アーネンエルベの兎   作:二ベル

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19巻、よかった・・・またヒロイン(ファミリア)が増えた。



めっちゃ長くなってしまった。
ちょっと無理矢理なところあるかなあ、あるだとうなあ。
でも大丈夫、戦争遊戯で逆襲するので。


水天日光⑪

 

 

『■』とは、何だ?

 

 

うっすらと黄昏の色がかった瞑色の双眸。

それが焼き付いて離れない。

男神の問いかけが、心の中で何度も繰り返し響き渡る。

 

 

『知っているぞ、淫蕩のバビロン! 

貴様が犯した悪行の数々を! 

一体何人の男を誘惑し、陥れ、悲惨な末路へと導いた!? 

恥を知るがいい、妖婦め!』

 

 

暗い部屋、化粧台の上に小さな魔石灯が優し気に英雄譚を照らしてくれている。泣き疲れた無様な顔で外など歩けるはずもなく、閉じこもり、英雄譚に目を通して自分の末路を想起する。

 

 

「ベルにはな、もう女がいるんだ」

 

「娼婦でありながら、イシュタルの眷族でありながら、『■』を知らないとは恐れ入る。自らを主張するわけでもなく、我ここに在りと叫ぶでもなく、諦観で身を固め受け入れる……それが娘、お前の処世術というわけか」

 

 

何もかも見抜いたように言った男神の言葉が耳朶を震わせて消えない。父の怒声が消えないのと同じように、恐ろしくて敵わない。思い出すだけで、涙が滲む。悲しいからなのか、悔しいからなのか……きっと、後者なのだろう。

 

「教えてくれ、イシュタルの眷族よ」

 

『■』とは、なんだ?

 

「教えてくれ、娘よ。」

 

お前は、何者だ?

 

 

「―――わかりません」

 

『■』とは何なのか、よくわからない。

何だって手に入る、手に入らないものは無い『便利なもの』なのだろうか。幸福を生むことができる。幸福を育んで、それを羨望を作り出すことができる『素敵なもの』なのだろうか。美しくてはならない『綺麗なもの』なのだろうか。美しさこそが『■』だと言うのなら、今まで男と床を共にした春姫は真実、美しいと言えるのだろうか? 少なくとも、アマゾネスとは違う貞操観念を持つ少女には言えないだろう。

 

「わかるわけが、ないのです」

 

少女に『■』など分からない。

母は少女を生んで命を終えた。

父は伴侶を殺して生まれてきた娘を疎んだ。

友に今更、こんな恥ずかしい姿を見せられるはずもなく。

アマゾネス達は、弱っちい春姫の気持ちなんてわかるはずもなく。

男達は同情だとか憐憫の眼差しを向けて春姫の心を傷付ける。

神だけが唯一、少女に価値を見出してくれた。

女の悦びを知る機会も与えてはくれたのだろうが、与えてくれただけだ。

 

 

『私はお前を斬り捨てねばならぬ! 

海底に沈む真珠のように美しかろうと、罪を知らぬ子供のように無垢だとしても!

真実その身に怪物を飼っているのならば!

おお、神々よ、ご照覧あれ! 我が剣が淫蕩の女王に鉄槌を下す、その時を!』

 

 

この英雄譚のように、少女も――春姫もいつか、斬り捨てられるのだろうか? あの優しい男の子に、剣を振り落とされる日が来るのだろうか。幾人もの男達と床を共にした卑しい娼婦でありながら、彼から『■』を得られると欠片でも思っていた春姫に、断罪の時が来るのだろうか。

 

 

「………おさらばえ(さようなら)おさらばえ(さようなら)

 

 

春姫の胸の内は、空虚(からっぽ)だった。

もう会うべきではないと言っておきながら、もう一度逢いたいと心のどこかで泣き叫んで、もう一度話をしたいと心のどこかで絶叫する。優しい男の子から貰った大切な宝物も失くしてしまったというのに、そんなことを心のどこかで思ってしまう自分がいて、だからこそ春姫は、惨めに1人、涙を落とす。

 

 

「私は、何者でもないのです。何にもなれないのです。臆病者で弱虫な私は、何にだってなれないのです」

 

何者にもなれない春姫は、吼えることもできない妖狐は、だからこそ、(なにか)になる末路しか、わからないのだ。ぽとぽとと英雄譚に雫を落として、外を見る。空は暗い雲に覆われ、涙するように雨が降り注いでいた。

 

 

「だって、父上に部屋から出るなと言われたのですから」

 

 

×   ×   ×

女主の神娼殿(ベーレト・バビリ)、神室

 

 

「―――やあ、出資者(イシュタル)。相変わらず美しいな」

 

「………エレボス」

 

神室に戻ったイシュタルは、その冷ややかな男の声に目を見開いていた。部屋の中央、天井に吊るされた魔石灯が輝く中、その光に照らされる長椅子(ソファ)に腰かけている男神は7年前、抗争を起こし多くの命を奪った闇派閥の首領ともいえる男神、エレボスだ。イシュタルの後ろにいた青年はその名を聞き、警戒を最大に女神の前に出ようとするも女神自らの手で遮られた。不要である、と。

 

「よく堂々と現れたな、どんな手品を使った?」

 

「何、壁を登攀しただけさ」

 

「嘘をつくな」

 

イシュタルは神室に来る前、何かに怯えている眷族達を目にしていた。それは、神の神威に…威光に当てられ平伏していたものだった。ならばエレボスは女主の神娼殿(ベーレト・バビリ)内を神威を放ちながら歩き回ったということに他ならない。自らの眷族達に害をなしてくれた男神に青筋を立て、舌を弾き、けれど開口一番にエレボスが言った『出資者』という単語(ワード)に何もかも知られているのだと確信し、苛立ちを隠しもせずエレボスの対面に座った。

 

 

(こいつ、『魅了』してやろうか)

 

 

「やめておけイシュタル。もう火種は蒔いた」

 

「…………何?」

 

「情報誌は読んでいるか? 天界とは違って、下界の情報を手に入れる術は限られている。なんでも最近、『ダイダロス通り』で不審火が多発しているらしい。子供達は不安だろうなあ、いつ自分達の()()()()()()()()わからない日々を送らなければならないのだから。それだけじゃあない。港街(メレン)にはなんと、『闘国(テルスキュラ)』から闘争の神(カーリー)率いる女戦士(アマゾネス)達がご滞在らしいぞ? それも護衛を連れてのバカンスにしては少しばかり人数が多いようだ。いったいどれほどの数を連れてきたんだろうな、知っているなら教えて欲しいものだ……なあ、イシュタル? 最も、カーリーの所はロキの眷族達によって鎮圧されたそうだが……さて、そこに不思議なことに巨大な全身鎧の女がいたとか、いなかったとか。誰かさんの眷族を見かけたとか、見かけなかったとか……嗚呼、俺は人造迷宮(クノッソス)にいたせいであまり俗世を知らないんだ。その辺、詳しいか、イシュタル?」

 

「―――――」

 

「おいおいそんな怖い顔をしないでくれ、美の女神が台無しだ。一旦、深呼吸でもして落ち着かせると良い」

 

「…………」

(タナトスめ……あいつ、こいつがクノッソスにいることを私に伏せたな?)

 

 

抗争の終わり時。

エレボスが逃げおおせたということは、神々であれば誰もが知るところ。良く逃げられたな、と感心する者もいれば愛する眷族を奪われたことに憤慨を隠さない神もいたし、正義の女神はその責任を誰よりも重く感じていた。どうやって、何を犠牲にして、何を目的として、逃げたのかはわからず仕舞いだが、多かれ少なかれ神というものは()()()()()()()()()()()節がある。つまり、エレボスは逃げるに足るだけの()()を7年前に見つけ出し、そして今、姿を現したのだ。それをイシュタルは対面の男神を瞳に映しながら推察する。

 

(こいつ、美神(わたし)脅迫(説得)しに来たのか)

 

「聞かせろエレボス、何をしに来た?」

 

「『面白き』を求めて、やって来た」

 

「何故、今更現れた」

 

「十分、育ったと判断したからだ」

 

「何がだ」

 

「卵」

 

「………」

 

「『正義は巡る』、良い言葉だろう?」

 

エレボスの態度は変わらない。どこか飄々としていて、どこかの優男風の男神を彷彿させる態度まで見せては、両の膝の上で肘をつき、身体の重心は僅かに前に傾け、口元で指の腹同士をくっつけて微笑む。イシュタルはエレボスが何かを企んでいることはわかっても、神意の全てはわからない。だからこそ苛立つし舌を弾く。警戒し身体を強張らせる眷族の青年は、女神の対面にいる男神にぞっと背筋に嫌な汗さえ流していた。エレボスはそれに構うこともなく、続ける。

 

「俺もそれに習おう」

 

『正義』は巡る。

ならば『悪』はいつだって、お前達の足元で蔓延(はびこ)っている。

 

「俺は別に、子供達に責を問うてはいない。むしろ良くやったと……アルフィアとザルドを頼らずによくぞ頑張ったと思ってすらいる。特攻隊と化した愛する者を失った哀れな民間人、妖精の姉妹に精霊兵、怪物達の投入に、神獣の召喚。俺は当時、持ちうる限りのカードを切ったつもりだ。そこに足りなかったのは、【ゼウス】と【ヘラ】の2枚だけ」

 

「フン、それがどうした。美神(わたし)達が降りてくるのを狙っていただろうに」

 

「狙って当然だろう? 『魅了』を使われてしまえばそこでゲームは終わってしまう。それじゃあ、()()()()()。まして当時のオラリオにはアルテミスもアテナもいないし、ヘスティアなんて降臨すらしていなかった。都市そのものを魅了されてしまえば、どうなっていたかわかったもんじゃない。下界を捻じ曲げてしまうのは、よくない。なら、美神(おまえ)達にご退場願うのは当たり前だろう」

 

「何が、下界を捻じ曲げるのは良くない、だ。散々暴れ回っておいてどの口が言う?」

 

「この口だ」

 

「―――――」

 

「しかし、オラリオは闇派閥の掃討には乗り出さなかった。【勇者】辺りは住処がどこか勘づいていたかもしれないが、手を出すことはなかった」

 

「馬鹿を言え、出せるものか。それだけの消耗があった。それだけの犠牲があった。それで掃討戦に移行するだと? 無茶を言うな、エレボス。 【勇者】が()()()()()()に気付いていたとしても、あれ以上の消耗を良しとするものか。それは馬鹿のすることだ」

 

「寂しいこと言うなよイシュタル」

 

「?」

 

()()()()()、だろう? もう長い付き合いなんだ、今更、他神(たにん)ぶるなよ、差別するなよ、俺達は既に同志だ、違うか?」

 

おちょくるように瞳を細めるエレボスに、イシュタルは顔を赤くし、立ち上がると共に激昂した。ふざけるなと。

 

「差別するな、だと!? 貴様と私、どう足掻いても違うだろう!? 私は美の女神、お前は地下世界の神だ! 司る事物がそもそも違う! 同志ですらない! 私がいつ、お前の手を握った!? ふざけるのも大概にしろ、エレボス! 私がお前の話を聞いてやっているのは慈悲だと何故わからない!?」

 

しかしイシュタルの部屋に轟く声は、次にエレボスの発する言葉にぴしゃりと沈黙する。

 

天の雄牛(グガランナ)

 

「――――――」

 

 

いやぁ、アレを育てるのはとても骨が折れる作業だったろうなあ。まるで他人事のようにぺらぺらと喋ってみせるエレボスに見開かれた瞳を震え、頬から首へと滑り落ちた汗は胸元さえ通っていく。ここに来てイシュタルは、エレボスに豊かな胸元に刃を突き付けられている錯覚さえ覚えた。動揺を必死に隠そうとして、けれどその度にエレボスと視線が交わり失敗し、握られた拳がふるふると震える。エレボスは言外に「俺を取り押さえてガネーシャ達の前に引きずり出してもいいが、出資者たるお前も無関係ではいられないぞ?」とそう伝えてきているのだ。そして、ゆっくりと右手を差し出した。握手を求めるように。ニッコリと笑みを浮かべて。

 

「さあ、手を取り合おうぜ天の女主人(イシュタル)

 

「くそっ、お前っ、何がしたいんだっ」

 

()()()()()だ。 そうだイシュタル、お前……」

 

今度は何を言いだす、何を寄越せと言うつもりだ? そう怪訝な顔をしてエレボスに睨むような目を向けると彼は肩を竦ませて口を開く。

 

「サンジョウノ・春姫という娘と、ゴジョウノ・輝夜という娘は……親類か?」

 

「――――――何?」

 

 

×   ×   ×

星屑の庭

 

 

どんなに悲しいことがあろうと、辛いことがあろうと、そんな事情などお構いなしに朝は来る。

激しい雨風が窓を殴る。

涙するように窓を濡らした雫たちは、滴り落ち冷えた地面へと吸い込まれていく。アストレアは1人、ベッドの上で身体を丸くして眠ってしまった少年の頭を撫でて、微笑み、神室を後にする。本拠の中は静かだが、奥の方、浴室からは乙女達の姦しい声が聞こえてくる。陽光を多分に取り入れる構造になっており、防衛よりも快適性を重視した作りをした本拠―星屑の庭―は、そんな乙女達の姦しい声を覗けば、静寂に満ちている。昨日から降り続けている雨はベルが帰ってきた10分後には更に激しさを増し、窓ガラスを濡らし、大地を潤し、下水へと流れていく。朝は来たが太陽は姿を見せず、本拠の中は暗い。

 

 

「待たせたわ、ヘルメス」

 

団欒室の扉、ドアノブを回して中へ入ると巨大なピアノ、その椅子に腰かけたヘルメスがアストレアの声に振り向いた。何をしているの、と首を傾げたアストレアであったが、ピアノの前に座っていたのだからきっと手持ち無沙汰だった故に、何かしら弄っていたのだろう。彼の司る事物は多岐にわたり、多能神(マルチタレント)。意外にもこの男神は、『音楽』の神でもあるのだ。

 

「やあ、アストレア……眷族(こども)達は落ち着いたかい?」

 

「ええ、まあ……でも、貴方、大丈夫? 酷い顔よ?」

 

「は、ははは……」

 

しとりと頬から汗を滴らせるアストレアは口端をひくつかせる。無理もない、何せ彼女の目の前にいる男神は満身創痍だったのだ。

 

 

「やぁ、アストレア! 遊びに来たぜ! なんせ外はこの大雨、雨宿りに乗じて濡れ透け美女に正義の女神様を拝めるかもしれないとあっては、遊びにいくのが道理というものだからね!」

 

そう言って元気ハツラツびしょ濡れのずぶ濡れになってやって来たヘルメスは、彼がやって来るよりも早く外での活動を切り上げ、本拠に帰還していた妙齢の乙女達が濡れた肢体をタオルなりで拭き取っている様を目の当たりにしたのだ。勿論ヘルメスの言は冗談だった。しかし、タイミングが悪すぎた……いや、この場合はタイミングが良すぎたのだろうか。白いシャツの下に身に付けられた細かな刺繍の為された下着だとか、濡れて張り付く衣服を脱ごうとボタンをはずし露わになる胸元だとか、瑞々しい肌に伝う水滴だとか、艶めかしい光景、煽情的な空間がそこにはあったのだから。

 

 

「「「「「死ねぇ、邪神(ヘルメス)!!!」」」」」

 

「ゴボォッ!?」

 

都合、10人の乙女達による連携攻撃に旅人の神は三途の川に旅立ちかけた。いやぁ良いモノを見せてもらったと思わないでもないが、やっぱり『チラ』というフェチズムは最高だぜ! と思わないでもないが、まさかこの俺に『ラッキースケベ』の機会がやってくるなんて思いもしなかったと思わないでもないが、偶然とはいえこの短い時間の出来事は、ヘルメスを満身創痍に陥らせるには十分すぎた。ボッコボコのメッタメタのけちょんけちょんだ。心なしか、邪神判定されたことだけが唯一悲しいと彼は心の中で涙する。

 

「ま、まあ、俺のことは良いんだ……」

 

「そう? なら、いいのだけれど」

 

(――ああ、今日もお美しい)

 

アストレアは普段から来ている衣装ではなく、似たような色合い『白』のオフショルダー・ワンピースだ。胸元は隠されてしまってはいるが、両肩、鎖骨を露出している。ヘルメスは濡れ透けアストレアを摂取できず残念に思うが、あまり見ないアストレアの格好に心の中で両手を合わせて感謝した。これはこれでアリ、と。

 

「ヘルメス」

 

「っと、すまない。すこしぼぉーっとしてしまっていた! だって貴方はいつだって美しいからね。いやぁベル君が羨ましい!」

 

「ヘルメス、用があって来たのでしょう? アリーゼ達が湯浴みをしている間に済ませた方がいいと思うのだけれど」

 

「そ、それもそうか………よし、アストレア。 悪いニュースを貴方に届けに来た」

 

ヘルメスはピアノから離れ、長椅子(ソファ)に腰かけ、被っていた旅行帽を傍に置いた。良いニュースはないのね、と溜息をついたアストレアはヘルメスが自分の下に来たということは多少なりとも自分の派閥に関係があるということなのだろうと、これまた溜息を付いた。

 

「聞かせてもらえるかしら?」

 

「よし、それじゃあ、さっそく―――」

 

ヘルメスは深く頭を下げて「ごめん」と言った。キョトンとするアストレアに構わず、続ける。

 

「数日のうちに不穏分子(イシュタル)が、やらかす。まさか彼女、ここまで用意周到だとは思わなかった」

 

「そう」

 

「満月。満月の夜に、彼女はある儀式を実行する。何を手に入れるのかまではわからないが、イシュタルはそれを行った後、フレイヤ様を襲撃する」

 

「……」

 

「そうなれば」

 

「そうなれば、フレイヤの眷族は別として無関係の者達にも被害が及ぶでしょうね。ペナルティを課せられることも良しとした戦争の吹っ掛け……そういうことでしょう? 彼女、フレイヤを目の仇にしていたし」

 

「少なくとも彼女は、フレイヤ様に勝てると確信している。その(すべ)があるんだろう」

 

「『儀式』というのは?」

 

「…………」

 

「ヘルメス?」

 

黙りこくったヘルメスを訝し気に見つめるはアストレア。だらだらと汗を流し、何とか笑顔を作り出すヘルメスはしかし、次に名を呼ばれた時には土下座していた。

 

「『殺生石』という道具(アイテム)を俺はイシュタルの依頼で運んだ。が、彼女、そもそも『殺生石』を既に1つ、持っていたんだ! 儀式用の道具(アイテム)だ!」

 

「つまり?」

 

「俺が彼女の依頼を完了させたせいで、1人の少女が犠牲になる! 抗争が始まる! イシュタルの眷族は女戦士(アマゾネス)が多くいる! 俺の派閥じゃあ、対処できない!」

 

「だから私に、私達に、何とかしてほしい……そういうこと?」

 

「……………ぅん」

 

「可愛く言っても、可愛くないわよ?」

 

深い溜息が吐き出される。痛む頭を押さえる。この男神、厄介事まで運んでくるなんて恐れ入るわ。そんなことさえ思ってしまう。都市が抗争に巻き込まれるのは御免こうむるが、それはフレイヤ本神(ほんにん)に伝えればいいだけではないのかとそう思って、また溜息。

 

(伝えられないから、私の所に来たのでしょうね)

 

フレイヤに伝えたところで、「ふーん」で終わるのだろう。そんな気がする。仮に彼女が動いたとして、先手必勝とばかりに歓楽街が火の海になる……そんな光景が思い浮かべられてしまう。どうしてこう、穏便にできないのかアストレアはやっぱり溜息を付いた。

 

「それで……『殺生石』というのは?」

 

狐人(ルナール)の魂を封じ込めることで、その狐人(ルナール)の妖術が使えるようになる魔剣にも劣らない道具(アイテム)だ。そして、『殺生石』というのは欠片であっても効果を発揮する。詠唱すら……必要ない」

 

「………じゃあイシュタルは、既にその狐人(ルナール)の妖術を行使できる道具(アイテム)を準備しているということ?」

 

「いや、さっき言った通り『儀式』が必要なんだ。魂を封じ込めるためのね。だから、今イシュタルの手元にある『殺生石』には空っぽの状態だ」

 

よりにもよって狐人(ルナール)なの?とアストレアは嫌な予感めいたものを感じた。ベルが最近、会いに行っている娼婦も確か狐人(ルナール)だと聞いた。今は眠ってしまっているベルから詳しい事情は聞いてはいないが、()()()()()()のだろうとは思う。

 

「魂を封じ込めるための儀式……ということは、その後はどうなってしまうの?」

 

「貴方も予想くらいはつくだろう? 生贄の少女は――――」

 

 

×   ×   ×

都市、南東

 

 

雨は依然、降り続けていた。

出店など流石にできるはずもなく、店じまい。普段は喧騒に満ち溢れている都市は人々の声の代わりに雨音だけが響き渡る。大通りを1人歩くのは、雨具を羽織ったベルだ。

 

 

「嘘だ」

 

 

眠りから覚めはベルは、すぐ近くにアストレアがいないことに気付き神室を出た。頭はぼんやりとしていて足取りはふら付き、身体はどこか重たく、寒気がする。心細くて女神を求めて廊下を歩き、そして団欒室の前で良く知る優男風の男神の声と女神の声が微かに聞こえた。

 

 

「生贄」

 

「魂を封じられた」

 

狐人(ルナール)

 

「死ぬ」

 

扉越しで、途切れ途切れではあったがベルが本拠を飛び出すには十分な言葉(ワード)だった。もやもやとした吐き気にも似たものを胸に渦巻かせ、碌に働かない頭で歓楽街へと足を進めていた。噤んだ口元は歯を食い縛っているせいで震えて、嫌な光景だけがベルの頭を痛めつけていた。

 

「嘘だ」

 

ベルが小さい頃に、アルフィアは死んだ。

何もしてあげられなかった。

 

「嘘、だ」

 

アルテミスは死んだ、ベルではないベルの手で、抹殺された。

ベルは『過酷(げんじつ)』から逃げた。

 

「…嘘、だ」

 

狐人(ルナール)の娘は死ぬ。

ベルが何もしなくても、あの優しい少女は死ぬ。

魂を抜かれ砕かれ、生きていたとしてもただの赤子同然の人形か廃人になる。

実質、死ぬことに変わりない。

 

頭がぼんやりする、冷えた身体はふら付いて、真っ直ぐ歩けているのかも怪しい。それでも足が止まらなかったのは、()()()()()()()()()()()と思ったからだ。彼女ではない別の狐人(ルナール)がひょっとすればいたのかもしれない。ばちゃばちゃと水を踏んで、辿り着くのは遊郭。降りそそぐ雨風に晒され、熱い吐息を吐いて、暖簾(のれん)をくぐろうか、ここまで来ておいて躊躇う。前に来た時は「会いたくない」と門前払いを喰らった。なのに会ってくれるのだろうか? そう思うと足が竦んで動けなくなった。

 

「―――――」

 

「そんなところに突っ立って、何をしている、ベル・クラネル?」

 

「…………【麗傑(アンティアネイラ)】?」

 

「お前……、いや、いい……それで? 何をしに来たんだい? 歓楽街(ここ)に来たってことは、まさか女と楽しくお話しに来たわけじゃあ、ないだろうね?」

 

ベルの後ろには、アイシャがいた。

いつものアマゾネスらしい薄着の彼女はその肢体が濡れているのも気にもとめず、腰に手を当てベルのことをじっと見ていた。

 

「会わせて、ください」

 

「…………」

 

「春姫、さんに……会わせて、ください」

 

たどたどしく述べられた文言に、アイシャは黙る。肌に張り付く髪が、互いの視線を遮る。沈黙、雨音、そしてアイシャはベルの求めを斬り捨てた。

 

「ダメだね」

 

「――――」

 

「春姫はもう、坊やには会わない。当然だろう? 自分を抱きもしない男を、どうして迎え入れるっていうんだ」

 

冷たい雨が2人を殴りつける。

長い髪、顔の半分が隠れているアイシャは左の目で冷たく、ベルを見つめていた。金は落としてくれる、唯一の常客と言ってもいい。でも、一度だって抱きやしない。女の悦びを与えてくれない男。そんなの一緒にいるだけで苦痛だと言外にそう告げていた。何も言い返せないベルなんて気にもとめずアイシャはそのまま腕を伸ばしベルに指さして言うのだ。

 

「坊や、春姫はね……坊やに惚れているんだよ」

 

「――――ぇ」

 

 

 

×   ×   ×

星屑の庭

 

 

狐人(ルナール)の遺体を素材に造られた禁断の道具(アイテム)……」

 

『殺生石』という道具(アイテム)がどういったものか、その素材を記された羊皮紙を眺めていたアリーゼを始めとした正義の戦乙女達は次にはジロリ、と床で正座し青ざめている厄介事を持ち込む神(くそったれ)をゴミを見るような眼差しを向けた。ヘルメスは辛うじて「や、やはは」と笑ってみせるが失敗する。アストレアと話をしていた数分後、湯浴みを終えた【アストレア・ファミリア】の女性陣は団欒室に姿を現し、遅れて話の内容を聞いたのだ。それと入れ替わるようにアストレアは一度、神室へとベルの様子を見に行っていた。何せ、昨日はベルが泣いてしまった後、冷えた身体を湯で温めてやろうにも眠ってしまっていて後回し。せめてベッドだけはとなるべく温かくしていたが、風邪を引かないとは限らない。もし起きているのなら、シャワーくらいは浴びせようと考えての退室だった。

 

「不穏分子って言われてもわからないでもないけど……」

 

「主神としての仕事はしてるらしいし……」

 

「怪しい! 逮捕しちゃう! とはいかないし」

 

「そんなことしたら、こっちが不利だろ」

 

「過去に実力を偽ってるとかって複数の派閥から訴えられてたもんねえ」

 

「だ、だろう!? イシュタルから目を離すのは危険だろう!? ぜぇーったい、よくないこと企んでるんだぁ!? だから俺は、君達に都市がやばいって伝えに来たんだ!!」

 

「「「「レベル云々については、貴方(ヘルメス様)も同じですよね?」」」」

 

「はぅっ!?」

 

「「「「都市がやばいのは、足元に闇派閥の住処がある時点でわかりきってますし」」」」

 

「くふぅっ!?」

 

「「「「【ヘルメス・ファミリア(俺の派閥)】は何もしてやれないから【アストレア・ファミリア(きみたち)】に任せるぜ!って感じがして気に入らないんですよね」」」」

 

「がはっ!?」

 

「………アンドロメダが言いに来たのなら、まだ良かったのですが」

 

「げほぉっ!?」

 

ヘルメス様がくると「ああ、またなんか面倒事か」ってなるんですよねーと言ってくる見目麗しい乙女達―風呂上りスタイル―にやいのやいの言われ、これまたヘルメスは満身創痍。そして『殺生石』という道具(アイテム)をイシュタルに届けておいてどの口が言うんだという眼差しで、トドメの二言(ラッシュ)

 

「「「「「遺体を素材にするとか、(ひと)の心、ないんか?」」」」」

 

「ごめん、ほんっとうにごめん!! でも俺は運んだだけなんだ!!」

 

「「「「「結果、抗争起きるんなら貴方が原因って言われても仕方ないでしょ」」」」」

 

「ごもっともだぁ!?」

 

完全敗北。

ヘルメスは天を仰いだ。

星の戦乙女達は溜息をついた。ただでさえ弟がずぶ濡れで帰ってきて泣いていたと主神から聞いたのだ、そっちの方が心配である。余計な案件を持ってくるんじゃないと思ってしまうのは致し方のないことだった。

 

「そういや輝夜はどうした?」

 

「【絶†影】と出かけてる。調べたいことがあるって言ってたけど」

 

「あー……あいつのことだから、何か察してた感じか」

 

「最近の輝夜は様子がおかしい。どこかこう、思いつめているというか」

 

「あらリオン、輝夜のことが心配なの?」

 

「べ、別に私はっ……! ただ、こう、【ファミリア】の空気が悪くなるというか」

 

「はいはいツンデレごちそうさん」

 

「ラ、ライラ! 揶揄わないで欲しい!」

 

ライラから始まり、ノイン、ネーゼと来てリューが口を開き、アリーゼとライラに揶揄われる。いつもの【アストレア・ファミリア】のやり取りではあるが、今はただただ嵐の前の静けさを誤魔化すかのようですらあった。そこへ、アストレアが慌ただしく戻ってくる。どうしたのかと振り向く眷族達へと女神は言った。

 

 

「貴方達、ベルを見ていない!? 部屋にいないの」

 

「「「「「なんですって??」」」」」

 

「濡れて帰ってきて、泣き疲れて眠っちゃって、お風呂に入れてあげれてないし……ひょっとして入っているんじゃないかと思ったのだけれど、そういうわけでもないし……とにかく、見ていない?」

 

互いに互いを見合っては、そもそも皆で一緒に湯浴みをしていた彼女達。ベルの姿など、見ていない。いやな汗が頬を伝い、「まさか」と誰もが外を見た。

 

「いやいや」

 

「いやいやいや」

 

「いやいやいやいや!」

 

「……私達がお風呂に入っている間が可能性、高いですよね」

 

「ということは、アストレア様とヘルメス様がお話されているのを聞いて……?」

 

「「「…………」」」

 

「アタシは嫌だからな! せっかく風呂に入ったのにまた濡れに行くなんて!」

 

「言ってる場合か!?」

 

「あの子、大丈夫なの!? 女の子に泣かされて帰ってきたんでしょう!?」

 

「……【剣姫】以外にあの子を泣かす女の子がいたってこと?」

 

「イスカにアスタ、私達は事情を碌に知らない。勝手に決めつけるのは早計だ」

 

慌ただしく、アリーゼ達が「せっかく温まったのにぃー!」と愚痴を零しながら身支度をしに部屋に戻っていく。ベルを探しにいくつもりなのだろう。団欒室に残ったアストレアとヘルメスは、そんな彼女達の後ろ姿を見送って視線を交わらせた。

 

「ねえ、ヘルメス」

 

「なんだい、アストレア」

 

「まさかとは思うけれど……()()()?」

 

「待て待て待て!? 違う、断じて! 狙っていない! ベル君が盗み聞きするなんて想定してない! 誓う! 貴方に誓う! だから立てかけてある剣を取りに行こうとするのを止めるんだァ!?」

 

眷族達が「ちょっと行ってきます!」と言って出かけていく。それに続くようにヘルメスも退散する。アストレアは1人不安を胸に窓辺から空を見上げた。そして、それからしばらくして世界が()()()()()()

 

 

×   ×   ×

女主の神娼殿(ベーレト・バビリ) 資料室。

 

 

「どうだ、(みこと)

 

「お、お待ちください……!」

 

2人の女は、他派閥の資料室に忍び込んでいた。

不穏分子(イシュタル・ファミリア)の秘密、弱み、何でもいい、とにかく証拠になりそうなものを手に入れるために。春姫をこの派閥から抜け出させるための鍵になるのであれば、と輝夜は(みこと)に付きあい、見張りを搔い潜って侵入をしていたのだ。彼女達を囲むのは、いくつもの本棚。収められている蔵書の量に、書庫というよりは資料室という言葉がしっくりくる。薄暗い部屋には紙と木の香りが漂っていた。気配を殺し、Lv.4の輝夜が(みこと)よりも強化された五感から近づく者がいないか警戒し、(みこと)は慎重に本棚の迷路を進む。

 

「なぜ、三条家の娘が娼婦に落ちたのか」

 

「なぜ、【イシュタル・ファミリア】は実力を偽っていると言われているのか」

 

「恐らくこの2点は繋がっている。そして狐人(ルナール)という希少種族は、魔法種族(マジックユーザー)ではあるが、『妖術』と称される。稀有な魔法を持っているということだ」

 

「春姫殿に……何かが、あると?」

 

「恐らくは。そして、狐人(ルナール)において無視できない道具(アイテム)も存在する」

 

ひっそりと会話を続けながら、輝夜の言葉に重なるように(みこと)は机に上に無造作に投げ出された、羊皮紙と巻物の束から、多くの者が読みこんだ形跡のある1枚の羊皮紙を手に取った。

 

「………殺生石の儀式に付いて」

 

「石を砕いてこそ『殺生石』は本領を発揮する。万人に狐人(ルナール)の魔法を分け与え、石の恩恵を受け『妖術』と呼ばれる稀有な魔法を繰り出す軍団が出来上がる。『妖術』の効果にもよるが、その力は限りなく絶大無比。つまり効果は正式魔法(オリジナル)と変わらないどころか、()()()()()()()()()

 

目を通す(みこと)に届いているかはわからない。わからないが、輝夜は自分の知識(きおく)を掘り起こしながら恐らくは羊皮紙に記されていることと変わらないことを述べた。そして、納得したように諦観の溜息を零した。

 

「そもそも、身請けなど不可能だったというオチだ」

 

「―――馬鹿なっ!?」

 

喉が張り裂けんばかりの(みこと)の声。

敵の陣中だということも忘れ、震える手で羊皮紙を握り締める彼女を、輝夜は責めはしない。春姫の魂が『殺生石』に封じ込められる――魂の抜け殻となる。ほぼ死と同義であるその事実は、平静を奪うに事足りた。

 

「こんな、こんなことが許されていいのですか!? イシュタル様は何を!?」

 

頭の中で様々な疑問と叫喚が弾けては絡み合う。動揺に支配される後輩(みこと)は、その場から脇目もふらず走り出す。ともすれば当然、「侵入者だ!」とアマゾネス達の声々が轟き渡る。一つ遅れて、輝夜が部屋を出る。そして、まるで見計らったかのように部屋を出たすぐ横から男神の声。

 

 

 

「―――お前、サクヤヒメの元眷族か」

 

「―――――!」

 

「利用させてもらうよ、お前の『未練』」

 

 

(みこと)が遠ざかっていく。

輝夜は男神から目が離せない。

思い出したくもない記憶が、女神の顔が、引きずり出されていく。何より、目の前にいる男神を輝夜は知っている。忘れるはずもない、だって、彼は、その神は。

 

「悪神……エレボスッッ!」

 

「7年前より、少しはマシな『正義』を見つけられたか?」

 

「ッ!」

 

「そう頭に血を昇らせるな、だから自分が()()()()()()ことに気付けない」

 

「――――――」

 

冷たい瞳はそのままに、口元だけが微笑んで、エレボスは輝夜にわかるように左の人差し指で下を指す。輝夜の瞳がゆっくりと指の指す方へと向かうと輝夜はぐらりと身体を崩した。彼女の腹には凶刃が納められていたからだ。男神の右手には銀色から鮮血に染まった短剣が。輝夜が飛び出し、声をかけた一瞬で動揺させたその時に突き刺したものだった。

 

「いつの時代も、女の腹にイチモツを入れるのは男だ。7年前に言ったはずだぞ極東美人(ヒューマン)。男など漏れなく獣で、倒錯している。生娘である間に覚えておけと。どうだ、挿入られた気分は」

 

出血の元を押さえ、膝を付く彼女の顎に指を添え顔を近づけ囁くエレボスは輝夜の思考を許可しない。仮にも輝夜はLv.4。神がいたことに気付けなかった不覚はある。不覚はあるが、7年前、神獣の触手(デルピュネ)と戦い消耗した彼女達の前から逃げおおせた神なのだ、何か認識阻害系の魔道具があってもおかしくはない。なにより、この負傷は耐えられる。ただ、かき乱されたのは心であり、古傷だっただけだ。

 

 

「痛いのは最初だけだ、娘」

 

 

 

 

×   ×   ×

遊郭、外

 

 

「―――間違ってる! それは、その気持ちは、貴方の口から出て良いものじゃない!」

 

「意気地なしの春姫の代わりに言ってやったんだ、知れてよかっただろう? 抱く気になったかい?」

 

「………こ、のっォ!」

 

激しい剣戟の音が鳴り響いていた。

剣と大朴刀がぶつかり、空気を切り裂き、石畳を破砕し、雨粒が吹き飛ばされる。娼婦達と彼女達がもてなしている男達は何事かと障子の隙間から外の景色を窺っては、身の危険を感じ奥へ奥へと逃げていく。そしてそんな遊郭の中を複数のアマゾネス達がぞろぞろと歩いていた。

 

「春姫、準備しな」

 

そんな指令が出され、戸惑う彼女に追加で命令。

 

この部屋から出るんじゃないよぉ(この部屋から一歩も外に出るな)……!」

 

「―――ッ!?」

 

巨女の脅迫する声。

心の中の父の怒声が重なって、少女の身体を硬直させる。何もできない春姫は、最早自らの意思で立ち上がる少女ではなく、命じられなくては何もできない道具と同義だ。それは幼い頃の心傷なのだろうが、消えることなく残り続け、少女を支配していた。そして巨女に命じられるまま、妖術(うた)を歌うのだ。

 

 

「大きくなれ――」

 

 

遊郭の一室で黄金色の光が舞い踊る。

それを瞳に映したアイシャは、「余計なことを」と舌を打つ。そして斬りかかってくるベルの剣を持つ右腕を掴むと左足を軸に一回転、投げ飛ばした。

 

「―――がっ!?」

 

「坊や、本当にミノタウロスを倒したベル・クラネルかい? 動きが鈍すぎる。いくらレベル差があっても、私の知っているベル・クラネルは今の坊やのような無様は犯さないよ」

 

アイシャは気づいていた。

ベルの身体が明らかに不調を来しているのを。重心は安定していない、足取りはおぼつかない、呼吸は荒い、顔色も悪い。

 

「体は資本だ、体調管理は冒険者の基本だろう!! お前はいったい、何をやっている! ベル・クラネル!」

 

「ギッ!?」

 

大朴刀が上空に投げ上げたアイシャが今度はベルの胸倉を掴むとその拳を振るい、額をぶつけた。そして回転して落ちてきた大朴刀を掴み取り、腹に峰を叩きつけスイング。

 

(こいつ………風邪か?)

 

冒険者は『恩恵』を得て一般人よりも超越した身体能力を得る。かと言って、病にかからない無敵の身体になるわけじゃあない。体調を崩せば風邪を引いて、熱を出すことだってある。それをアイシャは感じ取っていた。瓦礫に埋もれ、身体を揺らしながら起き上がったベルはそれでもアイシャを睨んでいた。

 

「春姫さんに、会わせてくだ、さいっ!」

 

「だから、ダメだって……言っているだろう! 会ってどうする!? 抱くのか!? 抱かないんだろう!? ここは歓楽街、娼館だ! 女の身体を貪りに来たわけじゃないんなら……」

 

「身請け、します……だから……ッ!」

 

「しつこい!」

 

両肩を掴み、真横の建物の壁面に叩きつける。

背骨に走る衝撃に呼吸が止まる中、アイシャはベルを壁に押し付けたまま、()()()()()

 

「う、ぁあああああああああああああああああ!?」

 

絶え間ない視界の震動と焼けるような痛みが背中を走り抜ける。建物の壁を削りながらアイシャは爆走する。踏ん張れない、振りほどけない、抗えない。出鱈目なその戦法から、肩に食い込むその五指から、人1人を壁に押し付け疾走するその怪力から、ベルは一方的に蹂躙される。そして、黄金色の金光はアイシャの身を包み込んだ。

 

「チッ……あのクソ蛙……ッ!」

 

その光を望んでいなかったのか、アイシャは瞳を血走らせ怒りを隠そうともしない。ようやく地面に叩きつけられ解放されたベルはチカチカする視界で金光を纏うアイシャを見て、そして()()()()()()()()()()()()()()彼女に叩きのめされた。

 

「ぐ、が、ぁああああああああああああああ!?」

 

「終わりだ、【アストレア・ファミリア】。 私達の本拠にネズミが入り込んだらしい。極東の女だ、お前の身内だ。他派閥の事情に首を突っ込もうとすれば、不届きを働けばどうなるかくらいお前の姉貴分に教えられているはずだろう? 知らなかったじゃすまないよ」

 

「ガホッ、ゲホッ……」

 

もう動けなくなったベルの手から剣が滑り落ちる。

馬乗りになったアイシャが両手で胸倉を掴み無理矢理状態を起こさせる。顔を近づけ、鼻と鼻がくっつきそうなほどの距離で彼女は続ける。

 

「冥土の土産に教えてやる。これが春姫の『妖術(ちから)』、レベルブーストだ」

 

「!」

 

「身請けなんてそもそも、()()()()のさ。させてもらえたとしても、坊やに渡されるのは人形になった春姫だけだ」

 

「―――」

 

「春姫は死ぬんだよ、魂を抜かれて、バラバラに砕かれて、そして死ぬ」

 

見開かれる瞳。

伝う雨は、涙の代わり。

ベルは理解してしまった。彼女が何もかも諦めたような顔をしていたのは、()()()()()()なんだということを。だから、身体から力は抜け、戦意すら喪失させた。俯くそんなベルを見て、またアイシャは舌を打つ。

 

「私は、救う。救ってみせる……誰もあの馬鹿を救わないんなら、私が……何としてでも……!」

 

そんな呟きは誰の耳にも届かない。

 

「アイシャ、もういい。それ以上はやめろ」

 

「――――イシュタル、様」

 

それは予想してなかったことなのだろう。

イシュタルが本拠の外にわざわざでてくるなんて、と驚くアイシャにイシュタルは口元を笑みに歪める。

 

「慈悲だ、小僧」

 

「?」

 

「お前の平穏は約束してやる。このまま、立ち去れ。全て忘れろ。何、追いかける女の尻なんてもう足りているだろう?」

 

女神の肢体が濡れるのを外套だけが守る。

 

「ネズミのことは気にするな、よくあることだろう? 派閥の内部情報を盗もうとした賊に罰を下すだけだ」

 

「…………」

 

「【ゼウス】と【ヘラ】の末裔が、娼婦1人のために駆けずるな、世界のために働け。そうでないのなら平穏を享受していろ鬱陶しい。何者になることも避けているお前が一番、格好が悪い。お前は何者だ?」

 

「…………」

 

「私はただ()()()()()()()使()()()フレイヤに勝ちに行くだけだ。正義如きが邪魔をするな」

 

「…………」

 

見下ろし、そして神の視点から未熟者に言葉を叩きつける。何も言い返せないでいると、イシュタルは今度は微笑んだ。微笑んで、ベルを褒めた。

 

「身請けしたいと思えるほど、あいつを気に入ってくれて感謝するぞ、ベル・クラネル。春姫は恵まれている。両親の愛、兄妹の存在。そのどれもを得ることはなく、生まれが良いがために裕福な衣食住、片手で数え切れるほどの住む環境の違う友人、私の派閥に加わってからは羽を羽ばたかせ世を飛ぶ動物に男女がくっついて歩く景色を眺めているだけで満足だった春姫には……他人の幸福を願えるだけの良心だけが残っていた」

 

光の消えた遊郭の一室で春姫は泣いていた。泣きながら、笑っていた。それに気づいたのは背後に立つアマゾネス達だけ。だけど、少女の気持ちなんて、他人の幸福を祝える少女の気持ちなんて、彼女達には理解できない。彼女達は、種族柄そもそもの考え方が違うからだ。

 

「春姫は心に傷を負っている。だからこそ『愛』が分からない。春姫を産んだ母はすぐに死に、世継ぎが生まれる機会は失われた。父は伴侶を殺して生まれた春姫を疎んだ。孤児院に食べきれない食料を分け与えて欲しいと我儘を聞いてもらったが、春姫が父の目を盗み屋敷を抜け出し遊んだ結果、父の怒りを買い支援は打ち切られた。屋敷の一室から一歩も外に出るなとまで言われ、挙句の果てには神に捧げる神饌を食べたなどと真偽を確かめもせず、勘当した。そして今の春姫が出来上がった」

 

今の春姫には常に父の影が潜んでいる。いもしない父親に、聞こえもしない怒声に怯え、まるでモンスターに出くわしたように動けなくなる。臆病者の春姫のことを理解してやれるアマゾネスなんて、いないのだ。イシュタルは春姫のいるだろう場所に目を向け微笑みながら、語り続けた。

 

「愛してほしかった父には愛されず、抱きしめてくれるべき母親は顔すらわからない。友人の行く末は分からず仕舞いとなり、意見も聞いてもらえず売り払われたあの娘に、最早、正気など持ち合わせてはいない。男達から向けられる『憐憫』と『獣欲』を『理性』と『悲鳴』で必死に塗りつぶしてきたあの娘に、意志を練る力など残ってはいない。……疲れるんだよ、そういうのは」

 

「………っ」

 

「生娘であることだけが唯一、春姫の価値だと盗賊たちは思った。だから私は春姫を買い取った。安い買い物だった。春姫には『力』があったのに、盗賊たちは気づきもしなかった。どうしたらいいのかもわからない娘に生きる意味を与えるには、いっそ女の悦びを与えるのが手っ取り早かった」

 

父に対する恐怖を、友に対する後悔を、生まれたことに対する苦悩を、イシュタルは女としての悦びを与えることで一時忘却させた。ただ彼女の貞操観念が、受け入れなかっただけ。

 

「お前の優しさは、ただ辛かっただけの春姫の生に、幸福に溢れた正しい世界があると証明したのだよ」

 

春姫を抱いて跳んだ夜。

彼女の瞳に映るのは魔石灯の光の数々、だけではない。道行く男と女。笑い合う2人。頬を染める娘にいやらし顔を隠しきれない男。手を握り、或いは肩を抱いて、腕を組んで、そうしてどこかへと消えていく男女の姿。そこには、例え金の力があろうとも『幸せ』があったのだ。そして何より、ベルと共に語らった英雄譚の数々。同じ趣味を持つ相手に出会えたことは春姫にとって救いですらあった。

 

「【ファミリア】の掟は絶対だ。簡単に抜けられるものじゃあない」

 

「だから、身請けを……!」

 

「要らん、金を積まれたところでアレは価値を見出した私の物だ。フレイヤを潰せばそれだけで手に入る私財は莫大だ」

 

「…………」

 

「イシュタル様」

 

「タンムズ……ネズミは捕らえたか」

 

「はい」

 

「――――――ぁ」

 

姿を現したタンムズと呼ばれる青年は、右腕に少女を抱いていた。意識は奪われ身体は弛緩している。ベルの良く知る少女だった。春姫を助けたいと言っていた女の子だった。

 

「資料室から飛び出したところを発見したようです。恐らく、『殺生石』のことも知られました」

 

「構わん、お前(Lv.4)に捕まる時点で、何ができるでもなし」

 

「【大和竜胆】はどうされますか?」

 

「……………」

 

「儀式の邪魔ができないようにしておけ。さて、ベル・クラネル……もう帰ってもいいぞ。アストレアの元に戻って慰めてもらうといい。【大和竜胆】もその内帰してやる、だから帰れ。1人の娼婦に必死になるな。お前は()()()()()()んだから」

 

ベルの前に(みこと)が差し出すように置かれ、イシュタルは「お前に用はない」とばかりに退却を促した。痛む体、痛む頭、歯を食い縛って少女を腕に抱いて女神を見上げる。彼女は雨に晒されていようとも、美しかった。そしてベルをこのまま捕らえるのではなく逃がすこと自体は最後の慈悲であると女神の目が語っていた。

 

 

(春姫さんは、死ぬ……だから、諦めてて……僕は……ぼく、は……)

 

『後悔しないように強くなりたいです』

 

嘘じゃない。

その気持ちは、嘘じゃないはずだった。

けれど、そもそもの話。

ベルはアルテミスの一件から立ち直れたわけじゃない。死にたくないし、傷つきたくない。人間としての大前提がベルの歩みを止めていた。

 

「【雨の音、風の音――】」

 

 

×   ×   ×

???

 

 

呼吸をしたい、心臓を動かしたい、酸素を取り込んで二酸化炭素を吐き出したい。そう望むことは、そうあれと願うことは決して『悪』ではない。ならば、そのために、何かを裏切ることは、悪なのか、逃げる事は、悪なのか。きっと何も、悪くはないのだ。立ち向かうことは難しいことで、傷つくことは何より恐ろしいことだから。それから遠ざかろうとすることは、生命体として正しい行いだ。

 

 

「【傷を癒し、飢えを凌げ、この身を戒めるものは何もない】」

 

 

魔力の揺らぎを感じられる。

大気が震える。

魔法陣が展開され、たどたどしくも詠唱が行われ紡がれていく。

 

「少年、死にゆく『誰か』のために、お前は何を差し出せる?」

 

窓辺から覗き込むように、その光を目にしながら男神は呟いた。

極東美人(ヒューマン)は既にいない。傷を抑えて後輩を、来ているなんて思っていなかった弟分の身を守ろうと()()()()()()()走り出したのだ。

 

「このまま、なあなあで―――」

 

うまくやっていけると思ったのか?

自分が何者かもわからないのに?

お前達は弱いままの自分であれば、彼ら彼女らと共にいても良いはずだと思ったか?

 

「なんとも、愚かな『夢』だ」

 

今までお前達が死ななかったのは、お前達の戦いが善きものだったからじゃない。運が良かっただけだ。

 

「『愛』とは何か、『未練(きず)』は癒せるか、お前は『何者』か、ここからが正真正銘、『試練』だ」

 

火種は撒いた。

塞がっていたはずの女の傷はひっかいておいた。

自らを好いた女との絆も踏み躙っておいた。

友の無力さを見せつけてやった。

圧倒的な力の差というものを教えさせてやった。

女神の贋作を見つけ出し、美神(ほんもの)を焚きつけてやった。

フレイヤさえ消えれば満足すると思うか? いいや、思わない。美神のプライドはそんなに安くない。

 

何も知らない者に対して、真実を隠していれば信頼関係は築くこと自体は簡単だ。

だがそれは一時のもの。大きくなればなるほど、崩れた時の痛みは大きい。まさにそれが、今だ。

 

「だから、さぁ――――」

 

 

 

絶望(逃亡)していいぞ。

 

 

 

×   ×   ×

遊郭、外

 

 

走る、走る、走る。

水を吸った着物が重い。

張り付く黒髪が鬱陶しい。

血は止まることを知らず、かと言って自分よりも傷を負っているかもしれない未熟者達(ベルと命)のために回復薬を使うわけにもいかない。

 

『輝夜、私はいつか貴方を救いたい。五条とそれにまつわる因縁を、断ち切りたい』

 

「黙れ」

 

耳朶を震わせるのは、色褪せたはずの古い記憶。

自分の胸の内で燻ぶる火を消す旅をしていたはずなのに、呆気なく簡単に掘り返されて冷静に思考することすらままならない。

 

『泣きながら人を斬り、夜の闇に去って行く貴方の後ろ姿を、私は一度だって忘れていない』

 

「うるさいっ」

 

男神は言った。

輝夜の正義は『未練』なのだと。

現実に手酷く裏切られた子供が、それでも手放せないでいる幻想なのだと。

逃げて姿を眩ませた男神。

男神の口から出た女神の名。

たったそれだけで、輝夜の古傷は開いてしまった。

 

『正義を志す者が、過程の中で擦り切れ、最後には犠牲となるなんて、違う筈だ』

 

「やかましいっ!」

 

大人になった。

大人になった、はずなのだ。

歳は20を超えた。

背も僅かではあるが伸びた方。

体重は些か気に入らないが、増えているだろう。

胸も昔よりも膨らんで、大人の女らしい男好きのする体付きになった。

昔よりも、視野が広がり考えられることが変わった筈だ。

なら、きっと、大人になったはずなのだ。

なのにどうして、戦う力もないくせに真面目で、高潔な、過去に輝夜自身が()()()()()()()の言葉がこんなにも消えてくれないのか。

 

 

「遅かったな、サクヤヒメ」

 

「っっ!!」

 

輝夜の足音に気付いた女神が、眷族達が振り返り目を向けてくる。魔法を完成させたベルが傷ついた身体を癒しながら立ち上がろうとする。彼の腕の中には、意識のない(みこと)がいた。それを見ると、どうしてだか胸がチクリと痛んだ。ベルは輝夜の存在に気がつくと、輝夜の身体を頭から下へと一瞥して、そして彼女が押さえている腹から命の雫が滴っているのを認めて、激昂し、吠えて、女神に飛び掛かった。

 

「やれ――――【シタ】」

 

けれど無駄。

女神に兎の牙など届かない。

女神の庭で跳ぶ不快な兎を()()()()()()()()()()()が華奢な身体を打ち砕き吹き飛ばす。その一瞬の攻防にも満たない光景に、輝夜もまた居合刀を抜き、そして―――。

 

 

「頭を垂れなさい」

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()

()()()()()()()()()()()()()()()

金色の瞳が光を帯び、女神の声が『金の鎖』となって、()()()()()()

 

 

遊郭にいる娼婦も、女を抱いている男も、眷族であれ何であれ、正気の者も、意識を絶った者も、あらゆる『魂』が蹂躙される。それは『魅了』。美の女神の権能のひとつ。

 

「―――――」

 

輝夜の足は完全に停止していた。

目尻から涙を零し、歯を食い縛っている彼女の瞳は金の輪郭を帯び、意識を奪われた。周囲にいた眷族達でさえそれは例外ではない。例外がいるとすれば、それは吹き飛ばされてなお身体を引きずって戻ってこようとするベルだった。

 

()()()()()()()()()()お前は」

 

「ふーっ、……ふーっ、げほっ、がほっ」

 

「お前はフレイヤと親しかったからな……まさかとは思ったが」

 

「な、にを………!?」

 

 

―――勝利要求(わたしのじゃまをするな)

 

 

「小僧、選ばせてやる。逃げようとしなかったお前に選択肢だ」

 

1つ、『姉』と共に立ち去れ。

1つ、『友』と共に立ち去れ。

1つ、『娼婦』と共に立ち去れ。

 

「どれか1つだ、選べ。姉と友を諦めそれでもなお娼婦を選ぶのなら、私も『愛』を司る女神の端くれ、2人の門出を祝うくらいはしてやろう」

 

「―――――」

 

呼吸が浅い。

動悸が激しい。

目の前にいる女神が、怖い。

選べない。

選べるわけがない。

 

「に……げ、ろ……」

 

「――輝夜、さん?」

 

「ほう、自分の傷口に指を突っ込んで痛みで抗ったか、辛うじてではあるが。だがお前、勘違いをしていないか? 私はフレイヤこそ目の仇にしているが、そもそもの話、()()()()()()()()()。他に美の女神などいてたまるか」

 

イシュタルは輝夜へと歩み寄る。

嫌な感覚が2人の肌を気持ち悪く撫でる。

顎に指を添えられ、頬を撫でられ、背中に回された腕が輝夜の背から尻へと這っていく。不快感から逃れようと呻き喘ぐ輝夜に、イシュタルはトドメを刺した。

 

「私はただ()()()()()()()使()()()フレイヤに勝ちに行くだけだ」

 

少し前にそう言っていたイシュタルの言葉が、ふと思い出された。でも、もう遅い。イシュタルは輝夜の顎を持ち上げ瞳を見つめ、告げる。

 

幻想(せいぎ)なんて、忘れなさい」

 

そこで輝夜の記憶は途絶えた。

ベルの意識は完全に断斬された。

世界は()()ねじ曲がった。

 

×   ×   ×

バベル最上階

 

 

「イシュタルがつまらないことをした」

 

葡萄酒の入ったグラスを揺らしたフレイヤは薄鈍色の瞳を細めて巨大な窓から見える都市を眺めてそんなことを言った。彼女の瞳は『銀の光』を帯びて、ゆっくりと収まっていく。

 

「構って欲しいのなら、回りくどいことをせず、向かって来ればいいのに」

 

勝算があるからちょっかいを出してくるのでしょう?

敗北なんてあり得ないから、唾を吐いてくるのでしょう?

 

「何を手にしたのか知らないけれど……その程度でオッタル(Lv.7)に勝てるつもりでいるのかしら。だとしたら、まぁ怖い。オッタル、私もとうとう天界に送還されてしまう時が来たのかもしれないわ」

 

「…………【探索者(ボイジャー)】はどうされますか」

 

「どうもしないわ、()()()()()()()()()()()()()……まだ、終わりじゃないもの」

 

「……と、言いますと」

 

「だって、私、イシュタルが捻じ曲げた世界をそのまま()()()()()んですもの。だから私は、これ以上何もしない。それに……」

 

オッタルは振り返ってニコリとはにかむフレイヤに、目を丸くする。彼女が何を思い描き何を望んでいるのか、その神意は彼女のみぞ知るところ。

 

「私は、輝く星を見ていたいの」

 

 

×   ×   ×

歓楽街

 

 

「ふ、く……ぅぅ……!」

 

非力な身体で、力を振り絞って、息をしているのかもわからない少年の身体を引きずって運ぶ少女がいた。金の長髪、赤い着物、獣の耳と尻尾。妖術を使わされ、世界が二度ねじ曲がって、障子の隙間から見えた光景を目の当たりにして、衝動のままに走り出していた。

 

それは『未知』。

神々ですら予期しえない現象。

 

それは『愛』。

死んでほしくないとそう思ったからこその女としての行動。

 

それは『恋』。

胸を焦がす想いは言葉を尽くしても思いを尽くしてもきっと伝えきれない。

 

『娼婦』は『英雄』にとって破滅の象徴。

だから、物語から出てきたような綺麗な少年に穢れてほしくなどなかった。汚れている自分を傍に置いて欲しいなんて言えるはずもなかった。でも、いいのだ。少女はとても満足していた。少女は、とても楽しかったのだ。ほんの数日ではあったけれど、本当に本当に素敵な日々だったのだ。

 

「貴方の物語はまだまだ続いて、いずれ今日のことも、とるにたらない笑い話になるでしょう……」

 

空を見上げる。

暗い雲は未だ光を遮っている。冷たい雨が体温を奪い取っていく。発熱し、体調を崩しているのに涙を流して「会わせてほしい」と言ってくれた彼に胸が温かくなる。嬉しい、嬉しかったのだ。だけどやっぱり、自分は『娼婦』で、だから彼が破滅するなんて耐えられなくて、傍にてはいけないと自覚する。

 

だから、さようなら。

これで、さようなら。

治療院がどこにあるのか、正直なところ分からない。

だから、せめて、歓楽街の出口までは、彼を運ぶ。

()()()()を涙を滲ませながら、必死に耐えて、誤魔化して自分よりも年下の男の子を運ぶ。友人もどうにかしたかったが、非力な小娘ではさすがに2人も運べない。

 

「名も知れぬ獣人の『娼婦』は、どこかの世界で、明日も楽しく暮らしております。だから……!」

 

一度、咄嗟に彼を庇ったせいか。

二度目の斬撃は纏わりつく殺気で感じ取れた。獣人の本能がそうさせたのか、嫌と言うほど感じ取れた。生きていることが苦しい自分にとって、迫り来る斬撃は介錯と呼べるのだろうか。

 

「何度も、春姫に楽しい思いをさせてくれて、ありがとうございました」

 

抱きしめるようにして引きずっていた彼が身動ぎ。

気のせいかもしれない、だけれど、目に見えていた負傷は魔法が消し去っていたから、きっと、もう大丈夫。

 

「さようなら、(わたくし)の大好きな英雄様」

 

空気を切り裂く音と共に、少女の身体は波打った。

背筋からは赤い血潮が飛沫を上げた。

せめてもの抵抗、少年の体を押し出すようにして終わる。2人して水溜まりに倒れ込み伸ばした娼婦の手が少年の身体に触れる。

 

(嗚呼、やっぱり、ダメでした)

 

下駄の音が近付いてくる。

死神がやってくるかのように、知覚する。

雨が血を洗い流し石畳を彩っていく。

少年はぴくりとも動かない。這いつくばって娼婦は助け出せなかった彼に微笑みながら頬を撫でる。

 

(なんとも、難しいものですね)

 

抱いて欲しいといえば、彼は抱いてくれただろうか。

身体を貪り、獣欲の限りを尽くしてくれただろうか。

彼になら、何をされてもいいと思えてならないが、彼には大切な人がいるというのを聞いてしまった。なら、望むべきじゃないのだろう。着物姿の女性が傷ついていて、それに激昂した彼を見て、春姫は悟った。彼女こそがベルの『最愛』なのだと。なら、諦めるべきなのだろう。この気持ちは締まっておくべきなのだろう。それでも胸に残る形容しがたい思いはきっと、この数日の胸の高鳴りはきっと。

 

(これはきっと、サンジョウノ・春姫という小娘の、溺れるような初恋だったのでしょう)

 

瞼が落ちていく。

どうしようもなく抗えない眠気に、少女は微笑みと共に意識を鎖していく。力はない、度胸もない、残ったのは他人の幸せを願う良心だけで、結局のところ、好いた男さえ助け出せなかった。これはきっと春姫がベルを好いたからこその『破滅』。申し訳なさがいっぱいで、そして、そこで瞼は完全に落ちた。最後に感じ取れたのは―――。

 

 

 

 

強烈な【疾風(かぜ)】が吹いたということだけだった。




エレェボス様は異端児編で一旦退場しますが、やらかし度合は異端児編のが上かもしれないです。被害者は異端児、闇派閥、フィン、リリの予定。


エレボス→イシュタル:別に俺のこと捕まえて突き出してもいいけど、お前も無関係じゃないからオラリオにいられるとは限らないぜ? だってお前モンスター育ててるだろ? アストレアの眷族にどっかの神に似た顔のやついるけど、お前知ってる? フレイヤ以外にも美神いるけど、フレイヤだけ倒せば満足ってつまらなくない? やっぱ同じ事物の神が複数いるとかよくないとエレボス思うわけ。

イシュタル→魅了行使。
フレイヤ→魅了行使でイシュタルの魅了を上書き。この時点でイシュタルは敗北しています。()()()()()()()()()()。イシュタルは私に勝ちたいの? じゃあ、そういうことにしておいてあげるわ。


アストレアF→ヘルメスとの会話をベルが聞いてしまったので、大慌てで探しに行きました。ベルはずぶ濡れで帰ってきてそのまま泣きつかれて眠ってしまい『湯浴みをして寝る』ができなかったので、アストレアはせめてベッドくらいは温かくするしかできませんでした。意識の無い相手の着替えだとかって大変ですしね。

アイシャ→ベル:ベルの体調が悪いことを動きのキレの悪さから見抜いています。春姫を抱きもしない男を何で会わせなきゃいけないんだ? イライラ。

※アイシャは正史だと殺生石を一度破壊してフリュネにボコられて魅了を受けてますが、この話では順序が若干違うため殺生石はヘルメスが届けたのも合わせて2つ存在しています。

正史
①殺生石破壊→フリュネにボコられる→魅了
今史
①殺生石を見つける→破壊しようとする→イシュタルに見つかって未遂→フリュネにボコられる→魅了

こんな感じ。

エレボス→輝夜:お前、誰かに似てると思ったらサクヤヒメか。7年前よりマシな答えは見つかったか? 大人になったのは身体だけで相変わらず生娘なのか。エレボスが目の前に現れる+元主神の名を出される→出会いがしらに刺されるという不覚をとる=正気度ゴリゴリって感じ。

イシュタル→輝夜:魅了する。「いいぞお前、その顔が見たかった!サクヤヒメの顔がそんな風に歪むと思うとなんだか胸がすっとする!」 

イシュタル→ベル:春姫を楽しませてくれてありがとう。この中から好きな3匹を選ぶんじゃ。

春姫→輝夜:輝夜こそベルの大切な人=ベルの女だと春姫は思ってます。 斬ッッ!!

輝夜→命:春姫を助けたい、でもベルを厄介ごとに巻き込みたくない。命に付き合って情報収集のため忍び込んだ。命が取り乱して飛び出してしまうことは仕方のないこと。

ベル→春姫:もういやだ……。

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