下町の鶴   作:瀧ヶ花真太郎

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もう一度会えたらどんなに良いのに。生きていると、だんだんそう思える存在が増えてくるものです。街はクリスマスムードに染まり、木枯らしに吹かれた枯木がイルミネーションに彩られている。
冬の寒さに、心はどんどん寂しくなるばかりです。どうかそんな胸に空いた穴にも光が灯るように。私は今日も星の見えない空へ祈る。


10章.明希の祈り
96.地下鉄


 

下町の鶴

10章-明希の祈り-

☆Episode.96「地下鉄」

 

何かに急かされるように目を覚ますと、学校に行かなきゃと脳が混乱する。だけど、もうそこへは行く必要もないし、行けない。眠たい目を擦って布団を出ると、兄が制服姿で朝食を食べているのが目に映った。

「おはよ。」

「ああ。お前の分、テーブルにあるから。」

「ありがと。」

高校へのバスの時間に遅れぬよう、そそくさと準備している兄。その姿を見るたびに妙な気持ちになる。兄だけが吞気に学校生活を送って、私は日夜休まずにお金を稼がなくちゃならないのだから。この胸の違和感は恐らく嫉妬心だ。

椅子に座り、箸を手に取ると兄が話しかけてきた。

「いい仕事、見つかったか?」

「見つかったように見える?」

質問を嫌味で返す。すると兄は

「そうか。」

と、心配そうな声を発していた。

今思えば判断を見誤ったのかもしれない。お金を稼ぐために学校を辞めたのに、中卒の札を刻まれた人間に出来る仕事は無いに等しい。退学後にやっと雇ってもらえた力仕事も体力的に長くはもたず、再びアルバイトを始めたが、ずっとこれでやり繰りする訳にもいかない。休みの日には片っ端から色んな企業に連絡を入れて就活している。

出勤時間前、バイト先付近の駅前でボーっとロータリーを見ていると、元居た学校に向かう都営バスが客を招き入れている光景が目に留まった。兄とは別の便に乗り込み、放課後は友達と遊んだ後、都心でひとっ稼ぎ。新宿から地下鉄一本でこの駅に帰ってくるという毎日を送っていたのが今では懐かしい。今ではあのネオン街にも近づかなくなって。

「そんな怖がられちゃあ、する気にならないよ。」

どんな疑似恋愛を売りに出しても、ただの食事や買い物だけで満足する大人は数少ない。創作物の外側にも結局はお決まりの展開があって、それがあの街で生きていく上での最低限必要な覚悟になっている。それを避けて通るにも、正規の店で働くには身分を証明しなきゃいけないから、在学中じゃなくても厳しいものがあった。あれからは、その界隈のいわゆる"同僚達"からも「あんたはこの街に向いていない」と言われたし、あの人は変わった、と私を知る人物からは噂されていたらしい。あんなことさえなければ今だってこれで生活出来たんだ。こんなことまで甘えと呼ばれる筋合いはない。おかしいよ、何で生きるだけのことがこんなにも難しいのか。

時間になって勤務が始まると、定期的な感覚でお客が来店してくる。そのせいで体を休められるタイミングというのがいまいち掴めない。その短い合間に軽い世間話みたいなのを同僚とすることもあるが、マニアックな話をされたら世代的に会話の持続が難しくなってしまう。そうするとかえって疲れるから、バイトと言えど楽な仕事ではないんだってつくづく感じさせられる。同僚たちも、こんな平日の中途半端な時間帯に未成年が働いているのを不思議に思うらしい。学校はどうした、と聞かれるのはあまり気持ちの良いものではないが、誤魔化そうにも店長に事情を知られてるんだからやりようがない。笑ってやり過ごすので精一杯だ。

朝から晩まで、入れて貰えるだけの時間を月から日曜までぎっしりと埋めてシフト表に希望するが、結局は正社員じゃない分、全部入れて貰えた週は殆ど無い。必ずどこかが抜けて休みの日ができてしまう。ある日、それについて店長から聞かれたことがあった。

「君、休みの日は何してるの?」

「まあ、何かしら探してます。日雇いとか、色々。」

「そんなに困ってるの?たまには息抜きとかしなきゃ体持たないよ。」

「そんな余裕ないですよ。」

「うーん、そうか。」

そんな暮らしが出来るなんてさぞ良いな、なんて言葉が喉まで出かかったが、顔色に出すだけで何とか留めた。

お昼頃か、私と同じくらいの制服姿の二人組がお昼ごはんを買いに来た。内輪での流行りを話したり、何を買おうかと笑いを溢しながら選んでいて、無意識の内に私は耳を傾けた。やがてその二人組が会計に来ると、一瞬私のことを不思議そうな目で見てきたが、すぐに何事も無かったかのように買い物を済ませる。レジ袋をぶら下げ去っていく二人の背中を、私は茫然と目で追っていた。

「羨ましいのかい?」

「うるさいですよ、店長。」

「あはは、まあ君にも友達の一人くらいはいるだろうさ。」

「居るように見えます?」

「え?」

その返答に店長が言葉を失うもんで、私は一呼吸黙ったあと、鼻で笑ってこう続けた。

()()()()よ、心からの恩人が。」

 

ーーーーーーーーーーーー

 

「あの、すみません。」

お婆さんに尋ねられると、呼びかけられたことに気づいた明希は振り返った。

「この近くでコンビニ知らないかしら。」

「ああ、それでしたらそこを真っ直ぐ進んで貰って、二つ目の十字路を右に。曲がったらすぐそこです。」

「二つ目を右ね。ありがとう、お嬢ちゃん。」

「いえ。お気をつけて。」

礼を言い、去っていく老婆の背中を見届ける。それを終えると明希の目は大人びたものに変わり、ある一点を焼き付けるように見はじめた。新宿は相変わらず溢れかかった水路のような人混み。右へ左へと流れる水流はまるで止むことが無い。そんな大都市へ私から誘ったなんて、詩鶴も固まって驚いたくらい。

「明希、ごめんお待たせ。」

詩鶴がお手洗いから戻ってくると、ボーっとしたままで気づかない私の肩に手を置き

「わっ、え!?」

両肩が飛び上がる程に驚いた私を可笑しそうに笑うので、頬を膨らませて抗議した。 

「明希、なーにやってんのー?」

「え、いや。ごめん。気づかなかった。」

「まあいいや。何か食べよ。お腹空いちゃった。」

「うん、そうだね。ちゃんと食べる?それとも?」

「ちゃんと食べよ。軽食じゃあ帰るまで多分持たない。」

「分かった。じゃあどこか探そ。」

詩鶴が驚く反応を見せた通り、私もこの街に来ることは殆ど無い。煌びやかな街明かりも、押し潰されそうな高層ビルの数々も私にとってはただ怖いから。人波に飲まれそうになりながらも必死に詩鶴の背中を追いかけ、飲食店街についた頃にはヘトヘトだった。距離にしてみれば通学路の四分の一も歩いてないのに。我が町にもあるチェーン店に入ると、二人して大きな疲労のため息をついた。見渡してもほぼ満席に思えるし、家の近くよりも圧倒的に店内はざわめいている。

詩鶴は何故私からこんな大都会に行こうと誘ったのかを改めて聞いた。

「ああ、探してた小説がだいぶ昔ので。家の近くで書店巡ってみたんだけど、どこにも無くてさ。」

「へえ、それどんな話なの?」

「何て言うのかな、主人公が病的な思い出主義なんだけど、時代の流れで変わっていくものを引き留めようとして転落していく、みたいな感じで。」

「うわあ、何か重たそう。」

「感情移入したら病むよ。鬱展開が結構強烈だしね。」

「よくそんなの読めるね。」

「あはは、元は海外の古い小説なんだけど、翻訳してる人が凄いって言うかさ、言葉選びが素敵で。」

「へえ、例えば?」

「うーん、そうだな。『大切な思い出を日向に置くまい。』とか。」

「え、どういうシーン?」

「亡くした娘の写真を取り出して、それを窓辺で月の光に当てて眺めるの。日光って紙が色褪せるでしょ?」

「何かロマンチックだなあ。」

「主人公が心閉ざしちゃってるから。過去のことを誰にも話さないのを、周りが不思議がってたんだよね。」

半分ぽかーんとしかかっている詩鶴に諦め半分に話しながら、頼んだ料理が来るまでの間、ようやく見つけた後編の小説に目を輝かせていた。

 

帰りの電車もある程度混んでいて、座る席は一人分もなかった。そこで最後尾車両にいた私たちは、数歩先の車掌室の仕切りに持たれ、テールライトに照らされたトンネルの景色を見つめていた。地下鉄の新宿駅が暗闇の向こうに吸い込まれていくような光景に目を奪われている、そんな私が詩鶴にとっては不思議に映ったんだろう。

「何か見えるの?」

「トンネルだけだね。」

「うーん、やっぱ明希って独特だね。」

「そうかな、何で?」

「何て言うのかな、私じゃあ感じ取れないものが多すぎて。」

「何それ。」

そんな風に言われて可笑しくなった。詩鶴だって、私にない感受性を沢山持っているじゃないか。

「後ろからの車窓、何か好きでさ。離れてだんだん小さくなっていく駅とか、そういうどこか切ない雰囲気を味わえるから。」

「へー、前は好きじゃないの?」

「前は怖い。知らないことだらけだから。」

「??」

話している内に見えなくなってしまった駅。私は、さっきまで遊んでいた思い出をトンネルの暗闇に浮かべた。一つの光景を思い出しては、曲線に差し掛かった轟音とともにかき消されていく。その中で一つだけ鮮明に、長く浮かんでいた光景があった。

「明希、なーにやってんのー?」

「え、いや。ごめん。気づかなかった。」

「まあいいや。何か食べよ。お腹空いちゃった。」

 

かつて四季乃が居たであろう、ネオン街の通りを。

 

つづく。




2024.6.23
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