アーネンエルベの兎   作:二ベル

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エルソス→帰還→家出→エダスの村


話進めるのむずかしー


ビューティフルジャーニー②

3日目

 

 

「そう、昨日あの子はデメテルのところに行っていたのね」

 

「ええ、ほとんど会話はなかったけれどね」

 

「して、ベルの様子はどうなのだ? アストレアは会っておらんのだろう?」

 

アストレアは喉を潤した紅茶がまだ残るティーカップを唇から離し、星空のような深い『藍』色の双眸を細めた。太陽が真上に差し掛かる頃、都市第一区画の小洒落た喫茶店。オープンテラスの席で一柱の男神と三柱の女神が『お茶会』をしていた。先日アーディとティオナに連れられるようにして菜園にやってきたとデメテルが話し、群青色の長髪を後ろで短く一本に束ねている自称『顔が良いだけの神』ことミアハが様子を窺った。アストレアは首を振り、デメテルが肩を竦め、ヘファイストスがやれやれといった反応をとった。

 

「今朝もあの子の下へ行ったのだけれど、閉じこもったまま出てくることはなかったわ」

 

ベルが家出をしてからアストレアはこの日まで毎日、廃教会へと足を運んでいる。けれどまだ治療院を出た後の、もっと言えば、目覚めた後のベルをアストレアは知らないのだ。廃教会の隠し部屋の扉をノックして出てきたのは輝夜で、食事と着替えを含めた『差し入れ』の受け渡しというやり取りはあったものの、それだけで終わっている。

 

「アストレア様、勝手なことをして申し訳ございません。責は私に。無断で出て行ったあいつを叱らないでやってください」

 

「怒ってなんていないわ輝夜、むしろ謝らなくてはいけないのは私」

 

「………あいつは、貴方に謝って欲しいわけではない、と思います。ただどうしたらいいのかわからないだけなのです」

 

ご安心を、二度も自刃を許すほど阿保な女ではありませんので。少し不貞腐れたような輝夜の顔が浮かび上がった。きっと「似たような経験を持っているから私を選んだのでしょう?」と言いたいのを堪えていたのだろう。

 

「あの子が治療院に運ばれたって聞いたヴェルフが見舞いに行ったみたいだけれど……帰って来たヴェルフが言っていたわ、『武器』も『防具』もないって。防具は、まあ、治療するのに邪魔だろうから外した或いは破損したから処分したんでしょうけれど」

 

武器―剣―はどうしたのよ? と頬杖をついて、これまで黙っていたヘファイストスが口を開いた。アストレアは困ったように頬を掻いてから、まるで多大な借金を負ってしまったように申し訳なさそうに返す。

 

「置いて来ちゃったっぽいの」

 

「はぁ?」

 

がくっと頬杖からヘファイストスが崩れ落ちる。「っぽいのってなによ、っぽいのって」とブツブツ愚痴を零しながら、胡乱気な眼差しを向けるがアストレアは視線を反らし瞼を閉じた。思わず溜息をついてしまう。

 

「経緯が経緯とはいえ、鍛冶師としては文句の一つも出したいところよ……己の半身みたいな武器を……はぁ……言っても仕方ないわね……私のところで新しい武器を見て瞳をキラキラさせるあの子を知っている以上、怒りたくても怒れないわ」

 

あんな邪道な剣、この世に一つとして存在しないのよ? と、それでも鍛冶師として思うところがあるのだろう。ブツブツと言って唇を尖らせてヘファイストスは黙り込んだ。

 

「それより、ベル君……大丈夫なの?」

 

ケーキを口に運ぶデメテルが問う。

ミアハが「ふむ」と零してから、言う。

 

「治療院を出た、ということは肉体は問題ないのであろう?」

 

「問題大ありよミアハ。あの子、普通の地上の住人(こども)達とはズレちゃっているもの」

 

「む……?」

 

首を傾げるミアハ、眉間に皺を寄せるヘファイストスがデメテルへと視線を向けると、デメテルはグラスの下に敷いていたコースターを裏返し、近くにあったペンを走らせた。描き込まれたのは、無論ベルの身体に残っている『聖痕(あざ)』だ。

 

「十字架……ではないな」

 

三連星(トライスター)でしょ?」

 

「デメテル、貴方見たの?」

 

「チラッとね?」

 

華奢な男の子の腹チラに思わず喉を鳴らしてしまったわあ。頬を染め、手を当てて身体を左右に振るデメテル。アストレアはそんなデメテルに思わず頬を膨らませた。

 

「話を脱線させないで頂戴。アストレア、これが何かあるの?」

 

「オラリオから帰って来たあの子の身体に、それがあったの。アミッドは治療そのものは終わってると言っていたし……だからこそ、退院を認めたんでしょうけれど」

 

アミッド本人としては、まだ治療院で大人しくしてほしい所ではあったはずだが治療そのものは既に終わっていて、できる術がない。本人も出ようとしていたし輝夜が何かあったらすぐに連れてくると言ってきたために縛り付ける訳にもいかず、退院を認めたのだ。とはいえ個人的に時間を作ってはベルの下へ足を運んでは診てくれているのだが。

 

「でも、改めて彼女から話を聞いたら痣になってしまっている部分に触れるととても痛がるみたいで……痛み止めを処方してあげるくらいしかなかったみたいなのよ。念押しで消毒と包帯を巻いてくれたそうだけれど」

 

「ディアンからは何も?」

 

「消えない傷だ、としか」

 

「私はベル君の身体から『神の力(アルカナム)』の気配を感じたわ。下界の住人(こども)達にとっては過ぎた力……侵されてしまっていると表現した方が正しいんじゃないかしら」

 

眷族(リャーナ)の報告によれば、災厄の蠍(アンタレス)の放った『矢』……十中八九、『神の力(アルカナム)』によって生成されたものだと思うのだけれど、それをベルの持つ『オリオンの矢』が打ち消した。その時の破片があの子の身体を貫いたらしいから……それが原因なのでしょうね」

 

『偽りの月』―アルテミスの矢―よりも極小のものとはいえアルテミスを炉心として利用された『神の力(アルカナム)』。射出された『矢』は、オリオンの矢との衝突によって打ち消された。その際の破片がベルの肉体を貫通、人類にとって過ぎたる力であることに変わりなく、肉体を()()()()()()状態なのだろう。ディアンケヒト曰く、「治療法はない」。

 

「帰還したアポロンが真っ直ぐ私の下に現れて報告までしてきたときには驚いたし、気が遠くなってしまったわ」

 

何せ、「ベル君という器を乗っ取られた」だの、「アルテミスとの契約によって私は派閥を解体後、ぐすっ、ひっぐ、オラリオを出なければいけない」だの、「もし、ベルきゅんを手放すというのならば、どうか私に! 責任を持って愛を育もう!」だのと言って来たのだ。『因果』云々によるオリオンの矢の強制発動や乗っ取りなどという予想外の事態に気が遠くなったアストレアだが、それでも真っ先に報告に来たのはアポロンなりの誠意なのだろう。

 

「「「最後の方、私情というか欲望もれていない??」」」

 

「漏れて……たわねえ」

 

「真面目な空気はアポロンには荷が重すぎたか……?」

 

「なに、禁断症状だとでも言うの!?」

 

 

 

アストレアからしてみれば、「信じて送り出した眷族が~」という所謂『ネトラレ』ジャンルのタイトルコールもかくやという発言をしたくもなる状況であり本拠に帰って来ることなく家出をしてしまったと知った輝夜以外の眷族達は「もう駄目だ、おしまいだぁ」と言ってへたり込むレベルで落ち込んでしまっていた。

 

「アストレア、あんたはどうするの? このまま放っておくつもり? ただでさえ今はアレスのところがちょっかいを出してきているっていうのに」

 

「今はベルの気のすむようにさせてあげたいの、もちろん毎日ベルの下に足を運ぶことはするけれど」

 

「会いに行っても顔すら会わせてもらえないとなっては困りものだな」

 

何度となく溜息を吐き、空を見上げる。

辛い過酷が待っていることを知っていて送り出してしまったのはアストレアだが、送り出すしかなかったのも事実。そして、想定していた事態とはまったく違う出来事が起きてしまってベルには取り返しのつかない傷となって残ってしまっている。結果、ベルは女神からも【ファミリア】からも逃げてしまった。

 

「そういえば」

 

会話に一息つけようと紅茶を飲み込んだヘファイストスが紅の瞳に、静かな怒りを孕ませたまま呟いた。それは決して、他神(たにん)の眷族とはいえ気に入っている上に眷族(ヴェルフ)の友人であるベルをアストレアが放置していることが気に入らないとかそういうことではなく、見かけない一柱の男神のことが気に入らないからこそのものだった。

 

 

「ヘファイストス、どうしたの?」

 

「そう怒りを露わにするものではないぞヘファイストス、そなたの美しい顔が台無しだ」

 

「あらミアハ、台無しだなんて言い方失礼よ?」

 

今にも噴火するんじゃないかというヘファイストスの纏う空気に、アストレアが若干怯えつつ上目遣いに問いかけ、ミアハが宥めようとし、デメテルが駄目だしをした。そんな3人を無視してヘファイストスは続けた。

 

 

 

「ヘルメスはどこに行ったのよ? 連れて行ったのあいつでしょ?」

 

 

「「「……あ」」」

 

 

 

×   ×   ×

同日、廃教会―内―

 

その日は、大陸西部に位置する君主制国家(ファミリア)の軍隊が軍靴の音を轟かせていた。向かう先は大陸西部から更に西へ進んだ、大陸の片隅、迷宮都市オラリオであり『世界の中心』である。重厚な鎧に身を包んだ豪傑のエンブレム、紅の軍旗がはためく。所謂『軍事国家』と呼ばれるその国の名は、ラキア王国。そして、ラキア王国の事実上の一国の頂点にして国とを統べる男神の名は『軍神アレス』。迷宮都市へ向けて西進を続け押し寄せる大軍―その数は3万―はオラリオ周辺地域でも観測された。

 

「ちゃんと食べてる?」

 

「……ええ、まあ」

 

「ベルは?」

 

「量は減っている。食欲がわかんらしい」

 

「そ。じゃあ……お風呂、ちゃんと入れてあげてる? 1人じゃまだ厳しいんじゃない?」

 

「今はまだ無理だ、湯で濡らしたタオルで拭いてやっているだけだ……隅々までな」

 

「わあお、羨ましい」

 

しかし、そんな突然のラキア王国侵攻に対し、()の迷宮都市は何も変わらず()()()()()()()()が送られている。遥か西方の曇天とは無縁な晴れた青空が広がり、うららかな日差しを浴びる都市の住民達は、動じる素振りを欠片も見せない。普段通り賑やかな生活を送っている彼等は、ただ心の声を一つにしていた。

 

「ああ、またか」

 

と。

終始平和そうな光景が広がる都市の彼方、市壁外部の遠方からは、開戦を知らせる悲鳴のような声々が木霊していた。

 

「それはそうと、ラキアがまた懲りずに攻めてきているそうで」

 

「ええ、そうね。【ロキ・ファミリア】が対応してくれてるわ。【アストレア・ファミリア(わたしたち)】は都市内に注意を光らせてる。リオンもここにいるってことは合間を縫って来たんでしょうけど」

 

廃教会の隠し部屋……ではなくその外、祭壇近くにある木椅子(ベンチ)に【アストレア・ファミリア】の団長と副団長が隣あって腰を下ろし、話をしていた。それを見つめるのは、全身をぼろぼろにして顔半分も失ってなおも微笑みながら見下ろしている誰かもわからぬ女神の石像だ。世間話もそこそこにアリーゼは目つきを変えて話を切り替えた。

 

「一応、アルフィアが亡くなった時もあの子が家出しちゃったことはあったし、行先なんてだいたい候補も絞れるから今更どうこう言うつもりはないわ」

 

あの子ももう14歳だし。と言ってから彼女は「だけど」と続ける。そこに普段の快活なアリーゼの雰囲気はなく、姉としてではなく団長として彼女がここに来ていることが受け取れる。

 

「でも輝夜、あんたは副団長でしょう? アストレア様が直接ここに来て、あんたと話したって聞いたけれど……何か忘れていることはないかしら?」

 

「…………?」

 

チクチクと刺すような、でもなく本人に気付かせるようなその問いかけに輝夜は目を顰める。僅かな沈黙、けれど都市の喧騒より少し離れているからか静寂が包み込んでいるかのようなその場所は、時が止まっているかのようだった。アリーゼは黙りこくる輝夜に溜息を付いて、言う。

 

「あんたたち、一応『冒険者依頼(クエスト)』という形で外に出て行ったんでしょう? じゃあ、報告は?」

 

「あー………あれだ、団長、言い訳をするチャンスを」

 

「いいでしょう、与えましょう。偉大なる団長様は寛大よ? ありがたみを噛み締めながら懺悔なさい?」

 

「生理だったんだ」

 

「へえ」

 

「それも、ものっっっすごく重いやつ」

 

「へえ」

 

「だから、仕方な――――」

 

「いわけないでしょうアンポンタン!」

 

アリーゼの手刀(チョップ)が輝夜の頭頂部を直撃した。輝夜は頭を押さえ、目尻に涙を溜めながらアリーゼを睨みつける。

 

「やり直しの要求を」

 

「やってみなさいよ」

 

「あいつが一時も放してくれなかったのだ、私の名を連呼し胸元に顔を埋めてな。一日中裸でベッドの上だ……求められたら、答えなくては女の名折れだ」

 

「それ、あんたが寝るときは裸派だからでしょう!? 第一、あんた小作りは無理でしょうが! 嘘かホントかわかりにくいこと言うんじゃないわよ!?」

 

「チッ」

 

「チィ……ッ!?」

 

ていうか歳下のせいにしてんじゃないわよ、とアリーゼはペシペシと手刀(チョップ)を乱打した。輝夜は降参とばかりにアリーゼの手を払いのけるように両手を上げた。

 

 

×   ×   ×

廃教会―外―

 

 

「ベル、食事はちゃんととっていますか?」

 

「…………」

 

「少し、痩せてたんじゃないですか? いや、まだ数日程度で……しかし、貴方の年齢を考えれば成長期のはず……」

 

「…………」

 

「健全なる精神は健全なる肉体に宿ると言う……」

 

「…………」

 

とてとてフラフラ、と歩くベルの一歩後ろを歩くリュー。

周囲は朽ち果てた廃墟群で人気はまるでなく、フードを目深に被った不審者をおろおろした足取りで追いかける金髪エルフの美少女というなんだかよくわからない絵面がそこにはあった。

 

「ベル」

 

「リューさん」

 

「皆、貴方の帰りを待っている。帰ってきて欲しい」

 

「『正義』って何ですか?」

 

「………ぇ?」

 

リューとベルの言葉が被って、吹いた風のせいで上手く聞き取れない。振り返ってリューの空色の瞳を見つめるベルの深紅(ルベライト)の瞳が交差する。空を流れる雲が太陽を隠し、大地に影を落としていく。

 

「今、何と……?」

 

「だから、『正義』ってなんなんだろうなあって……」

 

「貴方から、『正義』は何だと聞かれるとは……その、思いもしなかった」

 

曇天の空から、次第にぽつりぽつりと雨が降り始めた。

ベルは踵を返し、廃教会へと戻っていく。リューも慌てて、後を追いかけた。けれどベルは、廃教会の前で立ち止まると、すぐに後退り、走り出してしまった。

 

 

×   ×   ×

廃教会―内―

 

「それじゃあこの話は終わり!」

 

アリーゼは己の手の平を叩いて話を打ち切った。輝夜の口からオラリオの外での出来事の報告を直に聞き出し満足したがためだ。「報連相って大事よ輝夜?」とウィンクを飛ばすアリーゼに輝夜は、「はいはい申し訳ございません」と軽く返して続けた。

 

「この話は、ということは別件が?」

 

「ええ、もちろん! そろそろまた『遠征』に行こうと思ってるから装備、ちゃんと整備出すように!っていうのを伝えに来たのよ」

 

「………そんな時期か?」

 

「そんな時期、ね。私達の中でランクアップしているのは現状、私とライラだけ」

 

「は? 今、なんと?」

 

「ん? だから、私がLv.5でライラがLv.4」

 

「………いつ?」

 

「あんた達が『エルソス』に行っている時。私達、ダンジョンで防衛戦をやってたのよ。それで、唯一ランクアップしたのがライラ」

 

「…………」

 

輝夜は大きく溜息を吐いた。

レベルで追いつかれた、という悔しさめいた溜息だ。アリーゼはニチャァとした笑みを浮かべて人差し指でぐるぐると円を描き、輝夜の頬にぷにっとめり込ませた。

 

「追いつかれちゃうわよぉ、追い越されちゃうわよお~」

 

「イラッ☆」

 

雨の降る音が教会の中にまで響いてきた。

「『遠征』か」、と輝夜が零し「『遠征』よ」、よアリーゼが返す。

 

「私はいk」

 

「行かない、は認めないわ。輝夜がいるのといないのとじゃ全然違うんだから」

 

「……わかった。しかしベルはどうする、遠征に連れて行くと? とてもじゃないが今のあいつを連れて行くのはかえって私達の身を危険に晒しかねん」

 

「ええ、だからあの子は連れて行かないわ。そもそも前回はお試しのつもりで連れて行ったわけだし、『冒険者』になったばかりのあの子には遠征はまだ少し早い気がするのよ」

 

「……まさか今この状況でほったらかしにするつもりか?」

 

「まさか、私もそこまで馬鹿じゃないわよ。でも、強制任務(ミッション)だから無視するわけにはいかないのよね」

 

「………面倒だな」

 

「そ、面倒なの。みんなの武器や防具の整備と、道具(アイテム)類の拡充……まあ遠征の準備期間もあるから、明日行くわよって話ではないんだけど」

 

「なるべく早く済ませられるものは済ませておいた方がいい、か……」

 

「ええ、だから私達が『遠征』に行く前に【ファミリア】に戻ってきて欲しいのよ」

 

と、そこまで話し込んでいると後ろからよく知る妖精(エルフ)の叫び声が入り込む。

 

 

「ベル、待って、待ちなさい!」

 

「リオン?」

 

「どうした、そんなに叫びあがって」

 

「彼が急に走り出してしまって……二人とも、何の話をしていたのですか? 彼が飛び出してしまうような話をしていたのですか?」

 

「「は?」」

 

 

×   ×   ×

 

 

 

大地を照らしていた太陽はどこへやら、雨が降り注いで濡らしていく。それでも都市の喧騒は消えたりはしない。濡れないように両手で頭を庇いながら走って近くの店や屋台の屋根の下に避難する者もいれば、濡れようが大したことじゃないと割り切って、肌を滴らせる者もいる。

 

「…………ッ」

 

そんな中を、ベルは外套を濡らしながら目的もなく歩いていた。

 

『遠征に連れて行くと? とてもじゃないが今のあいつを連れて行くのは……』

 

『あの子は連れて行かないわ』

 

どうしてだか、走り出していた。

そして今は、走っていた足は速度を失いせいぜい早歩き程度。それでも、衝動のいいなりになって飛び出して街路を当てもなく進んでいた。

 

(なんで……? 僕が、失敗したから……?)

 

頭の中がぐちゃぐちゃで、思考が働かない。

【ファミリア】に帰りもせず、家出をしたのにも関わらずベルは『遠征』に連れて行ってもらえないことにショックを受けていた。もっと言うなら、その理由は「『正義』の女神の眷族である自分が女神を殺めた」、すなわち失敗したからだと思ってしまっているのだから質が悪い。

 

(………ちくしょう)

 

 

「ん? そこにおるのは女神アストレアのところの兎ではないか」

 

「………ノアー、ルさん?」

 

声をかけられて、足を止める。

右を見てみればそこには、髭を生やしたヒューマンの老人がいた。『老人』という表現は正しいのか、その柱のように伸びた背筋と、しなやかに鍛え上げられた四肢が首を傾げさせる。上背もあり、170C(セルチ)後半の肉体は風を受け流しては佇み続ける柳のよう。『恩恵』の副次効果を差し引いても生命力に溢れ、齢70を越えておきながら『現役』と思わせてくる覇気を身に纏っていた。その人の名は、ノアール・ザクセン。二つ名は【弓弦の剣葉(ユズルハ)】。

 

「しけた顔をしおって……どうした、何があった、小娘共に何かされたか? いや、万に一つとしてそれはあり得んか。まったく、羨ましい生活をしおって」

 

極東風の衣装を纏う彼は、同様に極東風の傘で雨を凌ぎながら近所に住む知り合いの子供に声をかけるかのようにベルの様子を窺ってきた。

 

「……店に寄っていくか?」

 

「……大丈夫、です」

 

じゃあ僕、行きますから。そう言って立ち去っていくベルの後ろ姿をノアールは目を細めて見送った。アルフィアがまだいたころから知っているとはいえ、もうベルは幼子ではなく14歳。気にはかけてやるが、それだけだあいつの身内と会ったならば伝えるくらいはしてやろう、と彼は彼で仲間達のたまり場こと店へと向かうため歩みを進めた。

 

「ノアールのお爺様!」

 

とそこでノアールへとよく知る声が飛んできた。声の主は勿論、お騒がせ代表【アストレア・ファミリア】の団長、アリーゼだ。彼女はずぶ濡れになるのも気にせず赤い髪を肌に張り付けて、ノアールへと駆け寄ってきたのだ。

 

「なんじゃお主」

 

思わず、そんなことを言ってしまった。

貴方は誰ですか?ということを問いたいのではなく、傘をさすなり外套を纏うなりしろ仮にも年頃の女だろうに。という意が孕んでいる。が、アリーゼはそんなこと知ったこっちゃないとばかりにずかずかと近づいてきて両肩を掴んだ。

 

「お、おい、待て、落ち着け」

 

瑞々しい肌、艶やかな赤い髪、すらりとした手足、潤んだ緑の瞳がノアールの瞳を真っ直ぐ見つめていた。あまりの勢いにノアールの傘は落ち、彼まで雨に濡れてしまう。ノアールは都市の差を鑑みても娘、いや、孫ともとれる年齢のアリーゼのその雰囲気に瞳を震わせ、ごくり、と喉を鳴らした。

 

「わ、私、お爺様に言わなきゃいけないことがあるの!」

 

「な、なに!?」

 

言いたいこと、だと!? 

曇天の空、雨に濡れる男女、迫って来るは美女。彼女は身体を冷やし、震わせ、水滴を滴らせて潤んだ唇を開いては閉じる。

 

「ま、待て、落ち着け!?」

 

(まさか、これは、アレか!? とうとう来てしまったとでも言うのか!? 今更!?)

 

雰囲気的に勘違いを起こしかける爺さん。

そう、あえて言うならば雨の中、雨宿りをして沈黙漂う男女。ふと、女を見ると彼女は身体を震わせていて、衣服は透けて肌色が見える。そして男が上着を貸してやり、女がそんな男の優しさに絆され、一夜の夢に……そう、そんな、アレを思い浮かべていた。

 

「儂は確かにまだ現役だが、さすがにいかんだろう!?」

 

「お願い、お爺様、私の話を聞いて……ッ!!」

 

「ええいままよ! どんとこい、モテ期……ッ!!」

 

(ダインよ、俺は先に行くぞ……!)

 

心の中のドワーフの戦友に覚悟の決まった男の顔をキメるスケベ爺。ノアールは己の肩の上に乗るアリーゼの両手をとり、包み込んだ。そして言った。儂に任せろ、と。

 

「ベル見なかった!?」

 

「紛らわしいわ!!」

 

ノアールは思わずズッコケた。

迫真すぎたアリーゼのそれは、老い先短い想い人へ胸の内を明かそうとする少女のそれではなく行方が分からなくなってしまった愛する弟を思う姉のそれだったのだ。ノアールは恥ずかしくなった。

 

「ベルならついさっき会ったところだ。しけた顔をしとったからウチに来るかと言ったのだが断られてしまった」

 

老兵喫茶(ろうじんホーム)にベルが行ったら、『お小遣い貰いに来た孫』みたいになるじゃない! お爺ちゃん、もうご飯食べたでしょ!」

 

「儂等はまだ現役だぁ!」

 

ノアールの言う『店』とは、『現役』を退いた老兵(ロートル)達が暇を持て余して開店した喫茶店のことだ。大通りに面した通りにあるのではなく、所謂『知る人ぞ知る隠れ家的場所』というものなのだが、如何せん、そこに集まるのはやはり老兵(ロートル)であり、彼等を知る若人達が時たま人生の先輩に助言を貰いに来ることもあるのだが、店内は静かで、けれど落ち着きのある雰囲気で、老兵(ロートル)達の溜まり場のような空間となっていることから、彼等を知る現役世代の冒険者(わかもの)達から親しみを込めて『老兵喫茶(ろうじんホーム)』と呼ばれている。

 

「ぜぇ、はぁ、はぁ……!」

 

「だ、大丈夫お爺様、血圧が上がっちゃったんじゃ……!?」

 

「主にお前のせいだがな!」

 

「どどどど、どうしよう……!? ベルも探さなきゃだし、でも、目の前で散りかけてる命も大切だし……!」

 

「ええい、一々お前はボケんと死ぬのか!? 坊主ならとっくにあっちに行きおったわ! ダンジョンに向っているようではなかったし、問題ないだろう!」

 

「そ、そそそ、そう!? ご、ごめんなさい、あの、今度、お肩をお揉みするわ! なんなら【アストレア・ファミリア】全員で! ハーレムよ!」

 

アデュー! などと言って水を蹴って走り去ったアリーゼ。残されたノアールは嵐が去ったかのように疲れ果てていた。しかし、しかしハーレムでマッサージか……悪くない、と彼は曇天の空を見上げてそう呟いて、いやいやと首を左右に振った。

 

「あいつら全員、第一級になってもおかしくない連中だぞ……普通に死ぬわ」

 

 

 

 

アリーゼはベルの姿を視線を巡らし探し回った。

雨に濡れようとも構わず、知った顔を見かけては「ベルを見てない?」と声をかけて、走って走って走った。リューと輝夜もベルを探しに行っているが見つかっただろうか? どうしてこんなことになっているのかイマイチわからないが、心当たりがないといえば嘘になる。

 

(リオンの口ぶりじゃ、私と輝夜が遠征の話をしていたのを聞いてたかもしれないってことよね……)

 

ということは、部分的なところだけを聞いてしまって、それがベルにとってショックなことでそれが原因でこんなことになっているのでは……? とアリーゼは青ざめていた。ベルにはベルでしっかりと説得して言い聞かせるつもりだったのに、と頭の中で独り言ちても手遅れで。周囲にはいつも通りに振舞うアリーゼであったが、1人になれば余裕もなくなる。

 

「アリーゼぇ!」

 

「……ノイン! ベルを見てない!?」

 

都市内の巡回に当たっていた仲間に出会って、ベルの行方を問う。そこでふと、複数の武器と防具に擦過音を鳴らしながら街路を突き進んでいく冒険者達に気付いてノインにどうしたの、と改めて問うた。

 

「そ、それが……」

 

ノインがあわあわと、いや、おろおろとしながら話し始めた。曰く、どこぞのツインテールを揺らすロリで巨乳な女神様が『じゃが丸君』の素材を取りに市壁の外に出たのだという。そして、戦争しに来たというか『神質(ひとじち)』をゲットしに来たアレスなる男神に連れ去られたのだという。

 

「こんな時に……!?」

 

アリーゼはあえて「どこの神様よ!?」と知っているけど知らないフリをしてみせるが、頭の中でみょんみょん揺れるツインテールが自己主張しまくって仕方ない。周りがいつの間にか慌ただしかったのは攫われた女神を奪還しようとする冒険者達の軍靴なのだろう。

そう思ったところに、また仲間の声が。

 

 

「おいアリーゼ、やべえ! まじで、やべえ!」

 

「「ライラ!?」」

 

桃色の髪をくしゃくしゃに濡らした小人族(パルゥム)のライラがアリーゼを見つけて駆け寄ってきたのだ。彼女もノインと同じく「謎紐女神(ツインテールビックバン)が連れ去られた!」と叫んだかと思えば、追加情報をぶち込んできた。

 

 

「【剣姫】と兎がオラリオの外に出ていきやがった!」

 

 

アリーゼはふらぁっと水飛沫を上げて倒れた。


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