下町の鶴   作:瀧ヶ花真太郎

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85.居残り組の板前

 

下町の鶴

9章-奮闘記-

☆Episode.85「居残り組の板前」

 

「あの、河島....くん?」

「何だー。」

「いや、何だじゃねえよ。なにこれ、何で家庭科室?」

河島の手に引かれて家庭科室にやって来た名取は、状況が読めずに固まっている。河島はテーブルの上に頭を乗せ、限りなくリラックスした状態で言う。

「も少し待ってなー。あとちょっとで山岸が来る。」

「山岸...?え、ちょっと待って、どういう状――」

名取が言いかけると、ドカーン!と大きな音を立ててドアが開いた。驚いて振り向いた先に、山岸がぜえぜえと息を切らして立っていた。片手にぷっくりと大きく膨れたレジ袋をぶら下げている。

「遅いぞー山岸。」

「はぁ、はぁ...、肉がセールのスーパー、ちょっと遠いんだよ!」

「なんだ、近場で良いのに。」

「肉高いんだぞ?」

二人のやり取りを呆然と見ている名取。

「あの、これは一体...?」

と、思わず疑問を投げかけた。すると河島は名取の方を向き、自信満々の笑みを浮かべて言う。

「居残り軍は馬鹿が取り柄!馬鹿やるだけの活気を欠いてはいけない。ほら、そこ座ってちょっと待っとけ。」

そう言って名取に缶コーラを投げた。

「あわわわ!え、え?」

慌ててそれをキャッチする名取。それを見届けた二人は服の袖を捲り上げ、

「よおおおし!!」

と張り切った様子で作業に取り掛かった。

「山岸はフライパンの準備を!俺は肉の方やる!」

「うぃっさー!」

「あと山岸、この野菜はなんだ!」

「ついでに買っといたやつ。あった方が彩り良いかなーって。」

「さすが山岸、女子力高ぇな!知らんけど。」

テキパキ動いているようで、慌ただしいだけの二人の動きを見ている名取。コーラを開封する余裕もない程、彼女はそれに気を取られていた。

「何やろうとしてんの?何か作るの?」

「それは出来てからのお楽しみ。ま、ゆっくりとコーラでも飲んどけ。」

まずは山岸がまな板を取り出し、そこに野菜を並べた。じゃがいも、人参、コーン、それらの材料を念入りに洗い始める。一つ一つを丁寧に、優しい言葉までかけながら汚れを落としていき、終わったものはキッチンペーパーの上において、と随分慎重にやっている。が、名取にとってはもどかしい光景。

全てをようやく洗い終えると、河島が取ってきた調理器具の中から包丁を手にした山岸。覚束ない切り方で、そもそも持ち方からだいぶ危なっかしい。見ていられなくなった名取は立ち上がり、、二人の間に割って入るとこう言った。

「山ちゃん、そのやり方じゃあ手ぇ切るよ。」

「え?あー、何だっけ。鷹の爪みたいな名前の――」

「猫の手ね...。鷹の爪は調味料。まあ猫の手じゃあ少し効率悪いけど、慣れないんだったらその方が良い。」

時々お手本を見せたりしながら、丁寧に山岸に教える名取。事細かに説明していると、今度は河島の方から空気が漂い始める。ふと彼の方を見ると肉を水洗いしようとしていて、名取は大慌てで止めた。

「バカバカバカ!!何やってんの!」

「え、見ての通りだが。」

「見ての通りだから止めてんの!肉は洗っちゃ駄目!!」

「えー...、細菌いっぱい付いてるんだから洗わなきゃマズいだろ。」

彼女は深呼吸に近しい程の大きな溜息を吐いた。そして洗い場から河島を半身でどかし、

「もういい。私やるから代わって!」

と声を上げた。河島は、彼女が何故イライラしているのか分からず、不思議そうな顔を浮かべている。

「細菌いっぱい付いてるのが水で飛び散ったらどうなる?」

名取は尋ねた。

「ああ、危な――」

「でしょ?どのみち焼くなら細菌死ぬからお肉はいいの。で、何作んの。」

「と、特大ハンバーグ...。」

「ハンバーグ!?どんだけ時間かかると思ってんのよ、今からじゃ下校時間過ぎるよ!?」

「え、そんな手間かかんの!?」

「当ったりま...ああもう!!」

名取は頭を搔きむしり、むしゃくしゃしだした。二人の知識不足に付き合っていられなくなったみたいだ。彼女は数歩後ずさりして椅子に腰を下ろすと、諦めたように顔が下に傾いた。

「もう知らない。先生に怒られても私、知らないから。」

彼女の一言に、作っていた二人も手を止め、困った表情になる。切っている途中の野菜、並べた調理器具、断念して片付けるにはあまりにも中途半端な状況だ。山岸は言った。

「喜んで貰えるって思ったんだけどなあ...。」

三人は言葉を失った。それは例えようのない壊滅的な空気で、居心地は最悪だった。

名取のために何かしてやろうと動いた二人の行動も、結果として彼女を落ち込ませてしまう。残った食材の処分方法も思いつかず、ただその場で固まることしか出来ない。河島は暗い声色で山岸に尋ねた。

「これ、どうする?」

作りかけの食材に目を向ける二人。

「うーん...。」

しかし何一つ会話は進展しない。ただ見つめながら、適当な相槌で返すだけの時間が続いていく。そしていよいよ言葉さえ失った時、静寂の中で名取が尋ねた。

「それ、捨てるの?」

彼女の声に振り向く二人。山岸が答える。

「捨てたらバレるよ。何とかして持って帰る。」

「持って帰ってどうするんだ。お前んとこも、もう夕食作り始めてるだろ。」

と、河島がそれに反論した。再び部屋が静かになる。

一呼吸、あるいはもう少し長いくらいの沈黙が起きたあと、名取は先ほどとは一変した声色で二人に尋ねた。

「あたしが指示したら、即座に動ける?」

殺気立ったような雰囲気を纏った彼女の声、それはたった一言でこの部屋を究極の緊張で満たした。まるで銃口を背中に突き立てられているような感覚に、山岸は冷や汗と共に口を噤む。しかし河島は違った。名取の質問に彼は全身ごとふりかえると、笑みを浮かべて言った。

「ああ、何だってやるさ。」

河島の言葉を聞き取った名取は勢いよく席を立ち、キッチンへ身体を滑り込ませる。そして近くの野菜を手にかけると、テキパキとした喋り口調で指示した。

「河島は扉の前、先生来ないか見張ってて。」

「おう。」

「そっから時計見えるでしょ、五分経ったら山岸と交代。山岸は私の側にいて。なるべく簡単なのを任せるから、言ったらちゃんと動くこと。良い?」

「は、ハイ!!」

喋りながらも、彼女の手は止まることなく作業していた。

二人にとっては普段見ることのない仕事モード。それはきっと彼らの目には、どこまでも新鮮に映ったことだろう。

名取は包丁を手に取った。次の瞬間、タンタン!と音を立て、物凄いスピードで玉葱が切られていく。

「山ちゃん、油ひいて。フライパンに円を書くイメージで。」

「了解です。」

「出来たら火付けちゃって良いよ。」

山岸は目を疑い、名取の手元を見た。すると、数秒前に切り始めたばかりの玉葱はもう既に殆どがみじん切りされている。驚いて目を止めていると、すぐに名取から注意を食らった。

「ボーッとしない、手元に集中する!」

「....!ごめんなさい。」

次々と指示を出していく名取。フライパンの油が熱されると、山岸と位置を交代した。

「次、ボウル取ってきて。んでお肉、そん中いれといて。」

ジューー、と音が部屋に響く。刻んだ玉ねぎをササっと炒めながら、二人との連携も忘れない仕事っぷり、その光景はまるでオペ室に居るかのような進み具合。それでいて彼女の調理には一寸の間違いも犯さない。

「ついでに材料あるか準備室見てきて。パン粉、牛乳、卵、あと調味料。」

「卵は見た感じ無い。てか生もの全般置いてない!」

「パン粉と、あと調味料は?」

「パン粉あった!あと調味料は塩、胡椒、パセリ、ガーリック...パウダー...?」

「今言ったやつ、パセリ以外持って来て。」

「らじゃ。」

「(卵、牛乳なしか...。あるもんだけで何とかするか。)」

「名取、小っちゃい牛乳なら買ってあるけど。」

「何それ、飲みさしじゃなかったら頂戴。」

てんやわんやで部屋を駆け回る山岸。言われたものを持ってくると、暫くして河島から報告が来る。

「名取、もうそろ五分経つ。」

「え、もう?分かった、じゃあ山ちゃん一旦お疲れ。河島と交代して。」

「了解。」

ボウルに移した挽き肉に調味料と、炒めた玉葱、パン粉と牛乳を入れ、手でこねていく。それが終わると、河島にはハンバーグの成形を手伝わせた。手にとって形にし、フライパンへ並べていく。これくらいなら初心者にだってできるはずだ。そう思っていたはずなのだが、いざ見てみると形が酷い。大きすぎると指摘をすれば、今度は小さすぎるのを作るし、そもそも楕円形に成形するのが下手過ぎる。仕方がないので他のことを担当させて、ハンバーグは私一人でやることにした。

フライパンの蓋を閉じて焼きに入ると、少しだけ余裕ができた。河島には食器を持ってこさせ、私は焼きあがるまでの間、横に添える用の野菜を作ることにした。河島はのんびりと皿を運んでくると、感心した様子で話しかけてくる。

「やっぱお前すげえわ。」

「何がー。」

「動きに無駄がないって言うかさ、それでいて生き生きしてるからさ。」

「そっかなー、別に普通じゃない?」

淡々と調理しながら生返事で返す。それはもう任せて心配な作業が残っていないからっていう、その安心感が恐らく理由。山岸も外を見張りながら私に言った。

「本当、格好良かったなあ。調理実習の時とは大違いだ。」

「調理実習はだってアレじゃん。テンポ遅くてイライラするって言うか、素人に合わせんの鬱陶しいから。」

急な毒舌に引き気味の二人。そんな彼らに構うことなく試作のソースの味見をし、

「うーん、こんなもんか。」

と呟く。個人的に味に納得がいくと、二人を呼び寄せて同じように味見させた。

「どうどう?悪くはないんじゃないかな。」

河島と山岸が小さなスプーンでソースの味を確かめると、二人は互いに顔を合わせて頷いた。そして名取の方を向く。

「最高かよ。」

と、二人の声が被った。

 

「何か俺らの方がもてなされてしまったな。」

料理が完成すると、河島は呆れ笑いを浮かべてそう言った。それには山岸も賛同して

「ああ、間違いない。」

と言って頭を掻いた。そんな彼らに名取は深く息を吐くと、解放されたような声色で言う。

「ほんっと冷や冷やしたわ。あのペースで手ぇ貸さなかったら校門しまってたかんな?」

「だろうな。やっぱお前には敵わん。」

河島はそう言って椅子に座る。続けてこう言った。

「さ、何はともあれ食べようぜ。あとのお二方も見てないでさ。」

「あとの二方...?」

名取が首を傾げると、出入口の扉が開いた。彼女はビクッとなって視線を向ける。

「あ、出来た~?」

「わあ...いい匂い。」

そこには瑞希と、明希の姿が。名取はキョロキョロと首を動かし

「え、どういう?なにこれ、なにこれ??」

などと言いながら混乱している。河島はざわめきの中、名取に言った。

「本当はお前をもてなすための会にしたかったんだが、俺らの負けだ。」

「え、どういうこと?」

「みんな、お前のこと心配してたんだよ。」

「え....それって、つま――」

言いかけた名取の言葉を遮って、河島はみんなを取り纏める。

「はーい、みんな席について。合掌、いただきます。」

「「いただきまーす!」」

茫然とする名取を前に、部屋には友人たちの「美味しい」の声が絶えず響いていた。

「つるりん、食べないの?これすっごく美味しいよ!!」

 

つづく。

 

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