下町の鶴   作:瀧ヶ花真太郎

113 / 122

河島家にて。
午前十時頃、千春は居間で母と話し合っていた。洗濯物を干し終わり、小さなテーブルを囲んでお茶を飲んでいる。
「いい天気ね。これならすぐ乾きそう」
「何か眠くなってくるなあ」
今日は丸一日授業が入っておらず、のんびり出来ることを嬉しがっていた。この日は平日で、弟の栄汰も妹の小春も学校で家を出ており、久しぶりの静かな家の中を彼女はうんと寛いでいた。
「大学は順調?」
「ああ、うん。卒論書くのが面倒臭いけど、それくらいかな。まあ楽しくやってるよ」
「そっか。良い就職先は見つかりそうかい」 
「幾つかは候補作ってるよ。」
「大手だから良いとは限らないからね。しっかり調べるんだよ」
「分かってるよ。でも、どこも葛飾から遠いからさ」
「なら、新しい部屋も探さないとね」
千春は静かに俯き、何事もないかのようにお茶に手を伸ばした。



113.始まりの憂鬱

 

下町の鶴

12章-先発列車の尾灯-

☆Episode.113「始まりの憂鬱」

 

「君が四倉さん?」

「え...?」

軽音部の男が明希に話しかける。突然のことに彼女は目を丸くして振り向いた。硬直したまま目だけが泳いでいる。

「作詞専門って聞いたよ、ここの部長さんから」

「ええ。言べんに寺の方の作詩ですが、経験はあります」

「おお、なら話は早い。折り入ってお願いがあるんだけど」

「は、はい」

「僕ら卒業制作で歌を作ることになったんだけど、詞に行き詰まっててね。そこで四倉さんに作詞をしてもらいたいんだ」

「...わ、私で良いんでしょうか。そんな重大なものを任せて」

「他に居なくて。頼むよ」

明希は少しの間、静かに考え込んだ。高校最後の思い出を自分の言葉で締めくくることへの責任感、それは決して軽いものではないと彼女も理解している。しかし彼らの期待に応えてあげたいという思いもあり、明希の心の中は翻弄されるばかりだった。

「少し時間を頂ければ...」

明希は迷いの中、ほろりと言葉を吐いた。まだ心に結論の出ていない状態の彼女を置き去るように目を輝かせる部員たち。彼らは明希にその課題を任せるとすぐに歓喜の声を上げながら帰っていった。そんな彼らをみんなして見届けると、文芸部のみんなが明希に駆け寄って心配の言葉をかける。

「大丈夫なの?あんなの引き受けて」

「今ならまだ引き返せるよ」

多分。やってみます。と自信なさげに返す明希。どうしてあげようか、と困った顔をする部員たち。彼女らの内の数人が今度は河島のもとに寄って話しかける。

「ねえ、何かあったら手を貸してあげて」

「んえ?」

何も聞いてなかったのか、腑抜けた声を発する彼に皆が呆れる。状況を説明するや否や面倒そうな表情を浮かべる河島。聞いた相手を間違えた、と部員たちは残念そうに持ち場へと戻っていった。

部活動終了のチャイムが鳴り響くと、皆は肩の荷を下ろすように喜びの溜息を吐く。取り組んでいたものを投げ捨てるように荷物をまとめ、そそくさと家路につこうとする人たちのざわめきが学校中に聞こえてくる。河島はというと、ボーっとするあまり眠りに落ち、一度は部長に起こされたものの直ぐに二度寝してしまっていた。それから五分か十分ほど経った後、彼の夢はエンドロールに入る。ぼんやりと瞼を開けると教室には音一つなく、人の気配が感じられない。さすがに寝すぎたか、と帰る準備を始めると、視界の端に人の姿が映る。びっくりして咄嗟に焦点を当てると、そこには真剣な眼差しでノートと睨めっこする明希の姿があった。

「四倉さん...?」

「...、?」

よほど集中していたのか、静かな教室にたった一つ聞えてきた彼の声でようやく気づく。

「もう時間やばいぞ」

「え、...え!ああ、帰らなきゃ」

夢から醒めたような反応で帰り支度をする明希。警察官を父に持つ彼女は、急いでいても荷物の一つ一つを無理に押し込むことなく丁寧にしまっている。教室の外は暗闇だった。先に荷支度の済んでいた河島だが、この闇路を彼女一人で歩かせるのは酷だと感じるほどだった。もう二人以外の音は聞こえてこない。彼は明希を急かすことなく待った。

「ごめんね、声かけてくれて」

「え、ああ。俺も今さっき起き...」

一生懸命作詞に取り組んでいた彼女の前で堂々と寝ていたことを告白しかける河島。焦りを隠そうとする彼に、逆に明希から気を遣われる。

「お、おはよう」

「おはよう...ございます...」

窓の外から誰かの声が聞こえて見下ろすと、下にぽつりと二、三人生徒の帰っていく姿が見えた。後に続く生徒が見えないあたり、もうほとんどの人が帰ってしまったのだろうと彼は察する。

「四倉さん。しばらく付いていくよ。真っ暗だし」

「ほんと?ありがと」

支度の準備が整った明希を河島が先導して歩く。校庭を照らすスポットライトや玄関の明かりなどが廊下を歩きやすくしてくれていたのだが、窓のない階段にはその光りも届かない。ちょっと待って、と言って河島が制服の胸ポケットからペンを取り出す。それを何度かカチカチとさせると真っ暗闇を裂くように光りだした。明希は思わず

「え?」

と声を漏らす。その驚きように河島は満足げな笑みを浮かべた。河島の小道具にはおかしなものが多いが、人前で使うことが少ない。本当は見せびらかしたい気持ちでいっぱいだが、先生に没収されたり、周りに周知されて特別感が無くなることを懸念している。格好をつけたいのだ、せめてこういう場面だけでも。

正面玄関を目指して歩く中、河島は尋ねた。

「卒業制作、手伝うんだって?」

明希は軽く頭を掻いて唸った。

「あんな大変そうなのを受け持つなんて凄いな」

「うぅ...。苦戦してて」

「今日始めていきなり出来るものじゃないよ」

「分かってるけど、その...」

河島の力を借りたいと思っていた明希だが、部活中のあの反応をみる限り難しそうと諦めかかっていた。

「その、何か特別なものにしたくって。それ考えたら何も浮かばなくなってさ」

しかし、ふと言ったその言葉で彼の心が動いた。

「十分特別だよ。自分で見つけたものを文字に出来るんだから」

「多少は君の力も借りてるよ?私」

「あんなの貸した内に入らんよ。最後には全部四倉さんの言葉で書き上げてるじゃんか」

「そうかも知れないけど、河島君の持つ景色は河島君にしか気づけないものだから」

そう言われて大したことなさそうな態度を取る河島。本当は嬉しくてしょうがない。

「ま、何かあったら力になるからさ。そんときゃ呼んでくれや」

「ありがとう」

 

一方、千春は名取屋を訪れていた。暖簾をくぐった時点で少し酔っている模様。何だか少々様子がおかしいのを名取は察知して慎重に挨拶をした。

「こんばんは。何か元気ないね」

「え、いや...そう見せるつもりなかったんだけどなあ」

「そう見えちゃってるんだもの。どうしたの?」

「大丈夫。暗い気持ちで飲むのヤだから」

彼女は自身の心の内側にあるものを詩鶴に見せないようにした。何ともないならいいんだけど、と流す詩鶴だったが、彼女の瞳の奥からどことなく感じる暗さが詩鶴には気になってしょうがなかった。

「そういえばさ―――」

詩鶴に気を遣わせまい、と明るい話題に逸らす千春。深刻な問題でなければ良いのだけれど。そう願いつつ、普段通りに接客するのを心がけた。

「何か最近みんなつれなくて。名取ちゃんなら構ってくれるかなーって」

「あはは、何それ」

「料理は旨いし、酒も進むし。おまけに喋り相手がいるって最高だよ」

「飲む側に立つことないから分かんないけど、そんなもんなの?」

「飲むのって、半分は寂しいからだよ。誰かと一緒に居たくて、話聞いて欲しくて。そうじゃなきゃ誰も酔いたいなんて思わないはずだよ」

千春が優しい顔をして俯く。その柔らかい笑みはどこか自虐的にも思えた。真面目に聞く詩鶴に気づくと、彼女はまた普段通りを取り繕う。

「あはは、ちょっとおセンチになりすぎたね」

「大丈夫?無理せずに話してくれて良いんだよ」

「だあーぃじょーぶだって。ちょっとまあ、その...まあ...」

「......」

「卒業近いからさ。ちょっとブルーになってただけ。ただそれだけ」

「そっか」

「それより今日のオススメ、なんか頂戴よ。うんとお酒にあうやつ」

詩鶴はどうしてあげるのが正解か考えていた。千春の望み通りに明るい空気を作り上げるべきか、下手に首を突っ込んで解決させられるものなのか。ただ一つ言えるのは、千春の口からふと零れた言葉が本物だということだ。本当は助けて欲しくて。そのSOSに気づいて欲しくて。

 

つづく。





今年もありがとうございました。来年も引き続き宜しくお願い致します。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。