下町の鶴   作:瀧ヶ花真太郎

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89.黒一点

 

下町の鶴

9章-奮闘記-

☆Episode.89「黒一点」

 

名取の店に行くと言ったはいいものの、何だか物凄く躊躇いが出てしまう。彼女の店が近くなってくるのと反比例して、歩く速度はみるみるうちに落ちていく。矢原さんからは

「歩くの遅ーい。」

などと煽られ、四倉さんからは何やら無言の圧のようなものを感じた。せめて言葉にしてくれ、とも思ったが

「もう少し速く歩いてくれない?」

などと冷たい声で言われたら多分一生立ち直れない気がする。そんな人じゃないとは思うけど。

俺がこんなにも緊張しているのは恐らく、周りに女子しかいないからだろう。女兄弟に囲まれてるから大丈夫だろうと思うかも知れないが、これだけは言える。血縁と同級生じゃ話が違う。こうなることを予想して山岸も誘ったのだが、バイトがあるといって断られた。この裏切り者め。

いつもの帰宅路には制服姿の三人。柴又とは逆方向の家路を持つ二人が前を歩き、心許なしにその後ろをトボトボとついていく自分がいる。傍から見たらなんて情けない姿なんだろう。穴があったら入りたい。

「このメンツで行くの初めてじゃない?」

「うん。」

「ねえねえ、河島君ってつるりん()はよく行くの?」

二人の会話から唐突に俺に質問が飛んできた。こちらに振り向いた彼女らに対して今現状、女子との、ましてや人間との喋り方すら思い出せない。

「え、ああ。たまに。」

「へえ、たまに行くんだ~。」

言葉通りなのに何か誤解されてる気がする。はいはい、お見通しですよ、とでも言うような彼女の笑み。恐らく何を言っても同じ反応になるのだろう。名取の家に着くまでは大人しくしていようと心に決めた。

 

あれから十分ほど経って名取屋の目の前に到着し、俺の気まずさは凄まじい程に膨れ上がっていた。今ならまだ引き返せるんじゃないか?などと、店の扉を目の前にしてまで可能性を探る。そうだ、二人の後ろに居ることをチャンスにコッソリ帰ろう。どうせ俺が居なくたって女子だけで雰囲気は盛り上がってくれるはずだ。物音を立てないようにそーーーっと向きを変えて...

「どこいくの?」

「....!!」

恐る恐る目を向けると、満面の笑みでこちらに警告を放つ矢原さんの姿が。その異様に落ち着いた声と、輝かんばかりの表情との差に絶句する。自分で誘ったのに、何故かこちらが誘拐されているような雰囲気だ。たった一言で身動きが取れなくなるような言霊を食らってしまった。

「え、え、あの...急用思い出して....。」

「今 更 何 言 っ て る の ?」

苦し紛れに出た言い訳に、今度は四倉さんから言葉のナイフで一突きされる。怒ってるようには見えないが、その代わりに凄まじい程の狂気がこちらに伝わってくる。表情は一グラムの笑みすらない完全体の真顔で、今使う言葉を一つでも間違えれば本当に刺されるんじゃないかと体が危険信号を出し始めるくらいの怖さだ。本当は三人くらい人殺してるんじゃないか?この人...。

「何でもないです。すみません。」

俺はもうそれしか言えなかった。

 

扉が開かれると名取の元気そうな声が聞こえてきて、二人の名前を呼ぶ。

「つるりん、いま忙しい?」

「全然全然!え、どうしたの?」

「良かった~。ちょっとお茶でも飲んでこうかなー、なんて。」

「え~、どうぞどうぞ。入って入って!」

陽気に彼女らを店に招き入れ、扉を閉めようとしたところで俺の存在に気付き、ピタリと動きが止まる。俺と名取の間に気まずい沈黙が流れ、お互いに瞼をパチパチさせていると

「言いだしっぺさーん。」

と矢原さんがこちらに振り向き声を掛けた。やめろ、ただでさえややこしい空気が流れてるってのに。

名取は更にキョトンとした表情になる。

「え、うん?どゆこと??」

ほーら収拾つかなくなっちゃったじゃないか。どうしてくれるんだオノレ...。

「あの...もう勘弁してください。」

情けない声が出てしまう。一つ文句を言ってやりたい気分だが、言える空気を完全に抹消されているのが末恐ろしい。黙って言うこと聞いとけってか、こいつら...。

 

店に入って数分、矢原さんが事細かに説明してくれたお陰で俺への疑問は解消された。...ら、良かったんだが...

「河島君がね?私らもまとめてみんなで行きたいって言ってさ。」

「河島が??」

もうだめだ、完全に誤解される。こんなことなら一人で行った方が良かったよ。

それからしばらくは俺を除いた三人でお喋りが盛り上がり、俺はその端で黙々と彼女の作ったつまみを食べていた。元々は名取の機嫌を少し直そうと考えて、収益がどうこう言ってたから周りの人間も呼んで、少しでもその足しにしてやるつもりだったのだが苦労が異常に多い。気を遣った方が良いのかとか色々気にしたけど、もういいや。堂々と接することにしよう。

「名取、キャベツの何とかってやつくれ。」

「キャベツ?はーい。」

「あと何か飲み物あるか?酒じゃないやつで。」

「珈琲、オレンジジュース、そんくらいかな。」

「じゃあオレンジで頼む。」

「へいへい。」

注文を受けた名取は、矢原さん達とスムーズに会話しながらもちゃんと手を動かしている。その姿を見ていると、本当にここが天職でやっているのだろうなあ、と感じた。どちらかに集中して投げやりにするわけでもなく、料理に対して手を抜いている様子は一切ない。家庭科室の時も思ったけど、仕事がプロだ。

彼女の手元をボーっと眺めていると、ふとこちらに話しかけてきた。

「今日は随分バクバク食べるね。お金大丈夫なの?」

俺はその問いにこう返した。

「こっちの台詞だよ。」

「え?ん??」

言葉の意味が理解できず、名取は右に左にと首を傾げる。

「収益がどうこうって話してなかったか?」

と、俺は名取に言った。すると一呼吸ほど考えたあと、

「あ~!」

と声を上げて驚く。しかしすぐに

「え、それ河島に話したっけ?」

などと疑問を投げてくる。少し呆れた表情で俺は答えた。

「お昼、それを聞いて貰えなくてご機嫌斜めだったのはどこのどいつだ...。」

「あー、そうだっけ。ごめんごめん。」

名取は申し訳なさそうに笑っている。

「はあ....。」

「え、てかまさか、それ心配して来てくれたワケ?」

「そうでなきゃ食費で三千も下さん。」

「ええ...、何か申し訳ないことしたね。ごめん。」

「気にすんな。」

名取が謝るのと同時に、店の中が一瞬だけ静かになった。一斉にピタリと会話をやめるので、包丁がまな板を打つ音もそれに続いて鳴り止んだ。そこで四倉が勇気を振り絞るような感じで尋ねる。

「経営、大変なの?」

「いやいや、大変とかそういうんじゃないよ!何ていうの、昇級試験?みたいな。」

慌てて返す名取に、二人の疑問はつのる。

「え、それ受かんなかったらどうなっちゃうの?」

「お店無くなるとかやだよ!?」

二人の心配フィーバーに押されて名取も困惑気味になった。面倒くさくなった俺は、名取からの助けの目線をただ茫然と見つめながら黙々と咀嚼を続ける。どうせ俺から何か言ってもこいつら、全部恋愛話に持ってこうとするんだもん。もう知らね、あとは任せた。

 

「ちょっ、二人とも一旦落ち着けええ...!!」

 

数分後、名取の目には若干の疲れが浮き出ていた。彼女が丁寧に丁寧に事情を説明するのを見届け、二人が俺の方に質問を投げようとした途端にジュースを口に含む、というのを繰り返してかれこれ五分経ったくらいか。異様に長い五分だった。

「はあ、はあ...。」

何食わぬ顔態度で飲み食いする俺に名取は不満げな眼差しを向ける。疲労と、溜まったモヤモヤを晴らそうと彼女は、コップに注いだ水を一気飲みし、ふう、と一息ついた。

「まあ、そういう訳でして。」

何かいい策はないかと黙り込み、店の中は再び静かになる。名取は皆に気を遣わせまいと

「まあまあ、そんな気にしなくていいよ。何とかなるから。」

などと言って笑ったが、俺はそれに反論した。

「無計画で何とかなるレベルじゃないだろ。」

「そうだけど、だったらどうすれば良いっていうのよ。」

「三人もいるんだから議論していこうや、それを。」

頬杖をついて、のんびりとした態度で提案する。すると今度は名取も真面目に考え出し、とうとうこの空間に物音一つも聞こえなくなった。...うち一名の咀嚼音を除いて。

傍から見れば俺だけ何も考えていないように映る。一人だけモゴモゴと口を動かし、食べては飲んで、飲んでは食べてを繰り返しているのだから。明らかに浮いた存在になってるが、それくらいいつまで経っても話し合いが始まろうとしなかったので、俺は名取に言った。

「ま、取り敢えずうちの姉は常駐させておく。それで少しは足しになるだろう。」

「千春さん?え、呼んでくれるの?」

「接客頑張れ。酔うと少々面倒くさいけど。」

「分かった。ありがとう。」

「まあ、こんな感じで知り合いの知り合いを当てにしていけば良いかと。矢原さんと四倉さんはどう?」

 

つづく。

 

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