下町の鶴   作:瀧ヶ花真太郎

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91.こたつ猫

 

下町の鶴

9章-奮闘記-

☆Episode.91「こたつ猫」

 

「うぅ...。」

時計の針は九時を指している。平日の朝、本来ならば学校にいるはずなのだが、不運にも体調不良に見舞われた。どうしてだろう、いつもなら学校を休める、と大喜びできるはずなのだが、今は悔しさや罪悪感で一杯だ。これじゃあ集客を手伝ってくれた友達に申し訳なくてしょうがない。沢山お客さんを呼んでくれたのに、その忙しさに体が持ちこたえられなかったなんて思われたくないもの。母には学校に行くと何度も言った。しかし安静にしてろと言われ、登校を許してはくれなかった。こうして今、私は布団の上で秒針の音に耳を傾けている訳なのだが、笑っちまうくらい暇だ。やることと言えば天井のシミを数えるくらいだし、外出なんて母は絶対許さない。そもそもそんな体力もない。もうこうなれば寝てしまおうとも思った。そうすれば何も考えずに時間だけが過ぎてくれる、と。しかし、それが出来るなら花だ。最初から何も困らない。眠くねえんだわ、一ミリも。

ふとした瞬間にも声に出てしまいそうだ。こんなに目の冴えた朝などあってたまるか、と。なぜ起きなきゃいけない日には眠気MAXで、寝てなきゃいけない日に限ってこうなんだ。逆なんだよ普通。ふざけるなよ。ふざけるなよ....。

退屈に耐えられなくなって私は、布団を飛び出し、階下の居間へ下りることにした。ズキズキと痛む頭と、軽い眩暈(めまい)に堪えながら。

階段を下りると、母が早速私の存在に気づいて尋ねてきた。本音で話せばどうせ

「上で寝ていろ。」

と言われるだろうから、トイレに行くと言った。とはいえ別に催してる訳じゃないから、母の目が届かない場所に隠れ、ボーっと時間を無駄にする。誰もいない店内のカウンターに腰かけると、ひんやりとした感覚がお尻に伝ってきた。死にかけの脳が叩き起こされた気分になる。

「ああ、寒...。」

思えば、暖房もつけてない店内にパジャマ姿でいて寒くない訳がない。服を着替えようとすれば怪しまれるし、これじゃあ歩き回ることさえ叶わないじゃないか。せっかく暇を持て余しているのに、不自由で何も出来ないなんて...。

悲しくなって私は、諦めたように母のいる居間へと倒れ込んだ。早速母は

「寝てなきゃ駄目でしょ。」

と咎めてきたが、一度畳に寝転んでしまっては起きる力もなく、猫のように体を丸める。

「寝れないんだもん。なんか喋って。」

「じゃあせめて暖かい格好してなさいよ。熱上がるよ?」

「それ頂戴。」

母が畳んでいる洗濯物を指差して、それを掛けると言ってみる。...一瞬で断られた。母は溜息と共に立ち上がると、仕方ないと言わんばかりにタンスから毛布を取り出す。サッと掛けて貰うと、私は鼻先まで潜り込んで一息ついた。

「フフフ、アリガトー。」

棒読みのような言い方で礼を言う。それを見た母は、呆れた様子で先ほどの位置に座った。

「治ったらうんと厳しくしてやるんだから。」

「じゃあ一生治ってやんなーい。」

「馬鹿言うんじゃないの。」

「詩鶴、優しいお母さんスキー。怒りっぽい時キライー。」

「あんたねえ...。」

病のしんどさに乗じて、おどけた態度を取り続ける。母がその喋り方に疑問を呈すると

「そっちも風邪引きゃあこうなるじゃんか。遺伝だよ。」

と返してやった。そう、刺々しいことばっか言う母も、風邪とかで寝込むと今の私と似たような感じになる。丸くなって、おっとりした喋り方になって、いつもとは正反対の態度を見せるのだ。これには母も思わず言い返す言葉を無くす。

「フフフ、図星だネ。」

「うっさいな。」

「いつもゴメンねェー、ごめんネー。」

「いい加減にしないと看病してやんないよ。」

「ごめんなさい。優しいモードでお願いします。」

その時の真似をしたらさすがに怒られた。まあなんだ、いつも散々説教されてる分の仕返しってやつだよ。清々しい顔で毛布をどかし、立ち上がる。

「詩鶴、少しはじっとしてなさいよ。」

「トイレ。」

「さっき行ったんじゃないの?」

「さっきのは嘘。」

 

なかなか過ぎてくれない時間に飽き飽きしながらお昼時を向かえると、その頃には体調がうんと悪くなっていた。お腹が食べ物を求めて唸っているのに、肝心の胃がもたれて軽い吐き気を催す。朝には動き回れるほどに体力があったのにも関わらず、今はサウナのように身体が火照って辛い。

「はぁ....、はぁ....。お母さん...。」

一人じゃあ完全に何も出来なくなってしまって、母の助けを求めた。

「もう、ちゃんと休まないからでしょ...。」

「お母さん。」

「なに、どうしたの?」

「お腹空いた。」

「わかった、何か軽いもの作ったげる。」

「...それとお母さん。」

「なに?」

「ちょっと気持ち悪い...。」

「ええ...、困ったな。」

苦しむ私を前に母は、どうしようか、と困った顔をする。そして一呼吸ほど考えると、

「よし、分かった。」

と言ってキッチンへ向かった。

それから母は卵の入ったお粥を私に作ってくれた。

重たい体を起こし、ちゃぶ台に持たれかかり、そっと口に運んでは咀嚼する。食べられるものが限られているのを気遣ってか、お粥は鰹だしの効いた旨味のあるものだった。今はこうして食事をするのも辛い状態だから、出来る限りのことを尽くしてくれる母の優しさには本当に助けられていると実感する。ふと顔を上げると、テレビからお昼のバラエティーが流れていて、母はそれをぼんやりと眺めていた。

 

体が病むときっていうのは不思議なもので、このまま死んじゃうんじゃないか、なんて考えてしまう。天井を見つめながら、飢えた心は一つでも良いからと情報を欲しがる。テレビの音、小さな物音から、部屋に流れ込む微かな匂いにさえも意識が向く。淋しい、ただどうしようもなく淋しい。弱音を口にする度、母が身体を優しくさすってくれるので、私はそれにすがるように何度も言葉にした。

「お母さん、ノルマ上手くいくかな。」

「そんなこと今はいいから。しっかり休んで。」

「やだ、お肉食べたい。」

母を困らせて、少しでも長く構っていて欲しいって思ってる。からかっておいて何だけど、私も十分子供だ。これには母も折れてしまったようで、とうとう厳格な面を見せなくなり、話す時の声色が少し穏やかになったような気がした。

「分かったよ、なに食べたい?」

「治ったら?」

「うん、治ったら。」

「ステーキかな、うんと分厚いの。こーんな大っきいバターなんか乗っけたりして。」

「良いね。」

「あ、でも牛タンも食べてみたい。ヤミー棒でしか食べたことないんだよね。」

「ヤミー棒?へえ、そんな味あるんだ。」

「うん、河島がこの前ゲーセンで取ってくれてね?あれ凄く美味しかったんだ。」

畳の上で夢の話を交わしあう。これって不思議といつまでも話せそうなくらいに楽しいんだよね。儚いことさえ明るく話せて、それがとても切なく思えて。こんなに静かに私の話を聞いてくれるのも珍しいから、何だかとっても嬉しい気分になれるんだ。いつもこうなら良いのにな。

「今度取ってきてよ、私もそれ食べてみたい。」

「本物食べさせてくれたらね?」

言葉を失くした母を悪戯に笑ってみる。すると小さく溜め息をついてこう言われた。

「本当、その小賢しさはどこで学んだのやら。」

「何言ってるの、交換条件ってやつだよ。」

「はいはい、分かったよ。その代わり治ったらちゃんと働きなよ。」

「当然。次期女将をナメて貰っちゃあ困る。」

「それで燃え尽きてる奴に言われても説得力ないんだが。」

今度は私の方が返す言葉を失くした。ちきしょう、''親子似る''とは言うけど、論破力まで同等なんて聞いてないぞ。そう言えば昔、母と喧嘩したときに父から

「いたちごっこ。」

などと言われたが、何か薄々理解できるようになってきた気がするぞ。

 

体は口だけ残してしんどい状態が続く。どんなに辛くても、常に誰かとお喋りしてないと気が済まないのだ。でも、こうやって辛い内に何でも叶うなら友達にも会いたい。母と同じような甘え方はさすがにしなくとも、約束しておきたい''小さな夢''が沢山あるから。

 

つづく。




【修正箇所】
2024.4.21
「つづく。」入れ忘れ
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