下町の鶴
8章-眠らない下町-
☆Episode.79「長距離列車」
晴れた放課後の帰り道、私は明希を連れて町の喫茶店へと入った。昔からやっていて、メニューも中々に良いと瑞希から教しえてもらいやってきたのだ。...その肝心の瑞希が今日は予定で来れないみたいなんだけれど。
扉を開けて数秒、私たちは入口で立ち止まってしまう。というのも、
「お洒落...。」
と、思わず声にしてしまうような素敵な内装で、店主の趣味なのか、古い駅看板の一部なども飾られていた。辺りには沢山の植物が植えられていて、なんだか少しジャングルみたい。席に座り次第、私ははしゃぎたい気持ちを抑えきれないまま明希に話しかける。
「ねえねえ、明希明希!!」
あちこちに指を差し、細かい装飾の一つ一つを明希に教えようとするが、興奮状態で迫る私に彼女は苦笑いで
「分かったから落ち着いて。」
と両手で宥め、幾粒もの冷や汗を浮かべていた。
やがてお店の人がメニューを持ってくると
「うちの詩鶴がすみません。」
と、明希が大真面目に頭を下げた。
店員さんは
「気にしないで。それにお客さんも君たちだけだし。」
と言って笑い、
「わあ、貸切だあ。」
私はそう言って目をキラキラさせた。
「うち宣伝とか一切しないから、本当に知る人ぞ知るって感じの場所でね。」
そう話を聞き、よりこの空間に特別感を覚える。新聞の片隅にでも載ろうものならきっと、今日来たこの日も確実に満席だったに違いない。そのオーラがメニューを開く前からでも伝わるほどだった。しかし、誰からもこの店の位置を教えられずして見つけるのは至難の業だろう。住宅街の一角にひっそりと佇み、外に何かお店だと分かるものも立てられていない。扉の周りには花壇が並べられ、緑色に塗装された扉があるだけ。一見じゃあお店だとは思わない。そんな場所をどこで知ったのかと尋ねられ、
「友達から。」
と答えると店員さんは、誰だろう、と考え始めたくらい。
メニューを開くと写真はなく、文字だけが並んでいて、私は真っ先にオムライスに目がいった。学校帰りでお腹が空いている私にとっては、文字だけでも凄まじい食欲にかられる。
「ごゆっくり。決まったら呼んでね。」
と言って店員さんがキッチンへ戻っていく。私は明希に話しかけた。
「ねえねえ、何頼む?喫茶店のオムライスって絶対美味しいよね、きっと。私こういう所でご飯とかあまり食べたことないからさ、なんかメニュー見てるだけでも涎が...。ねえねえ、明希はなんか良いの見つけた?見つけた?」
上記、ノンストップ語り。
「鶴ちゃん。」
「うんうん、なになに?」
「落 ち 着 い て 。」
「...ごめんなさい。」
それから私たちはそれぞれ注文をし、しばらくお喋りに耽っていた。すると気づけば料理は目の前にやってきた。話に夢中になっていたせいか、あっという間だった気がする。
明希は珈琲と軽いお茶菓子を、私は豪勢にオムライスとオレンジジュースを頼んだ。二人手を合わせ、いただきますを言う。それからというもの、料理を口に運ぶ手が一瞬たりとも止まらない。なんてったってお腹が空いていたんだ、仕方がないだろう。上品に茶菓子を嗜む横で、まるで野生児のようにオムライスを口に運んでいる。チラッと横目で明希の顔色を伺ってみると、手に取るように感情を読み取れる、分かりやすい表情をしていた。
「鶴ちゃん、いい加減にしないと私怒るよ。」
そんな心の声が痛いほどに伝わってくる。メラメラと燃え盛るようなオーラにビビり、冷や汗が雨粒のように浮かび上がる。思わず
「ごめんなさい。」
と言葉を漏らし、思いつく限りの淑女の所作を心掛けた。
時間が経つに連れて空腹を騒ぎ立てていた胃も大人しくなり、心も少しずつ落ち着きを取り戻してきた頃。明希が店の装飾の一つを指差し
「あれ、何の記号だろう。」
と呟く。彼女の指差す場所に目をやると、横長のプレートにはカタカナで「ナシ」の文字、その隣に数字がいくつか並んでいる。
「さあ。何か機械の部品みたいな?変わったのに興味持つね。」
「いや、ちょっと気になっただけ。」
明希がプレートを見つめていると、店員さんが彼女に話しかけた。
「それね、元々電車に付いていたものだよ。」
「え、も...もしかして本物...?」
突然話しかけられたことに驚き、明希は緊張の中で恐る恐る尋ねた。
「ええ。旦那がオークションで買ったって言ってきた時には腰を抜かしたわ。通帳のお金がすっからかんになっているんだもの。」
それを聞いた私は脳内が「?」で埋め尽くされ、思わず聞いてしまった。
「え、この記号にそんな価値が...??」
「あはは、本当よね。」
店員さんは私の質問に思わず笑いを溢す。首を傾げたままの私に店員さんは続けた。
「もう走ってない列車でね。ブルートレインって言う、遥か遠くの町まで走るやつに付いてたの。」
「へえ。」
「これはその食堂車の記号。昔の特急には中にレストランがあったのよ。」
電車にさほど興味はなかったけど、レストランの文字には動物的に反応した。
「レストラン!?」
手の平を返したように突如尻尾を振る私に、明希はまた私をジト目で見始める。
「そうよ。北は北海道、南は鹿児島とかまで一晩中、ものによっては一日中乗ってるから、そういう息抜き出来る場所が必要だったのよ。」
「うわあ、一日中は乗りたくないなあ。」
「まあ、特別美味しいわけじゃないし、高いからね。景色を見ながら食べられるのが唯一の救いかな。」
何だか聞けば聞くほど、上げて下げられてが連続している。素敵とはいえ長時間乗車という苦行、景色が綺麗とはいえ、高くて味も普通、おまけに揺れるだろうし。旅情というロマンには、それ相応の犠牲が伴うことが分かった。会話の中で、店員さんはさり気なく「若い頃はよく連れまわされた」と話していた。良くも悪くも大変だっただろうなあ、この奥さん。
「だからね、お金を浮かす為に停まった駅で駅弁を買いに行くの。ご当地弁当、なんて言ってさ。」
「え、買いに行く時間なんてあるの...?乗り遅れない??」
「場所によっては長いこと停まっているのよ。十分、長ければもっとかな。」
そんな思い出話を聞きながら、オレンジジュースを片手に会話を嗜んだ。明希は何も喋らなかったけど、じっと耳を傾け、その話を楽しんでいる様子だった。
「昔は、"男の子ならみんな一度は夢見る列車"なんて言われてたんだけどね。」
「へえ、でも蓋を開ければ監獄ベッドで苦行の旅、と。」
男の子の夢とやらを笑う。しかし、暫く皮肉るように笑い話にすると、その店員さんは私たちに話した。
「でも、確かに憧れる気持ちは分かる。」
「え?」
「会社勤めだった頃、仕事がキツくて、何度も逃げ出してやろうって思ってた時があってさ。駅で帰りの電車を待ってると、名前しか知らないような遠い町の行き先を掲げた列車が停まってるの。周りの電車とは全然雰囲気の違う客車がね。」
「ふーん。」
「もし何もかも投げ出すつもりで飛び乗ったら、もうきっと誰も追っては来れない。自由になれるんだ、って。」
夢見るようにウットリした表情で思い出を語る店員さん。私もいつかそんな風に悩む日が来るのだろうか、そう思って暫く黙って考える。ふと明希の方を見てみると、彼女は遠くを見るような目で考え事をしていた。
オレンジジュースをひと啜りして店内を見渡す。改めて思うけど、本当に落ち着く空間だ。室内なのに庭園みたいで、その中にテーブルがポツリポツリと佇む。一席二席だけじゃない。もっとたくさん席があるはずなのに仕切り方が上手で、まるでこの空間に私たちだけしか居ないかのような気分にさせられる。比喩でなく、本当に天国にでも来たのかと思えるのが不思議だ。仮にどこかで気を失って、ここで目覚めようものなら間違いなく私は身体が透けてるかを確かめるね。
店員さんが私たちの前を離れてから数十秒、ボーっと遠くを見つめたままの明希に声を掛けた。
「明希。」
しかし、呼びかけに反応しない。そこで少し悪戯心を躍らせ、彼女の頬っぺたをつついてみた。
「ん。」
それに対し、あまり表情を変えずに私の指先に目をやった明希。ふふ、と笑いかけた私は、彼女に尋ねる。
「なぁに考えてんの。」
すると明希は再び先ほどの視点へ首を動かし、穏やかな声で答えた。
「さっきの店員さんの話、聞いててね。」
「あー、何だっけ。電車の話?」
「うん。昔読んだ銀河鉄道の本を思い出したの。」
「わあ、小学校の頃授業で読まされたやつだ。」
「そう。でね、ただの私の妄想でしかないんだけど、もし死んでから人が電車で天国に行くんだったとしたら、そこからも長い長い旅になるんなんだろうなあって。」
彼女の話にたまに出てくる明希ワールドには、聞き手側には結構な想像力を要する。それほど感受性に溢れた女の子なんだということは、会って数年の付き合いで分かっていることだけれども。私は集中して、頭をフル回転モードに切り替えた。
「もし明希と同じ列車に乗ってたらラッキーだね。終着まで暇だろうし。」
「うん、真っ先に鶴ちゃんや、みっちゃんのこと探すかも。」
「私ならすぐ見つかるよ。」
「え?」
キョトンととした顔になる明希。そんな彼女に私はにやけ顔で言ってやった。
「食堂車を探してごらん。あたし、旅の半分以上はそこで過ごすつもりだから。」
ジョークの意味を理解した明希は、砂の城を崩すかのように表情が綻び
「ふふ、っはははは。」
と、手を口元で覆いながら笑った。
「「切符を拝見。あ、デラックスお食事シートですね。」とか言って。」
「やめて、お腹痛い。」
つづく。