下町の鶴   作:瀧ヶ花真太郎

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「先生、心の病気って一体何を定義するんでしょうね。」
保健室の椅子に座り、柔らかい秋風に頬擦りされると、心は自然と寂しくなる。
「え?」
と、先生は返した。弱い日差しが彼女の表情を縁取っている。
「人それぞれって言葉があるのに、なぜ自分と違う人間はおかしい人になるんでしょうか。」
先生は少し黙ったあと、私に言った。
「それは、みんなが"知らない"だけなんじゃないかな。」
「知らない.....ですか。」
「ええ。自分に持っていないものは、どんなものも不思議に見えるものよ。」
私は空を見上げ、しばらく風を口に含んだ。
「みんながそれを知っていたら、きっと誰も悩まずに生きていけるのでしょうね。」
そう言うと、先生は微笑んで言葉を返した。
「どんな生き方をしても悩みは必ずあるわ。周りが知ることよりも先に、まず自分がそれと向き合っていくことからだと思うな、私は。」


42.心の跡地

 

下町の鶴

6章-初秋-

☆Episode.42「心の跡地」

 

校門が閉まる前になると、生徒もまばら。そのタイミングで登校し、保健室に入室する。先生と話し合って、しばらくはここへ通うことになっていた。

瑞希と会ってから数日が経った頃、あれから私はずっと作詩帳とにらめっこをしていた。あの日、三人で曲を作ろうと誓い合った約束を何とかして叶える、それが今の私に出来る精一杯だと思っていたから。

「うーーん.....。」

それにしても心が重たい。このままでは駄目だと自分自身で背中を押しても、ふと気が抜けると「自分は駄目な人間なんだ」と簡単に気分が転がり落ちてしまう。その度に私は大きく深呼吸をして詩鶴や、瑞希の笑顔を浮かべるようにした。あの子ならこんな私に何て言うだろう、そう考えることで大きくは変えられなくても、少し元気を貰えた。

「ふああああ.....。」

疲れが溜まり、大きな欠伸が出てしまう。どれだけこんな日を過ごしただろう。ノートを見つめ、少し書いては欠伸を、何か違うと詩を消ゴムで擦ってはため息を、そんなことをここ何日も繰り返していた。

休憩時間の終わりを知らせるチャイムが鳴り響く。慌てふためく生徒たちの声がやがて静まると、窓の外を見つめ、ノートを鉛筆で何度か小突いた。それでも言葉が思い付かないことにやるせなさを感じ、私は後ろを振り向いた。

保健室を見渡すと、並んだベッドの奥にひとつだけ閉じきったカーテンがある。ここ最近、ずっとそれは閉じていて不自然に感じていた。何か医療品でも置かれているのだろうか。頭もかなり疲れてきたことだし、先生が不在の間にこっそり覗いてみよう、そう思った私はカーテンへと足を運んだ。

目の前まで来ると、一体この奥に何が隠されているのだろう、という好奇心が強く背中を押した。そして胸のドキドキを左手で抑えながらカーテンをゆっくり開いた。すると、

 

「すぅ.......すぅ.......。」

 

そこには制服姿の女の子がスヤスヤと眠っていて、私は驚きのあまり反射的に

「きゃっ、ごめんなさい!!」

と、声を出してしまった。普通人が寝ていることくらい分かるはずなのに、それにさえ気づけない自分が情けなくなった。心臓の鼓動が激しくなって、罪悪感が一気に押し寄せる。ビックリした衝撃で後退りし後方のベッドに足をひっかけ、腰をすくい取られるように座りこんだ。急いでカーテンを元の位置に戻さなきゃと思い、立ち上がると

「んん......んんーむ....。」

少女の目が覚めそうだったので、私は頭の中が真っ白になってしまい、その場で立ち尽くしてしまった。カーテンを閉めればバレる、そのままにして歩き去ってもバレそうな気がして、何も出来なかった。

やがて少女が目を覚ますと、動揺した私を見つけ、突然ひどく怯えはじめた。

「あ......ああ....、はあ、はあ、はあ!!」

動転し、呼吸が荒くなり、明らかに誰が見ても平静ではない様子。私はパニックになって

「ああ....ごめんなさい、ごめんなさい...。」

と繰り返し、何も考えられなくなった。

「|助.....け.....て..........助け......て。」

「......え?」

明らかにまともじゃない状況に、混乱して立ちすくんだ。彼女は私に背中を向け、痙攣するかのように身体を震わせ

「はあ...、あああ....!赦して....赦してぇああ!!」

と、意味の分からない言葉を叫びだすので、私は怖くなった。

先生が戻ってくると、大急ぎで彼女の元に駆け寄り、その肩を揺さぶる。

「大丈夫だよ、大丈夫だよ。」

そう必死に宥める先生を前に、私は

「ごめんなさい.....ごめんなさい....。」

と繰り返す。先生が私の動揺を目にいれると

「四倉さん、何かしたの...?」

「い、いや...、勝手にカーテン開いて起こしちゃって、私...その.....、ごめんなさい。」

慌てて、言葉も纏まらない状態の説明に先生は

「大丈夫、心配しないで。」

と私に声をかけてくれたが、理解が追いつかない状況に恐怖して、今にも飛び出しそうな心臓を両手で必死に押さえるばかりだった。

パニックを引き起こして暴れだす少女、それに怖くなって必死に息をする自分と、その二人を落ち着かせようと焦る先生。最悪の空気と、状況だった。

 

あれから彼女が再び眠りに落ち、保健室に先生と二人きりの空間になった時、私は先生と、あの少女のことについて話していた。

「あの子はね、精神的に大きなショックを受けてああなっちゃってるの。」

「そうだったんですか...。それは何が原因なんですか...?」

「家庭から...、学校の人間関係から....、色々。今まで散々辛い思いをしてきて。」

「はあ。」

「一番必要な時期に両親が離れ離れになっちゃったし、それからお金の問題で色んな仕事に手を染めて、心身共に相当ダメージを受けてたらしいの。」

「そうだったんですか。」

先生は静かに空を見上げ、呟いた。

「そばに話を聞いてくれる人がいたら変わってたのかもね。」

「......。」

先生は空を見上げ、呟くようにして言った。

「ただ...あの子は、何もかもを間違えてしまったんだよ。」

「何もかも....を。」

「そう。人間って間違えちゃう生き物なのにね、その間違いを間違いだと叱ってくれる人がいないだけで、簡単にどこまでも暴走するんだよ。」

その言葉は私にも共感できるものがあった。例えば、今まで自分のした過ちに誰かがおかしいと言ってくれたなら、いま瑞希とこんなに距離を置くこともなかったろうに、と。...しかしそう思ったら、ふと、それは今の今まで私に優しくしてくれた瑞希や、詩鶴のせいにしてるように思えて、自分がよく分からなくなった。

でも、もし逆に瑞希の優しすぎる性格に私が、もっと素直になってと怒り続けていたら、彼女は今頃こんなに苦しまずに済んでいたのだろうか。

私は先生に聞いた。

「先生、もし私が母と死に別れてから自暴自棄になって大暴れしてたら、彼女みたいになったでしょうか。」

「ええ、きっとね。どんな人にも、人間に生まれたからには心が付いてるから。」

「そうですか。」

「でも、四倉さんは良い友達を持っているじゃない。そうさせないように一生懸命になってくれる友達がさ。」

私は詩鶴や、瑞希の笑顔を頭に浮かべた。私が困っている時、すかさず話しかけて来てくれて、辛い気持ちを風のように拐ってくれる友達のことを。

壊してしまった瑞希の心を元に戻したい、私が受けた優しさを、困っている誰かにも与えられる人間になりたい、そう思った私は先生に尋ねた。

「先生。」

「うん?」

「私、あの子と友達になりたい。」

「....え?」

「私もずっと心を閉ざして生きてきたから。未だに人と話すのは怖いですし、今だって何を信じれば良いのか分からない。でもだからこそ、同じ仲間と沢山お喋りしたい。」

それを聞いた先生は、少し俯いた。

「...ありがとうね。」

 

日が変わり、私がいつものように作詩帳とにらめっこしていると、先生が私に話しかけてきた。

「四倉さん、もうそろそろお昼だよ。」

「あ、はい。チャイム鳴るまではもう少し書かせて下さい。」

「そう。」

先生はあの閉じたカーテンの方へ向かい、中の少女とお話をし始める。途中、

「嫌......やだ.....。」

と悲しそうな声が聞こえたりもして気になった。

やがてチャイムが鳴り響くと、昼休みの始まりに背中を伸ばしてはしゃぐ生徒たちのざわめきが、辺りに聞こえるようになってきた。何を食べるか、何をして遊ぶか、そんな話題に溢れている。

ふと見ると先生がカーテンを開き始めたので驚いた。コの字型のカーテンを私と反対側の方から開き、先生が

「おいで、怖くないから。」

といって優しく腕を引き、こちらにやってくる。少女の前髪は目を覆い隠すように伸び、その奥から暗い瞳が見え隠れしている。怯えた様子で背中に隠れて呼吸を乱すその姿は、幼い頃の自分にどこか似ていた。

「こ、こんにちは。二年の四倉です。」

「あ.....ああ....、うう....。」

言葉の吃りが酷く、うめき声をあげながら身体を震わせている。そんな彼女に先生が代わりの挨拶をした。

「まだ人と会うには早いんだけど、四倉さんならきっと大丈夫だよ。紹介するね、この子は

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

藤島さんっていうの。」

つづく。





【明希の作詩帳...2】

「瓦礫町の夕闇」
焼きたてのパンに 灰を塗って食べました
燃え尽きた後の心に 輝く景色はもうない
あの子はそれを口に入れ 美味しそうな顔をして
むせ返ってしまう苦しさに 人は誰も気づかない

甘いジャムを教えたら おとぎ話と言いました
春風に身を任せて 風邪を引いたからだそうです
舌に乗せてあげたら ポロポロ泣いてしまいました
嘘と信じた優しさは 氷を砕くからだそうです

瓦礫町の夕闇に 降りしきる星をもう一度
壊れた扉を こじ開けることはできないから
瓦礫町の暗がりに 降り止まぬ星をもう一度
あの子の明けない夜町に せめて光が溢れるように
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