下町の鶴
11章-魅力-
☆Episode.111「存在」
今日は珍しく河島のいない一日。風邪で寝込んでいる、と朝のホームルームで先生が言っていたけど、あの河島が?と驚きが絶えない。瑞希らも
「え、珍しいね」
などと言って目を丸くしていた。そういう訳でこの日はどうも休み時間が物足りない感じがあった。山岸と話していても間にボケを挟んでくる奴がいないし、同じクラスの女子は既に話の輪が完成していて入りづらい。ただボーっとしてるだけで休み時間を潰すのも勿体ない。いつものメンツが少しでも欠けるとこうも退屈になるものなのか。昼休みに入った頃には何だかもう抜け殻みたいで、窓の外を見つめては溜息ばかりついていた。
「あ、いたいた。つるりーん」
そんな私を見つけた瑞希が声を掛け、遊びに誘って来てくれる。そこでいつもの元気がないのに気づくと、彼女は訳を尋ねてきた。
「ははーん、河島くん不足がもうそこまで」
早速からかわれた。その顔に浮かぶ笑顔を見る限り悪戯のつもりではなさそうだが、悪気のない犯行ってのは何よりも強烈なんだよ、瑞希。
「もう、そういうんじゃないって。みっちゃんだって明希が学校来なかったら気持ち下がるでしょ?」
「うーん、確かに」
「そういうこと。ほら、アイツいないとやけに静かじゃん」
瑞希にこの教室を一望させる。私も振り返って見渡してみるけど改めて実感する。やっぱり静かだ。司会のないバラエティーを見ているみたいで、空気にハリがないというか。瑞希は言った。
「それだけ重要な存在って訳だよ。この教室にとっても、つるりんにとっても」
「...何か恋バナにこじつけられてるみたいで嫌だな」
「うん?私何も言ってないよ」
「こいつ...」
放課後になると先生は当たり前のように私に課題のお届けを押し付けてきた。先生曰く、同じ柴又住みで仲良いのはお前くらいだろう、とのこと。残念なことに山岸も瑞希たちも見事に柴又の隣町で、私の住む町を囲むかのような位置関係に家を持っている。仕方なしに引き受けた仕事に変な緊張感を覚えるのは何故か。それは意外にも未だに家の中までは入ったことがないというのが関係してるのかも。いつも外で待ち合わせをしていたし、学校外で遊ぶようになったのもそこまで昔の話ではない。近い存在に見えて、今まで真近くまで行くことを互いにしなかったんだ。だから最初はビックリしたんじゃないか。彼が私ん家に泊まりに来たあの日は。
「二〇一号室はここか。あとはチャイム鳴らして渡すもん渡すだけ」
河島の家の前までやってくると、私は深く息を吸った。すべきことを胸の中で復唱するも、やるだけどんどん心臓が激しく内壁を叩く。何を緊張している。いつも話している友達じゃないか。そうだ、瑞希が囃し立てるから変に妄想が働いているんだ。落ち着け詩鶴、これはただの配達だ。
眉をぎゅっと絞り、恐る恐るチャイムを押した。扉の向こうからピーンポーン、と音が聞こえてくる。ああ、もう後戻りはできない。暴れる息を必死に抑えて扉から視線を逸らす。これでも冷静さを保とうとしてるんだ。逃げ出してないだけ褒めてくれ。
いつ出てくるのか、とハラハラしていると、望み通り扉が開いた。
「お、名取ちゃん!」
姉の方が出てきた。心臓が飛び出そうになった。何はともあれ今日は課題を渡しに来たんだ。それを伝えて彼女に預ければ良いだけ。簡単な仕事だ。簡単な、はずだ
「入って入って!そんなとこ立ってちゃ風邪引くよ」
「え、あっ、その....こここ....これを」
「いいのいいの、話はあとあと」
読めない。状況がこれっぽっちも読めない。ただ課題を渡して回れ右するはずが、気づけば千春の勢いに流され家の中まで来てしまった。何が起きているのか理解が追い付かない。彼女は手招きして私を居間まで連れていき
「こたつを出してきた」
と嬉しそうに見せてきた。そのこたつには河島と目つきのよく似た女の子が座っていて、こちらに気付くとびっくりした様子で挨拶をしてきた。次々に進んでいく展開に脳が付いていけないまま、こちらもぎこちない挨拶を返す。
「あー、こたつ入ってて良いよー。お母さんが貰い物ばっか引き受けるもんで冷蔵庫がパンパンでさ。良かったら食べてって~」
「いや、あの...そこまでしてくれなくても――」
「あっっ、ミカンどうしたっけな。コハー、そっちまだミカンあるー?」
「三個ほど」
「うーん、一個くらい追加しとくか。無くならんなあ本当に」
会話の流れが高速道路みたいで、まるで合流できない。立ち尽くしていると千春から再びこたつに入るよう促されたので、困惑しながらも半身を埋めることにした。初めて会った河島家の妹が斜め向かいに居る。会話はなく、彼女はじっと漫画を読んでいるが、よく見てみると目が据わっている。きっと知らない人と一緒になって緊張しているんだろう。多分一コマも読めていない。申し訳なさで一杯になって
「ごめんね」
と一声かけると
「いえ、お構い無く」
と、カチコチに固まった喋り方で返してきた。いつまでもこのままでゆっくりしているのも何だか居づらい。私は千春に弟のことを尋ねた。
「お姉さん、河....栄汰の具合どうですか?」
すると姉さん、何やら呆れた雰囲気を放ち始めた。
「心配しないで。もうほぼ治ってる」
「そっか。良かった」
「ありがとね。わざわざお見舞いに来てくれて」
「いえいえ。今はぐっすり寝てる感じですか?」
「散歩だってさ」
「はい...?風邪で休んでるのに??」
「昨日の休みがそれで潰れて悔しいんだと」
「は、はあ...」
「笑っちゃうよね。それで悪化したら元も子もないっつーのに」
風邪でもちゃんと河島らしい理屈を垂れてやがった。
台所での用事を終わらせた千春がこたつの空いた面に足を飛び込ませる。彼女は幸せそうなため息をついたあと、机上にお菓子をばら蒔いて
「こっそり食べちゃえ~」
などと言って目を輝かせた。妹さんが黙ってそれを手に取っている。
「名取ちゃんもご自由に」
そう千春が言うので、私も少し摘まませてもらうことにした。彼女はそれを口に放り込むなりテレビの電源を入れ、この部屋の静寂を搔き消した。どこか気まずい空気だったのを察知してくれたのだろう。夕方のテレビ番組に惹かれるものが見つからないまま、彼女は諦めてラジオ代わりに適当なチャンネルを垂れ流した。
「名取ちゃん、学校どう?今の時期忙しいでしょ」
「まあまあですね。そろそろテストとかあるし、面倒だなあって」
「そっか、テストしんどいよね。私いっつも赤点組だった」
「私もですよ」
千春の手が暇そうにしている。こちらとの会話を楽しみつつ、彼女は同時進行でミカンの皮をむき始めた。
「エイには迷惑してない?あいつちょっと面倒くさいとこあるから」
「あはは、もう慣れっこですよ。寧ろ今日学校に来てなくて皆退屈そうにしてましたし」
「そんなに?どんだけ五月蠅いんだよ普段」
千春が弟のことをからかうように笑う。しかし、今日一日のことを思い返して私は話した。
「でも何だろ、何だかんだ私が一番退屈してたかも。何となくで話しかけてくれるし、あんな風に場を楽しくさせられるのは栄汰だけだから」
慣れない下の名呼びが恥ずかしくて頬が熱くなる。千春は小さく笑みを浮かべ
「そ、なら良かった」
と一言だけ返した。テレビコマーシャルが一つ終わるまでの一瞬を三人は何も喋らずに過ごした。暫くして後、千春からこう言われる。
「そういや名取ちゃん、料理って得意だよね?」
その一言で私の帰りはうんと遅くなった。
栄汰が家の前に着くと、彼は少し嫌そうに階段を上った。自分の我が儘で家を飛び出したから何か言われても仕方ない、と覚悟していたからだ。しかし、家の扉の前につくと何やら賑やかな声が奥から聞こえてくる。不思議そうに玄関に上がると
「今日は酒盛りだあ」
と姉のはしゃぐ声がハッキリと聞こえる。何事かと思い奥に進むと、彼は柱のように固まった。
「名取...?」
「あ、お帰り。台所借りてるよ」
「お、おう。え...?何で居るの?」
素朴な疑問を投げたはずなのだが、妹から気のない声で返答がくる。
「お見舞いに来てくれたのに何その言い方」
名取の背中と、その奥から白い湯気が立ち上っている。名取は理解の追い付いてない河島に向け、こちらに振り向くこともせずに言う。
「もうちょっとで出来るから手ぇ洗って温かくしてて」
当たり前のように母親みたいな台詞を口にする名取。姉が目を輝かせている。
「エイ、この子凄いよ。家にあるものだけでポトフ出来ちゃった」
「ソーセージあったから良かった。別にこれくらいなら朝飯前だよ」
「聞いた?この子天才だよ。家に置こう。今日から河島家です」
「あはは、改めまして河島詩鶴です。なんちゃって」
彼の人生において、この状況を理解できる日が来ることはなかった。
11章.魅力 おしまい