下町の鶴
11章-魅力-
☆Episode.106「ほんの一部」
私は今、とても気分が良い。家のチャイムが鳴り響き、宅配だと思って扉を開けるとそこには叔父さんが立っていたから。叔父さんは昔からいつも予定を告げずにやってきて、いつも私に優しくしてくれる。正月も終わりかけでやることもなく、ぼーっとしていたところに訪れた幸運だった。
「久しぶり。どうしたの?」
「どうしてるかなって思って。元気か?」
「うん、まあまあかな。暫く居るの?」
「ああ。今日は休みだよ」
「そっかそっか。じゃあゆっくりしてって」
ちょうど家族は家を空けていて、予定のない私に相も変わらず留守番を押し付けられていたから。家族はみんなアウトドア寄りな方で、どっちでも良い派の私が毎回こうなる。そのアウトドア星人の一員である叔父さんがここに立ち寄るなんて予想もしてなかった。
「茨城の方へ走りに行こうと思ったんだけどね」
「茨城?遠いね」
「そうだ、家の工具借りて良いかい?暫く整備してなくて、直せる範囲だけでも直しとこうかなって」
「え、良いけど」
「黙々とやるのも何だし、見てく?」
お喋りしていられるならどんな状況だって構わない。一緒にいられるのが何より楽しいから。私は目を輝かせて言い返した。
「うん、見てく!」
紺色の作業ズボンと年期の入ったデニムジャケット姿で、機械いじりに慣れてそうな雰囲気の叔父さん。背中を追って外に出てみると、これまた年期の入った渋い単車が家の前に停まってた。
「これ、叔父ちゃんの?」
「ああ。最高に古臭いだろ?」
誇らしげな声色で言い放つ叔父さん。恐らく褒め言葉のつもりで言ってる。その証拠に
「格好良い」
と返すと、照れ臭そうに笑った。
工具を彼の前に持ってくると、何やらあちらこちらとネジのようなものを外して作業に入った。
「瑞希、工具箱からレンチ取ってくれ」
「レンチ?」
「あれだ。その、先端がコの字みたいな形のやつ」
目線を下に落としてみると、ぎっしりと工具が揃っていてどれか分からない。言われたものに類似したものを幾つか見つけ、当てずっぽうにその一つを手にとって聞いてみる。
「これ?」
叔父さんはアスファルトに寝そべったままの体勢で首をこちらに向けて言う。
「ああ、それそれ。こっちに頼む」
私には小難しい作業に見えてならないが叔父さん曰く、まだこれは初心者レベルの整備だと言う。ビニール袋から部品を取り出し、付け替え作業をする傍らでお喋りを楽しんでいた。
「学校はどうだ、上手くやれてるか?」
「まあ、ぼちぼちって感じ」
「そうか。辛くないなら何よりだ」
「大丈夫。そんな切羽詰まってないよ」
「それは良かった」
叔父さんは数秒ほど作業に集中して黙ったあと、笑いながら話した。
「俺もまあ、散々こき使われてきたからな」
「え、どうして?」
「何かね、話しかけやすいんだよ、周りからすると。それを悪用するやつも中には居てね」
「嫌だって言わなかったの?」
「俺そういうのハッキリ言えないから」
「ああ...」
「ほら、瑞希も俺と少し似てるとこあるだろ?心配でさ」
「私は大丈夫。気にしないで」
「ま、無理はしないでくれよ」
そう話しながら、叔父さんの手は少しずつ油で汚れていった。
ただ無感情に叔父さんの手元を見つめながら、お喋りに耽ること約ニ十分。チェーンに新しいオイルを吹きかけ、取り敢えずは、と言って真っ黒な手を払った叔父さんは、私にその出来映えを見せて
「どうだ、綺麗になったんじゃないか?」
と、深く息を吐いて言った。
「うん。良いんじゃない?」
「軽いなあ」
「ごめん、あまり詳しくなくて」
「ま、それで我慢しとくか」
期待通りの反応が得られなくてズッコケる様子を苦笑いで見届ける。分からなくても少しは驚いてあげるべきだったかな。叔父さんは手を洗いに行くついでにこちらの方を向いて言った。
「そうだ。良かったらコイツでちょっと出掛けてみないかい?」
「え?」
「結構寒いから着込むことになるが、それで良いなら」
今まで休みの日に街へ連れていってくれることはあったが、単車の後ろに乗せて貰える機会は生まれて初めてだった。突然のことで動揺して、私は言葉を吃らせながら尋ねた。
「え、嬉しいんだけど、どうするの?ヘルメットとか」
すると叔父さんは何か企んでいるような少年の笑みを浮かべ、小声で答える。
「ついてきな。母さんには内緒だぞ」
バレたら確実に怒られる内容なのは、その発言から簡単に察することが出来た。何をする気なのかと恐る恐るついていくと、叔父さんは押し入れの前に立って扉を開けた。そして体をぐっと奥の方に潜り込ませると、取り出したものを一つ一つ私の方にパスしてきた。
「え、え?なにこれ」
奥から色々とバイク用品が出てくる。いつの間にこんなところに隠し入れていたのか。良い意味かはさておきとして、茫然としている私にこう言う。
「新しいのを買ったときに置き場がなくてね。一時的にここを間借りしてたんだが、いやはやこのタイミングで出すことになるとは」
「いつから仕舞ってたの...?」
「そうだな、もうそろそろ二年経つかも」
よくバレなかったな。家けっこう綺麗好き多いのに。
一旦部屋に戻り、防寒着に着替えてきた私を見て叔父さんは
「寒さ対策にもお洒落か。女の子ってのは大変だな」
と、大して思ってもいなさそうな口調で放つ。何だかからかわれた気がして
「男の人だって少しくらいは気にするでしょ?」
と反論しようとしたが、ほぼ作業着の格好が目に映り、喉から出かかる寸前で言い留まった。
ヘルメットは私の頭とサイズがあってないのか、首を動かせば少しぐらぐらと揺れだす。グローブも、指を先端に付けるにはどう頑張ってもあと数センチ届かない。壁に押し当てると、グローブの指先がぺチャンと潰れてしまう。これで本当に大丈夫か不安になってきた。叔父さんは台所のテーブルに
"瑞希を借りてく。留守番の代役はこちら"
と置き手紙をメモに残し、その横に可愛く小さなマスコットのお土産を添えた。
再び寒空の下に出る。叔父さんは単車のエンジンをかけて、静かな住宅街にボンボンと低い音を響かせた。
「ほら、乗りな」
そう言われるがままに後ろのシートに跨がると、その振動がお尻に伝わってくる。ちょっぴりくすぐったくて、でもすぐに慣れて楽しさがやってきた。暫くその感覚をこの場で楽しむつもりでいたのだが、すぐにエンジンを吹かしはじめるので一気に緊張感が押し寄せる。
「よおし、しっかり掴まってろよ」
「え、ちょっ....まだ心の準備が」
怖気づく私の声など気にも止めずに走り出した車体。叔父さんにしがみつく腕が振りほどかれそうになって、思わず「きゃああ!」と叫んでしまった。足元を見ると目の先にアスファルトがあって、降りたいと言ってもすぐには降りられないことを思うと怖くてたまらない。それ故に信号で止まる度に安堵感に浸り、小刻みに呼吸を繰り返した。これに慣れるまでにどれだけの修行を積まなきゃいけないんだろう。少なくともその頃には清水の舞台からも平気で飛び下りられるはず。
そのまま五分くらい走っただろうか、私には三十分に思えたが。
"早く終わってくれ"
そう胸の内に繰り返しながら強くしがみついていると、叔父さんが言う。
「瑞希、顔上げてみな」
「怖い、無理!!」
落ちたら大怪我だ。その意識が強くて全然思うように動かない。
「大丈夫だって。ほら、あそこ」
強い風に押されながら恐る恐る目を開けてみる。するとどうだろう、目の前には懐かしい景色が広がっていた。
「覚えてるか?すぐ寝ちゃったから忘れてるかもしれないけど」
目に映ったのは、昔叔父さんに連れられて歩いた町の風景。まだバイクに跨がってそんなに経たないのに、こんな近くに思い出の地があったなんて。生まれた町なのに、まだ知らないことで溢れている。そんな風に思うと、どこか心の奥に不思議な温かさが染み渡った。
冷たい風に吹かれながら、さっきまでの恐怖がどこかに拐われていることに気づく。掴まり方も力が抜けて、楽な姿勢を保てるようになっていた。
「ほらな、怖くないだろ?」
「ほんとだ。何でだろう」
バイクの良さがどういうものか今まで分からなかったけど、こんな風に町を駆け抜けてみて理解できた気がする。ずっと悩んでいたことや、暗く自分を責めたくなるような気持ちがどこかへ飛んでいってしまう。きっとそれが楽しくて乗っているのだろう。
私が見ていた世界は狭かったのかもしれない。全てだと思っていたものは、ほんの一部でしかなかったのかもしれない。そんな当たり前で素敵なものを、この冬休みの瀬に感じることができた。
つづく。