アーネンエルベの兎   作:二ベル

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※終章より先の時間になります。


ホワイトデーの話

【ロキ・ファミリア】本拠『黄昏の館』

 

「――アイズさん、付き合ってください」

 

「……ん、いこ」

 

それは朝食時。

食堂で食事を取る者達の寝ぼけた頭を強制覚醒させるだけの、圧倒的に言葉が足りず誤解を生みだしかねない威力を持った短い言葉のやり取りが、そこにはあった。

 

「他派閥のくせにウチの朝食を食ってんじゃねえ」

 

とか

 

「アイズさんにアーンしてあげるとか何様だてめぇ」

 

とか

 

「俺達私達のアイズさんにあーんしてもらえるとか何者だてめぇ」

 

とか

 

「べ、別に幼馴染なんて羨ましくなんてないんだからネ!」

 

とか悔し涙なんてしていない。

ロキが1柱(ひとり)寂しく、窓から外を眺めながら黄昏ているだけだ。まだ朝なのに。数ヵ月前、人造迷宮(クノッソス)掃討戦が終わった後に公表された【アストレア・ファミリア】の報せに、ショックを受けた者は多い。未だに()()()()()()()()()()をする者だっている。数ヵ月しか経ってないはずなのに、なんか『白兎』と『狐』と『忍び』が2年分歳取ってたり、いや、どう考えてもありえないだろと思っても、神々は「いや、嘘ついてねえわ」とか言うし、もうワケワカメ。落ち込んでいたアイズはそれこそ生き別れた家族にでもあったかのようにきゃぴきゃぴ、女の子している。

 

「アイズさんに半ば強引に『あーん』してもらえるとか羨まし過ぎる」

 

「お人形みたいに綺麗な女の子に強制餌付けされる兎……」

 

「うぅぅ、でも、アイズさんが嬉しそうだから割り込めない……!」

 

「ちくしょう、これが幼馴染属性……!」

 

「おそら、きれぇ~٩(๑>◡<๑)۶」

 

「ロキィィィィィ、帰ってきてぇぇぇぇぇぇえ!?」

 

ベルの腕に意識せずだろうが、胸が形を変えるほどに抱き着いてそのまま出て行った【剣姫(おんなのこ)】の後ろ姿をいつまでも目で追ってしまいそうになるが、【ロキ・ファミリア】としてはもう山吹色の妖精が髪切ったりとか、まあ、兎の件にしても【アストレア・ファミリア】が報告を()()()ことで反感を抱く者がいたりで大変だったのだ。いい加減、落ち着きたいのだ。だいぶ時間経ったし。

 

 

♥   ♥   ♥

 

 

「ベル、どこに行くの?」

 

「とりあえずは18階層に。『ホワイトデー』のお返しを集めたいというか…」

 

「…………あの子……えっと、春姫さんは?」

 

「春姫さんは今日、ヘルメス様が勝手にセッティングした『さいん会』っていうので予定埋まっちゃってて……」

 

 

街道(ストリート)を歩きながら、目的地だとか予定だとかを話す。アイズは腰に愛剣(デスペレート)を佩いている。ベルも同じく軽装を身に付け、左腰に剣、背には外装を装備している。

 

 

<申し訳ございませんベル様、ご一緒したかったのですが……どうにも、ヘルメス様に予定を開けておけと言われてしまいまして>

 

 

瞼を閉じて思い出す春姫の申し訳なさそうな顔。

ベルにはその『さいん会』とやらはよくわからないが、売れているらしいし、売れているとなればそういうことはするものらしい。俗に言う『ふぁんさーびす』なのだろう。

 

「私も読んだよ、面白かった。……頑張って三部作、読んだ」

 

「そうですか」

 

「何度も寝ちゃったけど……頑張った。ティオナに感想を求められて…………大変だった」

 

「……そう、ですか」

 

大変だったろうなあと思う。

瞼を閉じれば簡単に想像できるその絵面に、ベルは口端を引くつかせた。アーディなんかも目を輝かせて『保存用』『布教用』『観賞用』とかよくわからないけど同じものを最低3冊は買ったとか言っていた。そんな興奮するアーディに巻き込まれたリューは憐れ、遠い所を見ていた。目の光が完全に消えていた。

 

「じゃあ、行くけど……大丈夫、だよね?」

 

「もう何度か試しているので……大丈夫で―――――はい、わかりました」

 

「?」

 

「アリーゼさんが、ちゃんと帰ってきなさいって……大丈夫なのに」

 

「………スキル、だっけ?」

 

「はい。アストレア様曰く、『心に直接……!』らしいですけど、会話できるわけじゃないんですよね」

 

「それだけ思われてるってことは、心配なんだよきっと……一番落ち込んでたの、【紅の正花(スカーレット・ハーネル)】だし」

 

帰還以降、過保護が過ぎる姉達に頬をポリポリと掻いて、2人はダンジョンへと足を進めていった。何の問題もなく、縦穴まで使って早々に18階層へ。その手前にある階層主の間は丁度、生まれ落ちたゴライアスと戦闘中の(リヴィラ)の冒険者達と【ガネーシャ・ファミリア】の冒険者達が戦闘をしていた。

 

「今日って次産間隔(インターバル)………?」

 

「………ごめん」

 

「いや、怒ってないです」

 

「あとで、お仕置き……だね……」

 

「怒ってないですよ?」

 

「「「てめぇら、夫婦(めおと)漫才してねえで手伝いやがれぇ!!」」」

 

吠える巨人(ゴライアス)、叫ぶ冒険者。

その光景を前に会話する2人へと、荒くれ者達が怒声を投げつける。こっちは必死だってのにてめぇら何イチャイチャしてんだ、とばかりに。どこか頬を朱に染めるアイズは細剣を抜き、ベルもまた剣を抜いては背中にあった外装の中に納めた。外装とはいえ剣であり、腹部分にはどこかの教会にでもありそうなステンドグラスを思わせる外装だ。天秤と剣を持つ女神が描かれている。見てくれは、ティオナの持つ『大双刀(ウルガ)』に近い。しかし剣の先は丸みを帯びているのではなく通常の大剣と同じように尖っている。剣が納められたことで、息を吹き返したように『神聖文字(ヒエログリフ)』が輝き、その輝きを標にして女神を描く魔法石が光を宿した。

 

「リハビリ?」

 

「いえ、まあ………」

 

迷宮に入るのは久しぶりだし、似たようなものかと思ったために否定しきれない。詠唱を紡ぎ、光翼が踊る。そのままスキルと接続することを意識して、戦線へと飛び出した。

 

第三宇宙速度(アストレア・レコード)――合奏(シンフォニア)

 

光翼が人の姿へと変わり、ベルと共に怪物へと襲い掛かる。生身の人間と同じものではなく、ベルの魔力から生まれた存在。魔力が人の形をしているだけの存在。本物ではなく偽物。目を見開いて驚愕の顔を浮かべ固まる冒険者達を横切って、ベル達はゴライアスへと接敵する。12人のLv.6を前に、巨人はあっという間に蹂躙される。

 

―――『XXXXXXX』。

 

『ステンドグラス』に描かれた女神、すなわち魔法石が光り輝く。その色合いは様々で、美しくも神々しく神聖。リンリンと鐘の音が鳴る前に、魔法を使ったのか、内側からは星炎が吹きこぼれている。膝をついた巨人を前に、ベルはそのまま何か必殺の名を口にすると『双刃(ダブルブレード)』を振り抜いた。

 

『――――――――ッ!?』

 

断末魔ごと光の中に呑み込まれる。

遺灰が舞い、背後にあった巨大な壁にはベルの必殺を物語るように煌々と星炎が輝き燃えて、刃の爪痕が残っている。息を吐いて、『双刃(ダブルブレード)』から剣を抜き、帯剣。どこか見惚れていたように時間を忘れていた者達は、ハッとなって勝利の雄叫びを上げた。次に始まるのは戦利品の争奪戦であった。

 

 

 

♥   ♥   ♥

 

 

「いやぁ~助かったぜ。今回のはちぃーっとばかし、強い個体だったんでよ、決め手に欠けてたんだわ」

 

「決めてというか……」

 

「いつもより人数、少なかった……ような」

 

ガハハハ、と笑う頭目(ボールス)を前に、アイズとベルはいた。そして先程の光景を思い出して首を傾げる。どうにも人数が少なかったのだ。【ガネーシャ・ファミリア】がいること自体は別に不思議ではないが、彼等の方が数が多かった。(リヴィラ)の冒険者の人数が少なかったのだ。それはこうしてリヴィラに入っても変わらない。街にしてはどこか静かなのだ。酒場や喫茶店からの声も今はない。アイズとベルが以上の理由から決め手にかけていたのでは、と思うのは仕方のないこと。

 

「…………あー……それはあれだ、地上で【冥土嫁(フォックス♀ている)】の……なんだ、『さいん会』とかいうのがあるらしくてよ。美人とお喋りして手を繋げるかもしれねえってんで、どいつもこいつも出て行きやがった」

 

「欲に正直すぎませんか?」

 

「そらおめぇ、男だからな!」

 

「手をつなぐのが……そんなにいいんですか?」

 

「【剣姫】、今のおめえを鏡に映して見せてやりてえよ」

 

「………」

 

「?」

 

性欲に正直にむさ苦しい男達は普段読みもしない書物を購入し、とある作家にサインを書いてもらった上に柔い手を握ろうと地上に出ているのだ。まったくもって怪しからん。なお、その作家が書いたとされる官能小説は管理機関(ギルド)やら憲兵やら検閲期間に見つかりもれなく『発禁』されている。それでもなお、裏では何故か流通してしまっているようで憲兵や正義の女傑達は頭を痛めているし書いた本人も頭を痛めている。挿絵担当の(みこと)は毎回顔を真っ赤にしながら涙を流している。ともかく、今流れに乗っているとある狐娘と近い距離感でお喋り&握手ともなれば、誰だって行く。娼婦に金を払った抱くよりも遥かにお安いお値段というのもあって男達は性欲に突き動かされるがままに、だ。ベルとしてはなんだかなあという感じだし、アイズとしては『握手』でそんなに喜ぶものなのかと疑問が浮かぶ。そんなアイズを見てボールスはげんなりしたような顔をする。アイズは、そう、ベルの腕に抱き着いていたのだから。豊かに実った果実に腕を挟むようにして、むぎゅっと。正直羨ましいそれ。いくら払えば【剣姫】に挟んでもらえるのか。

 

「………はぁ」

 

「ボールスさんは行かないんですか?」

 

「俺までいなくなったら、誰が宿場街(リヴィラ)を仕切るんだ? それに今日は『ゴライアス』の次産間隔(インターバル)が重なってたんだ、余計に行けるかよ」

 

「「おぉ~」」

 

このおじさん、偉い!

頭目の貫禄ある!

伊達に金にがめつい嫌なおっさんじゃない!

少年少女は尊敬の眼差しを送った!!

 

 

「その分、報酬は独り占め。いつもより潤ってるぜ、ガッハッハッハ!!」

 

「「おぉー………」」

 

 

このおじさん、やっぱりいつものだ。

頭目の貫禄というか、がめついだけの荒くれ者だ!

性欲より金欲が勝ってるだけだ!

少年少女は顔を逸らして、声のトーンまで下げた。

 

「ま、儲けはほとんど俺が貰っちまったし、その礼にこの街にある無人の宿、好きなとこに泊っていいぜ。宿主がいねえんだ、商売投げ出してる時点で文句は言えねえよ、好きなだけズコバコし放題だぜ? ……どうしてもってんなら、俺も一緒に――――」

 

「行こ、ベル」

 

「うん、行きましょ」

 

最後まで言い切る前にアイズがベルの手を引いて、離れていく。去り際、アイズの極寒の眼差しが頭目(ボールス)に向けられる。ボールスは悪寒を感じると己の股間をきゅっと守る体勢を取っていた。いつもより静けさを持つ宿場街(リヴィラ)を進んで、2人が到着したのは『水晶広場』。ド派手でやけに多彩な看板を飾っていて、『迷宮(ダンジョン)に癒しを求めるのは間違っているだろうか』と書かれている。ベルがこの日、アイズに同行を頼んだのはこれにあった。

 

「リヴェリアさんが教えてくれたんです。『頭の悪い商売』をしているって……」

 

「―――――っ!」

 

バッと隣のベルの方へ向く。面白いくらいに目を見開いた顔のアイズ。恋愛の『れ』の字も知らないような小娘かつ『戦闘中毒(バトルジャンキー)』のアイズも流石にわかる。自分だって聞いたことがある。というか、ティオネが言っていた。

 

一対(カップル)の客にしか売らない甘味があるのよ! 是非とも団長を誘いたいわ! でも団長がいないの! きっとあの栗鼠(パルゥム)とどこかに出かけているんだわ!>

 

とかなんか言ってたし。

というかもう、友人以上のことしちゃってるし、以前より関係は改善しているどころか絶好調もいいところだし、少なくともベルは私のことを意識してくれているんだ。恋愛初心者(アイズ・ヴァレンシュタイン)はそう解釈し、ベルなら嫌じゃないよ? と言おうとして口をもにょもにょ。リヴェリアだって後押ししてくれているっぽいし、年齢が同じだけど見た目は以前と全く変わらないのに、でも、妙に意識してしまうし。一緒に行動する時は離れたくないし。うん、これは、アミッド越えられる……! アイズはそう思った。

 

 

(前はアイズさんに『学区』でご馳走されたし……また『学区』に行くわけにはいかないし……よかった、まだやってて)

 

そんなアイズとは打って変わってベルはそんなことを思っていた。腕に伝わるアイズの柔らかい感触だとか弾力だとかは未だに慣れないけれど、面白いくらいに驚愕を浮かべ口をもにょもにょさせるアイズに何も思わないでもないけれど、とにかく『現地でないと味わえない甘味』をアイズへのお返しにしようと思ったのだ。少なくともこうしてアイズはベルに抱き着いているし―本人曰く、またベルがいなくならないように押さえているらしい―店主も文句なしだろう。条件を満たしていると判断されて買わせてくれるはずだ。

 

 

 

「不合格だ」

 

 

ダメだった。

何故だろうか、ダメだった。

おかしいな、どこからどう見ても条件は満たしている筈なのに。

 

「は?」

 

「不合格だ」

 

やっぱり駄目だった。

聞き間違いかと思ったら、ダメだった。

街の大頭(ボールス)よりも大きな体の巨漢(ヒューマン)の店主は甘物を売っているようには見えない強面で、足を運んだベル達をジロリと見て、まるで神々がネタでそうするようにゆっくりと両腕を使って頭上で輪を作ろうとして表情を一変、×マーク。

 

「てめぇ……年上の女に囲まれているクソヒューマンが、たかだか1人連れているだけで『一対(カップル)』だなんて認めるわけにゃいかねえだろ、コラ」

 

ひがみだった。

単純にひがんでいるだけだった。

年上の美女美少女に囲まれている白兎に腹立っているだけだった。死亡者扱いされて墓まで用意されたのに生きて帰ってきたから余計に女達は白兎を囲いに囲って、未亡人みたいになっていたところに寄り付こうとしていた男達からしてみれば兎は許せねえ奴でしかなかったのだ。アイズがどこかむっとしたような顔をしているが知ったことじゃない。

 

「カップルらしいことしたら、合格をくれてやるよ」

 

フッと男は鼻で笑う。

無理だろ?

いくら【剣姫】でも流石に無理だろう?

【アストレア・ファミリア】の女達だとか【象神の詩(ヴィヤーサ)】だとか【純潔の園(エルリーフ)】だとか【戦場の聖女(デア・セイント)】だとか受付嬢(ハーフエルフ)だとか兎を囲っている女達とはわけが違う。相手は第一級冒険者かつ【ロキ・ファミリア】の幹部。いくらなんでも―――ー。

 

「ちゅっ」

 

「ふぁっ!?」

 

「…………なん、だと!?」

 

店主の男は己の目を疑った。

【剣姫】が、あの人形のような娘が、自分からベルへと唇を重ねたのだ。無論、唇と唇(マウス・トゥ・マウス)ではなく、頬にではあるが。しかし唇を離し、頬を染め、俯き、口をもにょもにょさせるというそんな可愛い仕草をされれば、おっさんも『尊い』気持ちにもなる。てぇてぇというやつだ。ベルは驚いて頬に手を添えてアイズを見ているが、嫌がってもいない。店主は己の敗北を認めた。

 

 

「―――合格だ」

 

 

雲菓子(ハニークラウド)赤漿果(ゴードベリー)など迷宮産の果物(フルーツ)、更に何種類ものクリームなど、沢山の具材を二枚のパンで挟んだ『ハイパーダンジョンサンド・タピオカデラックス』が用意された。店主の男はそれを渡すと、椅子に腰を下ろし、真っ白に燃え尽きていた。

 

「行こ、ベル」

 

「え、あ、うん」

 

「……嫌だった? シてるとき、いっぱいするのに」

 

「言わないでください……」

 

アイズさんてこんなに積極的な人だったっけ…と思ってしまうのも無理はない。アイズに手を引かれて適当なところに腰を下ろす。アイズがベルに差し出すと一口だけ小さく齧って、すぐに甘いものが苦手なベルは顔を顰めた。

 

「ごめんなさい、あとはアイズさんが……うぷっ」

 

「でも、いいの?」

 

「この間のバレンタインのお返し……ですから」

 

「―――!」

 

心の中の幼女(アイズ)達は拍手喝采。

裁判の結果でも出たかのように「勝ち確!」「勝利確定演出!」などと紙を見せびらかしている。あとは、伝説のアレをしてもらえれば満足だ。是非ともやってもらいたい。アイズは胸躍る衝動そのままに甘味をベルへと押し付けた。

 

「ア、アイズさん?」

 

「えと、その、あの……ね……アストレア様とか、アミッドにしているみたいに、してほしい……かな」

 

「……………」

 

上目遣いにおねだり。

こんな光景を仲間達が見れば後押しする者が半分、血涙を流す者が約半分、ベルを撃ち抜こうとする妖精が1人だろう。リヴェリアはきっと「安心した……」と微笑み、瞼を閉じることだろう。少し間があいて、ベルも流石に分かったのか、顔を少し赤くして受け取ると、アイズの要望に応えてくれた。

 

「あ、あーん」

 

「ぁ……ぁーん」

 

ぱくり、と。

小振りな唇がクリームを食べる。

もぐもぐと食べている間、2人は無言だった。そして赤かった。

頬にはクリームの塊が付着して、それを自然な動作で指で拭う。それだけでアイズは頬をさらに染める。ぼふんっと煙でも出そうなくらいに。心の中の幼女(アイズ)達は輪になって儀式でもするかのようにスキップを決めている。数ヵ月とはいえ、ベルがいない期間があったのだ。というか死んだことになっていたのだ。何回墓参りにいったのか数え切れない。ベルの代わりに彼の母が大切にしていたという教会の掃除に行ったことだってある。ところがどっこい、見たこともない防具だとか武器だとかを装備して帰ってきたのだ。何があったのか聞けば『漂流』、『階層主の連続討伐』、『深層からの脱出』だとかいろいろだ。おまけに2段階ランクアップ。正確には違うのだけど、少なくとも帰ってきてステイタスを更新したベルはLV.6になった。雰囲気もどこか大人びたような感じがして、見た目は変わっていないのに、そのギャップもあってなのか、失ってから気付いたのか、アイズは暇さえあればベルにべったりだ。他の女性陣も似たり寄ったりだが、保護者達が「よかったね」なんて言うくらいにはアイズはベルを意識しまくっていた。口の中に広がる味が分からなくなるくらいに、ベルにクリームを拭ってもらったという仕草だけで胸がいっぱいで温かくて―――――。

 

「ベ、ベル……子供は何人、欲しい?」

 

「……………ナンテ?」

 

血迷って、先走って、目的があるからまだそのつもりなんてないのに、雌の本能がそうさせるのか、そんなことを口にしていた。ベルは笑顔のまま固まっていた。

 

 

 

♥   ♥   ♥

 

甘味でお腹いっぱいになったアイズと一緒に、18階層の森林地帯を歩く。すぐ近くには泉がある。水浴びにはちょうど良さそうだ。木々が生える足元には水晶が生えており、探せば水晶飴(クリスタルドロップ)が見受けられる。それをいくつか採取して小瓶に詰めて小鞄(ポーチ)に押し込めて、さらに奥。そこに、彼女はいた。

 

『オ待ちしておりましタ、ベルサン』

 

美しい金色に毛先が青みがかっている翼を持つ歌人鳥(セイレーン)だ。咄嗟に剣に手をかけようとしたところをベルにチョップされ止められる。ぷくーっと唇を尖らせたアイズは、頭を振って自制。もう以前のように『お前モンスターだな? 魔石置いてけ、魔石置いて行けよ!』などと襲い掛かるようなことはしない。少なくとも、目の前にいる人間と変わらない知性を持つ彼女達をお構いなしに殺すのは違うと、わかっている。

 

「久しぶりです、レイさん」

 

『ええ、オ元気そうデ………』

 

「ねえベル、どうして?」

 

どうしてここに、彼女がいるのかわからない。

その理由が知りたくて、ベルの袖をくいくいと引く。ベルは顔を上に上げて呻ると頬を掻いて説明してくれた。

 

「レイさん達に頼んで、ダンジョン内でしか手に入れられない物を集めてもらってたんです。僕がダンジョンに入って、異常事態(イレギュラー)が発生しても困りますし……まあ、杞憂だったみたいですけど」

 

『ベルさん、こちらの小鞄(ポーチ)に……アーデ、じゃなく今はリリでしたか……彼女にお願いシテ『加工』してもらったものが数品ほどありマス。ただ、酷く苛立たせてしまったみたいデ……』

 

「何か言ってましたか?」

 

『今度会ったラ、ぶち殺ス……ト』

 

「…………」

 

その不穏な言葉に、アイズは再び愛剣に手をかけた。

ベルがぺしっとチョップ。

頭頂部を押さえてアイズが蹲り、唇を尖らせ涙目でベルを見上げた。

 

『申し訳、ありませン……加工しておいた方ガ、貴方も扱いやすいと思ったのデスガ……』

 

とりあえず歌人鳥(セイレーン)が首からかけている小鞄(ポーチ)を受け取り中身を確認。頼んでいたものは数品で、仲介役に異端児の一件で派閥から謹慎処分を受けたとあるエルフが。メモを渡して頼んでおいたものではあるが、それ以上に彼等彼女等は仕事をしてくれていたらしい。

 

 

・人魚の生き血――加工済み。

秘獣(カーバンクル)の秘晶ーー加工済み。

一角獣(ユニコーン)の角ーー加工済み。

・紅色の宝石、紫色の宝石。

迷宮珊瑚(アンダー・コーラル)

迷宮真珠(アンダー・パール)

白水晶(ホワイトクリスタル)

 

アイズは小鞄(ポーチ)の中にぎっしり、みっちりと詰まっている品々に息を呑んだ。迷宮珊瑚、迷宮真珠だけでも300万ヴァリスはくだらないものだからだ。希少種(レアモンスター)の『カーバンクル』が額に持つ石まである。この小鞄(ポーチ)の中身を全て換金すればいったいいくらにするのだろう。少なくとも高価な武器か防具は借金(ローン)なしで手に入れることはできるはずだ。ごくり、と思わずアイズは喉を鳴らした。歌人鳥(セイレーン)にそれを気付かれてクスリと笑われて恥ずかしいが、やはりアイズもまた冒険者だった。

 

『珊瑚と真珠、それから白水晶は、仲間が見つけたものですノデ……『おまけ』だと思ってくださイ』

 

「すごい……ありがとうございます」

 

人魚(マリィ)秘獣(カール)も協力してくれまシタ。何にご利用されるのかハ、よくわかりませんガ……ローリエから貰ったリストから集めましタ。宝石に関しては木竜(グリュー)が分けてくれたようなものですガ』

 

「……本当に、ありがとうございます。何か、僕にできることがあればお礼を」

 

『いえ、その嬉しそうな顔が見れただけデ十分デス』

 

ほくほく顔のベルに微笑まし気に表情を柔和なものにする歌人鳥(セイレーン)。まるでできる女感を出している彼女にアイズは「この(ヒト)? 強い」と戦慄した。相手が怪物でよかった。同じ人間だったら……なんてつい考えてしまう。ただでさえ【アストレア・ファミリア】のつよつよお姉さん達は、なんというかこう、大人の余裕みたいなのがあるのだ。敵うわけがない。強いて彼女達に太刀打ちできるとすれば、それはアイズが『幼馴染』という属性を持っているからに他ならない。あとは身体の相性がいいくらいだ。比較することはないけれど。

 

『そ、それよりベルさん……わ、私の格好ヲ、どう思いますカ? ラウラ達が見せてこいと言っていテ……その、ばれんたいんでぇーという日はお会いできませんでしたノデ……』

 

油断ならない歌人鳥(セイレーン)は、話題を変えてきた。

頬を染め、湯気がでそうなくらい染めて、全身を見せびらかすように右に左に身体を回転させるように揺らした。ひらひらとした衣装。ドレスのようなそれは、足元まですっぽりと覆っていて、翼は隠されている。ぱっと見は人間と見えなくもないだろう。

 

「………似合ってると、思います」

 

『!』

 

「綺麗です、とても」

 

『!!』

 

衣装を褒められた歌人鳥(セイレーン)は、それはそれは嬉しそうな顔をしていた。去り際、ふとアイズが振り返った時には、まるで小鳥の様にぴょんぴょんと飛び跳ねて踊っているように見えたし、美しい囀りまで聞こえた気がする。なんだかムッとしたので、ベルのお尻を抓って泣かせた。

 

 

♥   ♥   ♥

 

 

別日。

治療院にベルは足を運んでいた。

まだ院を開けるには早い時間帯で、人の動きも少ない。治療院で働く治療師(ヒーラー)調合師(ハーバリスト)達に挨拶しつつアミッドの部屋へ向かう。鍵を開け、中を覗くとアミッドはまだ寝息を立てている。いつもなら起きている時間だけれどまだ寝ているということは、働きすぎで疲れが取れていないのだろう。そっと音を立てないように気をつけて部屋に入り込み、アミッドが書類仕事等で使っている机へ向かう。椅子の上には寝る前に用意しておいた着替えが置かれている。治療院の制服に、肌着に下着だ。卓上カレンダーを()()()、近くにあったメモ用紙に筆を走らせる。そのメモ用紙を持って食堂に向って、そこにいた治療師の少女にお願いをして、アミッドの私室に戻った。女神や姉達には既にお返しはしている。あとはアミッドだけだった。

 

「アミッドさん、朝ですよ」

 

ベッドに腰かけて、寝息を立てる彼女の頬を撫でて声をかける。反応は薄く、ぷりっとした唇を指で突いたりなぞったりすれば眉間に若干皺を寄せては呻いて、自然に反応しているのか指の先をぱくりと加えてチロチロと舐めてはちゅうちゅうと吸い付いてくる。こんな聖女様は、ベル以外に知らないだろう。いつも表情一つ変えずにてきぱき働き、働きすぎてしまう聖女様のだらしない部分を、恐らくはきっと誰も知らない。

 

「アミッドさん、朝ですよ、起きてください」

 

「うーん……」

 

身体を揺すり、耳元で囁く。

それでようやく呻き声がして、閉じられていた瞼、長いまつ毛が震えて開かれる。そしてぼんやりとした顔で、覚醒しきっていない頭で咥え込んでいた指を吸って、自分を見下ろして頭を撫でてくれているベルの顔が見えて、自分が彼の指をしゃぶっていることに気付いて、ゆっくりと口を離す。

 

「ぉ……ぁょ……ござい……ます……?」

 

「はい、おはようございます」

 

「手……冷たい……」

 

「そりゃ、まだ寒いですから」

 

治療院の朝は早い。

それこそ都市にある出店が開店の準備をするよりも少し早い時間帯に。外だってまだ暗く、太陽の光は見えない。それでも身支度なり朝食なりして、治療院を開けるまでにやることは多い。朝早くから出歩いて治療院にまでやってきたベルの身体は冷えていて、撫でてくれる手はひんやり。アミッドはかぶっていた布団をすこし持ち上げて、ベルの服の袖を引っ張った。

 

「風邪……引いて、しま……ぅ……」

 

「でも、アミッドさん、支度しないと」

 

「まだ……いい、れす……」

 

以前なら力づくでもベルをベッドに引きずり込むことはできた。でも、今の彼はLv.6。第一級冒険者でありながら、英雄候補の1人だ。死亡したことを聞かされた時はショックだったし、毎日のように墓参りに行ったくらいだし、アルフィアの墓前で何度も謝罪した。だがどういうわけかある日、墓参りをしていた所、後ろから足音。そして墓を魔法によって破壊された。アミッドは激怒して振り返ってみれば、そこにいたのは『好いている』と気付いたけどもう手遅れであると思っていたベルご本人だ。あれやこれやと説明をされ、寝言は寝ていえ、どれだけ心配をかけさせればいいんですか、と怒ったが神々が嘘ではないと保証するので怒るに怒れない。力なく彼の胸に顔を押し付けてグリグリ。思い返すだけで恥ずかしくて湯気が出てしまいそうだが、もうアイズと同じ第一級冒険者になったベルは、どこか大人びた雰囲気だ。力だってそれこそ強くて、簡単には押し倒せない。今だってベッドに入って二度寝してほしいのにベルの身体は揺れるだけ。それが悔しくて唇を尖らせて頬を膨らませ、俯いていると、抱きしめられて頭を撫でられた。

 

「~~~~~~!」

 

胸がトクンと跳ねる。

心地の良い彼の心音と、少し冷たい体温に身震い。これだけで覚醒してしまいそうだったが、仕事中毒(ワーカーホリック)なアミッドの身体はまだ睡眠を求めていた。それでも頭は起きるべきであると信号を発しているから、ぽわぽわしたままアミッドは上体を起こし、ベルにそれを支えられて、ベッドのすぐ近くの窓を開けて空気を入れ替えた。

 

「着替え……とってください」

 

「あぁ………っと、はい。外で待ってますね」

 

「いて……ください」

 

「え」

 

「まだ眠気が勝ってて……着替え、させて、くださ……い」

 

船を漕ぎながら、そんなことを言う。

完全覚醒してしまえば、憤死ものだ。

ネグリジェの肩部分がはらりと二の腕あたりまでズレ落ちて、豊かに育った胸部の谷間と膨らみがわずかに露出される。着替えをとってきてくれたベルの両手の上には、制服と肌着と下着が。アミッドさんは白だけなんだねなんて言われてちょっと腹が立ったこともあって選ぶのを手伝わせて買った『紫』の下着を、ベルが見つめているのが見えた、気がする。

 

「…………」

 

目の前にいるのは、寝起きの悪いつよつよじゃない聖女様。星屑の庭に来た時では通称『デカT』とか着ちゃう聖女様。ベルは葛藤する。悶々とする。そうしている間にアミッドはふわふわと頭を揺らしてネグリジェを脱ぎ始めた。露わになる傷一つない綺麗な肌、豊かに実った何も身に付けていない果実がぷるぷると揺れる。ショーツまで見えて、脱衣の途中で腕にひっかかったのか上手く脱げずにベルにもたれ掛かる。

 

「うぅーん」

 

「あぁ……もうっ」

 

仕方ない。

これは仕方のないことだ。

聖女様のお召し替えという名誉ある仕方のない奉仕なんだ。正直言えば手を出したくなるところだが、ぐっと堪えて着替えさせる。ネグリジェを脱がせてショーツだけの姿になって、少し肌寒くてすぐに布団へと潜ろうとする彼女を捕まえて、ブラをつけ、肌着を着せて、制服を着せる。触れる全てに心臓がドキドキと音を立てて、少しだけ彼女の果実を手のひらで堪能。悩ましい呻き声が聞こえたけど、これくらいの役得がないと据え膳だ。そりゃあ女神様の女神様もすごいものだけど聖女様も大概なのだ。

 

「ほらアミッドさん、顔を洗いに行きましょう?」

 

「…………は、ぃ」

 

返事はするけど要領を得ないアミッド。

そんな彼女をおぶって、顔を洗いにつれていく。顔を洗って、髪を櫛で梳いて、皆に見られても問題なしな見てくれになった頃にはアミッドも完全に目が覚めたようで、目を泳がせて顔を赤くさせた。あぅあぅ言っているような気もしたが、ベルは気づいていないのか、アミッドを抱きかかえて食堂に連れて行った。

 

「てぇてぇだ……」

 

「朝から糖分過多……」

 

「誰か、ブラックコーヒーをください」

 

治療院で働く者達も食堂にいる。

それぞれ朝食を食べながら、やってきた2人を見てそんなことを言う。

 

「お、下ろしてくださいベルさんっ。起きてます、起きてますから!」

 

「そんなこと言って……ほら、何食べたいんですか?」

 

「えと、それでは……パンとシチューを……いえ、そうではなくてですね!?」

 

「はい、あーん」

 

「ぁ、、、ぁーん………んふふ……て、ちがーーーーーう!」

 

ゴンッと額を打ち付けて、憤死寸前な聖女様。

肘をついてそんなアミッドを眺めているのはベルで、それを見せつけられるのは治療院の者達。いや、いいのだ。自分達が望んだことだし? アミッド様とベルさんをくっつけ隊とかいたし? 許嫁なわけだし? ベルが帰ってきてからもう時間は随分と経っているが、それでもショックを受けた者は多いし? 放っておけないというか目を離すとまたいなくなるんじゃないかと思ってしまうアミッドの気持ちも分からないでもないが? 見ているだけで甘すぎて吐きそうなのが正直なところ。それでアミッド様、いつご懐妊されるんですか? え、まだその予定はない? あ、そうですか。

 

「ベ、ベルさん、治療院を開ける前に定期健診、しておきましょう」

 

「はい」

 

短いやり取りをして、アミッドは黙々と朝食を取る。それを眺めているベルとたまに目が合えば俯いて自分が先程までしていた醜態を思い出して赤くなる。周りの視線も気になって仕方ない。朝食の味がよくわらかないくらいだ。

 

「さ、さあ、行きましょう」

 

「はい」

 

そそくさと食べ終えて、朝食を乗せていたトレーを片付けて、ベルと共に私室へと戻る。ベッドの上には乱れたまま放置されているネグリジェがあって、書類仕事に使っている机の上に置いてある卓上カレンダーが目に入り、アミッドは足を止める。ああ、今日は『ホワイトデー』なんだ……そう思った。

 

(期待しても……いいんでしょうか)

 

バレンタインの時に、お返し期待していますなんてメッセージカードまで同封していたけれど、別段、期待していたわけではない。まあお礼に何かしてくれたら嬉しいなあなんて思ってたくらいだ。仮にお返しがなかったとして不機嫌になるほどのことでもない。でも、いざ、目の前にいると期待してしまう。ひょっとすればこの日だからこそ、ベルは来てくれたのかもしれない…と。勘ぐってしまう。ベッドの皺やらを整えてネグリジェを畳んでくれたベルを呼んで椅子に座らせて、アルフィアがいる頃から続けている定期健診を開始した。

 

「朝食は食べていませんね?」

 

「健診するなら、食べない方がいいんでしょう?」

 

「ええ、終わってから食べてください……いえ、それなら私も後から食べればよかったのでは?」

 

「ポンコツモードで何ができるっていうんですか」

 

「うっ……」

 

その日は比較的暇だった。

治療院の仕事をしているわけではないベルは、今日はダンジョンに行くわけでもなく、アミッドの私室の掃除をしてくれていた。手が欲しくなれば呼び出し、薬草の仕分けだとか、薬品の棚卸を手伝ってくれる。慣れた動きでしてくれるから、治療院の者達も重宝してくれている。

 

「…………」

 

「アミッドさん、どうしたんですか?」

 

「いえ、別に何も」

 

気付けば昼を過ぎていた。

昼食を一緒に食べに行って、そこで友人達に会って、その中にいたもう1人の幼馴染であるアイズがベルの横に座り、もたれかかった時には、アピールがあからさますぎて貴方前からそんなでしたか?と思うくらいだ。でも、昼を過ぎてもベルから何か渡されたりだとかはなかった。それとなくアイズに『ホワイトデー』について聞き出したが、どうやら彼女は早めのホワイトデーとして宿場街(リヴィラ)でしか売ってない甘味をご馳走になったらしい。聞いただけで太りそうな名称だった。それでもアイズはプロポーションを維持しているのだから、冒険者というのは侮れない。まあ一般人よりも動くのだから当然といえば当然だけれど。でも、少し、羨ましい。ホワイトデー当日だというのに、ベルは何もしてくれなくて、ちょっとアイズに先を越されたような悔しさというかなんというか……ちょっとそわそわ。

 

「アミッドさん、そろそろ僕、帰りますね」

 

「え」

 

「?」

 

「い、いえ」

 

夕方。

太陽が沈みかけ、都市が茜色に染まる頃。

ベルにそう言われた。

アミッドは「嘘でしょ」と言いたげな表情を浮かべ、ベルは首を傾げた。丸一日付き合ってくれた。それだけでも十分ではないか。そう思うことで心を無理矢理に落ち着かせて――――。

 

 

「何故、お返しも何もないんでしょうか。所詮、私は身体だけの都合のいい女なのでしょうか」

 

無理だった。

落ち着けられなかった。

都市一の治療師(ヒーラー)といえど、女なのだ。

19歳の女なのだ。

意中の異性、それも相手は死んだとされていた少年である。初恋だと気づいた相手である。いろいろあって16歳になっているけど見た目は14歳のままで、どこか大人びた雰囲気を持っている彼である。休暇の前日には星屑の庭に連れて帰ると迎えにまで来てくれる男の子である。主神であるディアンケヒトには「なんで付き合っとらんのだ」と言われるが、それに対する答えは「お付き合いする前に子供ができる方が早いかもしれませんよ」である。ディアンケヒトは背景を宇宙にした猫みたいな顔をしていたのを覚えている。しかし、しかしだ。()()()()()()()()()()()、何もないとはどういうことか。あれだけ昔のことで苦手意識を持っていたはずのアイズには甘味をご馳走していたのに、昔から支えていた私には何もないのはどういうことかと思うのは仕方のないことだ。

 

 

「『許嫁』なのに、『幼馴染(くされえん)』だというのに……こうまで、違うのですか……!」

 

荒ぶる感情のままに、筆が走る。

筆を走らせ、判子を押し、次の羊皮紙に手を伸ばす。

仕事中毒(ワーカーホリック)も極まって、今の彼女を止められる者はいない。というか、怖すぎて無理だった。気づけば書類がなくなっていた。だが、胸の中で悶々とするこの感情をぶつけるものがなく、アミッドは椅子を蹴飛ばす勢いで立ち上がり、湯浴みに向った。【アストレア・ファミリア】の方々はどのような物を貰ったのだろうとか、周りがどんなお返しを貰ったのか気になるところだが、知ってしまうとますます自分が負けた気になってしまう。イラァとした感情が湧いてくる。身体を清めて、寝るときの格好に着替えて、上着を羽織って、部屋に戻る。まだ水気のある髪を乾かした後はもう寝るだけで、その頃には日付は変わってしまっていた。

 

「…………っ」

 

思わず瞳が潤む。

悔しい、とても悔しい。

今度会った時は、少し意地悪してやろうなんて思ったくらいには悔しい。いや、生きて帰ってくれただけでも良しとするべきだ、相手は歳下の男の子、自分は20を手前にした女。一々感情的になっては大人げない。いやでもやっぱり悔しい! 

 

「アミッド様、まだ起きていらっしゃいますか?」

 

色々考えて悶々としていると、コンコンとノック音がしてその後に少女の声が。治療院で働く治療師の少女の声だ。独り言を聞かれてはいないかと肩を揺らしたアミッドは、鏡の前で深呼吸。表情を確認して、返事。

 

「ベルナデットですか……どうしました? もう日付は変わっています。早めに就寝しなくては明日に響きますよ?」

 

「そうなんですが、えと、アミッド様にお渡しする物がございまして」

 

扉越しに聞こえる少女の声。

渡す物とは……と怪訝に眉を傾けるアミッド。扉を開けると、少女は両手で小皿を持っていた。小皿の上にはケーキがあった。『パイ』という丸い焼き菓子だ。

 

「これは?」

 

こんな時間に?

太れと?

少し感情的な部分が残っていたのか、口にしてしまいそうなのをぐっと堪える。ベルナデットという少女は申し訳なさそうに、けれど、頼まれていたので……と言うのだ。誰に? そんなのは分かっている。彼だ、ベルだ。ベルの仕業だ。彼はやり返す時は割と容赦ないと聞く。バレンタインの時にはアミッドはしれっと贈り物をした。

 

「ベルさんから、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と言われまして……」

 

「?」

 

ホワイトデーは終わった筈。

だから私は苛立っていたのに。

そう思うアミッドの気持ちを見抜いたのか、少女は頭を横に振って「ベルさんも人が悪い」と嘆く。

 

「アミッド様、ホワイトデーは……今日です」

 

「………はい?」

 

いやいや卓上カレンダーは確かにホワイトデー当日になっていたはずだ。そう思うアミッドの頭に、どうしてベルがいつもより早くアミッドの私室に来ていたのかがよぎった。まさか、と。

 

「そのまさか、です」

 

「………」

 

私室の合鍵を渡したのはアミッド。

いつでもベルが遊びに来れるように。

でも、流石に今日は早く来すぎだ。

焼き菓子の乗った皿を受け取って、どんな顔をしたらいいのかと迷うアミッドに少女は続けた。

 

「そのカレンダー……1日、ズレてますね」

 

「!」

 

やっぱり!

彼は!

やらかしていた!

こんな『駆け引き』どこで覚えてきたのか!!

すっかり落ち込んでいた気持ちが、ぐんぐん上昇!

 

「それから、こちらも……メッセージカードです」

 

それはメモ用紙だった。

アミッドの部屋、机の上にあるメモ用紙の1枚だ。

 

 

 

 甘さは控えています。 いつ食べるかはアミッドさんに任せます。

 消化に良い薬草をナァーザさんに分けてもらって交ぜてみました。

 変なのは入ってないですよ?

 体重に響くことはないと思います。多分。

 それの名前は【ガレット・デ・ロワ】。

 林檎酒(シードル)なんかと合わせるのがいいらしいですけど、お任せします。

 ちゃんと休んでください。                           

                                      』

 

 

甘味が苦手な彼が、作ったのだろう。

なんだかんだ女子力の高い姉達がすぐ近くにいるのだ、教えられていてもおかしくはない。甘さ控えめで、それに合う飲物も紹介してくれるとは前回の自分がやったことのお返しもいいところ。ホワイトデー当日というか日付変わって渡す物か?と思わないでもないが、気落ちしていた時にこれだ。気持ちは既に爆上げだ。これを狙ったのだとしたら、なるほどこれが英雄候補か。

 

「あ、ありがとう……ございます」

 

「その、時間も時間なので渡すのはお昼ごろにしようかと思ったのですが……日付が変わったらと言われましたので……さすがにこの時間ですし、お食べになるのはまた日が昇ってからにされますよね?」

 

「いえ、今、食べます」

 

「え」

 

「火を通しているんですし、カロリーは落ちていますよ」

 

「え」

 

「では、私は忙しいので」

 

「え」

 

「おやすみなさい」

 

「あ……はい、ごゆっくり?」

 

体重に響く?

何を言っているんだ、彼を思う気持ちがあればカロリーは実質ゼロだ。間違いない。さすがに全てを食べるのは無理だから一切れだけ頂こう。アミッドは弾むような足取りで机に向かい、椅子に腰を下ろして皿の上に乗せられていたナイフとフォークで切り分けた。

 

「?」

 

その時、妙な手応えがあって断面を覗けば何か小さな袋が入っていて何かを包んでいた。それを取り出して、袋を開けてみれば『指輪』が入っていた。

 

「!」

 

【ガレット・デ・ロワ】。

意味は、『王様のパイ』と言われるもの。

詳しいことは分からないが、中に物だとかが入っているらしい。アミッドは袋から取り出した指輪を手のひらに乗せ、まじまじと見つめた。リングは白く、宝石は複数の石を用いているのか色味の違う『紅』色だったり『紫』だったりしている。まるでアミッドとベルの瞳の色が合わさったように1つになって、填め込まれている。灯りにかざして、つい見惚れる。

 

「これは……石の部分が、『神秘』を用いた物……いったい誰が……すごい……」

 

ドクンドクンと心臓が暴れる。

顔が熱い。

顔の広い彼のことだ、誰か『神秘』をお持ちの知り合いに手伝ってもらったのだろう。同じ『神秘』持ちとして、この指輪がただの指輪でないことは分かる。いったいどの指にはめるのかと順番に入れて、左手の薬指に収まった。アミッドの魔力に反応でもしたのか一瞬、石が光ったような気がしたが、それでもしっくりくる。

 

「ん………おいひい……」

 

指輪を嵌める指がどんな意味を持つのかなんて考えるだけ無駄。ベルはその辺り考えていないのはアミッドにだってわかる。「指輪は薬指に嵌めるものでしょ?」とか彼ならきっと言う。間違いなく。先ほどまでの苛立ちはどこへやら、椅子に座りながら足をパタパタ前後させては指輪を見つめて、小さな口でパイを頬張った。

 

 

「これはとても、実用性の高い指輪(アイテム)ですね」

 

残りは後日アイズさんも呼んで3人で食べましょうと独り言ちる聖女様はどこか声が弾んでいた。

 

♥   ♥   ♥

 

「ただいま戻りました」

 

「お帰りなさいませベル様」

 

治療院から戻ったベルを、春姫が迎え入れた。どうやら『さいん会』とやらは終わったらしい。沢山の応援者(ファン)が来たことに驚かされたが、男性冒険者がその中でも多く、ぶあつくゴツイ手で握手された時には「これは最早、輪姦では?」と思ったレベル。夕方には解放され、迎えに来てくれたイスカ達と共に帰還したようだ。団欒室に顔を覗かせれば、女神や姉達が「おかえり」と手を振って笑みをベルに向けてくれる。

 

「はい、春姫さん『ホワイトデー』」

 

「! よ、よろしいのですか!?」

 

春姫に渡されたのは、花を模した髪飾り。

迷宮真珠も利用されており、それが高価なものであることは容易にわかる。それを胸に抱いた春姫は尻尾をブンブンと振って喜びを表現。姉達はそんな2人を見てほんわかとした表情を浮かべている。いろいろあった2人。16歳になったベルと18歳になった春姫は仲睦まじいものがあり、支え合っていた期間の長さが読み取れる。苦楽を共にした、というやつだ。

 

「【ヘルメス・ファミリア】に月嘆石(ルナティック・ライト)を調達してもらってヴェルフに作ってもらいました」

 

迷宮内で調達を依頼してもらった品々に加えて都市外で活動する【ヘルメス・ファミリア】から素材を譲ってもらって鍛冶師に作ってもらったというベルに、これが春姫しか持っていない特注品(オーダーメイド)であるとますます嬉しさが込み上げてくる。今夜は子作りかな? そう思えるくらいには、春姫は嬉しかった。魔法の詠唱に長けた彼女にぴったりな一品に思わず飛び跳ねてしまいたくなる。

 

「――――実用性があって、いいですよね? 邪魔にもならないし」

 

「………はい?」

 

その一言さえなければ最高だった。




春姫の髪飾り:ダンメモ、アイドルイベントで身に付けていたものが元ネタ。

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