下町の鶴   作:瀧ヶ花真太郎

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122.千春への手紙

 

下町の鶴

12章-先発列車の尾灯-

☆Episode.122「千春への手紙」

 

朝、目が覚めて体を起こすと姉の姿が目に映った。こんな時間からもう布団が片付いていて、何か思いに耽ったような様子で体育座りをしている。薄藍色に染まった部屋にぽつりと佇む姿は何とも様になっていた。

寝ぼけ眼を擦りながら唸る声に姉が気がつくと、こちらに顔を向けるわけでもなく

「おはよ」

と、気のない声をかけた。時計を見るとまだ六時を回ったばかり。今にも家を出ていきそうな雰囲気に思わずこう尋ねる。

「んん...、早くない?もう行くの」

「いや」

短く返答が来るも続きがない。

「ふーん」

こちらも適当な相槌を打つ。恐らく俺が学校へ向かう時間まではいるのだろうと察して再び布団に潜り込んだ。

結局予想通り、姉は俺が家を出るまでずっと居た。靴を履いて玄関を出るとき、寝間着姿で

「元気でやれよ」

と声をかけてきたのを覚えてる。何もこれから二度と会えなくなる訳じゃないんだし、こちらも気のない声で

「おん」

とだけ言って返した。

学校に着き、いつもの教室に入ると、名取とその友達で何やら盛り上がってるのが見えた。皆してキラキラとした目付きで矢原さんの手元を見ている。朝のホームルームまで暇なのだが、話し相手がいない。名取たちの方にもう一度目を向けるも、あの様子じゃ輪に飛び込みづらいし。自分の性格上、同じ明るさを持って

「なになに~、皆どうしたの~」

みたいな話しかけ方など出来るはずがない。かといって山岸もまだ教室に来ていないし。仕方ない、来週発売の漫画のことでも考えることにした。

 

「凄い、これプレイヤーにかけたら流れるの?」

「うん、流れるよ」

「凄い凄い。早く聴きたい!」

「お昼休み、先生に言ってかけて貰おっか。プレイヤー貸してくれると思うから」

詩鶴を含むいつもの三人組と、気になって寄ってきたクラスメイトで教室が騒がしくなっている。詩鶴はCDの完成で嬉しくなってか、瑞希と明希を立てて

「この二人が作ったんだよ~」

と聴衆に友達自慢を始める。咄嗟に視線が集中したことで明希は赤くなった頬を瑞希の背中に隠した。

詩鶴はCDに目を向ける度、我が子を見るように嬉しそうな笑みを浮かべていた。彼女が明希に

「これで千春さんに聴かせられるね」

と話しかける。しかし明希はその言葉に瞳を曇らせて愛想笑いをするので、詩鶴はそれを不思議がった。やがて学校のチャイムが鳴り、明希たちが散り散りになる。詩鶴が席につくと、先生が来るまでのあいだ河島にその喜びの感情を振りまいた。足をパタパタと遊ばせ、適当な鼻歌を囁いている。話しかけてこい、と全身に書いているような素振りをみせる詩鶴。河島は無表情ながら、彼女のそのあからさまな誘導に乗ってやることにした。

「嬉しそうだな」

「ええ、もっちろん。待ちに待った完成だもん」

「完成?」

詩鶴はCDのことを話した。おお、と短く返す河島。

「反応薄いなあ」

「そりゃあ。俺たいして手伝ってないし、実感が湧かないっていうか」

「何言ってんの。あんた結構活躍してたじゃん」

「そうなのか....?」

「聞いたよ、明希から。力になってくれたって」

「俺本当なにもしてないぞ」

図星をついた気でニヤリと笑う詩鶴。明希が詞の細かい言い回しに困る度、ぽつりと吐くアドバイスに何回も助けられたというのだが、当の本人は何一つ気付いていない。どこにそんな場面があったのかと記憶を掘り出す河島の前で、まるで一仕事終えたみたいに背伸びをする詩鶴。饅頭の一つでも丸呑み出来そうなほどの大きな欠伸をすると、目の横に小さく涙がはみ出た。

「明希がね、千春さんに曲聴かせたいって」

「え?」

「この詞のモデルになったみたいだよ。偉人だね」

「そうか...」

「どうかしたの?」

言い淀む姿に首を傾げる詩鶴。ぽかんとした顔の彼女に向けて渋々放った言葉に、詩鶴はぴたりと全身の動きを止めた。

「え...?」

 

次の休み時間、詩鶴は明希の元へ急いだ。慌てて彼女の元へ駆けつけ、息を切らしながら。詩鶴は千春のことについて話した。もう町を出てしまったことを口にするも、明希は驚きを見せない。そこで先ほどの光景が脳裏をよぎる。完成したCDの話題で盛り上がっていた時、千春の名を口にした時の明希の表情。詩鶴は焦りを冷まして尋ねた。

「待って、知ってたの...?」

明希は短い沈黙の末、ゆっくりと口を開いて言った。

「この前駅で会って、今日で会えるのが最後になるって」

「どうして言ってくれなかったの。うちの店にも来るんだし、何か出来たかもしれないじゃん」

「無理だよ。あの日はまだ完成前だったし、どう頑張ったって渡せなかった」

「だけど...!」

明希の目を見る。彼女は自分と真逆とも言える穏やかな顔色を浮かべていて、詩鶴はこれ以上の説得が出来なくなってしまった。友達の望みが叶わなかったという悔しさを胸の内に抑え込み、それでも一つだけ抑えきれなかった言葉が彼女の喉を通って吐き出る。

「それでいいの?明希は」

明希は言った。

「お昼休み、一緒にご飯いこ。全部話すから」

昼休みになるまで、詩鶴はそのことでそわそわしていた。

何で誰も教えてくれなかったの。千春さんだって、今日で最後になるかもしれないことを会った時に言ってほしかった。そしたらお祝いの一つくらいしてあげられたかもしれないのに。

もやもやが晴れないまま、詩鶴は胸の中で同じ言葉を繰り返していた。

昼休み前の授業を終えると、詩鶴は真っ先に明希を探した。ちょうど向こうのクラスも授業を終えたところで、明希は机の上の教科書やノートを整理していたところだった。詩鶴の呼ぶ声に気づいて振り向く。彼女は優しく笑みを浮かべ、弁当箱の入った風呂敷を手からぶら下げた。じゃあ行こっか、そう言っていつも通りの足どりで歩き出す。詩鶴にとってその冷静さは不思議でならなかった。

人気の少ない廊下にたどり着くと、明希は誰もいない教室に目を向け

「ここ、結構好きでさ」

と照れくさそうに打ち明けた。そこは三階にある静かな空き教室。四年ほど前は教室として使われ、生徒の声で賑わっていたという。明希が窓辺の椅子に腰かけると、古い机の上で風呂敷を開いた。弁当箱の蓋を開いて

「唐揚げ作りすぎたんだ。良かったら摘まんで」

と詩鶴に中身を見せる。

「え、ああ、うん」

千春さんについての話が気になって戸惑う詩鶴だったが、その肉厚で美味しそうな見た目に即決で手を伸ばさなかったことを後悔する。口いっぱいに滲み出た涎を一気に喉の奥に押し込む姿に、見かねた明希がもう一度手のひらを差し出す。

「良いよ、食べても」

詩鶴は照れながら礼を言った。

窓を開けると、春の柔らかな涼風が二人の黒髪を揺らした。暖かい陽の光もそっと瞼を撫で下ろそうとしてくる。心地良い空気に包まれながら、明希がぽつり呟いた。

「寂しくなるなあ」

きょとんとした顔に向け、彼女は千春の名を口にする。詩鶴は言葉の意味に気づいて目を伏せた。

「考えるほど悔しいよ。感想聞きたかったもの」

「明希...」

暗くなりかけた空気に明希は

「でもね」

と、微笑みを放つ。

「今までとは違う気がする」

「今まで?」

「そう。これは悲しい別れじゃなかった」

言葉の意味を探そうとする詩鶴に明希は話す。今まで味わってきた別れと言えば、母との死別や知り合ったばかりの友人が学校を辞めたことだったり、単純な気持ちの切り替えで立ち直れるものではなかった。時には少しでも似てる誰かを見つけては、その代役を背負わせようともした。

「ちゃんと話せなかったんだ。その人への感謝だったり、別れの言葉、みたいなのをさ」

「そっか。じゃあ千春さんには、...その、言えたんだ」

明希は静かに、こくりと頷いた。

「そっか。じゃあ本当に歌だけだったね、届けられなかったのは...」

「ううん、それは大丈夫。全部じゃないけど」

「え?」

「全部じゃないけど、伝えられたと思う」

 

首を窓辺に向けると見慣れた街の風景が流れる。いつもならば通勤電車のドアから見ていた景色をこんな風にゆったりと座って見られる、と新鮮な気持ちで眺めていた。牛込濠の向こう岸には沢山の桜の木が花びらを散らす。それが私には別れを惜しみ、手を振ってる姿のように思えた。この車窓にどんな思い出があったかな。新宿で飲み歩いて、フラフラになりながら家路についたこととか、終電逃して朝帰りしたこととか。あんな思い出も今となれば青春と呼べる気がする。馬鹿みたいに疲れたけど、悪くなかった。

新宿に着くと、ホームから友達を見送る女の子たちの姿が見えた。かたく握手を交わし、少し寂しそうな笑顔で話している。声は聞こえないのに、向こうでも元気でね、頑張れよ、と言ってるだろうことが手に取るように分かる。暫くして発車ベルの音が彼女らを引き離し、列車がゆっくりと動き出した。小走りで追いかけるも、女の子らとの距離は次第に離れてゆく。その姿が見えなくなってすぐに大都会の街並みが窓に流れた。あんな風に見送られたら私、次の駅で降りて引き返してやろうって思う。少なくとも故郷を出たことを絶対に後悔するはず。そんなことを考えていると、窓に学生時代の友達の姿が浮かんだ。この選択で良かったのかな、留まればこれからも遊びの予定を組んでいたのかな。そう思えば思うほど目頭が熱くなる。

車両の連結部付近にあるお手洗い。千春はその洗面所の鏡の前に立って胸の中で呟いた。

「深く考えすぎかもな」

何でも悲観的に捉え、やたらと重たかった頭の中。少しやつれた顔に向けて溜息を吐く。

自分の座席に戻ると、物の数分で窓からの景色は住宅街へと変わった。大都会といえど高層ビル群は皆、ターミナル駅の周辺に密集している。煌びやかな街並みも、大通りを外れたらアパートや家々が立ち並ぶ。娯楽と仕事だけの街に見えても、衣食住を一気に詰め込めばこんな風景になるのだ。

千春は何かを思い出して鞄のチャックを開けた。中を覗き込み、一枚の紙を取り出し、それをじっと見つめ始める。それは、消しあとだらけでしわくちゃになっていて、横にはノートから破いたような跡が小さいながら見える。そこに書き綴られた文字に何を感じたのか、彼女の表情が少し和らいだ。その内容は、一人きり抱え込んでいた気持ちに言葉を持たせるようだった。ただ過去を忘れ、未来を見続けることだけが正しいかのような周りの空気についていけず、誰かに愚痴を溢そうにも、それを言語化出来ないまま笑顔で誤魔化すのみだったから。それは千春には紛れもなく、自分に宛てた手紙なんだと認識した。

「きっとまた、会いに戻るよ」

その言葉を胸に、彼女は再び窓の外の街並みに目を向けた。

 

遠くを見つめる明希の目。どこからか吹いてきた優しい風をゆっくりと吸い込み、心配そうに見つめる詩鶴に微笑んで打ち明ける。

「それに、暫くは研修で八王子にいるんだって」

 

12章.先発列車の尾灯

おしまい

 

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