ホームルーム前の登校時間。少し早く着いたからか、教室はまだ賑やかになるほどの人は居ない。久しぶりの教室で、クラスメイトが入室する度にこちらに視線を向けてくる。居づらさを感じ始めていた頃、詩鶴が廊下から走ってきた。
「明希ぃーー、いるー?」
周りの視線が気になって、私は小さく手を上げる。
「は、はい...。」
「あ、いたいた。明希ー、放課後ひまー?」
「え、あ...うん。どこか行くの?」
「駅前にちょっと気になってるラーメン屋さんがあるんだけど、もし良かったら~って思って。」
詩鶴が楽しそうに話してると、別のクラスメイトが彼女に野次を飛ばした。
「名取ー、お前また居残り脱走か~?」
「あー?るせえなぁ、ぶっとばすぞ。」
「ぶっとばす前に
言い返せない詩鶴は、彼らに思いっきり舌打ちを飛ばした。
「はあ....、アイツ嫌い。」
「まあまあ....。」
私が苦笑いで宥めると、詩鶴はパッと気持ちを切り替えて元気良く去っていった。
「じゃ、また呼ぶね!」
「うん。」
そして去り際の詩鶴にまた野次が飛ぶ。
「やーい、脱走犯~。」
詩鶴は中指を突き立てた。
「えー、それじゃあ出席取るぞ。」
ホームルームになると、先生の眠たそうな声が聞こえる。私は机の上で指を遊ばせながら、皆の返事を聞き流していく。こんな当たり前の日常も、一ヶ月会わずにいるだけで新鮮に感じるものだ。ふと横を向いてみると、瑞希がボーッと前を見つめて何か考え事をしている。私の視線に気づくと、彼女はニコッと笑って
「なに?」
と、小声で聞く。私は小さく首を振り、何でもない素振りを見せた。
「四倉。」
先生が私の名を呼ぶ。
「あぅっ、はい...!」
「久しぶりだな、元気してたか。」
「あ、えと....はい!それなりには...!」
「それなりか...。」
周りからクスクスと笑い声が聞こえ、顔が熱くなった。
下町の鶴
6章-初秋-
☆Episode.48「終戦」
「四季乃ちゃーん。」
保健室の扉を開け、小さな声で彼女の名を呼ぶ。最初に先生が反応して
「四倉さん、授業終わったの?お疲れ様。」
と、労いの言葉をかけてくれた。
「はい、先生。ありがとうございます。」
先生の机まで歩いて、私も笑顔で返す。
「どうだった?久しぶりの教室は。」
「ええ、とても新鮮でした。ちょっと皆の視線は怖かったけど...。」
「ふふ、じきに慣れるわ。描いてた詩は完成した?」
「あともうちょっとで出来そうです。」
「良いね。その新鮮な視点を忘れちゃダメだよ。」
「ありがとうございます。」
先生と話していると、後ろから私を呼ぶ声がした。
「明希。」
振り返ると四季乃がベッドに座っている。入った時は出入口側にかかっていたカーテンで気づかなかった。四季乃と目が合うと、彼女の口元がそっと微笑みに変わる。私は四季乃に駆け寄り、胸の中へ飛び込んだ。
「わ!?どうしたの。」
「四季乃ちゃん、私やれたよ。仲直りできたよ!!」
ビックリした四季乃が仲直りの言葉を聞くと、安心したように背中に手を回し
「良かったね、明希。」
と言って
「四季乃ちゃんのお陰だよ。」
「明希、子供みたい。」
「良いの!今だけは。」
四季乃はじっと私を見つめていた。自分と重ね、夢を見るような眼差しで。
「明希は、まだお母さんを探してるの?」
「え?」
「明希のハグって、いつも友達のハグじゃないからさ。」
「友達のハグ...?」
「何て言うか、家族や恋人にしてるような感じ。」
「え、これが普通じゃないの...?」
「普通はもうちょっと軽めだよ。そこまでギュッとはしないかな。」
「そ、そっか。そうだったんだ...。ごめんね、ベタベタして。」
「ううん、それは良いの。気にしない。でも明希ってギュッてすると本当に落ち着いた顔するし、もしかしたらお母さんと重ねてるのかなって。ごめんね、直球な言い方になっちゃうけど。」
四季乃の疑問に、私は言い回しの一つも見つけられなかった。だって何一つ間違ってないから。腕の中の温もりに触れると、あの頃に戻ったような気持ちになれる。それが何より心地よかったんだ。だから一度ハグしあうと離れられない。ずっとこうしていたいと思えてしまう。周りはきっとそんな私を気持ち悪がってたのかもしれない。
「引き離された親子は親離れ出来ないんだよ。心が、いつまで経っても。」
四季乃にそう言うと、彼女はそっと呟いた。
「親離れ....か。」
過去を思い出したのか、想いに耽っている。そんな彼女の隣で、部屋の空気と一つになって過ごした。
暫くして私は、保健室での思い出を胸に、四季乃に少し甘えてみた。
「私ここを離れるの、寂しいな。」
そう言うと、四季乃はほんのりと笑顔を見せる。
「私も。でも、私も頑張るから。今度は学校のどこかで会いましょう。」
「わあ...!私応援してるからね、何か力になれることあったら言ってね。」
四季乃の両手を揺らして大喜びした。とうとう二人の心に夜明けがやってきたように思えて、それがとても嬉しくて。二人はお互いに祝福しあった。
それから暫く彼女と会話を楽しんだ。過去の暗い話から、面白く馬鹿げた話まで。私たちは時間を忘れてお喋りに夢中になっていた。
その後、保健の先生が用事で暫く部屋の留守を頼まれ、保健室で二人きりになる。放課後に入り、周りの部活動もそろそろ終わりそうなくらいの時間だった。
私は母の死のことを四季乃に話した。
「もうそろそろ、お母さんの命日なんだ。」
「へえ...?」
「四年も経つと、だんだん母親の感覚が分からなくなってくるけどね。」
小さく微笑みながら話すのを、四季乃はじっと見ながら言葉を返していく。
「お墓参りはしていくの?」
「うん。」
「そっか。じゃあお母さんに伝えてあげないとね、元気にしてるってこと。」
「ありがと。四季乃ちゃんのことも話すよ。」
「悪友が出来たって?」
「それは昔の話でしょ。」
すっかり元気な心を取り戻した四季乃。とうとう自虐ネタまで使うようになってきた。
「ちょっと遠いけど、四季乃ちゃんも良かったらおいで。」
「...私なんかがご挨拶しても良いのかしら。」
「別に良いよ、親友なんだし。」
「....親友。」
「...?重たすぎたかな。」
「ううん。そう言ってくれて嬉しい。」
四季乃は子供のような純粋な笑顔を見せた。それは、お互いに心を許し合えるようになった証拠と言えるだろう。
「明希、私さ――」
四季乃が明るい表情で何か言おうとしたその時だった。
「ここにいるのー?」
扉が開くとともに詩鶴の声が聞こえた。私がそれに答えようとすると、四季乃は咄嗟に私の前に腕を出し、息を殺すようにして言った。
「駄目...!今出たら、絶対。」
何の冗談なのかと思ったが、四季乃の表情はまるで恐怖に立ち向かおうとしてるかのようで真剣だった。
「四季乃ちゃん...、どうしたの?」
「しーっ!!」
「...なんでそんなに怖がってるの??」
四季乃は冷静さを保つのに精一杯な雰囲気だったが、私には状況が一つも掴めなかった。
「あ.....ああ......。」
不思議に思いながら見つめていると、四季乃の表情が絶望に変わっていく。まるで初めて出会った頃のように荒くなる呼吸、身体が小刻みに震えながらも、彼女は必死に私を守ろうとしている。気づけば視線の先には、詩鶴が怪訝そうな顔で立っていた。
「藤島?...あんた何やってんの...??」
「やめて...!!貴女達を苛めた仕返しなら、この子は関係ない。お願いだから私だけにして。いくらでも受けるわ。」
「ごめん、何言ってんの??」
「明希は私の苛めには荷担してない、無関係よ。」
「うん、知ってる。」
「は.....??」
三人とも、この状況が理解できていない。
「明希...、ちょっと聞きたいんだけど。」
「う、うん。」
「休んでたときにさ、色々話したり、背中押して貰ったって言ってたの、もしかして藤島のこと?」
「うん、そうだよ。」
「ああ....そう。」
二人の間に、妙に重たい空気が流れている。四季乃は私の目をじっと見つめた。まるで今まで信じていたものが、何もかも嘘だったと知らされたような瞳をしていた。
「藤島、明希のこと、ありがとう。」
「え....。」
そして詩鶴は顔色を変えないまま、淡々と礼の言葉を告げる。四季乃は詩鶴の言葉に強い戸惑いを覚えると、身体全体から力が抜けきるように崩れ落ちた。
「四季乃ちゃん、大丈夫?」
私がそう言って彼女を心配すると
「明希.....。」
何かを訴えかけるように、どこか寂しげな声で私の名前を吐いた。
ひとつだけ私の中で明確になっているのは、四季乃がかつて苛めていた人の中に詩鶴も含まれていた、ということだ。そして、どうして四季乃がこんなにも怯えているのかを一つずつ紐解いていくと、その中で一つだけ信じたくないことに気づいた。
ー「お腹の子供、殺した感想は?」ー
四季乃の精神を完全に壊した言葉。その言葉を詩鶴が浴びせたという結論に、どうやっても辿り着いてしまうのだ。
一気に押し寄せる圧倒的な情報量に、気が狂いそうなくらいの混乱が襲う。
「待って待って....二人とも、ちょっと待ってよ....。」
詩鶴と四季乃は、戸惑い喘ぐ私に困り顔を見せた。
「どういうこと...。私、二人を騙してたの...?」
そう嘆く私に、詩鶴は
「明希が頭抱えることじゃないよ。」
と、言ってくれるが...
「十分抱えることだよ...!」
「だから、明希のせいじゃないって。」
「じゃあ誰のせいなの。鶴ちゃんが被害者なのは間違いないよ。でも四季乃ちゃんにだって、こうなってしまった環境が―――」
何のためかも分からないような言い争いに発展しかけてしまった。四季乃は、庇おうとした私に
「もうやめて、いいから。」
と言って遮る。
「明希、人を苛めて良い理由に環境なんかないんだよ。」
そう四季乃は、優しい目で私を諭した。そして彼女は詩鶴の目を見て、ずっしりと重たい声色で言った。
「名取さん。」
「....?」
「今までのこと、本当にごめんなさい。貴女にも、貴女の友達にも、散々酷いことをした。」
「......。」
「今更になって謝って、許して欲しい訳じゃない。もし明希と私が友達でいるのが不愉快なら、私は離れる。」
四季乃の言葉に、私は息を大きく飲んだ。溢れかけた涙のせいで喉が苦しくて、名前を呼ぶことさえ出来なかった。詩鶴に助けの目を向けると、彼女は呆れ半分な様子で言葉を投げた。
「好きにすれば....。」
「.......。」
詩鶴の言葉が、四季乃にとっては良いものだったか私には分からなかった。四季乃の方を見ると、彼女の目が涙でキラキラと光っている。やがてそれが溢れかけると、四季乃は二人に見せまいと立ち上がり
「わかった。」
と、小さく残し、保健室から出ていった。
「四季乃ちゃん....!!」
一度は彼女の名前を叫んだが、自分の無力さに対する失望感で、その離れていく裾を掴めなかった。
詩鶴と二人きりになった部屋で、重たい空気に包まれる。追いかけるにはもう遅く、詩鶴を部屋に置き去りにすることにも躊躇いがあった。結局どっちを選べば良かったのか、そう自分に問いかけたら感情がぐちゃぐちゃになった。
「ねえ鶴ちゃん、ひとつ聞いて良い?」
「なに....?」
「鶴ちゃんの知ってる四季乃ちゃんは、どういう人だったの...。」
「それは....。」
つづく。