セイウンスカイが学園を退学するお話です。

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セイウンスカイの退学

「……では、確かに受理いたしました」

 

「はーい」

 

紙切れ一枚と、ほんのちょっぴりの度胸。

 

退学に必要なものは、それだけだった。

 

辞めた理由はまあ、いろいろあるんだけど、複合的なものであってうまく言語化ができない。

 

レースで勝てなくなったとか、進路が決まらないとか、それによって友人たちとの関係がギクシャクしだしたとか。

 

個別に見ていけば取るに足らないものかもしれないが、こうもいっぺんに来られると、うわーっと頭をくしゃくしゃにかき乱して、とにかく逃げ出したくなってしまった。キャパオーバーってやつだろうか。頭では冷静でも、心が暴走を止めてくれなかった。

 

「これでセイちゃんも、ヒマ娘の仲間入りですかね~っと……ん?」

 

「……え、セイちゃん……?」

 

「……スペちゃん」

 

服やら日用品やらが詰まったキャリーケースを引きずりながら、正門前の並木道をてくてく歩いていると、ジャージ姿のスペちゃんとすれ違った。

正門からまっすぐこちらに走ってきたということは、ロードワークの帰りだろうか。

 

(あー……申し訳ないけど、めんどくさいな)

 

このまま黙って、誰にも見られずにいなくなるつもりだったのに。

 

どこまでも純粋で、優しくて、努力家で、主人公で……そんなスペちゃんに退学がバレたら、絶対に引き止められてしまうから。

 

決意が固まっている分、一層めんどくさい。「あなたのせいでもあるんだよ」なんて言えるわけがない。

 

もちろんスペちゃんのことは嫌いじゃないし、大好きだ。大好きだからこそ、自分との対比を繰り返すたびに、心の針刺しに縫い針が増えていく。今ではもう、刺せる場所を探すほうが難しくなった。

 

今だって、先程までのんびり歩いていた私と、夢を追いかけ邁進していた彼女との対比に胸がちくりとする。でも、もう大丈夫。それもおそらく、今日でおしまいなんだから。

 

「や、奇遇だね。トレーニングお疲れ様」

 

「う、うん……セイちゃんのその荷物は、遠征か何か……?」

 

「遠征……まあ、間違いではないかな。うん、そう。遠征」

 

「……トレーナーさんは?」

 

「後から来るよ、たぶんね」

 

淡々とスペちゃんとの会話をやり過ごそうとしていると、背後から微かに、聞き馴染みのある張り上げ声が耳に入った。

 

──間違いない、キングだ。

 

おそらく彼女を慕っているウマ娘たちに、私を捕まえるように指示したのだろう。

彼女には以前、運の悪いことに私が理事長室に入っていく姿を見られていた。

察しの良い彼女なら、そのことと最近の私の様子から判断できてもおかしくはない。

 

「……それじゃ、急ぐから。バイバイ、スペちゃん」

 

「──セイちゃん!」

 

「……?」

 

スペちゃんの横を通り過ぎた直後、彼女から不意に声をかけられる

 

「──戻って、くるよね……?」

 

「…………」

 

……本当に、こういうときだけ鋭いんだから。

 

「さあ……ねっ!」

 

キャリーケースの取手を短くして、脇に抱え込む。

そのまま助走もつけずに、門へと向かって全力で走り出した。

 

「あっ、セイちゃん……!」

 

「──スペシャルウィークさん……スカイさんを……えて……!」

 

切り裂く風にぶつかって、途切れ途切れになった言葉が耳に入ってくる。

 

内容は、わかる。

だけど、もはや私には関係なかった。

 

「……ごめんね」

 

音に乗らないように、唇の形だけでそっと呟く。

 

私はこの学園で、本当に最後の逃げを決めながら、感傷に浸る間もなくその場を去った。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「……釣れないなぁ」

 

あのドラマチックな逃走劇から一週間。

私は実家近くの海辺で、のんびりと釣り糸を垂らしていた。

 

昨日、天気を調べるために久々にスマホの電源を入れた。

メッセージアプリにも、着信履歴にも、おびただしい数の通知が残っていた。

自分がこれほど心配されるに足るウマ娘だったとは思わず、つい恥ずかしげに「にゃはは」と笑った。笑っただけだったが。

 

若干の申し訳無さを感じつつも、バイブレーションを感知して魚が逃げてもいけないので、今は再び電源を切っている。

とはいえここまで釣れないと、あってもなくても変わらなかったのかもしれない。

 

「投げ直してみよっか」

 

リールを巻いて、海面からルアーを出現させる。

餌は食べられていなかった。特別場所が悪いとも思えないので、今度はもう一度、少し遠目に投げ入れることに決めた。

 

「せー……のっ」

 

釣り竿を振りかぶり、多少の力を腕に込め、なるべく遠く遠くへと飛ばそうとする。

 

しかし、ルアーは謎の重みを持ち、軌道の半ばで止まってしまった。

 

「ん……?」

 

違和感を覚える。

背後の岩の隙間に針が入り込んでしまうことは極稀にある。

しかし、岩のある場所を選んだ記憶はないし、そもそも引っかかった感触はずっと柔らかかった。つまり岩でも、当然ながら魚でもない。

 

その代わりに──。

 

 

 

「いでででで! スカイ、俺釣ってるっ、背中にルアー引っかかってるから、引っ張るの止めて!」

 

 

 

──トレーナーさんが、釣れた。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「……背中、大丈夫ですかー?」

 

「あー、うん。厚めのジージャン着てて助かった……」

 

トレーナーさんを実家に上げて、自室に置いてあった救急箱で多少の手当をする。

幸い深手にはなっておらず、消毒とガーゼの固定だけで十分そうだった。

 

「いやー、ごめんなさい……トレーナーさんがこっそりと近づいてきているなんて、まったく気づきませんでしたよ」

 

「べ、別にこっそりではないぞ? スカイが釣りに集中しすぎてただけじゃないかな……」

 

「そうかもですねぇ、にゃはは。セイちゃん釣り大好きなので」

 

他愛もない話を、二言三言交わす。

ほんのちょっと前まで、当たり前だったやりとり。

それがたった七日空くだけで、こんなにも愛おしく、安心を覚えるものなのかと不思議に思う。

 

「それで、ええと……俺がここに来た理由なんだけど……」

 

トレーナーさんはふと、切り出しづらそうに後頭部を軽く掻き、あぐら座りで背中を丸めながら話し始めた。

 

「……学園、戻ってくる気はないか?」

 

やっぱり、その話か。

 

はぁ、と軽くため息をついて、やや目を細めながらトレーナーさんの方を見る。

 

「……トレーナーさ~ん、その件を了承してくれたのはトレーナーさんだよ? セイちゃんの許可願に、トレーナーさんがサインしてくれたから、ああして授業もサボってのんびりと釣りができてたわけで……」

 

「いや、それはわかってる……スカイがどれだけ苦しい思いをしていたのか、そして、俺がいかに無力だったかを痛感したからこそ、スカイがあれ以上壊れてしまわないようにとサインをした。けど、やっぱり……!」

 

「……あの子たちに、何か説得されたんですか?」

 

「…………」

 

トレーナーさんが口をつぐみ、下を向く。どうやら図星だったようだ。

 

お人好しなトレーナーさんのことだ。

おおかた、私の友人たちが涙ながらに復学を訴えてくる姿に折れてしまい、「私がいなくなることで悲しむ人がこんなにもいるんだ」と伝えに来たのだろう。

 

──けどね、こっちだって、そんなことは承知の上なんだ。何十何百と、そのリスクとリターンを天秤にかけたと思ってるのさ。

 

「……スカイ?」

 

「ねえ、トレーナーさん」

 

「ん?」

 

トレーナーさんが顔を上げる。

 

「この世で、最も大切にすべき人って、誰だと思います?」

 

「……え?」

 

「はい、シンキングタイム、スタート!」

 

パン、と手を叩いてそう告げると、トレーナーさんは困惑しながらも、腕を組みながら一生懸命考え始めた。

 

「う~ん……大切にすべき人……?」

 

「そうそう」

 

トレーナーさんはその後、数秒間唸った末、何かを閃いたように顔を上げた。

 

「あ、俺ならスカイかなぁ」

 

「……ぅえ!?」

 

全く想定していなかった答えが返ってきて、思わず尻尾がビシッと直立してしまう。

……いや、普通そこで私の名前だしますかね? もはや担当ウマ娘ですらないというのに。嬉しいんだけどさ。

 

「そ、そういう話じゃないです……っ!」

 

「そういう話だろ……?」

 

「と、とにかく!」

 

火照る顔を左手で隠しながら、右手で彼を制する。

コホン、と仕切り直すように咳払いをして、話を続ける。

 

「セイちゃんはね、”自分”だと思うんですよ」

 

「自分……」

 

「家族や友だち、それこそトレーナーさんだって、私にとって大切な存在です。でもね、自己を犠牲にしてまで行う献身なんて、それに気づいちゃったら受ける方も辛いんじゃないかなーって」

 

「…………」

 

「スペちゃんやグラスちゃん、キングにエル。トレーナーさんを説得したのも、きっと彼女たちだよね。たしかに私が復学して、黄金世代の一員として今まで通りの場所に収まれば、ひとまずみんなの不安は解消できる。対策はまた、別途考える。そういうことですよね?」

 

「……ああ」

 

「でもね、自慢じゃないけどセイちゃん、平静を保てる自信がないんですよね。きっとボロが出て、みんな気まずくなって……また、逃げることになっちゃう」

 

 

 

「──それって、誰にとってもバッドエンドじゃないです?」

 

 

 

「……それ、は」

 

トレーナーさんの顔が、身体が、緊張で強ばっているのが確認できる。

 

私を説得すべく、必死に言葉を掴み取ろうとするも、まるで液体のごとく手のひらから流れ落ちてしまっているようだ。

 

「だからですね、ちょっと歯切れが悪かったとしても、セイちゃん劇場は素直に閉じようと思うんです。アンコールもカーテンコールもいらない。そんなもの、村人Aに向けられるものではないでしょう?」

 

「──っ、スカイは、紛れもない主人公だ!」

 

「……ありがとうございます。お世辞でも嬉しいですよ、ほんとに」

 

「お世辞なんかじゃ……!」

 

わかりますよ。自分の無力さに、軋む音が聴こえてきそうなほどに歯を食いしばっているその様子を見れば。

 

でも、私はトレーナーさんにとっての主人公であるべきではないんです。

よしんばそうだったとしても、早く次の主役を見つけてもらわなきゃいけないんだから。

ドロップアウトした私みたいなのが、ひたむきなトレーナーさんの人生劇を邪魔しちゃいけないんだから。

 

「……ここから先は千日手でしょうから、止めときましょう。とにかく、セイちゃんは心身ともに限界が来ていた。だから学園から逃げた。復帰はできそうにない……それだけで十分じゃないですか。トレーナーさんには、一番迷惑をかけて申し訳ないと思ってますけど……クラシックレースは頑張ったから許してほしいな、なんて」

 

「……俺のことはいい。それより、宛(あて)はあるのか?」

 

トレーナーさんは観念したようにため息を吐いた後、私の進路を訪ねてきた。

 

「なんもないです、なーんも。やっぱりこの年頃の中退ってウケが悪いんでしょうね。ポツポツとアルバイトとかは応募してるんですけど、どこも書類落ちですよ。とほほ」

 

「……そんな」

 

湿っぽいムードにならないように、努めておちゃらける。

 

実際、本当にそこまで気にしていないのだ。バイトの書類選考なんて、大学生だろうがフリーターだろうが落ちるときは落ちるのだから。

 

けど、トレーナーさんは自分のことのように心配そうに顔を歪ませ、声を震わせていた。

 

「……もう、そんな悲しそうな顔をしないで、トレーナーさん。なにもお先真っ暗ってわけじゃないんですから」

 

「ならせめて、俺になにかできることは……!?」

 

「……そうですねぇ」

 

私はすくっと立ち上がり、静かに窓を開けた。

 

夏というにはまだ早いこの時期だが、カラッとした天気で、日は気持ちよく部屋に射し込み、海風はまるで隠れ場所を見つけた子供のように、さっと部屋へ入ってきた。

 

ひとしきり堪能した後、私は青々と、しかし所々にポツポツと白い雲が点在する空を指さした。

 

「なら、ちょっと疲れて空を見上げたときに、今日みたいな青空だったら、私のことを思い出してみてください」

 

「思い出す?」

 

トレーナーさんが不思議そうに首を傾げる。

 

「ええ……真面目にやるときはやるけど、サボるときは堂々とサボっていた、セイウンスカイというウマ娘を。それでトレーナーさんが、無理を止めて休もうと思ってくれたなら、私はそれだけで幸せですから」

 

「スカイ……」

 

「逆に私も、いつも頑張っているトレーナーさんをたま~に思い出して、たま~に頑張ろうと思ってますから!」

 

「たま~にかよ……ま、今までよく頑張ってたし、それくらいが丁度いいのかもなぁ」

 

「……真面目に返されても、困るんですケド」

 

「……ははっ! そういうところは変わらないんだな」

 

いじいじと人差し指を突き合わせて照れる私を、トレーナーさんが笑う。

 

「……あははっ! そうかもですね!」

 

本来なら怒るんだけど。最近はずっと、私のせいでしかめっ面をしていたトレーナーさんが笑ってくれた。それがなんだか嬉しくて、つい釣られて笑ってしまった。

 

「わかった。あの子たちには俺から伝えておこう。ただ、安否の連絡くらいは返せよ。まっさきに、お前が生きているのかどうかを訪ねられたんだからな?」

 

「ご、ごめんなさ~い……」

 

「じゃあな、スカイ……お互い、元気に生きていこう」

 

「……ええ。トレーナーさんこそ、お身体にはお気をつけて。新しい子は、私みたいに甘やかしちゃダメですよ?」

 

「はいはい、わかってるよ……お茶、ご馳走様」

 

そう口にすると、トレーナーさんは立ち上がってドアの方を向き、右手を頭の横まで上げて別れの合図をした後、迷いのない足取りで部屋を出ていった。

 

「……今度来たときは、お魚の用意でもできてればいいな」

 

私は目を閉じ、勝手にいなくなって迷惑を掛けた友だちに謝った。

私は目を開け、それでも心配してくれたみんなに感謝した。

 

空は先週と変わらず、ずっとずっと青かった。

 

そして、きっとこの先も、ずっと。

 


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