下町の鶴
8章-眠らない下町-
☆Episode.75「下町少年のラプソディ-中編-」
「あの、すみません。」
少年の声が名取屋の店内にポツリと響いた。
「はいはーい。」
奥から声がし、母、小町がやってくる。母は少年に気づいて挨拶した。
「いらっしゃい。どうしたの?」
「あの、この前はありがとうございました。」
頭上に「?」を浮かべる小町。少年が
「お姉ちゃんが。」
と、続けると、小町はピンときた様子で
「あー!あー、あの時のね。ごめんねえ、気ぃ遣わせたね。」
「いえ。」
少年は小さなビニール袋を小町に手渡し、
「あの、これ。」
と恥ずかしそうに言う。
「え?」
「この前のお礼って、お母さんが。」
中を覗くと、びっしりと色とりどりの菓子パンが入っていた。
「え、こんなに沢山。貰って良いの?」
少年はコクコク、と頷いた。どうやら、この前トイレを借りにきた少年がわざわざお礼をしにやってきたらしい。
「美味しそうだね、どこのパン屋さん?」
そう聞くと
「家の。」
と返ってくる。
「ふーん、そう。....え?お家、パン屋さんなの!?」
「そうだよ。」
「ええ、凄いね。ありがとう。渡しておくね。」
小町は物凄いお客さんが来たことに驚き、ポカーンとした雰囲気でその袋を後ろへしまった。
「あの、お姉ちゃんは...?」
少年にそう聞かれると、
「せっかく来てくれたのにごめんね。今あの子、学校の遠足で筑波に行ってて。」
と、小町は残念そうな顔をして答える。
「ああ...。」
「まあ、良かったら座って。もう少し待ってたら帰ってくるかも。」
そう言って、少年にお茶を淹れた。
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一方、詩鶴たちの乗るバスの中では、相変わらず休めない程の賑やかさに包まれていた。
「やーい、名取。」
そしてどこで運を使い果たしたのか、前の席には村草が座っている。厄介なことに、いちいち私の方に顔を向けて、ニヤけ顔でちょっかいをかけてくる。
「何だよ。」
「あの山道の隅によお、お前そっくりの蛙が居たぞ。」
私の行ってきた筑波山には、ガマガエルの銅像が沢山飾られてある。この山に棲む蛙から取れた油が止血の塗り薬として使えたことから、古くより語り継がれているのだとか。
それで?私の顔が蛙に似てるって?お前、怒鳴り返しにくいネタをかますな。
そうこうしているうちに、斜め後ろから河島まで乗っかってきた。
「ゲコ。」
「うるせえな、河島まで乗ってくんな。」
「なに言ってんだよ、蛙も案外可愛いもんだぞ?褒めてんだよ、村草は。」
「ふーん、あらそ~う。村草、私のことそういう風に思ってんだあ。」
からかいで返してやると、村草からたった一言。
「ゲコゲコうるせえ、メス蛙。」
「雌は鳴かねえよ。」
即座にツッコむと、何も言い返せず黙り込む村草。勝利を確信した時、河島も一瞬だけこちら側に加勢した。
「言われてんぞ、村草。」
その一言に、膝をつくように悔しそうな顔をした村草が面白くて、思わず吹き出してしまう。
「あはは、私をからかうなんざ百年早いんだよ。」
「くっっっそ。」
しかし調子に乗っていると、河島はすぐに手の平を返した。
「飛び跳ねるように喜び耽るその姿は、まるで蛙そのものであった。」
「もっと言えもっと言えー!...え、今何て?」
「ガマ名取...。」
「蹴るぞお前。」
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少年は先日の出来事について、小町に詳しく話した。詩鶴に対して誤解していた面もあり、強く叱ったことを少しばかり反省はするものの、
「高校生からドヤされるなんて君くらいの子からしたら怖いでしょうに。相手が悪いにしても手加減ってものがあるでしょ。」
と、すぐに文句へと切り替わった。せっかく誤解を解けたと思った矢先に状況が逆戻りし、困惑する少年。その表情に気づいた小町は、深い呼吸の中で自分を咎める。すぐに、明るく接そうと気持ちを切り替えた。
「ところで君、お名前聞いてなかったね。何ていうの?」
少年に名前を尋ねる。すると彼は
「小金祐一。」
と名乗った。
「祐一君ね。祐一君はさ、学校うまくやってる?」
「うーん、普通かな。」
「そっかそっか、まだまだこれからだもんね。」
小町は、詩鶴が小学生だった頃を思い出した。この子とは正反対に活発で、人懐っこい性格をしていたから、きっとこの子ともしも同級生だったなら大変だっただろうな、と笑う。
「あの子、昔から後先考えずに動いちゃうところがあってね。強いて良く言うなら正義感が強いっていうか、いじめっ子ら相手に突っかかろうとして、いつも泣いて帰ってくるの。」
小町は小金少年に、詩鶴の子供の頃の話をする。少年は黙って聞いていた。
「大柄な男の子相手でも、すぐに文句を言いに行ったりしてさ。身を引くってのを知らないのよ。」
そういうと、少年は呟くように言った。
「良いな、僕もそんな風に強かったらなあ。」
彼はいじめっ子らに対して、簡単に屈してしまうことに恥ずかしさを感じていたのだろう。俯く少年に、小町は言った。
「何も喧嘩っ早いことだけが強さじゃないよ。ぐっと我慢することの方が大事なこともあるから。」
「でも、やられっぱなしじゃ格好悪いよ。」
「格好悪いかな。そもそも、祐一君はどうして強くなりたいって思うの?」
小町が尋ねると、小金少年は顔を上げ、真っ直ぐな目で答える。
「憧れてる子がいる。その子に負けたくない。」
「憧れてる子、ねえ。それってどんな子?」
「誰よりもキラキラしてて、何でも出来る格好いい子!」
少年の話し方はこの瞬間だけ、とても芯が通っているように思えた。先程までのモジモジしたような雰囲気が、見違えるように消えていたからだろう。小町は言った。
「良いね。じゃあ、その子に追いつくためにはどうしようか。」
「いっぱい勉強する。駆けっこ速くなる。」
「良いじゃん。それからそれから?」
「あのお姉ちゃんみたいに強くなる。」
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「そういや名取、お前んちにこの前、小二くらいの男が来てなかったか?」
村草がまたこちらを向いて話しかけてくる。私が
「え、あー。なんか来てたなあ。何で知ってんの。」
と聞き返すと、
「いやあ、なんかそいつ、トイレ借りに来たらお前くらいの女にドヤされたって言うんだよ。」
何だか鼓膜に不快な文字の羅列がぶつかってきた。
「.....。」
「まあ、貸してくれたのは貸してくれたらしいんだが、他に借りに来てた同級生とは随分対応が違ってたようでさ。」
「ちょっと待て、そいつって。」
「昨日、家に従兄弟が来て、そいつから聞いたってだけよ。なーんか聞き覚えのある奴だなあって思って。」
「噓だろ...、あのガキ...。」
「おやあ~?名取さぁぁん、なんだか汗凄いっすよ~?」
「.....。」
状況の整理がつかずに固まっていると、村草は耳打ちするように小声で言う。
「ところでお前んち、未だに和式なんだって?」
私は心の底から誓った。一秒でも早くこいつを始末せねばならない、と。
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少年は、電源の切れたテレビの暗闇をじっと見つめた。
「あのお姉ちゃんみたいに堂々としてて、優しくて、強くなきゃ、あの子には勝てないんだ。」
口から溢れ落ちた少年の言葉に、小町は腰に手を当てて呟いた。
「優しくて、強い、ねえ...。あの子もそんな風に思われるようになったか。」
「だって凄いんだよ?相手が何人もいるのに、たった一人で僕を守ってくれたんだ。」
「ふふ、あの子らしいね。でも無謀さは見習っちゃあ駄目だよ。」
「むぼう?」
「何も考えないで強い相手に挑もうとすること。」
「お姉ちゃんからみたら、全然強い相手じゃないよ。」
「そうかもね。でも、その弱いいじめっ子たちにも味方はいる。その味方がウンと強かったら大変だよ?」
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「やーい、お前んち、和式便所~。」
「悪いか!!別にどっちだって良いでしょ、そんなこと!!」
「え、そんな怒る?あ、もしかして気にしてた?ごっめーーーーん。」
「てめえ、窓の外が高速道路って分かってて喧嘩売ってんのかコラァ。」
今日の村草はいつもに増して鬱陶しい。別に特別変わったことでもないけど、そんなことを皆のいる前でデカデカと言いふらすなんてモラルが終わってるだろうが。車内で村草に掴みかかって暴れていると、先生が大声で怒鳴った。
「お前らいい加減にしろ。二人とも降ろすぞ。」
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「多分、強くないよ。」
「ああそう...。」
少年にアドバイスをするつもりが、あまりにアッサリとこの言葉が返ってきて啞然とした。
つづく。