下町の鶴   作:瀧ヶ花真太郎

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117.冬の終り

 

下町の鶴

12章-先発列車の尾灯-

☆Episode.117「冬の終り」

 

「えっと...何を手伝えば良いのかな」

瑞希は困ったような笑顔を浮かべていた。放課後、普段通りにテニス部の練習に行こうとしたところを呼び止められ、軽音部員の集う音楽室に連れてこられた為だ。彼らは考える人の銅像みたく項垂れ、唸り声を上げている。作曲が上手く行かず、手を貸して欲しいと言ってきたのだ。作詞を明希に依頼し、今度は作曲。明確に欲しいアドバイスも出さなければ、抽象的な理想ばかりを語っている。瑞希は苦笑いで済ませてくれているが、他なら愛想尽かされているだろう。

「どんな風に演奏したいとかもないの?」

そう彼らに尋ねても答えが返ってこず、神妙で居心地の悪い空気に瑞希もとうとう質問をしなくなった。

それから三日が経ち、彼女は詩鶴に救難信号を出していた。もうあの空間に居たくないというのに、毎回放課後になると呼び出されているという。ただ良い案が降ってこないかと待っているだけの状態でどう手を貸せば良いのかなど分かる筈もない。それを聞いた詩鶴は呆れた顔を見せた。

「用事もないのに呼び出すなってな」

「手伝いたいのは山々なんだけどね。もう疲れたよ」

瑞希の疲弊した顔付きを見て、詩鶴も何かしてやれないかと考える。放っておけば取り返しが付かなくなるまで自分を追い込む子だから。

「今度呼ばれたら言って。ぶっ飛ばしてやるから」

「いいよ...そこまでしなくたって」

「任せなって。悪いようにはしないから」

詩鶴の気楽そうな笑顔に瑞希は困惑した。

その日の昼休み、詩鶴は河島と話し合った。このままだと頭を抱えながら作詞に励む明希の努力が無駄になる気がする。卒業制作と言いながら、こんなにも無計画に動いてると聞いて詩鶴も呆気に取られていた。

「何なのホント。自分で何もしないじゃん」

「せめて詞くらい書けよな」

「本当だよ」

「そうだ。俺らで乗っ取ってプロデュースしてやろうぜ。何もしないなら全部やって乗っ取っちまおう」

「ええ...それはそれで面倒じゃない?」

「そっか」

「まあでも、みっちゃんは暫くお預けだ。私が代役で出てやる」

 

大学のコンコース。千春は誇らしげな顔でクラスメイトとお喋りしていた。

「凄いよ千春。受かったんだ」

「えへ、だから言ったろう。心配はいらないって」

「くっそう、みんな必死に就活してんのに、なんで何も準備してこなかった奴に先越されんだよ」

「あはは。まっ、頭良いから私」

おどけて笑う千春に対し、クラスメイトは祝福すると同時に悔しさの念を言葉の節々に入れていた。

この後の予定を聞いてみれば皆してバイトか勉強と言い、千春の前を駆け足で去っていく。千春はつまらなそうに煙草を取り出し、誰かに叱られるのを待った。火をつけて目一杯に甘い香りを吸い込み、吐きつけた空をぼんやりと見つめる。気づけば頬を撫でる風は心地良い温度になっていて、冬が終わろうとしていることを教えた。

「コラーっ、校内で吸うな」

遠くから怒号が響き、こちらに向かってくるのを見つけると千春は嬉しそうに微笑んだ。惜しむようにもうひと口吸い上げると、目の前に立ちはばかるその一瞬で煙草を排水溝に投げる。

「ちぇー、まだ半分も残ってたのに」

「全部吸いたきゃ喫煙所に行け。あとお前今どこに捨てた」

「あれえ、どっか行っちゃったあ」

事務員さんは目を細め、溜息をついた。

「本当、どこまでも世話の焼ける奴だ」

「へへ。でもそれも、もうちょっとの辛抱ですよ」

「何だ、お前卒業の見込みあるのか」

「ばっちり確定コース。それに良い企業にも内定貰えたし」

「それはめでたいな。だが調子に乗るなよ、浮かれてると痛い目見るからな」

「分かってますよ。みんなそんな話題ばっかでちょっと疲れてるんです」

「そうか。だが校内で吸うのは辞めろ。掃除の項目が増える」

「んなこと言って、一本欲しいくせに」

「いま禁煙中なんだ。よしてくれ」

事務員さんがぐっと我慢して目を逸らすと、千春はニタニタと笑いながら煙草の箱を胸ポケットにしまった。

ふと目線を前に向けると、楽しそうに大学の校門へと歩いて行く後輩たちが見えた。長かった学生生活がもうそろそろ終わりを迎えようとしている。千春は今までの自分を後輩たちと重ね、歩き去っていく姿を茫然と目で追った。そんな彼女を事務員さんがいたずらに小突く。

「ま、元気でやれよ」

「よして下さいよ」

寂し気に目を逸らす千春をみてケタケタと笑った。

千春はそのあと名取の居酒屋に顔を出した。まだ昼下がりだが、土曜日だからもしかしたら名取ちゃんに会えるかもしれない、そんな思いで彼女の店を尋ねた。

「こんにちはー」

暖簾も掛かっていない店の戸を開ける。案の定、営業時間ではないみたいだ。顔を出して最初に見たのは詩鶴の母だった。

「あら、こんにちは。どうしたの」

「いやあ、小旅行のついでにお土産買ってきまして。良かったら食べてください」

開店前に訪れるには親しみを込め、大袈裟すぎないくらいの貢物を用意するのがポイント。どう考えても鬱陶しがられる状況を如何にして歓迎してもらうかが肝心なのだ。

「美味しいって評判らしいんですよ。ちょっとした地域の名物みたいで」

「あらそう。悪いねえ、いつも良くして貰って」

「良いんです良いんです。すみませんこちらこそ。お邪魔しちゃって」

「大丈夫。とりあえず家事やることは一通り済んだし、ちょうど休憩って思ってたとこで」

「そうでしたか」

「良ければお茶してかない?このあと忙しいとかなければ」

「良いんですか?それじゃあお構い無く」

こうして居場所を確保し、漫談を楽しませて貰う。千春お得意のチョイ悪な処世術だ。

湯呑み茶碗とお茶菓子を用意し、詩鶴の母はそれを千春のいるカウンターに差し出した。

「入れたてだから気をつけてね」

「ありがとうございます」

千春がお茶を軽くひと啜りする。ふと店内を見渡すと、ガラス窓にぼんやりと映りこむ陽の光や、二人以外の物音がないことに気がついた。千春はその新鮮な光景に微笑みを浮かべた。もうすぐこの町を出ていくのに、また一つこの町の好きなところに気づいてしまう。

「いい天気ね。お外気持ち良さそう」

詩鶴の母は呟くように吐いた。二人は暫くその穏やかな空気に微睡んでいた。

扉のすぐ向こう、電車が車輪を軋ませながら通りすぎていく。その音が遠ざかり、踏切も鐘を打ちやめる。今度は自動車のエンジンを唸らせる音が聞こえてきた。都会の片隅に残る下町の情景、それは千春にとってどこか懐かしく、温かいものを感じさせる。この町に生まれ、この歳になるまで過ごしてきた彼女にはその一つ一つが愛おしく、手放すには惜しかった。

ぼんやりと物思いに耽る千春に、詩鶴の母が言った。

「詩鶴から聞いたよ、一人暮らしするんだって?」

「え?」

「東京を出るんだってね」

千春は目の色を暗くさせて答えた。

「山梨です。今持ってる資格とか技術とか、そういうのを一番活かせる支社がそこにあるとかって話で」

「良いじゃない。山梨のどこ?」

「笛なんとかって」

「笛吹ね。むかし友達と旅行いったよ」

「有名なとこなんですか?」

「温泉地があるんだよ。確か桃と葡萄の名産地でもあったはず」

「へえ」

「ちょうどその頃、栄養士の資格をとって。それのお祝いにって連れてって貰ってさ。懐かしいなあ」

「ふーん。思ってるより良いところなのかも?」

「穏やかなところだよ。良いとこ見つかったね」

「....」

「応援してるよ」 

 

つづく。

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