下町の鶴   作:瀧ヶ花真太郎

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9章.奮闘記
82.頑張れ若女将 -前編-


 

下町の鶴

9章-奮闘記-

☆Episode.82「頑張れ若女将 -前編-」

 

ジュ――、カンカンカン!ジュ―――...

私は一流手伝い人、名取詩鶴。生まれながら居酒屋の一人娘として育ち、幼き頃から料理を習得している。何に対しても物怖じせず、友達が酷い目に遭わされていようものならすぐさま駆けつけ、こてんぱんにしてやる心優しき女だ。しかし親や友達はそれを「強がっているだけ」と心配し、言わずと知れた現実の厳しさとやらをこの私に説いてくるのだ。明日の不安を解消するためには、まず何よりも今日を懸命に生きることが重要ではないか。そう心得ているのに、それを理解できないとは何たる悲しきかな。

どんな理屈に自信を奪われようとも、私は自分の美しさを自覚している。教科書をめくる速さで風を感じ、友達との優雅な漫談に胸を躍らせる度、振り返れば課題が高層ビルのように積みあがっているが

「あの上から見下ろす景色はどんなに綺麗だろう。」

と想像するという楽しみ方を私は会得している。人は他の動物と違い、目に見えぬものに美しさを見出す能力を持っているのだ。だからこそ高望みせず、それぞれが持っているものを尊重して生きていこうではないか。私は一流の手伝い人、課題をやらない料理人。そして本来であれば憂鬱に思える居残りの時間さえ、私は楽しさに変えることが出来....

 

ゴツン....!!

 

「いぃぃぃぃたぁぁああああ!!!!」

頭に鈍痛が走る。何事かと振り返ると、母が呆れ顔で立っていた。

「何すんの!!」

「フライパン、ちゃんと見てる?焼き過ぎなんだけど。」

視線をフライパンへと下ろす。すると肉にも、野菜にも微量に焦げ目が目立ち始めている。そうして労働者の額に浮かぶ誇り高き水滴は、瞬く間に冷や汗へと早変わりした。

「あ....。」

「さっさとお皿に移して。そんなんじゃ二流の風上にも置けないよ。」

「むぅぅぅ....!!」

せっかく自分を褒めて疲労から逃れていたのに、母の余計な一言で一気に気持ちがマイナスに変わる。言うだけ言って自分の持ち場へ戻っていく母の背中を私は睨み付け、弾けんばかりに頬を膨らませた。

「大丈夫だよ、若いのによくやってる。俺なんか詩鶴ちゃんくらいの頃は家にも帰らずに友達と遊び呆けていたから。」

常連さんは私達のやり取りを見て、ケラケラと笑いながら擁護する。それに私は

「もういいよ、今更褒めなくったって...。」

しょぼくれて泣き言を垂れた。ええ、はいはい分かってますよ。どうせ私はお母さんから見たら二流以下ですよ。ふーんだ。

胸の内でぐずっていると、常連さんは言った。

「だいたい今時、ちゃんと料理出来る若者が減ってきてるんだ。最高のスキルじゃないか。」

「別に、仕事でやってるだけだし。」

「詩鶴ちゃんは間違いなく良いお嫁さんになれるよ。」

「別に結婚願望なんてそこまで...。」

「それもとびっきりのイケメンの。」

「...ふんふん、それは悪くないな。」

常連さんからのヨイショで少しずつ気分が良くなってきた。このままもう少し褒めてくれたらやる気を取り戻せるだろう、と、そう思っていた矢先、母が横から常連さんに言った。

「あんまり甘やかさないで。この子すぐ調子に乗っちゃうんだから。」

「お母さん煩い!!せっかく良いとこだったのに!!」

常連さんは、そんな私たち親子の言い合いをカウンター越しから微笑ましく見ていた。

 

そして今日は常連さんが奥さんから「早く帰れ」と言われているそうで、軽くお酒とつまみを平らげると暫くしておあいそし、帰っていった。それから店が静かになると、すぐさま先程の鬱憤をぶつけるように文句を言い、母と喧嘩になった。

「少しくらいは褒められたって良いでしょ!?いつも頑張って働いてるじゃん。」

「そんなんだからいつまで経っても成長しないのよ。」

「はーん、さては褒めて貰えたことないからって、いい歳して妬いてんだ~。」

「だったら自分で全部やってみたら?私何にも手ぇ貸してやんないから!」

という風に、互いに一歩も譲ろうともしないまま言いたい放題にぶつけあった。本当に喧嘩の多い親子だと呆れながらに思う。自由気ままに、自分のやり方でやりたい私に対して、母はいつも正しいと思う方向へ無理くり歩かせようとするんだ。計画性が高いのは良いことなんだろうけど、私が決められた立ち位置と台詞だけを喋るような人間じゃないことは、自分の娘のことなんだからよく分かってるはず。私は舞台女優じゃないんだよ。

閉店まで残り一時間半を切って、私はキッチンに一人きり。母は裏作業に専念して奥へと消えていった。余程私のことが嫌いになったのだろう。たかが思い通りにならないってくらいで。良いさ、だったら一人で全部こなしてやる。誰の手を借りなくたって一丁前に切り盛りしてやる。私はそう胸に誓い、腰エプロンの紐をきつく締め直した。

 

さあ、どんな珍客でもかかってきやがれ。大人数?学校の奴ら?誰にだって満足して帰ってもらう。

気合いを入れて十分少々、店の扉が開いた途端、ラーメン屋みたいな威勢で挨拶をする。

「あーい、らぁっしゃあっせえええ!何名様で?」

どうせいつも来る人の誰かだろうと思い、多少ふざけてても元気の良い小娘だと感じ取られるように精一杯声を出した。...が、よく見ると初見さんで、勢いよく息を呑んで窒息しかけた。死にたい。今死にかけたけど、ここから消えたい。

いやいや、こんな所で尾を引いたらまたお母さんに馬鹿にされる。どのみち半人前って言われるなら、半人と一人の間くらいには言われなければ。負けるな、詩鶴。

「空いてる席どーぞー。いち、にー、さん。三名様かn...」

「うぉへえ~、お姉ちゃん元気いいねえ~。じゃ、ここ座っちゃうよお。」

いや、めちゃめちゃ酔ってるーーーーーー!!!え、何なのこの人達。何杯飲んだらそうなんの。てか何軒目だよ、何次会だよこいつら!!?

会社帰りと見られる明らかに酔ったサラリーマン達がテーブル席に座ると、ゾンビみたいに上半身が傾き、しかもそれぞれが違う方向に倒れかかっている。誰だ、この町にTウ○ルスばら撒いたのは。

恐る恐る三人分のお水を彼らの前に出すと

「あぇあ!とりあえず生、みんぁは??」

「ぇあひっっく、おれもーー。」

「うぉひー、飲みまーす。」

「あ、じゃあ三つでー。」

ですよねー、酒来ますよねー。店の前にいかにも居酒屋ですよーって言ってるような暖簾掲げてますもんねー。...飲むんか!その状態でまだ!?

「は、はーイ。ヨロコンデー...。」

お客に背を向けキッチンに戻る際、背後にこの上ない警戒を帯びて歩く。今まで軽くどこかで飲んでやって来るお客さんもいたけど、顔見知りでもあったし、万が一暴れられたら強く言える相手でもあったから。しかし今回はなんだ。初見かつ、フルに酔っぱらっていて、しかもみんなそこそこガタイが良い。なんだろう、夜の店のレジ裏にスタンバイさせておくタイプの人感が凄い。悪い人じゃないとは思うけど、決めつけは良くないって分かってるけど、怖い。ものっっっ凄く怖い。

お酒を持っていくと、客の一人が話しかけてきた。

「ねえねえ、お姉ちゃんいくつ?随分と若い顔立ちしてんねえ。」

「おいおい、会社でモテねえからって店の姉ちゃん口説いてんじゃねえよ。」

周りもそれに準じて悪ノリが始まる。

「とは言いつつ、歳近かったら俺が先に狙っちゃおうかなあ。...なんつって!あははは!!」

「今夜空いてるぅ~?」

何だろう、何かしら答えないと

「んだコラ、ノリ悪いじゃねえかこの野郎!」

とかいってドヤされそうな気がする。でも下手に期待させるような発言は怖くてできない。落ち着け、落ち着け詩鶴。冗談でも良いから何か答えなきゃ。

「じゅ...十七です...。」

 

......。

 

なに実年齢で答えてんの私!?こここ、こういうのはもっと

「え~、何歳に見えます~?」

みたいなボケを挟むべきだろう!!

一瞬場が静かになる。私は焦りと緊張に背中を押され、勢いで彼らにこういった。

「あは、あはあ、非売品でーす。」

....馬鹿か!!!馬・鹿・な・の・か・私はああああ!!今ボケてどうする。絶対さっきの年齢のくだりでやらなきゃいけないやつだって。お陰で変な空気になっちゃったし、この落とし前どうつけてくれんだ詩鶴...。だぁああ、もう!誰か助けて!!

「くっ...、けはははははは!!!」

「非売品だってよ!!はははははは!!」

「こいつぁ傑作だ!!」

一瞬凍り付いたかと思われた空気は一瞬にして大衆酒場に戻り、三人そろって大笑い。この空気、結構キツいです。大人たちの輪に入れられながら、しばらくノリに乗ったり、愛想笑いを繰り返す。数分して漸くキッチンに戻れると、持久走の後かってくらいに乱れた呼吸を整えていた。

今日はいつもより人一倍大変だ。正直もう店を閉めたい。でも、一人で全部やるってこの胸に誓ったんだ。一度やると決めたからには最後までやる。なに、居酒屋なんて酔っ払いを相手に接客する家業みたいなものじゃないか。言い聞かせろ、私は強い。私はつよ..

「うぶっ、もう飲めねえ...。」

「お前マジかよ。もうキテんの?」

「吐きそ...、ヴっ....。」

待て待て待て待て!!!私は心に叫んだ。母の説教に反発して「一人で何でもやれる」と豪語した意地に向け、幾重もの問題がそれを試しにかかる。私の脳には、炭酸が流し込まれたかのような緊張と絶望がのしかかっていた。

 

つづく。




2024.1.29
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