東メインストリート付近、高台屋上
「・・・・どういうことだ、これは」
黒髪を揺らすエレボスは、金の瞳に映る光景に瞠目してそう零した。ミノタウロスがベルへと襲いかかり、ベルがどうこれを乗り越えるのかと微笑を浮かべて見守っていたところ、突如として雷が落ちたかと思えば次の瞬間には稲妻が地面を奔ったではないか。
「ただの
天から落ちる雷ではなく、横を奔る雷。
雷の色は、青白く。
それは舞台の幕が上がった東メインストリートへと戻る形で現れた。そう、舞台役者たるベルとミノタウロスが。エレボスは見誤っていた。シルバーバックとの戦闘でベルが魔法を所持しているということを確認した。そして、その魔法は雷属性の
「・・・・」
思わず言葉さえも失う。
エレボスの瞳に映るベルの体には、おおよそ『傷』と呼ばれるものが見当たらなかった。
――有り得ない。
黒いシャツにはベルのものであろう血液が染み付いて赤くなっているし、ベルは武器がないのに対してミノタウロスは禍々しい大剣の
「あの大剣は、
背後に吹き飛ばされる形でメインストリートへと躍り出たミノタウロスはその重量に相応しく地面を破壊しながら着地する。が、その足を、いつの間にか背後に出現した
『ヴゥッ・・・!?』
ビキ、ビキ、と肉と骨が軋む音が響き、ミノタウロスの全身に衝撃を走らせる。
それだけでは終わらない。
そのまま、ベルは武器を持たぬ徒手空拳による連撃を繰り出し、ミノタウロスに大剣を振るわせる暇を与えずに打撃を加え続けた。時々、大剣を振るえても、そのどれもをベルが、青白い人の姿が器用に大剣の腹を殴って身を傷付けないように軌道を逸らしている。
「まさか・・・ただの
恐らく初めて戦うだろうアラだらけのベルの戦い方。
それを補助するかのように、或いは補うように、一人が現れては消え、また一人が現れて攻撃、或いは防御、回避する。そのどれもが、雷を人の形にしたかのように青白く、バチバチと形を揺らめかせる。その人物達の中に、エレボスは知った姿を見た。7年前の大抗争の際、勧誘するもフラれてしまった『英雄』の一人。全身鎧の大男、ザルドの姿を。
――そうか、そういうことか・・・・。
そこでようやく、納得したように嘆息して、笑みを零した。これだから下界は捨てたもんじゃない、とばかりに。
「死してなお、そこに在るのか・・・かつての最強の冒険者達よ。汝らが家族を守らんがため、その想いを生まれ来る子へと託して、魔法にまで昇華させたのか」
未来を共に歩めないことを分かっていただろうに。
先立つことを知っていただろうに。
顔さえ覚えてはもらえぬことを理解していただろうに。
子を独りにしてしまうことなどわかりきっていただろうに。
ベルの『家族』達は例え顔さえ知らぬとも、想いを残していったのだろう。
『忘れないで、私達はいつだって貴方と共にある』そんな言葉を残したのだろう。
「謂わば―――」
× × ×
とある人家の屋根
「謂わば、これは『もう語られぬ眷族達の物語』・・・と言ったところかしら?」
「・・・・奴のことですか?」
「ええ、そうよ。ベルこそが【
でも見て御覧なさいなオッタル。そう言ってフレイヤはストリートで戦うベルとミノタウロスを指す。雷を纏い、大剣に襲われようとも、初めて相対する怪物であろうとも、知ったことかと反撃し倒れてもすぐに反撃に切り替える。ベルを覆う雷が強く稲光を起こしたかと思えば、青白い人の姿をした何かが現れて、拳を叩きつけて消え、蹴りを放って消える。人間が、猫人が、犬人が、ドワーフが、妖精が・・・と一つの行動を果たすと消えてはランダムに現れるそれらは、まるで誰かが共に戦っているかの様ですらある。
「嗚呼、素敵・・・」
眼下のメインストリートにいたアストレア含めた群衆は、吹っ飛ばされたはずのベルがミノタウロスと死闘を繰り広げていることに啞然として言葉を失っているし、ミノタウロスの咆哮に応えるようにベルが吼えると、纏っている雷が石畳を焦がし、また今度は別の光景を生み出した。それはフレイヤですら見惚れてしまうほどで、己の用意した舞台を乗っ取られたことなど最早些事であるとばかりに頬を染め上げるものであった。
――おい、屋台にあった武器、どこいった!?
――知るか! 勝手に動くのかよ!?
――ねぇ、私の【ファミリア】の
――こっちはバックパックがねぇぞ!?
ストリートで展開されている屋台から、動揺する声がフレイヤの耳に届き、オッタルの耳をピコっと震わせる。この騒ぎに乗じて盗みでも起きたか、とも思ったがフレイヤが恍惚とした笑みを浮かべて自らを抱きしめるようにしているのを見てその考えを否定する。女神の笑みはベルへと向けられている。ならば、今しがた聞こえてきたものさえも、ベルに関連する出来事なのだろうと。
「素敵、素敵よベル・・・もっと、もっと輝いてみせて頂戴」
いつの間にか眼下に広がる光景には、無数の人の姿があった。
それらがいつからいたのか、ずっとそこにいたのか、或いは瞬きの間に現れたのかはわからないが、ベルとミノタウロスの戦いを邪魔しないように、群衆が巻き込まれないように、女神を巻き込まないように、いつの間にかストリートにいる人々の前には壁のようにして立ち並ぶ青白い人の姿をした英傑達がいた。
何度目かの衝突音が鳴り響く。
ベルはその華奢な体に相応しく、建物の中へと突っ込んで姿を消した。それを追いかけようとするミノタウロスを、建物の中からの飛来物が拒絶する。
木製の円形テーブルに、椅子に、食器に。そのどれもをミノタウロスは鬱陶しそうに破壊すると、次に飛んできた飛来物に全身を湿らせた。漂うのは酒気。飛んできたのは、酒樽。酒付けとなってびしょ濡れになったミノタウロスは目を見開いて嗅いだこともない『未知』に一瞬行動を停止させると次には液体を伝って稲妻が体を貫いていた。
『ヴゥ・・・ォオオオオオオオオオオオオッッ!?』
× × ×
東メインストリート
「うっくぉ・・・ぁあああああああああああッ!」
『ヴフゥッ・・・ォオオオオオオオオオオッッ!?』
吹き飛ばされたベルが、酒場から椅子やテーブル、皿などの食器類をミノタウロスへと投げつけ、ミノタウロスがそれらを破壊する。破片が視界を邪魔しているその最中に、酒がどっぷり入った酒樽が一つ二つ投げつけられミノタウロスの体に、角にぶち当たり壊れ、酒の雨が降り注いだ。酒気が漂い、ミノタウロスがほんの一瞬行動を停止してしまうその時、まだ宙に浮いたままの水滴達が繋がっていくかのように稲妻が猛牛の体を貫く。更にミノタウロスが絶叫を上げるのと同時、猛スピードで酒場から飛び出してきたベルがミノタウロスの背後に回ると、飛び乗り、二本の角を掴み雄叫びを上げる。
――何が起きているの?
女神アストレアは眷族達に守られるようにしながら、その光景に釘付けとなってそんなことを思った。否、アストレアだけではなく、それはアリーゼやライラ、落雷の音を聞いて駆けつけた他の冒険者達に逃げる事を忘れてその光景を見ている群衆も同じことを思っていただろう。ただの
目の前では突如、ミノタウロスへと乗っかったベルがロデオのように振り回され、雄叫びを上げた次の瞬間には、稲妻が大樹のように頭上に広がって
『ヴ・・・ォ・・・』
酒に濡れた全身から煙を噴き上げ、天を剥いて目を白くするミノタウロスは呻き声を上げ、その口からも黒い煙を吐き出す。ベルはというと
そこに。
トットットット、と足音を立てるようにメインストリートのど真ん中で死闘を演じる一人と一体の元へと接近してくる青年の姿が現れる。人が一人二人入っているのではないかと思われるほどの大きさのバックパックを片腕で担ぐその青年は線の細い体をしていて、その姿は少しばかり頼りなさそうに見える。意識を白くしていたミノタウロスがよろけた際に意識を取り戻し、後ろから近づく気配へと大剣で薙ぎ払おうとするとバックパックがミノタウロスの真上で中にあった武器を撒き散らせ、青年がミノタウロスの真下を滑るようにしてすれ違い、再びバックパックをキャッチするとベルの元まで走り、役目は終わりとばかりにベルとすれ違う形でバックパックを置いて姿を霧のように霧散させた。その青年は、
「・・・・っ」
『フゥーッ・・・フゥーッ・・・!』
それが誰なのか、ベルにはわからない。
小さい頃、「ひょっとしたらこんな感じなのかな?」と妄想をしたことがあるくらいだった。ザルドやゼウスから、どんな人だったのか聞いたことがあるくらいだった。逃げ足自慢で醜聞しかないサポーター、それがベルの父親であると。
「ふぅー・・・ふぅー・・・」
『フゥーッ・・・フゥーッ・・・』
短く、けれど、長く感じられる静寂の時。
ミノタウロスの赤い瞳が、ベルの深紅の瞳が交差する。全力疾走をしたような疲労感が全身を駆け巡るのを無視して、手元に転がっていた二本の短剣を取り、必死に足に力を入れて立ち上がる。
ベルの背後に現れた二人のドレスを身に纏う女性がベルの小さな背中を押し、眦を吊り上げてベルは再び駆け出した。
『ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!』
「ぉぉおおおおぉぉぁああああああああッ!」
繰り出される左ストレートを短剣で横に叩く。右手を衝撃で痺れさせながら、向かってくる大剣を回避。誰もが見守る中、大剣を振り回すミノタウロスと、短剣を閃かすベルがお互い一歩も引かずに、凄まじい剣戟を繰り広げる。
× × ×
「ひぇっ」
「どうしたのよアイズ」
「アイズが「ひぇっ」って言うことあるんだね」
アイズ、ティオネ、ティオナ達三人の【ロキ・ファミリア】の少女達は屋根伝いに東メインストリートに現れたミノタウロスを探して、今はベルの死闘に目を見開いて観戦していた。と言っても、助力しようにも目の前に現れた青白いドワーフと、同じく青白いエルフが背を向けて立っているため、これ以上近づくことができないでいた。
――魔力に反応する? 並行詠唱すれば良いことでしょう。
とでも言うかのように。
兎にも角にも、その後すぐに「ミノタウロスがでたぞぉ!?」という声が聞こえたり、快晴だというのに落雷の音が聞こえたり、ワケワカメな状況の中で【大和竜胆】は屋台に隠れていた親とはぐれてしまった幼女を連れて行ってしまうし、【疾風】は他にも隠れていないか地下に潜って行ってしまうしで、少女達は東メインストリートを真っ直ぐ進んで現在の光景を見せつけられていた。モンスターと碌に戦ったことがないベルの必死な戦いに、ただ固唾を飲んで。
「・・・・ひぇっ」
そして再び、アイズは変な声をあげた。アマゾネスの姉妹は「どうしたの」とばかりにアイズの顔を見てみれば、彼女の顔は青く、ガチガチと歯を鳴らして怯えていた。二人は与り知らぬことではあるが、アイズは『幽霊』の類が苦手である。とはいえ目の前の人物達が『幽霊』でないことはわかる。何せ、『魔力』を感じるからだ。いや、その青白い人物達が『魔力』の塊と言ってもいいだろう。しかし怯えるアイズの視線の先にいるのは、灰色の髪を揺らめかす漆黒のドレスを着た女性。何故、一部の人物にだけ色があるのかはわからないが、その人物がベルにとって特別な存在なのだろうというくらいは察することはできる。つまるところ、アイズは、アイズ・ヴァレンシュタインは過去にやらかした黒歴史の件で「殺される」と震えているのだ。
――たぶん、目があった。
それはベルがアルフィアを喪って直ぐのこと。幼かった自分が言葉足らずとはいえ、ベルを傷付け殴りかかってきた際に痛くもないのに、殴り返してボッコボコにして治療師の知己に「殺す気ですか?」と極寒の眼差しを向けられたことがあった。更には、リヴェリアに連れられて『星屑の庭』に謝罪に行った時には、お風呂に入っていたベルの元へと行き、ロキに教わった『一緒に入ることで身も心も解れて仲良くなれる』という言葉を信じて実行した結果、互いに生まれたままの姿で、気絶するベルの腰の上に跨るアイズという、これまた酷い絵面が出来上がってしまい『正義』の眷族達には「ダンジョンでは気をつけろ」とまで言われるほどには怒りを向けられていた時期があったし、その時のことを今のアイズは過去に戻れるのなら、当時の自分をリル・ラファーガしてやりたいと思うくらいには反省しているし、未だに若干、彼と距離があるのもどうにかせねばと思うほどだ。
とにかく、当時のことをアイズは未だに反省していた。反省しすぎて、一時期じゃが丸君を食べなくなるくらいには、反省していた。
『アルフィアが生きていたら・・・・考えるだけで恐ろしい』
そう、リヴェリアが当時言っていた。
だが今、眼下にいた人物を見てアイズはその時のことを走馬灯のように思い出し震え上がった。というか、ベルが駆け出す瞬間にチラッとこちらを見た気さえした。
『ムスコ 世話ニ ナッタナ 覚悟 シテイロ』
と言っているような気さえした。
ティオナとティオネが「モンスターと戦ったことないのによくやるわね」「行け、ベルー!」と応援しているが、それどころではない。
アイズ・ヴァレンシュタイン16歳。
彼女は、幽霊が・・・・・苦手だ。
× × ×
苛烈な剣舞の音が鳴り響く。
あらゆる物を破壊する力の轟音と、どんな物も切り裂く速度の清音。過激な曲調が周囲の鼓膜に届き、ストリート全体に染み渡っていく。交わされるのは黒赤色の鈍い光と銀の短剣に奔る青白い稲妻の応酬だった。赤黒い大剣が振るわれたかと思えば、稲妻が円弧を作り上げる。そこには既に、開始早々にあった
一際甲高い音響が炸裂する。
大剣を短剣で弾いてみせたベルの手から、限界だと悲鳴を上げて二本の短剣が破壊される。
そこにミノタウロスが大剣でベルの華奢な体を切り裂いて終わる景色を誰もが夢想する。しかし、ミノタウロスは既にそれが叶わないことを学習している。振り下ろされる大剣を蹴りで弾き、先程、サポーターらしき青年が撒き散らした武器を手に収める。
戦いが続く。
ベルとミノタウロスは頻りに互いの立ち位置を入れ替えた。
四本の足が石畳を踏みしめ、駆け上げ、蹴り貫き、何度も何度も交錯していく。絡み合う二つの動きは止まらない。例えベルが武器を失おうとも戦場にバラまかれた武器がすぐその手に収まるのだ。時には大槌を両手でぎゅっと握りしめ、全身を使って振り回す。けれど華奢な体では扱いきれないのか、スイングと共に不格好に武器に振り回され、思わずぶん投げてしまう。
「お・・・りゃぁっ!」
『ッッ!?』
目の前に飛んでくる鉄の塊を間一髪避けるミノタウロス。その背後にあった建物へと大槌が飛んでいくと、破壊の轟音が鳴り響いた。武器を放棄したベルは、すぐに違うものを手にする。時には槍で突き、時には弓で矢を飛ばし石畳を砕き、時には盾を使って突進し、時にはナイフで大剣の側面を狙って打ち払う。腕利きの冒険者達ならば、もっと上手くやるだろう。そう思うくらいにはベルの戦いは拙く、軽い体は簡単に転がり、危なかっしかった。誰もが見守る中、ベルはもらえば一溜まりもない呪剣を地面を転がって躱す。すかさずミノタウロスが蹄で踏み潰そうとしてくるが、何者かに引っ張られる形で緊急脱出し新たに手にした直剣に雷を奔らせ一閃。咄嗟に大剣で防がれる。鋭い金属音。
「・・・・!」
『魔法』の効果が終わろうとしているのか、ベルを覆っている稲妻が徐々に、徐々に弱まっていく。それと同じくしてアストレア達の前で佇んでいた青白い人の姿達も一人、また一人と姿を消していく。消えそうになる意識を必死に呼び起こし、咆哮する。
――あの
思い出の中。
光の向こうで背中を見せる二人の英雄に届くように、咆哮し、手を伸ばす。
限界の先へ己の体をねじ込み、白き世界へと加速する。
白の平原を駆け抜け、視界に映るありとあらゆるものを白熱させ、視界の先で待ち構える紅蓮の猛牛へと地に突き刺さった大剣を手に疾走する。
× × ×
私は、思わず見惚れてしまっていた。
可愛い眷族の一人だと、皆で手塩にかけて可愛がっていた男の子だと過保護かもしれないくらいには可愛がっていた、そんな子が目の前で殺されると思っていたというのに。
『いけぇ!』
『腰に力入れろ兎ぃ!』
――アルフィア、貴方はそこにいるの?
魂がそこにはないことは当然わかっている。あの魔法は、降霊を行う魔法などではない。『幼い子供』が『親』に『我が儘』を聞いてもらう、そういう魔法なのだ。親が子を守るのは当然といえる行為で、子が親に救いを求めるのは自然な事であるように。
――私は、あの子に何をしてやれるのだろう。
見ていることしかできない事実が胸をきゅっと締め付ける。
「―――っ!」
目と目が合った。
瑠璃色の瞳と深紅の瞳が、刹那ともいえる一瞬交じり、あの子の口が動く。『見てて』とそう言っている気がした。胸に手を当てて、今この一瞬に全てを賭けているかのような命を燃やしているような死闘にあの子は初めて舞台に上がったのだと理解した。
『がんばれ!』
『頑張れッ!』
『頑張りやがれぇ!』
頬に何かが伝っていく。
汗か涙か、わからない。
けれど、光の先へと駆け抜けていくあの子の、ベルの背を見て周囲に呼応するように自然と言葉が口に出た。
「頑張りなさいッ、ベルッ!」
ベルは、初めて『男』の顔をしたような気がした。
× × ×
『頑張りなさいッ、ベルッ!』
「――――頑張るッッ!!」
『ッ!?』
周囲の、女神の声援を背に、応えて吼えたベルは霞むほどの勢いで踏み込まれた左足とともに大剣を振り抜いた。限界を食い千切った加速、遅れる敵の反応。断ちにくいとされるミノタウロスの肉体へと乱打の嵐を見舞う。
『ッッ―――ヴォオォ!!』
それ以上許すものかと、繰り上げられた黒赤色の大剣がベルの持つ大剣を上空に弾き飛ばす。群衆から悲鳴が上がる中、ベルは器用にミノタウロスへと掴みかかり大剣と一緒に握っていたナイフへと雷を奔らせ薙ぐように左に振り抜く。
「ぁ・・ぁああ・・・・ああああああッッ!」
『ヴッグゥォオオオオオオオオッッ!?』
「あああああああああああああああああああああああああああッッ!」
大上段から振り下ろされた、渾身の一撃。
『ヴグゥッッ!?』
鋼を彷彿される強靭な肉体に、太い赤線が走る。
斜に刻み込まれた傷痕から血が飛び散り石畳を斑模様に彩る。群衆の口から歓声が漏れ、ミノタウロスはぐらりと後方によろめいた。ここで、ようやく形勢が逆転する。武器のなかった少年の手には大剣が。武器を手にしていたミノタウロスは大剣ごと片腕を失った。更にベルはこの好機を逃さんとばかりに、立て続けに強撃を迸らせる。大規格の得物が休むことなく駆け続ける。お世辞にも恰好が良いとは言えない大剣捌き。振るうどころか振り回されているような絵。細い体が大重量の銀塊に外見負けしてしまっている。しかし、怒涛のごとき勢いはミノタウロスを圧倒した。散り散りと血の欠片が飛ぶ光景の中、生々しい傷を刻んでいたミノタウロスの体は真新しい裂傷が上書きされていく。
『ゥ―――ォオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!?』
ミノタウロスが調子に乗るなと全身を怒らせ獣の本能を取り戻す。
地面に打ち込んだ踵が後退を許さず、負けじとばかりにベルを残った左腕で押し返した。
「―――――――ッッ!!」
『―――――――ッッ!!』
決戦する。
モンスターの剛拳に応えるようにヒューマンが大剣を振るった。
人の剣技に真っ向から対決するように怪力がつくされた。
不格好に放たれた前蹴りを大剣が打ち落とす。
防御に構えられた剣の上から殴撃が敵の顔を割る。
振り上げられた斬撃が相手の骨を砕き、肉を裂く。
妥協を彼方に放り投げたぶつかり合い。凄烈な一進一退は決して手を休めることを許さない。
そして振り上げられた左腕によって押し返されたベルの足は地面を離れ、羽根のように軽々と後方へ吹き飛ばされ石畳に背中から落ちた瞬間、後転し、瞬時に視界の中央へミノタウロスを収める。
『フゥーッ、フゥーッ・・・・!? ンヴゥウウウウウオオオオオオオオオオッ!』
離れた彼我の間合い、およそ5M。
ミノタウロスは目を真っ赤に染め、左手を地面に振り下ろした。それは追い込まれたミノタウロスに度々見られる突撃体勢。己の最大の武器を用いるいわば切り札。進行上の障害物を全て粉砕してのける強力無比なラッシュ。ただし、この距離では助走が足りない。短い間隔では威力も半減する。なりふり構っていられないほどミノタウロスが瀬戸際まで追い詰められた、何よりの証左。既にミノタウロスの脳裏に刻まれた赤髪の怪人からの調教という仕打ちも、何故、白髪の存在を狙わなければならなかったのか、恐怖も怒りも彼方へと飛び散っていた。
『―――』
ベルは大剣を握り締め、深く深呼吸をする。ベルの体が今頃思い出したかのように少しずつ裂傷が生まれ、血が流れ始める。魔法によって強制的に閉じていた傷が開き始めたのだ。
「・・・・行くよ」
その声に応じるように、ベルの前には全身鎧の大男が。ベルの右横には黒いドレスを身に纏う美女が現れる。眼球に映るのは敵の
ベルの眼差しと、ミノタウロスの眼光がかち合う。
そして。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああッッ!!」
『ヴヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!』
真っ向からの突撃。
冒険者であってもまずしないだろう愚行。
けれど、それは一人だったらの話だ。
雷でできたような全身鎧の大男は、足で直剣を弾き、握ると渾身の斬撃を打ち放つ。
雷でできたような漆黒のドレスを揺らめかす美女は、その細腕から魔力の弾丸を打ち放つ。
それを追うようにベルが駆け抜ける。纏っている雷電の色はいつしか血のように赤くなっていた。
美の女神が見惚れ、正義の女神が驚愕し、悪神が邪悪に微笑む。
斬撃が石畳を砕きながら走る。
弾丸がそれに重なるように。
一気に縮まる間合い。瞳の中で大きくなる互いの姿。肌を打つ猛々しい覇気。
ミノタウロスの瞳に映るのは、いっそ卑怯だと言ってもいいかのような三人分の攻撃。けれど関係ない、この最後の時まで時折現れる雷の塊達とさえ戦っていたのだ。関係ないとばかりに押し寄せる荒波を突破するように、ミノタウロスは駆け抜ける。
直後。
腹部に横一閃、食い込んでいく大剣。
真下から砕けた石畳を散弾にしながら打ち上がってくる斬撃。
殴りつけるかのような魔力の弾丸。
どこかから大きく鳴り響く、大鐘楼の鐘の音。
それに応えるようにベルは吼える。
「―――あああああああああああああああああああッッ!!」
都合三つの攻撃がミノタウロスを飲み、爆発を起こした。
大きな土煙を打ち上げ、石畳を爆砕させ、近隣の建物にさえ被害をもたらす。
煙が徐々に晴れていくとそこには、すれ違うようにして固まっている両者。サラサラ・・・とその体を灰に変えるミノタウロス。ベルは魔法の効果が完全に終了したのか、そのまま前へと倒れこむ。
歓声とベルを心配する悲鳴とが交差していく中。
灰の上に、ゴトリとミノタウロスの角が転がっていた。