下町の鶴   作:瀧ヶ花真太郎

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「やめてよ。」
廊下に響いた声に少年は驚いた。目の前に居たはずの苛めっ子達の姿が香里の背中で見えなくなったのは、登校を終えて朝礼前のこと。頭の中が真っ白になったような緊張がこの空間に流れ、彼の中では音という音が無くなったかのような感覚に陥っていた。
「そうやって大人数で責め立てて、恥ずかしくないの?」
香里が問いただすと、彼らは何も言い返すこと無く、最後にはほくそ笑んだ顔をして去っていった。少年は香里に
「ありがとう。」
と、弱々しく言った。すると香里は
「言われてばっかじゃ駄目だよ。」
と言って優しく叱る。そんな彼女を前に少年は、ただ頷くことしか出来なかった。


76.下町少年のラプソディー -後編-

 

下町の鶴

8章-眠らない下町-

☆Episode.76「下町少年のラプソディー-後編-」

 

「ふーん、それで何か恩返しがしたいってわけ。」

「うん。」

僕は居酒屋のお姉ちゃんに尋ねた。いつも香里に良いとこばかりを取っていかれるから、自分だって格好良いところを見せたいと思っていた。

「女の子って何あげたら良いの?」

僕は素朴な疑問を投げかけた。するとお姉ちゃんは首を傾げて考え始める。

「うーん、私なら純粋にお菓子だけど。人それぞれじゃない?」

「お菓子かあ。」

「あ、手作りだと惚れちゃうかも。」

「でも、お菓子なんてどうやって作るの。」

「クッキーとか、マフィンとか。小麦粉練って、砂糖入れて、あと何かブァーってやって焼くだけ。」

「え、そんな簡単なの?」

「はは、成功した試しないけど。」

「真面目に答えてよ...。」

僕が呆れ顔を見せると、お姉ちゃんは頬杖をついて反論した。

「だぁーってお菓子作りは専門外だもん。好きな子に魚の煮付けとか送れないでしょ?」

「手で食べられる方が良いね...。」

「でしょ。でもメニューにそういうの少ないんだよね~。腐っても居酒屋だし、ここ。」

しばらく考えあぐねて、いつか二人は腹の虫を鳴らした。お腹が減っては頭も回らない、とお姉ちゃんが弱音を吐くと、今日持ってきたパンのことを教えた。

「え、ほんと!?」

お姉ちゃんは目をキラキラと輝かせ、お母さんを大慌てで呼んだ。そしてその袋をテーブルに出すと、一緒に食べよう、と言い出す。お店のことは大丈夫なのかと聞いたが

「あーん、大丈夫大丈夫。ご馳走の方が大事。」

と、呑気なことを言う。お姉ちゃんのお母さんも、

「まだお客さん来る時間じゃないしね。ちょっとお茶にしましょっか。」

と言うので、多分大丈夫なのだろうと気休めに胸を撫で下ろした。

さて、ティータイムということで、二人の女性に事情聴取の如く普段の生活を根掘り葉掘り聞かれた。授業のことにしても、給食のことにしても、決まって彼女らは

「わあ、懐かしいな。」

と、語尾につけて談笑するので、定期的に会話についてこれない。中学とか、高校とか、まだまだ先の話で全く想像がつかない。でもどうやら聞く限り、このお姉ちゃんは昔からずっとこんな感じだということが分かった。それについて尋ねてみると

「あはは、私が変わったら地球無くなるよ。」

なんて、とんでもない言葉を返してくる。人間とはそう簡単には変われないらしい。

会話の中、お姉ちゃんがパンに何口かほどかぶりつくと僕の目を見て言った。

「祐くんさ、家がパン屋さんなんだって?」

「え、うん。それがどうしたの?」

「香里ちゃんへのプレゼント、それにしなよ。」

すぐに何か返答をしようと思ったけど、言葉に詰まった。お姉ちゃんは続ける。

「手作りで気持ちも伝わるだろうし、手軽に食べられて良いと思う。私ならキュンときちゃうなあ。」

「.....。」

「どうしたの?」

「お父さん、許してくれるかな。」

「厳しいの?」

「うん。」

俯く僕に、お姉ちゃんは言った。

「それを乗り越えられたら、きっと誰よりも心を込められると思うよ。」

 

それから僕はお父さんに言った。

「僕もパンを作りたい。」

分かっていたけど、そう簡単に頷きはしなかった。僕がどれだけ真っ直ぐな目で訴えかけても、それに動じることはなかった。

お母さんにその事を話すと、夕飯を一緒に作ろうと言われた。料理経験のない僕にとってはまずそこからだと。言われた通りに材料を運び、お皿を出して、僕は誰よりも速くこなすつもりで働いた。野菜を洗うのも、皮をむいたりするのも、何一つ無駄のない動きでやったはずなのに。

お父さんは褒めてくれた。でも、パンを作らせてと頼めば、また再び口を閉ざした。

そんなことを何日か繰り返していくうちに自分が分からなくなり、僕はまたお姉ちゃんのいる居酒屋を訪ねた。

「あ、いらっしゃーい。どうしたのー?」

気前良く挨拶をしてきたお姉ちゃんに、僕は言った。

「お姉ちゃん、どうしたらお料理上手くなる?」

「え?」

いきなりのことでキョトンとするお姉ちゃん。

「実は....(かくかくしかじか)」

事情を説明すると、お姉ちゃんは

「あはは、やっぱ一筋縄じゃいかないよね。」

と陽気に答える。

「笑わないで。真剣なんだよ?」

そう言い返すと、お姉ちゃんは一言

「分かった。じゃあ見せてみて、どんな風にやってるのか。」

と言って、キッチンから具材をいくつか取り出してきた。

「何作った?」

お姉ちゃんが聞く。

「シチューの下ごしらえとか。」

「おー、難しいのやるじゃん。」

「うん。でもね、お父さん全然認めてくれないの。」

「うーん、そっかあ。ま、それじゃあ取り敢えず簡単なのからやろっか。一緒にやったげるから作ってみて。」

お姉ちゃんはそう言って僕をキッチンへ誘った。目の前にはじゃがいもや、人参など、色々な食材が並んでいる。

「やって良いの?」

「うん、やってみて。」

僕は普段と同じように作業した。何一つ無駄のないように素早く、完璧に。目に見えている分のことは全て片付けて、僕はお姉ちゃんに誇らしげな顔を見せた。

するとお姉ちゃんは言った。

「速いね~、さすが。」

その言葉が褒め言葉に聞こえた僕は

「でしょ。なのに何が駄目って言われるのかな。」

と尋ねる。お姉ちゃんは答えた。

「確かに速い。とっても速くて、お客さんを待たせないだけの腕がある。」

「えへへ。」

「でもね、料理って待たせないことだけが重要なのかな。」

「え?」

全く予想もしてなかった問いかけが急に来て、僕はお姉ちゃんの目を真っ直ぐに見た。

「じゃあ問題ね。人にあげるプレゼントを作るとしよう。君は何を考えて作る?」

「うーん....、驚く顔?」

「惜しい。」

「相手の喜んでるところ。」

「そ、正解。それが今の君に足りないものだ。」

「どういう意味??」

僕は首を傾げた。お姉ちゃんはエプロンをササッと巻くと、こちらを向いて軽く微笑む。

「気持ちを込めて作るって言うじゃない。香里ちゃんにプレゼントしたいから作りたいって言ったんでしょ?」

「うん。」

「少なくとも私には、気持ちを込めて作ってるようには見えなかったな。速いけど、ただ速いだけ。」

「どうすれば良かったの...?」

「まずは余裕を持つこと。速さを競うようにやってたら他のことに意識がいかない。例えば、いかに美味しいって言って貰えるかなら、そのやり方じゃ絶対に出来ないよ。」

「丁寧にやれってこと?」

「まあ、まずはそこかなあ。でも一番大事なのは、貰う側のことを考えながら作ることだね。」

「そんなのどうやってやれば良いの...。」

「簡単だよ。「こういう味付けだったら喜ぶかなあ」とか、「これ加えたらあの子好みの味になるはず」とか、そんなことを考えるだけの遊び心を持つこと。」

お姉ちゃんは続ける。

「速ければ何でも良いんだったとしたら、それは料理じゃなくて餌だよ。少なくとも私は、大切だと思う人には、とっておきのものを食べさせてあげたいな。」

「とっておきの...。」

「さあて、君にその気持ちを持てるかな?香里ちゃんを振り向かせられるほどの男になってみせな。」 

お姉ちゃんからの言葉は僕の背中を押し、心に火をつける。何かメラメラと燃えるようなやる気が溢れてきた。





数日後

手作りのパンをプレゼントしたいと言っていた少年が、また店にやってきた。彼は私に会うなり
「お姉ちゃん!」
と嬉しそうにはしゃいでいた。これは吉報だな、と察し、敢えて
「久しぶり。どうだった?」
と結果を聞いてみる。
「僕やれたよ!上手く行ったよ!」
予想通りの答えを少年が口にしたので、私は笑顔で彼を祝福した。少年も満面の笑みをその顔に浮かべ、喜び勇んでいた。
私は彼にお茶を入れて、話を聞くことにした。あれから一週間と数日ほど経ち、パンの修行に勤しんでる中なのだろうと予想していたが
「貰ってくれた、貰ってくれた。」
もう既に渡せた後らしい。行動もさることながら、この子に流れる展開までも速い。状況を理解するのに数秒間の沈黙を有したが、この子の顔からしてハッピーエンドに終わったのだろうと察し、ホッと胸を撫で下ろす。
私はこの子から、渡せるまでの工程を色々聞かせて貰った。最初は何度も怒られ、心が折れかけたことや、それでも目標に辿り着きたい想いでここまでやってこれたこと、その一つ一つを彼の言葉で聞くことが出来た。
「よおし、頑張ったお祝いに好きなもん頼みな~。作ったげる。」
こうして少年の小さな夢がひとつ叶った。その力のひとつになれたと思うと、何だか心が温かくなったような気がする。問題も解決したことだし、次はいつ会えるか分からないだろうから、出来る限り盛大に祝ってやることにした。

――――――――――――――――――

「はい、シーン2の撮影終了です!次の現場へ移動しまーす!」
慌ただしい現場の一工程を終えると、次へ次へと積み重なる撮影プランを休むことなく、一つ一つ終わらせていく。次のロケ地へとバスで移動することになり、香里はその車両に乗り込んだ。
バスの移動中、マネージャーと思われる女性が香里に伝えた。
「次の現場、ちょっと時間かかるだろうから何か少し入れといた方が良いかも。」
窓の外を見つめる香里、その車窓に重たい疲れも流してしまおうと、小さなため息を吐いた。
「もうちょっとだよ。次の現場で今日の撮影は終わりだから。」
「はい、頑張ります。」
次の撮影は同級生の転校シーン。駅前で最後のお別れの会話を交わし、最後に小さくキスをし、走り去っていくという場面だ。台本に目を通しては車窓に目を向け、それを繰り返している香里。スタッフの一人が
「やっぱ学校でも人気者でしょ。妬けるだろうなあ。」
と気軽に声をかけたのに対し、
「あはは...。」
と失笑をする彼女。東京の街明かりを横目に香里は、祐一から貰ったパンを鞄から取り出した。すっかり冷めてしまっていたものの、手に取ると甘い匂いがふわっと香る。いつも不器用なあの子が作ったというのが分かるくらいに、形は雑で、見た目も酷い有り様だった。しかし香里がそれを口にすると、
「え、美味しい。」
そう言葉を溢した。
「誰から貰ったの?」
マネージャーが尋ねると
「幼なじみ。」
と答える。
「へえ~、素敵だね。」
とても美味しいのだが、喉を通る度に突き抜ける甘さは少しクドさを感じた。そんな、どこまでも完璧には出来ないところが彼に似ている。香里はその味を舌に感じる度に、祐一の姿を浮かべるのだった。

「次、香里ちゃんの撮影入るよ。」
控え室の香里に届いたスタッフの声に、ふと体が固まる。少し遅れて
「はい!」
と答えると、香里は貰ったパンの袋を捨てずに鞄にしまい、言い忘れていた「ありがとう」を小声で呟いた。目の前にスタッフがやってきて
「あ、いたいた。次、君のシーン。行ける?」
と言われると、そっと振り返り、どこか先ほどより大人びた表情で
「頑張ります。」
と答えるのだった。

-下町少年のラプソディー.おしまい-
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