意識を失った輝夜をそっと
「――――疲れた」
濡れることも構わず足を投げ出して空を見上げるベルは、暴れ狂う心臓を落ち着かせるように呼吸を繰り返す。呆れたような顔をしてアリーゼとマリューが歩み寄って同じ目線になるように膝を折る。一時的とはいえ共闘していたタンムズは輝夜の膝を顔面に喰らって再度意識を失っているらしい。
「びっくりしたわよ」
「何か、手はあるのかなって思ってたけど……『手』というより『口』だったわよねえ」
うりうり、と頭を撫で繰り回すアリーゼに3人まとめて回復魔法を行使しながら、「後が怖いわ~」なんて言っている。
「言っておくけどベル?」
「?」
「
「――――――あ」
「「はぁ………」」
最近、格好よくなってきてるなあって思ってたのにたまに
「そ、そそ、それより、僕、あのっ、輝夜さんっ、頭、大丈夫!?」
「輝夜が馬鹿になったみたいな言い方に聞こえるんだけど」
「大丈夫よ、脳震盪起こしてるだけだろうから~。まあこんな面倒くさいことになってた輝夜ちゃんの頭は大丈夫じゃなかったんでしょうけど~」
「ベルは大丈夫? 頭」
「~~~」
「大丈夫じゃないわよアリーゼちゃん、だって、ちゅーしちゃったんですもの、ちゅ~。私でも嫌よ、血の味しかしないキスなんて~」
「わ~た~し~もぉ~」
「ぅぅうううううううううううううっ!!」
2人のお姉さんに完全に玩具にされる疲れ切った白兎。普段散々貴方達からしかけてくるくせに!迫って来るくせに! こっちからしかけてみたら、すーぐこれだ! ベルの心の小さな白兎―アルミラージではない―は猛抗議。ぴょんぴょんと飛び跳ねている。
「「英雄の作法をお見せしよう、キリッ」」
「ァアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!?」
どしゃぁっ…。
ベルは浸水する船に突っ伏した。土下座のような体勢だ。もうやめてっ、許してっ、そういうつもりで言ったんじゃないんですっ! 何て言うかこう、がんばるぞ~的な感じといいますか!? そんな心の悲鳴をぶち上げるが、2人のお姉さん達は「ベルは可愛いなぁ」と生温かい眼差しと声を上げるのみ。何せベルは14歳。20を越えた2人からしてみればまだまだ子供であり、所謂
(さっき輝夜にキスしたとき…多分、血、飲んじゃってるわよね?)
輝夜の身体は本人曰く、『毒壺』。
格上の者すら殺す劇毒だと聞いたことがある。それは男を
「よかったわね」
『輝夜さんは悪くないよ』
あの言葉は、ベルだからこそ輝夜に届けられた言葉。きっとアリーゼ達では響くことはなかっただろう。きっと、少なくとも、彼女の心を救うことはできたはずだ。何より、輝夜の身体に蓄積された『毒』がベルには効かないという確信から、この派閥でも古参の仲間に揶揄うように「よかったわね」とアリーゼは口にしたのだ。
「ぅぅ~~~~~~」
「はいはいベル君は頑張ったわね~でもまだ
× × ×
黄昏の館
「その手があったのね!」
「ないよーティオネ、ないよー。ほら、座ってー」
「何よティオナ。私は今、『希望』を見たのよ!?」
「どこに!? むしろ話の落差というか温度差激し過ぎて風邪ひくレベルだったよ!?」
「確かにすごい死闘だったわ! あの
「うん、今、それで皆、すごく気まずい空気になってるんだけどね?」
【ロキ・ファミリア】本拠、黄昏の館では『見てはいけないものを見てしまった』ような空気に包まれていた。いや、これは【ロキ・ファミリア】だけではない。見ていた者達はだいたい気まずい空気になっていた。何せ、輝夜の「私は死ぬべきだった!」とか諸々、聞いていたし。おお、勝ちやがった!なんて思っていた矢先には意識を失いかけている乙女の唇を奪う白兎。それもぜぇーんぶ、見てるし聞いている。幼い子供達を持つ親だとかは「見ちゃダメ! これ一応『R15』タグついてるから!」なんて目隠しする始末。輝夜の内情に泣けばいいのか、ベルの奮闘に絶叫すればいいのか、2人の血が絡んだ接吻に黄色い声を上げればいいのか、もう
「私は今のを見て『答え』を得たのよ!?」
「だーかーらー、ないってば!」
「闇落ちすれば、団長にキスしてもらえるわ! そんでもって、そのまま責任を取ってもらえる! 間違いないわ! 女の唇はそう簡単に奪っていいものじゃないんだから!」
「って言ってるけどフィーン!」
「……ノーコメントで」
眉間を摘まむフィンはアリーゼ達に揶揄われて悶えているベルを見て苦笑し、胸の内で呟いた。「君達の遺産は大物だよ」と。
× × ×
「ひゅ~~~ベル君、やるねえ」
「精神攻撃は基本中の基本やな~」
「これは【大和竜胆】も落ちたな」
「きっと戦争遊戯が終わった頃には、『お前の顔が見れない…』とか言って頬を染めて走り出すまであるな」
「さすが
「私も悪落ちすれば、やってもらえるのかしら」
「「「ナイナイナイ、余計こじれるからやめて」」」
「よし、次の【大和竜胆】の二つ名は【
「【
「「「い、いてぇぇぇぇぇ!!」」」
暇を持て余す神々が言いたい放題言ってくれている。処女神のヘスティアが死んだ魚みたいな目で「どういう教育をしているんだい?」というような眼差しをしているのがとても痛い。アストレアは
「――――『愛』か」
(何故、ここで、愛っ!?)
イシュタルがもうなんか「良いモノ見せてもらいました」みたいなホクホクした顔をしているのが妙に腹立たしくアストレアは握りこぶしを叩きつけたい衝動にかられた。正義を司り慈悲深い女神の中の女神アストレアは
(秘め事でしょう、そういうのは……!)
見せてどうするというのか。
おかげさまで約2名ほど、勝手に二つ名の候補まで出ている始末。え、変える気なんてありませんけど? 【
× × ×
『鏡』にアリーゼ達を除く『正義』の眷族達が【イシュタル・ファミリア】側のガレー船、その最後の一隻に踏み入った光景が映る。
「イシュタル側の船は5隻残っちゃいるが……アストレア側の船を落とすなりして団旗を破壊するのは望み薄だろうな」
腕を組んでそう口にするのは、港町の漁師達の頭でもある男神ニョルズだ。元々あった【イシュタル・ファミリア】のガレー船は10隻。その内3隻は破壊―ベル達のいる船も直に沈む―。さらに2隻は乗っ取られ距離を取られている。残るのは5隻であり、両サイドから攻め込む形で最後尾にあった1隻に乗り込まれた形となる。なまじ少数精鋭派閥、今からイシュタルの眷族達が船を動かし正義の団旗を見つけ出し破壊するのは難しいだろう。
「アストレアの眷族共は粒ぞろいじゃのぉ」
ニョルズの横で幼女の声。
樽の上で胡坐をかき、特徴的な仮面を被った幼女神がそこにいた。闘争の女神、カーリーだ。彼女はここメレンに、
「船という限られた足場での戦闘など、海上を主戦場とする
「あのなカーリー、
「ああ、それもそうかすまんすまん」
カーリーの眷族は
彼女達の故郷は『
「しかし
「可能性だけならな」
『敵派閥の全滅』
それを達成さえすれば、現状からでも【イシュタル・ファミリア】は勝利を勝ち取ることはできる。その可能性はある。
「が、しかし」
「む?」
「最後尾の船に今、アストレアの眷族が7人。そこにいる全員がLv.4」
「イシュタルの眷族とて、似たようなもんじゃろう? いや、だとしたらここまで追い込まれてはおらんか」
「ああ…アストレアの眷族達は今年ランクアップした【
ニョルズは『鏡』を指さし、続ける。
「離れている残りのアストレアの眷族達を相手しなくてはならない。【
「然り、じゃな。
指輪から生まれる障壁しかり、魔法を無効化する光翼しかり、黒いロングマフラーしかり、
「指輪に盾……あのガキの
「お前のルールを押し付けられてもなあ……まあ、過保護なのは否定しないが」
アストレアもその娘達も、ベルのこと昔っから猫かわいがりしてたしなー。というニョルズは頬をぽりぽりと掻いた。そして、ところでと前置きを置いて口を開く。
「あいつらの別荘の弁償は、済んだか?」
「あ~~~なぁ~~んの、ことじゃったかなあ~~~~???」
「ロキのとこ巻き込んで、港町で散々暴れ回ってくれたよな?」
「ん~~~ワチィ、よく、わかんにゃ~い」
「まったく可愛くないぞ、カーリー」
「チッ! もういいじゃろ、はい反省してまーす! 水に流してくださーい!」
「はぁ……ベルに知られたら樽に詰められて沈められるぞお前」
「はぁ!? 女神に手を出せるガキとか正気か!?」
「だってあいつヘラの眷族の血筋だぞ」
「――――――」
ひゅっ、と喉から空気を漏らすカーリー。
彼女達はロキとのドンパチで【アストレア・ファミリア】の別荘を巻き込んでしまったのだ。事故だと言ったところでアストレアの眷族は聞き入れないだろう。ロキが「ああ、あの別荘アストレアのとこのやったんか。すまんすまん、カーリーがやった」と言っていればもう少し早めに「
「―――ん? あの、ニョルズ様」
神同士、観戦しながら語っていると漁師の1人が声をかけてきた。この
「どうしたロッド?」
ロッドと呼ばれる青年は頭を掻くように手を置きながら、言いにくそうに呻き主神の言葉を貰おうとやがて口を開く。
「どうも海の様子がおかしくて……ニョルズ様に確認を取ろうかと」
「海?」
「ええ、岸や堤防を見てもらえば…僅かですけど、
極々僅か。
けれどその微かな変化にロッドは「嫌な予感がして」と言う。雨が降ろうが風が吹こうが
「――――港にいる子達を避難させろ」
「む? どうした、ニョルズ?」
顔つきを変えたニョルズに首を傾げるカーリーが問うが、男神は忙しなく動き出すのだった。
× × ×
???
「―――素晴らしい戦績だ」
「よかったねえ【大和竜胆】、これでハッピーエンドじゃん。しばらくは神々にいじられるかもしれないけれど、まっ、救われはしたんでしょ」
エレボスは『鏡』より観戦していた光景に賛辞を投げる。隣で同じく観戦していたタナトスもまた諸手を上げて手を叩く。片手間に
(戦況を
「そういえば、タナトス」
「?」
「辛き事、悲しき事、憎き事、恨み事、嬉しき事、楽しき事、忘れ事、絶望、希望、あらゆる万象を解決する方法があるとすればそれは何だと思う?」
「それは……
タナトスが片眉を上げて、エレボスに問い返すが返って来る返答はなく彼は場外から『牛』の駒をまだ立っている駒達を横から喰らうように配置した。
「――――――
エレボスはグラスに注がれた水を『牛』の駒のいるほうから盤上に流し込む。勢いよく、駒達は流れ込んだ水によって倒れ、流され、落ちていった。
「さて問題、俺は確かにその名を口にしていた。その名は、何だろうか」
目を見開くタナトスは、しかし、悪の頂点に立っていた男神の所業に口元を歪ませ笑む。『鏡』には、その答えともいえる影が映っていた。
× × ×
戦場
「詰みだぜ、
「ちっ……」
「私はてっきり、【
「私まで前線に出ちまったら、防衛に敷く人員の質が落ちる。残るしかなかったのさ」
甲板にて対峙する
(勝ち目はない……それはわかるが)
わかるが、降参なんて本能的にできない。性分でもない。血の衝動のままに熱い戦いを繰り広げて散る。そうでなくてはならない。両手を上げる? 白旗を掲げる? 冗談じゃない。そんな無様、
「イスカ、ネーゼは団旗を探せ」
「見つけたら即破壊か?」
「いや、甲板に持ってきてくれ」
「どうして?」
「船内にあったとして破壊したとしても『鏡』には映るだろうが、甲板でわかりやすく、見えるようにやった方が
ライラの指示に、やがてネーゼとイスカが従う。苦虫を噛み潰すように唇を噛み締めるイシュタルの眷族達にあるのは勝てないことに対する悔しさ。ここで負けるにしても戦って敗れるべきだと本能では理解しているが、ここで叫び襲い掛かったところで木刀を握り締めている【疾風】やいつでも魔法が撃てると
「――――魔力?」
違和感。
それは
「何だ……」
「ねえ、船、動いてない?」
「いえ動いているというよりこれは……」
「引き寄せられている……」
ライラが、ノインが、リューが、そしてアイシャが言う。『冒険者』としての勘が、警鐘を鳴らしている。これは『
× × ×
アリーゼ達もまた、リュー達と同じく違和感を感じ取っていた。自分達が戦っている戦場より横やりを入れるように引き寄せられる感覚。
「魔力……!?」
アリーゼがLv.5へと昇華されたことで強化された視力で、その瞳に映った敵影に顔色を変える。自分達の団長の顔色に「やばい」ことだけを感じ取ったマリューはまだ動けそうにないベルを抱えようとベルの背に腕を回す。
「何で、こんなところにいるの……!?」
× × ×
「【―――代行者ノ名ニオイテ命ジル与エラレシ我ガ名ハ
冒険者達の乗るガレー船よりも大きい、帆のない『ガレオン船』といったところか。それはゆっくりと近づいてきていたのだ。青い空、雲なき快晴、燦々と照らす日光。戦争遊戯をするには
「おいおいおい……!?」
「あれは……そんな、馬鹿な!? 59階層にいた同種!?」
血相を変えるライラと記憶の中にいる怪物がダブり、目に映る存在に「何故ここにいるのか」と声を荒げるリュー。
「~~~~っ、春姫ぇ!?」
紛れもなく『牛』の体型を象る総身の中で、唯一の異物を挙げるとすれば、それは額に当たる位置に存在する『女』の姿。不気味な微笑を張り付けた、女体の上半身。
「【
高まる埒外の魔力に、最大級の脳内で警鐘が鳴る。冒険者達は、叫ぶ。そして、その怪物は魔法を放つ。
「――【タイダルウェーブ】」
横やりよろしく、巨大な船よりおぞましき声音でその魔法の名が囁かれる。音を立てて迫るのは巨大な水の塊。高波にして、古来より天変地異が一つにして怪物が人類を脅かすよりも遥か前より命を奪う現象。津波が、戦場を飲み込んだのだ。