下町の鶴   作:瀧ヶ花真太郎

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遠い北の国には、寒さにも暑さにも弱い花が咲くという。春の間だけ、それも咲かすことさえ難しい花だそうだ。そんな弱々しい生きざまを思うと、つい人の心と重ねて考えてしまうものだ。
街を歩いていると、微笑ましい光景と何度もすれ違う。その度に私は欠けた家族の姿と重ねようとして、そこにさえ辿り着ければ報われる、などと心のどこかで信じている。荒んだ気持ちで歩いていると、街のどこかから父の好きだった音楽が流れてきた。子供の頃、一緒に何度も口ずさんだ歌を。ふと足を止める。周りはみんな幸せ者だらけで、私だけがこんな気持ちを背負って歩いている。妬ましくて、どうしようもないほど悔しくて、私今度こそ死んでやろうと思った。ビルの屋上から身を投げて、一夜で消えるほどの哀れみでも貰えたなら少しは救われるだろう、って。少しは幸せ者の仲間になれるだろう、って。
そこらで買った缶チューハイをぐっと喉に流し込む。アルコールが強かったのか、頭がズキズキと痛むのが不快だ。そのもう片方の酔いで気を紛らわしながら、白い息が空に消えていく光景を見つめた。何だか生きてることが馬鹿らしく思えてくる。やっと手にした幸せさえ、こんなにも一瞬で消えてしまうのなら。
少しふらつく足で家路につく。こんな人生は明日にでも終われば良いと心底願っていた。

君とまた会うまでは。


101.ライラック

 

下町の鶴

10章-明希の祈り-

☆Episode.101「ライラック」

 

目の前にいる少女があまりにも四季乃に似ているので、思わず体が固まった。

「四季乃ちゃん...?」

そう呟くと、瞬く間に私は彼女の腕の中に抱きしめられていた。胃がからっぽのはずなのに食欲がどこかへ飛んでいって、死にかけの表情だったのが彼女の不安を煽ったのだろう。

「明希、ごめんね、ごめんね...」

耳元から啜り泣く声が聞こえて、私も彼女を抱きよせる。深く髪の匂いを嗅ぐと、思わず笑顔がこぼれてしまった。

「ふふ、四季乃ちゃんだあ」

「明希、会いたかった」

頬を擦りよせ、彼女の熱を感じる。今、四季乃がこうして私の腕のなかで息をしているということが何よりも嬉しかった。

それから二人が泣き止むと、布団に隣同士で腰かけて長いお喋りに耽った。どこか大人びたと言ってきた四季乃に対し、少しからかいまじりに言い返す。

「老けたねえ~っていうつもりだったけど、全然変わってないね、四季乃ちゃん」

「だってまだ数ヶ月だよ?老ける程じゃない」

「数ヶ月?嘘だ。五年は経ってる」

「本当だって。五年ならその服は何さ」

自分の身体に視線を落とすと、制服姿でいることに気がつく。辺りを見渡すと、探偵さんから借りたコートは壁に丁寧にハンガー掛けされていた。そして、四季乃は私の制服をじっと見つめて言う。

「懐かしいな、その制服。もうあれから全然着てないや」

「そっか。そうだよね、もう学校じゃ会えないんだもんね」

「そうだね。何だか今になって辞めるんじゃなかったって思えてさ」

四季乃は笑顔でそう言うが、明るさだけでは誤魔化しきれていないところを見て会話が続かなくなる。気まずい空気を変えようと、私はポケットから四季乃の手紙を取り出して言った。

「手紙、ありがとうね。生きてる人に使う言葉じゃないけど、形見にしてずっと持ってた」

「うわあ、やめてよ...恥ずかしいなあ...」

「恥ずかしくなんかないよ。この手紙のお陰で今まで頑張ってこれたんだから」

居たたまれなくなったのか、四季乃は頬を赤くして黙り込む。それでも私は止むことなく言葉を送り続けた。会えずにいた空白が何ヵ月であろうと、この唇は彼女に伝えたいことで溢れていたから。

「ただいま。薬買ってきたけど」

ドアの開く音と共に聞えて来たのは四季乃のお兄さんの声。母親と短い会話を交わし、こちらにやってきて、私が起きていることに気がつくと穏やかな声で言葉を掛けた。

「やあ、体調はどう?」

「は、はい。お陰様で」

「それは良かった」

放課後から、あの路地で気を失うまで彼を付けていたせいで気まずさが半端じゃない。お兄さんはさり気なく心配してくれるが、今はその優しさに胸が痛む。

「あまり気ぃ遣わせんなよ」

私の緊張した態度を見てか、四季乃は兄に向けて呆れ顔で言い放つ。お兄さんは

「はいはい」

と、いつものことのように適当に流し、キッチンの方へ歩いて行った。

「ごめんね、お兄ちゃん鈍感でさ」

「え?大丈夫、全然そんなことないよ」

兄妹のやり取りなんてあまり目にしないから、一人っ子の私にとっては新鮮に映る。同世代の人間が同じ屋根の下で家族として暮らしてるなんて不思議だな。私にはちっともその感覚が分からない。

暫くすると、四季乃のお母さんは夕飯の完成を家族に知らせた。それを聞き、のそのそと台所へ集まる光景を見ていると、どこか懐かしくて温かい気持ちにさせられる。

「明希ちゃんもほら、おいで」

ぼんやり見とれている私を、四季乃のお母さんは食卓に誘った。自分なんかが人の食事の輪に入っていいのか、それを考えている内に四季乃が手を引いた。

「新しい家族が出来たみたいね」

四季乃のお母さんが笑みを浮かべる。続けて四季乃が

「藤島家の妹にしちゃあ可愛すぎるな。」

などと冗談を交えて言うので、恥ずかしくなって口を噤んだ。

いただきます。みんなで手を合わせて夕食にありつく。真ん中の大きな皿に乗った肉料理のおかずをそれぞれが取り合う光景は、まるで都会の車の流れのように忙しくて、箸を伸ばすタイミングが全然掴めない。暫く経ってそれに気づいた四季乃が、思い出したようにこちらを向き、私の分のおかずをよそってくれた。

「明希、お肉好き?こんくらいで良い?」

「え、そんな、お気遣いなく」

「良いの良いの。食べれそうだったらどんどん食べてって」

こちらに意識が向いた途端に手厚くもてなしてくれる彼女。迷っていると、今度はお兄さんが四季乃に指摘を入れた。

「四倉さん、お腹の調子良くないんだろ?」

「え、そうなの?」

「それで母さんに頼まれて薬買ってきたんじゃないか」

「ごめん明希」

反省する彼女に、お兄さんが

「考えろよ」

と一言多く入れてしまい、四季乃の中の何かがピキンと切れる。

「何その言い方。私だって何も聞いてないんですけど」

「見てわかるだろ。そうやっておかず押し付けんの、端から見てて相当うざいぞ」

「なに、風紀委員ごっこでもしてる?悪いけどそういうことやる暇あったら働いてくれないかな。学費食ってるだけの格好つけとか家にいらん」

「何だお前」

あまりにも些細なところから勃発した兄妹喧嘩。母親が仲裁に入ろうとするが、二人の耳にはまるで入っていない。こうなればきっと手に負えないのだろう。四季乃のお母さんにがっくりとした雰囲気で謝られて薄々そう感じた。

それから数分ほど経ち、二人は

「ふん!」

と互いに顔を背けて食事に戻った。

静かになった部屋に気まずさが充満する。一秒でも早く距離を置きたいのか、二人ともそそくさと口を動かしている。もはや味わってなどいない。どうしようかと下を向いて固まっていると、ものの数十秒でお兄さんが

「ご馳走さま」

と言って席を立った。何かの準備をしながら、これ見よがしにドタドタと歩いて妹を威嚇している。四季乃に効いているのかは知らないが、こちらからしたら結構怖い。私は四季乃側についているものと思われてそうだし、その飛び火がこちらに飛んでこないかヒヤヒヤする。

一人になれる場所が家になくて、お兄さんは玄関に向かい靴を履きだした。

「どこ行くの?」

と母親が尋ねると

「頭冷やす。一時間で戻る」

と短く残して扉を開ける。

「そのまま冷たくなっちまえ」

「四季乃!!」

彼女の捨て台詞にお母さんが怒鳴った。

また部屋に静寂が戻る。何て言うか、空気がもうお通夜のそれだ。今お経や讃美歌が聞こえてきても私、驚かない自信あるぞ。気を紛らわそうとおかずを口にする。部屋にシャキシャキと咀嚼する音が響いて余計恥ずかしくなる。この空気にそろそろ耐えられなくなってきた辺り、四季乃が渋い顔で言った。

「明希...」

「は、はい」

「ごめん」

「い、いいよ」

 

食事を終えてからはずっと四季乃とお喋りばかりしていた気がする。何時間話していたんだろうか。探偵さんの存在を完全に忘れてしまっていたくらいだから。

「そうだ、連絡先交換しようよ」

「本当?また四季乃ちゃんと会える?」

「この前は一方的に置き手紙で別れちゃったからさ」

四季乃は鞄の中を漁り、メモ帳を取り出して一枚破った。彼女はそれを床に置いてペンを滑らせる。番号がすらすらと書かれていく様を真横で見つめた。

「はい、これ。家の番号」

「ありがとう」

紙を手に取り、四季乃の字で書かれた数字列をじっと見る。初めから覚えるつもりでなぞっていると、横からくすくすと笑われた。

「そんなことしなくたってその紙あげるから」

「失くしちゃっても良いように」

「大丈夫だよ。心配性だな」

宥める言葉も気にかけないでまじまじと見るので、見かねた四季乃がもう一枚メモ帳を破った。

「私にも書いてよ、明希ん家の番号」

「え?」

「これなら明希が失くしても大丈夫でしょ」

私の方へ向けられた紙とボールペン。それを焦るように手に取り、番号を書き記す。ついでに住所も載せて手渡すと、四季乃はそれを大切そうに電話機の横の壁に貼り付けた。

「これで忘れない」

こちらに振り向いて微笑む。その優しい眼差しを見ているとだんだん不安になって、私は立ち上がり四季乃の腕を掴んだ。

「もうどこにも行かないで」

「え?」

「また何も言わずに消えちゃうんじゃないかって不安なの」

「大丈夫だよ。もうどこにも行かない」

「本当?」

「本当だよ。少なくとも明希の前からは、絶対」

「ありが...とう」

「約束」

四季乃はそう言って小指を向けた。その指先と表情を交互に見る。彼女の澄んだ瞳に、心までもが見透かされたような気がして。私は彼女を信じることにした。今までの寂しかった気持ちと、その先の不安を胸に抱えたまま。

「うん、約束」

私は、そこに小指を絡めた。

 

10章.明希の祈り おしまい





帰り道、四季乃が駅前まで見送ってくれた。その道中で私はネオン街での出来事を話した。
「フウカに会ったの。四季乃ちゃんが居たネオン街で」
そう言うと彼女は一呼吸分ほど固まって考えたが、次第に意味を理解していく内に目を丸くしていった。
「何しに行ったの」
「遊びの途中、寄ってね。ちょうどそっちの話してる時に話しかけてきて」
それから私は、フウカとの短い思い出を彼女に話した。初めてのことだらけで何だか冒険してるような気分になったけど、それを四季乃は冷や冷やした顔で心配そうに聞いていた。一通り話し終えると、四季乃は胸をなでおろすように溜息を吐く。
「色々助けて貰ったよ、あの子には」
「へえ」
「あの街での生き方とか、上手い稼ぎ方とか。本来なら客の取り合いでライバル同士のはずなのにね」
「良い子だね。ちょっと変わったとこあるけど」
「変わってなきゃやってけないよ、あの場所は」
四季乃の横顔を見つめる。戻りたい時間を懐かしむようなその表情。それはあの時のフウカと同じようなものに思えた。
「四季乃ちゃん」
「うん?」
「フウカから伝言」
こてっ、と首を傾げる四季乃。
「たまには顔見せてくれ、って」
「はは」
「仕事仲間じゃなくて、せめて友達として」
彼女は少しのあいだ言葉を噤んだ。
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