下町の鶴   作:瀧ヶ花真太郎

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69.明希の自爆

 

下町の鶴

8章-眠らない下町-

☆Episode.69「明希の自爆」

 

珍しく早起きした朝、トイレを済ませたあと、部屋に戻ると時計の針は六時前を差していた。二度寝をすれば学校を遅刻しそうな気がするが、このまま朝にするにも少し早い。仕方なくキッチンへ出ると、父が新聞を広げて座っていた。父は一旦読むのを止めて、コーヒーを一口飲むと

「ふう。」

と、一息。公務員って朝早いんだなって思いました。

「おはよ。」

そう声を掛けると、父はこちらに気付き、同じように返した。

「明希、今日は早いんだな。」

「お父さんこそ。何時ん起きたの?」

「さっき。」

「ふーん。」

まだ少し眠たいせいか、会話に中身がない。かと言って、黙ってるとそのまま眠りに落ちそうな気もするので、話したってどうしようもないようなことを聞いてみる。

「ねえお父さーん。」

「ん?」

「眠い。」

「ああ...、そう。少し寝てきたら?」

「そうすると私、絶対起きれない自信ある。」

父、困る。そうしてしばらく考え込むと、私に答えた。

「とりあえず水一杯飲んで、着替えてきたら?そしたら多分、布団には潜りづらい。」

「分かった。」

寝ぼけまなこで、父に言われた通りに水を一気飲みし、制服に着替えた。窓を開けて見上げると、これはあけぼのってやつか、薄いピンクの朝焼け空が見える。時間も多分、六時を過ぎたあたりだろう。部屋に差し込む光が、いつも起きる時と同じ景色に染め上げていく。目覚まし時計はあと三十分後くらいに鳴る予定だが、今回は起こしてもらう必要もなさそう。

ところで先日、詩鶴にメイクのことについて言われたのを思い出した。校則のこともあるし、化粧水を付けたりするくらいで済ませていたのだが...

「休みの日くらいはオシャレしなきゃ。」

と詩鶴。それに対して

「あまり難しいのは分かんないよ。メイク道具とかそんなにないし。」

と返すと

「あー、それならみっちゃんに教えて貰いなよ。プロだから。」

と言われ、教えられることが一つ増えた。

そこで私は、ふと母が生前使っていた化粧棚の前に足を止めた。当たり前だが、父が代わりに使うなんてある訳ないので、一つ一つを開く度、その棚の中の時間は止まっている。流行り廃りの早い時代の中ではきっと、この化粧品たちも年季の入ったレア物になっているのだろう。しかし私にとってそんなことはどうだっていい。お母さんの形見なら、他のどんな高い代物も光らないから。

そんな形見を少し拝借して、鏡の前で身振り手振りで顔を彩ってみる。あまり濃い色だと先生に怒られるだろうから、なるべく優しい色を使って。さて、このくらいにしておかなきゃな、というところまでやってみた。鏡を見てみると、少しお母さんに近づけた気がして笑みが零れる。口紅をし忘れてていることに気が付いたが、今から朝ご飯を食べることを思うと、また後で良いと思った。私はその口紅を大事に手のひらに握り、スカートのポケットにしまった。

 

 

時は流れ、放課後。いつもの文芸部の部室で作詩帳を机に広げ、窓の外を見つめる。文芸部とは言っても大した活動はなく、個人が書きたいことを書いて、最後にそれを皆と見せ合うくらい。あるものはノートを片手に教室外に足を運んだり、あるものはこうして机でノートと睨めっこ。ただ、作品が出来上がらなかったとて、適当な理由を述べれば許されるせいでずっとお喋りしている生徒が居たり、それを理由に入部を希望する生徒もいる。たまに男女二人で教室を出て、何も書いてこないで戻る生徒もいるのだが...うん、あいつら絶対サボりだ。

いつも居残りで居ない河島君についてだが、あの子は発想力にとても長けていて、作品こそ全然作らないものの、良いアイデアの提供者として周りから重宝されているお陰で、先生に怒られることは少ない。の、だ、が、いつも居残りで幽霊部員になっているのが残念でならない。今日の私はかなりの絶不調で、良い案が思いつかない。だから彼の手を借りたいと思っているのだが、わざわざそれで彼の教室を訪ねられる程の陽キャでもないし、そんなメンタルもない。

「部長。」

「はいはい、どうした四倉。」

「お手洗いに。」

「はいはい、いってらっしゃー。」

仕方ないので気晴らしにお手洗いに行くことにした。外に出ることで多少はアイデアも浮かぶことだろうから。

何一つ変わったことの起こらない日常風景。むしろ変わって欲しいことなど何一つないからこそ、この心は焦り知らずで落ち着いていられるのかも。廊下の窓から中庭を見下ろしたり、誰もいない廊下に響く自分の足音に耳を傾けてみたり、本来詩というのはこういうところから生まれるのだろう。だからもっと色んなものに目を止めて、浮かんだ感情を文字に変えなきゃいけないって思うんだ。愛とか、人生とか、そんな大きすぎるテーマはまだ私には早い。けど、いつかは書けるようになりたいと思うから、今日もこうして言葉を探している。

花を摘み終えて鏡の前、そうだ!と思い出し、ポッケから口紅を取り出した。五年は使われていないであろう品に目を奪われ、しばらく見つめてしまう。思えば今日のメイクも母の化粧品で、今持っているのもその一つだ。校則違反の持ち物を取り出してることに緊張のドキドキが止まらない。でも、悪いことをしてるっていう背徳感に妙に心が踊っている。蓋を開けてリップを回していくと、やがてゆっくりと顔を出したその赤色に、強烈な色気を感じる。これを今からつけるのか、と感じつつ、私はそっと()()()を唇に当てがった。

「私、イケナイ女になっていくんだ。」

なんてマセた言葉さえ心に浮かび上がり、頭がクラクラしそうな程に興奮していた。だがしかし、

「あ....。」

思っていたより色が濃く、確実に口紅のことがバレてしまいそうで興奮は焦りへと急変した。

「はやく落とさなきゃ、落とさなきゃ...!」

これはさすがにオトナ過ぎるヤツだ。てかお母さん、こんなのどこで使ってたの!?全力で唇を擦り合わせ、色を薄めようとしたものの...

「ふふ、イイ感じに馴染んだわ。これで私もオトナなジョセ.....って違ああああああああう!!!!」

ちゃんと仕上がってしまった。真っ赤な唇のままだ。こんな状態じゃあ教室に戻れない。早くしなきゃ!と焦っていると、災難は立て続けに起こるもの。なんとこのタイミングで部の先輩がお手洗いにやって来たのだ。

「お、お疲れー。済んだら早く戻りなよー。」

「あわああっ!?はい!直ちにっっ!!」

「....??」

咄嗟に口紅を隠すも唇が残っていて、大慌てで片手で覆った。先輩はそんな私を見て怪訝そうな顔をしていたが、愛想笑いで何とかその場から脱出した。

 

そんなこんなで教室に戻っては来たものの、逃げ場がない。というか逃げようのない所へ戻ってきてしまった。髪を伸ばしていたお陰で、横からはバレにくい状態になっているものの前が恐ろしく無防備で、窓の外を見つめるか、ノートに首から思いっきり視線を下ろすしか隠す方法が見つからない。なんだこれ、首の自由が無さすぎる。

時計を見れば下校時間まではまだ一時間もある。正直、首が持つ気がしない。どうしよう、と頭を抱えていると、お喋り部員たちの会話が聞こえてきた。

「メイク駄目とか校則マジ厳しくない?」

「ねー。で、大人になったら化粧は大人の基本とか言い出すじゃん?」

「意味わかんないよねー。」

やめろ、その話題は刺さる。

「ま、みんなバレないようにコッソリ付けてるよ。だってそこでしか練習の仕様がないっていうか?」

「うんうん、わかるわー。」

「私だって今日付けてきてるし。」

「え、どこどこ?」

「わかんない?」

「え?もしかしてリップ?」

「正解。これめっちゃ自然じゃない?」

「え、やば!あたし全然気付かなかった!」

殺せ、もう殺してくれ...。あわよくば窓から飛んで下校したい。あ、ここ二階か。足の骨折れるだけか。それは嫌だな。あはは...、早く部活終わってくれ。

そんな風に嘆いていると、部室の入口から詩鶴が顔を出した。

「明希ぃー、ちょっと教えて欲しいとこあるんだけど...。」

申し訳なさそうに尋ねると、私は一気に緊張から解放された気がして、首を詩鶴の方へ向けた。

「鶴ちゃん...!!あ...。」

真っ白になった。心が、身体全身が、真っ白に...。

「おお、明希、中々に攻めたメイ――」

「わああ!だめだめだめだめ!!」

「え?」

声と、その言葉に反応した生徒たちが全員、私の方に目を向けた。その瞬間、私の中で何かが音を立てて崩れ落ちていった。

「え、四倉さんどんなメイクしてるの?」

「さっき攻めたって言ったよね、見せて見せて!」

終わった。群がる生徒たちを前に、明るみに出された唇がカタカタと震える。

「落とせなかったの...、許して...。」

死に際の一言みたいに、かすれた声で最期の言い訳を溢したものの

「えー!でもめっちゃ似合ってんじゃん!」

「可愛い~。それなんてやつ?」

「え、知りたい知りたい。」

褒め言葉の嵐が追い打ちをかけるように精神にのしかかる。

「普段大人しい四倉さんがこんなオトナなヤツ持ってるとか意外~。あ、悪口じゃないからね?」

「あたし、次の彼氏とのデートん時にこういうのつけよっかな、つぎ。」

朦朧とした意識の中で、遠くに申し訳なさそうな表情で立つ詩鶴が見える。頭から煙が出てるようで、きっと今、私の顔はこの口紅と同じくらい赤い。そうして私は遺言のように

「た...づ...け...て、...し、づ――」

と残しかけて、言い切る前に意識が身体を残して下校した。

 

つづく。

 

 




2023.9.17
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