下町の鶴   作:瀧ヶ花真太郎

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92.病気明け

 

下町の鶴

9章-奮闘記-

☆Episode.92「病気明け」

 

「皆様、ご心配おかけしてすみませんでした。」

額をベッタリと床に付けて土下座をした。素肌が触れている箇所には冬の廊下の冷たさが伝い、ひんやりとした感覚は瞬く間に痛覚へと変わっていく。しかし、そんなことはどうでも良く思えるくらいに私は申し訳なさを感じていた。

「つるりーん...顔上げてよー。誰も怒ってないから。」

瑞希が申し訳なさそうな態度で宥め、苦笑いで困っている。けど...例え怒っていないとはいえ、呼んでくれたお客さんの数にパンクして学校を休んだなんて本来なら合わせる顔がない程の大失態なんだ。

「いや、寧ろ怒って下さい。本当に悪いことしたと思ってるんで。」

「困ったなあ。ねえどうする?明希。」

「どうもこうも...。キツいこと言ってメリットになるの...?」

瑞希と明希が対応に困っている。私は一センチたりとも面を上げられない心持ちだし、何をどう解釈してもマイナスな方向にいく。いわばドツボの状態に陥ってしまっていてどうしよいもない。いつまでもそうした状況でいる私に呆れたのか、明希は

「思いっきり叱ったら戻ってくれる?」

と、こちらに問いかける。もういっそ滅茶苦茶に言ってくれた方が罪滅ぼしになると思って、それで私は彼女のお叱りを即答でお願いした。すると明希は膝をつき、私に顔を上げるよう指示する。その言葉通りに顔を上げ明希を見てみると、彼女に凍てつくような視線で目の奥を見られ、視線を反らすことも出来ないままその場で硬直した。そしてそのまま感情の読み取れない、不気味に落ち着いた明希の声が私の心の戸を静かに叩き壊す。

「あのさ。大袈裟な芝居で私らに恥かかせてるの、気づきなよ。」

全身が震え上がった。脳天に銃口を突きつけられてるような気分だ。一方的な謝罪で身を守っていたものが崩れ、意識よりも先に

「ごめんなさい。」

と口が動いてしまう。明希のお父さんって警察関係の人って聞いてるけど尋問担当の方だろうか。そんな想像が頭を過りました。

「ちょ、ちょっと明希...。」

思わず瑞希が止めに入るほど、彼女の一喝はこの場の空気を一瞬で凍らせた。

「ごめん、本音じゃないから。本音じゃないから。」

明希は急遽女優モードを止めて焦り始める。必死に宥めてくるが、それすら私にとっては悶絶の元。いよいよメンヘラみたくなって

「許してください。靴舐めます焼きそばパン買ってきます何でもします。」

などと壊れかけの涙目で呪文のように唱えてしまう。そのタイミングでそれを耳にした河島が

「なーんーでーも~?」

と水を差してきたので、瑞希らは一斉に彼を睨み付けた。

猛省の後、私はどこかモヤモヤした気持ちが晴れないまま過ごしていた。ノルマに関してももう焦らなくて良いくらいに順調になったし、もう友達に迷惑をかける心配もない。けど、自分の中であれやこれやと議論が飛び交い、結論が出なくて頭が痛んだ。あれから、何一つ気にしていなさそうな雰囲気でいた河島に何度もダル絡みしていた。

「私さ、」「でもさ、」

などと自責の念を口にし、それを無表情で聞き流している彼に申し訳なさを感じる。うん、うん、と相槌を打ってくれてはいたものの、ちゃんと話を聞いてくれているのかどうかまでは怪しかったけど。

 

放課後、正面玄関から雨音が聞こえてきたので近くの窓を見てみる。ガラスには点線のように雨粒がついていた。予報では降ると言っていたので準備はしてきたが、靴に染みないかが心配。どのみち多少は濡れるだろうから、あまり気にしすぎても仕方ないのだが。

さて、とっとと家に帰って一息つこう。そう思っていた矢先...

「あれ、私のどこ?」

持ってきたはずのビニール傘が見当たらない。置かれていた一つ一つを確認するも全部違う人の物で、異なる名字が書かれていたり、見た目が違っているものばかりだ。

「おかしいな...。確かに私、ここらへんに。」

探せど探せど見つからない。こんな寒い日に雨に打たれようものなら体力が一瞬で削がれ、多分凍え死ぬこと間違いない。そんな焦りの中でも何とか冷静でいようと気を引き締め、私は頭の中を空にして自問自答をしてみた。

「探し物は何ですか。」

傘です。

「見つけにくいものですか。」

いいえ、見つけやすい所に置いたはずです。折り畳みじゃないから鞄の中も、机の中を探しても見つからないのは目に見えてるけど。これ案外探すのを止めた時に見つかるパターンかもしれないな。歌の文句なら踊って解決するんだろうけど。

仕方なしに外に出て空を見上げると、霧のように細かい雨粒が頬に付く。これなら大事って程では無いかな、と思った私は、傘のことを諦めて帰ることにした。駅までは走って数分くらいの所。今なら濡れずに家に到達出来るかもしれない。そう思って、湿ったアスファルトの匂いが漂う通りを駆け抜けた。

何とか駅に到達し、改札を通り抜ける。ちょうど通勤ラッシュの時間帯で、凄まじい量の人波を避けながら歩いた。全く、都会は家に帰るというだけのことで何故こんなに疲れる。ホームには電車を待つ人たちの群れで各ドアの停止位置印に長い列が出来ていて、並ぶのも億劫なレベルだ。やっと来た電車に乗り込むと、天気と相まってどんよりとした空気が立ち込める。モワーッとした高い湿度と、吐き気を催してしまう中途半端な暑さ。たった二駅向こうだというのに身体がこれでもかと悲鳴を上げる。何せこのたった二駅に乗り換えが必要だから、先のことを考えると地獄でしかない。一度出て、もう一度この苦痛を味わわないといけないのだから。

 

「はあ、はあ、はあ....。」

 

漸く最寄りの駅に着いたその頃には、何だか長い旅路から帰った気分。ヘトヘトになりながら電車を出ると真っ先に死にかけの身体を癒すべく、額の脂汗を木枯らしにさらした。するとかき氷を食べたときのような頭痛が走り、その場で悶絶。今日は課題もちゃんとやって帰路に着いたじゃないか。神様、一体これの何が不満なんだい。そう胸中で愚痴を溢すと、電車の走り去っていったホームから大きな雨音が聞こえてきた。それはまるで夕立のように強く、冬の関東では滅多に来ない猛烈な大雨だった。

「うそ .....うそうそウソ!?」

駅構内の踏切を全速力で走り抜け、改札前に来ると肩まわりに大粒の雨が染みた。たった十メートル程度雨に打たれただけでこれだ。きっと家に付く頃には全身がびしょ濡れになるだろう。これは暫く雨宿りしなければ。

出口の屋根の切れ目から、まるでカーテンのように降りしきる雨。目線を下ろせば、その粒たちが駅前を占領するようにして舞い踊る。打ち付ける音が所によりバチバチ、と音を立てていることからその凄まじさが伝わってくる。こんなことなら課題などやらずに居残りして皆と遊びたかたったよ。私は心の底からそう思った。

「ああ、これいつ止むんだろ...。」

 

途方に暮れていると、同じく雨宿りをしていたカップルらしき二人組が

「酷い雨だね。」

「夜中までずっとこれらしいよ。」

などと話しているのを耳にしてしまい、絶望感が一気に増す。いっそのこと濡れるを承知で走ろうか。その方が早く家に帰れる。私の考えは強行突破に移り変わろうとしていた。言っても駅から家までは数百メートルのとこだし。きっと大丈夫。たぶん大丈夫。恐らく大丈夫。足に力を込めて短距離走の構えを取った。さあ、行くぞ...行くぞと自分に言い聞かせ、思いっきり地面を蹴ろうとしたその時、何者かから肩を叩かれて思わず転びかける。

「あばばばばば!!え??」

振り返ると見知らぬスーツ姿の人がいた。その人はとても落ち着いた表情でこちらを呼び止め

「これ、使いなさい。」

と言い傘を渡すと、茫然とする私を置いてそのまま雨の中へと歩いていった。

 

つづく。

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