アーネンエルベの兎   作:二ベル

41 / 96
めっちゃ間あいてた。


イシュタル・ファミリアとどうやって戦争遊戯させよう。
春姫の三つ目の魔法までは考えた


ミセス・ムーンライト⑩

 

 

 

「アルテミス様も、『恋』をしたほうがいい!」

 

『恋』は素晴らしいものです! と夜の森で少女の大声が上がる。女神と彼女の眷族達は少女の言葉に目を見開く。

普段とは異なる鼓動、追いかけてしまう視線、甘酸っぱい頬。夢にも現れる『恋』は色とりどりの花を咲かせる。それは、恋愛初心者である少女でさえ知っている『恋への憧憬』。どんな時だって、恋に触れた自分達の心はかけがいのないものである筈だと。

 

『恋の素晴らしさ』を『喜び』を『温もり』を。

他ならない、『美』を司る神々とは対極の位置にいる『貞潔』を司る女神に。

 

「もし、それを認めてしまったら……私は私でなくなってしまうのだろう」

 

全知全能である神だというのに、それしか知らないように透明の瞳でそう言った女神に、少女は……眷族(ランテ)は、知ってほしかったのだ。少女は両の拳を握って語りまくる。熱弁もかくやという勢いでまくし立てた。最初は仰け反っていた仲間達も、やがて「恋は素晴らしい」と声を揃えた。

 

困った顔をした女神は、眷族の一人にして団長の少女に問いかけた。お前もそう思うのかと。少女は否定しようとして、でもできなくて、苦笑交じりに口を開いた。

 

「『恋』をする前と、後では……私達は変わる。それは確かなことです」

 

女神は、少女達の言葉を聞いて空を見上げる。

そんな女神の顔には『困惑』があった。

そして、『憧れ』があった。

 

「お前達がそこまで言うのなら、『恋』とはかくも素晴らしく、尊いものなのかもな……私は現を抜かすことはできないが、『夢』見ることは許されるのかもしれない」

 

 

きっとその日の言葉が女神を変え、彼女を幸せにしてくれると少女達は笑みを浮かべる女神の顔を見て、そう思った。

 

 

 

「アルテミス様……死に、たく……ない……」

 

 

その末路は、ご存知の通りに。

少女達の断末魔が、今も女神の耳からこびりついて離れない。

 

 

 

女神は汚染された(壊れた)

 

 

 

 

 

 

 

「くだらないですって? 私は貴方のそーいうお高くとまってるところが気に食わないのよ! 純潔とか貞潔とか、結局それ自分がキレイなままでいたいっていう我儘でしょう? 汚れる覚悟のない女神(おんな)の言い訳よ!」

 

 

いつか、どこかの森の中。

『美』を司る女神の一柱が、『貞潔』を司る女神に喧嘩を売って返り討ちにされて(尻にもう一つ穴こさえて)、そう叫んだ。

 

金の髪に、緑の瞳。

真珠の耳飾りに、上から下まで宝石を散りばめたような、それでいて露出バッチコイな衣装を身に纏った、炉の女神(ヘスティア)よりも乳の小さい美の女神。名を、アフロディーテ。

 

 

「『愛』は気持ちいいものなの! どんな存在も豊かにする命のきらめきなんだから!」

 

 

立ち去っていく女神達に、それでも彼女は声を張り上げた。

森の中で木霊するほどに。

 

 

「『恋』すらしていないアンタは! 絶対に損してるんだからねーーーー!」

 

 

そんなことを言っていた女神と下界で再会することは、決してなかった。

 

 

 

月の女神(わたし)は……どうすればよかったんだろう」

 

 

『愛』を知ったところで。

『恋』をしたところで。

 

 

大切な眷族(なにもかも)、取りこぼしてしまった」

 

 

今更、手遅れで。

彼女に残されたのは、自らの犯した『大罪』に対する『贖罪』を果たし、『裁き』を望む意志だけだった。

 

 

 

蠍の毒がじくじくと回っていくように。

彼女の心が悲鳴を上げた。

 

 

 

 

 

 

×   ×   ×

エルソスの遺跡―内部A―

 

 

「………、………、………ぅ」

 

 

最初に感じたのは身体中を走り回る鈍痛だった。

どれくらいの時間、意識を喪失していたのかもわからないベルは痛む頭を左右に振りながら、周囲を見渡す。

 

 

(輝夜さんと……アポロン様達が……いな、い……)

 

 

一緒に遺跡内部に侵攻したはずのアポロンとヒュアキントス、輝夜とマリューの姿が見えない。次に咳き込み、血を吐き出しながら、痛む体に鞭を打つようにベルは立ち上がる。

 

 

「―――ランテ、お前は―――」

 

 

少し離れた場所から、女神の声が聞こえた。

それに向って『槍』を杖代わりにして、ベルは進んで行く。

酷く、いやな夢を見た気がして、気分が悪くて仕方がなかったけれど、その夢が何だったのかが思い出せず落下と共に叩きつけられたことで生じている痛みが走っては、思考が途切れた。

 

 

「■■■■■、どうだろうか……私は変われただろうか? ――――実感が湧かない」

 

 

誰かと会話をしているようで、ベルはそこにアポロン達がいるのだと思った。じりじり、じりじり、と足を進めるごとに、彼女に近付くごとに感じるのは『悪寒』。そして、『腐臭』。鼻と口を押さえ、吐き気を必死に呑み込んで、ようやくアルテミスの姿が見える場所まで辿り着く。

 

そして、ベルは見た。

 

 

「………」

 

 

鎧を砕かれ、乾いた血の池に接吻をして動かない少女がいた。

糸が切れた人形のように、見えもしない空へ顔を向けて倒れて動かない少女がいた。

肉体を裂かれ、眠る動物のように横たわって息をしない妖精の少女がいた。

身体の半分を血に染め、傍らに愛用だった杖と共に永遠の眠りにつく少女がいた。

『月』と『弓矢』のエンブレムを刻んだ『旗』が、その派閥の末路を証明するように、無残にも汚されていた。

 

そこにいる全てが、瑞々しい肌だったはずの肉体が、切り裂かれ、貫かれ、破壊され、血に染められ、そして気高かった高潔な女傑達こそが、ベルの嗅覚が感じ取った『腐臭』の正体だった。

 

 

「ああ、オリオン……目が覚めたのか」

 

「………アルテミス、様?」

 

座り込んで眷族の一人の手を握っているアルテミスがベルの気配を感じて振り返る。ベルは思わず、唾を飲み込み、一歩後退してしまう。前髪で隠れたアルテミスの瞳にそれが映っていたのかは分からないが、ベルの目には少なくとも、彼女がベルの知るアルテミスではなくなっているように見えたのだ。『悪寒』が脈を打って警鐘を鳴らす。14歳まで生きて始めて見る『残酷な死』というものに言葉が出せず、呼気だけが漏れていく。アルテミスはベルから視線を外すと、手を握っている眷族に再び語り掛けた。

 

 

「ああそうだ、ランテ……彼がオリオンだ」

 

 

ベルはこの時、まるで『ままごと』をするかのようなアルテミスに対して、気持ち悪いという感情を抱いた。

 

 

 

 

 

×   ×   ×

エルソスの遺跡―内部B―

 

 

「それで、アポロン様? これはいったいどういうことか説明していただけます?」

 

「………単純な話さ。アルテミスがモンスターに喰われ、取り込まれた」

 

「その結果が、今回の事件の全てと?」

 

「その通り。とは言っても、この件に関しては私よりもヘルメスの方が詳しいだろう……何せ、私と私の眷族達はあくまでもこの森の近くに住まう村民達を避難させることが重要な役目であって、調査の優先度はそこまで高くはなかったからね。君達と合流し、アルテミスを見た時点で後は君達に任せて私達は撤退する……という考えは取れなくなってしまった」

 

 

崩落した遺跡内部。

ベル達とは違う場所を、アポロンと輝夜は共に行動していた。輝夜は怪訝な顔で、いっそ胸糞悪いものを感じ取ったか目つきだけで人を殺せそうなほどの冷たい視線をアポロンに向け、アポロンは努めて苦笑を浮かべて、今回の事件について問われたことを可能な限り解答していた。

 

 

「『魔石』の中に閉じ込められているアルテミス様をお助けする。それが、私達……いや、ベルに課せられた依頼(クエスト)だと思ってもよろしいので?」

 

「不正解だ、【大和竜胆】」

 

問いに対して、即答が返ってくる。

思わず舌打ちをして、申し訳ありませんと謝罪を零してアポロンに気にしないでくれと肩を竦められる。

 

 

「怪物に取り込まれた『神』の救出は不可能。彼女(アルテミス)は既に『アンタレス』そのものとなっていて、既に引き剥がせないほどに心身を侵食されてしまっている」

 

「…………」

 

「ではどうするのか、と言われれば……それは取り込まれている彼女(アルテミス)そのものを殺すんだ」

 

「……っ」

 

「他に方法は存在しない……というのが、私があの二柱(ふたり)から聞いた結論であり事実だ」

 

 

今の厄災の蠍(アンタレス)は言わば、三すくみの内の二種類の(カード)を持ってしまった化物だ。『神の力(アルカナム)』を有している以上、『眷族』の力は通用せず、『古のモンスター』である以上、『神の力(アルカナム)』も効かない。

掌遊びがいい例だ。一つの手しか出せない相手に対し、二つの手を独占できれば、その存在はいかなる者にも決して負けることはない。最悪、神が束になれば、『アルテミスの矢』は防ぐことはできる。しかし、『アンタレス』は討てない。

 

「古のモンスターと神の融合……」

 

輝夜がぽつり、と呟く声にアポロンは肯定するように頷いた。

 

 

「……アンタレスを討つには、あの『矢』で射抜くしかないんだ」

 

 

 

×   ×   ×

エルソスの森―付近―

 

 

窪地(クレーター)に悲鳴を上げるように木々が倒れていく。

そんな森の中、足を負傷した眷族の手当をしながら、ヘルメスは言葉を紡ぐ。それはアポロンと輝夜の会話と同じ内容だ。

 

 

「『オリオンの矢』はアルテミスを殺しうる矢……彼女を取り込んだアンタレスに唯一通用する『神の力(アルカナム)』なんだ。それをもって、神であり、怪物であるという『矛盾』を孕んだ災厄……その『矛盾』そのものをアルテミスという原因をもって、強引に相殺させるんだ」

 

 

『オリオンの矢』は、『アルテミスを必ず殺す矢』という因果が存在する。その因果が、『神の力(アルカナム)』が通用しないという『理』そのものを捻じ曲げる。その理を捻じ曲げる『矢』こそが、天界、下界を含めた全ての界の中でアンタレスを討伐可能とする唯一の武装となる。

 

 

「そして使い手としてベル君が選ばれた。 ここに一つ、問題が発生する」

 

「…………問題?」

 

もう薄々と、アスフィはヘルメスの言葉から選べらたベルが何をさせられるのかを察し、それをあんな歳の子に『神殺しの大罪』を背負わせるのかと非難めいた視線を向ける。が、旅行帽で表情を隠すヘルメスは人差し指を一本立てて『問題』とやらを開示する。

 

 

「―――アストレアだ」

 

 

 

 

×   ×   ×

オラリオ―祈祷の間―

 

 

薄暗いその場所で、アストレアと老神(ウラノス)は対峙する。その傍らには、黒衣の魔導士(メイジ)の姿があった。

 

 

「私があの子と共に『旅』に同行すれば、アルテミスとの絆を深めることはできず、『オリオンの矢』の威力は発揮されない」

 

同性なら友情、あるいは親愛を。

異性なら、手っ取り早い話、情愛を結ぶ。

『愛』に至れずとも、『恋』に至れば良し。

 

「けれど、選ばれたのはあの子(ベル)

 

「………そうだ。だからこそ、アストレアを同行させるわけにはいかないという問題が発生してしまった」

 

『抗争』の際、神々が相手側の思惑を読み合っていた中、故意的に空気を読まず救助活動を行い、多くの命を救っていたアストレアの大胆過ぎるその在り方はまさに即実力行使しないお淑やかなアルテミスと言われるほど、よく比較されることがある。もし仮に、アストレアが『旅』に同行していた場合、幼いころから一緒にいたことも含めて、ベルはアルテミスではなく、アストレアへと好感(やじるし)を向けてしまっただろう。そうなれば、アルテミスとの絆など深まるはずもなく、何もかもが中途半端なものになってしまっていたことだろう。

 

他神(たにん)が勝手に比較していることではあるけれど」

 

「それでも、お前とアルテミスとでは付き合いの長さが違いすぎる。どちらにせよ、アルテミスとの絆は中途半端なものになっていた筈だ」

 

「下界を救うためには、アルテミスを……『アンタレス』を討たなくてはいけない」

 

「アルテミスは既に『死』を覚悟していた」

 

「…………」

 

 

(下界)』のために『(アルテミス)』を切り捨てる。

これが『正義』。

これも『正義』。

 

アストレアはただ目を伏せ、重い吐息を吐く。

下界の住人(こども)に神殺しの大罪を犯させることで、『下界』は救われる。きっと広い世界を探し回れば、他にも『オリオン』は見つかったかもしれない。猶予のない『時間』がそれを許してはくれなかった。ならばせめて、全てが終わった後のために……とアストレアは同行者を選出したのだった。

 

「あの子達は私を恨むかもしれない」

 

剣客(輝夜)』は己の古傷を撫でられたと激昂するかもしれない。

それでも、ベルに寄り添ってあげられるのは彼女しかいないだろう。

 

治療師(マリュー)』は綺麗だったベルが変わってしまったと嘆くかもしれない。

それでも、何度でも彼の傷を癒し命を途絶えさせはしないだろう。

 

魔導士(リャーナ)』は気づかないうちに背負ったものの重さに潰されたベルに悲しむかもしれない。

それでも、遠すぎる憧憬(アルフィア)を追うのではなく、新たな道を目指すキッカケになるかもしれない。

 

それはアリーゼでも、リュー達でもよかったかもしれない。

何度も戦って、傷ついてきた彼女達なら、まだ足を踏み出し始めたベルの手を引いてくれるだろうから。

 

「【ゼウス・ファミリア】と【ヘラ・ファミリア】の末裔……かの二派閥の遺産故の使命と受け入れさせるしかあるまい」

 

「違うわウラノス」

 

パチパチ、と音を立てて燃え盛る松明の炎が揺らめいて二柱の神の影を揺らす。

 

 

「ゼウスもヘラもないの。あの子はただの―――」

 

 

×   ×   ×

エルソスの森―付近―

 

 

「エレボスがベル君を知って、その人となりを見たのなら、腰に手を当てて言うだろうぜ」

 

『抗争』終了後。

自らの眷族を身代わりに逃亡してみせたエレボスを瞼の裏に浮かばせながら、ヘルメスは苦笑する。それをアスフィはただ眺めていて、何も言うことはない。

 

「―――そこにいるのは、ただの()()()()()()()()()だったんだぜ。と」

 

「………彼のことは私もそれなりに知っています。リオン達にとって心の支えになっていたことも」

 

「というか、今のオラリオでベル君を知らない新参(にわか)の方が珍しいだろうなあ。まあそれは、彼の母親のおかげなんだろうけど」

 

「何故アルフィアが出てくるのか分かりませんが……そんな彼に、神殺しの大罪を背負わせるのですか?」

 

「…………もう、恐らく猶予という猶予はない。俺達がこうして空から撃ち落され墜落したように。アルテミスは侵食されすぎている。きっと今、何らかの異常を引き起こしていてもおかしくはないくらいには」

 

「―――っ」

 

 

苦虫を噛み潰したようにアスフィは顔を顰める。

降り注いだ光の矢は、移動中だったアスフィとヘルメスへと着弾。飛翔靴(タラリア)は見事に使い物にならなくなったどころか、アスフィは主神を庇ったことで立つこともままならない損傷(ダメージ)を負っている。すなわち、この二人組にはもう何もできることはない。

 

「『ベヒーモス』」

 

「?」

 

「遺跡にいた『ベヒーモス』は何故、あの場に?」

 

「さあ、何故だろうなあ……さすがに『運』がなかったと言うしかないし、『破滅(イレギュラー)』が『異常事態(イレギュラー)』を引き寄せたと表現するしかない。おまけしてアルテミスの『神の力(アルカナム)』に引っ張られたと誇張してもいい」

 

 

ヘルメスは静かに、『偽りの三日月』が浮かぶ空を見上げた。

瞳に寂寥を浮かばせる彼はどこか、最後まで見届けてやれないことを悔やんでいるようですらあった。

 

「せめてベル君が、彼女の英雄とならんことを―――」

 

どうかそこで泣いている女の子を、救ってやってくれ。そんな小さな呟きが、森を通り抜ける風に流れて消えていく。

 

 

 

×   ×   ×

エルソス遺跡―内部C―

 

 

「そもそも、【アポロン・ファミリア(我々)】がこの作戦に付き合う必要などなかったのだ」

 

「…………」

 

ヒュアキントスの言い分に、マリューは思わず剣呑な眼差しを向けた。が、それはすぐにやめた。彼は遺跡の崩落の際に瓦礫に当たり怪我をしているし、現在は主神と離れてしまっている。自分がその立場にあったなら、こんな危険な場所で女神の安否がわからないとあれば愚痴の一つでも零してしまうだろうからだ。彼の足取りから『恩恵』が消えたような様子は感じられなかったため、恐らくは送還されるようなことは起きていないと察することはできるが、それでも彼はきっと不安なのだろうとマリューは口を挟まない。

 

「だが我らが主、アポロン様のご決定に従うのも眷族の役目……だが、それでも、この後のことなど想像できない私ではない」

 

「…………」

 

言わんとしていることも、何となくだがわかる。

この後のことは単純明快。

あの特別な『槍』を使うことができるベルが、アンタレスの核となっている『魔石(アルテミス)』を破壊する。それで、今回の事件は解決するのだ。それくらいのことは、ヒュアキントスもマリューも、冒険者故に想像すること自体はできた。

 

「しかし……しかし、だ! 【探索者(ボイジャー)】に……いや、我々には神殺しなどできるものではない」

 

 

マリューもそれには同意する。

『神殺し』は下界でも最大級の禁忌とされている。だからこそ、闇派閥といった敵対派閥へと攻め込み邪神を抑えるにも、自らの主神に同行する必要性がある。ましてや大罪を犯した場合どうなるのかという説明がまるでないのも大きい。

 

「だからこそ、神様達は黙っていたんでしょうね」

 

最初からネタバラシしていたら、きっとベルは依頼を受けなかった。他の冒険者も、きっと同じく。

そんなことを話しながら、二人は歩ていると激しい戦闘音が耳朶を震わせた。思わず顔を見合わせ、二人は走り出していた。

 

 

 

×   ×   ×

エルソスの遺跡―内部A―

 

 

いつから、と言われれば最初からだったかもしれない。

自らの手で愛しい眷族達の命を摘み取っていくのをただ見ているだけの『悲劇』。女傑などと言われていた彼女にもあった『女』の部分。英雄を求める少女のような、弱い女の心が確かに悲鳴を上げていた。

 

泣き叫ぶ眷族を殺した。

手を伸ばす眷族を斬り裂いた。

逃げ惑う眷族を貫いた。

 

規則を破り『神の力(アルカナム)』を使ってまで眷族を助けようとした結果が、それだった。きっと、その時点で彼女は―――アルテミスは、おかしくなっていたのかもしれない。

 

 

「見てくれレトゥーサ、オリオンの髪は綺麗だろう? ダンスだって踊れるんだ」

 

「…………」

 

 

いつから、と問われれば『ベヒーモス』が『遺跡』への道を塞ぐようにいたことが分かった時からかもしれない。怪物が出す『猛毒』が、どんな結果をもたらすのかなんて神の勘がなくても想像することはできる。ベルや冒険者達もまた、知らず知らずのうちに考えないようにしていたのかもしれない。『覇者』の一人が、かつて『ベヒーモス』討伐を成し遂げた際にどのような代償を受けたのかを考えれば、姿の見えない【アルテミス・ファミリア】がどうなったのかを想像するくらい、できただろうに。

 

 

「オリオン、顔色が悪いぞ。大丈夫か?」

 

「………」

 

 

いつから、と聞かれればそれはきっと、『遺跡』に入り込んだその時からだろう。まるで撃ち込まれた蠍の毒がじわりじわりと蝕んでいくように、彼女から正気を奪っていったのかもしれない。ベル達の周囲には、()()()()()()()()()()()()()()()()が転がっている。時間の経過から血は固まって、肉体から熱は失われ、魂など残ってすらいないだろう。美しかった髪も、肌も、今は無残に汚れている。

 

「アルテミス様……」

 

ベルは思わず、彼女の名を呼んだ。

やめてほしい、お願いだから、頼むから、と彼女の衣装を摘まんで震える喉で呼んだ。アルテミスは肩を揺らして振り返り、まるで夢でも見ていたかのように正気に戻る。それがまた、ベルにはおぞましく見えた。

 

「具合はどうだ、オリオン」

 

「大丈夫、です」

 

貴方が大丈夫じゃない! 叫びたかった。

どうして黙っていたんだと言いたかった。眷族がこんなことになってるってどうしてもっと早く言わなかったんだと心が叫んでいた。でもきっと彼女は言えなかったのだ。助けを求めるのが、あまりにも遅すぎたから。

 

「この人、達……は」

 

「………私の、子供達だ。私は見ているしかなかった」

 

アルテミスを喰らった『アンタレス』が眷族達を殺す光景を。

彼女自身の手で、殺される光景を。

 

「なら………」

 

激しい動悸に胸が苦しくなって、握りしめてそれでも必死に言葉をベルは紡ぐ。『魔石』の中にいたアレは何なんだと、貴方は誰なんだと、聞かなくてはいけなかった。

 

「私は……『残り滓』だ」

 

「!?」

 

「私は『槍』に宿る思念体……いわば女神の残滓。私は、アルテミスであってアルテミスではないんだ。その槍は、取り込まれるその時……残された微かな力で、この地に召喚した」

 

 

 

×   ×   ×

エルソスの遺跡―内部B―

 

 

「神創武器……」

 

「ああ、あの『槍』はそれでね……天界に存在する神々を殺す武器」

 

輝夜の呟きにアポロンが頷き、答える。

アルテミスが召喚した『槍』の名は、『オリオン』。

神々の言葉で、『射抜く者』を意味する。

 

「!」

 

「まさか、という顔だね……そう、まさにそのまさか。ベル君は『槍』に選ばれ、そしてその『槍』は『アルテミス』を必ず殺すという因果が存在する」

 

「……どう実行させるおつもりで?」

 

「アルテミスが説得してくれれば一番良いんだけどね。恐らくだが、それは無理だろう……」

 

「というと?」

 

「アルテミスは……既に()()()()()()()()からさ」

 

「正気を……失っている……?」

 

「例えばの話をしよう」

 

例えばの話。

愛する家族がいたとして。

その家族が目の前で死んだとして。

兄弟姉妹が、子が、無残な屍を晒したとして。

涙を流しながらも弔ってやろうという時に、その亡骸が腐って崩れ出したら?

 

 

「…………」

 

「………ほうら見たまえ、【大和竜胆】。あれが、君達が共に旅をしたアルテミスだと、ほんとうに思えるのかい?」

 

 

何度も瓦礫を飛び降り、道を曲がり、アポロンに導かれるようにして辿り着いた場所。そこには、【アルテミス・ファミリア】の眷族達の亡骸が転がっている。亡骸は腐って腐臭を充満させており、輝夜は思わず着物の袖で鼻と口を覆った。そしてその最奥に、アルテミスとベルの姿が見えた。輝夜達からはベルの背しか見えず表情は見えないが、アルテミスがこの状況で微笑みを浮かべていることに輝夜は嫌悪感を抱いた。それは決して、気丈に振舞っているが故の微笑みなどでは決してない。無邪気で、無垢な少女の微笑みだったのだ。

 

そして、聞こえた言葉に輝夜は目を見開いた。

 

 

「――――――さあ、私を殺してくれオリオン!」

 

 

そして。

上層部から、『アンタレス』がやって来た。

 

 

「ォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」

 

 

×   ×   ×

エルソスの遺跡―内部A―

 

 

「楽しい『旅』だった……語りつくせないこともあるくらいには、楽しかった」

 

「…………」

 

眷族の一人の頬を撫で、悲し気に微笑んだアルテミスは立ち上がりベルの前へとやってくる。恐怖に取りつかれつつあるベルの頬に触れ、肩を揺らして反応するのに、クスリと笑みを浮かべて口を開く。

 

「竜に跨って空を飛ぶ……こんな経験はきっとこの先、ないだろう。立ち寄った湖にはモンスターのドロップアイテムが小動物達の住処になっているなんて不思議な光景も見たものだ」

 

「………そう、ですね」

 

「下界はまだまだ知らないことが沢山ある……だからこそ、愛おしい」

 

「………は、い」

 

「貴方は楽しかったかい、オリオン?」

 

「………、………ぇ?」

 

「私との『旅』は、貴方のかけがえのない思い出になれたか?」

 

「…………っ」

 

ベルは、思わず『槍』を握り締めた。まだ碌に力も入らないのに、アルテミスが壊れていくのがわかって、歯を噛み締めて、『槍』を握り締めた。

アルテミスとの『旅』が楽しくなかったはずがない。

竜に跨って空を飛んだことも、人類は踏み入ることのない森林の中で見た光景も、そして水浴びをしていた彼女と踊ったことも、出逢ったばかりのはずなのに、彼女のことをもっと知りたいと思うくらいには、ベルは楽しいと感じていた。()()()()()()()()喜びを教えてくれた彼女に、感謝を覚えてすらいる。

 

「楽しかった、楽しかったに決まってます……!」

 

「よかった………じゃあ!」

 

アルテミスは片手で髪を耳にかけ、もう片方の手を胸に置きながら無邪気に微笑みながら、言った。上から聞こえてくる『咆哮』と共に、彼女の言葉がベルの心を確かに抉った。

 

 

「その槍で――――さあ、私を殺してくれオリオン!」

 

「…………………………」

 

 

酷い耳鳴りがしたように感じた。

時が止まったようだ、と表現したっていい。

ただ現実はいつだって残酷でどうしようもなかった。

上部からベル達を追って来た『アンタレス』が吠えても、ベルは動けなかった。目の前のアルテミスは少女のような笑みを浮かべて、それがどうしようもなく、綺麗で、だからこそおぞましかった。

 

 

「どうして、僕を選んだんですか……僕は、こんなことのために……『冒険者』になったわけ、じゃ……」

 

(あれ、そもそも僕って……)

 

「貴方はゼウスとヘラの孫なのだろう? 大丈夫、その槍は必ず私を殺す。そういう風にできているんだから」

 

「………っ」

 

(どうして『冒険者』になったんだっけ……)

 

 

【ゼウス】も【ヘラ】も関係ないと言っていたはずのアルテミスが、それを忘れたように言ってのける。彼女の言動が音を立ててベルを傷付ける。呼吸も忘れ、気が遠くなっていくベルに痛打。

 

 

「――――ガッ!?」

 

「ォオオオオオオオオオオオオッ!」

 

 

『アンタレス』が甲殻をもってベルを薙いだ。

壁に叩きつけられ、明滅する視界で反射的に立ち上がろうとするベルを、しかし、それを『災厄の蠍』は認めなかった。

 

 

「っづ!?」

 

背中から通り抜けた痛み。

口から零れ落ちた赤い雫。

腹から生えた紫紺色の棘のようなモノ。

 

「――――、――――フッ」

 

嘲笑うかのように、アンタレスは尾の針でベルを背中から貫き、地に張り付けた。広がっていく生温かい水溜まりにベルは歯を食い縛って絶叫を殺す。起き上がろうとするたびに、上から下えと抑え込まれる。

 

(動け、ない……!)

 

泳ぐ視界でアルテミスの姿を探す。

けれどどこにもその姿はなかった。もう、彼女はどこにもいなかった。彼女が立っていただろう場所に、金色の光が漂うのみ。

 

「………ぁ」

 

――どんなモンスターが現れても、必ず倒してみせます! 必ず、貴方を守ります!

 

「………ぁあ」

 

――オリオン……貴方に出会えてよかった。

 

「ぁあああああ!」

 

 

ガラガラと何かが崩れていく。

槍を握り締める手から力が抜けて、藻掻く身体も動かなくなっていく。聞こえるのは自分の嗚咽と怪物の咆哮だけで他には何も聞こえない。

 

 

(できない……できるわけが、ない……!)

 

アルフィア達ならどうした? 【ゼウス】と【ヘラ】の末裔の自分が、神殺しをする? あの二人も当事者ならやったのか? 英雄にならなきゃいけないのに、どうして僕は神様を殺さなきゃいけない? そんなことがぐるぐると回って、そして、瞳を泳がせるベルは確かにこの時、心が折れた。誰かが呼ぶ声が聞こえたが、それも遠く、涙と血を流しながら、災厄の蠍が喰らう亡骸の血肉を浴び無様を晒すベルは――――もう動けなかった。

 

 

 

 

「―――オリオンよ」

 

溢れる神威に、傍にいた輝夜と、そしてベルを張りつけにしていたアンタレスが動きを止める。

太陽神による神威の最大解放。

 

彼はアンタレスへと真っ直ぐ腕を伸ばし指を差し、そして言の葉を紡ぐ。

それは、アポロンとアルテミス、そしてオリオンの三つがあって手繰り寄せられるもう一つの『因果』。

 

 

「射抜く者である君でも、其処にて光り輝く的を射抜くことはできまいか?」

 

 

その言葉に呼応するかのように、『槍』は震え金色に輝き―――。

そして、そこから先のことを、ベルは覚えていない。




神話ではアルテミスがアポロンに騙されてオリオンを殺すんですけどね

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。