下町の鶴   作:瀧ヶ花真太郎

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「ごめん。」
河島が畏まった態度で瑞希に謝る。きょとんとした顔で不思議そうにする彼女に河島は答えた。
「暗い気持ちとか飛ばそうとしたつもりだったんだけど。」
すると瑞希は小さく微笑んで
「もう良いって。そうしたいって気持ちは伝わったから。」
と言った。河島は少しの間、言おうか迷って静かになる。そのあと瑞希へ慎重に尋ねた。
「名取と何かあったんだろ?」
瑞希はピタリと動きを止めて戸惑った。
「え。」
「あいつ全然戻ってこないしさ。そっちは四倉さんと一緒じゃない上、落ち込んだ様子だし。何もない方がおかしいよ。」
「.....。」
瑞希を励まそうと彼なりの努力を見せたものの、かえってその不器用さが彼女を追い詰めたことを河島は反省した。
「悪いことしたな。だる絡みして申し訳ない。」
申し訳なさそうにする河島を横に、瑞希は大きく息を吸った。そしてその空気を溜息には変えずに、ゆっくりと吐き出していく。
「気にかけてくれたんだよね、そこは責めないよ。ありがとう。」
瑞希は柔らかい表情で言葉を返す。あまりの優しさに心打たれた河島は、一瞬言葉を失くした。しばらくしてそれを笑いに変えてしまおうとしたのか、ポカーンとした顔をして瑞希に言う。
「前世で天使とかやってました?」
「ふふふ、褒めんの下手くそー。」
瑞希は胸をなで下ろすように一息つく。それは、河島がこれ以上自分のことを詮索してこないだろうと思ったからなのだろうか。こうすべきなのだろうと感じるものに追い立てられることに、彼女はきっと疲れ果てていたのかもしれない。
「なんかあったら皆がついてるから、元気だしな。」
河島はニコッと笑って言った。
「そうだね。」
瑞希も同じ顔で返す。しかし、元気を取り戻そうとしていた彼女の心は次の瞬間、逆戻りの道を辿ることとなってしまう。
二人の鼓膜にも触れただろう、詩鶴の叫び声が。



62.雨宿り

 

下町の鶴

7章-ノ木の火-

☆Episode.62「雨宿り」

 

「サボってんじゃねえ、早く戻れ。」

青組過激派の三年生が詩鶴を一喝する。しかし彼女はこれっぽっちも反応しない。

「おい、聞いてんのかコラ。」

もう一度詩鶴に呼び掛ける。また反応がない。

「ちっ、面倒くせえな。お前ぇがそうやってモタモタしてると周りにも迷惑かかんだよ!いい加減にしろ。」

イライラが蓄積して、男は文句を垂れながらドスドスと近づいてきた。やがて詩鶴の腕を掴もうとすると、彼女はパシッと勢いよく払いのける。詩鶴の反抗的な態度に腹を立てたのか、男は

「てめぇ...!」

と、荒い口調で食って掛かる。そして今度は彼女に手を上げて服従させようと試みた。しかし男の手が詩鶴の肩に触れようとした次の瞬間、詩鶴は男の胸ぐらを掴んで激しく揺さぶった。

「"いい加減にしろ"はこっちの台詞なんだよ!!」

「何すんだてめぇ!」

「うるさい、誰のせいでこうなったと思ってんだ!!」

とうとう詩鶴の我慢が壊れ、激昂状態になってしまった。だが、男は怒りの理由を知っているはずもなく、ただ彼女の反抗を押さえつけようとするばかりだった。

「お前らさえいなければまともな体育祭だったのに!!」

「は!?」

「お前らのせいで明希は...!みっちゃんは...!!」

「なに訳の分からんこと抜かしてんだ、この馬鹿女!」

「馬鹿はそっちだ!勝つ勝つって馬鹿みたいに。お前らのせいで滅茶苦茶なんだよ!!」

二人とも互いに殴る蹴るの大暴れで、詩鶴は喉が枯れるくらいに声を荒げて正気を失っていた。それに、大きな声で取っ組み合いの喧嘩をする二人に周りが気づかないはずはなく、あたりは少しずつざわつきはじめる。

「何してるんだ?あいつら。」

「なんかちょっとヤバくない?」

などと言いながら、騒ぐ声が応援の雄叫びの中でも聞こえるようになってきた。さすがにここまで事が大きくなってくると先生たちも気付く。詩鶴たちのことを止めようと、彼らは野次馬どもをかき分けながら飛んできた。そして

「何やってんだお前ら!!」

と、先生は大声で二人のもとに駆けつけた。他の生徒も何人か止めに入り、二人に割って入る。それでも暴れられる限り殴りかかろうとする詩鶴は、いよいよ後ろから羽交い絞めにされてようやく引き離された。彼女はずっと錯乱状態で

「離せ、離せ!ぶっ殺してやる!!」

と大声で叫んでいる。先生が何度か声をかけたものの、

「なんで喧嘩している。」

「このくそ野郎!死ね、死んじまえ!!」

「聞いてるのか、おい!」

「とっとと離せ!!もう一発殴らせろ!!」

このように聞く耳も立てず、詩鶴は身動きが取れないままでも必死に抵抗して暴れながら、頭に湧き出た暴言を一つずつ乱暴に浴びせた。とうとう説得のしようがないと思った先生は、詩鶴の頬を両手で挟むと、少しばかり手荒に叱責した。

「おい、こっち見ろ。こっちを見ろおお!!」

強く揺さぶられながら、詩鶴の視界には先生の鬼のような形相が映る。そうして彼女の怒りはやがて恐怖と悔しさに変わった。

「うぐっ、うああああ....。」

詩鶴はまるで幼い女の子に戻ったみたいに、鼻水を垂らし、顔をぐしゃぐしゃにして大泣きした。彼女の胸の中には、どうして誰も私の気持ちを分かってくれないの?という気持ちで溢れていた。楽しいはずのものが暗い空気のまま、モヤモヤを爆発させては叱られてしまう。詩鶴にとっては「理不尽だ」と声を上げて言ってやりたかったに違いない。

一方の先生も、激昂状態から突然大号泣し始めるので尋問する言葉選びに迷った。何を聞いても泣きっぱなしなのだから、それのしようが無かったはずだ。

「どうしてこんなことしたんだ。」

と、どんなに言い方を変えて聞いても

「うぅ...。」

と呻きながら両手で涙を拭おうとするばかり。先生は半ば呆れ気味に

「教室で頭冷やしてこい。」

と言って詩鶴を一人にさせる。三年生の男は、ただ自分の潔白を周りに主張していた。

 

「ここに居とけ。頭冷えたら戻ってこい。」

そう言って誰もいない教室に連れてこられた詩鶴。連れてきた見知らぬクラスメイトは、用が済んだと言わんばかりにそそくさとグラウンドへ消えていった。ひとりぼっちの詩鶴、体育座りで(うずくま)る。頭のなかに繰り返される台詞と、場面が浮かんでは、その瞳から枯れることなく涙が溢れた。

ごめん、と謝って全てが収まるならどんなに嬉しいことだろう。明希に見放されたこと、瑞希を怒らせたこと、折角の体育祭がこんなことになったのは全部自分のせいなのか、そう自分に尋ねてみる。

「これじゃ私が体育祭壊したようなもんじゃない。」

ふと呟いた言葉にまた涙が溢れてきた。詩鶴が鼻をすすり、瞼の雫を手で拭おうとすると

「あー、やっと見つけた。探したんだぞー。」

と、河島の声が。ビックリして詩鶴は

「来ないで...!」

と言って泣き腫らした目を見せまいと強がるが、涙交じりの声がそれを一瞬で悟らせてしまう。

「泣いてんのか?」

「うるさい...!うるさい....。」

「はいはい、分かったよ。」

河島は教室の壁越しに詩鶴と話すことにした。瑞希にしてしまったことを反省してか、河島は暫く黙って、詩鶴に一人の時間を与えた。鼻をすする音が何度も聞こえては、どうしてあげるべきかをゆっくり考えていた。そうして河島は詩鶴にひと声かける。

「お前はよくやったよ。俺らの分まで喧嘩してくれたんだよな?」

青組の過激派の一員と衝突したことを話題に上げ、彼女に味方した。詩鶴は不貞腐れたように反論する。

「好きでしたんじゃない。...あとアンタのためじゃない。」

「良いさ、みんなアイツらにムカついてたんだ。お前の行動にスカッとした奴は沢山いる。」

「......。」

「だからあんま自分を責めんな。言うほど悪いことはしてない。」

詩鶴に励ましの言葉をかけ続ける河島。詩鶴は、まだ微かに残る余力で文句を垂らした。

「じゃあ、なんでこう悪い方向にばっかり進むの。楽しくやりたかっただけなのに。」

「ああ、本当にな。みんな死んだような目か、血眼バカの二択しかない。...両極端だ。」

「うん。」

「俺も楽しい一日になると信じてたんだが。」

「...寝てたやつがよく言うよ。」

「あはは、昨日色々あってな。」

「ふーん。」

「テレビが面白くて。」

「くたばれ。」

「後でくたばっときます。」

詩鶴は泣き疲れたのか、さっきよりも静かになって部屋の空気と一つになった。そういえばここは詩鶴が一年生だった時の教室で、一昔前の記憶が薄っすらと影になって浮かんでいる。あの時は河島は隣のクラスで、瑞希や、明希が同じクラスだった。そんなことをふと思い出していると、あまりの静かさに詩鶴は少しばかりの寂しさを覚えた。

「河島、まだいる?」

と聞こうとした瞬間、それより先に河島が

「名取、いるかー?」

と尋ねる。

「いや、いるよ。逆にどうやって立ち去るんだよ。」

「良かった良かった。」

「...こっちが聞こうと思ってたんですけど、それ。」

「さすがにこの状態でどっか消えたりはしないって。」

「そ。」

「ん。」

「...ありがと。」

二人とも、ひと呼吸ほど静かになって、しばらくしたらまた喋り始めた。

「名取。」

「なに?」

「そういえばここ、元お前の教室だっけ。」

「あー、うん。よく覚えてるね。」

「まあな。」

「暇があるといっつもちょっかいかけに来たよね、河島。」

「ま、お前反応良いし。」

「意味わかんない。あんたのクラスにもいたでしょ、そういう奴くらい。」

「いや、お前ほどイジり甲斐があるヤツなんてそうそう居ねえよ。」

「馬鹿にしてる?」

「驚くほど褒めてる。」

「あっそ。」

「いやあ、お前とクラス一緒になったときは正直感動したわ。」

「私は心底ガッカリしたよ。」

思い出話と共に、少しづつ明るさを取り戻していく詩鶴。彼女の表情はほんのりと穏やかになっていった。そして次に詩鶴は、河島に呟く。

「河島は離れないでいてくれたよね。」

「離れる?どゆこと?」

「ううん、何でもない。」

詩鶴は遠まわしに感謝の意を伝える。それは河島には読み取れなかったみたいだったが、彼女は気に留めることなく静かに微笑んだ。

「よくわからんけど、人間関係そんな簡単に切る奴はいないだろ。」

「うん、そうかもね。ありがと。」

しおらしい態度の詩鶴にフッと笑うと、河島はこんな提案をした。

「ちょっとそこら辺でも歩こうや、気晴らしがてらにさ。」

すると詩鶴はグッと気持ちを切り替え、立ち上がった。

「うんしょっ、と。しゃあーねえなー、言うこと聞いてやるかー。」

「なんだそれ。」

河島の前に姿を見せると、まだ少し目の周りが赤いままの顔で笑う。

「さ、どこ行くの?」

 

つづく。

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