下町の鶴
8章-眠らない下町-
☆Episode.81「ふたつの町灯り」
気を抜くといつも悲観的になってしまう。友達といると楽しいし、いつも笑って接しているけど、別れて家路につくと直ぐに寂しくなる。まるで「その中でしか息ができない」、とでも言うように。時にはその気持ちが爆発して、突然と涙が溢れたりする時もある。何で寂しいのか分からない。何でこんなに追い込まれたような気持ちになっているのかが。
言葉に出来ないから、助けてって言えない。でも、人と会っているときにはそんな気持ちがすっかりなくなるの。それはきっと、自分の気持ちの開示が原因で空気を壊すというのが怖くて、天秤がそっちに傾くからなんだと思う。そうやって分かってもらおうともしないまま自分と似た人を見つけては、自分が満たされたいが為にその人達に優しさを押し売っている。
「ど?一人暮らしは。」
仕事帰り、友達とお酒を飲みに行った時のこと。私は笑顔でそれに答える。
「最悪。」
「どうしたのさ。聞くよ?」
「静かすぎ。物音一つしないし...。早くテレビ買いたいよ。」
「テレビ高いもんね。」
「そうなんだよ。帰ったって話し相手も居ないしさ?もう本当、事故物件にでも住んでやれば良かったよ。」
「そんなとこ住んだら私、遊びに行ってやんないからね。」
「へへへ、良いのかなあ?そんなことしたら、いつか聞こえないはずの声と沢山お友達になっててぇ~。」
「ちょっ、千春...やめてよ、ははは。」
目の前の友達を揺さぶって子供みたいにおどける。彼女はそんな私の悪ノリにはしゃぐように笑っていた。
一人暮らしの寂しさを面白おかしくネタにして話し、二人で漫談を楽しむ。そんな会話の中ある時、二人暮らしをすれば孤独が解消されるはずだという話になって、そのプレゼンみたいなことを酔いながら彼女にした。
「まず、家事の大変さが半分になります。これは大きい。」
「うん。」
「悩み事があっても直ぐ相談できる。ひとりぼっちじゃないのは何よりの心の支えであります。」
「うんうん、それでおしまい?」
「大まかにはこの二点!掘り下げればもっとある。」
「そっか、じゃあ私のターンだ。まず一人のスペースがない。一人になりたいときに常に誰かがいるという状況はかえってストレスになる場合がある。その二、家事の負担が半減すると言ったけど、二人住めば食べる量も倍、出るゴミの量も倍、これは分担しても疲労度は実質同じだと思われる。その三、金銭や日用品、その他共用にするものの管理には一人暮らしでは本来いらないはずの話し合いが常に必要である。はい、どっかーん!千春、君のターンだよ。」
「この社畜め、この世のどこに同僚のお悩みを本気で論破しにかかる奴がいるんだよ。」
「あはは、ごめんごめん。」
「いい事だらけだよ?二人暮らし。まず私がいるでしょ?それに私もいる。帰ったら私がいるって言うこと無しでしょー?」
「はいはい、その一杯で最後にするんだよ?」
「やーだー、もっと飲むー!飲まなきゃやってらんないぃぃぃ!!」
「ったくもう、明日も仕事あるのによくそんな飲めるね~。」
「えー?だって今日は泊めてくれるんでしょー?起こしてくれるんでしょ~?」
「言ってない。」
「うわあ、ケチーー。入社以来の仲じゃん。今回は奢るからさ。」
「そうやっていつも金欠になるでしょ?今日ばかりはだーめ。」
「けーっ、妹の小言みたいなことを...。」
大学を出て最初は、知ってる人が誰も居なくて心細かった。家族に言われるがまま家を出て、一人暮らしを始めて。でも、ものの数日で「帰りたい」が口癖になり、初めはいつも部屋で泣いていた。仕事覚えも悪いまま、このままどこか消えたい気持ちでいた時に手を伸ばしてくれたのが彼女だった。仲が良いけど、電車は真逆。出張も多くて中々付き合ってくれないけれど、だからこそ帰りが一緒になる日は子供に戻ったような気持ちになれる。
散々酔っ払って店を出たあと、別れ際に思いっきりハグしたら引かれた。でも何だろうな、人の腕の中って究極的な心地良さを感じるんだよね。次にまた飲めるのがいつになるか分からないから、少しくらい甘えたっていいじゃない。そんな気持ちでいたら離れられなくなった。
頭に身に覚えのない鈍痛が走る中、友達は笑顔で手を振り返してくれた。
「また飲もうねえ、絶対だよ~。」
「分かったから、(ホームから)落ちるなよー。」
そこから三十分ほど電車に揺られ、寂しい寂しいマンションへ。寝過ごすまい、と意識を保ちつつ、定期的にやって来る睡魔に身体ごと持っていかれ、ふと気づけば車内放送から最寄り駅の名前が聞こえて大慌て。ふわふわとした気持ちを引き連れて家路を辿り、やっとこさで自宅前までやってくると、古いエレベーターに乗り込んで一息。急いでる時なら階段を駆けた方が速いレベルの鈍足昇降機だが、今は目的階まで少しでも長く乗っていたい。
やっと家に着いた、と溜息を吐き、自宅の扉に鍵を差し込んだ。扉を開けると何とも言えない生活臭と共に、目の前には朝方散らかした寝間着と、大胆にめくられた掛け布団が目に入る。そこに思いっきり寝転んでやりたい気分で一杯だが、そうしたらきっと朝まで目を覚まさないだろうことは分かりきっている。皮肉なものだ。自由と安らぎは完全に別物だということを目に沁みて実感させられるなんて。しかし、欲望なんてものに身を任せて良いことなどないはずだ。少しの我慢の先に小さな幸せがある、だからもうちょっと起きていよう。そう心に呟きながら、私は冷蔵庫からチューハイの缶を取り出した。
プシッ...パチパチパチパチ
音を立て、寝るより自由を選んだ私を褒めてやるつもりで柔らかな酔いに浸る。ふらつきながらベランダに出た。狭くて壁もそんなに厚くない。床は軋む上、夏は暑いし冬は激寒。そんな安くて最悪な物件だが、唯一の取柄がある。それはベランダからのこの景色。窓からの夜景は宝石のようにきらめき、遠くの方まで見渡せる。たかが六階だが、周りに大きな建物がないからこその良い眺めを味わえるのだ。比較的に度の薄い酒を口に含み、夜景を見渡す。高級レストランじゃなくたって、これも一つのロマンだと金持ちにも教えてやりたい。
つまみがもう家に無いことを思い出し、ほんのりモヤモヤした感情が胸に雲がかる。これじゃあ口が寂しいままだ。仕方がない、とポケットから煙草を取り出し、ライターで火をつけた。メインディッシュとメインディッシュがぶつかるような感覚に「何か違う」と違和感を覚えながら煙を舌で転がす。それを夜景に吹き付けてやると、瞬く間にそれは星の見えない空へと消えていった。
「いつもこうだと良いのにな。」
久しぶりの飲み会のことを思い出し、心に呟く。さっきまでの楽しい気分が早くももう寂しさに変わり、友達が恋しくなった。もう彼女は家に着いただろうか、そんなことを思いながら街の光を数えていると、鼓膜に触れる都会の音や、目に映る全部がどこか切なく感じた。そんな風に景色を楽しんでいると、その明かりがぼやけて見える場所に目が留まる。しばらく見つめていると、そこが自分の生まれ育った場所であることに気づいた。
ぼんやりと眺めていると、沢山の思い出が蘇ってくるもんだ。懐かしさに微睡みながら私は思う。あれからどれくらいの時が流れたんだろう。家族にも暫く会えていないし、あの頃の友達も今はどこで何をしているのやら。あ、そうだ。名取ちゃんは元気かな。大学を出る前後はよく話聞いてもらってたっけ。第二の家ってくらいのノリで何度も通って、時には一緒に遊んだこともあったな。弟の友達ってだけで何の気も使わずに仲良く接して、同級生くらいのつもりでちょっかいをかけたこともあったけど、今思えば悪いことしたなって思うことがいくつか...。
あのお店もまだやってたら今度は名取ちゃん、女将さんになってたりして。それとも未だお母さんの元で修行中かな。また会えたら、あの頃みたいに接してくれるのかな。今の暮らしの寂しさを口にしたら、困った顔して怒ってくれるかな。私はあれから環境以外はちっとも変わらず、どうしようもない私のままだけど、あの町は何も変わらないでいて欲しい。変わらずみんな、元気でいて欲しい。
私も故郷が恋しくなるくらいには、歳をとりました。
8章.眠らない下町、終わり。