アーネンエルベの兎   作:二ベル

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人の作品を読んでいる時に、「あ、この人私の読んでるな?」って思うような文面あると勝手にニヤニヤしちゃいます。




デダイン→エルソス→オラリオ帰還→Lv.3昇格イベント(何にしよう)→イシュタル


ビューティフルジャーニー⑥

 

 薄い青白に染まりつつある、少し肌寒くも感じる朝の空。

眠る事を知らない迷宮都市でも一日の始まりとばかりに、露天だとかから一筋、二筋と煙が細く長く伸び始める。

新しい一日の始まりと言わんばかりに太陽が昇り、その白光を受けて、畑の作物がきらきらと煌めく。ほどなく朝の訪れを受けて、牧場からは鶏の勇ましい声が聞こえてきては、それに伴い起きだしてきた街の者達が活動を始め今日の迷宮都市の喧騒に賑わいを添える。

 

 

「……………」

 

「……団長、その顔をやめてくれ」

 

「………女がしていい顔じゃねーぞ、アリーゼ」

 

 

とはいえ、そんなこと【アストレア・ファミリア】には関係のないこと。少なくとも、今に限っては。

 

「ごめんなさいねアリーゼ、皆。『遠征』から帰ってきたばかりだっていうのに」

 

「いいえアストレア様! 私、ちぃーっとも、気にしていませんよ! やっと本拠に帰ってきたと思ったら開口一番、都市を出るから準備してなんて言われたこと、ちぃーっとも、気にしていませんよ! ね、皆!!」

 

「「「「顔に寝かせろって書いてあるよ団長」」」」

 

本当にごめんなさいね、と苦笑を浮かべるアストレアを前にアリーゼ達は笑顔で答える。しかし本音を言えば『遠征』から帰還したばかりで太陽の温もりや地上に吹く風を感じ、死と隣り合わせのダンジョンとは違って気を張り続ける必要もなし、後は身を清めて眠って……夕方頃に目を覚まして、ベルも交えて今回の『冒険』の話をしながら、のんびりとした時間を過ごしたいというもの。だというのに、帰還した彼女達に言い渡されたのは、これから出かけることになったから準備してほしいというあまりにも理不尽なものだった。しかし、我らが愛する女神アストレア様の頼みとあっては無視なんてできるわけもなく、屍人(ゾンビ)のように表情筋を死滅させて行動するしかない。

 

「アストレア様、そもそも、何故、こんな急に?」

 

リューは疲れを顔に出さず手を上げて問う。アストレアがそもそも、眷族が疲れてるだろうにお構いなしな無茶振りをしてくるなんて今まであっただろうかというくらいには珍しいことで、理由の一つや二つ聞いておかなくてはモヤモヤして仕方がない。アストレアはぽりぽりと申し訳なさそうに頬を掻きながら、言う。

 

「ヘルメスがやっと帰ってきてね……その、アルテミスに会いに行かないかって」

 

「「「「いやおらんやろ」」」」

 

「皆も、そう……思うわよね……あとロキみたいなツッコミをありがとう。それともう一つ理由があるの」

 

「もう一つ、ですか?」

 

「ええ……」

 

アストレアは言い淀むほどではないにせよ、一度、ベルの方へと視線を向けてから口を開いた。寝ぼけ眼を擦るベルはイスカとマリューに捕まっていた。

 

「どうやら昨日、【猛者】にお誘いされたみたいなの」

 

「「「「ベルのお尻(ヴァージン)は無事なんですか!?」」」」

 

「!?」

 

【アストレア・ファミリア】が『遠征』の疲れなど何するものぞ、とばかりに爆発、覚醒した。恋愛経験など碌になかった星の戦乙女達はそれはもう、バグった。

 

「ど、どどどど、どうしよう……疲れとか吹っ飛ぶレベルの事態なんだけど……え、なに、あの子、私達がダンジョンで『冒険』している間に、あの子は直腸という名のダンジョンを『冒険』させられていたというの!?」

 

「い、いや、いいや、そ、そそそそ、そんなわけないじゃないですか!? あのベルですよ!? 女性よりも男性に恋慕するなんてそんな、禁忌中の禁忌……あるわけないじゃないですか!?」

 

「手塩にかけて育ててきた【アストレア・ファミリア(わたくしたち)】の将来の旦那様になろう兎様が……私達の知らない間に【猛者】にぺろり、と……?」

 

「私達ですら、その、えと、()()()()()()してないのに……? まだ、他派閥の女性を好きになってしまって、その、私達よりもその子の方がいいって言うなら、あの子の幸せのためにも応援するけれど……え、よりにもよって……? 男……?【猛者】……? …………は?」

 

「―――――――」

 

「おい、リオン、おめえ何想像しやがった!? 鼻血でてんぞ!?」

 

「で、でも、ベルの顔見てよ……何もなかったかのように、あんな……眠たそうな顔を……」

 

「つまり、ベルのお尻は……」

 

「調教済み……だというの……!?」

 

「あ、あの、貴方達、一体何を考えているの……?」

 

「「「「いやぁああああああああああああ!?」」」」

 

「おち、落ち着きなさい!?」

 

顔を手で覆い悲鳴を上げて崩れ落ちる乙女達。

迷宮都市は南方、『門』の前にて【アストレア・ファミリア】は崩壊寸前のダメージを負っていた。というか、疲労のせいで思考回路なんて碌に働いていなくて馬鹿な想像しかできなくなっている【ポンコツ・ファミリア】がそこにはあった。そしてそこに、件の【猛者(ナニガシ)】がやって来た。2M(メドル)を超える身体に対し、軽装(ライトアーマー)を身に纏い、背には大剣を背負っている。そして、巌の武人のその顔には、何故だか()()()()()()()()()()がくっきり浮かび上がっていた。

 

「…………来ていたか、【探索者(ボイジャー)】」

 

「おいあたし等を無視してくれてんじゃねえよ……ていうかなんだその顔」

 

「私達のベルをよくも……! 見て皆、顔にベルの必死の抵抗の痕が……!」

 

「猪、兎……ぐずっ、こんなの、間違ってる……!」

 

「アルフィアになんて言い訳すればいいのよ……!」

 

「………許せない、許されない、許してはいけない!」

 

何故か自分に底知れぬ殺意めいた暗いオーラをぶつけてくる【アストレア・ファミリア】の乙女達に、オッタルは昨晩の焼き肉店からフレイヤの下に戻ってから与えられた宣託に静かに呻いた。

 

 

「あらオッタル、随分、香ばしい匂いを身に付けて帰ってきたのね」

 

「………フレイヤ様、こちら持ち帰り(テイクアウト)の品です。どうぞ、お召し上がりを」

 

「ふふふ、オッタル、お土産を持ってきてくれるなんて偉いわね。でもダメ、許さないわ。それにそれ、生肉じゃない………確かに『ナマ』が一番だけれど、それならお持ち帰り(テイクアウト)する品が別よね?」

 

「…………」

 

白亜の巨塔(バベル)の最上階、フレイヤの神室、その窓辺に葡萄酒片手に佇むフレイヤはオッタルに振り返ることなく言った。真下にある都市の夜景を見つめながら、フツフツを怒りを湧き上がらせていた。

 

「私だってあの子と遊んでないのに」

 

「今ある関係全て捨て去ってまで手に入れるほどのものなのか。なんてあの2人に言われたから、我慢しているのに」

 

「ずるい、ずるいわ……私だってあの子とあんなことやこんなことをしたいのに」

 

「……フレイヤ様より、許可は頂いたはずですが」

 

「誰が楽しく『おいかけっこ』していいと言ったのかしら? 誰が楽しく『お食事』をしていいと言ったのかしら?」

 

私、貴方が暇をくれというからそれを良しとしただけよね? そう言って振り返ったフレイヤはオッタルからして喉を鳴らすほどには、可愛らしかった。瞳は涙で潤み、頬は嫉妬に燃える街娘のようにぷくぅと膨れ、組んだ腕に乗る豊満な胸など構わずぷるぷると小刻みに震えていた。

 

トゥンク! オッタルの心臓(ハート)が跳ねた。

しかしそんなオッタルに与えられたのは、強烈な女神の一撃。どこから持ってきたのか、ゴム製の所謂『便所サンダル』によるビンタであった。無理もない、フレイヤはオッタルとベルの『おいかけっこ』を見せつけられただけでなく、ロキの眷族の妖精が堕とされるのを見てしまったのだ、私だってワンチャンあってもいいじゃないと怒るのは無理からぬことであった。

 

「オッタル……宣託を与えてあげるわ」

 

ずるいずるいと瞳を潤ませるフレイヤは、オッタルの言い訳などお構いなし、最早理不尽だと言われても仕方ないが、それさえ知ったことではないと続ける。

 

「アストレアの眷族()達に気をつける事ね」

 

 

 

そして今、朝早くから巌の武人は姦しい乙女達によって糾弾を受けていた。オッタルは泣いていい。

 

「やぁ皆、お待たせ……って何だい、修羅場かい?」

 

そこへ、ヘルメスとアスフィが馬車と共に登場。しかしヘルメス達はオッタルを囲うアストレアの眷族達を見て何事かと目を丸くした。ここでようやくベルがアストレアの下までやってきてはヘルメスの存在を確認し、オッタルのことを見た。

 

「ベル君、その恰好……」

 

ヘルメスは目を見開いた。

 

「む……『地雷系』か」

 

オッタルは言った。

 

「ぶっほぉwww 【猛者】、貴方の口からそういう名称が出たことが驚きでしかありませんwww」

 

アスフィは吹き出した。

しかしオッタルは美の女神の眷族だ。多少なりとも知っていたっておかしくはない。

 

「帰ってきていきなり出かけるなんて言われてアリーゼ達が怒るのも無理のないこと。ベルを捕まえて……その、今の恰好なの」

 

女神と男神がまじまじとベルの身姿を見つめる。地毛の白髪は上から同色のカツラをかぶせられ、腰に届くほどの長さのそれはアレンジされ僅かにウェーブしている。目線を落せばピンクを基調としたブラウスで、黒のレースフリルが付けられている。さらにその下からは黒オンリーのロングスカートにソックス、そして厚底のパンプスを履かされている。神々の言うところの『地雷系女子』なるコーディネートであった。

 

「ベル、嫌なら嫌って言っていいのよ?」

 

「アストレア様も喜んでたし……アリーゼさん達にいっぱい心配かけたので、いいかなって」

 

「自分の気持ちを伝えるの、大切だと思うの」

 

「すまないアストレア、俺にはもうアリーゼちゃん達がアルフィアにそういう格好をさせたかったっていう感じにしか見えないんだが」

 

「その通りだけれど」

 

「まじか」

 

「ベル・クラネル……ずいぶん、訓練されたみたいですね」

 

「なまじアルフィアがいたころから、女の子の恰好させられていただけのことはある……面構えがまるで違うぜ。ちなみに、このコーディネートは誰が? まさかアストレアかい?」

 

「イスカよ」

 

「わぁお」

 

アリーゼ達はおこだった。

すやすやと寝息を立てるベルを見て、さらにおこだった。だからベルを捕まえて、【ファミリア】で一番のお洒落女子、女戦士(アマゾネス)にしては珍しい、男よりもお洒落に重きを置くイスカの手によって『アルフィアにさせたいこんな格好』を実行。起きた時には既にベルは変身させられていたのだ。なお、ベル本人としては当人たちが喜んでくれているならまあいいか、というアルフィアが女装姿のベルを見て実妹の面影を思い出し笑みを浮かべ、喜んでくれたことから感覚がバグってしまっていた。

 

「【探索者(ボイジャー)】……」

 

オッタルは彼にしては珍しく、可哀想なものを見るような眼差しでベルの肩に手を置いた。

 

「女の機微には気をつけろ」

 

それは、ベルよりも長く生きる者として、男としての助言であった。ベルは首を傾げ、オッタルの顔についた痕跡を見つけて返す。

 

「その顔どうしたんですか?」

 

「…………」

 

言えない、言えるわけがない。

美の女神様が『便所サンダル』片手に攻撃してきたなんて、言えるわけがない。故に、黙りこくった。

 

「コホン、そろそろ行きましょうか……」

 

咳払いをして、アストレアが未だに阿鼻叫喚する眷族達に合図を送る。すると【ファミリア】からベルを除いた代表者を選び、馬車に乗り込んでいく。輝夜とマリュー、リューとライラだ。

 

「うぅ、ベル……元気でね」

 

「アリーゼさん、どうして泣いてるんですか?」

 

「お尻、痛むようならマリューに診てもらうのよ……ぐすっ」

 

「お、お尻? 何で? 別に痛むようなこと……ないと思うんですけど」

 

「ゆるゆるだっていうの!?」

 

「!?」

 

「アリーゼ、貴方は本拠に帰って休みなさい……団長が取り乱してどうするというの? 皆も、見送りに来てくれたことは嬉しいけれど今生の別れではないのだから、あまり気を張り詰めないで頂戴」

 

「だ、だって!? 私達が大切に、たいせつぅーに育ててきたベルが、ぺろり、と食べられたかもしれないんですよ!?」

 

「………食べてなどいない、食べたのはこいつだ」

 

「【猛者】、どうして話に乗ってしまったの?」

 

「美味しかったです」

 

「…………ベ、ル?」

 

「「「「がはぁっ!?」」」」

 

「何だろう……凄まじい勘違いが発生している気がするなぁ、見ろよアスフィ、アストレアがすごい顔しているぜ?」

 

「私は知りませんよ、ええ、知りませんとも」

 

「そう言うアスフィだって、昨日ベル君が持って帰ってきてた生肉を【猛者】のだと勘違いしていたじゃないか」

 

「…………」

 

「安心しろ団長、こいつの操は私達が責任を持って守る……なんなら、奪われる前に奪ってやる」

 

「か、輝夜……でもあんたがベルを、その……しちゃうと、ベルが死んじゃうんじゃないかしら?」

 

「…………許せ」

 

「おい兎、リオンが動かねえ……運んでくれ、私は疲れた」

 

次々と馬車に乗り込んでいく冒険者達。

一つの【ファミリア】が一人残らず都市を離れることはできないために、7名が都市で留守番することとなる。留守番組は本拠で休んでいればという話ではあるがそこはそれ、主神と弟分が出かけるとあっては見送りくらいはせねば気が済まない。ベルは彼女達の姿が見えなくなるまで、「どうしてアリーゼさん達はおかしくなってしまったんだろう」とそんなことを思いながら、馬車の中から見つめているのだった。

 

 

 

×   ×   ×

オラリオより南方

 

 

 風が頬を撫で、馬車の揺れと共に華やかな演奏がかすかに届く。遠くに見える灰色の砂漠は地平線の彼方まで続いているように見えた。その砂漠は、どこまでも生命の誕生を否定していた。まるで、かつて己を討伐せしめた人間達へと報復するかのように。猛毒振りまく強大な怪物は、死滅すると共に灰で大地を覆いつくしたのだ。今やその地は『黒の砂漠(デダイン)』などと言われているが、元が緑生い茂る草原であったのか、乾いた荒野であったのか、国が、街が、村があったのか、知る由もない。その地を駆け抜けた最強の神の派閥は今は既に存在せず、彼等彼女等が駆け抜けた『足跡』さえ、風に流れた灰によって消えうせた今、人はどんな思いでその地に目を向けるのだろうか。

 

 

「ついて来い」

 

 

 オッタルは馬車を降りるとそれだけを言ってずかずかと進んで行く。場所はデダイン近くのエルフの村。村の周囲では多種多様な薬草が豊富に群生し、自然、病に冒された者や怪我を負った者、そして世話を買って出た有志達が集まっていき、村が形成されたという歴史を持つ。

 

「…………」

 

アストレア達に送り出されてベルはオッタルの後に続く。前を歩くその武人の背中は逞しく力強く、やがて踏み込んだ灰の大地をものともせず踏み固めては進んで行く。

 

「俺の足跡の上を歩け」

 

踏み固められた場所を進めば、軽いベルでも負担を軽減できる。そういうことなのだろう。何を考えているのかわからない武人の言う事を素直に聞いてベルは自分のよりも大きな足跡の上に足をつけ進む。そして、丘のように盛り上がった場所を越えた辺りでオッタルは一度歩みを止めて肩に担いでいた背嚢から古びた封筒をベルへと差し出した。

 

「?」

 

「ザルドからだ」

 

「!」

 

再びずかずかとオッタルは歩き始めた。

目的地がどこなのかベルは知らず、広大な砂漠をどこまで歩かされるのかと、それならそれでちゃんとした格好をさせて欲しかったと今更後悔のような気持ちが浮上しはじめ、ふるふると頭を振って封筒の中身に目を通し始めた。

 

『お前がこの手紙を読んでいるということは、俺は既に死んでいるということ。そしてお前が()()()()()()()()()()を味わった後だということだろう』

 

その手紙は、まるでベルがそうなることがわかっていたかのようだった。

 

『俺は詩人ではないから、お前を喜ばせるような詩など紡げんし、改めて筆を執ってみると不思議なことに何を伝えたいのかわからないというのだから不思議なものだ』

 

手紙と前を歩くオッタルに交互に視線を巡らせる。転ばないように足元も注意しながら、進み続ける。オッタルは何も言わず、目的地へと進んで行く。

 

『お前は俺に戦い方を教えて欲しかったんだろうが、生憎それはできん。何故ならば、俺とお前とでは規格(スペック)が違いすぎるからだ。大剣はお前には重過ぎる。使うなら直剣かナイフがいいところだろうよ。それにアルフィアはお前が冒険者になることを賛同してはいなかったからな』

 

「………」

 

『俺もお前は冒険者には向いていないと思う。お前は、優し過ぎる』

 

「………」

 

『故に、俺からお前に教えられるようなことはそう多くはないだろう。だから―――』

 

だから、俺達のどうしようもない主神(ゼウス)の教えをお前に贈ろう。懐かしい叔父の声音が心の中で響くようにメッセージが染み込んでいく。

 

『剣も女も、人生すらも、思い立った時こそ至宝』

 

叔父(ザルド)が大きな手で頭を撫でてくれた過去を思い出す。あの分厚い皮膚に覆われて硬くなった『漢』の手が好きだった。教えて欲しいことがきっとあったはずなのに、オッタルがLv.7に到達したことですぐにいなくなってしまってショックを受けてしまったことも、憶えている。そのメッセージが何を意味しているのかまだ理解が及ばないが、なんとなく、言いたいことがわかるような気がしていた。

 

『もし、俺達のことを重荷に感じてしまっているのなら、あえて言わせてもらおう。お前は、自由だと。【ゼウス】も【ヘラ】も、お前に何かをしてほしいなんて思っちゃいない。やりたいようにやれ』

 

「叔父さん……」

 

『傷つき、立ち止まり、背負っていたモノの重さに潰されたというのなら、投げ出しても構わない。俺達は決してお前を嘲笑ったりしない』

 

「………」

 

『お前の人生は俺達よりきっと長い。だから、やり直すこともできるはずだ』

 

「やり直す…………イチから?」

 

『いいや………』

 

手紙がそこで終わっていた。おかしいと思って首を傾げているベルの気配に気づいたのか、オッタルは2通目を渡してきた。ベルは受け取り、開く。たった1枚の羊皮紙のど真ん中に、ザルドはこう記していた。

 

 

『――――☆ゼロから☆』

 

「ふんっっっぬぁあああ!!」

 

ビリビリッと噴火した火山の如くベルは憤怒を浮かび上がらせ、ザルドの手紙、その悉くを破り捨てた。衝動的だった。感情的だった。ちょっと大好きな叔父さんからの手紙で胸がきゅーっとなってじーんとなって目頭が熱くなってきていたというのに、なんなら感動的なBGMが流れていたっておかしくないのに、これである。さすが狒々爺(ゼウス)の眷族といったところか。オッタルは自分の背後で巻き起こる憤激に振り返りはせずとも、まるでアルフィアを彷彿させるかのような殺気めいたオーラを感じ取り、小さく「血は争えんか……」と零した。そして、3通目を振り返ることなく渡すのだ。

 

『―――と、お前はアルフィアの血縁だから、きっと【ゼウス】のボケにキレ散らかすだろうと思っていた』

 

「………オッタルのおじさま、本当にこれ、ザルド叔父さんが書いたんですか?」

 

「…………そうだ」

 

「何で今、言い淀んだんですか? まさか、内容知っていたんですか?」

 

「封は……されていなかった」

 

「最低だ」

 

読んだんだ、この武人(ひと)

封がされていなかったとはいえ、読んじゃったんだこの人。他人の手紙を。帰ったらフレイヤ様にチクろう。ベルは誓った。とはいえオッタルからしてみれば、ザルドが誰宛てなのか言い忘れたがために確認するしかなかったのであって、むしろベルのように急なボケに思わず手紙を破り捨てなかっただけ偉いと褒められていいところではある。なお後日、オッタルはベルのチクリによってフレイヤから一週間口を利いてもらえなくなることになる。陰湿であった。

 

「ついたぞ」

 

「………?」

 

などとやり取りをしている間に目的地に到着していたらしい。オッタルの横に立ったベルは彼に顔を向けて首を傾げた。周囲を見渡しても、灰、灰、灰。アルフィアの髪の色よりも汚らわしいとしか思えないような色の世界だ。いったいここに何が? そう言いたげなベルの眼差しがわかっていたのか、オッタルは静かに腕を上げ、まっすぐ前を指さした。その先に、それはあった。

 

「ザルドは、その命が灯火を終える前、奴にとって最後の『冒険』の地に訪れていた」

 

それは、灰の砂漠に突き刺さる鉄の塊のように分厚く無骨な大剣であった。

 

「俺達も、この地で蘇った『ベヒーモス』を討伐した」

 

それは、風にて揺らぐ一枚の団旗だった。『雷霆』の徽章(エンブレム)が刻まれ、劣化した団旗。彼等が確かに生きていたことを証明する、たった一つのもの。

 

「奴等が倒した原種(オリジナル)とは、比べるまでもないが」

 

それは、灰の中に埋もれた全身鎧(フルプレートアーマー)。ザルドが身に付けていた装備だ。ここでザルドは本当の意味で『冒険』を終わらせたのだと鎧の存在が証明している。

 

「この砂漠では生命は生まれん。『死の灰の砂漠』などと言われている。 だが……」

 

オッタルは大剣が突き刺さる場所の下あたりに人差し指を向ける。それにつられるようにベルの視線も。

 

「………(つた)?」

 

「いつからか、正確なものは知らん。知らんが、少なくとも、グランドデイの後……白き雪が降り注いだ、その後だろうという推測は立つ」

 

世界を光の祝福が覆ったあの日。

『ベヒーモス』と『アンタレス』が討伐されたあの日。一柱の女神は最後の我儘でこの蝕まれた下界を癒した。それは例外なく『デダイン』にも、光の奇跡をもたらしていたのだ。『死の灰の砂漠の緑化現象』。それを最初に観測したのは、オラリオへと戻ることなく事後処理もとい、下界の被害規模を確認するために動き回っていたヘルメスだ。

 

「お前があの日、どこで何をしていたかなど知らん」

 

「………」

 

神の手による幕引き(デウスエクスマキナ)だと、フレイヤ様が言っていたが、戦う事しかできん俺には、やはり理解できんことだ」

 

オッタルの腕が静かに降ろされる。

静寂が2人を包み、風が吹けば最強の派閥の団旗が音を立てて揺れる。オッタルはもう何も言わない。ベルは静かに揺れる団旗を見つめて目を細める。

 

「………この砂漠は」

 

沈黙の後、ベルはオッタルに向って口を開く。

 

「どこまで、続いているんですか?」

 

聞いて、視線を前に向けて、地平線を睨むようにオッタルは錆色の瞳を細める。しかし、どこまでも灰色の世界は続いているようで、どこから色づいた世界が始まるのかわかりやしない。

 

「……知らん。お前がどのような回答を求めているかも、知らん」

 

「…………」

 

「ここはザルド達の冒険の終着点」

 

黒竜は倒せなかった。

偉業は成されなかった。ならば、ベヒーモスを倒したこの場所こそが最後の冒険を成し遂げた場所。

 

「ここより先を、奴らは知らん」

 

「………!」

 

音を立てて、胸が跳ねる。

 

「ここより先に挑み、到達できるのは俺達だけだ。そして、奴等の置き土産だというお前にしか手に入れられん何かがあるのだろう」

 

それはきっと宝箱の中の金銀財宝という意味ではなく。きっとどこかの物語で表現される『丘の向こう』とやらだ。【ゼウス】と【ヘラ】の間に産まれたベルにしか感じられない何かが、あるのだろう。オッタルはそう言っているのだ。

 

「………僕は」

 

ベルは眼前にて揺れる団旗を見つめながら、言う。

 

「僕は、これから、どうしたらいい…………んでしょうか」

 

「知らん」

 

ぴしゃり、とオッタルは切り捨てる。

そして来た道を戻るように振り返って歩み始める。置いてけぼりにされるように唖然とするベルに、オッタルは一度立ち止まり、振り返り、忘れていたとばかりに背嚢からもう一つ封筒を取り出し、投げ渡して、不愛想に言った。

 

 

「…………『他人に意志を委ねるな』」

 

「!」

 

オッタルの口から放たれたそれを、ベルは知っている。ずっと昔に、聞いたことを覚えている。オッタルの声に叔父(ザルド)祖父(ゼウス)の声が重なる。

 

『精霊だろうが神々であろうが同じだ。ましてや(俺達)は何も言わん』

 

祖父(ゼウス)の言葉が告げている。

 

『誰の指図でもない。自分で決めろ』

 

祖父(ゼウス)叔父(ザルド)の眼差しは、訴えている。

 

『これは、お前の物語(みち)だ』

 

心の中で、2人の笑みが浮かび上がる。ほろり、と雫が頬を伝って落ちて灰の砂漠に吸い込まれていく。オッタルは振り返るのをやめて歩みを再開させた。

 

「俺は戻る。伝えるべきことも、伝えた。借りは返した……足りないというのなら、いつでも代金を頂戴しにこい」

 

言うだけ言ってオッタルは帰っていく。もう何も言ってはくれない。ベルは仕方なく、封筒から手紙を取り出して目を見開いた。

 

 

『そこにある大剣、鎧はお前にやる』

 

灰に塗れて、使い古されたように痛んでいる墓標の如き大剣。

 

『売るも、使うも、好きにしろ』

 

それくらいしか、お前にやれるものがない。最後のメッセージとばかりにそれだけ記されて後は何もない。ベルはしばらく立ち竦み、やがて、大剣の柄を握り締めた。揺らぐ団旗が解け、空へと舞い上がっていく。雲の隙間から光が差し込み砂漠を照らす。眩しく目を細めてそれを眺めながら、地平線へと目を向けて1人、零す。

 

 

「叔父さん達の知らない世界……誰も行ったことのない場所……」

 

それすなわち、まだ見ぬ世界。

前人未踏の領域。

小さな衝動が殻を破って産声を上げる。

 

行ってみたい。

見てみたい。

 

ぽつりぽつりと、ただそれだけが口から零れた。

ベルは1人、来た道を戻り始めた。大剣が突き刺さっていたその場所では微かに息吹く緑が負けてなるものかと、揺れていた。

 

 

 

×   ×   ×

エルフの村

 

 

輝夜、リュー、ライラ、マリューが村長より休息所として貸し与えられた部屋で眠ること数時間。ベルがようやく帰ってきた。陽はすっかりと落ちて暗闇が森を覆い、魔石灯が微かに村を照らすそんな時刻に、ベルは息も絶え絶え、呻き声を上げて帰ってきたのだ。

 

「大丈夫、ベル?」

 

「ダメ………身体が、しんどいです」

 

村人が大慌てでアストレア達のいる部屋へとやって来た時は何事かと思った。何せ、ボロボロの鎧を被って大剣を引きずって侵入してきた変な白髪の少女が村の中央で倒れているなどと不審者報告してくるのだから。

 

「マリュー、ベルの着替えはあったかしら?」

 

「ふぁあ……はい、ありますよぉ」

 

口元を手で覆うが大きな欠伸をかいてるマリューがのらりくらりと荷物を漁って着替えを取り出す。それを受け取るとアストレアはベルに着替えを促した。

 

「………その前に、身体、拭きましょうか」

 

肌に灰がついているわよ、とアストレアは立ち上がって一度外に出ると桶に水を汲んで戻ってくる。それをタオルに染み込ませて絞り、「さあ、脱いで」と催促するとマリューの手によってあっという間に下着だけの恰好になったベルはその身を女神の手によって清められた。ベルはされるがままにされている間、オッタルが先に村に戻っていないかと聞いたが彼女達はその姿を見ていないらしい。ただ『デダイン』にベルを連れてくることだけが目的だったらしく用事は終わったからとばかりに1人でオラリオへと帰っていったのだろう。

 

「輝夜さん達は?」

 

「皆、まだ寝てるわよ? マリューも無理に起きていなくていいのよ、出発は明日にするのだし」

 

「いえいえ、ベル君を可愛がっているだけで十分、癒し効果はありますから」

 

「そう? なら、いいのだけれど……」

 

アストレアが、マリューが、それぞれベルの身体を拭いていく。それはくすぐったくて、自分でできるのにさせてもらえないことに子ども扱いされていると頬を膨らませてしまって2人に「そういうところが良いの」と笑われる。なにせ2人からしてみれば、小さかった頃から面倒を見てきた男の子だ。可愛くて仕方がなく、世話を焼きたくて仕方がないのだ。身動ぎすれば逃げないでと言わんばかりに2人も追いかけてきて、その動きに合わせて大きな果実がわずかに揺れる。ベルはもう砂漠を歩いたことと重たい荷物を持って帰ってきたのも合わさって疲れも溜まり、姉と女神にされるがままになっている現状に、やがて考えるのをやめた。

 

 

「そういえば、ヘルメス様達は?」

 

「別にお部屋を貰っているわ」

 

「ただ、アストレア様が身を清めようとしていたところを覗くかもしれなかったから、熟睡したがっていたアスフィが目潰しして木に吊るしているわ。朝になったら動くと思う」

 

「………鶏かな?」

 

翌朝、ヘルメスの「コケコッコー!」という絶叫と共に彼女達は目覚めた。




今回までの回収品。
エダスの村:黒竜の鱗(小)。
デダイン:ザルドの大剣、鎧。

●ベルのお尻
『遠征』で疲れて帰ってきたアリーゼ達。それはもう徹夜明けの変なテンションからくる碌に回らない思考回路からきた変な妄想。『オタ×ベル』許すまじ。ベル君は未経験ですよ、お姉さん達! 

●フレイヤ様
真下でオッタルとベルが追いかけっこしているわ、ロキの眷族の妖精を抱きしめて口説き落としているわ、一緒に食事に行くわ、いくらオッタルに「暇を頂きたく・・・」とか言われても、いやもっと何か言ってから出かけてくれるかしら?となるわけで、つまり、「ずるいずるい!」と怒り心頭。お乳を揺らして涙目になってぷりぷり怒って、美の女神様が便所サンダルでオッタルの頬をビンタ! さらに誰宛ての手紙か確認するためにとはいえ、他人の手紙を読んでしまったことをベルから聞いたフレイヤ様は二人きりで砂漠を歩いたことも相まって一週間口を利かないという陰湿な意地悪を実行。オッタルは泣いていい。

●砂漠の緑化現象。
アンタレスの討伐によって、アルテミスが死亡後、世界には光の奇跡が降り注ぎました。それは純潔の雪で死の森を癒した。
※オリオンの矢の最後、森が死の森から回復していることがその証拠。

なら『ベヒーモス』+『アンタレス』という異常事態の同時発生が解決した後に光の奇跡が世界を覆ったのであれば、『死の灰の砂漠』に『緑』=『命』が芽生える奇跡が起きてもいいんじゃないか、と思って緑化現象としました。
もちろん、この後その緑が広がるかどうかは『運』次第。育つにはあまりに厳しい場所だからですね。なおこれを最初に見つけたのは事後処理&アスフィの治療&被害確認をしていたヘルメスでした。だからオラリオになかなか帰ってこなかった訳です。


●ザルドの大剣と鎧。
ザルドはオッタルがLv.7になるとオラリオを出て行きました。
その理由は、死期が近かったから。
そして最期の場所に選んだのは、最後の冒険の場所、『デダイン』。ザルドは1人砂漠を歩いて大剣を墓標のように突き立て団旗を結び、鎧を脱ぎ捨てました。もしここにベルが来ることがあれば、持ち帰るもよし、そのままにしておくも良し、ベルに任せる……そういう考えです。何もしてあげられなかったからこそ、自分の半身ともいえる武具を遺したわけです。

●オッタル。
オッタルはザルドに鍛えられているところをベルに見られていたのを知っています(最初の頃の話でベルはとても怒っていましたよね?)。
ベルはザルドに戦い方、冒険を教えてもらいたかった。それは身近な強くて格好いい人だったから。でもそれは叶わないし、ザルドはオッタルしか相手にしなかった。アルフィアは、アリーゼ達しか相手にせず、冒険者としての姿をほとんど見せませんでした。
多少なりともオッタルにはベルからザルドという『憧憬』=『師』を奪ってしまったという負い目のようなものがあったわけですね。
それで『借りを返す』というわけです。

●丘の向こう。
どこかの物語でそんな表現があります。
『デダイン』の砂漠の向こう側には何があるのか?
『リヴァイアサン』の眠る海を渡った先には、何があるのか?
『黒竜』を討伐した後、一体どんな世界が待っているのか?
『ダンジョン』を攻略したら、何が待っているのか?
・・・未知、すなわち、冒険という名の丘の向こうはザルド達には見ることはもうできず、見ることができるのはベル達だけです。

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