下町の鶴   作:瀧ヶ花真太郎

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58.欠けたピース

 

下町の鶴

7章-ノ木の火-

Episode.58「欠けたピース」

 

河島たちとの会話から抜け出して、私はトイレに向かった。放課後の静かな廊下を歩いていく。

用を済まして手を洗うと、ハンカチで手を拭い、鏡に映る自分を見た。ふと、おどけるように笑顔を浮かべて、自分の精神状態を確かめる。ここで笑えるうちはまだ元気な証拠だ、そう心に呟いて気を楽にした。

辺りには特にこれといった気配は感じないのだが、鏡で自分の後方を恐る恐る見てみる。そこには誰もいなく、振り返っても結果は同じだった。思えば、数ヶ月前に戦っていた相手が今では懐かしい。一難去ってまた一難とはよく言ったものだ。人生、どの環境に置かれても敵はいるものなんだとつくづく思う。今度は熱血な奴らに支配されそうになっているのだから、そう考えるとなんだか体育祭が始まるのが怖くなってきた。こんな空気で果たして本当に上手くいくんだろうか、その実感がこれっぽっちも得られない。

「あー、ダメだダメだ。笑顔笑顔...!」

暗い気持ちに引きずられそうになるのをグッと抑え、鏡の前の自分にもう一度笑って見せた。

 

トイレを出て暫く歩くと、廊下の窓際で黄昏ている男が目に映った。誰だろうと思いつつ通りすぎようとすると、何だか見覚えのある顔だと思い、目線が上へと上がる。

「あれ?勝田じゃん。」

「...?おう、お前か。」

その男の正体は勝田だった。いつも活発な奴で、時には苛めっ子のリーダーだったりする程の荒くれものなのだが、あまりにもしっとりとした雰囲気で佇んでいたから気付かなかった。

「どしたの、そんな暗い顔して。」

「いや、体育祭が近ぇなあって。面倒くせえんだよな、ああいうの。」

「はは、噓だー。そういうの一番好きなんじゃないの?」

「ほっとけよ。」

明らかに別のことで悩んでいるように思える。まあ、あまり介入しないでおこうと思ったが、このまま溜めこんで爆発して、その飛び火がこちらに当たるのも何なので、少しだけ背中を小突いてやった。

「ま、いいけど。あんま溜め込むなよー。」

そういって彼の横を通りすぎようとした。が、五歩ほど歩いた所でこの背中に呼び声が届く。

「なあ名取。」

え、呼び止めるのかよ、なんてことを思いつつ振り返った。

「ほっといて欲しいんじゃないのかよ。」

「少し聞きたいんだが。」

「なに?」

「心にガッポリ穴が空いちまった時って、お前ならどうしてる?」

「え、なに急に。ポエミーなこと言い出して。」

「どうしてるかって聞いてんだ。」

「...ええ?美味しいのをお腹いっぱい食べる。」

「はあ、お前は単純で良いな。」

「なんだよその言い草。」

「...。」

勝田は溜息を吐き、窓の外を見つめた。

「ふっ、ぜんぜん体育祭関係ないじゃん。」

「へ?」

「悩みの種がだよ。さっきから恋煩いみたいな顔して。似合わんぞー、そういうの。」

「うるせえよ。」

「仲間沢山いるんだから、聞いてもらいなよ。」

「ああ、そうだな。」

ぼーっと外を見つめてばかりの勝田は暫く黙ると、少し言葉を詰まらせるような感じで私に尋ねた。

「...なあ名取。」

「ん?」

「少し聞きにくいんだが...。」

「...?」

「その...。」

「何さ。」

「藤島のこと、今でも恨んでるか?」

「へ?」

「今もお前の中では"敵"か?」

「なんでそんなこと...。」

「聞きたいんだ。」

勝田は虚ろな目をして尋ねる。その表情を目にすると答えてやらないのも可哀想な気がして、仕方なく話した。

「敵でも何でもないけど、嫌いなのは変わんない。」

「そうか。」

「でもこの前、ボロボロにやつれた姿で謝られた時は少し複雑な気持ちになった。」

そういうと、勝田はほんの少し目を丸くした。

「あいつが...、謝った?」

「うん。許さなくても構わないって。」

「そうか...、そんなことを。」

「うん。」

「それで、お前はどうしたんだ。」

「良いとも良くないとも。」

「そうか。」

私は一つ小さなため息を空に捨てると、半ば呆れ顔で勝田に聞いた。

「悩みの種はそれ?」

勝田は何も答えずにじっと固まる。私は軽く肩をすくめた。すると勝田は、ずっしりと重たい声色で私に言う。

「あいつ、学校辞めたの知ってるか?」

「え?」

唐突に聞かされた情報に小さく衝撃を受けた。彼の重たい表情の訳はそれだったのか、そう思うと、私は彼にかける言葉を失った。

「自主退学だってよ。」

「そう。」

「...俺はどうすれば良かったんだ?」

「さあね。」

「もっと傍にいてやるべきだったのか。」

しかし、あまりにも勝田らしくない態度でモジモジしていることに、私は何だかもどかしさを覚えた。

「勝田、そんな気持ちのまま体育祭出たって楽しくないでしょ。」

「ああ、だから面倒くせえって言ってんだよ。」

「藤島が居たら今の気持ち、変わってた?」

「さあな。....。」

勝田がまた黄昏れに耽る。

「はーあ、呆れた。あの勝田がそんなことで萎えてるとか。」

「うるせえ、お前に何が分かんだよ。」

「だったら言えばいいじゃんか、来てくれって。」

「出来るんだったらやってるよ。」

私はこの状況にじれったくなった。いつまで経っても元通りにならない勝田に、私は彼の背中を思いっ切り叩くかのように助言してやった。

「違うね。あんたは出来るのにやってない。」

「は?」

「藤島は一人っ子だったかあー?」

「お前、何言って...。」

「一人っ子だったかって。」

「兄貴が一人いるな。それがどうしたんだよ。」

ポカンとしている勝田。そんな彼へ「あとは分かるだろ」と言わんばかりに私は、首の動きでゴーサインを示す。意味を察した勝田は困惑の表情を浮かべた。

「...いや待て、そんなこと俺には。」

「やってみないと分かんないじゃない、そんなこと。ほかに方法あんの?」

「...。」

「そうやってウジウジして、目の前のチャンス見過ごしていつまでも悲劇の主人公ぶってたいなら話は別だけど。」

そう言われて考え込む勝田に、私は続けて言った。

「好きなんでしょ、藤島のこと。」

「....え?」

勝田はまるで、その言葉で初めて自分の気持ちに気がついたような驚きの表情になる。まあきっと事実なんだろうよ。だって、その姿を見れば誰だって分かるレベルなんだもの、それが図星だってことくらい。

私は目の前の女々しい大男を小突いたあと、去り際にこう言ってやった。

 

「だったらそれなりの態度を示しなよ、男なら。」

 

 

つづく。

 

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