下町の鶴   作:瀧ヶ花真太郎

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あれから日が変わって次の朝、保健室に顔を出すとそこに四季乃の姿はなかった。四季乃のいたベッドには綺麗さっぱりとカーテンが開かれていて、もうここには戻らなくなったことを物語っている。
彼女との思い出が影となってそこに映っている。目を閉じればあの子の声が聞こえてきそうで。

「明希、おはよう。何してるの?」
「ねえ明希、こっち来て。一緒に話そ。」

四季乃の落ち着いた声が、胸の中から私を呼んでいる。私の声だけ届かないのは、もうそれが思い出になってしまったからなのだろう。誰もいない部屋に一人佇んだ。
「四倉さん、おはよう。」
「え?」
後ろから保健の先生の声が聞こえ、振り返ると先生は珈琲の入ったコップを片手に微笑みかけ、スタスタと机に歩いていく。
「先生、四季乃ちゃんは...。」
そう聞くと、先生は椅子の頭に指先をちょこんと乗せて言った。
「藤島さんね、もう元気になったって昨日の夜に電話してくれて。教室、探してみたら?二組だよ。」
私は彼女の教室へと急いだ。小鳥のさえずりと朝陽の差し込む廊下を。胸の中で、夜行列車の発車ベルが鳴り響くような心模様。彼女がどこか遠い町に旅立ってしまうかのような焦りが駆け巡っていた。
「四季乃ちゃん....、四季乃ちゃん...!!」
心で何度もその名前を叫びながら、教室にたどり着くとドアの影から彼女を探した。しかし、机に座って頬杖をつく少年も、友達と談笑している少女たちも、どれも四季乃の雰囲気とは違っていた。
「どうしたの?誰か探してる?」
「.....!」
生徒のひとりが私に気づき、声をかけた。飛び出しそうな心臓を押さえて、恐る恐る答える。
「あ、あの....四季乃ちゃん、藤島さん居ますか。」
「藤島?夏休み前からずっと来てないよ。」
「そ、そうですか。ありがとう。」
まだ学校に来ていないのかも、そう思って自分の教室に戻ろうとしたとき
「え、何あの子、藤島の友達?あんな大人しそうな子が?」
「え、どういう意味どういう意味。」
背後から噂話が聞こえてくる。ふと私は、そんなものに足を止めてしまった。
「だって藤島、表じゃ八方美人だけど、裏じゃ援交とかしてるらしいよ。」
「え、マジ?尻軽じゃん。」
「マジマジ。それどころかヒョロっちいやつ苛めて言うこと聞かせてたとか。」
「うわ、ヤバ。そんなのと友達とか、今の子何者?」
足を止めてまで聞いたのを後悔した。私は手のひらを強く握りしめ、そこから走り去った。
それから私は、またすぐに会えると信じて待ち続けた。しかし、いつまで時が流れても彼女の姿を目にすることはなかった。いつか胸の奥底で呼吸をしていた期待は、そっと息絶えるように消えていった。


49.秋風

 

下町の鶴

6章-初秋-

☆Episode.49「秋風」

 

目が覚めると、自分の部屋の天井を見ていた。

欠伸が出てしまう前に、今までの辛いことが全部夢の中の出来事だったなら、と想像してみる。しかし、浅い眠りの中に描いたものは、耐えきれず出た欠伸にみんな連れ去られてしまう。霞む目を擦り、窓の外を見つめる。今日は、お母さんの命日だ。

 

リビングに出ると、父がスーツ姿でパンを焼いていた。

「お父さん、おはよう。」

「おう、おはよう。」

何か手伝えることはあるか聞いてみると、「パンで良ければもう出来る」と父は言う。ありがとう、と返すと、座って待っててと言った。

「お父さん。」

「うん?どうした。」

「今日、何の日か覚えてる?」

「....ああ、覚えてるよ。」

「教えて。」

「お母さんと、お別れした日。」

「...そうだね。」

父は焼き上がったパンをお皿に移し、私の元に差し出すと

「ごめんな、今年も仕事で一緒には行けそうにない。」

と、暗い声で言う。

「大丈夫、お父さんのことも伝えてくるよ。」

「ありがとう。仕事が終わったら寄るよ。」

「うん。」

 

朝食を食べ終わる頃に父が仕事へ出掛けていき、食後のお皿を水洗いする。

キュッ...

水を止め、食器を片付け、灰色の窓ガラスを背に部屋を見渡す。静かな部屋に少し心を落ち着かせ、深く呼吸をしてみた。こうまでしないと思い出せないくらい時が経ったのか、そう思うと何だか悲しい。

「今日は少しお洒落してこうかな。」

そう心に呟いて、母のタンスから紺色のカーディガンを取り出した。それを羽織り、匂いを嗅ぐと、何だか懐かしい匂いがする。過去ばかりに目を向けてしまう私だから、少し優しい気持ちになれた。

 

念のためにと思い、傘を持って外に出る。空は曇っていた。駅まで歩いていき、松飛台までの切符を買う。千葉方面への電車は殆ど乗らないから少し新鮮な気持ちになった。ホームで暫くボーッと待っていると電車がやってきたので、それに乗り込んだ。車内は座る場所を選べる程に人がまばらで、私は車窓の良く見える真ん中あたりの席に座った。そうか、休校日とはいえ今日は平日なんだ。スーツ姿のサラリーマンの中にはキャリーバッグを持ってる人もいた。どこかへ出張するのだろうか?そういえば少し前に線路が空港まで直通するようになったんだっけ。きっと彼らはこれから飛行機に乗るのだろう。少し羨ましい気持ちになった。

次に私は、電車の中で親子が楽しそうに会話しているのを見つけた。まだ未来には不安よりも、期待の方で満ち溢れている幼い女の子と、その子の頭を優しく手のひらで撫でる母親の姿が。そんな光景を見つめていると、何だか懐かしい気持ちになった。

 

電車に揺られながら当時の記憶を浮かべた。四年前、あれはまだ私が十三になったばかりの頃。

「..........。」

さっきまで温かかった母の手は、ゆっくりと温度を失くしていく。命の終わりに直面した瞬間というのは、心に悲しい音楽さえ流れない。ただ無音の空間だった。

「不思議だね。」

「......?」

「私、なんで泣いてないんだろう。心なくしたのかな。」

「.....。」

「真っ白なの。何も鮮やかに見えないし、何も綺麗なものに聞こえない。」

父がずっと黙って私の話を聞いている。それがまるで独り言を喋ってるみたいな気分になって、余計に寂しかった。でも、ずっと泣かずにいれたはずなのに、火葬の前には壊れるくらいに涙が出た。魂がそこにないとしても、形が残ってるだけでどこか安心していたのかな。本当の別れが訪れたように思えて。

それからはいつも寂しさが人生に纏わりついていた。何をするにも心が全然動かない。この気持ちを打ち明けたいのに、空気が壊れることを恐れてか誰も話を聞いてくれない。ただ一方的に、「大変だったね」と言われ、片付けられてしまう。それが本当に寂しかった。そして三日も経てばみんなその事を忘れて、やれ宿題だ、やれ進路だって言葉に呑まれていくのだ。不良になる生徒の気持ちが何となく理解できたのはここからだったかな。

大人になりたくない、そうなる前に死んでしまえたらいい。何度もそう思えたけど、結局、これからも死に損ないの女でいることは目に見えている。死ぬ勇気も、私の側に居てくれる人を裏切る決断も、私には一生出来っこないから。

母の死から、詩を今までより沢山書くようになった。打ち明けられない想いや、初めから聞かれることのない願いまで。それらはみんな暗いテーマばかりだったが、自分を救う方法があるとしたら、私にはそれだけだった。

 

色々と思い出しているうちに電車は、目的の駅に到着した。ここから霊園まではそう遠くない。むしろ霊園に着いてからが長いのだ。辺りは一面のお墓、ぼーっと歩いていると最初は誰もが迷ってしまう程に広い。

不思議なものだ。死を直接的に経験していない者にとってお墓は、"怖い場所"ってイメージのはずなのに、亡くした人がいる人間にとってはそんな恐怖はどうでも良くなる。むしろ、霊でも会えるなら幸せじゃないか、とまで。優しい笑みでお墓を洗う人、墓前で泣き崩れる人、この場所には幾千もの感情が行き交っている。それを恐れずに受け止められる日が、どんな人にもいつか必ず訪れるのだろう。その頃にはきっと、命というものへの見方が少しは変わっているはずだから。

 

母の墓の前に着くと、そこには小さな花束が供えられていた。誰が置いていったのだろう。母の友人だろうか、それとも先に身内が供えていったのだろうか。誰にしたってその花は、とても綺麗に咲いていた。

私は手を組んで、お母さんに心の内を伝えた。

「お久しぶり。このお花、誰が届けてくれたんだろうね、とても綺麗です。

もう今日で四年も経つんだね。だんだん声も思い出せなくなってきて、だからたまにで良いので夢に出てきて下さい。娘は、寂しいです。あれから全然喋ってくれなかったお父さんも、私が頑張って喋り続けて、最近は会話量も少し増えたんだ。でも、少しだけね。お母さんからもちょっと何とか言って欲しい。仕事終わりに来てくれるそうだからさ。"もう少し親子とコミュニケーションをとってくれ"って。」

それから何分喋っただろうか。友達のこと、これからのこと、そして、三人家族だった頃の思い出話をした。瞼を開けると、雲間に小さな青空が見えた。差し込んだ太陽がだんだん雲を切り開き、晴れ空に変えていく。きっとこの声が届いたのだろう、そう思えて笑顔になれた。

私は一度、母の墓に振り返り、心の中で言った。

「またね。」

って。

その夜、父と小さく思い出話をした。晩御飯は、母が作ってくれたシチューを二人で作ってみようという話になったものの、手軽な料理ばかりでやりくりしてきた私たちには、お母さんほど上手くは作れなかった。互いに文句をぶつけながら、でも口にしてみると案外美味しくて、最後は笑い話に変わった。

「何この人参、形おかしすぎでしょ。」

「仕方ないだろ、包丁なんてそんなにしょっちゅう使わないんだから。」

「んー....。」

「でもまあ、味は悪くないんじゃないか?」

「うん、美味し。」

お互い、もう少し料理のスキルを上げねば、と感じさせられる一日になった。お母さん、そんなこんなで相変わらずに不器用な毎日を過ごせています。天国でもし、寂しさを感じることがあったなら、どうぞこんな私達を見ながら笑ってやって下さい。

 

 

そんな母の命日が過ぎた翌朝、私はいつもより、どこか元気に登校出来た気がした。きっとこれもお母さんのお陰なのかもしれない、そう思って校舎へと足を運んだ。

玄関をくぐり抜け、保健室の前を通ってみる。ついつい彼女がまだここに居るものだと思って、スッキリと空いたベッドに毎回ドキッとさせられる。だけど、今日こそはこの校舎のどこかで会えるはず、そう胸に希望を溢れさせていた。

さあ教室に戻ろう、そう思って保健室から出ようとしたその時だった。

「四倉さん、おはよう。」

「あ、先生。おはようございます。」

「また藤島さん、ここに居ると思ったの?」

「えへへ。ええ、まあ。」

「そうそう、そんな四倉さんに、はい。」

先生はポケットの中から白い封筒のようなものを取り出し、私に手渡した。

「え?」

「これ、藤島さんからお手紙。四倉さんにだって。」

「四季乃ちゃんから、手紙...?」

「大丈夫。私、中身読んでないから。」

「開けて良いですか?」

「ええ、勿論。貴女への手紙なんだから。」

私はそっと封筒を開けた。今時、手紙だなんて随分粋なことするんだなあ、と冗談交じりに思っていた。しかし、そんな私に待ち受けていた手紙の内容に、私は心臓を止められそうになった。

 

―――――――――――――――

親友、明希へ。

 

元気ですか。目を閉じれば明希の話しかけてくる声が聞こえそうで、不思議と温かい気持ちになります。

そして、お母様のご命日にあたり、心よりご冥福をお祈りします。細やかですが、花束をお供えしました。お墓の邪魔になっていたらごめんなさい。

早朝に来たので会えなかったのが残念です。だからどうしても手紙を残したいと思って書きました。

本題です。とても伝えづらいことなのですが、私、藤島四季乃は学校を中退することとなりました。理由は心配させたくないのであまり詳しくは言いませんが、お金の問題です。お友達の名取さんとの事じゃないので誤解しないでね。

明希には沢山助けて貰ったのに、恩を仇で返す形になってしまって本当にごめんなさい。

 

この学校の中にもう居場所は無いと思っていた。救われることもないし、そうなっていい人間じゃないのに、こんな自分には勿体ないくらいに私の心の光となってくれた。心の底から感謝してます。ありがとう。

町のどこかでまた会えること、心から祈ってます。

 

四季乃より。

―――――――――――――――

手紙にポタポタと涙が落ちる。先生が

「大丈夫?」

と声をかけると、私は膝から崩れ落ちて泣いた。子供のように声を上げ、顔をぐしゃぐしゃに乱した。こんなに泣いたのは母の火葬の日以来だ。本当に失くしたくないものを、別れも言えずに失ったことに耐えきれない程の胸の痛みが押し寄せ、喘ぎ苦しむ。

「嫌だ、嫌だ嫌だ...、行かないで...。」

「どうしたの四倉さん、しっかり。」

先生が背中を擦るのが余計辛くなって、涙が止まらない。

「ねえ、お手紙、私も読んで良いかしら。」

そう言って、先生は四季乃の手紙を手に取る。しばらく黙って手紙を読み進めると、先生は

「ああ....。」

と小さく声を漏らし、俯くように表情が暗くなる。

「先生、先生は知っていたの...?」

「え...。」

「四季乃ちゃんが学校辞めるってこと。」

「そうならないようにケアしてきた。でも...」

「でも....?」

「出来なかった。」

私が泣き止まずにいるのを、先生は何も言わずにそっと、頭を撫でた。

 

四季乃は、私と少し出会う前から学校を中退すべきかを話し合っていたらしい。彼女の精神状態、学費のこと、そして今までに犯してきた不正行為から、学校生活を送り続けるのは限界だった。

このことが周りに知れ渡る頃にはきっと誰もが平穏な学校生活を送れるって、さぞ安心した顔を浮かべるのだろう。誰も彼女の苦しみなど知ることはなく、ただの通りすがりの第三者に、偉そうに正しさや常識を語られるのだろう。それでも痛みや、失望を、もう彼女と分け合うことは出来ない。悔しかった。同じ傷を抱えるもの同士、これからどんな辛いことも乗り越えてゆけると信じていたのに。

それから私は三日、学校を休んだ。保健室でも、教室でも、四季乃の影を探してしまいそうだったから。長い時間をかけて書いた詩も、明るい言葉を書き変えたり、暗い言葉で埋め尽くしては消してを繰り返した。

心に長い雨が降った。その雨の中を傘も差さずに濡れてはくしゃみをし、雲間に陽が差し込めば、それを全部食べてやろうと追いかけた。死んでしまっても、彼女がそこに居ないことが頷けるから、それが余計に辛いのだ。こんなものは希望とは呼ばない。

 

「お母さん、四季乃ちゃんに会いたい。」

 

 

三日後の朝、私は教室の窓から、追いたてられるようなラッシュアワーの喧騒が響き渡る街並みを見ていた。きっと今、四季乃はこの目に映る街のどこかで必死に働いているのだろう。胸の奥には、嵐のあとの静けさが。そこに冷たい風が穏やかに彷徨う。

「お互い、頑張っていこう。四季乃ちゃん。」

心の声を灰色の街に呟いた。

「明希...!」

友達の声がして振り替えると、瑞希と詩鶴が心配そうな顔で私のもとに駆け寄った。

「大丈夫?私心配したんだから...!」

「明希、何かあったら相談してって言ったじゃない!」

二人とも私を揺さぶって叱った。

「ごめん、でももう平気。」

「本当に?何だか元気ないよ?」

「病み上がりなだけだよ。」

「そう、無理しないでよね。」

「うん、ありがとう。あ、そうそう、みっちゃん。」

私は瑞希に声をかけた。

「ん....?」

「二人が言ってた詩、作ってきたよ。」

私は鞄の中のファイルから作詩帳を取り出し、その一枚を瑞希に渡す。二人は思い出したように驚き、ありがとうと言葉をかける。

「ふふ、忘れてやーんの。」

私は普段使わないような、少し荒れた口調で二人をからかった。

「本当ごめん....!読んで良い?」

「勿論。」

あとはきっと瑞希がギターで作曲してくれれば歌が出来るだろう。そう思って二人に笑顔を見せた。

「そういえば明希。」

瑞希が話しかけた。

「作詩旅行、行けなかったね。」

私は瑞希に顔を向けた。

「あ、そういえばそうだね。」

と、言い出しっぺの詩鶴は申し訳なさそうに頭を掻き、「ごめん」と苦笑い。でも、私はそんな二人に微笑んで

「いや、」

と言いかける。きょとんとする二人、私は窓の外の遠い景色を見つめて続けた。今の私なら、胸を張って言えるだろう。

 

 

「もう十分したよ。」

6章-初秋- おしまい。





【明希の作詩帳】

「望郷」
1.
地下鉄は朝を探して  希望の汽笛を歌う
果ての見えない闇路に 何度もすくみながら
それでも君は信じて  走り続けるのだろう  
ありふれた幸せに   たどり着けないとしても

雲を夢見る心は
ビル風に浮かぶ木葉のようで

約束しよう  春まで咲きつづけると
木枯らしの中 粉雪の中 どんな悲しみの中も
笑顔でいよう 僕らありのままだと
暖かい風の中で いつか、いつか、いつか...

2.
憧れはシャボン玉のよう 遠くの街に焦がれて
届かず割れてしまうのに 最後まで空の色
直せないぬいぐるみを  強く抱きしめてるの
片付けの出来ない    散らかった胸の部屋で

夢の中で目覚めた
古巣で愛しい声が聞こえる

笑顔でいよう ただいまを言える日までは
喜びだとか 失望さえも 君に話し尽くすまでは
アスファルトの 隅の花になって
分かられない二人のままで いつか いつか
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