アーネンエルベの兎   作:二ベル

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長い


水天日光①

 

 

『歓楽街』。

他の区画やメインストリートとは景観も匂いも異なるそこは、完璧な『夜の街』。建物の壁や柱に設置される桃色の魔石灯。数少なにぼんやりと輝く街灯に照らされるのは、艶めかしい赤い唇や瑞々しい果実を象った看板、そして背中や腰を丸出しにしたドレスで着飾る――蠱惑的な女性達。つまり、娼婦だ。

 

「………ごくりっ」

 

アマゾネスを中心に、ヒューマン、獣人、小人族(パルゥム)まで揃っている彼女達は道を行く男性を呼び止めては魅惑的に、あるいは挑発的に微笑む。そうして鼻をだらしなく伸ばす彼等と一言二言交わし、手を取って、あるいは腰を抱き寄せられながらそれぞれの店へ姿を消していく。

 

「女の裸体なぞ見慣れているだろうに……何を朱くなっている?」

 

「こ、こういうとこ、来たことないから……!」

 

「おい、抱き着かれて嫌な気はしないが流石に歩きにくいぞ」

 

ちらつく豊満な胸や、薄い肩、腿が視界のそこかしこで揺れている。どこからか漂う甘い香りは香水か、はたまた彼女達がうっすらとかいている汗の匂いか。いくら【ファミリア】のお姉さん達の無防備なところだとか裸体を見たことがあるとはいっても、雰囲気からして違う区画に、さしものベルも不慣れなのか輝夜の腕に抱き着くようにし、彼女の背に隠れようとした。それをさせるまいと輝夜は堂々と歩いてはいたが、歩きにくくなってしまっているようで、動きがぎこちなく右に揺れては左に揺れていた。

 

「何でこんなところに……?」

 

「本拠だと邪魔が入るかもしれんだろう? この区画は()()()()()()をする場所、もってこいだろう?」

 

「いや、あの、急すぎて付いていけないというか……僕、アイズさんにボコられてリャーナさんにも精神力(マインド)削られて、その、疲れているというか」

 

「今更言うな、手遅れだ」

 

「強引に連れ出したよね?」

 

「何だ………私は抱けないと、そう言うのか」

 

「…………そういう、わけじゃないですけどお」

 

「安心しろ、本番までやったら流石に取り返しがつかんかもしれん……その手前までで満足するつもり……どこまでがセーフなのか試すつもりだ」

 

「…………」

 

「それに、お前の【月華星影(スキル)】なら私と交わっても問題ない……かもしれん。試してみたくもなる」

 

「アルテミス様に謝ってほしいなあ」

 

「あらあら、もういもしない女神様にどのように頭を下げろともうされ……おい、馬鹿、泣きそうな顔をするなっ! 悪かった! 泣くなっ!」

 

歩みを止め、娼婦の腰に手を回して建物の中へと消えていく男達、その人の流れを眺めながら輝夜とベルはやいのやいのと言い合う。輝夜の肉体にはゴジョウの家伝の一つとも言える『毒』があるために男と交わることができない。交われば殺してしまう。がしかし、ベルのスキルや魔法を合わせて考えれば()()()()()()()()()()()?()と考えた輝夜が物は試しと思ったのだ。本拠ではできなくもないが覗かれる可能性はきっとある。仲間達とていい歳した大人の女だ。男がいれば子を成していてもおかしくはないだろう。その手のことに興味がないと言えば嘘にもなる。仲間の嬌声が聞こえたら喉を鳴らして、きっと覗くだろう。そして後から頬を染めて聞いてくるのだ。

 

 

――初めてってやっぱり痛いの?

 

と。

別に聞かれれば答えないわけではないが、2人の時間を覗かれていい気はしないし輝夜とて羞恥はある。何より、覗かれていることに気がついて空気が萎えても困る。よって()()()()()()をする場所へとやってきた……に至る。

 

 

「さて」

 

「?」

 

着物の袖で口元を隠すようにする輝夜は、その瞳で立ち並ぶ建物を見つめた。その視線の先では、カイオス砂漠の文化圏に、海洋国(ディザーラ)地方の建築様式を始めとして、オラリオ近辺ではまず見かけない外観の建物が密集している。上階部分が開放的な東洋風の屋敷があれば、寒冷な地方を思わせる石造りの重厚な館も存在した。客である冒険者(おとこ)を愉しませるために複雑化した結果だろう。『世界の中心』と言われる迷宮都市に世界中の様式の娼館が広がる、異国情緒が溢れかえった街並みになっている。建物に限らず娼婦もまた、大陸中からこの街に集っている。都市のどんな場所より異質な歓楽街に、6歳の頃からいるとはいえ今まで踏み込むことのなかったが故、別世界に迷い込んだような錯覚をベルは受けていた。そんな目を回しているベルを狙う(おんな)は当然おり、周囲を行き交う娼婦達が視線を向けては、声を投げてきて、その度に輝夜がキッときつく細めた瞳を向けて魔の手から守っている。

 

「入りたいところはあるか?」

 

「…………」

 

「……空気に当てられているな。しっかりしろ」

 

やれやれ。溜息を付いてベルの頭に手を置き適当に歩みを再開させた輝夜。飛んでくる甘い笑みは、不慣れなベルのキャパシティーを当然のように踏み抜き思考を停止させる。着物の袖を引っ張っては笑っているのか泣きそうなっているのかわからない顔つきで輝夜を見つめてきては彼女に溜息を吐かせた。まだこいつには早かったか?なんてそんなことを少し思って、今回は適当にこの街を見て回るだけにしておくかと致し方なし結論を付けて弟分の手をしっかりと握りしめる。こんなところではぐれでもしたら、きっとこの兎は明日の朝には干物になっているかもしれないからだ。

 

「輝夜さん」

 

「ん?」

 

「こういうとこ、来たことあるんですか?」

 

「……私達が何の派閥か言ってみろ」

 

「【アストレア・ファミリア】……正義を司るアストレア様の派閥で、都市の秩序に貢献してる」

 

「然り」

 

「でも、歓楽街って……ええと確か、【イシュタル・ファミリア】の支配圏とかじゃなかったっけ……?」

 

「否定はしない。が、だからといって我々が何か起きた時に知らん顔していい理由にはならん。歓楽街(ここ)も都市であることに変わりはないのだからな」

 

「………」

 

「自分の意志ではなく……例えば、人攫いなぞの小遣い稼ぎや汚いやり口で借金の肩代わりにされた女達が連れ去られ、売られるなんてことも少なからず存在する。オラリオにやって来たばかりのリオンも団長が助けていなければ今頃は阿呆な顔を晒し快楽に溺れてピースをする娼婦(エルフ)になっていたやもしれん」

 

「リューさんが………ゴクッ」

 

思わず想像してしまう。

普段は格好いい、けれどたまにポンコツをかましてしまう金髪妖精のお姉さんが、生まれたままの姿で涙目になっている光景を。或いは、身に付けていた衣服をビリビリに破かれて「くっ、殺せ!」なんて言っている様を。ベルは自らの頭を抱えしゃがみ込んだ。

 

「………ごめんなさいリューさん。僕は悪いヒューマンですぅ」

 

仮にも憧れの大好きな金髪妖精さん。

そんな彼女が滅茶苦茶にされちゃうシチュエーションを思い浮かべてしまったのだ。ここに本人がいなくとも懺悔する。あれ、どうして僕はドキドキしているんだろう…そんな戸惑いも含めて。

 

「……つまりそういうことを防ぐためにも、リオンも含めて私達はこの場所に足を踏み入れたことがある。」

 

妖精(エルフ)2人は完全に目を回してしまっていたがな。クツクツと笑う輝夜の笑みはどこか邪悪めいていてベルは「ひえっ」と小さく悲鳴を洩らす。

 

「お前も14歳……7年前、抗争の時に敵と戦い合っていた私達と同じ歳だ。例え踏み込んでほしくはない場所であったとしても、いつまでも知らないでいいものではない」

 

「…………なる、ほど?」

 

輝夜さんも真面目に考えてるんだなあ…なんて頭の片隅で考えていることなど、輝夜には当然お見通し。細い人差し指からデコピンを頂戴し、瞳の奥で星が散った。道行く男女達と何度もすれ違い、今度は極東の建物が。赤柱と赤壁で構築された木造屋敷。どれも三階建て以上の高さを誇っており、その鮮やかな赤緋の色は華々しい。

 

「遊郭だ。気になるのか?」

 

「そういうわけじゃ、ないけど……輝夜さんの故郷の家? もあんな感じなんですか?」

 

「屋敷ではあるが遊郭とは違うぞ」

 

魔石灯以外にも提灯(ちょうちん)と呼ばれる蝋燭(ろうそく)の照明具が道の至るところに吊るされている。その光の下を若い男女が行き交う。娼婦達が着ているのは、輝夜と同じく―少しばかり違うが―『着物』と呼ばれる極東の民族衣装。朱塗りの娼館の一階。通りに面した格子状の大部屋に、沢山の娼婦が並んでいる。着物で着飾った彼女達は往来に向ってにこやかに声をかけ、客引きを行っている。客先で足を止める男達は眼鏡にかなう人を選んでいるのだろうか、木造りの格子越しに娼婦と一言二言交わして、店の中へ入っていく。そんな、仕切りの内側で客を待つ多種族の娼婦を、歩きながら眺めていると輝夜の声色が変わった。

 

 

「―――――――狐人(ルナール)、だと?」

 

先程まで浮かべていた、揶揄うような微笑もなければ弟分に取りつこうとする女に冷ややかな威嚇を突き付ける眼力もない。あえて言うなら物珍しいもの、けれどそれを知っている、ここにいるはずがない、と驚きを含んだ声色とベルには聞こえない声量の呟き。

 

「――――」

 

ベルもまた、大部屋の奥にいる1人の少女と目が合った。姉の戸惑いに気付くはずもなく、光沢を帯びる金の髪と、翠の瞳、髪の色と同じ獣の耳と太く長い尻尾、狐の属性を持つ獣人の種別は『狐人(ルナール)』であり、極東を始めとした限られた地域しかいない少数種族。そんな少女は大人の女性の間を揺れ動く容貌で、可憐で、美しく、鮮やかな紅の着物を纏い、他の娼婦達に場を譲るように部屋の隅で座している。細い首には装飾品なのか黒い首輪(チョーカー)がはめられている。その美しさと、彼女の翠の瞳に、思わず、見惚れてしまっていた。格子の向こうの少女は牢の外にいる少年に、羨望と憧れを抱くような眼差しで、視線を絡ませる彼女は、唇を淡く綻ばせ、笑った。楽し気に振舞う娼婦達とは異なった、その儚げな笑みに、固まってしまう。泣いているようにも見える美しい面立ちに、奪われる意識と時間。一瞬の視線の交差が、何十秒に感じられて、輝夜はそんなベルにイラァとして頬を引っ張る。当然、兎は悲鳴を上げた。

 

 

「い、いひゃいっ、いひゃいでひゅっ!?」

 

(わたくし)というものがありながら、旦那様はいったい何を見て鼻を伸ばしておられるのですかあ?」

 

「ごめんにゃひゃい、ごめんんひゃいぃぃ!?」

 

「タダで抱ける女が目の前にいるというのに、まさかまさか、ねえ?」

 

「だ、だって、め、珍しかったから……ッ!?」

 

「珍しければ金銭を出してお抱きになられるのですかあ?」

 

「ふぎゅううううう!?」

 

両手で左右の頬を摘ままれ引っ張られ、折檻。両手をバタバタとさせるものの格上の輝夜は痛くも痒くもないとばかりにぐにぐにと引っ張る。遊郭の真ん前で行われるそんな珍光景に娼婦も男達も関係なしに唖然と固まっていた。

 

「―――おや、輝夜ちゃんにベル君じゃないか。こんなところで何を……ひょっとして、逢引かい?」

 

そこによく知る男神の声が投じられた。ぴくっと眉を跳ねさせた輝夜はベルを持ち上げたまま背後を振り返った。

 

「まさかこんなところで会うなんてね。ふふ、輝夜ちゃんもベル君もお年頃だなぁ」

 

そこに立っていたのは、橙黄色の髪と瞳を持つ男神―ヘルメスだ。

 

「あらあらヘルメス様、こんなところで油を売っているなんて……アンドロメダにチクったほうがいいでしょうか?」

 

「おいおい勘弁してくれ、俺は別にやましいことをしに来たわけじゃないんだ。それより、張見世の前で何をしているんだい?」

 

「………浮気者に折檻していただけでございます」

 

輝夜がパッと手を離したことで開放されたベルは「うぅー」と両手を頬に当ててしゃがみ込み張見世の娼婦達に「ぼくー、大丈夫ー?」なんて声をかけられる。

 

歓楽街(こんなところ)にいる時点で、やましいことをしに来た以外に理由があるのでしょうか?」

 

「そういう輝夜ちゃんは、何をしに?」

 

「………やましいことを、しに来ましたが何か?」

 

「何でちょっとキレ気味なんだ……まあ、冒険者は命を張る職業だ。()()()()()()にだってなりやすいだろう……」

 

よし、とヘルメスは己の手を叩き小鞄から小さな小瓶を取り出した。盤棋(チェス)の駒に似た透明な容器の中で、ちゃぷんと赤い溶液が音を立てる。

 

「何でございましょうかこれは」

 

輝夜が両手を皿のようにして合わせ、受け取り、小瓶を見つめる。ヘルメスはまるで親が子を祝福するかのような眼差しを以て親指を立ててサムズアップ。

 

「精力剤さ」

 

「!」

 

「君達のどちらかが1人で歓楽街(ここ)にいるとなればあり得ないとは思うけど身売りか、娼婦と……まあ特別な一夜をって考えるんだけど、2人一緒ってことは違うだろう。歓楽街(ここ)なら、顔も名も隠して入れる宿もあるからね……周囲の目を気にする子達は、当然利用する。君達もそういった口だろう?」

 

何故か勝手に理解するヘルメスに輝夜は口を挟まない。ベルは痛みが引いたのかようやく立ち上がり輝夜の両手にある物が何なのかと興味あり気に覗いている。ヘルメスは輝夜にだけ聞こえるようにそっと耳元に顔を近づけ、耳打ちする。

 

「最高級の品だ。これを君達にあげよう……ただ、そう、ただアスフィには俺がここにいたことは黙っておいて欲しいんだ。俺だって男、たまには……遊びたくもなる。君達だって似たようなものだろう?」

 

「最高級……」

 

「ああ、これ一本あれば、ながーい夜を楽しめるはずだよ」

 

「………ふぅ、いいでしょう」

 

「よし」

 

ガシッと握手するヘルメスと輝夜。置いてけぼりのベル。ここに契約成立だとばかりに男神と大和撫子は笑みを浮かべ、最後にヘルメスがベルの肩をぽんっと叩いて「頑張りたまえ」と言って去っていった。

 

「な、なんだったんだろう……」

 

「さあ、なんだったのでしょうねえ」

 

チロリと唇を舐める輝夜は考える。これは大切にとっておくべきか、いやしかし使ってみたい……盛るのは何か道理に欠ける気がするし、堂々と飲めと言うべきか? なんなら口移しで……理性を捨てた兎にドロドロにされるというのもそそるものがあるし、ヘトヘトになった兎を責めるのも一興か……むむむ、と考えて、結局は身体の毒があるのだから最後までできる可能性は低いからと頭を振った。イケるとこまではイクつもりだが、命を散らしてしまっては意味がない。うん、ギリギリを責めることにしよう。そう結論付けて、とりあえずはベルに持たせておくことにした。

 

「これは?」

 

回復薬(ポーション)だ」

 

「赤い……んですけど」

 

「大丈夫だ、回復することに変わりはない」

 

「どうして輝夜さんは視線を下げているんですか? どこを見ているんですか? ねえ」

 

「………大丈夫だ、安心しろ。精のある物をしっかりと食べさせるつもりだ」

 

小瓶をベルが肩からかけている小鞄(ポーチ)に仕舞う。

 

「聞いて、話を、聞いて」

 

「楽しみでございますねえ、私は組み敷かれて泣かされてしまうのでしょうかあ」

 

「………」

 

「何だ、お前、私では嫌なのか?」

 

「そんなこと、ないです」

 

「唇も髪も胸も……全て、お前の好きにしていいんだぞ?」

 

「…………」

 

怪しく笑みを浮かべて顔を近づけてくる黒髪の美女。小指を優しく摘まんで耳元で囁き、少年の心を揺さぶる。さらには屈んで、上目遣いまでして。

 

「えっちぃこと……したくございませんか?」

 

「………したぃ、です」

 

か細い声で、けれど正直に言ってしまう。耳は赤く、声は震えていて、それが余計にそそったのか美女は満足げに悦を孕んだ微笑を浮かべた。

 

「では、今夜は楽しみましょう。無理なら無理で適当に散策をば」

 

「………ぁぃ」

 

などと話していたのが懐かしい。

ぽつん、と道の中央に立ち尽くしながら、ベルはだらだらと汗を流す。

 

 

「は、はぐれた……」

 

 

腕を組んで―組まれて―大通り(メインストリート)を横断する際、『今からサービスタイム―!』と宣伝する娼婦達と男性客の波に呑み込まれ2人ははぐれてしまった。迷路のごとく網目状に錯綜する街路の一角で、ベルは顔を右に、左に何度も振る。ましてや先程遊郭を通ったのだ、輝夜と娼婦を見間違うなんてことは万に一つないとはいえ、不慣れなこの場所ではそんな自信も揺らぐ。

 

「ねえ、あの子って……」

 

「白い髪に……赤い瞳……」

 

「もしかしなくても?」

 

ぼそぼそと娼婦達が視界の先にいる路頭に迷ったベルを指して言い合う。その容姿、所属派閥、色々と脳内の片隅にしまってあった情報を掘り出し精査して照合。

 

【アストレア・ファミリア】のベル・クラネル。

探索者(ボイジャー)】の二つ名を持つ上級冒険者。

【静寂】の二つ名を持つ【最凶(ヘラ)】の眷族の愛息子。

父親は【最強(ゼウス)】にいたとされる。

 

 

「「「「ごくりっ」」」」

 

娼婦達は他の男そっちのけで、如何にしてベルに声をかけるか顔を見合わせた。今は存在しないかつての【最強】と【最凶】の混血児(ハイブリッド)であるだろう少年。容姿は問題なし、いや、むしろむさ苦しい冒険者(おとこ)共よりも可愛い系という希少(レア)。明らかに年下の少年。神々がいう所の『おねショタ』だってイケるだろう。常客になってくれればなお良し。何より、怪物祭での連続討伐(キリング・レコード)は記憶に新しい。これから先も大成する可能性大だ。女戦士(アマゾネス)的思考になってしまうが、そんな彼の種を得たいと思わないでもない。なにより、玉の輿(ワンチャン)狙いたい。

 

「ぼーく? 迷子なの?」

 

「へあっ!?」

 

と娼婦達が結託していっそ囲って喰って虜にしてしまおうかなどと作戦を練っていると先を行く女が1人。突然声をかけられ、ベルの身体が大きく跳ねた。

 

「な!?」

 

「私達が狙っていたのに!?」

 

「先を越された!?」

 

獲物に声をかけた女が何者か、確認してみればそこにいたのはエルフ。美しい肌白の女性であり、まるで色欲の虜になったかのようなエルフの娼婦が、艶然(えんぜん)と微笑んでいた。深い切目(スリット)が入った白の衣装(ドレス)に、大きな胸。エルフに似つかない妖艶な雰囲気が彼から声を失わせる。

 

「おねえさんと、遊んでいく?」

 

「ひっ、やっ、えと、その……」

 

頬にそっと手を添えられ撫でり撫でり。瞼をぎゅっと閉じて顔を朱くさせる子兎。娼婦達は敗北を知った。畜生、やっぱり妖精の人気には敵わねえ!と。胸のでかい妖精なんて強すぎる!と。

 

「ん-? どうしたのかなあ?」

 

「あ、えと、その、あの……ぼ、僕っ!?」

 

女慣れしていないのか?と疑いたくなる様子。街灯が照らす彼の顔は赤く、目はぐるぐると回っている。仮にも女性だらけの派閥に所属している少年が女慣れしていないとは思えず、なるほどこの場所の雰囲気に慣れていない……つまり、()()()()()()()は初めてなのだと娼婦(おねえさん)達は結論付ける。つまり、熟れていない青い果実。自分好みに育てるにはもってこいだった。

 

「その、ご、ごめんなさい! (種族は)好きだけど、そういうのじゃないんですぅ!!」

 

「へぁ!?」

 

もう何が何だかと言った感じで叫んで、ベルは小鞄(ポーチ)のベルトを握り締めて走り出した。逃走であった。

 

「リューさぁああああん、ごめんなさぁああああああああああああいい!!」

 

そんな絶叫が聞こえたとか聞こえなかったとか。

 

 

一方、はぐれたことに気がついた輝夜もまた「まずいな」と頬に汗を流す。最早お楽しみどころではない。完璧にはぐれてしまった輝夜は歓楽街を走り回り、兎を探すが見つからず、苛立ちと心配を抱えていると道の先で見知った少女達を発見した。両手を胸の高さで握り合い、ビクビクしている同郷のよしみでたまに面倒をみてやっている命と千草の姿だった。

 

 

「――――身売りさせるまで、堕ちたか……見損なったぞ、神タケミカヅチ……!」

 

【タケミカヅチ・ファミリア】。極東からやってきた新興派閥なのは言うに及ばず。彼等彼女等の活動目的は、極東にある(やしろ)への仕送り。【アストレア・ファミリア】のような自前の本拠を持っているわけではなく借家。主神自らが『じゃが丸君』の屋台でバイトをしているのは当然、輝夜も知っている。失礼な話だが『貧乏』な派閥だ。しかし、少なくとも歓楽街(こんなところ)にあの2人の少女―共に懸想している相手がいる―が踏み入るなんてことはないと思っていたにも関わらず、何故かいる。輝夜は子兎とはぐれてしまった焦りから、連想し勘違いを起こした。

 

身売りだ。

身売りなのだ。

あの武神、タケミカヅチが2人のうら若き少女達に身売りさせてしまうまでに至ってしまったのだ。例えばそう、億単位の借金を背負ってしまったとか。ダンジョン探索では一気に返しきれずに身売り……ない話じゃあない。いや、仮にタケミカヅチに非がなかったにせよ、主神という責任ある立場にいる神物(じんぶつ)なのだ。少女達がここにいる以上、足を踏み入らせてしまったことに理不尽に怒りをぶつけたって仕方がない。

 

「同郷のよしみで技を教えてやって欲しいと言ってきたのはそちらだろうに……金に困っているのなら、なぜ相談しない……! 戯けが!」

 

眼前の少女達は顔を真っ赤にし、寄り添い合いながら周囲を何度も見回し、下卑た男や娼婦にからかいの声をかけられる度、肩を大きく跳ね上げる。ニヤニヤと笑う美丈夫――多くの男神達に絡まれているのを見て、輝夜は毒づきながらずかずかと少女2人の保護を優先することに切り替えた。すまんベル、どうか操は自分で守ってくれ……! そう心の中で祈りながら。

 

「こんな場所で命ちゃん、いや【絶†影】たんに会えるなんて!」

 

「やっぱり黒髪はいいなー」

 

「極東っ娘萌えー」

 

「あ、あのっ、じっ、自分達には重要な使命が……!?」

 

使命? なんの使命だ。

ずかずかと近づきながら聞こえてきた命の言葉に、輝夜は脳みそをフル回転。歓楽街(ここ)に来てまで実行せねばならない使命とは何ぞや? 【アストレア・ファミリア】や【ガネーシャ・ファミリア】のように都市の秩序云々で活動しているわけでもなし、いわば普通の探索系派閥でしかないはずだ。であれば、であるのならば……タケミカヅチと桜花と何ら進展があったか? あの2人も年頃だ。()()()()()()に興味を抱いていても仕方がない。つまり、あれか? 男を悦ばせる技を覚えに? 輝夜は疲れていた。

 

 

「男神様方、悪ふざけは勘弁してあげてくださいませ」

 

命たちの反応を楽しむように、ふざけ半分でちょっかいを出す神々にわって入る輝夜。わかっていながら困らせている愉快犯達に溜息をついてしまいそうになるが、我慢。割って入った輝夜に神々は目を見開き、命達は驚いた顔をする。

 

「輝夜たん!?」

 

「輝夜殿!?」

 

「こんなところで油を売っていてよろしいので? 夜は短いですよ?」

 

「おっと、そうだった! ジェシカちゃんのお店のサービスタイムが終わってしまう!」

 

眷族達(ファミリア)の目を盗んでやって来たんだ。オレ、今日羽目を外すぞ!」

 

「大事な派閥の資金(おかね)ちょろまかしてきましたー!」

 

「あ、俺も」

 

「僕も」

 

「儂も」

 

「「「「「ハハハハハハ!」」」」」と高笑いしながら、名も知らない男神達は去って行った。快楽主義者たる神々が歓楽街に出没するのは日常茶飯事であり、派閥によって暴走する主神を拘束せんと、団員達が怒り泣きしながら手段をつくすという。嵐のように過ぎ去った男神達を、痛む頭を押さえるようにして輝夜は「後日、あの神々共の眷族に報告してやろう」と心に決めた。チクりである。

 

「か、輝夜殿……」

 

「ど、どうしてここに……」

 

神々から解放された命と千草はともに狼狽えながら、声を絞り出す。向き直った輝夜は嘆息した。

 

 

「……事情はわからんが、悪いことは言わん。身売りはやめておけ……多少の援助くらいはしてやる」

 

「「違います!?」」

 

「ではやはり……あれか、桜花と神タケミカヅチのナニがでかすぎて慣らすために歓楽街(こんなところ)に来たのか……そこまでの、イチモツだったのか……」

 

「「違いますけど!?」」

 

「お前達も年頃の娘。その手のことに興味を持っていてもおかしくはない。女とて性欲はあるのだからな。私も無防備なベルを見て、つまみ食いすることも……」

 

「「あの、わかるわかる~みたいな顔して頷かないでください!? あと聞いてません、ベル殿(さん)の尊厳守ってあげて!?」」

 

「……千草、桜花のナニでは裂けそうだったのか?」

 

「ナ、ナニって言わないで、ください!?」

 

「………桜花の益荒男」

 

「やめて!? 輝夜さん、やめて!? 神様達から貰った二つ名出さないでっ!?」

 

「あいつ、ガタイはいいからな……そちらが小さいとは思えんが、生娘としては覚悟しておく必要があるかもしれん……」

 

「だから違うんです!?」

 

「命、お前もそういう口か?」

 

「どういう口ですか!?」

 

「これはベルも知っていることだが、神と交わっても子は成せん……お前がどれだけ望もうともな」

 

「何の話ですか!?」

 

「しかし武の神を相手にするのだ……寝技の一つくらいは修めておきたい。そういう気持ちも、あるのだろう」

 

「いや、あの、輝夜殿!?」

 

「いきなり奥まで咥えると、きついぞ。あと命、お前は乳房が意外とでかい……ちゃんと武器は使え」

 

「「変な助言(アドバイス)はやめてください!!」」

 

顔を朱くし、涙目でセクハラをぶち込んでくる勘違いお姉さんに悲鳴をあげる命と千草。もうやめて、2人のライフはもうゼロよ!とばかりに追い詰められた2人はすっかりヘトヘトである。

 

 

 

一方。

遊郭を通り過ぎ、娼婦(エルフ)の誘惑から無我夢中で逃げたベルは路地の曲がり角に飛び込んだところで、対面から歩いてきた人物に捕まっていた。

 

「……ぁ、【麗傑(アンティア・ネイラ)】……!?」

 

「へぇ、私のことを知っているのかい坊や……まあ、知っていてもおかしくはないか」

 

美しく長い脚。くびれている腰の位置は高く、美脚という言葉が似合うだろう。衣装は紫紺で統一されており、豊かな胸回りは短衣が隠している。肩やへそを始めとした他の部分は何も纏っていない。露出の高い上半身と比べ、下半身は足首まで届く脚衣(ズボン)に似た構造着で、下にいくにつれふっくらとした作りになっているが、生地が薄いのか滑らかな布の奥でしなやかな腿の線や臀部の形がうっすらと透けて見える。靴は履いておらず素足で、首や手首を冒険者装身具(アクセサリー)で飾っている。身長はベルより高い170C(セルチ)以上。結わえられていない漆黒の長髪は臀部まで伸びている。引き締まった身体は鍛えられている一方で、その褐色の肌から男達の視線を釘付けにする色香が漂っている。踊り子のような衣装を纏った――アマゾネスの娼婦。いや、ただの娼婦ではなく戦闘娼婦だ。

 

出会いがしら、あわや正面衝突というところをベルは地面を蹴り、驚いたアイシャもまた素早い身のこなしで動いたことで肩を掠めた程度で済んだが、謝罪のあと、その相手が誰なのか記憶の中から掘り起こしたベルがその名を口にすると「へえ」とばかりに唇を舐めた彼女はベルの腕を掴んだ。捕まえたのだ。彼女はぐいっとベルを引き寄せると強引に反転させ腰に両手を回し抱き寄せる。下半身と下半身が密着し見つめ合う格好となった。

 

「少なくとも歓楽街(ここら)では見ない顔……白い髪に赤い瞳…」

 

立ったまま至近距離で顔を観察し、ぶつぶつと頭の中の情報を掘り起こして心当たりを引き出す。そして答えはすぐに出た。

 

「坊や【アストレア・ファミリア】の【探索者(ボイジャー)】だね?」

 

「!?」

 

腰から離した左手を頬に添えて顔をやや上に向け、今にも唇を奪おうかというような恰好でベルのことを見降ろすアイシャ。瞳を細め、まじまじとベルの顔を覗き込み、その反応を見て「図星だね?」と言い、そして笑った。

 

「へぇ……坊やが私を知ってるってのは、あんたの派閥のことだ、どこかで見かけたってことなんだろうが…生憎私は坊やを見るのは初めてでね。なるほど、これが【静寂】の息子ねえ……存外、()()()顔をしているじゃないか」

 

舌で自分の唇を舐める動作に、ベルはぞくっっ、と強烈な悪寒に襲われた。正確には輝夜にも似た既視感だが、目の前にいる彼女は明らかに違う。そう、男を知っているか知っていないかの差でしかないのだろうが、仮にも目の前にいるのは性に奔放なアマゾネスという種族。子を成すために男を連れ去るという話まである種族なのだ。

 

「【アストレア・ファミリア】の女達は、派閥に1人しかいない男を持て余しているのかい……? 馬鹿だねぇ、だから歓楽街(こんなところ)に踏み入らせちまうんだよ」

 

「ち、ち、がっ!?」

 

「どうだい、今から私の一晩を買わないかい? あの最強派閥の一粒種だ、逃がすには惜しい」

 

「!?」

 

温かい吐息に頬と首筋を犯され、ひぃっ声にならない悲鳴をあげる。身体を焦がす羞恥と恐怖が同時に発生し、ベルはこの時、息ながらに蛇に睨まれる蛙の気持ちを理解した。アリーゼを始めとした姉達にされたことがないわけではない。ふぅっと耳に息を吹きかけられたり抱き寄せられたり、小さい頃から多々あった。でも、違うのだ。何かが。さらに、彼女は格上の冒険者。腰に回された手を始め、相手の拘束を容易に振りほどけない。何とか逃げようと暴れるベルを「暴れるんじゃないよ」と笑って一層強く抱き寄せた。さらに不幸なことに周囲からわらわらと。街路や路地裏から沢山のアマゾネスが姿を現した。

 

「今日は不作だ!」

 

「何だか最近女を知ったばっかの男の匂いがするー」

 

「アイシャ、誰それー?」

 

「今ここで見つけたんだ、かなりの希少(レア)だよ」

 

「へえ、珍しいじゃん。可愛い系って」

 

「ふふっ、いかにも歓楽街は初めてって顔してるう」

 

アイシャの言葉を皮切りに、恐らく客寄せに出ていたのだろう娼婦達は口々にベルをからかう。ベルが気がついた頃には、完全に周囲を囲まれていた。全員が同種族(アマゾネス)、当然アイシャと同じか、それ以上の身体の露出をしている。ベルが嫌な汗をダラダラと流し、心の中で輝夜に助けを求めていると、その直後。アマゾネスの1人が、はっ、と何かに気付いたように肩を揺らした。

 

「ねぇ、待って。このヒューマン……もしかして、【探索者(ボイジャー)】じゃない?」

 

その発言に、彼女達はぴたりと動きを止めた後、ざわついた。

 

「――白い髪に、赤い瞳」

 

「【アストレア・ファミリア】で唯一の男」

 

「【静寂】のアルフィアの一人息子」

 

「【ゼウス】と【ヘラ】の間に産まれた混成児(ハイブリッド)……」

 

「怪物祭でシルバーバックとミノタウロスを連続討伐したヤバイ奴…」

 

彼女達の口から出るわ出るわ。

ベルの偉業やらその出自やら。アマゾネスの一団が、揃ってベルの顔を凝視し、呟きを漏らし、そして()()()()()した。女戦士(アマゾネス)の双眼が一様にギラギラし出す。話し声が途絶え、全員の視線が輪の中心にいる憐れな子兎を串刺しにした。

 

 

(アリーゼさん、輝夜さん……アストレア様、助けて……ッ!?)

 

 

×   ×   ×

一方、星屑の庭。

 

 

「ハッ!? ベルが助けを求めている気がするわ……!」

 

「輝夜がついているのだから、大丈夫でしょう? あからさまに、「今からエッチなことしてきます!」って感じで出て行かれたのは腹立つけど……あれでも輝夜、線引きしてるし」

 

「というか、輝夜とその……しちゃったら、ベル死ぬんじゃないか? 大丈夫なのか?  輝夜の身体ってほら、『毒』があるんだろ?」

 

「あー……あいつの実家のやつか。すげぇよな、近親相姦で繁栄してきた一族って」

 

「繁栄って言っていいのかよくわからないんだけど……」

 

団欒室でぐてっと天井を見上げるアリーゼから始まり、リャーナ、ネーゼ、ライラ、そしてノインが口々に言う。輝夜の実家――ゴジョウという呪われた一族の在り方を。必要とあらば己の肉体を貪らせて、房中術を以てして男を殺すというゴジョウの女の身体に蓄積される『毒』。女児は日々毒を取り込み、男は逆に解毒薬を口にすることで一族内でのみ交配を可能とする。その一族が目指すのは主神たる美の女神に近付き、始祖のスキルを多く体得することにこそある。

 

「極東に行ったら、輝夜みてえな顔の女達がわらわらいるかもしれねえんだろ?」

 

「やめてよ、想像したら怖いわ」

 

「でも輝夜ちゃん、ベル君と普通に接吻(キス)……するわよね?」

 

「限度があるんじゃない? それ以上のこと……その、子作りみたいなことしたらさすがにやばいとか」

 

話題はもっぱら輝夜のことではあるが、ベルの心配でもある。可愛がるのもいい、好いてしまうのも良い。けれど愛し合った結果、死別となれば笑い話にもならない。それでも求めてしまうのだから、困ったもの。

 

「ベルなら輝夜では死なないから大丈夫よ」

 

そこへアストレア。

紅茶を口に流した彼女は、潤んだ唇を拭って細めた目で眷族(むすめ)達を見やりながら言い切った。

 

「ベルのスキルと……2つ目の魔法のおかげでね」

 

もう少し待ってくれた方が確実性が増すのだけれど、大丈夫かどうかいつかは試さなくてはいけないことに変わりはないとアストレアは言う。スキルとは無論、【月華星影(ミセス・ムーンライト)】に備わっている『破邪の加護』のことであり魔法とは【ビューティフルジャーニー】の効果のことだ。

 

「あれってただ浮遊できるだけの魔法じゃなかったんですか?」

 

「いえアスタ、効果の中に自動治癒(オートヒール)があります。どれほどの回復力なのかはわかりませんが……アストレア様、ランクアップした際には『治療』か『治力』を取らせた方がいいのでは?」

 

「選べるほどあれば、あの子に勧めはするけれど……まあとにかく、ベルには『耐異常』は必要ない可能性が高いの」

 

ほほおと零す星乙女達。

つい忘れてしまいがちではあるが、ベルの魔法は戦闘中であるか否かで効果のほどもまた変わる。その理由は当然、戦闘中に『魔導』のアビリティが一時的に発現するからであるが。

 

「でも、そうね……あの子達が無事に帰ってきてほしいものね」

 

私でも中々あそこへ迎えに行くのは難しいもの。そういうアストレアは再び紅茶を口に運んだ。アリーゼ達はそんな女神が、ベルがいないことで手持ち無沙汰というか心寂しいような雰囲気を纏っているのを感じ取りつつも、それをあえて口にはせず窓から見える星空を見つめた。

 

「大丈夫かしら……」

 

「意外とああいうところ人が多いし……」

 

「はぐれたりしたら」

 

「ベルなんてぺろっと食べられちゃうんじゃ」

 

「今頃、【イシュタル・ファミリア】の女戦士(アマゾネス)達に包囲されてたりしてな」

 

アリーゼ、リャーナ、マリュー、イスカと続いて最後のライラの一言に女神を含めて全員が黙りこくる。脳裏に浮かぶのは、震え上がる子兎を取り囲む、大型の肉食獣の群れ。虎や獅子が、牙の隙間から大粒の唾液をダラダラと滴らせ、舌舐めずりをしている。10秒、1分、5分……そう感じるほどの沈黙の間を置いて、全員が微笑を浮かべた。

 

 

「「「「ふふふふふ、まっさかぁ~」」」」

 

 

 

×   ×   ×

一方、歓楽街。

 

 

(みこと)と千草を連れた輝夜が、歓楽街の出口へ向けて歩を進めていた。未だ輝夜の後ろを歩く2人は顔を朱くしてあたふたしているが、そんな2人の反応を見る度に輝夜は溜息を吐き、絹のように滑らかな黒髪を揺らした。

 

「―――身売りでもない、初体験をしに来たわけでもない。何なのだ貴様等は。冷やかしか?」

 

「うぅ……違うんですってばぁ」

 

「生命の危機に瀕すると種を残そうとする本能が~などと聞いたことがあるが、日々、(いのち)を張っているのだ身体がムラついて仕方がないこともあるのもわかる」

 

「違うのです、輝夜殿、違うのですぅ」

 

「自分の指では届かない場所も……きっと、あるのだろ」

 

「「うぅぅぅ」」

 

自分も生娘だというのに妙齢のお姉さんは少女達の顔から煙を上げさせる勢いであれやこれや言っては「わかるわかる」「近くに人がいると1人で慰めるにしても大変だものな」なんて同情まで向けてくる。羞恥のあまり少女達は返す言葉を失ってしまっていた。

 

「……なんなら買いに行くか?」

 

「「?」」

 

「大人の玩具を」

 

「「勘弁してください輝夜さん!!」」

 

「違うのか」

 

「違います!」

 

「違うんです!」

 

「「人を探しているだけなんです!!」」

 

「………男か」

 

「「だから違うんですってばぁ!?」」

 

歓楽街(こんなところ)で娘2人が人探しだぞ? 男だろ。男を探しにきたんだろ。お前達もいい男捕まえて食べようと……いや食べてもらおうとか考えていんだろう?違う?なんだお前達さっきから顔を朱くして……風邪か? ほら、お前達の本拠まで連れて行ってやるから……今度からは相談の一つくらい寄越せ。娘2人が耐性もないくせに歓楽街に入り込むな。怪我するぞ。2人の話など碌に聞かない―2人がちゃんと話さないのも悪いが―あーだこーだ勝手なことは言いつつも親戚の姉のように振舞って「困っていたら手を貸してやる」発言をするものだから質が悪い。(みこと)と千草は互いに顔を見合わせ、ぷるぷると震えた。

 

「――あの、すみません お願いが」

 

「へ?」

 

「お、男神……さま?」

 

歓楽街の出口付近まで来て、男神に声をかけられ3人は足を止めた。振り返ってみればどこにでもいそうな神―所謂モブ神―が立っていた。(みこと)と千草はまたからかわれるのではと身構え、輝夜がこてんと首を傾げる。

 

「何でございましょうか、男神様? (わたくし)達……もう帰るところなのですが」

 

大方、極東の娘が物珍しいから声をかけてきたのだろう。輝夜だって男神に声をかけられたことがないわけじゃない。むしろ、女性冒険者なら男神に声をかけられた者は少なからずいるはずだ。名も知らぬ男神は興奮しているか、荒い息を吐きながら輝夜に熱いまなざしを向けながら口を開いた。どうやらお目当ては大和撫子だったらしい。(みこと)と千草は安堵しながらも姉貴分によからぬ視線を向ける男神をより一層警戒した。

 

「見抜きさせてもらえないでしょうか…?」

 

「見抜き?」

 

「はい」

 

「見抜きって何ですか?」

 

男神の発言に戸惑う少女が2人。黙りこくる美女が1人。

 

「あー……そういうことですか」

 

「いいでしょうか?」

 

「……たまっている、というやつでしょうか?」

 

「はいっ」

 

彼女と男神の会話の意味がわからない少女2人。しかし何か嫌な予感がする。そう、何というか視線が気持ち悪いのだ。本能が告げている、姉を守れと。しかし輝夜は2人が動かないよう右腕を横に伸ばし前に出ないようにすると張り付けたような微笑を浮かべて男神に一歩、また一歩と近づいていく。

 

「しょうがないにゃあ……」

 

「おお、さすが輝夜ちゃん!」

 

「いい―――」

 

「はぁ、はぁ……!」

 

「―――わけないだろうが、阿呆神がぁあああ!!」

 

「オホォオオオオッ!?」

 

繰り出されるのはLv.4の金的―蹴り―であった。女である(みこと)達でさえ悲鳴をあげるほどの見事な蹴り上げ。極東の遊びにある『蹴鞠(けまり)』。それを極めているのではと思わせる美麗な動き。すらりと着物から露出した彼女のおみ足はとても美しく、その足に日々、ベルが膝枕をされているなんて思えば羨ましく思えてくる。蹴りを喰らった男神は吹き飛びゴミ溜めへと頭から突っ込んでいく。無様な悲鳴を上げて。

 

「か、輝夜殿、いけません! そこは、殿方の急所!?」

 

「だ、ダメですよ、相手は神様なんですよ!?」

 

「私でヌイていいのは兎だけだ、阿保が!」

 

「聞いてないです! その話、聞いてないです!」

 

「あと聞きたくないです! たまに命と一緒に鍛錬しているベルさんが輝夜さんと……その、えと、聞きたくないです!」

 

びくんびくんと痙攣する男神は立ち上がらず、けれどそのモブ神が何者かなど知ったことではない。というか、(みこと)達を保護したときに彼女達に絡んでいた愉快犯達の1人だった。

 

「うわっ」

 

「【大和竜胆】やべえ……」

 

「俺はあいつの勇姿、決して忘れない……!」

 

「じゃんけんで負けたら輝夜ちゃんを口説く……こうなったか……!」

 

「馬鹿野郎、無茶しやがって……!」

 

建物の屋上から、ひそひそと聞こえてくる男神達の声。彼等もまた少女2人にからんでいた男神達だった。彼等は離れていった後、「極東っ娘がどこに遊びにいくのか見に行こうぜ!」などと引き返してきたのだ。なんて奴等だ、目先の快楽を満たすために子供の迷惑など考えもしない。輝夜は口元を引き攣らせ、怒れる竜の如く、キレた。その後、男神達の悲鳴が夜の街に轟くことになるのだが、彼等は後日、眷族達にも悲鳴を上げさせられることとなった。

 

 

「帰るぞ」

 

「え」

 

「え」

 

「帰るぞ」

 

「「は、はひっ!?」」

 

怒れる輝夜お姉さんは、すっかりベルのことを忘れてしまっていた――!!

 

 

×   ×   ×

一方、歓楽街、別所。

 

「おひとり様、ご案内~!」

 

「…………っ」

 

突破不可能の包囲網に絶望していたベルは、あれよあれよと周囲一帯で間違いなく最も巨大な娼館に連れられていた。その外観は、広大な砂漠にそびえる王宮を彷彿させるほどの威容で金に輝く外装はとにかく豪華。円形の前庭を通って宮殿に近付くと、正面の大扉の上に見えるのは、派閥のエンブレム。覆紗(ヴェール)を被り顔の上半分を隠す裸体の女性……娼婦が刻まれた徽章。

 

(昔、資料を見せてもらったけど実際に見てみると……本当に大きい)

 

仮にも【アストレア・ファミリア】の団員であるベル。出会った相手の派閥やエンブレムを見て「知りません」なんてあっても困ると、警戒してほしい派閥も含めて資料を見せられたことがある。アイシャのことを知っていたのもこれが故だ。

 

「べ……『女主の神娼殿(ベーレト・バビリ)』……」

 

摩天楼施設(バベル)の造りにも似た、遥か上階にまで続く吹き抜けの構造。それぞれの階では客と思われる男性と腕を組み、どこかに案内している品の良い娼婦の姿が見える。広すぎる玄関ホール、白大理石の空間には赤い絨毯が敷かれ、高級そうな壺を始めとした内装がそこかしこで目についた。大娼館の醸し出す独特の空気と、淫靡な香りに、歓楽街こそ初見のベルは頭をくらくらさせた。

 

「へぇ、やっぱり他派閥の情報も知っているんだねえ。そうさ、ご名答通りここは私達のホーム、女主の神娼殿(ベーレト・バビリ)。この建物だけじゃない、ここらへん一帯は私達の島……イシュタル様の私有地さ」

 

その女神の名も、当然知っている。

同じ美の女神であるフレイヤを目の仇にしているらしい女神だ。実際に話したことがあるわけではないけれど、「イシュタルって品がないのよ?」なんてフレイヤが言っていたのを覚えている。

 

 

「なんだ、お前達。ぞろぞろと集まって」

 

吹き抜けとなった上階から、声が投じられる。

耳朶が震えた瞬間、顔を振り上げたベルは、1人息を呑んだ。情欲をそそる衣装に身を包んだ絶世の美女。僅かもない衣で張りのある乳房や濃艶な腰を覆い、褐色の肌を大胆に惜しみなく晒している。金銀を纏った(サークル)、耳飾り、胸飾り、腕輪と足輪など、装飾品の輝きもあいまって女王という単語を連想させる。編み込まれた長い黒髪は艶があり、紫の色にも見える。煙管(キセル)を片手に持ちながら、彼女は上階の一角で悠然とこちらを見下ろしていた。

 

「アストレア様には絶対にそんな恰好してほしくない……!」

 

ぼそり、と漏れたベルの声。

ぎょっとする周囲の女戦士(アマゾネス)達。すぐに女神へと顔を振り上げたが、イシュタルには聞こえなかったか首を傾げていた。しかし、何かを感じ取ったのか笑みなど消し去り短く言った。

 

 

「そのガキを摘まみ出せ、気に入らん」

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