下町の鶴   作:瀧ヶ花真太郎

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100.浅い眠り

 

下町の鶴

10章-明希の祈り-

☆Episode.100「浅い眠り」

 

目が覚めると我が家にも古巣にも似つかない景色で、頭の整理が追い付かない。先程まで見ていた夢の続きなのか、そうでなければ本当にここがどこなのか見当もつかない。ゆっくりと上体を起こすと、身体を撫でるように見慣れない布団が滑り降りていく。窓の外を見ると緩やかなカーブを描くように数本の電線が垂れていていて、その奥では切妻屋根の先端でスズメたちが遊び回っていた。

「どう?良くなった?」

ぼんやりとしていた時に突然人の声がしたので、電気が走るみたいにびくついた。

「お嬢ちゃん、道路に倒れ込んでたんだよ」

声のする方に恐る恐る目をやると、優しそうな笑みを浮かべる女の人の口元が見える。優しさが怖いのか、断りなしに人の敷地にいる緊張なのか、私はその刹那、突然強い腹痛に見舞われた。それは短い間だけだったけど、起こした上体が前屈みになる程の痛みだった。

「よしよし、大丈夫だよ。大丈夫だよ」

私が悶えるのに対し、その人はそっと背中を擦りながら言葉をかけてくれる。何だか申し訳ない気分で一杯だったが、今の自分には抵抗するだけの体力もなかった。

「随分とげっそりしてるね。何かお腹に入れないと」

「大丈夫です、お気遣いなく。暫くしたら出ていきますんで」

焦って足腰に力を入れると、今度は立ち眩みで頭がふらつく。何でこんなにも体が言うことを聞かないんだ。あまり人に気を遣わせたくないのに。

「無理しないの。食欲はある?」

「良いですから」

「良くない。ちゃんと答えて」

断ろうとする私の声に被せて問うので、どうにも受け答えに戸惑ってしまう。ある、と答えさせようとしてるのか、しかし今の体調で胃に物を入れると今度こそ吐いてしまいそうな気がして、私は慎重に自分の状態を打ち明けた。

「....あまり、ないです」

「そっか...。ならとりあえず、一旦落ち着くまで休んでなさい」

「すみません、ご迷惑おかけします」

「気にしないで。あ、そうだ。ご家族のお電話番号って分かるかしら?家でお預かりしてるって伝えなきゃ。お父さんお母さん、きっと心配してるでしょうし」

「あ、えっと....その」

父に連絡を入れられると探偵さんが責められてしまうことが明らかだったから正直に言えなかった。家には内緒で捜索を手伝って貰っていたし、今回のことで探偵さんが関わっていると父に知られたら、私の身を危険に晒した、と探偵さんに責任を追求することだろう。せっかく手伝って貰ってるのに、その恩をこんな形で返すわけには絶対にいかない。私は探偵さんの番号を叔父さんという体で伝えることにした。

「お嬢ちゃん、お名前は?」

「四倉です。四倉明希」

「明希ちゃんね。ありがとう」

早速、その女の人は電話のボタンに指を立てる。一先ずはこれで探偵さんに迎えに来てもらおう。無茶をして、人様のお家でご厄介になってしまうという大失態まで晒してしまったけど、大事には至らなくて良かった。

「明希ちゃん、叔父さんが代わって欲しいって」

そう言われると、私は水を得た魚のように受話器に向かった。手に取って頬に抱きよせる。片耳から探偵さんの声が聞こえた瞬間、氷が溶けたみたいに緊張がほどけ、その反動で泣きそうになるのを必死に抑えた。

「明希ちゃん、無事か」

「おじさん、おじさんおじさんおじさん」

「落ち着け。車の無線を使ってる。ゆっくり喋りな」

「わたし....私....」

何も読み取れない状況と、絶えずやってくる受け止めきれない情報量に頭がパニックになってしまっていたから、探偵さんの声ひとつでこんなにも安心する。今の私からすれば、片耳から聞こえてくる声だけが夢の外側なんだ。

「ごめんなさい。私のせいで」

「責めるな。俺が最初からそばに居ておけばこうはならなかったんだ」

「でも―――」

気持ちが落ち着かないまま、出来ることならいつまででも自責の念を聞いて欲しいと思っていた。気持ちがぐちゃぐちゃで、平静なんて保てっこなくて、でもそれが甘えだということも分かっていた。浅い水面で必死に呼吸をするように、頭では分かっていながら心臓が落ち着かない。

探偵さんはそんな私を宥めるように、優しい声でこう言った。

「良いかい、今は電話越しでしかサポート出来ない。その先は自分で判断して行動してくれ」

「待って待って、私なにも分からない」

「大丈夫。安心しきらず、警戒しきらずだ。」

「安心、しき...?」

「その家の人は君に何を求めてる?それを考えてみてごらん。難しく考えなくて良い」

「どういう...意味ですか?」

「それが自分にとって安全か、危険かの判断材料になる。何も会う人すべてが危険人物とは限らないんだ。今の君にはそう考える方が良い」

「おじさんは?これからどうするんですか」

「君の言う"四季乃ちゃんらしき女の子"を見かけた」

「え...?」

胸を撫で下ろす間も無く、まるで本で風を扇ぐように状況が移り変わっていく。ようやく四季乃の情報を得られたのに、ここからでは何も出来ないのが悔しい。一秒でも早くその情報を確かなものにしたい、一目で良いから彼女が元気でいるという証拠を焼き付けたい。逸る心は息を吸うタイミングさえ忘れたまま、探偵さんに次へ次へと言葉を求める。空腹の狼にご馳走をちらつかせるみたいに。そんな私に探偵さんは真っ直ぐに答えてくれた。

「いま駅前にいる。ここで出来ることは全てやっておくから、後は俺に賭けてくれないか」

「私に出来ることは何か――」

「ない。明希ちゃんは今自分が直面してるものだけに集中してくれ」

「そんな...」

「そう焦るな。俺は何があってもクライアントに被害は出さない。任務に一切の手抜きをしないのが流儀だ。プロを信用してくれ。」

焦る私を置き去りにするように、受話器からは無機質なビジートーンが鳴り響く。頭が真っ白になった。震えた手から受話器を滑り落とすと、背後から私を心配する声が聞こえてくる。私は咄嗟に思いついた言い訳を彼女に話し、その場を凌ごうとした。

「えっと...、叔父さん今日は仕事が長引くみたいで」

「そっか。居心地悪いかもだけど、良くなるまで少し休んでって。今の状態で自力で帰るのはさすがに無理があるから」

「す、すみません...。ご厄介になります」

居心地が悪いというよりは、何をすれば良いかが分からない。ただ知らない人の家で安静にしているというのも変な気分だ。

「もうすぐクリスマスだね」

女の人は呟くように話しかける。

「え?ええ、そうですね」

「イルミネーションとか好き?街歩いてるとどこも綺麗だよね」

「素敵ですよね。人混みが苦手なのでイブとか当日はあまり出かけないですが」

言われてから気づく。そういえばもうそんな時期なのか。恋人たちのイベントというとは私にとっては無縁すぎて、気にすることもあまりなかった。もしクリスチャンの家庭にでも生まれていたのだとしたら、それはそれで違う楽しみを得られたのかもしれないけど。

女の人はどこか寂しそうな背中で私に話す。

「今年は久しぶりにクリスマスパーティーでもやろうかなって思ってるの。子供たちにあまり良い思いさせてやれてないからさ」

「お子さん居られるんですね」

「ええ。ちょうど君くらいの子が二人ね。今息子はお薬買いに行ってくれてる」

「お薬?」

「明希ちゃんの症状を少し診てみたんだけど、胃腸の薬をちょうど切らしちゃっててね」

「わざわざそんな!申し訳ないです」

「心配しないで。これでも元は医者やってたんだから」

「お医者さん...?」

「ええ。体悪くしてからは続かなくなって辞めたけど、私に出来る限りのことはこれからもやっていきたいって思ってる」

ここまで尽くしてくれるのも、かつてのお医者さんとしての信念が故のものなのだろうと思った。ふと見上げると、鴨居の上の壁には医療関係の表彰状と思しきものが額縁に飾られているのが目に映る。嘘をつく理由もないと思い、こうして優しくしてくれることにほんの少し安心を覚えた。

いまにも雪が降りそうな夕暮れ時、窓辺に飾られた可愛らしい置物が外の光を縁取る。ぼんやりしていると、玄関の扉が開く音がした。

「お帰り」

「お母さん、誰か来てるの?」

女の子の声だった。娘さんだろうか?恐らく玄関にある私の靴を見て疑問を投げているのだろう。私が道端で倒れていたことを話すと、娘さんは少し呆れ気味に言葉を返す。

「また?少しは自分の生活のことも考えてよ。慈善ボランティアやってるんじゃないんだから」

「職業病ね。でも、死にかけの人を放ってはおけないよ」

「そうやっていっつもさ、お母さんはさ....」

ため息まじりに文句を垂れながら女の子の足音はこちらに向かってくる。どう思われてるのか、でも会ったら挨拶くらいはしなくちゃと思う。布団に視線を落として台詞を考えていると足音は突然止まり、同時にドスンと荷物の落ちる音が響く。私に怒っているのだろうか。びっくりして音のした方に顔を向けると、茫然と立ち尽くす少女の姿が目に映った。酷く驚いた表情をしていたのは彼女も同じだったみたい。しかしその顔を目にした時、止まったはずの時計が胸の奥で確かに動いた。

 

「明希....?」

 

つづく、

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