アーネンエルベの兎   作:二ベル

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だいたい1週間おきの更新だから書いた本人が疲労で忘れてることがよくある


水天日光⑦

 

 

『知っているぞ、淫蕩のバビロン! 貴様が犯した悪行の数々を! 一体何人の男を誘惑し、陥れ、悲惨な末路へと導いた!? 恥を知るがいい、妖婦め!』

 

 

テーブルの上で(ページ)を捲られる。頬杖をついて数ある英雄譚の一つにベルは目を注いでいた。場所は『ノームの大図書館』―迷宮都市東部に建つ施設だ―であり、名称の通り地精霊(ノーム)が経営している『精霊の事業』の1つだ。巨大な建物―四階建て―で、まるで荘重な教会のような雰囲気を放っている。この建物にはありとあらゆる本が集められているなどと言われている。ノーム達は自信をもって『都市随一の蔵書量』を標榜している。

 

「ベ、ベル殿……自分もご一緒してよかったのでしょうか……」

 

「静かにしていろ(みこと)。今、問うたところで聞こえていない」

 

入館料は驚くなかれ、1()0()()()()()()―1回の入館料で3人まで入ることが可能―。エントランスを通り抜ければ、まさしく、いや、文字通り『本の世界』が広がっている。吹き抜けの構造によって空間は広大に開けており、1階、2階、3階、そして4階まで本棚がびっしりと置かれている。棚自体の背も高く、梯子がなければ届かない位置にも本がずらりと並んでいる。書架の多くは重厚な黒茶色が占めており、古い紙の匂いが訪れた者達の鼻をくすぐった。高い頭上を仰げば、神々や精霊、英雄にまつわる数々の天井画が描かれている。精霊が築いた荘厳な空間は、まるでそれ自体が『物語』の世界のように幻想的である。そんな大図書館の一角にて輝夜と(みこと)、そしてベルが適当な席に腰を下ろしている。じぃっと本に目を注いでいるベルと違って輝夜は付き添いであるし、(みこと)にいたっては街中で出会ってついてきたにすぎない。というか、輝夜に「オラリオに来て、図書館すら知らんだと? よし、ついて来い」とばかりに半ば強引に連行されて来た。

 

「せっかくオラリオに来たというのに、仕送りのためにダンジョンダンジョンダンジョン……他の事にも目を向けてみろ」

 

「し、しかし……自分はこう、身体を動かしている方が……!」

 

「だから春姫とやらに他人扱いされるのだ」

 

「………っ、関係、あるのですか?」

 

「男神共に囲まれていたところを保護してやったというのに……こりもせずまた歓楽街に足を運んで……で? 目当ての娼婦に出会えたというのに『他人の空似でしょう。(わたくし)は、貴方のような方を存じません』などと言われたのだろう? よく考えろ、(みこと)。そもそも、どのような事情があったにせよ知己が娼婦をしている自分に会いに来て和気あいあいと接することができると思うのか?」

 

「うぅ……」

 

「お前が娼婦だったとして、知己に会ったら正気でいられるか?」

 

「………ですが、自分は居ても立っても居られず……彼女から、話を聞かねばと」

 

「結果、逃げられたのだろう?」

 

「………うぅ」

 

静かな図書館で、ひそめられた2人の女の会話。歓楽街で初めて輝夜が(みこと)と千草を保護した日より数日も経たないうちに足を運んだ妹分に「考えが足りん」とでも言いたげに細められた瞳が(みこと)を射抜き、反論を許さない。輝夜の隣で読書をしていたベルは息を吐いて本を閉じた。

 

「面白かったか、英雄譚(それ)は」

 

閉じられた本をするりと自分の元に滑り込ませた輝夜は、愛撫するように表紙を撫でた。長い時が流れたせいか本は既にボロボロで、開けば(ページ)も擦り切れて読めない箇所が少なくない。廃棄棚からベルが持ってきたものだった。問うた輝夜はベルが頭を左右に振って「別に」と返したのを確認して、「だろうな」と肩を竦めた。

 

本の題名(タイトル)は『ビルガメスの冒険』。

古き英雄の叙事詩であり、数々の冒険をしていく中で1人の娼婦と出会う物語だ。この本をとったのは単純な話、『娼婦は破滅の象徴』という春姫の言葉がベルの中に残っていたからにすぎない。この英雄譚に限らず、娼婦は悲劇的か、あるいは報われない末路を迎えるものが多い。無論、助言を与えたり、力を貸し共に戦う娼婦もいるにはいるが、真の意味で英雄と結ばれ、その隣に立つ者は、()()()

 

「10万ヴァリスも支払ってもらって説教されるってどういう事なんですか?」

 

「聞こえていたのですか?」

 

「なんだ、聞こえていたのか?」

 

「ちょっとだけ……そりゃ、(みこと)さんも年頃ですし、アリーゼさん達も女の子にも性欲はあるのよ! って言ってたから、()()()()()()になることもあるんでしょうけど……その、なんていうか」

 

「ベル殿、曲解しすぎではないですか!?」

 

「さすがに名指しで叫ぶのは……」

 

「違うんですベル殿ォォ!!」

 

ベル殿ぉ、ベルどのぉ、ベルどのぉ……と、(みこと)の悲鳴じみた叫びが図書館内に響き渡った。蓄えた髭をふごふごと揺らす土精霊(ノーム)達が「おしずかに!」とばかりに注意してきて、たちまち(みこと)がぺこぺこと頭を下げた。ベルはそんな(みこと)に気にすることなく席を立ち、ボロボロになった英雄譚『ビルガメスの冒険譚』を掴み取る。それに合わせて輝夜も離席する。弟分が一通り満足したのだと察し、もうこの場に用はないのだと判断したのだ。目の前でベルが土精霊(ノーム)となにやらやり取りをしているが、おおよそ廃棄棚にあった本だから譲ってもらえないかと交渉しているのだろう…とベルが英雄譚、冒険譚好きなのを知っているからこそ輝夜はそう推察した。

 

 

 

 

ストリートを歩く。

太陽が燦々と地上を照らす雲一つない天気。昼時、腹をすかせた者達がどこぞへと空腹を満たすためにえっちらおっちら。それは図書館を後にした3人も同じで、市場(バザール)の屋台で適当な物を買い込む。

 

「【アストレア・ファミリア】は金銭に余裕がおありなのですか?」

 

「どうした、藪から棒に」

 

「いえ、図書館に行ったのもそうですが……その、こうして自分の分までお昼を……」

 

「小娘1人程度の分まで出せんほど、我々は困窮していない。していたとしたら毎日のように野草のスープだ」

 

適当なベンチに腰を下ろして、『串焼き肉』やら『じゃが丸くん』を頬張るベル達―右からベル、輝夜、(みこと)の順―。周囲からの視線は凄まじく、(みこと)は居心地悪そうにしている上に顔が赤い。煙が出てしまいそうなくらいだ。その理由は勿論2人の姿にこそある。『バニーガール』に『ゴスロリ』という場違いな身姿。何か催し(イベント)でもあるのか? と市場(バザール)を行き交う人々はそんなことを思った。まさか自分達の瞳に映っている白髪兎さんと眼帯ゴスロリ美女が【アストレア・ファミリア】の団員だなんて、とても思わないだろう。

 

「見ろ(みこと)、ベルの顔を」

 

「?」

 

串焼き肉を食い千切った輝夜は(みこと)に耳打ちするように言うとベルの方へと視線を向けた。そこには兎耳を揺らして『じゃが丸くん』を齧るベル。その表情には少年が少女―イロモノ枠―の恰好をさせられている羞恥心など微塵もない。むしろ『これが僕ですが何か』とでも言うべき雰囲気さえあった。(みこと)はとたん、頭が痛くなった。友人が女の恰好、さらに言えば女の自分でもまあしない恰好をさせられているというのに涼しい顔をしているからだ。

 

「あれが派閥に加わった6歳の頃から、私達に玩具にされていた(可愛がられてきた)者の顔だ。まるで面構えが違う」

 

「貴女方が元凶ッッ!!」

 

派閥に加わったばかりの6歳の純粋無垢な幼兎は、それはもうお姉さん達―女神を含む―の母性やら何やらをズキュンしちゃったのだろう。(みこと)の脳裏にはきゃいきゃいはしゃぐ【アストレア・ファミリア】のお姉さん達が浮かび上がった。彼には病弱―Lv.7だったそうだが―な母親がいたと聞くし、最初は嫌がっていたかもしれない彼も「似合っている」なんて言われて母親の笑顔を見て何かこう、男として大切な何かが歪んでしまったのやもしれない……とそこまで考えて(みこと)は頭を振った。本人が進んでしている姿ではないのだろうし、まだギリギリセーフだろうと溜息を吐いた。と、幼少期の幼兎(ちびベル)の姿とはしゃぎ回るお姉さん達の絵面を浮かべていた(みこと)だったが、いつの間にか隣にベルと輝夜の姿がなくなっていたことにギョッとした。

 

「何か買うのか?」

 

市場(ここ)っていろんなものが集まるから、見てて飽きないよね」

 

「まあ、否定はしない」

 

と右に左に視線を走らせていると、すぐに見つかった。外からやって来た商人の露店をしゃがみ込んで物色しているバニーガール(ベル)ゴスロリ美女(輝夜)はやはりよく目立つ。商人の男は2人が特殊な趣味を持つ姉妹とでも思っているのか言葉を失ったように固まっているが、目の前で膝に当たって形を変えるバニーさんの胸元にゴクリと喉を鳴らして如何わしい妄想を働かせてはゴスロリ美女に「こいつは男だぞ」と夢を木端微塵に粉砕されて口を開けたままこれまた固まった。いや、何故か燃え尽きたように真っ白になって笑みを浮かべていた。2人は見飽きたのか露店を去ると、次の露店へ。被害者が増えた。

 

 

「ふむ、これは……」

 

次に足を運んだ露店は極東から来たのか、その地にちなんだ物が売られていた。髪飾り、羽織、菓子、エトセトラエトセトラ…。輝夜はその中から、(かんざし)を手に取った。竹の葉に三本の竹に2輪の赤い花をあしらった物だ。それを手のひらに乗せては呻る。

 

「買わないんですか?」

 

「……………はぁ」

 

「?」

 

わかってない、なぁーんにもわかっていない。そう言いたげにわざとらしく輝夜は溜息を吐き捨てる。自分で買うのは難しいことではないが、そうではないのだ。お前ももう14なんだから、気づけよ?と言外に告げるのは輝夜の瞳だ。

 

「女心は分からん、か……」

 

やれやれと輝夜は立ち上がる。

2人とその後を追いかける(みこと)は露天を冷やかして日が傾きかけた頃、解散した。

 

 

×   ×   ×

歓楽街

 

 

夜空には少しばかり顔を出した金色の月が浮かんでいた。通りに面する張見世の中で、春姫は上空を見上げる。青い宵闇と満月に近付いていく月影を一頻り眺めた後、視線を下ろせば、遊郭にはいつもの夜に負けない人通りがある。沢山の男とヒューマンや獣人を中心とした着物姿の女達。美しい娼婦達を視界に、正座している春姫は雑踏を右に左に注視した。

 

いないかな、いないかな。なんて胸の中で呟いて3日ほど前に出会った、白髪の少年の姿を()()探してしまうのはここ最近の春姫だ。春姫の視線の動きに合わせ、臀部から伸びる太い狐の尾が、ぱたり、ぱたり、と揺れる。数日前の少年とのひと時は春姫にとって楽しく、夢のような時間だった。彼と交わした様々な話を、物語を思い浮かべる度に、唇には笑みが、胸には温もりが宿る。

 

「旦那ー、私を買っておくれよー」

 

張見世の中ほどにいる春姫の斜め前、格子窓の側にいる遊女が、通りかかる男性客へ愛想良く笑いかけている。そんな彼女を見て以前、客に熱を上げていた先輩遊女(ねえさん)を不思議な思いでみていたことを思い出す。同じ獣人であった彼女は、その時「アンタにはわかるまい」としたり顔で笑っていた。恋をすればわかる。なんて彼女はそうも言っていたが、今のこの気持ちも、あるいはそれに近しいものなのかもしれないと春姫は思った。きっと幼い頃、読みふけった物語の英雄に恋焦がれたように、虚しい日々へ突然現れた外の世界の少年に胸をときめかせているのだ。何より、今思い返せば彼の側にいると()()()()()()()()だったのだ。見知らぬ男達に抱かれた後の嫌悪も、悲鳴を上げる貞操観念も、そして瞼の裏に焼き付いて離れない父親の叱責も、少年と出会った一夜だけは思い出すこともなく安らかな眠りを得ることができたほどだ。

 

(もし、あの子が……)

 

幼少の頃より培われてきたたくましい想像力が、春姫に妄想を働かせる。少ない例であるが、この歓楽街には冒険者が『身請け』して出て行った娼婦もいるらしい。大抵はその後、冒険者は迷宮(ダンジョン)で帰らぬ人となり、残された女は不幸になるらしいが……中にはこの都市を後にして伴侶として付き添った者もいるらしい。そんな夢が自分にも訪れたなら――とそこまで考えて、春姫は自嘲した。妄想とはいえ、一瞬でも自分のくだらない想像に少年を付き合わせたことを謝罪する。娼婦である自分にはそんな資格はなく、何もできない自分には価値がない。何より、春姫の価値を見出した()()()()()()()()()()()()()

 

『なんだその無様な恰好はっ!』

 

『三条家はアマテラス大神様に仕える由緒正しき家柄! その三条家の娘があろう事か娼婦となり下賤な輩と交わるとは何事か!』

 

『恥を知れっ!』

 

『汚らわしいその姿を、二度と日の下に晒すなっ!』

 

ふいに耳朶を震わせるのは父親の今の春姫を罵る幻聴。そこに父の姿はないというのに、身を強張らせて寒さに堪えるように震わせる。ごめんなさい、ごめんなさいと小さく呟く春姫のことを理解してやれる先輩娼婦などいるはずもなく、少なくない例として『人身売買』の被害にでもあったのだろうくらいにしか思ってはいないだろう。運のない少女の1人、というやつだ。

 

「……っ」

 

首に嵌められた黒い首輪に触れてうつむく。

賑やかな遊郭、笑みを浮かべる娼婦達に囲まれる中、自分だけが世界でひとりぼっちであるという感覚に支配される。いっそ、どうして自分がこんな目に、と叫べれば楽になれるのかもしれない。勘当されたきっかけを作った小人族(パルゥム)の商人を憎めれば、救われるのかもしれない。けれど弱虫で臆病な春姫は、声を上げることも、他人を恨むことも怖くてできなかった。春姫に抗う力なんてないのだ。

 

「またそんな顔をしてっ。シャンとしなさい」

 

顔を暗くしていた春姫を、隣に腰を下ろしていた先輩娼婦が小声で叱る。反射的に背筋を伸ばし、自分を閉じ込める牢屋の外に向って顔を上げると、張見世に向って足を止める男がちらほらと現れ始めた。先日は幼い頃、屋敷から連れ出し外の世界を教えてくれた知己の少女に声をかけられたが、彼女に再会したと同時に春姫にまだ残っていた羞恥心が全身という全身を焼き焦がした。見ないでと叫びたかったし、刃物をもって己の汚れた肌を切り裂き、破り捨てたい衝動に駆られもした。結局は他人のフリして逃げたわけだけれど。

 

「あら、可愛い子」

 

「お嬢ちゃん、来るとこ間違えたのかい?」

 

「どこの娼館の()?」

 

通り側、格子窓の前に立つ兎人(ヒュームバニー)……いや、バニーガールに戸惑いの声が飛ぶ。視線を投じると、張見世の中から何かを探し出そうとしているその人物と、目が合った。双眸を見開くバニーガールは、胸の高さで手を振った。

 

「?」

 

自分を見つけていやらしい笑みを向けて遊郭に入って行く男達とは違う、いっそ仲の良い友人と再会したかのような笑みに近いものを向けてくる人物は、はて誰であったかと春姫は首を傾げつつも愛想笑いを浮かべて手を振り返す。その人物はこくり、と頷くとそのまま遊郭の中へと入って行った。

 

(なんだったのでしょう……)

 

他の娼婦達も春姫に振り返っては「知り合いかい?」なんて聞いてくるが、覚えがないので曖昧な返答しかできない。そんな春姫は数分と経たずに、妓楼(ぎろう)の奥から声をかけられた。

 

「春姫、お呼びだ」

 

「はい……」

 

困惑から現実へと引きずり戻される。ぶんぶんと頭を振って、張見世を後にし(おとこ)が待っているだろう部屋へと静かに向かう。

 

「今日はみっともない姿を晒すんじゃないよ。()()()()()()()()()()()()()?」

 

「…………え?」

 

呼びに来た褐色のアマゾネスの遊女はすれ違いざま事務的に告げる。彼女の言葉に耳を疑い、思わず立ち止まり振り返ったが「別に女が女を求めに来たっておかしなことじゃないだろう」とばかりにつっけんどんに言われるだけだった。

 

 

×   ×   ×

???

 

 

暗い、暗い、場所で怪しげな人間達があちらこちらへと足を運んでいた。そこは広大な空間であり、中央の床は円柱状にくりぬかれており、中を覗けば巨大な女が何かを咀嚼していた。腰よりしたは牛そのものであることからソレは決して()()()()()()ことは明らか。

 

「ふむ、いつ見てもこれが過去、俺達が下界に降臨する前に子供達に力を貸していた『精霊』の成れの果てとはな……いつ見ても下界の可能性には驚かされる」

 

前髪の一部が灰がかった黒髪の男神―エレボス―は眼下で魔石の山をスナックでも齧るように貪る彼女を見下ろしながら微笑を浮かべていた。隣に立つ男神―タナトス―はエレボスの言葉に「すごいよねえ」と肯定して肩を竦めた。

 

「しかし、イシュタルが出資者(スポンサー)とはな」

 

「歓楽街を仕切っている分、羽振りがいいからねえ」

 

白装束の人間達が彼女が暴走しないように細心の注意を払いつつ、己が餌にならないように気を付けつつ、作業に従事する中、2柱の男神達は笑った。

 

「これが7年前にあればなあ……」

 

「…………そうだなあ」

 

タナトスの言葉に、何か思案するように顎を摩るエレボス。現在、エレボスに眷族はいない。タナトスの眷族を護衛として借りることもあれば、赤髪の女にあれやこれやと言いくるめてお使いを頼むこともあるが、何分、一文無しだし居候の身であることに変わりはない。それでもタナトスがエレボスの行動を止めることもしないのは、それは一重に『面白い』からに過ぎない。神々は娯楽に刺激に飢えている故だ。

 

「何を考えているのか、聞いても?」

 

「さて……そうだな、例えばこいつを()()するというのはどうだ?」

 

「どこへ?」

 

「どこでもいい。海でも空でも大地でも……こいつが笑いながら走り回る様はさぞ壮観だろう」

 

「確かにそれは、面白いけど……難しいよ? 何よりこの巨体だから誰にも気づかれずにっていうのは……さあ」

 

「………ならいっそ花火でも打ち上げて地上の連中の視線を逸らしてみるか?」

 

「…………言っておくけど、出資者(イシュタル)が黙っていないよ」

 

「おいおい俺とお前の仲だろう?」

 

「だーめ、だってエレボス、一文なしじゃん」

 

「それを言うなよ、タナトス」

 

「イシュタル以上の資金を持ってきたら、こっちもイシュタルに言えるんだけどさあ…無理でしょ?」

 

ふむ、と口元を手で覆うエレボスはタナトスから視線を切って彼女に向けて思案する。さてどうしたものか、面白いことを考えて、1人の少年のことを思い浮かべる。そして、薄く微笑を浮かべた。

 

 

「金………稼ぐか」

 

「…………まじ?」

 

 

エレボスは思い浮かべる。

怪物祭での少年の『冒険』を。

グランドデイの最中にあった少年の『破滅』を。

では、次は?

いいや、現在、あの少年にはどのような『物語』が? 

【ゼウス】と【ヘラ】の置き土産、アルフィアの愛息子。見たい、是非とも見たい。怪物祭の時のような素晴らしい光景を。卵が孵り、英雄が生まれる瞬間を。『理想』の形を。であれば、当然『試練』を与えなくては。刺激を与えて、与えて、与えて……変化を促すのだ。

 

そのためには、まずエレボスがしなくてはいけないこと。

それは……。

 

 

「資金調達だ」

 

 

 

×   ×   ×

遊郭

 

 

「旦那様は、お嬢様だったので?」

 

きょとん、とした春姫は困惑と共に問うていた。目の前に座るバニーガールは春姫が部屋にやってくるなり「こんばんは」と挨拶して手を振ってくれた。すぐに腰を下ろした春姫は自己紹介と共にお辞儀をして、謎のバニーガールさんの口から以前出会った白兎さんであったことを知った。当然、春姫は少年の恰好に理解が追い付かず「彼ではなく彼女だったのでしょうか?」と困惑。

 

「ちょっとその……明日には元に戻ってよくなるので」

 

「は、はあ……」

 

どういうことだってばよ、と言いたい気持ちをぐっと抑えて春姫は以前聞くのを忘れていた少年の真名()を教えてもらうことに。少年も少年で自己紹介していなかったことに気がついていなかったようで目を見開き、きょとんとして恥ずかしそうに頬を掻いてから「ベル。ベル・クラネルです」と名乗った。その申し訳なさそうな、照れくさそうな仕草に春姫の胸がトクンと跳ねて温かくなる。

 

「それでは、その……夜伽のお相手を――」

 

言い終える前に、春姫の前にベルは物を置いた。黄金色の水差しの形をしたランプだ。

 

市場(バザール)で見かけたときに、春姫さんの話を思い出して……喜ぶかなって」

 

「!」

 

「あ、精霊は封じられてないですよ?」

 

くすりと冗談交じりに笑う彼に春姫の顔が熱くなる。太い尻尾は右に左にぱったぱったと揺れ動いては床を叩き、俯いた春姫の顔はとてもとても彼には見せられない。きっと、顔が赤いだけじゃなくて口元がにへらとだらしない笑みになっているからに違いないからだ。目の前にいる年下の男の子は今まで春姫の下にやってきた男達のように下卑た目を向けてくることもなければ、高圧的に要求してくることもない。むしろ逆で、()()()()()()()()()()()()心地よさがある。ここが安全だとそう思えてしまうのは、獣人の本能なのか、それとも春姫の異性に対する趣向が『白髪赤眼年下ヒューマン』だからなのか、本人にはわからない。ただ、ベルがこうして春姫との話を思い出し、市場(バザール)に行った時にちゃっかりと購入して持ってきてくれたのは彼の善性故だ。

 

「こ、こほんっ、こほんっ……その、ベル様?」

 

「?」

 

煩い鼓動を落ち着かせるように胸元に手を当てて、深呼吸。そしてベルに娼館(こんなところ)に来て良かったのかと問う。前回は迷い込んだ……正確には墜落なのだろうけれど、それでも本人の意志で来たわけではないことはもうわかっている。彼がどこの派閥の冒険者なのかはわからないけれど、こんな可愛らしい見てくれの、それこそ女性受けしやすい―どうしてバニーさんなのかはさておき―男の子が、娼館に足を運ぶなんて主神や周りの者達が許すのだろうか、と疑問に思うのだ。何より彼は以前、姉と来ていたと言っていた。

 

「あー………大丈夫です。ちゃんと、伝えてきましたから」

 

「………」

 

大丈夫では、なさそうだ。

微妙そうな顔をしていらっしゃる……と春姫は翠の瞳をおろおろさせた。

 

 

×   ×   ×

少し時を遡って、星屑の庭―食卓―

 

 

「アストレア様」

 

「どうしたの、ベル?」

 

夕食時。

食事を終えたベルは手を止めて、隣にいるアストレアに声をかけた。何人かが夜警―ノイン、ネーゼ、アスタ―でいないため全員揃っての夕食ではないが、他の姉達もベルが珍しく女神に何かお願いをしようとしているのだと耳を傾けていた。

 

「この後、歓楽街に行ってきます」

 

「「「ブフゥッ!?」」」

 

「―――――」

 

口に含んでいたスープを吹き出しそうになり慌てて口元を手で押さえて大惨事を防ぐ正義の星乙女達。中には食べていた物が喉に詰まったか、咳き込み胸元を叩いている者さえいる。アストレアは当然、言葉を失い微笑を浮かべたまま凍り付いていた。

 

「女の子に、会ってきます」

 

「――――――」

 

「「「……終わった」」」

 

笑顔のまま凍り付くアストレアに、私達の恋愛は今、終わったのよ…とばかりに項垂れる姉達。彼女達が落ち込むのも無理もない話だ。ベルが幼い頃から手塩にかけて育ててきた弟分がどこの馬の骨かもわからない娼婦にとられたとあっては落ち込むなと言うのが無理があった。

 

「だから、また朝帰りになっちゃうかもしれないです」

 

「―――――そ、そう」

 

ようやく口を開いたアストレアであったが、微笑んだまま凍り付いているのは変わらず口元は痙攣している。現実を受け入れられないのだろう。輝夜は頭が痛くなった。こいつ、言葉が足りなさすぎる…と。心配させまいとこの後の予定を告げているのだろうが、もうちょっと言い方があるだろうにこのバニーさんダメダメである。

 

「き、気をつけて……ね……?」

 

「はいっ!」

 

「「「嗚呼、アストレア様がお認めに……終わったわ……」」」

 

完全敗北、燃え尽きたぜ、真っ白にな。

まるでそう言うかのようにお姉さん達は真っ白に項垂れた。最早食事も喉を通らない。輝夜は痛む頭を抱えたくなった。この後、私は皆に事情なり説明しなくてはいけないのかと思うと面倒くさくてたまらない。というかバニーガール姿で娼館に行くつもりか? 正気か? いや、まず、何を笑顔で「はいっ」と言っているんだ馬鹿者! 輝夜お姉さんはお説教したくなった。 食事の後始末をした後、ベルは支度を整えると本拠を後にした。

 

「ベル……気をつけてね」

 

「は、はいっ」

 

歓楽街へと出かけていく唯一の男の眷族に心底微妙そうな微笑を向けてアストレアは力なく手を振った。ベルはとても後ろめたくなって、何度も振り返った。

 

 

×   ×   ×

現在―遊郭―

 

 

アストレアの微妙な微笑を思い返したベルは、今度埋め合わせをしようと誓う。おろおろと瞳を揺らして顔を覗き込んでくる春姫に、何でもないですよと言ってベルはグラスに注いだ水で喉を潤した。

 

「それで、ベル様は娼館にいらしたということは春姫と一夜を……?」

 

つまり、そういうことですよね? とベルに貪られる自分を想像して覚悟を決めて唾を飲みこむ。ベルが頷けば春姫は己の着物の帯を解き、すぐにでも襦袢(したぎ)姿になるつもりだ。何より、今まで出会った男達とは違う年下の彼になら……とさえ思っている部分も少なからず、ある。

 

「いえ、僕、春姫さんに会いたくて来ただけなんです」

 

「―――――」

 

目を見開く。

会いたいがためだけに、こんなところに? と疑問が何度も浮上する。ここは『女の子と楽しくお酒を呑む場所』ではない。『女の子と愛を貪る場所』なのだ。何か、勘違いしているのだろうか?と瞳が泳ぐ。

 

「こ、ここに来る必要があるのですか?」

 

「? ここにしか、春姫さん、いないじゃないですか」

 

「………ぁ、ぅ」

 

そりゃそうだ。

春姫に会いたいなら娼館に行くしかない。本当にこの少年は私に会いに来ただけなのだと、春姫は再び熱くなった顔を隠すため俯いた。太い尻尾がへにゃりと揺れた。

 

「ど、どうして、でございますか?」

 

「うーん……」

 

言い淀むベル。

別れのあの時、何もかも諦めたような春姫の笑みに胸がモヤモヤしていたから、なんて言いづらい。春姫の言葉に言い返せなくて悔しかったとか、その首輪が気に入らないとか、色々理由はあるけれど、それを言語化して口にするとなると、難しい。

 

「春姫さんのことが、気になったから?」

 

「!?」

 

だから、お馬鹿な兎さんはお狐様をびっくりさせてしまう。俯くどころか身体を丸めて縮こまってぷるぷる震えだした春姫は、それはもう顔が熱くて煙が出ているのではないかというほど。傍から見れば、土下座をしているようにしか見えないかもしれないが、春姫はこの今までなかった初めての感覚に戸惑っているし、だらしない顔を見られたくないと必死だ。うぅ~と小さな呻り声まで聞こえてくる。

 

「だ、大丈夫ですか?」

 

「………だ、大丈夫ではございませぇん」

 

ずるい、貴方はずるい。私を抱きに来たわけでもないのに、欲望をぶつけてくるわけでもないのに、心がもう貴方を求めてしまっている。駄目だ、ダメダメダメ、素直になったところで待っているのは破滅だ。そんなの、目の前の男の子には、ダメだ。そう心の中で叫び散らして自制しようとする。震える春姫の背中を摩ってくれるベルに「はうぅぅ」とさらにさらに顔を赤くする春姫にベルはもう何をどうしたらいいやらと焦りに焦った。

 

「うぅー……」

 

蹲ったまま、ベルが持ってきてくれた水差し(ランプ)に手を伸ばす。そして自分のもとに引き寄せて胸に抱く。魔法道具(マジックアイテム)ですらない、ただの道具にすぎないけれど、ランプに封じられた精霊はいないけれど、『魔法使いアラディン』の挿絵に描かれるランプにそっくりで、嬉しくてたまらない。擦れば精霊が出てきて願いを叶えてもらえるわけではないけれど、目の前にいる少年自体が御伽噺から出てきたように思えてならない。

 

(だって、この方は空を……自由に……)

 

初めて出会った日、飛んで去って行くベルのことを春姫は今でも思い出せる。その感覚はどのようなものか、きっと彼にしかわからないかもしれないけれど普通に考えてそれはできないことで、御伽噺の中でしか許されない行為だ。だからベルが御伽噺の住人だと思い込んだって許されるはずで、だから、何の変哲もないランプに期待してしまうのも、外の世界を碌に知らない春姫にとっては仕方のないこと。

 

「何か、してほしいこと、あるんですか?」

 

「…………」

 

それを察したのか、願いを聞いてくるベル。春姫はピタリと震えを止め、けれどしなりと尻尾と耳を垂れさせた。思い描くことはあれど、それを口にする……ましてや叶えるなんて、汚れている春姫にそんな資格があるのだろうか、とそう思うからだ。

 

『お前は三条家の娘だ。 常にそれにふさわしい所作と行動を心がけろ。 はしたない行動は一切するな』

 

(そうです、誰かに要求するなど……はしたないこと、できるはずがありません)

 

『この父に口答えするようになった事自体、お前の言う()()()()の影響だろう!』

 

(父上に口答えしては、逆らってはいけないのです)

 

『この三条家を貶めようとする存在など、飢えと寒さに怯え震えて消え去るがいい!』

 

(でなくては、でなくては……)

 

瞼の裏に今も残っている怒りの形相を浮かべる父の顔。

怖くて怖くて仕方がなくて、声がでなくなってしまう。呼吸を忘れてしまうほどで、永遠とも言える時が流れたように思えた。

 

 

「春姫さん」

 

けれど、そっと触れられたベルの手の温もりに、優しい声音に現実に引き戻される。そこに父の姿などなく、かつて過ごした屋敷でもない。娼館であり遊郭であることは酷く悲しいけれど、ランプを持つ春姫の手を包むようにしてくれているベルの温もりに心が安らいでいく。忘れていた呼吸をゆっくりと取り戻して、せめて目の前の少年にだけはこんな醜態は知られないようにと努めようとして―――。

 

「春姫さん、外に出てみませんか?」

 

「―――――ぇ?」

 

「何に怖がっているのか僕にはわからないけれど……、怯えている貴方を、スイング・バイ、だ」

 

紡がれる歌は長く、けれどその光は優しい。完成した魔法は決して春姫を傷付けない。春姫の手を優しく包み、背後の窓辺へと背を向けながら後退するベルに震える瞳で春姫は戸惑うばかり。御伽噺の世界へ貴方をご招待、とばかりに遊郭の一室から出る間際。

 

 

『この部屋から一歩も外に出るな!』

 

 

ここにはいない筈の父親の怒声が耳朶を震わせた。

身体が強張り、動きが止まる。恐怖が、春姫の動きを止める。

 

「い、行けません旦那様……(わたくし)は、外に出てはいけないのです。勝手なことをすれば、父上に……イ、イシュタル様に怒られてしまいます」

 

「………春姫さんのお父さんは、歓楽街(ここ)で働いているんですか?」

 

「…………」

 

動揺したように泳ぐ瞳に、ベルが訝しげな顔をする。ベルの問いかけに碌に答えられないのか、俯いたまま力なく頭を振って否定する春姫。

 

「大丈夫です春姫さん、僕は一晩、貴方を買いました。だから、大丈夫です」

 

安心させるように何度も「大丈夫」と言って、凍える手を摩る。

 

「それに――――」

 

ぐいっと春姫の身を引き寄せて、ベルは窓辺を蹴って地に背を向けたまま遊郭の外へと跳んだ。「ぁ」と短く零した春姫にベルは笑みを浮かべて言い放つ。

 

 

「誰も、人間が空を飛んでいるなんて信じませんから」

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