実際、アリーゼは一度だけベルの額を割っている。教官役のライラは「なんだよ」とアリーゼの言葉を待ち、アリーゼは頷いて聞く。互いに東のメインストリートへ向けて歩を進めながら。

 

「ベルはモンスターと戦ったことはないでしょう? だから、対応できるのかって」

 

「ステイタスは見てるんだろ?」

 

「そりゃあ少なからず・・・」

 

「何か『偉業』を成し遂げればランクアップ可能だろうなってくらいには上がってる。10歳からの4年間で馬鹿みたいに伸びてるし・・・・正直、あのスキル(チート)が羨ましい限りだし冒険者やってねえのが勿体ねえって思えるくらいだ。」

 

「戦えると思う?」

 

 10歳からベルは護身も兼ねて、虐め抜かれている。多少やり過ぎて何度か脱走したこともあったが、4年間の間にランクアップが可能なほどには数値は伸びていた。それはアリーゼも知ってはいたが、交戦していたのは人間だし、モンスターと戦うのとはまた別。器は良くても心はどうなのかと心配していた。ライラは少し考えてから、大丈夫だろ、と軽く答えた。

 

「あいつ、元々足はいいからな・・・最悪、アストレア様と逃げるだろうよ」

 

「モンスターに対する知識は? 私、ライラにあえて任せっきりだったんだけど・・・」

 

「任せっきりなのはまぁ・・・他の連中があれこれ口挟んだら混乱するからだろ? ちゃんと教えてるよ、皮膚を貫けるのなら、『魔石』さえ突いてしまえば理論上、冒険者はあらゆるモンスターを殺すことができるってな」

 

「・・・・ベル、巻き込まれてなきゃいいんだけど」

 

 

 心配を胸に、東のメインストリートから逃げてきただろう市民達が「アストレア様がやべぇ」だの「あの白髪の子とアストレア様が追いかけられてる!」だの『グルァアアアアアアア』だのそれっぽい言葉が聞こえてやがて速度を上げて走り始めた。それとほぼ同時に、雷が落ちる音がアリーゼ達の耳朶を震わせ、思わず身を竦ませてしまう。

 

 

「・・・・雷、落ちた?」

 

「いえ・・・快晴よ?」

 

「魔力・・・感じるわ」

 

「魔力・・・だな」

 

 

 冷や汗がツーっとアリーゼとライラの頬を伝う。知らないぞ、あの兎に『魔法』があったなんて。いや、なんか魔力がちょびっとだけ上がってたのは知ってたけど、ステイタスに表記されてなかったし。アストレア様が隠し事?いやいやまさかまさか・・・と頬を引き攣らせる。やがて見えた景色は、シルバーバックを倒し、()()()()()()()()に吹っ飛ばされるベルの姿だった。

 

 

×   ×   ×

とある人家の屋上。

 

 

「やっぱり・・・『魔法』を隠し持っていたのね」

 

 ベルのいる付近一帯を一望できる高所で、フレイヤは呟いた。

銀瞳の視線の先には、護身用のナイフをぎゅっと握りしめて初めて使用する『魔法』に驚きを禁じ得ないベルの姿がある。何せベルとシルバーバックの間には雷電を走らせ、下着も同然の恰好をした髪の長い美女が片足を上げた姿勢で固まっているのだから。青空に囲まれながら、お気に入りの子供の姿に頬を染めるフレイヤは少年の小さな背中をうっとりとしながら見つめて笑みを浮かべた。

 

 

「さぁ、ベル・・・・『英雄』を始めましょう?」

 

 

 フレイヤの視線に気づいたのか、ほんの一瞬、びくりと反射するようにベルが振り返ったがシルバーバックの吼え声によってすぐに視線は元に戻る。

 

 

×   ×   ×

東メインストリート。

 

 

 落雷が起きた。

 雷が、落ちた。

それが、ベルの唯一の『魔法』なのだと言うように。

天の怒りが地に突き刺さるように、ストリートの石畳は焼け焦げ、小さなクレーターを生み出した。それだけでなく衝撃に巻き込まれたか人家や屋台のガラスは砕け、火さえついている。しかし、それよりも、それ以前に、ベルが驚いたのは目の前にいる存在だった。背後にゆらりと佇む集団(まぼろし)だった。

 

 

―――『  』になりなさい。

 

 夢の中で見た実母(だれか)が、赤子のベルを抱きながら言ったその光景が一瞬、フラッシュバックする。それと同じくして、銀と金の二つの視線をベルの背後の集団に感じ取り、びくりと体を揺らして振り返る。

 

 

「・・・・?」

 

『―――ゴァアアアアアアアッ!』

 

「っ!」

 

 前方からシルバーバックの吼え声が木霊し、視線をすぐに戻す。背後に謎の恐怖心を抱きながら、『魔法』に恐怖しながら、前方にいる存在を視界に収める。落雷が落ちた場所、シルバーバックとベルの間に立つ一人の女性。下着も同然の恰好で、その全身は白に近い青、そしてバチバチと雷電を走らせ蹴り上げた片足をやがてゆっくりと地に下ろし、ベルへと振り向くようにしてすぅーっと消えていった。シルバーバックは、彼女に蹴り飛ばされたのだ。

 

女戦士(アマゾネス)・・・・?」

 

 ベルから少し距離を開けて見守っていたアストレアは神生二度目のベルの『魔法』に、やはり驚愕に染まる。ステイタスには事細かく詳細は記されてはいないし、初めて使った際は幼かったベルは精神枯渇(マインドダウン)で意識を失っていたから。シルバーバックの吼え声を聞いてアストレアは肩を揺らし、ベルに声をかけた。

 

「ベル、胸の中心を狙いなさい! たった一撃。たった一撃でいい! そのナイフが相手の皮膚を貫けるなら、貴方はそのモンスターを打ち倒せる!」

 

「はぁ・・・はぁ・・・・っ!」

 

「貴方ならできる。 だって貴方は私、女神アストレアの眷族なんですもの。ベル、貴方は―――」

 

『ガァアアアアアアアアッ!』

 

 何やら震えているベルの背にアストレアは言葉を投げる。大丈夫、貴方には私がついている。貴方ならできる、と。

目指すべき場所は、相手の胸部その一点。ぐんぐんとシルバーバックが迫ってくる。凝縮されたかのような時間の中、中途半端に腕を振り上げた格好の敵は、その瞳に怒りを宿しながら硬直していた。

 

「貴方は――私の、アルフィア(かのじょ)達の誇りよ」

 

 トン、と背中を押されるようにベルが一歩前に足を動かす。バチ、と雷電が走る。ナイフが青白く発光する。白髪の前髪で隠れた深紅(ルベライト)の瞳が輝いた。ぎゅっと握る手に力を込めて、背後にナイフを溜める。渾身の刺突。全霊全身を賭けた、一撃必殺。胸部一点だけを見て、自身を一条の雷に見立て、ベルは敵の胸目掛けて突貫した。

 

「―――ぁあああああああああああああああああああああああッッ!!」

 

突撃槍(ペネトレイション)

 

『ガァッッ!?』

 

 青白く雷電を迸らせるナイフが、モンスターの胸部中央に突き刺さる。

肉を穿つ感触に次いで、硬質な何かを砕いた手応えと、肉が焼け焦げる匂い。

次にナイフから雷が体を完全に貫通して地面を再び焼いた。シルバーバックは両眼を限界まで剥き、煙を吹きながら背中から地面に倒れ込む。

 

「――!?」

 

――おち、る・・・()()、しなきゃ・・・!?

 

 突貫の勢いを殺しきれなかったベルは空中に舞い、吹っ飛んだ。

速度の制御も取るべき受け身も意識になく、最後まで目の前の敵に全力で貫くことしか考えていなかった少年の体は、実物大の人間砲弾(レールガン)と化し、空中に綺麗な放物線を描く。間もなく、墜落し地面に派手に叩きつけられると瞼をぎゅっと閉じると落下速度が急激に緩和した。

 

「・・・?」

 

 ふわり、と小脇に抱えられるようにしてベルは地面にゆっくりと降ろされた。ゆっくりと瞼を開けてみればそこには猫のような耳をした青年の姿。しかし、目元は見えず表情は伺えない。全身が最初にシルバーバックを蹴り飛ばした女性のように青白く雷電を走らせていた。そしてベルを着地させるとすぐに霧散するように姿を消した。

 

「これが・・・」

 

 僕の『魔法』・・・。と自分の全身を見るようにキョロキョロとするもさっきのように幽霊のような何かは出てこない。ただベルの体は付与魔法(エンチャント)のように雷が迸っているだけだった。そして、通路の真ん中で大の字に転がったシルバーバックへと目を向けると、ナイフを突き刺した場所はぽっかり穴が空いており、魔石を破砕された肉体は灰へと還り、風に乗ってその姿を跡形もなく消滅させた。

 自分の握っている手を見てみれば、青白く発光していたナイフは炭化してボロボロと崩れ去った。

 

 

『―――――ッッ!!』

 

 

歓喜の声が、迸った。

路地裏に隠れ、あるいは建物の中へと隠れてベルとシルバーバックの一瞬の戦いの行方を見守っていた住民達が興奮を爆発させた。そこでようやく、自分がやったのだと実感がじわじわと湧き出してベルはアストレアへと振り返って笑みを浮かべた。

 

 

「アストレア様、僕――――ッ!!」

 

 

『―――ォオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』

 

 

 自身を称える周囲の喝采に包まれ、笑みを浮かべてアストレアに「やりました!」と見守ってくれていたアストレアに笑いかけようとして、突如、世界を揺らすような咆哮によって周囲の喝采は恐ろしいほどの静寂へと包まれる。誰もが驚愕を、恐怖を、禁じ得ない。誰もが「あの少年が終わらせた」のだと思っていた。それは、人家の屋上で見守っていたフレイヤでさえ目をあらん限りに開くほどで、近くで待機していた眷族が危険を感じて主神のフレイヤの元まで駆け付ける。

 

 

 

×   ×   ×

フレイヤよりも後方、高台屋上。

 

ベルとシルバーバックの戦いを見守っていた神は笑う。

 

「いやいや、まさかフレイヤがアルフィアの子を見初めているとは知らなかったな。だとすればこれは余計だったかもしれないが・・・まあいい」

 

 後方よりフレイヤの背中を見つめて瞳を細くするエレボスは風に揺れる髪をそのままに、たった今始まった『本番』に妖しく微笑を浮かべた。ダイダロス通り付近にいたベルとアストレアは丁度よかった。二人が――ベルがダイダロス通りまで来なければ、メインストリートまでわざわざ誘導する必要があり、それは姿を眩ませている闇派閥としてもリスクがあった。だからこれから起こることは、エレボスにとって『幸運』だった。

 

「愛しているぜ、運の女神よ。そしてすまない、ザルド。悪いな、アルフィア」

 

 抗争の際に出逢った探し人であった二人の元『英雄』の姿を脳裏に浮かばせる。探し回っていたのに、まさか迷宮都市にいるとは思ってもいなかったが、そんな二人が大層大切にしていた子供の存在によって抗争の難易度は確かに変化していた。

 

「二人が『絶対悪(こちらがわ)』だったらもっと痛めつけてやることもできたんだがな・・・だが、いい」

 

 二人が『悪』に堕ちなくて良かったのなら、それはそれでエレボスとしても嬉しい。

だがアルフィアの口から子供の存在を聞いた時、興味が湧いてしまった。アストレアの元から逃走までして見てみたいと思えるほどの興味が。『刺激』を求めて下界に降り立った神らしい興味が。

 

「【最強(ゼウス)】と【最凶(ヘラ)】の混血(ハイブリッド)がどのような偉業を成し得るのか――――くっくく、ああ、本当に悪いな、二人とも・・・・・・・こうなった!!」

 

『―――ォオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』

 

 邪悪が笑う。

それは、英雄譚にはありものの『ミノタウロス』というモンスターの吼え声だった。シルバーバックなぞただの前座。とある怪人に育てさせた赤い肌のミノタウロスは少年へと進撃していく。美の女神が用意した舞台をエレボスが笑みと共にひっくり返し、勝手に塗り替える。

 

「さぁ少年――――モンスターをぶっ殺して『英雄』になろうぜ」

 

 

▽   ▲   ▽

ベル・クラネル

所属【アストレア・ファミリア】

Lv.1

力:D 589

耐久:C 666

器用:C 692

敏捷:S 900

魔力:H 101

 

■スキル

雷冠血統(ユピテル・クレス)

・早熟する。

・効果は持続する。

・追慕の丈に応じ効果は向上する。

 

■魔法

【アーネンエルベ】

 【我等に残されし、栄華の残滓。 暴君と雷霆の末路に産まれし落とし(愛し)子よ。】

 【示せ、晒せ、轟かせ、我等の輝きを見せつけろ。】

 【お前こそ、我等が唯一の希望なり】

 【愛せ、出逢え、見つけ、尽くせ、拭え、我等が悲願を成し遂げろ。】

 【喪いし理想を背負い、駆け抜けろ、雷霆の欠片、暴君の血筋、その身を以て我等が全てを証明しろ】

 【忘れるな、我等はお前と共にあることを】

 

・雷属性

自律(オート)による魔法行使者の守護

他律(コマンド)による支援


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