アーネンエルベの兎   作:二ベル

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ミセス・ムーンライト③

 

 

 

「むぅ……」

 

「ほらほら、いつまでも不貞腐れてないで元気出しなさいなベル。本拠に帰れば『一時間ネーゼのおっぱい揉み放題』が待っているのよ?」

 

「ちょっ、ストリート(こんなところで)で大っぴらに言うなぁ!? ていうか何、昼間のあの罰は本気(ガチ)だったのかよ!?」

 

「何言ってんの、本当(マジ)だし本気(ガチ)よ?」

 

 

時は流れてすっかり暗くなり、ストリートに並ぶ屋台の灯りが都市に彩を添える頃。

円形闘技場(アンフィテアトルム)』での【猛者】vs【探索者(ボイジャー)】の戦いは勿論、【猛者】の勝利で終わった。直進にしか進めないベルの一撃『只や速いだけの突進(ラビット・ファントム)』をベルの体の負担を限りなく抑えるためにオッタルは受け止めたのだが、現在ベルは誰かさんが放った「父親の胸元に飛び込んだ息子みたいね!」という発言による屈辱と恥辱に苛まれ、さらに精神疲弊(マインドダウン)を起こしたためにネーゼに背負われている。単純な、暴れすぎである。 オッタル曰く、避けていれば本人が壁に衝突して大怪我を負っていたとのこと。

 

「ほらほら兎様、私達で屋台でも巡って腹を満たしましょう。その後、たっぷり、しっぽりとネーゼの乳房を揉みしだけばよろしいではございませんか」

 

「輝夜まで言うかぁ!?」

 

「二人とも、さすがに往来ではしたない話をするのはどうかと」

 

「「何を今更」」

 

「えっ」

 

「そもそも、今更裸を見られたって……ねえ?」

 

「ええ、見られて恥ずかしい体はしておりませんし?」

 

「【ファミリア】で唯一の男の子。浮気されないように、その体に覚えさせておく必要あると思わない? 匂いから感触から……何なら、味まで」

 

「「あ、味ぃ!?」」

 

何食わぬ顔で下ネタだろうがぶちかますアリーゼと輝夜。周囲から聞こえていたのか、「え、一時間揉み放題サービス!? どこだ!?」なんて声がするがそれすら知らん顔。挙句の果てには『浮気対策』まで口にする始末で、リューとネーゼが悲鳴の如き声を上げた。

ネーゼに背負われていたベルはネーゼの右肩に顎を乗せて、そんな姉達の馬鹿なやり取りを聞いて苦笑を浮かべるが尻に当たるネーゼの尻尾がこそばゆく時々体を震わせている。

 

「貴方達、場所くらいは考えなさい」

 

そこに溜息をついて注意をするのは、女神の中の女神、アストレア。

ベルが振り返り視線が合えば優しく微笑んで「大丈夫?」と気にかけている。こくり、と頷いて落ちないようにしっかりとネーゼにしがみつく。

 

「でもまあ……実際すごかったよな」

 

「「「ネーゼ(さん)のおっぱいが?」」」

 

「だからその話はもういいんだってばぁ!?」

 

「【ファミリア】でアストレア様を除けば一番大きいのはマリューだけど……その次は輝夜かしら?」

 

「もー!!」

 

「ごめんごめん、さっきの戦いの話でしょ? ベルったらいつのまにあんな必殺技を開発してたのかしら」

 

「実践形式で鍛錬を誘おうとしても嫌がるというのに」

 

「団長にリオン。これはあれだ、男の矜持というやつだ。男はこういう努力系のあれこれは見られたくないものなのだろうよ」

 

「そういうものなの?」

 

「そういうものなのですか?」

 

じーっとネーゼに背負われているベルに、アリーゼ達は目を向ける。6歳の頃から一緒に暮らしているとはいえ、【ファミリア】唯一の男児であり、初めての男。わからないことだらけなのだ。

 

「うーん……? よくわからないけど……特に何もしてないし……オッタルの()()()ならあれくらいやらないと倒せないかなって思っただけで」

 

「「「「「オッタルの()()()」」」」」

 

思わず、ベルの口から聞こえた『おじ様』呼びにアリーゼが、アストレアが、リューが、輝夜が、ネーゼが同じことを口にしてしまう。たしかに年齢でいえば、おじさんだけど、オラリオであの武人をそう呼んでいるのはきっとベル以外にいない。というかいつからこの子はそんな呼び方をしているのだ。と誰もが同じことを思った。

 

「ベ、ベル? どうして【猛者】のことを『おじ様』なんて呼ぶの? 他人よ、あれ」

 

「知人ではあるでしょう……」

 

「それでも他人よ」

 

「アリーゼさんだってガレスのおじ様のこと、『おじ様』って言ってたでしょ? だから、三十越えた人にはそう呼んだ方がいいのかなって」

 

「「「アリーゼ」」」

 

「え、私のせい!?」

 

「団長、この際だ言わせてもらうが……ベルに余計なことを覚えさせるな」

 

「「「「ブーメランって知ってる?」」」」

 

はて何のことでございましょうか。と顔を反らす輝夜にアリーゼ達は「あんたが一番、余計なことを教えてるのよ」と言いたげに頬をひくつかせる。ぐぅぅ、と誰がいうでもなく空腹を訴える音が鳴り、屋台巡りでもして本拠に帰ろうかという頃。広場にできた人だかり、さらにその先にある舞台から一柱の男神の声が響いてきた。

 

 

『さあさあ、お立合い!』

 

「ん?」

 

『遠き者は音に聞け、近きものは目にも見よ!』

 

「この声は……ヘルメス?」

 

『そして腕に覚えがある冒険者ならば、名乗りをあげろ!』

 

 

舞台上の男神が声を上げて注目を集めていた。

橙光色の髪に、旅行帽。

多能神(マルチタレント)とは彼、ヘルメスのこと。そんなヘルメスの声に釣られるように、一般人のみならず冒険者達が次へ次へと集ってはこれから何が始まるのかと待ちわびていた。

 

 

『さあ! この『槍』を引き抜く英雄は誰だぁ!?』

 

ヘルメスの前に鎮座するのは、水晶に突き刺さった状態になっている銀色の『槍』。

 

「何をされているのでしょうか、あの男神様は」

 

「いつも一緒にいるアスフィがいないわね」

 

「僕、あれ知ってます。御伽噺で出てくる『選定の儀』っていうやつです」

 

「それ、私も一緒に読んだことあるけど……あれは剣じゃなかったっけ?」

 

「あと僕がお風呂入ってると輝夜さんがやってきて抜いてやろうかって」

 

「「「輝夜、あとでちょっと」」」

 

「貴方達、マイペースね」

 

『これは選ばれた者にしか抜けない伝説の『槍』! 手にした者には、貞潔たる女神の祝福が約束されるだろう!』

 

ヘルメスの語りを聞きながら、あれやこれや言うベル達。アストレアが苦笑しながら眷族達のやりとりを見守っているとヘルメスは更に声を大にして「更に!」と続ける。

 

『抜いた者は、豪華世界観光ツアーにご招待! 既にギルドの許可済みだぁ!』

 

その言葉に、誰もが雄叫びに近い歓声を上げた。

それも無理もないことだろう。オラリオに所属する【ファミリア】は基本、都市の外に出る事は難しい。迷宮都市は戦力流出に敏感であるからだ。極端な話、ダンジョンの試練(おんけい)によって鍛えられた上級冒険者達がオラリオを出て、そのまま都市と敵対することになれば目も当てられない状況ができあがるからだ。

『世界の中心』と呼ばれる最大の理由、世界最高峰の戦力に守られるオラリオは、守りを失い都市を脅かす敵が増えることを非常に警戒しているのだ。故に、都市外へ出ようとする【ファミリア】――特に上級派閥にはギルドの厳しい審査と繁雑な手続きが必要となる。中でも主神はそう易々とは外出を許可されない。団員達が都市外に出たとしても主神さえ確保していれば牽制役、神質(ひとじち)になるからだ。

といった事情があることから、冒険者達はその『世界観光ツアー』なんて言葉に加えて『ギルドも認めた』とあっては興奮せずにはいられないのだ。

 

すなわち。

 

 

「旅行! 行きましょう! アストレア様!」

 

「温泉があるとなお、素敵でございますねえ」

 

「オオオオオオオオオオオオオオオオオオンッ!!」

 

「ネ、ネーゼ、落ち着いてください!? 獣化、獣化している!?」

 

「アストレア様、どこに行きたいですか!?」

 

「貴方達、気が早すぎるわ!? 第一、あのヘルメスの企画でしょう!? 面倒事が待っていると私の神としての勘が告げているのだけれど!?」

 

【アストレア・ファミリア】の女傑達も興奮しないわけにはいかなかった。

もう既に自分達が選ばれたと思い込んでいる気の早い乙女達にアストレアは何度目かもわからない苦笑を受けべる。そもそも主催しているのは、あのヘルメスだ。怪しいと何故、誰も思わないのか。

 

 

「あ……アストレア様に、ベル」

 

「あら? 【剣姫】に【千の妖精(サウザンド)】……さっきぶりかしら?」

 

「【アストレア・ファミリア】の皆さんも、お祭り周ってらしたんですね」

 

「屋台巡りをしようとしていたら、ちょうど催しが始まってしまったの」

 

名乗りを上げた冒険者達が、一人、また一人と舞台に上がり、水晶に突き刺さった『槍』を引き抜こうとしている中、祭りを見て回っていたらしいアイズ達が合流する。槍を抜くことができなかった冒険者達が悔しそうな顔をしながら舞台を降りていき、そしてまた別の冒険者が舞台を上がるのを繰り返すことしばらく、レフィーヤが、アイズが挑戦する。

 

「くぅー・・・、ピクリともしません」

 

「だめ・・・抜けない・・・」

 

Lv.6の【剣姫】でも無理なら無理では? と首を傾げる【アストレア・ファミリア】の女傑達もアリーゼ、輝夜、リュー、ネーゼが挑み、やはりピクリとも動かない『槍』に残念そうにアストレアの元へと戻って来る。

 

「アストレア様、ごめんなさい。旅行に連れて行けると思ったのに……」

 

「いいのよ、またの機会にしておきましょう」

 

「ほらベル、残っているのはお前だけだ。行ってみろ」

 

「わかった」

 

「せっかくの祭りです、楽しみなさい」

 

「はーい」

 

見送られ、トテテと舞台へと駆けていくベル。

ヘルメスが「次は君かい?」と進行役として歓迎し、ベルの番が始まる。

 

「そういえば私達は【アストレア・ファミリア】の本拠に遊びに行っていたので見ていないんですけど、昼間はここで、美女コンテストが行われていたんですよ?」

 

「あら、そうなの?」

 

「そもそもオラリオには容姿の良い女性冒険者は多いと思うのですが、どう一番を決めるつもりだったのやら」

 

「ロキがリヴェリア様を出場させたり、ヘファイストス様が出場させられたり……最終的に一番を決められなくて、フレイヤ様が乱入してフレイヤ様が優勝を飾っていました」

 

「「「美の女神が美女コンテストに出場するのは間違いではないだろうか?」」」

 

「【アストレア・ファミリア】からはどうして誰も出ないんだという声もあったそうですが・・・」

 

「いや、私達にはベルがいるし」

 

「他所の男のオカズにされたくはございませんので」

 

どうせベルでも無理だろう。こういうのは抜けないのが普通なのだと高を括ってレフィーヤと話をしていると

 

『おめでとう、ベル君! 槍に選ばれたのは……君だぁ!』

 

というヘルメスの声が響き渡った。

 

「「「「え!?」」」」

 

【アストレア・ファミリア】の女傑達は主神も一緒になって思わずといった声をぶちまけた。舞台上に一斉に顔を向けてみれば、キョトンとした顔で槍を握っているベルが確かにそこにいた。

 

「ア、アストレア様・・・なんていうかその、取れちゃいました」

 

「「「「取れちゃったかぁ」」」」

 

こういうのは、『一等』が入っていない『くじ引き』と同じように槍は絶対に抜けないようになっているものではないのかと思っていたが故に、間抜けな反応をせざるを得ない。故に、「取れちゃったものは仕方ないなあ」と【アストレア・ファミリア】の面子が苦笑にも似たニヤケ顔をしているのをこの時、レフィーヤは見た。

 

「それじゃあ、今回の旅のスポンサーのお出ましと行こう」

 

「スポンサー……?」

 

あ、これ、本当に旅に行かせてもらえるやつだったんだ。とアストレアがボソッと呟いたが、誰もツッコんだりはしない。あの神はあの神で信用ができないし、何より、7年前の『抗争』の際、「アストレアママァ~! オレ、すっごく頑張ったんだよ~! ご褒美にぃ、膝枕をしてぇ、頭をヨシヨシしてほしいなぁ~!」などと言って飛びついていたことを少なくともアストレアの眷族達はライラ伝いに知っているし、飛びついたヘルメスをアストレアは危なげなく回避してみせたのも知っている。身のこなしで旅人の神に劣るほど、正義の女神は落ちぶれてはいないし、剣と天秤を持ち、時には裁きを下す彼女はちゃっかり武闘派の一面も持っているとはいえ、敬愛する女神に対するセクハラなどもってのほかなのだ。そんな疑いの目しか向けられていないヘルメスは一瞬冷や汗をかくような顔をしたが、スポンサーを紹介するべく舞台正面に手を向けた。ヘルメスの指す方へと視線を向けるように、人垣は左右に分かれ、その先に一柱の女神が現れる。

 

月の涙を凝縮したような美しい蒼の長髪に、凛とした姿勢。

神聖という言葉は彼女のためにある。

 

「見つけた、私の『オリオン』!」

 

誰もが彼女を見ている中、アルテミスは長髪を揺らし、舞台に立つベルへと駆け寄り、飛び、そして、押し倒して抱き着いた。誰もが唖然とし、あらゆる時間が停止したのではないかと錯覚するほどに静まり返る中、ヘルメスはただ一人、笑みを堪えて見守り二人の『出会い』を瞳に刻みつける。運命に選ばれた少年は、月夜に降り立った女神と出会ったのだ。ここに炉の女神がいれば大騒ぎになっただろうが、お生憎様、彼女は舞台には上がることはない。なにせバイトに追われているのだから。

 

「……さぁ、始めよう」

 

胸に過ぎる一抹の寂寥(せきりょう)と痛切を封じ込め、ヘルメスは仮面の笑みを纏い静かにそう呟いた。

 

 

×   ×   ×

【アストレア・ファミリア】本拠『星屑の庭』

 

 

「ほう、ここが『オリオン』の住む家なのか。素敵なところだな」

 

選定の儀(イベント)』が終わると、一同は【アストレア・ファミリア】の本拠へと移動していた。大通りを抜け、街路をいくつか折れ曲がり、閑静な住宅街。北の区画、その片隅に存在する本拠は決して大きくない、けれど瀟洒(しょうしゃ)な白い館。

 

「アルテミス、そろそろ離してはどうかしら? ベルが歩きにくそうなのだけれど?」

 

「それならばアストレア、貴方が離れればいいのではないか? 私は『オリオン』と離れたくないぞ?」

 

両手に華ならぬ両手に女神を侍らせるベルは、何が何やらといった状態でヘルメスと姉達へと視線を何度も泳がせる。

 

「モテモテですねベルは」

 

「凄いわベル! 貴方ったらアルテミス様まで落としちゃうなんて! ちょっと本でも書いて売れば儲かるんじゃないかしら!?」

 

「『女神の落とし方!』というタイトルでいきましょうか?」

 

団欒室に入ってもなお、アルテミスはベルの腕に抱き着くのをやめず、それに対抗するようにアストレアもまた、ベルの腕に抱き着いている。両腕に二柱の女神の大きさよし、形よしの胸が押し当てられており、姉達にまで揶揄われ始めたベルは流石に「うぅ」と呻いている。テーブルに紅茶を淹れたティーカップが三柱の神の分だけ置かれ、呻くベルに助けを求められたか、リューが咳払いをしてから話題を切り出した。

 

「あの、そろそろ本題に入っては?」

 

「ん? ああ、そうだね、そうしようか。アルテミス達はとりあえず置いておいて……」

 

「置いておかないでください!? 僕はどうしたらいいんですか!?」

 

「なんだいベル君、麗しの女神のおっぱいを堪能できるんだ。俺が変わって欲しいくらいだぜ? ここは俺に任せて、そっちはそっちでやっていてくれ!」

 

キラッ☆と爽やかスマイルに親指を立ててサムズアップ。

二柱の女神に両腕をガッチリホールドされているベルは見捨てられた。

 

「アルテミス、どうしてベルに抱き着いているの? それにこの子は『ベル』よ」

 

「何を言う。彼はまごうことなき『運命(オリオン)』だ。ヘルメスも言っていた、 絆を深めるにはこういったスキンシップが重要だと」

 

「ヘルメス、あとで話が」

 

「おおっほん、げほんごほん! さて、本題だぁ!」

 

アストレアにお呼び出しを喰らったヘルメスはわざとらしく聞こえなかったように咳払い。

打って変わって表情を真面目なモノに切り替えて言葉を紡ぐ。

 

「実は、オラリオの外にモンスターが現れた」

 

「オラリオの外・・・ですか」

 

「ああ。【アルテミス・ファミリア】が発見したんだが、ちょっと厄介な相手でね」

 

「それでオラリオに助けを求めに来た……と」

 

「つまり、『観光ツアー』とは名ばかりで、アルテミス様がご依頼された、モンスターの討伐の冒険者依頼(クエスト)というわけですか」

 

「さすが【アストレア・ファミリア】! するどい!」

 

「「「「はぁ~……」」」」

 

やっぱり面倒事だった。と会話に参加していたリュー、輝夜、アリーゼが溜息をつき、旅行などなかったと現実を突きつけられた帰還していた女傑達もまた深い溜息をついた。

 

「詐欺では?」

 

「まあまあ、細かいことはいいじゃないか」

 

女傑達と話を詰めるヘルメスとは別。

最早長椅子(ソファ)に押し倒されかけているベルは、アルテミスに迫られていた。正面にアルテミス、背後にアストレア。徐々に、徐々に体が倒れていったせいで、今やベルの頭はアストレアの悩ましい胸元にあった。柔らかな感触が、確かにベルの頭に伝わっている。

 

「私はずっと貴方を探していたんだ、『オリオン』」

 

「いや、あの、僕はベル・クラネルって言って……」

 

「いいや、貴方はオリオン」

 

「ぼ、僕は……オリ、オン?」

 

「ベル、気を確かに。悪い老婆に名前を奪われた女の子が出てくる御伽噺みたいにならないで頂戴」

 

「貴方は、私の『希望』」

 

ベルの体を覆うように、瞳を見つめ合い、月の女神は語る。

『グランド・デイ』の前夜祭を利用した『選定の儀』。それが行われる前から、月の光が満ちると夜な夜な都市に下り、夜の街を彷徨ったことを。いくら探そうとも見つからない『オリオン』に、いつしか自分の顔に切なさが滲むようになったことを。

 

「私はいつしか『オリオン』について考えるようになっていた。私の『希望』はどんな人物なんだろう? どんな子供で、どんな種族なんだろう? ヒューマン? 獣人? エルフ? ドワーフ? 小人族? もしかしたらアマゾネスで私と同じ女であるかもしれない。どんな声で喋って、どんな風に笑うのか。私はその時、どんな風に接することができるのか……いっぱい、考えたんだ。ようやく貴方を見つけた時、嬉しさのあまり、思わず飛びついてしまっていた」

 

「アルテミス……?」

 

「……どうして、僕なんですか? 僕より強い人はいっぱいいるのに」

 

「槍を持つ資格は強さではない。汚れを知らない純潔の魂」

 

 

「汚れを知らないですって輝夜?」とヘルメスと話を進めつつも二柱の女神と少年のやりとりを観察していた女傑達は一斉に可愛い弟にいらんことを教えている筆頭の輝夜へと鋭い視線を向けた。輝夜はぷいっと顔を反らしたがすぐに反撃する。

 

「エロの何が汚れであると?」

 

「あら、私は一度も『エロ』とは言ってないわよ?」

 

「ならば何故、皆さまは一斉に私のことを見るのでしょうか? 少々、腹立たしいのですが」

 

「へー、輝夜ちゃんって【アストレア・ファミリア】の『えっちなお姉さん枠』だったんだ。良いこと聞いた」

 

「…………フンッ!!」

 

「ゴボォッ!?」

 

当然のように話を聞いていた――冒険者依頼(クエスト)の内容やら話をしていたのだから聞こえて当然――ヘルメスは、青筋を立てた美しい顔の大和撫子の渾身の右ストレートをその腹に頂戴し『く』の字に曲がって吹き飛んだ! 神に振るわれる暴力! しかし誰も彼の心配をしていない!

 

「ちゃんと教育もせず、間違いが起こったらどうする? どこぞの生娘糞雑魚妖精様のように、「誰もいない夜の森で、二人の永遠の愛を月に誓う。そうすると赤ちゃんが流れてくる」などと言いだしかねんぞ!」

 

「リオン、駄目じゃない。そんな化石並みの思考じゃ。なに、あんたの故郷じゃそういう教えなの? セルティ、赤ちゃんの作り方って知ってる?」

 

「勿論、知っていますよ? 女性の■■■(ぴー)に男性の■■■(ぴー)■■■(ぴー)して■■■(ぴー)するんですよね?」

 

「セ、セルティ!? エルフともあろう貴方が、そんなことを口に……いえ、まず、その効果音はどこから!?」

 

仕込み(セルフ)に決まっているじゃないですか」

 

仕込み(セルフ)!?」

 

「そもそも私の故郷の里、知識欲の強い妖精が多いんですよ? それで子供の作り方の知識がないなんてあり得ませんよ」

 

「ちなみにベル君って……」

 

「ああ、まだ未使用品(どうてい)だ」

 

「「「「未使用言うな!」」」」

 

同胞のエルフから聞かされる『赤ちゃんはどこから来るの?』の解答に顔を赤くする、おぼこ妖精リュー・リオン。セルティは恥じらいを見せる訳もなく「知識として知っていてもおかしくない年齢ですよ」と丸い眼鏡をくいっと正した。そんな彼女にリューは、何故か敗北感を覚えた。

 

 

 

そんな女の子だけで盛り上がる――一部、男神が吹き飛ばされる被害にあったが――一方で、アストレア、アルテミスはベルを間に挟んで変わらず話をしている。

 

「貴方は槍に選ばれた……」

 

「選ばれ、た……」

 

アルテミスが右手をベルの頬にそっと添えて、囁く。

 

「その白き魂を携え、私と一緒に来てほしい、オリオン……」

 

顔の距離が近く、互いの息遣いさえわかってしまうほどに、物理的距離がどんどん近づいていく。これがヘルメス仕込みの『壁ドゥン!』であることなどアストレアもベルも知らない。実際には壁ではなく、アストレアの双丘がベルの頭部に密着しているわけだが、アルテミスなりの下界の『恋』に対するアプローチは爆発的速度で進んでいた。というか、アルテミスが「こうすればいいんだったな」という感じで実戦していた。もしも、ここに炉の女神がいたならば、頭突き(ヘッドバット)を繰り出して互いに涙目になって「これが本当にアルテミスだってぇ!?」などと吼えまくっていたことだろう。彼女は今、働きに働いてぐっすりとフッカフカのベッドでご就寝中だ。「アルテミスが来てるって聞いたし、明日会いに行けばいいよねえ」なんて寝言までかましている。

 

「アストレア様、僕はどうしたら……」

 

「…………」

 

「……アストレア様?」

 

「……ごめんなさい、何かしら? 冒険者依頼(クエスト)を受けるか否かという話だったかしら?」

 

「はい」

 

「そう、ね……ベルは、どうしたい?」

 

「ええっと……困っているなら、助けてあげた方がいいと思いますけど……」

 

 

 

 

×   ×   ×

深夜。

 

アストレアはベッドで寝息をたてているベルの頭を撫で、部屋を後にし団欒室に向かう。眷族達を起こさないように、静かに。

 

 

「やあ、アストレア……皆は眠ったかい? 君の眷族(こども)は聡い子が多いからね」

 

「ええ、少なくともベルは疲れて眠っちゃってるわ。 皆も眠っていると思う」

 

「いやあ、それにしても驚いたぜ。アストレアがベル君を後ろから抱きしめながら「私、この子とお風呂入らないといけないの、アルテミスには無理でしょ?」なんて言い出したかと思えば、アルテミスが顔を真っ赤にして「で、できる!」とか言って二人ともベル君を引きずっていくんだから!」

 

俺はまさしく『出荷される兎』を見たぜ? まったく羨ましいぜ!と茶化すヘルメスに対して、少し離れた位置にある長椅子(ソファ)で膝を抱え顔を埋めてプシュ~と頭から煙を上げているのはアルテミスだ。実際には脱衣所まで行った辺りで「や、やっぱり無理だ……!」と言ってアルテミスは逃げた。アストレアも「さすがに挑発しすぎたかしら」と若干反省はしている。

アストレアも長椅子(ソファ)に腰を下ろすと、先程までとは違った空気――神としての目をもってアルテミスをじっと見つめた。

 

 

「貴方は……本当にアルテミス?」

 

「……ああ、本当だ」

 

ここに至るまでアルテミスを見ていたアストレアは、感じ取った違和感から聞き、そしてアルテミスが答える。「本物であるが、本物ではない」と。今のアルテミスは、厳粛な理性から解き放たれていた。貞潔の鎧を脱いだ、ありのままの彼女というべきか。処女神としての自覚『貞潔たれ』という防壁を失った彼女は、まさに何も知らない『少女』と同義。

 

「この『矢』の性質上、真の力を発揮するにはアルテミスと『使い手』が心を通わせる必要がある。見つけ出した『使い手』と、なるべく絆を深めなくてはならない。でなければ『矢』の威力は発揮されず、『アンタレス』を射抜くことは叶わない」

 

「だから私は、ヘルメスによる短期間集中指導講座を受け、『恋』の予備知識を身に着けた。今の私は恋愛マスターと言っても過言ではない」

 

「ごめんなさいアルテミス、ちょっと静かにしていてくれるかしら。それで、ヘルメス……アンタレスと聞こえたけれど……? どうして、古のモンスターが……?」

 

そんなアストレアの言葉に、『アンタレス』というワードにアルテミスはバツの悪そうな顔をして黙り込む。ヘルメスは「どこから話すべきか」と天井を見つめてから、語り始めた。

 

 

「ことの始まりは、『エルソスの遺跡』付近で、多くの【ファミリア】が消息を絶ち、モンスターの異常な増殖が起きているため、至急調査に向え。というものだった」

 

現場付近に行ってみれば『侵食』され黒く染まった森があったり、遺跡とは逆方向、そこにはあった筈の森が吹き飛び巨大な窪地(クレーター)が出来上がっていた。まるで、上空から『人智を超えた力を持った何か』が落ちたように。窪地(クレーター)の先に進んだ所でヘルメスは出会ったのだ。アルテミスだった存在に。

 

「私の【ファミリア】が調査のために侵入した遺跡の奥で、古の厄災……『アンタレス』は目覚めていた。私の【ファミリア】は全滅……私はこともあろうに『アンタレス』に取り込まれてしまった。ここにいるのは――」

 

「ここで今こうして会話しているのは、アルテミスの残り滓だ」

 

「…………」

 

天界から召喚された『矢』。

今のアルテミスという存在。

思念体という名の女神の残滓。

何より『神』を取り込んだ古のモンスター。

下界の『未知』がよりにもよって引き起こしてしまった、最悪の『異常事態(イレギュラー)』。

 

「……どうして、アルテミスが取り込まれてしまうなんてことに? 送還はされなかったというの?」

 

「迂闊だった。いや、甘かった。私は襲撃された中で危機に晒された少女(ランテ)を……庇ってしまった。私はその時が来れば非情な女神になれると思っていた。……しかし、なんてことはない、私も随分と下界に染められてしまったらしい」

 

自嘲と切なさが織り交ざる笑みに、アストレアは何も言えなかった。『エルソスの遺跡』に封印を施したのはアルテミスの系譜に連なる『大精霊』。門の封印を解除して遺跡の奥へ進むには、どうしてもアルテミス自身の同行が必要となる。

その先でアルテミスとその【ファミリア】は怪物(アンタレス)の奇襲に遭ったのだ。

瞬く間に減らされた眷族の命。

目の前で無慈悲に奪われていく子供たちの姿。

その光景に、アルテミスにも存在した『弱さ』が、『女』の部分が悲鳴を上げた。彼女は下界の規則(ルール)に抵触する『神の力(アルカナム)』を行使してまで眷族の少女を救おうとした。いや、真実彼女は眷族を救った。だが、その『力』に反応した『アンタレス』に捕らえられ、そのまま()()()()()

 

神々(おれたち)の権能は()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「・・・つまり、災厄の蠍(アンタレス)に取り込まれた時点で、『神の力(アルカナム)』は発動しない」

 

「天界送還も叶わない、ということなのね……」

 

今やアルテミスを取り込んだ『アンタレス』は、彼女を封じる『檻』となっており機能するはずの『送還』が行われない。つまりそれは、アルテミスの魂の『牢獄』となった『アンタレス』が、彼女の『神の力(アルカナム)』を自由に使役できるということである。

すなわち、放置すれば下界は滅ぶ。

『アンタレス』は過ぎた『力』を手に入れ、モンスターの本能に従い、天界最強の矢――『アルテミスの矢』をもって神と人類を滅ぼそうとしているのだ。それは地中に在る『怪物の母胎(ダンジョン)』をも脅かす力だ。

 

「……取り込まれているアルテミスを救出する手段は、ないの?」

 

「ない、というより()()()だ。彼女(アルテミス)は『アンタレス』そのものとなっているらしい。既に引き剥がせないほど心身は侵食されている」

 

「……」

 

「力の残滓で糸のように本体と繋がっているからこそ、わかる。中枢に取り込まれた(アルテミス)そのものを殺さなければ……『アンタレス』を討つことはできない」

 

神々をも殺す『神創武器』、すなわち『オリオンの矢』は女神アルテミスを殺しうる矢であり、アルテミスを取り込んだことで神であり、怪物であるという『矛盾』を孕んだ災厄(アンタレス)を……その『矛盾』そのものをアルテミスという原因をもって強引に相殺させようというのだ。

 

「『アルテミスを必ず殺す』という因果が、『神の力(アルカナム)』が通用しないという『理』そのものを捻じ曲げる」

 

「ヘルメス、神々のみでの対処は不可能?」

 

「無理だ、アストレア。この話は前夜祭の前日、ウラノスとガネーシャとも話をしている」

 

「……いいわ、聞かせて」

 

「今の災厄の蠍(アンタレス)は言わば、三すくみの内の二種類の(カード)を持ってしまった化物だ。『神の力(アルカナム)』を有している以上、『眷族』達の力は通用せず、『古のモンスター』である以上、『神の力(アルカナム)』も効かない。拳遊びと同じさ」

 

一つの手しか出せない相手に対し、二つの手を独占できれば、その存在はいかなる者にも決して負けることがない。

 

「神々が束になれば……『アルテミスの矢』は防ぐことはできる。けど、『アンタレス』は討てない……これは絶対だ」

 

「もし仮に、対処ができなかった場合はどうなるの?」

 

「まず『アルテミスの矢』で下界全土が吹き飛ばされる。次点でダンジョンの暴走」

 

アストレアの問いに、ヘルメスはどこまでも答えた。

そこに普段のふざけた調子などはなく、巻き込んでしまった者に対する申し訳なささえ感じられる。アストレアは努めて表情を変えないようにしつつも、気づかないうちにロングスカートの布ごと拳を握り締めていた。一つ、また一つと指を立てながらヘルメスは語っていく。

 

強大な神の矢が臨界に差し掛かれば、ダンジョンは怯え、いかなる現象を引き起こすかわからない。モンスター達は暴走するかもしれないし、あるいはまた別の、『アンタレス』と同等の力あるモンスターを産み落とし、解き放とうとするかもしれない。たとえ上空に集まる『アルテミスの矢』を食い止めたとしても、ダンジョンの『蓋』たるオラリオ、ひいては『バベル』が陥落すれば下界に未来はない。モンスターの地上進出は『古代』以来の支配と蹂躙を招くだろう。

 

 

「……私は『罪』を犯した」

 

ヘルメスの話を聞き、しばらく黙っているとアルテミスは口を開いた。

 

「それは下界を滅ぼしかねない、かつてない『大罪』だ。残り滓と化した私は、何としてでもこれを償わなくてはならない。守れなかった子供達のためにも、私の手で殺してしまったあの娘達のためにも」

 

「アルテミス……」

 

「厚かましいのは自覚している。この期に及んでどれだけ恥知らずな真似をしていることも。いきなり現れて他神の眷族に手を出そうなんて何様のつもりだと思われても仕方がない。あの子に取り返しのつかないような傷をつけるかもしれない。だがアストレア―――どうか『オリオン』を、ベルを貸してほしい」

 

アルテミスはアストレアに向って体を折った。

あの誇り高き女神が、懇願の礼を行ったのだ。

再び顔を上げたアルテミスの顔を見て、アストレアは既に彼女は『死』を覚悟しているのを感じ取り、「あの子には重過ぎる」と言って断ることも単純に「嫌だ」と言うこともできなかった。もう既に、猶予はないのだ。

 

 

 

二人が『星屑の庭』を立ち去った後。

神室に戻り、寝間着へと着替えたアストレアは可愛らしく幼い寝顔を晒すベルの髪を梳くように撫でた後、そっと呟く。「ごめんなさい」と。

 

「明日は『グランド・デイ』なのに……」

 

せめて。

せめて残酷にも刻限が迫るその時まで。

その旅路が少年にとって色褪せぬ旅路でありますようにと人知れず女神は祈る。


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