アーネンエルベの兎   作:二ベル

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※終章より先の時系列の話になります。


バレンタインの話

 

 

「ベル、学区に行こ」

 

「―――――はい?」

 

その日、突如『星屑の庭』に来襲したアイズによりベルの1日の予定は決定された。彼女の格好は普段の戦闘衣装(バトルクロス)ではなく、上下が紺色の『制服』なるものだ。スカートの丈は短く、ボタンをきっちりと閉じたブレザーは露出が少ないにも関わらず体のラインを浮かばせ、現在進行形で発展途上の胸部の大きさを強調している。ベルは遅めの朝食―食パン、ベーコン、スクランブルエッグ、プチトマト―を食べている最中だ。そんなベルの隣の空いている席へとアイズはちょこんと腰を下ろし、じぃーっとつぶらな金色の瞳でベルを見つめてくる。

 

「えっと……だめ、だった?」

 

「いえ……予定はないから、いいですけど」

 

この日、都市は少しばかり浮足立っているというか、恋愛脳に侵されている(ピンクピンク)していて、あっちでもこっちでもと男女が「ダンジョン行ってる場合じゃあねえ!」な戦場というか駆け引きというか、繰り広げられている。男は自分がどれだけ戦利品を頂けるかとそわそわしたり、女は気になる相手に渡せるか否か、或いは喜んでもらえるか否かでそわそわ……それを眺める女神達は子供達のそんな行動にホンワカしている者もいれば、「妾も出るぞ!」とばかりに他所の派閥の男にプレゼントフォー・ユーする者もいる。

 

「えっと、何でしたっけ?」

 

「『学区』に、行こ?」

 

そう、この日は……『ヴァレンタインデー』であった。結婚生活の守護神(ユノー)は、この日ばかりは「めっちゃ儲かるけど、子供達、良い相手捕まえなよ! オラリオに出会いを求めるんだ!」と必死……らしい。アリーゼ達【ファミリア】のお姉さん達は朝早くから出かけているため、ベルは先程まで本拠に残っていた春姫に起こされる形で遅めの起床、そして朝食をとっている。

 

「ベル、ダンジョンにもあんまり行ってないでしょ?」

 

「……ダンジョンが異常事態起こして、また()()()()()()()()とかやりたくないですし」

 

「暇なら……付き合って」

 

「はぁ……2人で?」

 

「うん」

 

焦げ目のついた食パンにバターが溶けて染みていく。その上にベーコンとスクランブルエッグを乗せ、むしゃむしゃと食べるベルを、じぃーっと見つめるアイズ。ベルは思う、ああ、朝食食べてこなかったんだなと。冒険者が食事を抜くとはどういうことだということだが、ベルはそれを一々指摘しない。面倒だから。プチトマトを摘まみ上げると、隣で見つめてくる少女の小さな唇へと押し当てた。むぐっと口の中へと入り、プツッとヘタと実が分かたれる。少女は無言で咀嚼する。

 

「おいひい……」

 

唇に細い指を当てながら、アイズはプチトマトを食べきるとそのまま瞼を閉じ、口を開けて待機。餌を待つヒナのようだ。ベルはそのまま自分が齧っていた食パンを少女の口に持っていくと、パクリ、もしゃもしゃ……と齧り始めた。お腹を空かせるくらいなら、食べて来ればいいのにと半目になって見つめているとアイズは何かを思い出したように、あるいは恥じらいでも残っていたか、頬を赤らめ、両手を股ではさみ、俯いた。

 

「違うんだよ」

 

「はい」

 

「『学区』に行くから、取っておいたんだよ」

 

「はあ」

 

「『学区』にしかないっていうじゃが丸君の調査を、するために、お腹を空けておいただけなんだよ。だから、ね、違うの」

 

「はい」

 

「別に、ベルが食べてるのを見て、いいなって思ってたりとか、してない……んだよ?」

 

「はい」

 

「………おしおき、する?」

 

「しませんよ、僕、支度してきますから……残り、食べて良いですよ」

 

席を立ち、神室に姿を消すベル。

取り残されたアイズは、ベルの後ろ姿を見送った後、テーブルに残った朝食と湯気を上げるマグカップ―中身はカフェオレだ―に視線を注ぎ、ゴクリ……と喉を鳴らした。

 

 

残された朝食は、スタッフが美味しく頂きました。

 

 

 

 

 

「アイズさん、それでどうするんですか?」

 

「どうするって?」

 

「いや……『学区』って簡単に入れるんですか?」

 

「………大丈夫。コネならある」

 

「?」

 

「レフィーヤにお願いすればきっと……いける、はず」

 

「考えてなかったんですね」

 

街道を歩くアイズとベル。

周囲はバレンタインデーよろしく、イチャコラ空間が出来上がりつつあった。というか、空気が若干ピリピリしていた。もらえなかった憐れな雄達が、血眼になって俺は良い男だぜ? アピールをしているのだ。無論、この都市の雌は強く、そう簡単に靡くことはないが。そんな周囲の空気を無視して、2人は都市門を抜けて港町(メレン)にある学区を目指して歩いていた。

 

「アイズさん、歩きにくいです」

 

「………ダメ?」

 

「ダメじゃ……ないですけど」

 

「痛くない?」

 

「僕もう、アイズさんと同じ第一級冒険者ですよ? 平気ですよ」

 

「む……皆、すごく、悲しかったんだよ」

 

「わかりました、わかりましたからっ」

 

ベルの右腕に抱き着くようにして歩くアイズ。ともすれば歩きにくく、傍から見ればうらやまけしからん光景であるもののぎこちない。胸の感触をしっかりと感じる腕と周囲の殺気に冷や汗を感じるベルは、頬をポリポリ。アイズもそうだが、悲しませてしまった件があるため、強く彼女達を拒むことができない。

 

「アリーゼさん達が、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()し……人造迷宮(クノッソス)で戦ったりしたし……大変だったんだよ?」

 

「レフィーヤさんなんて、えっと『いめちぇん』? しましたもんね」

 

「…………うん、色々あったんだよ」

 

そんなこんなで、空白期間の話をする2人。

そこに過去のトラウマだとかはもうない。

年齢も、階位も、既に同じでアイズはいなくなってしまっていた幼馴染がまた遠くへと行かないように、しっかりと捕まえているのだ。

 

港町(メレン)についたら、ベルの魔法で、学区に入って欲しいんだけど……できる?」

 

「それ、侵入じゃ……」

 

「大丈夫………これも、『学区』オリジナルじゃが丸君を食べるための試練だから」

 

「…………」

 

どんな手を使っても、『学区』オリジナルのじゃが丸君を食べみせる所存であるらしいアイズにベルは溜息をついた。護身用…必要かはわからないが、かといって武装を一切しないというのもどうかと思って持ってきた、星空を閉じ込めたような色を放ち、神聖文字(ヒエログリフ)の刻まれた剣の柄をそっと指で撫でる。アイズも愛剣(デスペレート)を持っているが、そもそも両者共に第一級冒険者。早々戦闘することなんてないだろうと頭を振った。

 

 

 

 

「ジャガ丸くんグランデチョコレートチップエクストラコーヒーノンファットミルクキャラメルプラペチーノウィズチョコレートソース味を……ええい、アイズ! いくついるんだ!? 1つ!? 1つだな!? 何ヴァリ……なに、『ラグナー』だ、と……? 学区紙幣……とはなんだ!?」

 

ベルは遠い目をして、その後ろ姿を見ていた。

王族(ハイエルフ)の無駄遣いである。モンスターをバチグソに倒していたアイズには、その呪文の如き注文を言いきれなかったのだ。そこでアイズは保護者を呼び出すという暴挙に出た。

 

<――お願いリヴェリア、リヴェリアじゃないと詠唱できない!>

 

<――お、おい!? ひっぱるな!? 何なんだ……おい待て、何故、学区に入ろうとしている!? 許可はとっているのか!? 侵入だろうこれは!? おい、聞いているのか!? おい!! ここは部外者絶対禁制の場所なんだぞ!? ロキの名前を出せばいける? なわけがあるか!>

 

<――リヴェリア、お願いこの呪文を読んで! 私じゃできない!>

 

<――ええい、レフィーヤを呼べばいいだろう!? こういう時だけ私を頼るな!> 

 

休暇中だったリヴェリアは「いいから来て」とじゃが丸君の為だけに学区に連れ出されご立腹。エルフの学生は泡を吹いて倒れた。「こ、これが覇王色……!?」などと学生達が言っているが知ったことではない。そして、王族故に所持する金も庶民と比べればそれはもう沢山お持ちであるが、しかし、この学区内におかれましては、リヴェリア・リヨス・アールヴは無一文であった。リヴェリア様は羞恥から耳を赤くさせ、恥をかかせたアイズを睨みつけた。アイズはベルの背後に隠れた。学区紙幣とは……盲点だった……『ヴェリス硬貨』は万国共通ではなかったのか……おのれ学区め……そんな恨み言を零しそうなアイズは、どうしよう……と困り果てた。

 

 

「ベル……先輩? それに……リ、リヴェリア……様!?」

 

そこに、アイズともリヴェリアとも違う少女の声が背後から届いた。振り返ればそこには茶褐色(ブラウン)の長髪に前髪の一房が翡翠の色に染まっている。その髪を背中の辺りでリボンでまとめている少女が、そこにはいた。半妖精(ハーフエルフ)だ。ベルがこちら側に帰還した際に『ブルードラゴン』に襲われていた集団の中にいた1人であり、助けた少女だ。管理機関(ギルド)で受付嬢をしているエイナ・チュールにどこか似ている彼女は、緑玉色(エメラルド)の瞳を見開いて固まっていた。

 

「えと……ど、どどどどど、どう、されたんですか?」

 

「……ニイナ、せめてこちらを見て言ってくれ。顔を逸らすんじゃない」

 

「いえ……その、申し訳、あ、あ、あ、あ、あありません」

 

「ベル、何かしたのか?」

 

「リヴェリアさんがいるからじゃ?」

 

「………私のせい、か」

 

小首をかしげるベル。

悲し気に目を伏せるリヴェリア。

誰? とベルの手をくいくい引っ張るアイズ。

そんなアイズの手がベルの手を握っているのを見てどこか敗北したように瞳を潤ませる少女(ニイナ)。場は、混沌であった。

 

 

事情をリヴェリアから聞いたニイナは、なぁんだそんなことかあ…とアイズとベル、そしてリヴェリアに自分用とじゃが丸君を購入。水晶(クリスタル)の容器に詰まった、甘味(シロップ)飲物(クリーム)とその中に突っ込まれたじゃが丸君……もはや飲物が本体のようなそれを膝の上で両手に抱えたアイズは、今にも「暴れ吼えろ(ニゼル)ッ!」と爆発しそうな顔をしていたしリヴェリアは「何だこれは、どうすればよいというのだ」と困惑を浮かべていた。ベルは甘さが控えめのものをリクエストして店員が渡してきた『ほうじ茶ペッパー味』だ。それを広くて穏やかな公園で味わう。

 

「ニイナ、その、この代金は私の財布から……いくらになる? 補填させてくれ」

 

「いいいいいいいえ、大丈夫です! たいしたことないので!?」

 

「しかし、ニイナとベルが顔見知りだったとは」

 

「顔見知りというか、いきなり抱きかかえられて、飛んで、竜をズバーッと倒したと思ったら、階層主が生まれて!? ワケワカメだったといいますか!?」

 

「初対面で抱いたのか、ベル……」

 

「いや……ブルードラゴンに襲われていたのを助けただけですよ。助けてなかったら、腐って溶けてますよ」

 

「む……」

 

「それよりアイズさん、大丈夫ですか?」

 

「………好き嫌いは、ダメ(こんなものは邪道)

 

「あ、はい」

 

自分から行こうと言って、思ってたのと違うと言いたげな反応。それでも食べるアイズは偉いのか、哀れなのか。ベルにはよくわからない。左隣から視線を感じて、そちらに顔を向けてみれば、ニイナがぷいっと顔を逸らす。長髪から少しだけ肌を見せている尖った耳は赤い。

 

「ベ、ベルっ!」

 

「―――?」

 

「こ、これっ、今日、バレタインだから……あ、あげるっ」

 

「え……」

 

それはアイズがリヴェリアに頼ませたじゃが丸君だった。食べかけであった。アイズはもういらないと言いたげな顔であった。この女、僕が甘味苦手だと知っていてやっているのか? 散々付き合わせておいて、これか? 今度きついお仕置きしてやるから覚悟しておけっと言いたくなった。下の口から涎をドバドバさせてやろうかと思った。

 

「アイズ、お前……もう少し、こう……あるだろ……はぁ……」

 

アイズさんの真意に気付いたのか、リヴェリアさんは痛む頭を押さえるように溜息をつく。周囲というか遠くからこちらを見ている学生達が、兎が数か月で2段階ランクアップしたとか、行方不明になってたとか、どこからその情報が漏れたんだという情報をぶつくさ言っているが、内容が内容なだけに説明しても信じないだろう…とリヴェリアはまた溜息をついた。

 

 

 

 

「それで、リヴェリアさんと一緒にバルドル様のところに行ったり、イズン様に出くわして「レッツ☆アオハルー」言わされたりして、帰ってきたんです。胃薬ください。胸やけが」

 

「………無理して食べるからです」

 

治療院。

ベッドに仰向けになって寝転ぶベルをアミッドは溜息交じりに見下ろしていた。部屋の隅には「私は学区に侵入しました」という札をかけたアイズが正座している。

 

「お薬は出してさしあげますが……ほどほどに」

 

「ごめんなさ……うぷ」

 

キュキュッと音を立てて木札に文字を書いたアミッドはアイズへと近づくと、それを首にかけた。「私は甘味が苦手な男の子に甘味を食べさせました」と書かれていた。聖女様はおこだった。

 

「ア、アミッド……あの……」

 

「誰が喋って良いと言いました?」

 

「ひっ!?」

 

無表情で見下ろしながら言う聖女様は、激おこであった。1人だけ何勝手に抜け駆けして『バレンタイン』してんだこらという感じであるが、それを表に出すような無様はしない。こういうのはしれっと渡して、相手に「ひょっとして…」と思わせるのがいいのだ。アミッドはそう思う。それにしても抜け駆けして逢瀬を楽しんだ剣姫にイラァ…とするアミッドはさらに木札に何を書こうかと頭をフル回転。アイズはガクガクと震えた。

 

 

「――じゃあ、僕、そろそろ帰らないと」

 

アイズさん、立てますか? と正座させられているアイズに手を差し伸べるベル。アイズは彼の手を取り、立ち上がるが痺れているせいで生まれたての子馬のようにプルプル。首には木札が1枚追加されて「私は抜け駆けしました」という内容のものがぶら下がっている。アミッドがベルから預かっていた上着を返し、見送る。暗くなるのが早く、街灯が都市を照らしている中をアイズとベルは歩いていく。アイズを【ロキ・ファミリア】の本拠まで送り、自分の本拠に戻ると輝夜と春姫やリューが先に戻っていて顎で何かを指し示す。そこには女神だとか女性冒険者だとかが寄越してきた『バレンタインデー』の贈り物が。ベルは少し嫌そうな顔をした。

 

「恒例だな」

 

「ええ、恒例です。ベルの体調が崩れます」

 

「胃薬の貯蔵は十分でございましょうか」

 

「いや、これは流石にベル1人では処理しきれない……私達も、食べるしかない」

 

「よろしいのですか?」

 

「捨てるよりはいいだろう……それに、見ろ、ベル。あの美神、今年は乳房で型を取ったのか、見事な丸みだ……」

 

「フレイヤ様はイロモノなのでございますか……私でもしませんというのに……あら? チョコの横に手紙……ええっと、ヘルンので型を取ったから、実質私よ……どういう意味でしょうか」

 

「余計食べづらい……」

 

他人から色々と贈られ、身内からもベルの口になるべく合う甘さを控えたものが贈られたが、それを一晩で食べるのは拷問であった。ベルの上着を春姫が侍従(メイド)らしく脱がしてやり、ハンガーにかけようとするとポケットに小さな箱が入っているのに気がつく。それを取り出せば、リボンで閉じられた白い箱。

 

「ベル様、この箱はどなたのでしょうか……?」

 

「…………?」

 

入ってた覚えはない。

たぶん、という心当たりはある。

春姫から箱を受け取り、リボンを解き、中を見る。中には1つのカップケーキ。丁寧に作られた白い兎がちょこんと乗っていて、カップケーキはチョコを使っているのか茶色ではあるが、表面は粉砂糖が振りかけられていて、まるで雪原の中の兎を思わせる。手の込んだ作品に、お姉さん達が「強い……これは、練度が高い」と戦慄。

 

「………アミッドさんだ」

 

カップケーキと箱の隙間に、小さな紙。

折りたたまれていて、開いてみればメッセージ。

 

 

『甘さは控えています。

消化に良い薬草を使用していますが薬味感は極力消しています。

身体の調子が戻ってから食べてください。

 カップケーキは紅茶と合うそうですから、試してみては?

 ………お返し、期待しています』

 

 

お姉さん達はあの幼馴染、強すぎん?と項垂れた。

なお、聖女様はその日、どこか口元を微笑ませているように見えたという。


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