下町の鶴   作:瀧ヶ花真太郎

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26.こわれもの-後編-

 

下町の鶴

4章-詩鶴のボコボコ戦記-

☆Episode.26「こわれもの-後編-」

 

あの惨劇から三ヶ月が経った

太ってきたと誤魔化すにはあまりにも無理がある。無理な運動をすれば直ぐに身体に影響したし、冗談でも誰かにお腹を触られるわけにはいかなかった。

 

ある日、私は酷い腹痛に倒れ、学校を休んだ。

食欲不振の中、母の作ってくれたお(かゆ)を食べては吐いて、食べては吐いてを繰り返した。

明らかに様子が変だと心配した母は、私を病院に連れていこうとしたが、「安静にしていれば治るから」と、必死に説得した。

もう、そう遠くはない未来にこの事実は公になってしまう。そう思った私は決死の思いで勝田に連絡し、お見舞いに来てもらった。

「お前、大丈夫か...?」

そう心配する彼の服の裾を掴んで、私は震えた声で言った。

「ねえ勝田...、助けて...。」

その雰囲気からか、演技ではないことを彼は直ぐに悟り、聞いた。

「どうしたんだ。」

「今までずっと、嘘だと思っていた。そう信じたかった。」

「え、何だ?何のことだよ。」

気づけば涙が一つ、二つと流れていた。

「どうしたんだ、話してくれよ。」

「驚かないって約束してくれる...?」

「ああ。」

勝田は私の目をまっすぐと見ていた。私はこみ上げる気持ちを押し殺して服を(まく)り上げた。

彼も初めは何かの冗談だという顔をしていたが、やがてその状況を理解していった。

そのあと、彼は私の手を引いて病院まで歩いた。

「どうしてもっと早く言わなかったんだよ。」

そう叱る彼に、「怖かった」と言えないままで。

病院の受付に行くと、言いづらいであろうことを気遣って、勝田が代わりに説明をしてくれた。

やがて待合室から自分の番号が呼ばれると、診察室では分かりきった答えを聞かされた。

「三ヶ月ですね。順調に進んでいます。」

私は医者に話した。

「堕ろすのに、いくらかかるんですか。」

え?と一言、医者は私の目を見た。そこで私は今までのことを話した。少し包み隠して言ったものの、彼は私が一通り説明すると、心配そうな顔で聞いた。

「警察には話されたんですか?」

しかし、犯行に及んだ彼らはそれをさせないように、「話したら仕事のことをバラす」と脅していて、思うようには出来なかった。自分の学校の人間の誰かと繋がりがあるのだろう。

 

待合室に戻り、勝田に会ったとき、「酷い顔をしている」と言われた。そう言われるまでは気づかないほど、私の脳内は不安の種でいっぱいだったから。

「...十万かかるって。」

(やつ)れた顔で話すと、勝田は直ぐに始めようと言う。しかし、水商売を降りてからというもの、貯金が底を尽き始めていた。それを言うと

「それなら俺が出す。」

「そんな大金をどうして。」

「俺だって貯金はしている。」

「いや、自分が何言ってるかわかってるの...?」

そう心配すると

「じゃあ、高校生で産むってのか。それも、知らないクソ野郎の子供を。」

と直球で説得してきた。私はそれに答えられなかった。

それから一週間、答えが出せなかった。そのうちの半分は学校を休んだ。これ以上は嘘がつけなくなると思い、学校を辞めるか、手術するかの二択を迫られるようになっていたのだ。

これまでの職業柄、今まではそうなっても直ぐに手術にかけてやろうと思っていたが、そんな人間ですら母性本能というものなのか、そこに居るのが命を持つ者であることに戸惑いを感じてしまう。実際に当事者になってみると、それだけでこんなにも考えは変えられてしまうのか、と。

 

そしてその一週間が経つと、とうとう決断を下した。

決めるべきことは、最初からこれしかなかったのだ。そんなことは分かりきっていた。でも、自分に起こる物事の中でその日は、今までのどんな物事の中にもない、人生で一番辛い日だった。

 

私は、命を奪ったのだ。その決断を私が下したのだ。

 

その判断は一生自分を苦しめるだろう。もしいつか私が幸せになっても、その場面場面で情景が浮かんでは、私を(とが)めに来るだろう。

私は呪われたのだ。命を(もてあそ)んで稼ぐ仕事に手を染めたことへの罰を死ぬまで、この身体が冷たくなる時まで背負わせるつもりなのだろう。

 

それからは(うつ)との戦いだった。身体が元通りになっても、とても学校に行ける精神状態ではなかった。

学校に復帰できるまでの間、ずっと自分に問い続けた。

「自分が何をしたというのか。」

と。

しかしその問い方は、やがて自分をねじ曲げる理由となった。なぜ自分が、と考えていく内にこう考えるようになったのだ。

「私のせいじゃない。」

「全部全部、誰かのせいだ。」

と。それから、幸せ者が憎く感じるようになった。私より楽しい人生を送っている人間を許せなくなっていった。

特に、恋というものに関わる人間は。

 

勝田はあの時の惨劇から、何もかもに手を伸ばしてくれた恩人のはずなのに、それさえ

「あの時、不良から私を助け出せていたらこんなことにはならなかった。」

という思いから、彼に対しても心の中に半分、憎さが現れるようになった。

彼に対する想いと、恨みたい気持ちに翻弄されていく内にこの心はさらに歪んでいった。暴れたい、人を傷つけたいという感情が日に日に増していき、時に勝田が起こした苛めの中には、「私を助けたい」という彼の気遣いを利用したものもあった。

 

そしてある日、私の気に触る出来事が耳に入った。

「河島が名取ん家でお泊まりしたんだって。」

それで私は、彼女らを攻撃対象にした。まずは河島に対し、間接的に嫌がらせをしたが、それを知った山岸が対策を施そうとしてきたので直接、密室で警告した。

今度はその情報を握ってることを名取に耳打ちで脅し、追い込み、化粧室で彼女を襲った。だが、更にその間に河島らが作戦を練っていて、先生に報告される事態になった。そう、奴らは思った以上にしぶとかったのだ。

でも、一度潰すと決めた人間は簡単には諦めない。私は彼女らを何度も攻撃した。何度も攻撃することで、私と同じくらいの絶望を味わわせてやろうと考えた。

しかし、そうやろうとすればする程、私の方が追い込まれた。そして彼女らの団結力を見せつけられる度、私は(みじ)めな気持ちにさせられていった。

それからある日、すれ違いざまに名取にほくそ笑んでやると、彼女は屈託のない笑みで「おはよう。」と返したのだ。

訳が分からなかった。敵である私に攻撃され続けている身で笑顔を見せるなど、どういうつもりだ、と。それからというもの、彼女が怖かった。

その後、私は再び彼女の一人の時を狙って襲撃をかけた。だがその時、私に更なる不幸が降りかかった。

勝田が彼女を(かば)い、私との縁を切ると言い出したのだ。

私は酷く絶望した。行かないでと手を伸ばしたが、今までの彼への悪態を思うと、そうされて当然だというのは直ぐに気づける。だからその裾を掴もうとは出来なかった。それがとても辛かった。

心にさえ好きと言うのを躊躇(ためら)うほど、彼への気持ちは分からないものだったけど、捨てられることにこんなにも胸が痛くなるのは初めてだ。もし、これを失恋と呼ぶなら二度と味わいたくない痛みと言えるだろう。

 

 

そして今、私は通称"カツ丼部屋"と呼ばれる空き教室の方向へと彼女が向かっているのを見つけ、あとをつけている。こうなった原因も、きっと名取が勝田を(そそのか)したからに違いない。だから、私から彼を奪った報いを受けさせてやるんだ。

そして彼女が部屋の前を通りかかり、その腕を掴もうとした。...その時だった。

急に後ろから腕を引っ張られ、その仮教室へと引き込まれた。やがてその教室の端へと追い込まれると、男子生徒に囲まれていた。よく見るとそれは、勝田の手下達だった。

「まさか、貴方達まで私を裏切ったの!?」

そういうと

「すいやせんね、藤島さん。命令なもので。」

と返された。

命令?まさか、勝田からの命令だっていうの?冗談じゃない、何かの嘘だ。そう思った私は彼らに言い返した。

「何を言っているの、勝田のボスは私なのよ?」

すると

「もうそれは昔の話っすよ。」

と言う。

「どういうこと...?」

「今の女王(ボス)はもう貴女じゃないんです。」

耳を疑った。私の命令でなんだって動いた彼らが、今となって私に歯向かうなんて。

「馬鹿おっしゃい。今まで散々、私に良くしてもらってたというのに、それを仇で返すつもり!?」

私は声を荒らげた。

「勝田さんが味方してくれたのに、それを仇で返していたのは誰ですか。」

「...っ!!」

「理由こそ聞いてませんけど、貴女の一番大変な時に、ずっと寄り添って力になって貰ってたそうじゃないっすか。」

「違う、それには訳があるの!」

「感謝のひとつもしないで、犬みたいに扱って良い理由があるんすね。」

「そんなつもりでしてたんじゃない。聞いて。」

「嫌です。聞く価値がない。」

「...え?」

「今日は貴女に散々こき使われた分の()()()()来たんです。」

それに私が反論しようとすると

ガシャン!!

と、彼らの一人が椅子を蹴って音を立てる。

「相手が女だからって手加減すると思ったら大間違いっすよ。」

そういって敵意を見せつけて来た。

「やめて....お願い....こんなの間違ってる。」

()()()()()のはそっちだ。おい、片方押さえろ。」

彼らの一人が命令して、その一人が私を押さえようと近づいてきた。

「っ....!」

 

-おい、片方押さえてろ。-

-ガハハ!!-

 

「やめて!!!!助けて!!!!」

あの日のトラウマが頭をよぎり、私は完全にパニック状態に陥った。無我夢中で声を上げ、必死になって暴れる。私の中には、あの日の恐怖を二度も味わいたくない思いでいっぱいだった。

こんなの違う、おかしい。何故、人生で酷い目に遭い続けても、人を傷ついていい理由にならないの。どんな目に遭っても、泣き叫ぶ心を痛め付けてまで、優しい人間になるしか道がないというの。

私は最期まで、誰かの玩具(おもちゃ)でしかないと言うのか。

あの時みたいに私は口を押さえられ、そしてこの身体に怪我を負わせようと、埃まみれの(ホウキ)を振り上げた。しかし、それが振り下ろされる直前でそれは阻止された。

「あんたら、なにやってんの。」

「あ、名取。」

「私には"さん"付け無しかよ。まあ良いけど。で、なにやってんの。」

「この女、今までずっと偉そうにしてたから反乱起こしに来たってところっすよ。」

状況が全く呑めない。何もかもの意味が分からない。

取り敢えず私は助かったということ...?それとも。

「反乱ねえ。だからって女の子一人に男複数人でかかるとか卑怯じゃないかな。」

「でもよぉ?」

「でもじゃないよ。本当にさ、()()()にしたってそうだよ。弱いもの苛めでしか攻撃できないわけ?」

「それは....その....。」

「最低、はやく出ていって。」

「だけどよ。」

「出てけって!」

彼女が声を荒らげると、彼らはトボトボと出ていった。勝田に従順な彼らが、勝田以外の命令に従うなんて一体何が起こっているんだ。そう思った私は、より彼女が怖くなって、二人きりになることに身の危険に近しき緊張が走った。それでなのか、さっきまで私を痛め付けようとしていた彼らが去っていくのに、「待って」と言わんばかりの手を伸ばしてしまった。

やがて彼らが見えなくなると、彼女は私の方へと顔を向けた。私は驚きのあまり、思わず声が漏れた。

「ひっ....!」

すると、彼女は私の身体を包み込むようにして抱きしめた。全く理解が出来ない、予測のつけようがない行動に、自分の呼吸が、カタカタと音を立てて震えだした。

「な、なな、何....。貴女、一体なんなの....?」

「辛かったね。今まで散々大変な思いをして。」

「....、。、、、は....?」

「私、何で貴女がそんなに人を傷つけたいのかをずっと知りたくて、今日まで一生懸命調べてきたんだあ。」

「あ、あんた....何言って―――」

 

「で、どう?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お腹の子供を殺した感想は。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何が起きたのか、それを理解できるほどの心の余裕は無かった。水中で(もが)き苦しむように息は乱れ、全身には雷が流れたかのように身体中の毛が逆立つ。恐怖というにはそれを遥かに通り越し、寧ろ快感とさえ思える程の絶望だった。

人生が一瞬にして粉々に砕け散った衝撃に私は、その化け物の腕の中で、まるで命丸ごと抜き取られたかのようにスッと気を失った。





ーエピローグー

目が覚めると、目の前には白い空が広がっていた。意識がだんだんと戻ってくると、それが天井であることに気がつく。ここは、きっと保健室のベッドの上だ。学校のチャイムがこの部屋の向こう側から小さく聞こえる。
「なんだ、あの世じゃなかったのか。」
そう心の中でぼやく。ゆっくりと記憶を辿ると、私は、あの化け物の腕の中にいたことを思いだし、呼吸が荒くなった。
ガラガラガラ!と、扉の開く音と共に私は悲鳴を上げた。
「あの女がやってくる。私を殺しにくる。」
そんな言葉で頭が埋め尽くされ、夢の外側で酷く(うな)された。
「藤島さん、大丈夫!?」
バッと声の方を振り向くと、そこには保健の先生が居た。
「え′′....私....私.......。」
「落ち着いて。もう悪い夢は覚めたよ。」
「え.....。いや、覚めてない.....まだ覚めてない....。助けて。あの女に殺される。」
錯乱していた。正気で居られる訳がない。私が事実と作り話を混ぜて、噂をばら蒔いていたのに対して、彼女は私の秘め事を的確に手にして、一番狂気じみたシチュエーションと、台詞で地獄まで追い詰めた。それも、一瞬にして。
彼女を化け物と言わずして、何に例えよう。
そうだ。あの女は私を迎えに来た悪魔なんだ。私を地獄まで引きずって、この叫びが誰にも届かない場所で、同じ痛みを繰り返し味わわせて楽しむ気なんだわ。

そして、再び扉が開いた。ビクっと顔を向けると、そこには勝田が居た。
「勝田....。」
「藤島、この前は――」
「近づかないで!!今はもう、あの女の手先なんでしょ。」
「藤島、話を聞いてくれ。」
「嫌っ、嫌っ!!もう誰も信じられない。みんな私を裏切って去っていくんだわ!!」
「だから――」
「嫌っ、嫌だ...、触らないで。お願いだから....許して....許して....。」
手を差しのべる彼から必死に身を守るように、体操座りで(うずくま)りながら、壁へと背中を押し付けて後退りをしている。
「勝田君、今はそっとしてやって。彼女、相当精神的にダメージを受けてる。これ以上刺激したら、もう元には戻れなくなってしまう。」
保健の先生は勝田を止めた。
「藤島....、ごめんよ。」
勝田は、悲しげな顔でそう言い残した。


藤島はきっともう、知ろうとさえしないだろう。
彼女の周りの不器用な人間が、その闇の中から引きずり出そうとしていたことなど。
人を傷つけることでしか自分を救えない彼女を、何とかして楽しい日常に戻してやりたかった友人の想いも、家族のために身を滅ぼしてまで働いてきた妹に、何かしてやりたかった兄弟の気持ちもただ、ただ失敗に終わった。
ひとつだけ成功したのは、名取の仕返しが想像よりもはるかに、彼女の精神を壊したことだろうか。

ー4章.おわりー

―――――――――――――――
2023.1.21
・言葉のおかしい部分を訂正
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