アーネンエルベの兎   作:二ベル

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水天日光㉑

 意識を失った輝夜をそっと船端(かべ)を背もたれに座らせる。力なく開かれている手のひらに、ベルは懐から竹の葉、竹、赤い花をあしらった(かんざし)を乗せ隣に腰を下ろした。

 

 

「――――疲れた」

 

 

濡れることも構わず足を投げ出して空を見上げるベルは、暴れ狂う心臓を落ち着かせるように呼吸を繰り返す。呆れたような顔をしてアリーゼとマリューが歩み寄って同じ目線になるように膝を折る。一時的とはいえ共闘していたタンムズは輝夜の膝を顔面に喰らって再度意識を失っているらしい。

 

「びっくりしたわよ」

 

「何か、手はあるのかなって思ってたけど……『手』というより『口』だったわよねえ」

 

うりうり、と頭を撫で繰り回すアリーゼに3人まとめて回復魔法を行使しながら、「後が怖いわ~」なんて言っている。

 

「言っておくけどベル?」

 

「?」

 

公開処刑(見られてるわ)よ?」

 

「――――――あ」

 

「「はぁ………」」

 

最近、格好よくなってきてるなあって思ってたのにたまに()()()()弟分に、『ぽんこつ』は私達の派閥の性分なのかなあなんて諦めの溜息を吐きだす2人。俯き、再度顔を赤くさせるベルはダラダラと汗を流した。

 

「そ、そそ、それより、僕、あのっ、輝夜さんっ、頭、大丈夫!?」

 

「輝夜が馬鹿になったみたいな言い方に聞こえるんだけど」

 

「大丈夫よ、脳震盪起こしてるだけだろうから~。まあこんな面倒くさいことになってた輝夜ちゃんの頭は大丈夫じゃなかったんでしょうけど~」

 

「ベルは大丈夫? 頭」

 

「~~~」

 

「大丈夫じゃないわよアリーゼちゃん、だって、ちゅーしちゃったんですもの、ちゅ~。私でも嫌よ、血の味しかしないキスなんて~」

 

「わ~た~し~もぉ~」

 

「ぅぅうううううううううううううっ!!」

 

2人のお姉さんに完全に玩具にされる疲れ切った白兎。普段散々貴方達からしかけてくるくせに!迫って来るくせに! こっちからしかけてみたら、すーぐこれだ! ベルの心の小さな白兎―アルミラージではない―は猛抗議。ぴょんぴょんと飛び跳ねている。

 

「「英雄の作法をお見せしよう、キリッ」」

 

「ァアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!?」

 

どしゃぁっ…。

ベルは浸水する船に突っ伏した。土下座のような体勢だ。もうやめてっ、許してっ、そういうつもりで言ったんじゃないんですっ! 何て言うかこう、がんばるぞ~的な感じといいますか!? そんな心の悲鳴をぶち上げるが、2人のお姉さん達は「ベルは可愛いなぁ」と生温かい眼差しと声を上げるのみ。何せベルは14歳。20を越えた2人からしてみればまだまだ子供であり、所謂()()()。どっかの黒い妖精さんみたいにイタイ台詞を言わないだけまだマシである。そんなお年頃のベルの頭を2人してうりうりと撫で繰り回しながら、アリーゼはふと思った。

 

 

(さっき輝夜にキスしたとき…多分、血、飲んじゃってるわよね?)

 

 

輝夜の身体は本人曰く、『毒壺』。

格上の者すら殺す劇毒だと聞いたことがある。それは男を(ねや)に誘い込み怪死させる房中術を用いた外法だ。にも拘わらずこの白兎はぴんぴんしている。何らかのスキルかしら、と思い至り眠れる面倒くさい輝夜姫にちらりと視線を移して呟く。

 

 

「よかったわね」

 

『輝夜さんは悪くないよ』

 

あの言葉は、ベルだからこそ輝夜に届けられた言葉。きっとアリーゼ達では響くことはなかっただろう。きっと、少なくとも、彼女の心を救うことはできたはずだ。何より、輝夜の身体に蓄積された『毒』がベルには効かないという確信から、この派閥でも古参の仲間に揶揄うように「よかったわね」とアリーゼは口にしたのだ。

 

「ぅぅ~~~~~~」

 

「はいはいベル君は頑張ったわね~でもまだ戦争遊戯(ウォーゲーム)終わってないからもう少しだけ頑張りましょうね~」

 

 

×   ×   ×

黄昏の館

 

 

 

「その手があったのね!」

 

「ないよーティオネ、ないよー。ほら、座ってー」

 

「何よティオナ。私は今、『希望』を見たのよ!?」

 

「どこに!? むしろ話の落差というか温度差激し過ぎて風邪ひくレベルだったよ!?」

 

「確かにすごい死闘だったわ! あの白兎(へんなの)は格上と戦いまくるし、こう、アマゾネスの血が騒ぐっていうの? よかったわ、あの戦いは! でもその後よ、頭に一撃与えて抵抗力を奪った後! あの子は接吻をしたのよ!?」

 

「うん、今、それで皆、すごく気まずい空気になってるんだけどね?」

 

【ロキ・ファミリア】本拠、黄昏の館では『見てはいけないものを見てしまった』ような空気に包まれていた。いや、これは【ロキ・ファミリア】だけではない。見ていた者達はだいたい気まずい空気になっていた。何せ、輝夜の「私は死ぬべきだった!」とか諸々、聞いていたし。おお、勝ちやがった!なんて思っていた矢先には意識を失いかけている乙女の唇を奪う白兎。それもぜぇーんぶ、見てるし聞いている。幼い子供達を持つ親だとかは「見ちゃダメ! これ一応『R15』タグついてるから!」なんて目隠しする始末。輝夜の内情に泣けばいいのか、ベルの奮闘に絶叫すればいいのか、2人の血が絡んだ接吻に黄色い声を上げればいいのか、もう理解不能(ワケワカメ)。黄昏の館、その団長室に集まっていた幹部陣営も碌に喋る者がいない。せいぜい何かを悟ったらしいティオネがはしゃいでティオナがツッコミを入れている程度だ。ベートは口をあんぐりとして引き攣らせ、アイズは深淵を覗いたような目をして、それにドン引きするのはレフィーヤで、頭を抱えているのはリヴェリアだ。

 

「私は今のを見て『答え』を得たのよ!?」

 

「だーかーらー、ないってば!」

 

「闇落ちすれば、団長にキスしてもらえるわ! そんでもって、そのまま責任を取ってもらえる! 間違いないわ! 女の唇はそう簡単に奪っていいものじゃないんだから!」

 

「って言ってるけどフィーン!」

 

「……ノーコメントで」

 

眉間を摘まむフィンはアリーゼ達に揶揄われて悶えているベルを見て苦笑し、胸の内で呟いた。「君達の遺産は大物だよ」と。

 

 

×   ×   ×

摩天楼施設(バベル)30階

 

 

「ひゅ~~~ベル君、やるねえ」

 

「精神攻撃は基本中の基本やな~」

 

「これは【大和竜胆】も落ちたな」

 

「きっと戦争遊戯が終わった頃には、『お前の顔が見れない…』とか言って頬を染めて走り出すまであるな」

 

「さすが大神(ゼウス)の孫。俺達にできないことをやってくれる、そこに痺れる憧れるぅ!!」

 

「私も悪落ちすれば、やってもらえるのかしら」

 

「「「ナイナイナイ、余計こじれるからやめて」」」

 

「よし、次の【大和竜胆】の二つ名は【黒髪の嫉妬姫(ルサンチマン)】にしよう!」

 

「【探索者(ボイジャー)】はー……あー……あれだ、【公開凌辱者(ルナティック・ジャッジメント)】だ!」

 

「「「い、いてぇぇぇぇぇ!!」」」

 

喧々囂々(やかましい)

暇を持て余す神々が言いたい放題言ってくれている。処女神のヘスティアが死んだ魚みたいな目で「どういう教育をしているんだい?」というような眼差しをしているのがとても痛い。アストレアは(テーブル)に突っ伏してしまった。悩ましい胸がむにゅりと歪む。

 

「――――『愛』か」

 

(何故、ここで、愛っ!?)

 

イシュタルがもうなんか「良いモノ見せてもらいました」みたいなホクホクした顔をしているのが妙に腹立たしくアストレアは握りこぶしを叩きつけたい衝動にかられた。正義を司り慈悲深い女神の中の女神アストレアは最年少(ベル)第一級冒険者を倒すわ(無茶をするわ)、眷族同士が殺し合いしてるわ、接吻するわ、もういっぱいいっぱい。酸欠しているのか頭が痛いまである。全部終わったら、眷族(あのこ)達、少し正座させようかしらなんて思うほど。いやまあアリーゼ達がベルを猫かわいがりしているのは昔からのことだし、なんならベルが接吻されちゃってるとか押し倒されているとか、見たことがないわけではないし本人から聞いたことがないわけではないのだけれど、そういうのはなんというかこう……あれなのだ。

 

(秘め事でしょう、そういうのは……!)

 

見せてどうするというのか。

おかげさまで約2名ほど、勝手に二つ名の候補まで出ている始末。え、変える気なんてありませんけど? 【紅血と正義の牙(ブラッディ・ジャスティス・ファング)】というネーゼの元二つ名だけで古傷を抉られて悶え苦しむ20代女性のように震えたというのに。冗談ではない。アストレアはもうさっさと帰って最近引き締まってきている最年少(ベル)のお腹に顔を埋めて「うぅ~」と悶えて眠りたい衝動にかられた。少年(ショタ)のお腹、プライスレス。優しいベルのことだ、きっと頭を撫でてくれる。とアストレアの膝に顔を埋めて「うぅ~」したい衝動に駆られているベルと同じ思考をしていたことを彼女は知らない。

 

 

×   ×   ×

港町(メレン)

 

 

『鏡』にアリーゼ達を除く『正義』の眷族達が【イシュタル・ファミリア】側のガレー船、その最後の一隻に踏み入った光景が映る。

 

 

「イシュタル側の船は5隻残っちゃいるが……アストレア側の船を落とすなりして団旗を破壊するのは望み薄だろうな」

 

 

腕を組んでそう口にするのは、港町の漁師達の頭でもある男神ニョルズだ。元々あった【イシュタル・ファミリア】のガレー船は10隻。その内3隻は破壊―ベル達のいる船も直に沈む―。さらに2隻は乗っ取られ距離を取られている。残るのは5隻であり、両サイドから攻め込む形で最後尾にあった1隻に乗り込まれた形となる。なまじ少数精鋭派閥、今からイシュタルの眷族達が船を動かし正義の団旗を見つけ出し破壊するのは難しいだろう。

 

「アストレアの眷族共は粒ぞろいじゃのぉ」

 

ニョルズの横で幼女の声。

樽の上で胡坐をかき、特徴的な仮面を被った幼女神がそこにいた。闘争の女神、カーリーだ。彼女はここメレンに、紆余曲折(イシュタルと一緒にフレイヤを潰す)あってメレンに滞在していた。近場で戦争遊戯(ウォーゲーム)すなわち闘争が見れるとあれば喜んで拝見するのが彼女だ。傍には、双子の女戦士(アマゾネス)が佇んでいる。引き締まった肢体こそが武器であり凶器、けれどもその肢体は肉付きよく豊満。下着も同然の格好だが、種族柄なのか特段気にしてもいない。

 

「船という限られた足場での戦闘など、海上を主戦場とする漁師(ヌシ)らのように思うようにはできんじゃろうなあ」

 

「あのなカーリー、漁師(おれたち)は魚を取ってるんだ。海で本気(ガチ)の戦いをするってんならそれこそ海神(ポセイドン)の方だ」

 

「ああ、それもそうかすまんすまん」

 

カーリーの眷族は女戦士(アマゾネス)のみ。

彼女達の故郷は『闘国(テルスキュラ)』であり、日々、モンスター、同胞との闘争を繰り返す。けれども、ここメレンでの語られぬゴタゴタで眷族達は色呆けに走ってしまうという悲しい経緯を【カーリー・ファミリア】は抱えている。この戦争遊戯(ウォーゲーム)でも白兎(ベル)格上殺し(ジャイアントキリング)に目を輝かせ興奮する者は少なくないが、流石に第一級冒険者(フリュネ)を吹っ飛ばした『古代の奇跡(ヘヴンズ・カタストロフ)』、その疑似的再現を見せられては「あいつ怖い…」と思うものが大半であった。貞操が守られた瞬間である。

 

 

「しかし規則(ルール)上、まだイシュタルの眷族が勝てる可能性だけはあるのじゃろう?」

 

「可能性だけならな」

 

『敵派閥の全滅』

それを達成さえすれば、現状からでも【イシュタル・ファミリア】は勝利を勝ち取ることはできる。その可能性はある。

 

「が、しかし」

 

「む?」

 

「最後尾の船に今、アストレアの眷族が7人。そこにいる全員がLv.4」

 

「イシュタルの眷族とて、似たようなもんじゃろう? いや、だとしたらここまで追い込まれてはおらんか」

 

「ああ…アストレアの眷族達は今年ランクアップした【紅の正花(スカーレット・ハーネル)】と【狡鼠(スライル)】を除いて全員がいつランクアップしてもおかしくないと言われているほどの実力者。仮に彼女達を倒せたとして――」

 

ニョルズは『鏡』を指さし、続ける。

 

「離れている残りのアストレアの眷族達を相手しなくてはならない。【探索者(ボイジャー)】…ベルという『未知』の敵にイシュタルの眷族達はすっかり萎縮しているはずだ」

 

「然り、じゃな。自動治癒(オートヒール)しながら襲い掛かってくるとか何それ怖いってやつじゃよ。しかもあのガキ、剣で斬りつけながら炎をぶち込んどったし…防御が硬すぎる」

 

指輪から生まれる障壁しかり、魔法を無効化する光翼しかり、黒いロングマフラーしかり、黄金盾(アイギス)しかり。おまけに魔法を喰ったり吐き返したりする始末。闘争の女神(カーリー)はハッキリと告げる。「馬鹿じゃろ」と。

 

「指輪に盾……あのガキの主神(おや)は過保護なママか!? あんな化物に与えてどうする!? これでは闘争が成立せん! 一方的な蹂躙じゃい!! 真裸で戦わんか!」

 

「お前のルールを押し付けられてもなあ……まあ、過保護なのは否定しないが」

 

アストレアもその娘達も、ベルのこと昔っから猫かわいがりしてたしなー。というニョルズは頬をぽりぽりと掻いた。そして、ところでと前置きを置いて口を開く。

 

「あいつらの別荘の弁償は、済んだか?」

 

「あ~~~なぁ~~んの、ことじゃったかなあ~~~~???」

 

「ロキのとこ巻き込んで、港町で散々暴れ回ってくれたよな?」

 

「ん~~~ワチィ、よく、わかんにゃ~い」

 

「まったく可愛くないぞ、カーリー」

 

「チッ! もういいじゃろ、はい反省してまーす! 水に流してくださーい!」

 

「はぁ……ベルに知られたら樽に詰められて沈められるぞお前」

 

「はぁ!? 女神に手を出せるガキとか正気か!?」

 

「だってあいつヘラの眷族の血筋だぞ」

 

「――――――」

 

 

ひゅっ、と喉から空気を漏らすカーリー。

彼女達はロキとのドンパチで【アストレア・ファミリア】の別荘を巻き込んでしまったのだ。事故だと言ったところでアストレアの眷族は聞き入れないだろう。ロキが「ああ、あの別荘アストレアのとこのやったんか。すまんすまん、カーリーがやった」と言っていればもう少し早めに「正義執行(ジャスティス)!」されていたことだろう。ニョルズはアルフィアの子であるベルが―まあしないとは思うが―ああいう優しい子が怒ると手が付けられなくなるというのを(おとな)故に知っているがためにカーリー「さっさとしたほうがいいぞ」と警告するのだ。もし見つかり、バレれば『ピーマンの肉詰め』ならぬ『カーリーの樽詰め』にされるに違いないのだ。

 

「―――ん? あの、ニョルズ様」

 

神同士、観戦しながら語っていると漁師の1人が声をかけてきた。この戦争遊戯(ウォーゲーム)が行われている日、メレンで活動する漁師達―ニョルズの眷族達―は、漁業を休業しギルドの要請により協力体制を敷いている。戦闘で海上に落ちてしまった脱落者達を船に乗せる救助隊が現在の主な仕事だ。

 

「どうしたロッド?」

 

ロッドと呼ばれる青年は頭を掻くように手を置きながら、言いにくそうに呻き主神の言葉を貰おうとやがて口を開く。

 

「どうも海の様子がおかしくて……ニョルズ様に確認を取ろうかと」

 

「海?」

 

「ええ、岸や堤防を見てもらえば…僅かですけど、()()()()()()()()()()

 

極々僅か。

けれどその微かな変化にロッドは「嫌な予感がして」と言う。雨が降ろうが風が吹こうが戦争遊戯(ウォーゲーム)は終わらない。あそこで戦っているのは『冒険者』だからだ。けれど時として怪物以外に人類に爪を振るう存在はある。例えばそう、『惑星』そのもの、とか。

 

 

「――――港にいる子達を避難させろ」

 

「む? どうした、ニョルズ?」

 

顔つきを変えたニョルズに首を傾げるカーリーが問うが、男神は忙しなく動き出すのだった。

 

 

×   ×   ×

???

 

 

 

「―――素晴らしい戦績だ」

 

「よかったねえ【大和竜胆】、これでハッピーエンドじゃん。しばらくは神々にいじられるかもしれないけれど、まっ、救われはしたんでしょ」

 

 

エレボスは『鏡』より観戦していた光景に賛辞を投げる。隣で同じく観戦していたタナトスもまた諸手を上げて手を叩く。片手間に盤上遊戯(ボードゲーム)をしていたのか、カウンターテーブルの上には『剣士』『術師』『戦士』『治療師』といった『役割(ロール)』を模った駒、『兎』『桜』『狐』と特定の人物を思わせる駒が。もう役目は終わった駒は盤外に弾かれている。そしてエレボスは、『桜』の駒を横に倒した。

 

(戦況を盤上(ボード)で再現している……?)

 

「そういえば、タナトス」

 

「?」

 

「辛き事、悲しき事、憎き事、恨み事、嬉しき事、楽しき事、忘れ事、絶望、希望、あらゆる万象を解決する方法があるとすればそれは何だと思う?」

 

「それは……謎かけ(リドル)だったりする?」

 

タナトスが片眉を上げて、エレボスに問い返すが返って来る返答はなく彼は場外から『牛』の駒をまだ立っている駒達を横から喰らうように配置した。

 

「――――――()()()()()()()のさ」

 

エレボスはグラスに注がれた水を『牛』の駒のいるほうから盤上に流し込む。勢いよく、駒達は流れ込んだ水によって倒れ、流され、落ちていった。

 

「さて問題、俺は確かにその名を口にしていた。その名は、何だろうか」

 

目を見開くタナトスは、しかし、悪の頂点に立っていた男神の所業に口元を歪ませ笑む。『鏡』には、その答えともいえる影が映っていた。

 

 

×   ×   ×

戦場

 

「詰みだぜ、降参(リザイン)しちまえよ」

 

「ちっ……」

 

「私はてっきり、【麗傑(アンティアネイラ)】はもっと前線に出てくると思ってたんだけど」

 

「私まで前線に出ちまったら、防衛に敷く人員の質が落ちる。残るしかなかったのさ」

 

甲板にて対峙する戦闘娼婦(バーベラ)達。アイシャを含めても20いるかどうか。数では【アストレア・ファミリア】が劣ってはいるが彼女達はその数の差に臆することもない。ここから巻き返すのは難しい、とアイシャは正しく理解する。それは他のアマゾネス達も同様。団長と副団長が、なにより団長は【アストレア・ファミリア】で最も階位(レベル)が下のベルに討たれたことで士気の低下は必至。実質的なリーダーのような信頼を持つアイシャであれ、ここから残りの戦力を動かすのは難しい。何より、彼女には()()()()()()()()()()()()()()()。彼女は、動けないのだ。【アストレア・ファミリア】の女達に油断や慢心はない。互いに背中を預け、連携し、歩みを共にしている。伊達に暗黒期で都市を守ってきた強者なだけはある。

 

(勝ち目はない……それはわかるが)

 

わかるが、降参なんて本能的にできない。性分でもない。血の衝動のままに熱い戦いを繰り広げて散る。そうでなくてはならない。両手を上げる? 白旗を掲げる? 冗談じゃない。そんな無様、女戦士(アマゾネス)にはできない。そんな軟弱、認められない。アイシャの中で本能ががなり立てる。それだけはできないと。

 

「イスカ、ネーゼは団旗を探せ」

 

「見つけたら即破壊か?」

 

「いや、甲板に持ってきてくれ」

 

「どうして?」

 

「船内にあったとして破壊したとしても『鏡』には映るだろうが、甲板でわかりやすく、見えるようにやった方が()()()()()()を明確にしやすい」

 

ライラの指示に、やがてネーゼとイスカが従う。苦虫を噛み潰すように唇を噛み締めるイシュタルの眷族達にあるのは勝てないことに対する悔しさ。ここで負けるにしても戦って敗れるべきだと本能では理解しているが、ここで叫び襲い掛かったところで木刀を握り締めている【疾風】やいつでも魔法が撃てると短杖(ステッキ)を構えている女魔導士(リャーナ)が睨んでいては、見えてくる結末(ビジョン)は当然、無様に吹っ飛ばされる自分である。無駄な抵抗、というやつだった。どうする、どうする、戦争遊戯に負けたら私達、どうなる? いろんな考えが逡巡する。そんな時、ピクリ、と丸メガネをかけた妖精―セルティ―が耳を揺らして海上に顔を向けた。

 

「――――魔力?」

 

違和感。

それは魔法種族(マジックユーザー)だからこそ、誰よりも先に感じ取れたもの。そして次に感じることができたのは、リャーナなどの術師。感じ取れるものが増えるにつれてその魔力は()()()()()()()

 

「何だ……」

 

「ねえ、船、動いてない?」

 

「いえ動いているというよりこれは……」

 

「引き寄せられている……」

 

ライラが、ノインが、リューが、そしてアイシャが言う。『冒険者』としての勘が、警鐘を鳴らしている。これは『異常事態(イレギュラー)』の前触れであると。しかし、感じたところで遅かった。船が引き寄せられる、海水が引いていく、それぞれの現象が積み重なるが、それは1つの魔法より生まれる現象にすぎない。間もなくして、()()は見えた。

 

 

×   ×   ×

 

アリーゼ達もまた、リュー達と同じく違和感を感じ取っていた。自分達が戦っている戦場より横やりを入れるように引き寄せられる感覚。

 

「魔力……!?」

 

アリーゼがLv.5へと昇華されたことで強化された視力で、その瞳に映った敵影に顔色を変える。自分達の団長の顔色に「やばい」ことだけを感じ取ったマリューはまだ動けそうにないベルを抱えようとベルの背に腕を回す。

 

「何で、こんなところにいるの……!?」

 

 

×   ×   ×

 

 

「【―――代行者ノ名ニオイテ命ジル与エラレシ我ガ名ハ水精霊(ウンディーネ)】」

 

 

冒険者達の乗るガレー船よりも大きい、帆のない『ガレオン船』といったところか。それはゆっくりと近づいてきていたのだ。青い空、雲なき快晴、燦々と照らす日光。戦争遊戯をするには最高(ベスト)な天候に、戦場に、相応しくない来客、否、乱入者。太すぎる強靭な四肢、雄々しくも捻じ曲がった巨大な双角、頭部から不気味な緑色に蝕まれる鋼色の体皮。生えている尾は途中から二股に別れており、先端は剣のように硬く尖っていた。

 

「おいおいおい……!?」

 

「あれは……そんな、馬鹿な!? 59階層にいた同種!?」

 

血相を変えるライラと記憶の中にいる怪物がダブり、目に映る存在に「何故ここにいるのか」と声を荒げるリュー。

 

「~~~~っ、春姫ぇ!?」

 

紛れもなく『牛』の体型を象る総身の中で、唯一の異物を挙げるとすれば、それは額に当たる位置に存在する『女』の姿。不気味な微笑を張り付けた、女体の上半身。

 

「【水ノ化身(ミズノケシン)水ノ女王(ミズノオウ)】―――」

 

 

高まる埒外の魔力に、最大級の脳内で警鐘が鳴る。冒険者達は、叫ぶ。そして、その怪物は魔法を放つ。

 

 

「――【タイダルウェーブ】」

 

 

横やりよろしく、巨大な船よりおぞましき声音でその魔法の名が囁かれる。音を立てて迫るのは巨大な水の塊。高波にして、古来より天変地異が一つにして怪物が人類を脅かすよりも遥か前より命を奪う現象。津波が、戦場を飲み込んだのだ。

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