アーネンエルベの兎   作:二ベル

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場面転換が難しい


ミセス・ムーンライト⑥

 

 

森の中、騒がしい男神と眷族達の姿はそこになく。

清らかな泉のある開けた場所、その浜辺に女神と少年は腰を下ろし、肩を並べて話をする。二人を明るく照らす『月』など空になく、微かに照らすのは小さな魔石灯(ランタン)のみ。

 

静寂が二人を包み込む。

 

 

「すまない、巻き込んでしまって……」

 

「えっ?」

 

それは懺悔だ。

女神アルテミスが運命(オリオン)に選ばれてしまったベルに対する、心からの懺悔にして謝罪だ。

 

「貴方には過酷を押し付けることになる」

 

まだ、冒険者(こども)達は知らない。

『アンタレス』を討伐するとは、どういうことか。

まだ、冒険者(こども)達は知らない。

『黒い竜巻』の正体とは、何なのか。

アルテミスも、ヘルメスも『異常事態(不運)』が重なってしまうだなんて思いもしなかった。

これもまた、アルテミスが眷族を庇わなければ、『アンタレス』に囚われなければ、こうはならなかったかもしれないのではないかとアルテミス本神(ほんにん)がそう思わずにはいられないほどのことで、だからこそ、あまりにも猶予がない。こうして二人きりで語らえる場を用意してくれたアポロンとヘルメスに感謝するが、これから隣にいる少年に押し付けられる『過酷』にアルテミスは胸を締め付けられる思い出いっぱいだった。

 

「だ、大丈夫です!」

 

アルテミスのいきなりの謝罪に思わず立ち上がり、緊張しながら声をあげるベル。まだ、何も知らないからこその緊張がそこにはあるのだろう。

 

「どんなモンスターが現れても、必ず倒してみせます! 必ず、貴方を守ります!」

 

「まるで英雄のようだな」

 

「………なれたら、いいんですけど」

 

「頑張ってみればなれるんじゃないのか? 可能性はゼロじゃない」

 

「そう、ですね」

 

 

会話が途絶え、二人は夜空を見上げる。

そこにはあるのは、『月』などでは決してない。夜闇に染まってこそいるが、分厚く黒い雲が空を覆い『月』を隠し、光さえ通さないのだ。

 

 

「よし、オリオン。 踊ろう」

 

「…………はい?」

 

「踊ろうじゃないか、ほら、あんなに『魔石灯』が綺麗だ! きっと『ナイトプール』というのもこういった感じのものなのかもしれないな! 聞いたことがある、昔、砂漠のオアシスを一夜限り『ナイトプール』にして泳いだ神がいたという話。まあ風の噂みたいな話だ、美化されている可能性もあるが……まあ、確かに、『魔石灯』を複数並べてみれば、水面に反射して美しいと感じないこともない」

 

「……つ、つまり?」

 

「私と、踊っては貰えないだろうか?」

 

「…………」

 

「だ、駄目……だろうか?」

 

一度、踊ってみたかったんだ。

そう言って人差し指と人差し指をツンツンするアルテミスに、ベルは苦笑を浮かべて頷いた。

 

「……はい、踊りましょう」

 

「あ、ああ! 踊ろう! ありがとう!」

 

上目遣いなアルテミスへとベルが手を差しだし、それをアルテミスが喜びを浮かべて取り、立ち上がる。誰も見ていない二人きりのその場所で、『魔石灯』に照らされた水面を揺らして二人は踊り出した。

 

 

×   ×   ×

迷宮都市 祈祷の間

 

 

「討伐困難……?」

 

「ああ、『デダイン』から戻った【万能者(ペルセウス)】からの情報だ」

 

 

松明の炎が揺らめいている。

『古代』の神殿を彷彿させる石造りの広間。辺りは薄暗く、燃える炎の音を除けば静寂に包まれていた。ギルド本部地下『祈祷の間』。

四炬の松明が設置された中央祭壇の上で、巨大な神座に腰かける老神、ウラノスはその蒼色の双眸を細めた。

 

 

「【勇者】フィン・ディムナを筆頭として、冒険者達は都市外に存在する『黒い竜巻』を討伐。それらが通った場所を辿るようにして」

 

「彼等は『デダイン』に辿り着いた……と」

 

そうだ、とウラノスは側に控えていた黒衣の人物へと短く返す。

冒険者達は『黒い竜巻』が通った道を辿り、或いは行く先々にいた『黒い竜巻』を討伐し、その先に光さえ通さない分厚い雲を確認。そこがくしくも、かつて【ゼウス・ファミリア】と【ヘラ・ファミリア】が三大冒険者依頼の一つ、『陸の王者』ベヒーモスを討伐した場所だったのだ。

 

「アルテミスの件さえなければ、恐らくはヘルメスによって素早く情報が仕入れられ、最初から目的地を知った上で、()()()()()()()()()()()()()()()だろう。しかし」

 

「しかし、今回、神ヘルメスの眷族達はオラリオの外に……『エルソス』にいた。そのため、情報収集する役がいなかった。結果、冒険者達自らが戦いながら目的地をおおよその予想を立てたうえで向かうしかなかったと」

 

「そうだ」

 

「では、何故『黒い竜巻』……いや、ベヒーモスが復活した?」

 

「正確には原種(オリジナル)ではない、亜種(オルタナティブ)。これも神の戯れか、何者かが()()()()()()()()()()らしい……ベヒーモスのドロップアイテムを」

 

「あの広大な砂漠で見つけたというのか!?」

 

「そうだ、そして発掘した者達はそのドロップアイテムを()()()()()()()()()()()

 

「!」

 

魔石を喰らった怪物は力が増し、『強化種』となる。

では伝承の怪物、その肉体の一部を取り込ませたら大量の魔石の比にならない『化物』が生まれるのではないか? そのような安易な考えに走った愚かな神がいてもおかしくはない、とウラノスは驚愕に揺れるフェルズへと告げる。

 

「『ドロップアイテム』の法則として、発生する身体の部位は異常発達した箇所と決まっている。ベヒーモスの最大の武器は【毒の風】……もう一つはおよそ生物の範疇を越えた、強靭な『生命力』。脳か、臓器か……あるいは『心臓』か。遺された『ドロップアイテム』はその類だろう。そしてそれは、大いなる怪物の『生命力』の源だ。『ドロップアイテム』でありながら、()()()()()としたら……」

 

「それを取り込んだモンスターを乗っ取る……? いや、その『巨獣の心臓(ドロップアイテム)』こそが怪物を取り込んだ……と?」

 

「これならばベヒーモスの亜種が誕生した経緯は説明できる。 だが、冒険者達がやるべきことは変わらない」

 

地上のモンスターを取り込んだことによって、原種(オリジナル)にはなかった『増殖能力』を有したことで脅威は増し、世界中に解き放たれている。力は遥かに劣っているとはいえ、時に数は質より厄介なものとなる。故に、確実に仕留めなくてはならない。

 

「だが、それも『光の矢』が本体に近付いた時点で冒険者達へと降り注いだ。これによって、いくら防備を整えようと接近することもままならん。あれは紛れもなくアルテミスの『神の力(アルカナム)』」

 

「回避は……不可能なのか?」

 

「不可能だ。黒雲それ自体が、空に作られつつある『アルテミスの矢』を隠し、そして降り注ぐ矢さえ黒雲を突き抜けるその時まで見えなくなってしまっている」

 

 

そんなものを散弾撃ちされては、いくら器を昇華させた冒険者達といえどベヒーモス討伐を行いながら回避をするなど無茶振りを越えている、とウラノスは暗い天井を見つめ瞳を細めた。

 

 

 

×   ×   ×

『デダイン』 天幕内

 

 

「『ベヒーモス』……」

 

「あくまで『亜種』だ。本物の『古代のモンスター』とは違うと、僕達はそう認識している。『三大冒険者依頼(クエスト)』で僕達が目にした原種(オリジナル)にどれほど迫るのか、あるいは超えているのか……全くの未知だ」

 

あくまでもベヒーモス単体での話だけれどね、とフィンは冷静な眼差しを対面するアイズへと向けたまま、肩を竦める。今回の事件の起点であり、全ての災いの源である『黒雲』。その中に敵の本体が存在し、それを討伐すれば今回の事件は終息する。単純に言ってしまえばその通りではあるが、問題が一つあった。

 

「僕達が『デダイン』に辿り着いた頃、運よくというか運悪くというか黒雲に近い位置に冒険者達がいた。複数ある竜巻を討伐しながらの行軍だから、冒険者達の位置が散らばってしまうのも仕方がないんだけれど……とにかく、『デダイン』を拠点としたことで僕達は未だ辿り付いていない冒険者達も含めてこの村に来るよう指示を出しラウル達に動いてもらった。そして黒雲に一番近いところにいた冒険者達がひとまずの目的地である『デダイン』に引き返そうとしたところで、事態が一変してしまった」

 

「…………あの、光の雨?」

 

「そうだ」

 

天幕の中にいるアイズ、フィン、オッタルは『デダイン』に今回の事件の本当の敵――ベヒーモス――についての話を進めながら、冒険者達の遥か頭上より降り注いだ『光の雨』を思い返す。村は被害にこそ合わなかったが、黒雲近くにいた冒険者達は戦闘不能に。凄まじい光量は一時、『デダイン』一体を明るく照らしてしまうほど。あまりにも恐ろしい出来事に、誰かが「まるで巨人が手のひらいっぱいに掴んだ小石を投げたみたいだ」と呟くほどに、窪地(クレーター)が出来上がっていた。

 

「ベヒーモスには、あんな力が?」

 

「…………いや、あれはベヒーモスの能力ではない」

 

「ああ、オッタルの言う通り。 そして断言しようアイズ、僕達はあの『光の雨』が降り注がないようにならない限り、ベヒーモスを討伐することさえ敵わないだろう」

 

ベヒーモスの毒は万物を殺す毒。

戦うどころか近づくこともできない。フィンは言う、当時も長い時間をかけて対策を整え、完全装備で立ち向かった、と。

 

「冒険者達が何もできず、腐って風化していく光景……それを遥か後方から見ていた僕は、正直に、恐怖を抱いた」

 

「…………」

 

「本来なら戦う術は無いんだ。だが、唯一と言っていい希望が僕達にはある……それがアイズ、君だ……君、だった」

 

「…………」

 

「君の【エアリエル】でベヒーモスの【毒の風】を打ち消す。『黒い竜巻』との戦闘の中で、君は確かにそれをやってみせた。だが、あの『光の雨』相手ではそうはいかないし、あれを避けながらベヒーモスの元へ行けとはとても言えない、させられない」

 

「………フィン、あの『光の雨』は何?」

 

 

本来であれば、アイズに対ベヒーモスの対策の装備を身に付けさせたうえで単身突入。毒を吐き出す『器官』を潰し、【毒の風】を晴らし冒険者達の総力によってベヒーモスを叩くこくことができた。が、黒雲の向こうから降り注ぐ『光の雨』によってそれを行うことができない。

 

「あの『光の雨』は……『神の力(アルカナム)』、らしい。詳細は教えられてはいないし、『デダイン』に集まってくれた神々から情報を得ようにも、どうやら()()()()()()()()()()()()()()みたいだ」

 

「?」

 

「神ヘルメスからの伝言では、『光の雨(あれ)』はこっちでなんとかするということらしいけれど、さて、どうしたものか。こちらは最早、雨が降らないことを祈る事しかできない。いっそ『てるてる坊主』でも作ってみたくなるよ」

 

 

 

 

×   ×   ×

『エルソス』

 

 

「オリオン、貴方は踊れたのだな」

 

意外だ、とアルテミスが呟いた。

ベルは誘ったのはアルテミスだというのに踊れない前提だったのだろうかと苦笑を浮かべて、ほんの昔のことを思いだす。

 

「昔、「踊りくらいはできるようになっておけ」って言われたことがあるんです」

 

「それは、貴方の母親か?」

 

「はい。どうしてなのかを教えてはくれなかったし、お義母さんは……その、誰かと踊ったりなんてことをする人ではなかったし……でも、互いの目を見て、足の向う先を、判断を、相手の声を、瞳から察しろって教えられました。たぶんなんですけど、どこかでお義母さんは見てきて、僕に教えておこうと思ったんだと思います」

 

事実、オラリオの催しの中には舞踏会や、祭の中、広場で誰かが踊っているだなんてことはよくある。誰よりも限られた時間を生きていたアルフィアだからこそ、不要かもしれないが覚えておいて損ではないと『雑音』を嫌う自分とは違うベルに覚えさせたのだ。『星屑の庭』で、身長差もあるというのに向き合い、両手をつないで踊る、どちらかといえば振り回されているようにも見えるその姿はまさに子供と大人のじゃれ合いにも見える微笑ましい光景だったことだろう。そんなアルフィアとベルの踊っている光景を見てアリーゼ達も面白がって混ざるのだ。そんな記憶の一ページ、微笑ましい憧憬を深紅の瞳の奥に見た気がしてクスクスと笑う。

 

「貴方の母親はきっと、幼くとも愛息子と踊りたかったのだろう」

 

「そう、でしょうか……?」

 

「どんなに不器用であろうとも、血の繋がった家族というものは宝物に等しいほどに愛しいものだよ、オリオン」

 

「……アルテミス様は、どうして踊りたいなんて?」

 

「私か? そうだな……オラリオに到着したとき、子供達が広場で踊っているのを見たんだ」

 

静寂に満ちた森の中。

水面を揺らし、両の手をつないで二人は踊る。

 

「二人一組、男女となって……幸せそうな顔をしていた。その時、私はどんな顔をしていたのかはわからないがひょっとしたら羨ましいと思っていたのかもしれない。【ファミリア】に子供達に言われた、『恋』は素晴らしいものだと。私はきっと、貞潔(アルテミス)が知らない『未知』を……『恋』というものを、ずっと知りたかったのかもしれない」

 

「知ることは……できましたか?」

 

「ああ、貴方に出会って……もっと貴方と一緒にいたい、貴方のことを知りたいと今も思っている。胸がときめいている。こんなことは今までなかった。貴方は知らないだろうが、ヘルメスにこっそり何をしてあげたらオリオンは喜んでくれるだろうか?なんて聞いていたんだぞ? きっと、こういう胸の高鳴りを『恋』と言うのかもしれない」

 

時に片腕をあげれば、アルテミスがくるりと回り、距離が離れても繋いだ手によって再び引き寄せられる。そんな二人を邪魔するものは無く、『遺跡』から感じられる不気味さもこの時だけは不思議と感じられなかった。ちっぽけな魔石灯だけが二人を照らし、揺れる水面が幻想的に光を反射させる。

 

「知っているか? 下界に降りた神々は、一万年分の恋を楽しむのだそうだ」

 

「一万年分の恋?」

 

「生まれ変わる貴方達、子供達との悠久の恋……()()、アストレア達と、どうか末永く幸せであってくれ」

 

「僕は……十分、幸せですよ?」

 

「ふふ、そうか、それはよかった」

 

身体を抱き寄せるように距離をつめ、見つめ合う。

アルテミスはベルの頬に手を添えて穏やかな笑みを浮かべて限られた時間を噛み締めていた。

 

「……もうすぐこの旅も終わる。 貴方はこの旅が終わったら、どうする?」

 

ステップを踏む足を止め、向かい合い腹の位置で交差した指に力を入れて握り合う。

純粋な問いに、ベルは少しだけ考えて言葉に変換する。

 

「アストレア様のところに戻って、アルテミス様との旅を報告して、それでその後は……たぶん、ダンジョンに行きます。()()()()()()()()()()()()()()()()()わけですし、それに僕は英雄にならなきゃいけませんから……追いつきたい人達に、早く追いつかなきゃ」

 

冒険者になる理由は人それぞれ。

金、名声、あるいは異性。

モンスターに対する復讐心からなる者もいれば、一族の復興を求める者や、まだ見ぬ世界を求める者、熱き戦いを求める者、様々だ。ベルの場合は、『怪物祭』でシルバーバックを倒しミノタウロスを倒した結果ランクアップした……だから冒険者になった。なし崩し的なものだった。暗い空を見上げるベルの中にどんな思いがあるのか、それはアルテミスには到底わからないことだった。

 

「いろんな理由がきっとあるのだろうな……。きっと、どんな未来を選んでも、貴方なら平気だろう。頼りになる姉達もいるし、それに……」

 

「それに?」

 

「あなたに助けられた人たちが、大勢いる、大勢できる。 彼等は決して、そのことを忘れない」

 

私も含めて、と言うアルテミスの言葉はこれから先、旅が終わった後のベルに対する女神としての助言だ。

 

「貴方が困難を前にして、己の行いを無価値に感じた時は、彼等が声を上げるだろう」

 

嬉しかった、優しさに救われた、今でも感謝している、と。

それはいつか繋がって貴方の歩んだ物語(みち)を肯定する。

 

「だから……大丈夫だ」

 

交差していた指が離れて、アルテミスはベルに背を向けて浜辺へ向かって歩き出す。

ベルはふと、胸の中に『寂しい』といったざわめきを感じた。きっとこれがアルテミスとゆっくり話すことができる最後の時間なのだと、そう感じた。だから問い返す。

 

「アルテミス様は、『アンタレス』を討伐した後は何をしたいですか?」

 

ピタリ、と足を止めるアルテミス。

彼女がどんな表情をしているかなんて、これから起こる出来事をしらないベルが想像することなどできない。「もっと貴方と一緒にいたい」「貴方のことを知りたい」そう思い、離別を悲しむ女の顔をアルテミスが浮かべているなどわかるはずがない。アルテミスは振り返ることなく言葉を返す。

 

「すべてが終わったら……そうだな……私は今、【ファミリア】とは別行動をとっていて彼女達は『遺跡』の中にいる」

 

「え……大丈夫なんですか!?」

 

「ああ、いいんだ、あの子達なら大丈夫。とても特別な事情があって、私は今、彼女達と正面から向き合えない。それは仕方がないことだと、理解しているんだけどね。じきに会える。だから、再会が叶えば、気兼ねなく話がしたい。お前達に教えてもらった『恋は素晴らしい』ということを私も少しは理解できたぞ、なんて……ああ、これを『恋バナ』と言うのだったか?」

 

「賑やかになりそうですね」

 

「ああ、きっとランテあたりが夜通しで聞いてくるに違いない。そして話が終わったら、皆で次の旅についての計画を練る。今までとは違う和気あいあいとした眷族達の会話に私も加わることが出来たら、どれほど嬉しいだろう」

 

胸に手を当てて思い馳せる。

大地を駆けて、海を渡り、ときには悠久の風に乗って空へ。

 

「なんて眩しい、遥かな夢だ……一万年あっても足りないくらいだ」

 

細腕を伸ばして、空に手を掲げる。

決して届くことのない遥か高い空。

『月』が見えさえすればきっと、彼女の体を美しく照らしていたことだろう。それを許さない厚い雲は憎たらしく、度し難く、けれど今この時だけは女神の悲しみを隠してくれている。

 

「何はともあれ、目前に迫る危機に打ち勝たなくては。必ず、成し遂げなくてはならない……あの子達のためにも、私のためにも」

 

それは女神の決意。

自ら犯した『罪』に対する贖罪を完遂させなくてはならないという決意。

 

「オリオン……貴方に出会えてよかった」

 

どうか、覚えておいてくれ。

私達は、確かに生きていたんだということを。そんな心の声はベルの耳に入ることはない。

 

 

 

×   ×   ×

野営地 天幕内

 

 

「まずあの『黒い竜巻』の討伐、そして『アンタレス』の討伐となるわけだが」

 

「問題は『黒い竜巻』の猛毒をどうするか? という話だが」

 

【アポロン・ファミリア】を中心に冒険者達は会議を行っていた。

覗きの件などなかったかのように、男達は地図に二つのモンスターを表す駒を配置しては、ああでもないこうでもないと策を講じようと躍起になっていた。遠くでは幸薄そうなメカクレ美少女が「夢のお告げが~兎さんが~」などと言っているが、その言葉は誰にも聞いてもらえることはなくやがて少女は静かに項垂れた。

 

「では、こういうのはいかがでございましょうか?」

 

1.【アポロン・ファミリア】が『黒い竜巻』に突撃する。

 

「却下」

 

2.【アポロン・ファミリア】が『黒い竜巻』の中で真っ裸に近い恰好で「陽☆性!」と歌い、踊る。

 

「却下!」

 

3.【アポロン・ファミリア】が犠牲になっている間に【アストレア・ファミリア】と【ヘルメス・ファミリア】が『遺跡』に侵攻(アタック)

 

「却下だと言っているだろう!! 聞こえないのか!?」

 

「あら、一体何がいけないのでしょう? 数は私たちよりも多いでしょう?」

 

「認めたくはないが、質では貴様等の方が上だ! 我々が突入したところで喰い散らされるだけ。あの毒を何とかしない限りはどうにもならん!」

 

「チッ」

 

「【大和竜胆】……貴様、鬼畜と言う言葉を知っているか?」

 

「あら、一体鬼畜とはどのような状態を言い、どのような文字を書くのです? お生憎と私の辞書にはございませんのでお教えいただければ」

 

「こ、この……ッ!」

 

「ヒュアキントス、落ち着いてくれ。そして【大和竜胆】、先程の我々の余興にまだ余韻が残っているというのならばどうか、今だけは忘れて欲しい」

 

「「「今この太陽神、余韻とか言った?」」」

 

袖で口元を隠し、目元を歪めてヒュアキントスをおちょくったような作戦をぶち上げる輝夜に、ブチキレるヒュアキントス。そしてそんな二人を仲裁するように間に割って入るアポロン。彼の表情に曇りなど一切なく、なんなら「私達は確かに成し遂げたんだ」とでも言いたげである。その顔には女性陣から与えられた真っ赤な掌の痕がついているというのに、だ。

 

「ひとつ、私からいいだろうか?」

 

「神アポロン、何か策が?」

 

「ああ、こちらの方が無茶ではあるが確実ではある」

 

「ああ、そういえば先ほどもベルに『竜巻』の中に入らせる……そんなことを言ってましたね」

 

ファルガーが問い、アポロンが答え、リャーナが首を傾げて覗きの前にアポロンの言っていたことを思い返す。

いつもと雰囲気が違うアポロンにやはり眷族ではない冒険者達はどこか調子を狂わされてならない。ヘルメスもまたアスフィが早く戻ってこないかと空を何度も見上げては焦りのようなものを見せていた。

 

「まずヘルメスから聞いた話なんだが……ベルきゅんの魔法は()()()()()()()()()()()という効果があるのだろう?」

 

「「「却下」」」

 

「まあ最後まで聞いてくれたまえ、麗しきアストレアの眷族(こども)達。あの『光の雨』はベルきゅんの持つ槍を狙って撃ち出されたものだという話はアルテミスから聞いているね?」

 

その性質を利用するのさ。

そう人差し指を立てて言ってのけたアポロンに、冒険者達は言葉を失った。そして『正義』の女傑達はその美しい顔に怒りを浮かべた。アポロンの言っていることは、言ってしまえばベルを的にすると言うことに他ならないからだ。それでもなお、アポロンは言葉を続ける。

 

「槍を持ったベルきゅんを竜巻の中に投入する。もちろん、魔法を発動した状態でね? そして……『アンタレス』自身によって、竜巻の中にいる(モンスター)を撃ち抜かせる。討伐できれば良し、できなくとも毒を吐き出す器官が潰せれば……」

 

「【アポロン・ファミリア(われわれ)】、いや、この場にいる冒険者全員で叩くことができる……」

 

「その通りだヒュアキントス。そしてその時点で隊を分隊させ『遺跡』へ侵攻(アタック)し、『アンタレス』を叩く」

 

「全員で一斉に突撃というのは?」

 

「残念ながら『アンタレス』はベルきゅんの持つ『槍』でしか倒せない。君たちの持つどんな業物でも奴の甲殻を破壊することはできないだろう……ならば、数が多かろうが意味がない」

 

「そして君達忘れていないかい? 『アンタレス』は増殖していることを」

 

 

アポロンの策は『オリオンの矢』を『的』として利用し『アンタレス』に『ベヒーモス』を討たせるという作戦だった。最も危険を伴うのは槍を持つベル本人であることは誰が想像してもわかることであり、輝夜、マリュー、リャーナはその作戦は確実かもしれないが受け入れがたいものでもあった。うまく行ったとして、次の『アンタレス』の討伐が完了するまでの間ベルは魔法を解除するわけにはいかない上に解除した時点で()()()()()()()()ダメージ、つまり『猛毒』がベルの身体を蝕むことがわかりきっているからだ。アポロンの言葉に付け加えるように、ヘルメスは冒険者達が忘れかけていた現実を叩きつける。

 

『アンタレス』、『ベヒーモス』、そして『アンタレス』自身が増殖したことにる小さな蠍型の個体がいるという現実。すなわち、『ベヒーモス』を討伐したから終わりなのではない。増殖した個体まで討伐しなくてはならないのだ。

 

「あの『黒い竜巻』の中にいる可能性は?」

 

「ゼロ……とは言い切れないだろうね、輝夜ちゃん」

 

「槍を竜巻の中にいるモンスターに放つのは?」

 

「それはダメだ。一発限りの矢を『アンタレス』の前で消費するわけにいかないし、仮にうまく行ったとして回収する前に『アンタレス』に奪われても困る。そうなれば終わりだ。君達が反対するのは最もだ。けれど、俺もアポロンの策に乗るしかないと思っている」

 

「あの子は『耐異常』を持っていません。私達のように経験を積んでいるわけでも……」

 

「マリューちゃん達には悪いが、そこはアポロンの眷族にもいる治療師(ヒーラー)を頼らせてほしい。アスフィが戻ってきてくれれば解毒は何とかなるかもしれない」

 

反対したいが他に策があるわけでもなく天幕の中には沈黙が生まれた。

男神達はベルが女傑達にどれほど大切にされているか分かっているうえで過酷を強制してしまうことに自嘲の笑みを浮かべる。

 

「すまない……アフターケアはしっかりさせてもらうさ」

 

「ほんっとうにヘルメス様が絡むと面倒事しか起こりませんねえ?」

 

精一杯の嫌味。

 

「ああ、是非とも俺を恨んでくれ」

 

「子供達、どうか乗り越えてくれ」

 

これから起こる事に対する謝罪を含むように神々は告げた。

どうかそれでも進んでくれと。

 


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