27.下町の夏
下町の鶴
5章-ユウレイ蜘蛛-
Episode.27「下町の夏」
夏休みがやってきた。しかし、こんな大休みの初日っていうのは、何をすれば良いか分からないものだ。
「お母さーーん。」
「何。小学生みたいな喋り方して。」
「ひーまーー。」
「課 題 は ど う し た の 。」
「良いもん。夜ちゃんとやるし。」
「勉強は朝やらなきゃ身に付かないのよ。」
「やーだー。年頃の女の子は勉強より、青春が不足してるの。」
母は腰に手を当て、小さくため息を吐いた。
「お手伝い終わっても、疲れたとか駄々
「ういーーーっす~。」
私の目をじーっと見つめると、冷蔵庫をバッと開けたり、キッチン周りを見回って、ササッとメモを取った。
それをホイッと私に向けると
「これ、お使い行ってきて。」
「お。お散歩だ~。」
「報酬として二百円まで好きなの買ってよし。レシートは絶対貰って帰ること。」
そういって母は私にお金とトートバッグを渡した。
戸を開けて家を出ようとすると
「詩鶴。」
「えっ、何?」
「喉渇いたら無理だけは絶対にしないこと。しんどいと思ったら日陰なり、どこかお店入るなりして休憩して。今日、暑いから。」
いつもの母のお約束だ。
「はーい。」
「気をつけてよね。」
「分かってるって。行ってきまーす。」
「いってらっしゃい。」
私は戸を閉め、夏の日差しが降り注ぐ町を歩いた。
出て早々、蝉がやかましい。買い物袋をぶら下げて散歩をするのも何なので、先にぶらぶらと歩くことにした。
私の家から駅まではすぐそこ。三分か、五分ほど歩けば着く位置にある。何せ、家の窓から電車が見えるくらいだ。
そんな我が町の電車はどこか古さを感じる銀色の電車が行き交っている。元々、白い電車が走ってたんだけど、最近見なくなった。
そしてこの町には駄菓子屋がある。昔はどこにでもあったと聞くが、今の世代っ子からしたら新鮮に映るから貴重な存在になっている。そんな貴重なお店に立ち寄って、いつものように欲しい駄菓子を探した。
「二百円って言ってたよね。それなら駄菓子を沢山買っちゃおう。あ、でもアイス食べたいな。」
下顎に人差し指を当てて、うんと悩む。高校生になってもこういうのは童心に帰ってしまうものだ。
数十円のお菓子を両手一杯に持ってお会計にいく。バッとそれを置くと
「ちょっと待ってね~。」
と店番に一言かけて、アイスの冷凍ショーケースへ走る。バニラバーを一本取ってレジに戻ると
「かご使わないんかい。」
とツッコまれた。斜め後ろを振り返ると、意外と分かりやすい位置に小さなカゴが置いてあった。
「えへへ~、つい。」
頭を掻いて笑う。夢中になると周りが見えなくなるのは、まだきっと私が子供のままという証拠なのだろう。
お会計を済ますと、ビニール袋をぶら下げて、片手でアイスクリームを頬張る。こんな素晴らしい夏の朝は、そうそう手に入れられはしない。
駅前に行くと、こんな平日の朝でもちらほらと観光客を見かける。といっても、ここの観光客は基本、年配さんが多い。というのも、ここを舞台にした映画が大ヒットして、その映画の一部作はまだ両親が幼稚園児くらいの年齢だった頃だという。その頃の道は、どこも公園の地面みたいな砂の道だったと聞くが、想像がつかない。
駅前広場は、屋台みたいな雰囲気のお店が立ち並んでいる。焼きそばが売られていたり、立ち食いの食堂があったり。年中、シャッターが閉まってるお店もちらほら。
と、まあ、色々あるが、私にとってこの駅前広場は煙草屋の印象が強い。
そんな駅前を通りすぎて、目的の買い出しに向かう。右へ左へと歩き回り、メモに書いてあるものを一つ一つ買っていくと、トートバッグがとんでもない重さになった。
母上様、これ二百円は割に合わねえ...。
私は重たい荷物を片手に、額に汗をかきながら家を目指した。
駅前を通りすぎ、しばらく歩くと
「お嬢ちゃん、ちょっと良いかい。」
と、お婆さんに声をかけられた。
「え...な、何すか。」
「ここら辺で、お舟の乗り場って何処かしら?」
「お....舟?」
「川をわたる、渡し舟がこの辺にあると聞いてね。」
あ、何だっけ。矢切の何とかみたいな名前のあれか?でもここから江戸川の堤防までって...徒歩じゃ結構あるよな。特にご年配さんの労力じゃ辛いのでは。
「ああ、ここからだとちょっと歩くよ...?」
「バスは出てるのかい?」
「いや、バスはその方向には向かわないかな...。」
「あら、じゃあ歩いて行くしかないわね。」
「帝釈天の方角に歩いていくと堤防があるんで。」
「ありがとね。」
そういうと、ゆっくりと、トコトコ歩いていった。今日はかなり暑い日。その背中を見ていると、少し心配になった。私はお婆さんの元まで走って
「ちょっと案内しますよ。」
と、言い寄った。
「ありがとね。」
「お婆ちゃん、観光?」
「あ、いや、矢切の方に孫がいてね。お昼に向こう岸で待ち合わせしてるのよ。」
「なるほど。」
「ひい孫が産まれたってんで、一目拝みにいこうってわけさ。」
「おー、おめでたい。」
「私ゃの若い頃は、子供育てるってのは命懸けだったものさ。旦那を戦争で亡くしてから、女手一つで育てて来たからね。」
「大変だったんだね。」
「そりゃ大変だったさ。空襲のサイレンが鳴る度に、娘抱えてよく走ったものだよ。今じゃ、ちょっとそこまで歩くのが精一杯なんだけどね。」
そう言ってアハハと笑いだした。私は、どういう反応をすれば良いか分からなくて、そのとなりで苦笑いしていた。
「その時お婆ちゃん、どこに住んでたの?」
「うん?ああ、もっと街の方だよ。都電の終着駅で、すぐ目の前に荒川の土手があって...もうかなり昔のことだからうまく思い出せないんだけどね。」
「え、都電ってあの路面電車だよね?」
「ええ、そうよ。昔はあちこちに走ってたのよ。いくつかは空襲で無くなったとこもあったけどね。それに乗って、亀戸の方へ働きに行ったりもしたわ。」
「ふーん、ちなみにここにも走ってたの?」
「柴又はあまり行ったことがなかったから分からないねえ。でも、そこの電車は昔からあったと思うわ。」
「そっか。」
「あの頃と比べりゃ、良い時代になったものさ。死ぬことの心配なんてすっかり無くなった。生きていくことだけの心配だけで良いんだから。」
お婆さんとお喋りしながら、堤防の上まで歩いて行った。
「はあ、はあ、だいぶ歩いたねえ。」
「お疲れ様。あともうちょっと、そこを降りて向こうに見える林みたいなところ、あそこに停まってると思うから。」
「わざわざこんな遠くまでありがとね。これお礼に。」
そういって飴玉を三つほど貰った。
「これ私に?」
「おん、食べて。」
「ありがとう。」
夏の日差しが照りつける中、どこからか吹く涼風に当たりながら、お婆さんは言った。
「人生、辛いこと沢山あったけど、子供の顔見る為だったら大したこと無いって思えるね。」
私は遠い景色を見つめる彼女の顔を見た。その表情はとても穏やかだった。
「お嬢ちゃん、家族は大切にするんだよ。」
そう言い残し、お婆さんは乗り場の岸へとゆっくり歩いていった。
私にとって人生ってなんだろうな、そう少しばかり考えさせられた。
私が苛めっ子と喧嘩してた日々は、これからのことと比べれば大したことの無い痛みなのかな、そう思うと、少しこれからのことが怖くも感じる。
けど、あのお婆ちゃんが言ってたように、いつか私が子供を産んで、その子を守る日々が訪れたら、どんな痛みにも堪えられるようになるのかな。
今はまだ、何も分からないままだけど。
私は、貰った飴玉を口に放り込んだ。甘い、甘い金柑の喉飴だった。堤防からの涼風と、その風味が鼻腔に行き交う。そして、余った飴玉をトートバッグに放り込んだ時...
あっ........
買い出しの野菜や、お肉の入ったトートバッグの存在に気づき、大慌てで土手をかけ降りた。
「うわああ!!野菜傷んじゃうううううう!!!!」
つづく。
11.23...1960年代の柴又の情景の書き間違いを訂正
12.19...町の建物の解説を一部変更